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第二話 姿勢

 「おはよう、蓮……」


 先に道場を訪れていた遥は、弓を引けるように整えていた。彼に報告したかったという想いが強かったからだろう。


 「……蓮、私……弓道部に入ったよ」


 靴を脱ぎ捨てた蓮に強く抱き寄せられたまま、声を出す事が出来ず立ちつくす。早く鳴る心音とは裏腹に、心は落ち着いていくようだ。


 「ーーーーよかった……」


 絞り出したかのような小さな声で口にした蓮から、まっすぐな視線が向けられる。


 「……遥の射が見れるように、俺も頑張るから……」


 ーーーー同じ場所に、また行けるように……それは今も変わらない。

 私も、蓮と同じ気持ちだから……


 「うん……」


 頷いて応えると、慣れた手つきで練習を始めていく。遥と蓮は交互に一本ずつ、試合さながらのように引いていた。


 私達が小学生の頃は、これで先に的から外した方が飲み物を買ってくる……みたいな感じで、ゲーム感覚で練習していたこともあった。

 今となっては決勝戦のいい練習になってるけど、私も蓮も、滅多に的から外さなくなったから……一の黒より中かそうでないかの本数によって、ここ数年は勝敗を決めていたっけ……

 私が離れる前までは……よく、練習に付き合って貰っていたけど…………


 「今日は八本中、二人とも四本かー」

 「引き分けだね」

 「俺は朝練あるけど、遥は? 」

 「私のところは基本的に朝練はないみたいだから、もう少しここで練習していくね」

 「そっか……気をつけてな?」


 名残惜しそうに遥の頭に軽く触れると、足早に道場を後にした。その後姿には、数ヶ月前まで見慣れていたはずのジャージがよく似合っていた。


 風颯かぜはやては相変わらず……朝練と夕練とあって、弓に触れない日がないんだよね。

 私も……蓮の射を見れるように頑張らないと……


 気合いを入れ直し、黙々と弓と向き合っていく遥は、つい数日前まで弓と離れていたとは思えない程の的中率で、矢が的に中っているのだった。




 ーーーーーーーー誰の音だろう?


 教室よりも先に道場へ立ち寄っていた。遥は弓具を置きに来ていたが、的に中ったであろう音が辺りに響いている。

 静かな場内には、袴姿の陵と翔が正しい所作で弓を引いていた。


 これは、女子が集まるのも分かるかも……二人とも上手い。


 陵は誰にでもフレンドリーで交友関係が広く、翔はクールだけど、そこがいいと言う女子が多いらしい。正反対の二人は高校以前の知り合いなのか、クラスが違っても一緒に行動する事が多く、目立つ存在だった為、遥でもすぐに名前を覚える事が出来た。


 「……おはよう、神山」


 声をかけてきたのは翔だ。クールとは言っても、クラスメイトに挨拶はするようだ。


 「おはよう白河、松下くん」

 「おはよう神山ちゃん、一人?」

 「うん、これを置きに来ただけだから、二人は毎朝練習してるの?」


 思わず顔を見合わせ、翔が応える。


 「習慣かな……中学の時は朝練あったし」

 「そうそう。午後練しかないとは、思わなかったよな」

 「でも、先生に言ったら鍵の管理さえしっかりすれば、朝は自主練しても構わないって言うから……今日は二人だけど、たまに篠原も来るよ?」

 「うん、それに他に道場使う奴いないから静かに練習できるし 」

 「そうなんだ……」


 遥は聞き流しているが、二人は遠回しに『遥も朝練に参加しないか?』と、誘っているようだ。しかし彼女には、その曖昧さでは本心は伝わっていない。

 伝わらない事を悟ったのか、翔がストレートな言葉を口にした。


 「神山もよかったら、朝練たまに参加しないか?」

 「ーーーーありがとう……」


 彼女は少し驚いた表情を浮かべている。誘われるとは少しも思っていなかったからだ。




 チャイムが鳴ると、遥は新しく出来た友人と机を並べ、お昼を食べるのが日課だ。


 「ハルは弓道部に入ったんだっけ?」

 「そうだよー、知佳ちかちゃんと小百合さゆりちゃんはバスケ部だよね?」

 「うん、強豪だからレギュラー取れるように頑張りたいところだけどねー。あーー、遥がバスケ部じゃなくて残念」

 「小百合、まだ言ってるの?」

 「だって、体育の授業であれだけ綺麗なシュート見たらさーー。勧誘したくなっちゃうでしょ?」

 「それは分かる。背も高いし」

 「いやいや。背はあっても私、よく突き指するから無理だよー」


 三人は座っていると分からないが、クラスの背の順を一番後ろから独占している。加えて知佳と小百合は中学からバスケ部に所属しており、バスケ部強豪校である清澄きよすみ高等学校に進学したのだ。


 「翔ーー! 行けるかー?」


 廊下側から陵が声をかけると、翔は弁当の包みを持って教室を出て行った。毎回の事の為、女子が騒いでいる事に遥も気づいていたが、すっかりと日常の光景になっていた。


 「やっぱり目立つねー。白河くんも松下くんもあのルックスだもんねー」

 「そういえば、あの二人って弓道部じゃなかったっけ? 松下ファンの子が、部活どうしようか迷ってるの見た事ある」

 「うん、二人とも弓道部だよ」

 「じゃあ、女子部員多いんじゃない? マネージャーはいないの?」

 「マネージャーはいないよー。女子も弓を引くからね。体験入部は結構、人が来てたかな」

 「ん? 入部したのは少ないの?」

 「うん、だいぶ減って男女ともに四人ずつだよ」


 遥の言うとおり、体験入部時に二十名近くいた一年生は、およそ半分の八名の入部だった。

 それでも、ここ数年部員が少なく、団体戦にも出場できない人数だった年に比べれば、雲泥の差だと上級生は喜んでいた。


 「弓道部も試合あるの?」

 「例年だと、今月末に地区春季大会があるはずだよ。バスケ部は?」

 「バスケ部は今のところ、練習試合が多いかなー。今月末もここで練習試合する事になってるよ」

 「二人が試合に出るところ見てみたいな」

 「公式試合決まったら教えるから、応援にきてよ」

 「さすが小百合、かっこいい」


 笑い合いながら、残りの休み時間を楽しむ。


 授業中は真面目に聞いているものの、終わりが近づいてくると待ち遠しく感じる。数ヶ月前まで確かにあった感情が、また押し寄せていた。


 「遥ーー、部活行こう!」

 「うん! 千佳ちゃん、小百合ちゃん、また明日ね」

 「うん! ハル、また明日ねー」

 「遥も部活、頑張ってね!」


 放課後になると、美樹が遥の教室まで誘いに来る。遥は友人にいつものように手を振ると、道場へ向かった。

 そして、またいつものように翔と陵と昇降口で落ち合うと、経験者組四人が揃って道場の扉を開ける。四人が一緒になるのは、掃除や委員会などの用がなければ、部活に一番乗りしているからだ。


 道場の鍵は当番制になっている為、今日は一組の石原いしはら和馬かずまが袴姿に着替えていたが、帯が上手く結べないらしく準備に手間取っていた。


 「……ちょっといい? 腕あげて、鏡見てて?」 

 「お願いします」

 「手元見て、覚えてね」

 「うん」


 率先して手を貸した遥は、器用に和馬かずまの袴を整えていく。数回完成形を見せると、またほどき自分でやってみるように促した。


 「遥は器用だよねー。私、自分では着れるけど、人のは着せてあげられないよ」

 「着るのは……慣れてるからかな」


 更衣室でそんなやり取りをしながらも手早く着替えていると、残りの一年生が揃う。弓道未経験者には袴を着る事も初めての人が多い為、遥は姿見の前で多少手助けをしていた。


 一年生が着替えを終える頃、上級生と藤澤がほぼ同時に集まっていた。


 「今日はまず、二週間後にある東部地区春季大会の出場者を発表します。村田部長、着替える前にいいですか?」

 「はい!」


 藤澤の声かけに応え、村田が一枚の用紙を読み上げていく。


 「地区春季大会は県総体個人予選を兼ねた試合なので、経験者は全員参加になります。男子は八射五中以上、女子は四中以上が県大会出場の条件です。大会まであまり時間はありませんが、朝も道場を開放しているので、今出来ることをやっていきましょう」

 「部長が言ったとおりです。ここ数年、清澄高等学校は部員が集まらず、個人戦にのみ本大会に進めるほどの成績でしたが、今年は稀に見る豊作の年です。高校から始めた方も、来年は同じ舞台に立つのですから、そのつもりで練習していくように」

 『はい!』


 部員の元気な声が響くと、全員が袴姿に着替え練習が始まった。


 久しぶりに感じる部活の空気感と続けざまに響く音に、遥の胸は高鳴る。


 二時間ほどの部活動はあっという間だ。

 毎回のように物足りなさを感じながらも、楽しんでいる事は彼女の横顔からも明らかだ。


 「神山ちゃん、明日は自主練来る?」


 場内を掃除する中、声をかけてきたのは陵だ。


 「いつも、何時頃から集まってるの?」

 「俺と翔は、七時半くらいには大抵来てる。しのっちも練習するだろ?」

 「そのつもりだよーー」


 モップをかけながら元気よく応える美樹から、期待の眼差しが向けられる。遥も自主練のはずの朝練に、強制参加になりそうだ。


 戸締まりを終えると、一年生の八人だけとなり、校門まで歩きながら話していく。


 「松下くんは、みんなにあだ名をつけてるんだね。神山ちゃんなんて、初めて言われたけど……美樹ちゃんがしのっちかー」

 「俺、しのっちと同じ三組だし。あと、もっちーとも」


 急に名前を、呼ばれた望月もちづきは驚きながらも笑って応える。


 「うん……神山さんも、もっちーとか……名前で呼んでくれると嬉しいなぁー」

 「……奈美なみちゃんって、呼んでもいい? 私も遥でも、ハルでも何でもいいよ」

 「うん!」

 「ちょっ、神山ちゃん! 俺の作ったあだ名は、あっさり却下かよ?!」

 「いやー、陵のつけるあだ名は、たまに本名より長い時あるからなぁー」

 「ちょっ、和馬まで! じゃあ、みんな名前で呼び合うからな! 遥!!」


 陵のいじられキャラっぷりに七人は顔を見合わせ、笑い合いながら帰っていく。自転車組、徒歩組、電車組と分かれていく中、経験者の四人は駅までの道のりを歩いていた。四人とも電車通学である。


 「チャリか徒歩圏内っていいよなー」

 「そうだなー」


 陵の羨ましそうな声に、翔が相槌を打っている。 


 「じゃあ、私はこっちだからまた明日ね」


 遥だけ電車の方向が反対の為、駅で分かれる事が習慣になりつつある。毎回のように手を振っているが、呼び名だけは変わっていた。


 「うん! 遥、また明日ねー」

 「遥、またなー」

 「気をつけて帰れよー」


 陵にはすっかりと、名前呼びが定着したようだ。


 「美樹ちゃん、陵、翔、また明日ねー」


 遥も陵同様、名前で呼んでみる事にしたようだが、彼女に名前を呼ばれ、少し緊張した彼がいた事に、まだ誰も本人さえも気づいていないのだった。






 「遥、地区大出るんだろ?」


 メールでも連絡を受けていた蓮の声色は嬉しそうだ。


 「うん、蓮の所は中部地区だよね?」

 「そう。だから会えるのは本戦だから、勝ち残れよ?」


 県大会予選は、東部、中部、西部の三地区に分かれて行われる。そして、男子は八射五中以上、女子は八射四中以上と、この条件をクリアすれば本大会へ出場可能となるのだ。


 「来月頭には団体戦もあるし……遥の射、楽しみにしてるな」


 蓮は頭を軽く撫でると、いつものように帰り支度を始めた。


 「遥も今日はもう行くのか?」

 「うん、私も今日から自主練という名の朝練があるから」

 「よかったな」

 「……うん」


 弓道の強豪校である風颯学園高等部では、朝練、夕練と毎日のように弓に触れて過ごす。

 昨年まで団体戦にも出場人数が足りないような清澄高等学校で、弓が引ける場所がある事に安堵していたのだ。弓引きにとって、矢を射ることが出来る場所は貴重である。


 「遥、一緒に練習できるのは嬉しいけど……無理はするなよ?」

 「うん、蓮もね」


 春の朝、まだ肌寒い風が吹く中、二人は今いる場所へ向かって歩き出していった。




 「おはようございます」

 「おはよう」


 道場には袴姿の翔が立っていた。


 「あれ? 一人だけ?」

 「陵は七時半ギリが基本だから、そう言うハルは一人?」

 「美樹ちゃんは基本、五分前集合だから」


 二人は話しながらも、弓を引く準備を的確に進めていく。


 「ハルと篠原は同じ小学校なんだって?」

 「うん……って言っても、美樹ちゃんが転校する小四までだけどね。翔と陵も仲が良いよね?」

 「俺たちは同じ中学出身だからな」

 「そうなんだ……」


 準備を終えると、二人の間に静寂が訪れ、弦音が響く。

 翔は自分の右隣で弓を引く彼女の姿を、目に焼き付けていた。


 「おはようございます!」


 元気な声で顔を出した陵に続き、美樹。そして上級生の五人と、次の大会に出るメンバーが続々と集まっていく。遥は挨拶を済ませると、矢取りに入った。

 彼女が先程まで弓を引いていた的には、矢がすべて命中している。場内から向かって右手の的は八射八中、左手は八射六中と、県大会出場を目指すには十分な的中率だ。


 「今年……男子は団体戦も出れる人数になったし、楽しみだな……」


 二人があてた的に視線を向けていた村田は、副部長である飯田いいだに、嬉しそうに頷いていた。団体戦出場は、二人しかいない三年生にとって遠い存在でしかなかったからだ。

 高校生活最後の大会が、待ち望んでいた形に変わろうとしていた。

 



 「ハル、行けるか? 」

 「今日、掃除当番だから終わったら行くって言っといてー」

 「分かった、また後でなー」


 軽く手を振る翔に手を振り返すと、机を移動し始めた。


 「遥、白河とずいぶん仲良くなったね」

 「小百合ちゃん、そうかな? 部活が一緒だから、みんな名前で呼び合ってるよ?」

 「男女一緒なんだっけ?」

 「うん、練習は一緒だよー。バスケ部は分かれてるんだっけ?」

 「体育館は一緒だけど、完全に別々の部活だね。男バスのマネージャーは女子がやりたがるし」

 「そうなんだ」

 「ハル、サユーー、机戻すよーー」

 『はーい』


 二人は友人の声かけに勢いよく応え、手早く片付けると、それぞれの部活に気持ちを切り替えていった。


 清澄高等学校弓道部は、午後の練習のみ毎日あるが、弓が引けるのは放課後の二時間程度。

 顧問の藤澤は弓道経験者だが、基本的な練習は生徒が主体で行われている。


 部活を終えても弓の引き足りない遥は、毎朝のように通う道場に向かう。これも大会に向けての練習の一貫だ。


 「ーーーー蓮は、学校かな……」


 一人きりで明かりをつけ袴姿になり、弓懸をつけると、弓と矢を構え、綺麗な所作で引いていく。午後の練習の成果か、一射目から的の中心に中った。

 その後、何射、どの的で弓を引いても中っていき、心地よい弦音だけが静かな夜に響いていた。


 二十射引き終わる頃、スマホのバイブ音に気づき、弓を置いた。

 五つある的には、すべて四本ずつ矢が中っている。


 「はーい、みっちゃん?」

 『ハルー、夕飯の時間だぞ? 戸締まりして早く帰って来いよ』


 ーーーーバレてる……


 兄には遥が家の近くの道場にいる事が分かっていた。今までに比べ、清澄高等学校での練習量が激減しているからだと。


 遥は手早く矢取りを行い、道場を片付けると、袴姿のまま急いで帰っていくのだった。

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