*番外編*過去
第十六話 文化祭にて、一吹の過去と現在のお話
『何で閉めるんだよ?!』
『一吹……仕方がないだろ……』
『ーーっ!!』
言葉にならず、襖を思い切り閉めた。
ーーーー十九歳の俺は無力だった。
それは、十年経った今でも変わっていない。
兼業しないとやってられないくらい神職の給料は少ない。
そんな事は分かってた。
普通にサラリーマンをやって、家の手伝いを続けてきた。
昔は、神社と同じ敷地内に道場もあって活気があったけど……老朽化が進んで、手入れをしないと弓なんて引ける状態じゃない。
俺の知る限り、じいさんは厳しい人だった……生涯で七段。
藤澤先生と同じ段位だ。
それが、どれだけ凄い事なのかは分かってる。
でも、それを簡単に凌駕する弓引きがいた。
じいさんより一回り以上も歳下なのに、その功績は輝かしいものばかり。
七段ですら憧れた弓引き……それが神山滋、範士十段と松風一夫、範士九段だった……
「一吹さん、来てくれたんですね!」
由希子が手を振り駆け寄っていた。
「あぁー、制服じゃないから新鮮だな」
「そうですか?」
おにぎり屋と書かれたTシャツは、まさしく文化祭ならではの格好だ。
「一吹さん、お疲れさまです!」
「お疲れさま」
同じくTシャツを来た隆が来た為、二年生の弓道部員が揃っていた。
弱小でも真面目に続けてきただけあって、けして下手な訳じゃない。
二年間積み上げてきた力はある。
ただ、本番に実力が発揮できない事が多いだけだ。
場慣れすれば、少しはマシになるかもしれない。
俺も……そういう時期があったから、よく分かる。
中りのいい人は一定以上いるし、競う相手が多くなるほど萎縮しそうになる事もあった。
特に風颯では、仲間であり全員がライバルだった。
学生の頃を思い出すのは、文化祭を楽しむ学生達で溢れてるからだ。
そう自身に言い訳をして二人と別れると、手を振り去って行く背中に、押し寄せていた。
ーーーー俺の役目は終わったんだ。
臨時コーチは終了したはずなのに、こうして足を運ぶのも、どうにかしてやりたいと考えるのも……俺が、そうだったからだ……
「おかえりなさいませー」
「二人とも似合う! 写真撮らせてー!」
聞き慣れた声に視線を移すと、弓道部員の一年生が勢揃いしていた。笑い合う八人の姿が目に入る。
「ーーーー遥か……」
あの神山滋の孫……地元じゃ知らない人はいないくらい有名な範士だ。
範士の称号は、全国に七十人もいない。
九段、十段に至っては、審議委員の推薦と話し合いで認許される特別な段位だ。
一生をかけても辿り着けるのは、ほんのひと握り。
そのひと握りに、まだ若齢でなった二人の孫が、同じように競い合っているなんて……
「……参段か…………」
仲間と楽しそうに笑う横顔は、年相応な女子高生だった。
遥の的中率は、驚くほど高い。
記録用のノートに◯が永遠と続くほどの中りだ。
確実に五段まで辿り着ける技量がある。
「あっ、一吹さん!!」
「お疲れさま……」
「お疲れさまです!!」
メイドと執事の喫茶室は遥と翔のクラスみたいだ。
接客に戻った二人を除く部員が、一吹の前に集まっていた。
「来てくれたんですねー」
「あぁー、藤澤先生と約束があるからな」
「えーーっ、ついでですか?」
「いや……そんな事はないけど……楽しそうだな」
六人とも反応は違うが、文化祭を満喫しているのだろう。楽しそうな笑顔のままだ。
「一吹さん! また指導して欲しいです!」
「あぁー……機会があればな……」
「本当ですか?!」
眩しいくらいの笑顔に、一吹の頬も緩む。
「……あぁー、またな」
「はい!!」
辞めたはずなのに……出来もしない約束をした。
俺には……向いていないんだ。
『何で閉めるんだよ?!』
『一吹……仕方がないだろ……』
『ーーっ!!』
止めに入った父を振り切り、思い切り襖を閉めた。
じいさんは相変わらずだ! あの頭でっかち!
『くそっ…………』
俺はまだ学生で、道場を閉めるじいさんに、抗う術はない。
じいさんとはこれまでも、度々ぶつかってきた。
でも……今回のは、そのどれとも違う。
俺の意見なんて、最初から聞こうともしない。
『……あの偏屈じじい!!』
思い切り枕に八つ当たりをして、投げた拍子にトロフィーが落ちた。
『ーーーーっ、何で……』
涙があふれて、窓の外にある道場が滲んでいる。
ーーーー事の発端は、老朽化の前からあった。
それは、ついでの理由で……じいさんの練習方法が合わなかったんだ。
最初は従っていたけど……素引きばかりさせられたり、中るまで終わらなかったり……やる気を失う一方で、口答えをすれば叩かれた。
中学の頃、理不尽だと思った。
それでも部活があったから、大学まで何とかやって来れた。
それなのに…………
『何で……簡単に潰せるんだよ?!』
どう足掻いても変わらない段位、周囲の期待も徐々に無くなっていく喪失感……分からなくもないけど、だからって……道場を閉める事はないだろ?!
悪態をついた所で、じいさんの気持ちが変わる事はなかった。
俺の段位は、大学生の頃から変わっていない。
じいさんが道場を閉めたからだ。
そりが合わなくて、そのうち言い合いすらしなくなって……道場もなくなった。
就職して、じいさんと顔を合わせる機会も減って、徐々に弓を引く機会も減っていった。
ーーーーじいさんが亡くなって……段位を受ける事も、いつの間にかしなくなった。
落ち続ける度……やっても無駄だって、言われてる気がして……
「一吹くん、来てくれたんですね」
「藤澤先生……」
弓道部員に誘われただけでなく、藤澤に呑みに誘われていた為、文化祭で賑わう清澄高等学校を訪れていた。
「弓道部の子達には、会いましたか?」
「……はい、遥と翔は接客中でしたけど、みんなと会えましたよ……」
窓の外からも楽しそうな声や音楽が聞こえている。
「……青春って、感じがしました」
「そうですか……」
一吹は文化祭で賑わう様子を何処か遠い目をして、眺めていた。
じいさんが亡くなって五年……俺は未だに、捨てられずにいる。
道場は宮司を継いだ去年、建て直した。
サラリーマン時代に貯めた金で、弓を引ける場所は確保した。
だけど…………
「コーチを引き受けて下さって、ありがとうございました」
「いえ……こちらこそ、ありがとうございました」
行きつけの小料理屋なのだろう。藤澤が慣れた手つきで注文していた。
「遅くなってしまいましたが、お疲れさまでした」
「お疲れさまです」
藤澤の日本酒に、一吹はビールで乾杯をすると、ゴクゴクと喉を潤した。
「一吹くん、コーチをやってみてどうでしたか?」
「…………そうですね……自分の勉強にもなりました」
「勉強ですか……一吹くんは、いつも周囲を見て学んでいますよね」
「いえ、そんな事は……」
空になったグラスに、藤澤がビールを注いだ。
トクトクとグラスを満たす音が、やけに大きく聞こえた気がした。
「……もし……まだ迷っているなら、気が向いた時だけでも構いませんので……コーチをお願い出来ませんか? あの子達には、一吹くんのように同じ視点で見てくれるような師が必要です」
すぐに応える事が出来ず、勢いよく飲み干した。
「ーーーー藤澤先生……私は、宮司を継ぎました……だから、務めがある時は見れませんが……それでも、良ければ……」
言葉を選び、振り絞って告げる一吹は、まっすぐな視線を向けていた。迷いの色はいつの間にか無くなっていた。
「……構いませんよ。一吹くんが居てくれる事が、あの子達の力になりますから」
藤澤は変わらずに穏やかな笑みを浮かべている。まるで、最初からすべて分かっていたかのようだ。
「ーーーーありがとうございます……」
…………泣きそうだ。
泣き上戸じゃなくて、認めて貰えた気がして……
「良知くんも、君の事を案じていましたよ」
「はい……連絡しておきます」
ーーーー十九歳の俺は無力だった。
それは、十年経った今でも変わっていない。
朝から神社の掃除をして、同じ日々の繰り返しだった。
ついこの間までは……違ったんだ。
コーチを引き受けてからの数週間は、一日が早く感じた。
放課後の二時間程度の僅かな時間で、最大限へ導く技量は俺には足りなかった。
良知さんのようにはなれない。
それが痛いくらいに分かった。
だけど……一緒に戦っている気分だった。
指導しているつもりが、励まされてる気がした。
弓道は道だ……竹は人生の節目にも例えられる。
長い、長い道だ……目指す事を辞めてしまった俺に、指導なんて無理だ。
それは分かってる。
それでも、久しぶりに弓に触れたいと……もう一度、目指してみたいとさえ思った。
もう一度…………
「藤澤先生……ありがとうございます」
「次も、楽しみですね」
「はい!」
その後も二人は、お酒に美味しいおつまみとご飯を食べながら、細やかな休息を過ごしていた。
いつもよりも早く起きた一吹は、敷地内にある真新しい道場に袴姿で立っていた。
「ふぅーーーー……」
深く息を吐き出して、的を見据えた。
カンという音と共に放たれた矢は、安土へ飲み込まれていった。
「…………素引きだな」
素引きをして見つめ直し、また弓を引くと、心地よい音と共に中った。
じいさんの全てが正しかったとは、今でも思えない。
だけど……俺が良知さんや藤澤先生に救われたように、手助けが出来たら……
「…………一吹」
「父さん……おはよう……」
「おはよう……いい音がするようになったなー」
「一ーーー分かるのか?」
「あぁー……じいさんと同じ弦音だ……」
あんな偏屈じじいには、絶対ならないけど……そうだな……小さい頃に聞いたじいさんの弦音は、驚くほど綺麗だった。
「俺……清澄高等学校のコーチ、引き受けたから」
「あぁー、楽しみだな……」
何処か懐かしむように告げる父に、一吹は微笑んでいた。
此処を継いで、まだ一年にも満たない。
厳しい教えは今も根を張って、時折締めつける。
だけど……大丈夫だ……見守ってくれる人がいる。
父さんだけじゃない。
藤澤先生や良知さん……それに、他人に理由を委ねてたら駄目なんだ。
あんな偏屈にはならないけど、正しく導いていけるコーチでありたい。
「じゃあ、また夕方出るから」
「あぁー、気をつけてな」
優しい瞳で、息子を見送っていた。
あの日……止めに入ったのは、俺の為だったんだと、今なら分かる。
結局……仲違いしたまま、俺が二十四歳の時にじいさんは亡くなった。
ーーーー葬儀には、たくさんの人が参列していた。
驚いた……あんな偏屈なじいさんなのに、看取ってくれる人がこんなにいるなんて……正直、一人もいないと思ってたから……
『じいさんは……あんなにしていたけど、面倒見が良かったんだよ』
そう、父さんが言ってたっけ……どうも意地っ張りな所は、受け継いでるみたいだ。
真新しい道場で、また積み重ねていく。
一吹は軽い足取りで、清澄高等学校へ向かうのだった。




