第十四話 衝動
放課後、いつもなら部活に行く時間帯だが、教卓の前には文化祭実行委員が揃っている。黒板には文化祭で行うクラスの出し物が書かれていた。
「メイド喫茶、演劇、お化け屋敷、他にやりたいものありますかーー?」
「屋台的な外でやるのはダメなの?」
「一年は教室で出来るものって事だからダメだな」
「じゃあ、この三つの中で多数決取るから、手を挙げて下さい」
実行委員が黒板に正の字で多数決を書こうとしたが、明らかに過半数を占めていた為、すぐに出し物が決まる。
「一年二組はメイド喫茶で申請します」
「明日の放課後までにメニュー、考えといてーー」
メイド喫茶かー……すぐに焼けるのだと、パンケーキとか?
事前に焼いておけるのだと……スコーンとかパウンドケーキ……あと、サンドイッチ?
初めての文化祭に心を躍らせていると、翔が声をかけた。
「ハル、部活行くだろ?」
「うん!」
「メニュー、考えてたのか?」
「うん、何がいいかな? 一組はフリマに決まったって言ってたよね?」
「マユが実行委員だからな」
二人は話しながらも、数日後に控えた大会に向けて道場に急ぐのだった。
「へぇー、来月は文化祭があるのか」
部活動を終え、掃除の最中に一吹も部員達の会話に加わる。話ながらも手はしっかりと動かしている為、すぐに片付けも終わった。
「一吹さんも、よかったら見に来て下さいよ」
「ぜひーー! 一般参加の二日目は、誰でもオッケーなので!」
「そうだな……でも、その前に大会だな。気負い過ぎず、いつも通りにやればいい」
『はい!』
数日後に控えた大会を前に、一吹は数週間前に会った時よりも、微かにだが違うと感じていた。
それは、彼らがスポーツフェスティバルの団体戦を通して得られたものが、多少なりともあるからだろう。
「楽しそうで何よりです」
着替えも終わり道場を出る頃、職員会議を終えた藤澤が顔を出した。
「藤澤先生!」
陵が声を上げたが、一番乗りで尋ねたのは和馬だ。
「先生の段位、教えて下さい!!」
約束を果たした彼らの眼差しは何処か眩しい。
「……七段ですよ」
「七段ですか!」
「初めて、お会いしました!!」
予想よりも高い段位だったのだろう。いつもより丁寧な言葉遣いになる陵に笑いが起こっていた。
県連秋季大会は、県大会が行われた県武道館が会場の為、遥は車で送って貰っていた。
「ハル、いってらっしゃい」
「うん……お母さん、ありがとう。いってきます」
車を降りると、空を見上げた。
「ふぅーーーー……」
深く息を吐き出し、瞳を閉じて見つめ直す。これから行われる対戦に向けて気持ちを整えていた。
一人八射、団体計四十射で予選が行われる。
男女別上位四校が準決勝、決勝とトーナメントを勝ち抜き、八位以上が入賞。二位以上が中日本大会の出場権が得られるのだ。
清澄が勝ち残った東部地区、風颯のある中部地区、そして西部地区の計二十七校の中から順位が決まるのである。
遥、翔、陵の三人は県大会個人戦で使った事のある会場とはいえ、団体戦の舞台に緊張気味になっていた。更に応援で来ていたメンバーにとっては、実際に出場と観戦では雲泥の差があり、明らかに緊張した様子だ。言葉数が極端に少なくなっている。
「緊張するのはいい。弓を引く時は……そういう感覚がある方がいいからな」
一吹に続いて藤澤が口にした言葉は、遥がいつも想っている事だった。
「いつも通りは難しいかもしれませんが、また弓を引きたくありませんか?」
「はい」
迷わず応えた遥に続くように、チームメイトも大きく頷くと、大会が始まった。
大前のユキから順に引いていく。
ユキの矢が的に中ると、奈美、マユは的から続けて外すが、落ち前の美樹が持ち直し、的に中る。
そんな中、落ちの遥だけは、いつも通りの射を見せていた。
弦音と弓返りが響き、その音に続くかのように次の射は五人全員が中った。
『よーし!!』
拍手と共に聞こえていた声に、遥は頬を緩ませていた。
いつもと変わらない弦音に、心を出来る限り落ち着かせながら、残りの弓を引いていく四人の姿があった。
「……まるで、彼女の音に続いてるみたいですね」
そう漏らした一吹に、藤澤は再び視線を戻した。
「ーーーーそうですね……遥さんの射は、いつも美しいですから……」
そんな二人のように、彼女を見つめる彼の姿があった。
「蓮、行くぞ」
「うん……」
チームメイトの声に応え、歩みを進める。
蓮は先程まで見ていた射を想い浮かべながら、集中力を高める。彼もまた八射皆中を決め成果を残した。
清澄弓道部の女子団体戦は、四十射中二十と惜しくも入賞を逃すが、男子は二十三射で八位入賞を果たした。
県大会に続いて入賞を果たした事により、無名だった東部地区の学校が急に出て来たと、表彰式の際に視線を集めていたが、当人達は初めてづくしの大会を終えたばかりで、周囲の様子に気づく事はない。
「みなさん、お疲れさまでした」
藤澤の穏やかな声に大会が終わったのだと、ようやく理解した。それくらい緊張感のある中で弓を引いていたのだ。
「女子は惜しかったが、男子は八位入賞おめでとう」
一吹に改めて言われ、隆部長は思わず一礼した。
「藤澤先生、一吹さん、ありがとうございます!」
『ありがとうございます!!』
隆に続いて一礼をする部員達に、藤澤と一吹は顔を見合わせて微笑む。
この数週間で少しずつ成長している彼らに、学生の頃の自分を重ねていたのかもしれない。
そのまま現地解散となり、遥が母に連絡を取ろうとしていると、懐かしい声に呼び止められた。
「ーーーーハル、久しぶり……」
彼女の目の前には、強豪校のジャージを着た袴姿の男子が立っていた。
「林……」
「少し、話いい?」
二つ返事で応えるとチームメイトと分かれ、人気の少ない方へ誘導されるように歩いていく。
「……遥、大丈夫かな? 今の風颯の人だよね?」
そう漏らした美樹に反応したのは翔だ。
二人は、遥と知り合いであろう男子を陰ながら追いかけていた。
比較的に人気の少ない所までやって来ると、木陰の下で口を開く林に、微かに瞳が揺れる。
「ハル、お疲れさま」
「ーーーーお疲れさま……久しぶりだね……」
「……あのさ……何で、内部進学しなかったんだ?」
「……私が清澄を選んだ…………それだけだよ……」
「サキとか、俺もだけど……知らなかったから……」
自分でも上手くいかない感情を、他人に説明するなんてできない。
「言わなかった事については謝るけど……林には関係ないよね? 話がそれだけなら帰るね」
「待てって!」
その場を去ろうとする腕は、強く握られていた。
「俺は、ハルの射が…………ハルが、好きなんだよ!」
「?! ……私…………付き合ってる人いるから……」
「あの、チームメイトの奴?」
「……違うよ」
応えたのは遥ではない。二人が声の方を振り向くと彼が立っていたのだ。
「……蓮……部長…………」
「林、悪いけど……遥は、俺のだから」
躊躇いなく抱き寄せると、わざと牽制して見せる。
「ーーっ、俺! 部長には負けませんから!!」
林は一礼して、その場を去っていった。
「……ったく、いい度胸だな」
「蓮…………来てくれて、ありがとう……」
曇ったような瞳に気づいたのだろう。離れたはずの腕に、強く抱きしめられていた。
「……遥が中学に上がった頃から、迷っていたのは知ってた…………部活になって、競い合う事が当たり前になって……ついて行けないって、思ってただろ?」
「ーーーーよく分かったね……」
「部活は多少上下関係あるから、必要以上に話さないようにしてた」
「うん…………だから……あの道場で、よく練習に付き合ってくれてたの……分かってるよ」
ーーーーーーーー私が……弱いから…………
蓮は……私が弓を辞めないように、道場にも通ってくれていた……
「ーーーー俺はさ、一個上に満がいたけど……遥は違うもんな……」
彼女の瞳から涙が溢れていた。
「たまには……弱音吐いたって、いいんだ」
「ーーーーうん……」
蓮は想像していた。
満がいなくて、一人だけ……自分だけしか弓の引ける人がいなかったら……何て……味気ないんだろう。
あの頃、目指していた高みになんて、到底辿り着けない。
「……中二までは蓮もいたけど、部長になって……私は何を目標にして、これからやっていけばいいのか分からなくなって……」
「遥の世代は……特に女子は、強豪校だから他に比べれば強いけど……皆中するのなんて、当時は遥だけだったからな」
「……蓮には敵わないね」
「あーー、でも失敗した……」
遥の頬に手を添え、わざと嘆いてみせる。
「……あいつに、チューしてる所でも見せつけてやれば良かったなー」
いつもの空気感に戻り、クスクスと可愛らしい笑みが浮かぶ。
「……やっと、笑ったな」
「ありがとう……」
「あーー……もう少し一緒にいたいけど、タイムオーバーだな」
蓮が頭を撫でていると、元チームメイトが視界に入った。
「林が飛び出してったけど、大丈夫か?」
「土屋先輩、もう集合時間ですか?」
「あぁー。部長がいないって、コーチがぼやいてたから呼びに来た」
「ありがとうございます。じゃあ、遥……またな」
「うん……土屋先輩も、ありがとうございます」
後姿を見送り、また空を見上げていた。
そんな彼女の姿を美樹と翔。そして後から合流した陵の三人は、遠くから見つめていた。
「……遥、一人になったね」
「あぁー」
距離があり会話の内容までは聞こえなかったが、その表情だけは彼の目にもしっかりと映っていた。
「……林は生真面目っていうか……面倒くさそうだな」
「やっぱり……土屋先輩、聞いてたんですね……」
「あぁー」
春馬に悪びれる様子はなく即答だ。
「そうですね……敵視されましたから」
「部長相手に、よく言うよなーー」
「まぁー、レギュラーも遥も、譲る気はないんで」
「蓮は一見、闘争心なさそうなくせに、そういう所は満と似てるよなーー」
「嬉しくないですよ」
「……林が何処までやれるか、お手並み拝見だな」
「そうですね」
駆け足で話をしながらも、風颯の元に戻ったが、いつもと微かに違う事に満だけが気づいていた。
「…………蓮、どうかしたのか?」
応援に来ていた満は、彼を待っていた。
ようやく二人きりになり、気にかけていた事を尋ねると、蓮は素直に応える。
「ーーーー遥が……林に告られてた」
「えっ?! 林って、あの一年のか?」
「そう……あと、ライバル視された事かな?」
「はぁーー、あいつ、負けん気強そうだからな」
「うん、そこは譲る気はないけど……それよりも……」
「それよりも?」
「……俺には、満がいてよかったって話」
「何だそれ?」
訳の分からない表情を浮かべる満に対し、彼は笑みを浮かべた。
「今日も団体優勝したなー……」
蓮がこれ以上話すつもりがないと分かった満は、違う言葉を口にした。
「団体戦、世代交代しても余裕ありそうだったな。二年は人数多いし、この調子で記録を伸ばせよ?」
「それは光栄です。満部長」
二人は幼馴染という事もあって仲が良いだけでなく、弓道においてはライバルでもある。でもそれは、先程の林のような一方的なものではなく、お互いを認め合っているからこその関係だ。
今も蓮の態とらしい態度に、満は笑っている。
「今日も行くのか?」
「連絡は取ってないけど、遥なら絶対いるから……顔見てから帰るよ」
「蓮、ありがとな」
「じゃあ、満……今日は、応援ありがとう」
「あぁー、またな」
蓮が道場に足を運ぶと、そこには予想通り、矢取りを行う彼女がいた。
「……遥、お疲れさま」
声をかけられ、一瞬だけ驚いた表情を浮かべた遥は、いつもと変わらない笑みを返す。
「お疲れさま、蓮」
「少し、話さないか?」
「うん……」
並んで座った肩は、ぴったりと寄せ合っている。
「…………俺はさ……何処かで遥は、風颯に来るって期待してた」
「うん……」
「満もいるし……俺も…………それに、間違いなく県内の高校で、一番環境の整った弓道部だから」
「そうだね……おじいちゃんに勧められてからも、正直……迷っていたよ。このまま内部進学して、蓮のそばにいたいとか……考えていた時期もあったけど…………」
「ーーーーけど……それだけじゃ、続けられない?」
「本当……よく見てるよね……」
自分の心を見透かされた気がした。
「そうだね…………それだけだと、また投げ出したくなる日が来るかもしれないって思ったの。もう、おじいちゃんはいないのに…………私は途中で投げ出したくなかったから、清澄に進学したよ……」
蓮は何も告げず、相槌を打つように頷くだけだ。
「でも……入部する気は、最初はなかった……あの日も……蓮と此処で引き続けるだけでいいって、思っていたから……」
「俺は……俺と弓を引けるなら、必ず部活にも入るって思ってたよ」
「えっ?」
「……遥は弓がすきだから……すきだったら、戻ってくるって」
たとえ、それが遥にとって難しい世界でも、必ず戻ってくると信じていたのだ。
「……ありがとう…………入学式の日、会いたくなかったけど……嬉しかった……」
手を引かれ、抱き寄せられる。加速する心音に追い打ちをかけるかのように耳元に響く。
「ーーーーーーーー遥……」
触れた手が熱を帯びる。昼間の告白の所為か、彼の口づけは徐々に深くなっていた。
「ん……蓮……ここ……外と、変わらな……」
貪るように求められ、遥の声はかき消されていく。首筋に赤い花が咲き、強く抱きしめられていた。
「遥……」
「れ……蓮……」
首筋や胸元に淡い痛みを残すと、そのまま更衣室まで横抱きにされる。
「遥、すきだよ……」
「…んっ……」
繋がっていても、それだけじゃ足りないの。
ーーーーーーーーこんなにすきなのに…………
ずっと……たとえば手を繋いで、一緒に歩き続ける事はできないって、ちゃんと理解ってる。
「……蓮……すき……」
それが合図になったかのように、そのまま二人は繋がっていた。遥の瞳から涙が溢れそうだ。
ーーーーーーーー私……自分で思ってたよりも、ずっと……蓮がすき…………
改めて自覚していたのだ。
昼間に遥を心配して駆けつけた彼は袴姿だった。普段から羽織っているジャージが目立つ事を知っているからこそ、袴姿のまま声をかけてくれていたのだと。
そして、彼もまた自覚していた。
彼女に痕を残して、こんな場所で抱いてしまいたくなる程に独占欲が強いという事を。
まだ暑さの残る夜、二人は自分でも知らなかった自分を見つけていた。