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第十三話 通過

 弓道部の午後練には、一吹いぶきが毎日のように顔を出していた。


 「一吹さん、どうですか?」

 「うん……よくなってるな、陵。あとは明後日の本番に、今の射形が出来るようにな」

 「はい」


 職員会議等で途中参加が多い藤澤の代わりに、午後練の頭から指導者がいるというのは、彼らにとって大きな変化だ。

 更に指導面でも、藤澤よりも細かな指摘が多いが、素直に受け入れていた。期間限定だからこそ、質問が飛び交う程だ。


 男子の団体練習が終わると、女子が場内に並ぶ。

 大前のユキから順に引いていく中、落ちの遥は続いていく音を聴きながら、まっすぐに的を見据えていた。


 記録を録っているノートには◯が並んでいる。彼女の欄にだけ一つも欠けることなく続いていた。

 

 「すごいよな……」

 「あぁー」


 陵が書くと同時に、八射皆中が決まる。中る前から分かるほど、安定した射形を見せていた。


 「……遥は、段位を持ってるのか?」


 場内の片付けを終え、制服姿の彼女に声をかけたのは一吹だ。


 「……はい……一吹さんは、何段ですか?」

 「俺は……四段だな」

 「一吹さん、すごいですね!」


 陵が割って入り、コーチの段位に興味津々な様子だ。


 「そんな事を言ってたら、藤澤先生の段位を聞いたら驚くぞ?」

 「えっ、聞きたいです!」 「何段ですか?!」


 盛り上がっていると、藤澤が顔を出した。

 

 「随分と盛り上がっていますね」

 「藤澤先生! 先生は段位をお持ちなんですか?!」


 率直な和馬に、藤澤は微笑む。


 「そうですね…………君達が……明後日の大会に勝ち残ったら、教えましょうか」

 『はい!』


 顔を見合わせ、気合いを入れ直す。たとえ藤澤の事がなくとも、気合いは十分なようだった。


 続々と退出する中、最後になった遥は振り返った。


 「…………一吹さん……私は参段ですよ」

 「そうか……」


 そう一言返しているが驚きは隠せていない。遥にも分かるほど、表情に出ていた。


 「はい…………まだ……これからです」

 「弓道は道だから……長いからな」

 「はい、失礼します」


 綺麗なお辞儀をみせ、藤澤と一吹を残し道場を後にした。

 遠くなっていく背中を一吹は眺めていた。その瞳は、まだ複雑さが滲んでいる。


 「…………遥さんは参段でしたか」

 「はい…………あの歳で、参段ですか……」

 「一吹くんも、まだ若いですよ?」

 「僕が高校生の頃……初めて受けた時は、一級でしたよ」

 「継続は……力なりですね」

 「そうですね……」


 射形と的中率は、弓引きにとって永遠の課題だ。

 二人は彼女達の後姿を眺めながら、想いを馳せているようだった。


 「ーーーーハルは何段なんだ?」


 駅までの道のりで、右隣を歩く翔の疑問にすぐに答える。


 「……参段だよ」

 「さっき……はぐらかしてるみたいだったから……驚いた」


 その言葉通り、不意をつかれた表情だ。


 「そうだね…………段位は久しぶりに聞かれたから、ちょっと戸惑った感じにはなったけど……」

 「ハルは、いつから弓道やってるんだ?」

 「……急にどうしたの?」

 「いや、ちょっと聞いてみたくて……」

 「うーん、気づいたら続けていたから……小学校四年生くらいかな……弓って基本、子供用はないでしょ?」

 「あぁー」

 「だから……引けるようになるまで、素引きを繰り返していたかな」

 「確かに……小さい頃は、体格がないと引けないよな」

 「うん……だから…………弓を先に引いていた兄達が羨ましかったなー……」


 兄達と言った遥の言葉に反応したのは、翔が憧れを持っているからだろう。


 「……松風さんも、同じ頃から習ってるのか?」

 「うん…………あの頃はーー……」


 続きは言葉にならず、空中へ消えていった。

 彼女の瞳は何処か遠くを見ているようで、翔はそれ以上の声をかけられずにいた。


 程なくして駅に着き、翔は陵達と話しながらも、彼女の乗った電車を眺めていた。


 「ーーーー翔、いよいよだな」

 「あぁー、リベンジだな」


 電車を降りると、決意を新たにするかのように、一歩を踏み出す二人の姿があった。






 …………あの頃は、純粋に弓と向き合っていた気がするの。

 今も変わらないつもりだけど……少しずつ、変わっていった。

 部活は、競技だから……


 「ふぅーーーー……」


 息を深く吐き出した遥の視線の先には、八本の矢が中っている。本番と同様に八射皆中を決めていた。


 いつもなら二つ用意する的が今日は一つだ。そして、いつもなら更に弓を引き続けるはずだが、今日は八射に留めていた。


 道場を出た遥は、また大きく息を吐き出し、空を見上げた。これから始まる団体戦に向け、気持ちを整えていく。

 

 「ーーーーうん……大丈夫……」


 その手には御守りが握られていた。


 スポーツフェスティバルは、県大会予選と同じく、東部、中部、西部の三地区に分かれ行われている。清澄高等学校がある東部地区では、団体戦上位八校が九月下旬に行われる県連秋季大会への出場権が得られるのだ。

 個人戦もあるが、県連秋季大会がある団体戦に力を入れる学校が多い。

 そして、その主力メンバーは二年生だ。インターハイを終え、新しい世代になっている学校がほとんどだからである。


 東部地区女子の会場には、藤澤が同行していた。


 「初めての団体戦ですからね。緊張して当たり前ですが、何処まで自分のいつもの射が出来るか、向き合って行きましょう」

 「はい!」


 彼女達は緊張しながらも、それを払拭するように声を上げた。


 ーーーー大丈夫……また引ける……落ち着いて……


 深く息を吐き出し、まっすぐに的を見据えた。


 遥が弓を引く頃、男子の会場では、一吹コーチが清澄弓道部員を同じように見守っていた。


 団体戦は一人八本ずつ弓を引く為、四十射中何本中るかで順位が決まる。

 大前の陵、二番の雅人、中の隆部長、落ち前の和馬、落ちの翔の順に引いていく。

 次々と放たれる矢を、一吹はまっすぐに見つめていた。


 「…………翔と陵の力で、今回は切り抜けられそうだな……」


 そう漏らした通り、全体の七位の順位で、県連秋季大会の出場権を清澄弓道部は手に入れたのだ。


 初めて五人で獲得した出場の機会に、喜びの声が上がる。

 

 「やったな!!」

 「あぁー」

 「部長ーー、やりましたね!」

 「そうだな」


 素直な反応に、一吹は目を細める。

 眩しさを感じるような彼らに温かな視線を向けていると、バイブ音が鳴った。


 「女子はどうなったかな?」


 隆と同じく、弓道部のグループラインを見ようと、一斉にスマホを取り出した。


 「女子も八位で通過したってさ」


 チームメイトが一吹に視線を移すと、スマホを片手に話をしていた。どうやら藤澤と連絡を取っているようだ。


 『やったーー!!』


 嬉しそうな部員を横目に、一吹は今日の結果を報告していた。結果が気になるのは、なにも部員だけではないのだ。


 彼らが喜んでいると、グループラインにユキよりメッセージが届く。


 『女子も八位で通過しました!!』


 その文字に、男女揃って次の大会に進める喜びを噛み締めていた。


 試合を終えた遥達も同じ反応だ。初めての経験に思わず声が上がる。


 「男子も七位通過だって!」

 「すごい!!」

 「やりましたねーー」

 「うん、嬉しいね!」


 本当に嬉しい…………また、弓が引けるんだ。


 「遥ーー!」


 思い切り抱きついてきた美樹に、遥は安堵した様子だ。周囲が緊張している素振りに気づく事はなかったが、いつも以上の緊張感に襲われていたのだ。


 「ーーーー美樹……楽しみだね……」

 「うん!」


 彼女達が抱き合う姿を藤澤は静かに眺めていた。


 「ーーーー頑張りましたね……」


 団体戦で初めて次へ進める事を喜んでいたのは、生徒だけではない。目の前で喜び合う光景は、彼に栄えていた時代の弓道部を思い起こさせていた。




 遥は道場に立ち寄っていた。黙々と的を張り、準備を整え、引いていく。


 カンと、心地よい弦音が辺りに響く。

 その姿は、初めての高校での団体戦の高揚感に、また弓が引ける事に、一言では言い表せない感情を持て余しているようだった。


 二つの的には八本ずつ矢が中っている。

 弦音が止むと、彼の声がした。


 「……遥、お疲れさま」


 振り返ると、一番に報告をした蓮が袴姿のまま立っていた。彼もまた中部地区の試合を終えたばかりだ。


 「蓮! 私、みんなでまた引けるよ!」


 とびきりの笑顔を見せる遥は強く抱き寄せられ、耳元に蓮の声が響く。


 「よかったな……」


 視界がぼやけていく。


 ーーーーーーーー中学の時、一年生の頃から試合には出れた。

 大前をやる事が多かったから……あとに続いていく音を感じるのは、心地よかった…………

 でも、部員が多い中……試合に出られない上級生や、同級生の視線を痛く感じる事が増えていった。

 そんな事くらいで、乱されたりはしないけど…………弓が嫌いになりそうで……


 『ハルはすごい!』

 『さすが部長の妹だな』

 『またハルだよー』


 他意のない言葉も……あの頃の私にとっては、窮屈になる要因でしかなかったから……


 「…………蓮……ありがとう……」


 背中に回された手が優しく撫でる。促されたかのように、涙が溢れ落ちていた。


 「……私……続けていて……よかった……」

 「うん…………遥の射は綺麗だよ……」


 涙を拭う指先がそっと唇に触れ、ゆっくりと重なる。

 突然の出来事に涙も止まり、寄せられた額に頬が染まる。間近にある柔らかな笑みに、想い返していた。


 ーーーー今の私に出来ること。

 いつも通りに、弓を引くこと。


 遥の中で、それだけは明確になっていた。


 「俺も引いていっていい?」

 「うん」


 矢取りを済ませると、二人は並んで弓を引き始めた。弦音と弓返りが響く度、頬を緩ませながら。


 蓮の音を聴くと……安心する…………それも、あの頃から変わっていないの。


 まっすぐに的を見据え放たれていく矢は、まるで思い通りのように飛んでいくようだ。

 

 「ーーーー蓮、お疲れさま」

 「うん……遥も、お疲れさま。次は、同じ場所で引けるな?」

 「うん……楽しみだね……」


 その日の個人の結果は、遥が東部地区女子一位。

 翔と陵は、東部地区男子四位と五位の成績だったが、それよりも団体戦の結果を喜んでいた。


 そして、中部地区では満が一位、蓮が二位の順位となり、今まで残っていた風颯学園弓道部員の三年生は引退式を残し、引退したのであった。

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