第十二話 心待
ここ数日、蓮に会う度に頬を赤らめる事が多かった遥も、ようやく平常通りに戻っていた。
矢取りをしながら話が出来るのも、あと少し……もう夏休みが終わっちゃうなんて……一緒にいられる時間が増えたのは嬉しかったけど、早かったな…………
こうして長く一緒にいられる時間も、今日までだ。
「遥の所もインハイ個人戦勝ったんだから、学校で表彰されるだろ?」
「うん…………この間、藤澤先生に言われて……明日の始業式で、夏休み中の部活の成績発表するみたい……」
「相変わらず、イヤそうだな……」
「壇上に立たなくていいのが救いだけど……だって、慣れないし……」
遥は元来、人前に立つことが苦手なのだ。
そんな彼女の頭に優しく触れる手があった。以前ほど真っ赤に染まる事はないが、自然と綻ぶ。
「弓道の時みたく構えてれば、大丈夫だよ」
「うん……」
蓮に大丈夫と言われると、本当にそんな気がしてくるから不思議……
アドバイスとは言い難い言葉も、遥にとっては重みのある言葉だ。
「じゃあ、あと八射ずつ引いてから帰ろうか?」
「うん!」
元気よく応え、まっすぐに的を見据える。
心地よい弦音が続けざまに響き、夏休みも変わらずに弓道一色の日々が終わろうとしていた。
「遥、また夜にな」
「うん、また後でね」
みっちゃんも来れるって言ってたから、楽しみ……もっと、ずっと夏休みが続いたらいいのに…………
夕飯を終えた遥は、満と二人で道場を訪れていた。昼間とは違い袴姿でも、弓具を持っている訳でもない。満が持っているバケツの中には、ロウソクやライターが入っている。
「久しぶりだね」
「あぁー」
「みっちゃんは、夏祭りの時にやったんでしょ?」
「まぁーな。線香花火で勝負とかしたな」
「懐かしいね」
道場前には花火セットを持った蓮が待っていた。
三人が揃う事は幼馴染とはいえ減った為、久しぶりの感覚に遥は終始笑顔だ。
小さい頃、毎年のように集まって花火をしたり、海に行ったり……夏を満喫していた。
メインは弓道だったけど、それすら楽しくて………目ずっと一緒にいられると、何の根拠もなく思っていたの。
火花の激しい花火を楽しんでいたが、それももうすぐ終わりだ。水を張ったバケツは、使い終わった花火で埋っている。
線香花火を最後にするのが、三人の暗黙のルールだ。
「勝負するか?」
「うん」
「負けた人が片付けとか?」
「あぁー」
揃ってしゃがんだ三人の手元には、チリチリと小さな音を立てながら、火の玉が揺れている。
また揃って……出来るといいな……
こんな風に、すぐそばで…………
まっすぐに火花に向けられた視線は、幼い頃と変わらないのだろう。満と蓮は顔を見合わせ、微笑んでいる。
「あっ……」
どうやら想い出に浸って、手元が動いていたのだろう。火の玉が音もなく二つ落ちていった。
「…………遥の一人勝ちだな」
「あぁー」
まだ小さな光の花を咲かさる線香花火に蘇る。祖父達と花火をした夏の想い出が。
「ーーーー蓮、ハル」
二人の楽しそうな笑顔がスマホに映る。
「あっ……」
遥の線香花火も音もなく消えていった。同じ反応に、思わず笑いが溢れる。
「みっちゃん、貸して?」
「あぁー」
肩を組んできた蓮に驚きながらも、二人の視線の先には同じような表情を浮かべた遥の姿があった。
いつもの朝だ。昨夜とは違い、袴姿に弓具を持った遥が道場へ一番乗りしていた。
「おはよう」
「蓮……おはよう。昨日はありがとう」
「うん、またやろうな?」
「うん……」
ーーーーーーーー見透かされた気がした。
また出来るといいけど……来年は、きっと違うから…………
「遥、八射で勝負するだろ?」
「うん」
蓮と並んで弓を引く。弦音も、弓返りも、当たり前のように綺麗な音が続いていく。
この時間は……蓮が作ってくれてるんだよね。
短い時間でもいいの……こうして、引いていられるなら……
「今日は同点だな」
「うん……」
中白に三本ずつ中っていた。
「また……先に行くな」
「うん……いってらっしゃい」
「……いってきます」
頭に優しく触れる手を引き止めそうになりながら、遥は笑顔で見送った。
「うん……頑張ろう……」
そう呟くと、一人きりになった道場で、また弓に触れていく。変わらずに心地よい弦音を響かせていた。
今日から新学期なんて、本当にあっという間……また、みんなで花火が出来たらいいのに……
「校長先生……話、長すぎ……」
「小百合、静かに」
体育館では全校生徒が揃い、始業式に行われていた。
「知佳、そうだけどーー、遥も寝そうになってたでしょ?」
「うん……」
いつもお昼を一緒に食べる三人は、背の順を一番後ろから独占している為、小声で話を続けた。注意したはずの知佳も会話に加わるくらいには、校長の話に飽きていたのだ。
「ーーーー水泳部に続きまして、弓道部は今年、インターハイ個人戦の女子優勝者と男子六位入賞者がいます」
『弓道部』と、校長の口から出てきた為、遥と翔はクラスメイトの視線を自然と集める。
「一年二組の神山遥さん、同じく一年二組の白河翔くん、お疲れさまでした」
呼ばれるだけだった為、舞台に立たなくていいのが唯一の救いだと思っていたが、今となってはそれも少し後悔していた。
「遥! ちょっと、すごくない?!」
「ハル、なんで言わないのよーー」
「すごいじゃん!」 「おめでとう!!」
小百合や知佳だけでなく、周囲の視線を間近で受けるからだが、ちょっとした騒ぎになる程の盛り上がりに戸惑う。
一方の翔は長い話に飽きたのか、表情を変えずに欠伸を我慢していたのだろう。肩を組まれ、ようやく目が覚めたようだ。
『二人ともおめでとう!!』
クラスメイトに祝福され、遥は翔と顔を見合わせ笑い合う。
「……ありがとう」 「ありがとな」
そっか……優勝したんだよね…………
三人揃って写真を撮った時は、何処か懐かしくて……優勝よりも、そっちの方が印象に残っている。
ちゃんと胸を張って…………また弓を引けるように、練習していくだけ……
「改めて言われると照れるな」
「うん……」
時間が経つにつれて薄れていった感情が、また少し蘇っていた。
道場には、いつものように弓を引く部員の姿があった。
始業式の部活発表で注目を集めていた弓道部も、今は落ち着きを取り戻している。
バスケ部のように校舎にデカデカと飾られている訳ではないが、和紙に筆で書かれた『優勝』と『六位入賞』の文字に、照れくささは拭えない。部員にとっては目立つ、道場入り口に貼られていた。
ーーーーおめでとうって言われると、夏が終わったんだと実感する。
今も……もう、次が待っているの。
「さっそく団体戦に出場の機会があります。スポーツフェスティバルが、約二週間後に開催されます。ただし、東部地区は今回だけ男女別々の会場になります」
「藤澤先生、同日に別の場所って事は、引率は片方だけですか?」
隆部長に藤澤はすぐに応える。
「いえ、今日から臨時でコーチをお願いしている方が、来て下さる事になっていますので」
「失礼します……」
タイミングよく扉が開き、部員の視線は彼に向けられる。
「ちょうど来たようですね。紹介します」
二十代半ばであろう長身の男性が、藤澤の隣に並んだ。
「清水一吹くんです」
「一吹です。よろしくお願いします」
『よろしくお願いします!!』
部員のハッキリとした口調と一礼に、一吹は笑みを浮かべた。
「今日は、みんなの射形を一吹くんに見てもらう事にしましょう。一人、四本ずつ引くように」
藤澤の提案で男子から引く事になり、団体戦のように的前に立つと、一吹から見て右側から順に引いていく。
「ーーーー陵と翔か……」
「なかなか、面白い子がいるでしょ?」
「はい……そうですね……」
矢取りを終えると、女子も同じく団体戦の立ち位置に並ぶ。
「ーーーーなるほど……藤澤先生は、これを見せたかったんですね」
藤澤が満足気に頷くと、すぐに彼女へ視線を戻した。
一吹の視線は、落ちである遥の射形に向けられていた。
藤澤先生の言っていた……あの神山遥か…………
『……彼女の射は美しい、そして強い…………』
今までにもコーチの勧誘は何度もあったが、一吹はすべて断っていた。臨時という条件付きで清澄のコーチを引き受けた理由の一つに、神山遥の射形が含まれていた。
流れるような無駄のない所作も、的中数も、とても高校生とは思えない腕前だ。それは、正射必中に相応しい姿である。
「…………清水コーチ、どうでしたか?」
ユキの問いに、一吹は微笑む。
「この二週間で、何処まで出来るか楽しみだな……あと、俺の事は"一吹さん"と呼んでくれ。みんなもな」
『はい!』
臨時とはいえコーチ、指導者がいるというのは清澄弓道部にとって大きな変化だ。
練習が終わると、初めてのコーチは質問責めにあっていた。
「一吹さんは、ここが地元何ですか?」
「そうだよ。高校は風颯だったからな」
「風颯だったんですか?! 県内の強豪校じゃないですか!」
「遥のお兄さんがいる高校のOBって事じゃん!」
「へぇー、遥のお兄さんがいるんだ?」
「はい」
「藤澤先生に頼まれたって聞きましたけど、昔からのお知り合いなんですか?」
「そうだな……俺の先生の先生って、感じかな」
「先生の先生ですか?」
「今日は遅いから……話は、また今度な」
「はい、失礼します」
一吹は熱量に圧倒されながらも、何とか一日目を終えた。
「ーーーーーーーーすごいですね……」
「懐かしいですか?」
「はい……」
整えられた道場には、藤澤と一吹の二人だけだ。
安土へ向けられた彼の視線は、何処か寂しさが混ざった複雑な色をしているようだった。
「みっちゃん、清水一吹さんって知ってる?」
「清水一吹って、弓道部OBの?」
「うん……今日から臨時コーチに就任してくれてて、OBって聞いたから……」
お風呂上がりの満に、麦茶を注いだグラスを手渡すと、二人はリビングのソファーに腰掛けた。
「俺も詳しくは知らないけど、一吹さんは良知さんの知り合いらしいぞ? 俺が一年の時、弓道部に顔出した事があったし」
「そうなんだ……」
「それよりハル! コーチがいるなんてよかったな!」
「うん! それは嬉しい……みんな、色々質問してたよ」
「客観視できる人がいると、また変わってくるからなー」
「うん……団体戦、頑張る」
「…………ハルは変わらないな」
「ん?」
グラスを口から離し、満が続けた。
「……ハルは弓がすきだって事だよ」
「うん…………」
部活を辞めたくなっても……弓道自体は、嫌いになれなかった。
弓は一人で引くものだけど……
「……弓はすきだよ。弦音も、背筋が伸びるような空気感も……みっちゃんも、そうでしょ?」
「そうだな…………今も……じいちゃん達みたいに引けたらって思ってるよ」
「…………段位、受けるの?」
「あぁー、俺は次の試合で引退だし、もっと高みを目指したいよな」
「そうだね…………私も目指してみたい」
満は遥の頭を撫でると、髪の毛を乾かしにソファーから立ち上がった。
「また会場で会えるの、楽しみにしてるな」
「うん……」
高校で初めて迎える団体戦を前に、緊張よりも何処か待ち遠しさが募っていた。
正射必中とは、正しい射形は必ず中たる、という意味です。