第十一話 秘事
夏休みの間も清澄弓道部は、週五日で学校に通っている。明日は土曜日の為、部活は休みだ。
午後四時になり、いつものように道場の掃除を行なっていた。
「あーー、明日は夏祭りかーー」
陵がモップを片手に声を上げた。
「陵はデートなんじゃないの? 」
クラスメイトの交友関係の広さに美樹が尋ねると、同じく三組の奈美も頷く。
「最近、そういうの辞めたんだよー」
「えーーっ?!」 「本当に??」
「大丈夫か?」
同級生の疑問形ばかりの声に、陵は真面目に応える。
「本気だっつーの! もう誰かれ付き合わないって、決めたの!」
「うわーー、モテる男の発言」
「女子にひかれてるぞーー」
和馬に続き、雅人にも言われ、翔に助けを求めるべく抱きつく。
「翔ーー!」
「はいはい。本気らしいので、その辺で勘弁してやって」
その一声で『仕方ないな』と、言った感じで収まっていたが、陵のキャラクターならではだろう。モテる事は事実だが、誰も本気で責めている訳ではない。
「陵の彼女になる人は大変だねーー」
「美樹……まだ言うか?」
「翔も思うでしょ?」
「まぁーな」
「あーー、遥がいないから二対一じゃんかー」
「遥は私の味方だもん」
すでに電車に乗り込んだ為、遥とは分かれた後だ。態とらしく嘆く陵に、柔らかく微笑んだ美樹もからかっているようだ。
下校もクラスも同じ為、二人の距離は自然と近いものになっていた。
美樹が電車を降りると、いつものように翔と陵の二人だけだが、彼らにしては珍しく先程と同じような話を続けた。
「……翔は……夏祭り、誘ったりしたのか?」
「……誰を? 一緒に行く奴なんていないよ。ほら、電車降りるぞ?」
「あぁー、じゃあ聞き方を変える。翔がこの手の話をしないの、知ってるけどさ。気になってる奴、いるだろ?」
「ーーーー陵の想い人なら分かるけど」
「なっ! 俺の話は、いいんだよ!」
「美樹だろ?」
「ちょっ……言うなよ……」
陵にしては珍しく分かるくらいに顔が赤い。
「やっぱり……」
「カマかけたのかよ?!」
「いや、何となくな。帰りもよく美樹と二人、並んで話してること多いし」
「そうゆう翔は? 前から見てたじゃんか」
「まぁー、それは憧れだからな」
駅からも同じ道を歩いていく。
「それで? 美樹の事、誘ったんだろ?」
「さっき……美樹だけにライン送ったら、グループラインの方で、弓道部のみんなで行く事になりそうなんだってーー」
肩を落として、スマホのディスプレイを翔に見せる。
「あっ、既読になった」
陵がスマホを自分に戻すと、グループラインの返信がきた。
「あーー、遥は予定ありだってー」
「そっか……」
「翔も行くだろ? 遥が来ないのは残念だけどさ」
陵は翔の肩を組んで強要中だ。人当たりの良い性格だが、想い人には慎重なのだろう。翔の援護が欲しいのである。
「分かった、分かった。また明日な」
「サンキュー、またなーー」
俺も陵には甘いよな。
気になる奴は、確かにいる。
ハルなのも当たってるけど、あの日から憧れ続けた彼女に、高校で会えたんだ……
それだけで現状を満足する翔に、それ以上の感情はないのだろう。
剣道部員一年生のライングループには、明日の待ち合わせや、女子は浴衣集合等の連絡が入っていた。
楽しそうなメッセージのやり取りを横目に、遥は姿見の前で浴衣を合わせていた。
「んーー、こっちかな」
バイブ音に気づき視線を戻すと、スマホに彼からのメッセージが届く。つい頬が緩む遥は、明日を待ち遠しく感じていた。
学校の練習がない日も課題を終えると、遥は道場に足を運んでいた。
今日は蓮の部活動も午前中までだった為、二人で弓を引いている。特別に待ち合わせをしなくても揃っていた。
時間の許す限り一緒にいたいというのは、共通の想いのようだ。
「もう一回引いて、終わりにするか?」
「うん、そうだね」
いつものように話しながら矢取りを行っていると、満が顔を出した。久しぶりに幼馴染み三人が揃う。
「ここに来るの、久々だな」
「満が来るの珍しいよな?」
「あぁー……部長になってからは、だいたい学校で練習してるからな」
「ねぇー、みっちゃんもいるなら…………十二射で勝負しない?」
「いいぞー。じゃあ、負けた奴が飲み物買い出しな?」
「うん」 「了解」
遥の提案に乗り、引き始める。次々と放たれる姿は圧巻だ。
右の的から順に十二本、十二本、十二本……と、当然の事ながら勝負にならない為、中心に中ってる本数の多い方を勝ちにすべく矢取りに向かうと、遥が買い出しになった。
「じゃあ、行ってくるね!」
「気をつけろよー」
道場を出て行く遥を見送り、振り返る。
「ーーーーで? 満、用があったんじゃないの? 遥、こうゆうのは察しがいいから」
「やっぱりか……次の部長は、蓮だからな」
「……うん」
「まぁー……引退式までは一応、俺だけど……」
「……分かった。後は? 進路の事であったんじゃないのか?」
「あぁー……何校か推薦貰ってるけど、何処に進んでも……四月には、東京に行く」
親友の決意に頷く。
「うん……遥には言ったの?」
「家族は知ってる。友人に言ったのは……蓮が、はじめてだな。遥のこと、よろしくな」
「うん……俺も、弓道を続けて行けるように……来年も勝ちたい」
「そうだな。また決まったら、連絡するからさ」
そう言って満が道場を後にしようとし、呼び止める。
「満……飲み物は、いいのか?」
「あぁー、今日はデート、楽しんで来いよ」
「うん……」
肩に触れて去っていく背中に、思わず声を張った。
「……満! 俺は応援してるから!」
「…………あぁー……」
満は振り返ることなく、手を挙げて応えた。それだけで、お互いの想いは十分に伝わっているようだった。
「遥、おかえり」
「ただいま……みっちゃんは、もう行っちゃったの?」
「うん……」
「話……できた?」
差し出されたスポーツドリンクを受け取りながら微笑む。
「遥のおかげで出来たよ」
触れられた頭に、遥は柔らかな笑みを浮かべ、一安心した様子だ。
「……よかった…………」
道場の入り口に並んで座り、飲み物を片手に話を続ける。
こんな風に並んでいられるのも、今……だけ、だよね。
試合前の緊張感とは違い、穏やかな中で触れ合った肩が微かに震える。今まで平気だった事が、普通には出来なくなっていた。
蓮が微かな違いを見逃す筈はないが、気づかないふりをした。告げたら、いつも通りでいられなくなってしまいそうだと感じていたからだ。
「……そろそろ行くか? 浴衣、着て来てくれるんだろ?」
「うん!」
当たり前のように差し出される手を握り返していた。
帰宅すると、買ってきたスポーツドリンクを手渡す。すっかりと生温くなったペットボトルを、気にする事なく受け取る兄に微笑む。
「ありがとう、ハル……助かった」
「じゃあ、一つ貸しね?」
「勝負は勝負だからなー。でも、言ってみ?」
「もし……お祭りで会ったら、綿あめ奢ってね?」
「了解」
リビングで話をしていたが、それぞれ自室へ戻り浴衣に着替える。
遥は器用に髪を編み込んでアップにしていた。
チャイム音で階段を駆け下りると、浴衣姿の蓮が待っている。
「ーーーー可愛い……」
思わず口にした彼の言葉に、頬が染まっていく。
「……ありがとう…………蓮も、似合ってるよ」
「ん、ありがとう……」
遥の色が蓮にも移りそうになっていると、リビングから満が顔を出した。
「気をつけてな」
『うん、いってきます』
「いってらっしゃい」
「二人とも気をつけてね」
満の背後から母も顔を出し、二人を見送っていた。
下駄を履いている為、いつもよりも歩くペースがゆっくりだ。
「満も浴衣着てたな」
「うん、土屋先輩とかと一緒に行くって言ってたよね?」
「そういえば……受験の息抜きに行くって、休憩中に話してたな」
日頃一緒にいられないせいか、二人きりの時はよく手を繋いでいるけど……いつの間にか、当たり前になっているみたい。
まだ近い距離感には、慣れないことも多いけど…………
今も隣を歩きながら、夏祭りが行われる神社に足を運ぶ。
「久々に来たなー」
「小さい頃は毎年、来てたよね」
「どうする? 何か食べるか? 家に持って帰って食べてもいいけど……」
「うん、人が多いからね」
「じゃあ、まずは遊びますか」
神社を中心に沢山の出店が並んでいる。二人は懐かしのヨーヨー釣りや、射的を楽しむ。
「次、どれ取る?」
「蓮……本気、出し過ぎだよー」
遥が持っているビニール袋は、すでに懐かしの駄菓子でいっぱいだ。
「兄ちゃん、ラスト一回で勘弁してよーー」
蓮の腕前は、出店の主人にストップされる程だ。
「うーーん、ラストはあのぬいぐるみ!」
言った通りの商品を受け取った蓮は、ビニール袋と交換するようにクマのぬいぐるみを手渡す。
「蓮、ありがとう」
彼女の笑顔が蓮にも移っている。楽しそうに笑う遥に嬉しそうだ。
「結構、取ったなー」
手の空いている右手が差し出され、人混みを移動して行く。
「何、買ってく? 焼きそばと、たこ焼きとー」
「うん……遥……」
遥にも握られた手が熱くなっていく感覚があった。
「…………俺の家で食べない? 二人で……」
一瞬だけ言葉に詰まりながらも頷く。
お土産用のベビーカステラと、これから食べる粉物を買って、蓮の家に向かった。
いつもなら話の尽きないはずだが、珍しく二人とも無言のままだ。
遥は前を歩く背中を見つめていた。何度も見てきたはずだが今更のように大きく感じ、男の人だと自覚する。
「ーーーーお邪魔します……」
極度の緊張感に襲われていた。
久しぶりに来た彼の家も、両親不在で二人だけの状況にも。ドクドクと、心臓が早く音を立てている事が、自分でも分かっている為、いつも通りに振る舞っているつもりでも態度に出ていたようだ。
「遥、緊張しすぎ……」
「だって……ただでさえ緊張してるのに……」
「分かった。ほら、食べよ? お腹空いただろ?」
蓮はたこ焼きを一つ、爪楊枝に刺して差し出す。予想に反し、彼の手から素直に食べる姿に苦笑いだ。
「こうゆうのは平気なのな……」
彼の呟いた声は小さすぎて、遥には聞こえていない。
「ん……美味しい」
「久しぶりに食べたな」
「うん」
暫くすると、お腹も満たされ、蓮の部屋で二人きりの状況にも抵抗がなくなってきたようだ。
「遥、そろそろやるぞ!」
窓を開けると、遠くで花火が上がっている。
ーーーー小さい頃もこうして、三人で集まっていたよね……
「蓮、ありがとう」
綻ぶ笑顔が抱き寄せられる。
「ーーーーーーーー遥……すきだよ……」
耳元で囁かれ頬を真っ赤に染める遥に、更に追い打ちをかけるようなキスの雨が降る。
「ーーーーっ、れ……蓮、待って……息、出来ない……」
「……鼻で呼吸してみて?」
彼に言われるがまま素直に従う。
窓はいつの間にか閉められ、綺麗だった花火よりもお互いに夢中になっていた。
彼の口づけが上から下へと移動していく。
「ーーーー遥……いい?」
浴衣の帯に手をかけた意味を、遥も理解していた。
小さく頷いて応えると、彼のベットの上で二人の肌が重なる。
遠くで花火が夜空を照らしている。
二人がそれを見る事はなかったが、花火の音だけは何処か遠くで聞こえているようだった。
「ーーーーお、おはよう……」
「おはよう……体は平気?」
「うん……」
いつもと変わらない蓮とは違い、遥は頬が赤い。頬に触れられる手に、ますます色づいていく。
「ーーーー遥」
顔を上げると、目の前の優しい瞳と交わる。
ふいに摘まれた頬に、遥は驚いた様子だ。
「ひょっと……れぇん?」
「ふっ……」
上手く喋れないからか、蓮は笑いを堪えている。
「もう……」
そう言いながらも、遥も怒ってはいない。緊張感が和らいでいるのだろう。赤面も落ち着いたようだ。
「蓮……今日はお休みでしょ?」
「うん、久しぶりに午後も一緒に出来るな?」
「うん!」
染まる頬に手を伸ばしそうになりながら、蓮は理性を働かせ弓を準備する。顔に出やすい遥だけでなく、蓮もまた昨日の熱が残っていたのだ。
的から大きく逸れる事はないが、二人揃って中白を避けるように中っていく。気持ちが反映されているからだろう。
深く息を吐き出し、的を見据えると、心地よい弦音が響く。
二つの的には、中白に矢が中っている。八射目でようやく冷静さを取り戻したようだ。
「……遥、次も勝負だな?」
「うん……」
意識しすぎて、手元が狂うなんて……いつ以来だろう……
「……蓮…………」
「どうした?」
「ううん……久しぶりだなーと、思って」
「確かにな……でも、また出かけたいな。今度は遠出したいし」
「うん……でも、一緒にいられるだけで嬉しいよ?」
矢取りを終え場内に戻る所で、引き止められた。掴まれた腕に振り返ると、近い距離感に胸が高鳴る。
「…………蓮?」
「遥……」
熱を帯びた瞳を向けられ、逸らしそうになる寸前で、そっと唇が重なる。
「…………真っ赤」
「うっ…………蓮のせいだよ?」
「悪かったって」
頭を撫でる手は優しく、悪びれた様子はない。
「…………次、私が勝ったら、飲み物買ってね?」
「うん」
前からよく頭を撫でてくれていたけど……付き合うようになってから、スキンシップが増えた気がする。
蓮は変わらないけど、私には心臓に悪い。
今も…………
「遥」
差し出された手を握り返した頬は、ほんのりと桜色だ。
数分にも満たない時間も離れがたいのだろう。躊躇いなく握られた手は熱を帯びていた。
遥は自身の体温で気づかなかったが、蓮も同じように染まっているのだった。