五話 さあ、来いよ赤い猛牛
「……カイト。ぼーっとしてどうしたのですか?」
ルリが俺の腕を掴んで揺さぶっていたようだった。
いかん、ここに来るまでの事を思い出していた。
あの縦穴はもう嫌です。
「ああ、悪い。現実逃避していた」
「……げんじつとうひ?」
「目の前の現実から逃げてしまったということさ」
「……カイト。もしかして余裕なのですか?」
ちょっと決めた風に言ってみたのにルリには通じなかったか。
あの赤く巨大な物体はどうしても視界に入れたくないけど入ってくる。
「アレを見て何でそうなるんだっ! 逃げたいって、できれば逃げたいよ!」
「この限られた空間の中でレッドアピちゃんから逃げるじゃと? はっはっはっは! 無理無理! やってみても良いが、どうなるのか楽しみじゃ」
神は高みの見物ときている。
そして目の前には律儀に待ってくれている赤い猛牛。
「ほれ、始めよ! レッドアピちゃんよ、最初は手加減するのじゃぞ」
「ブモォォーー!」
赤い猛牛が俺に向かって突進してくる。
ルリが剣を抜いてその腹で赤い猛牛の鼻をひっぱたいた。
パシィィン!っと痛そうな音が響く。
「……させません」
突進もやめて赤い猛牛が何だか涙目になっている。
少しだけ可愛そうに見みえたけど、いきなり突進とか殺すつもりかい。
「た、助かったよルリ」
「……カイトを攻撃することは許しません。赤い猛牛!」
赤い猛牛が神様のほうをチラチラ見ているけど、何も反応がないからかルリに向けて足踏みしながら威嚇している。
ルリに対してだけ何故か躊躇しているようにも見える。
おそらくは神様の言う「ちゅーとりある」の対象が俺だからだろう。
そう思っていると、赤い猛牛は地面を蹴ると岩が次々に現れてルリに飛んでいく。
「……無駄ですよ」
ルリは音もなく剣を振ると、飛んできた岩を全て斬った。
どの岩も斬った瞬間に勢いがなくなりその場に落ちる。
「おお! ルリ凄いな!」
「ブモォォーー!」
赤い猛牛がルリにその鋭い角を向けて突進する。
「危ない、ルリ!」
「……大丈夫です、カイト」
ルリは剣を鞘に納めると、両手で角を掴む。
そして、声を上げると赤い猛牛を持ち上げて、反対の壁に向けて投げた。
「……そっちのほうで、倒れていなさい!」
岩に衝突する直前に赤い猛牛は身をひねって足で衝撃を吸収して、何事もなかったかのように華麗に着地した。あの巨体でなんて身のこなしをしてるんだよ。
ルリは女の子なのに小さな身体で確実に重い巨体の赤い猛牛を軽々と投げ飛ばしている。
赤い猛牛ですら忍者みたいに壁を蹴って直撃を避けた。
これが異世界では普通の事なのか。いや、絶対に普通じゃない事だと思いたい。
「そこまで! ルリよ、これはカイトのためなのじゃ。これより邪魔することは許さぬ。良いな?」
「……母様。どうしてもでしょうか」
「どうしたのじゃ。何が問題ある?」
しばらくルリは神を見ていたが、納得したのか下がって見守る事を決めたみたいだ。
神も満足気に頷いている。
「……母様の心のままに」
下がらないでもっと戦ってくれと言いたい。
でも神様がいる限りどうにもならないんだろうなぁ。
悔しいけど俺自身もある程度は戦えないとまずいのかなって気がしている。
だけど目の前の牛が巨大過ぎて逃げ腰になります。はい。
「さ、続きじゃ。始めい!」
ガッガッと前足を蹴りながら、わざわざ行きますよ合図をしてくる赤い猛牛。
突進してくるけど、早すぎず遅すぎずの速度だったので右に避けてみる。
躱したと思ったのに、このバカ牛は俺のほうに突っ込んでくる。
ドガッ!! ッドドドドーーーン!
俺は豪快に吹っ飛ばされて、洞窟の壁に衝突した。
衝撃で息が詰まった。視界に細かい星が飛んで見えている。
ヤバい、息が吸えない。
「がはっ! げほげほっ!」
口の中が切れたのか、血を地面に吐いた。
吐いたおかげで何とか息が吸えるようになるけど、勢いよく吸い過ぎてまたむせてしまう。
神はニヤニヤしたまま見ているけど、ルリは心配そうな顔をしている。
両手を胸元で組んで祈るようにして見ている。
背中が痛いことは痛いが、まだ全然動ける。
吹っ飛ばされて勢いよくぶつかった割には何とかいけそうだ。
「ブモォォォォーー!!」
立ち上がった俺を見て、また赤い猛牛が突進してくるが背後は岩の壁だ。
ギリギリまで引きつけて、岩に衝突させてやった。
「ほらっ、どうだ! 自滅させてやったぞ!」
岩に顔面が刺さったまま赤い猛牛は止まっていた。
これはやったか! と思ったのも束の間、岩に角が刺さったまま頭を持ち上げている。
刺さっている場所から亀裂が入って……岩が爆発したように飛び散ってきた。
赤い猛牛がいる場所から砕け散った岩が俺のほうに飛んで来る。
とくに大きい岩の欠片が俺に直撃するために真っ直ぐ飛んで来る。
「あ、危なっ! 死ぬって、死ぬっ!」
寸前のところで何とか身を屈めて回避できたけど、無茶苦茶すぎるだろ。
何で角が刺さったまま首を振り上げるんだよ。そこは引いて抜いてよ。
振り返った赤い猛牛は怒っている様子が見てとれた。
体に纏っていた変な揺らぎが、突如黒くなっていく。
「ブモォォーーウモォォー!」
黒い線みたいなのが真っ直ぐ俺の真下に伸びてくる。
こんなの真下に伸びてきたところで……真下!?
「これって、まさか……」
そんなはずはないと思って、一瞬逃げ遅れてしまった。
そう、真下から岩が突き上がってきた。
ルリが言ってたことを今頃になって思い出す。「視る事に集中しすぎたらダメ」と。
「ぐっは! うっそだろ!」
ギリギリで両腕に魔力を集中して守ることが出来た。
けど、勢いまでは殺すことができずに天井まで突き上げられてしまった。
まさか天井まで届くと思わなかったので、後頭部と背中を強打する。
「ぐあっ! え、お、落ちるぅぅぅ!」
痛みに気を取る時間もなく、天井から普通に落下する。
天井まで七、八メートルくらいの高さから落下はヤバい。
洞窟の地面は普通の岩だ。
このまま落下しても……ええ!?
下には赤い猛牛が待ち構えていて、勢いよくまた打ち上げられた。
「ブモォォーーウモォォー!」
やっぱりか、こいつただの牛のくせして魔術を使っているよ!
さっき使ったやつは技みたいなのかと思ったけど、今回ので確信した。
という事は……背後にジリジリと嫌な気配を感じる。
「嘘でしょおおおーー!」
パチッパラパラっと、変な音が聞こえた。
ドンと背中に強烈な勢いでぶつかった。
「ぐはあっ!」
変に息が詰まって、思考が一瞬鈍る。
天井からも飛び出てくると思わなかったために、また反応が遅れてしまった。
落下している最中に、また赤い猛牛が下に構えていた。
また突き上げられるのかと思いきや、俺を頭に乗せた後に壁に突進していってそのままの勢いで衝突した。
ドドドドーーーン!
派手な音を立てて俺は岩の中にめり込んだ。
どういう状況なのか理解できない。
息が……できない。
身体中がバラバラになるような痛みで動かない。
死ぬしかないのか……、まだここに来て始まってもいないのに。
「それはやりすぎじゃ! カイトが死んでしまうのじゃ!」
「カイト!!」
外が騒がしい……。
何だか意識が薄れてくる。
このまま……だと死んでしまう……。
身体の力さえ入らない。
だけど……。
――死ぬぞ回せ。
なんだか、お腹が暖かい……。
ああ、そうだった。
これを……ずっと回していたんだった……。
回そう……体調が良くなる……。
……身体がじわじわと暖かくなってくる。
――アレに勝つためにもっと回せ。
突然、自分の思考が分裂したかのように別の声が聞こえてくる。
何だこの声は。
――自分の声に疑問を持つな。いいからもっと回せ。
死にたくなかったら回せ。
そうだ……とにかく回せ……全身に送り込め。
いいから回せ……ひたすら回せ。
……少し熱くなってきた……熱いけど、足りない。
――アレに傷を負わせる方法は、俺にはない。
――だったら傷を負わせずに何とかしろ。
数が足りない……だったら増やせ。
何個だったら足りる……いいから足りるまで増やせ。
増やし過ぎたら回らない……いいから全部回せ。
回らなくても……回せ。
熱い……焼けそうだ……熱い。
そうだ、回せ……全身を……死にたくなかったら回せ。
脳に……俺の全身に……総てに回せ!
全身が熱くなっている。
もう内側から抑えられない熱さで、汗も止まらない。
背中を押されるような、内側から溢れ出てくる「魔力」が抑えられない。
岩にめり込んでいた俺は、ただ普通にいくつか邪魔な岩をどけて中から出た。
「おっ! カイトよ、無事……何じゃ、そのよく分からぬ魔力は!」
「……カイト! 母様、いけません。これは、おそらく魔力の暴走寸前です!」
「ま、魔力の暴走じゃと! 確かにそんな事も昔あったような……」
「……母様、考えている場合ではありません! わたしが何とかします!」
「まて、ルリ! お前ではそれは相性が悪い!」
「母様!」
何だか周りが煩い。
……暴走? 何だ暴走って。
俺は今こんなにも、調子がいいというのに。
手が少しヌメヌメするけど、関係ない。
俺はこんなにも、調子がいい。
身体中から溢れる何かのおかげで、痛みも何も感じない。
今なら何でもできる気がする。
「大丈夫だよ、大丈夫! 何とかしてみせる!」
「血を流し過ぎです! カイト、それは大丈夫ではありません!」
「いいから、こっちに来ないでくれ! 調子がいいんだ! 大丈夫だ、問題ない!」
こっちに来られると巻き込んでしまう。
俺の声で思い直したのか、ルリはその場から動いていない。
「さあ、来いよ赤い猛牛」
やられた分は返さないと筋が通らないよなぁ!
魔力の球を身体の外に出す。
……二、三、四……十……全然足りない。
……五十、六十……百……そんなんじゃ半分もいってない。
……八百、九百……千……傷を負わせずに勝つ方法。
そうだ、こいつを全部ぶつけてやれ。
千の数の魔力の球をそれぞれ重ね合わせるとギイィィンっと耳鳴りがする。
そうだよ、全部……全部重ね合わせれば、そりゃ煩いよ。
「な、なんじゃそれは! 何をしとるんじゃ!」
「何って、ぶつけてやるんですよ! こっちは岩に叩きつけられているんだ、当然ですよね!」
あの神様が焦っているように見える。
余裕そうな表情が消えただけでも今の俺は満足だった。
「母様、どうなっているのですか? カイトから変な音がします……意識が、途切れそうになります」
「そうか、ルリは見えぬか。あの阿呆、数えきれない魔力を出しておる。しかも、魔力が一つにならないという特性か……それを利用してあのような耳障りな音を出しているのじゃ」
「母様! それは大丈夫なのですか?」
「……分からぬが……おかしなことに変に安定しておるのじゃ。あのような馬鹿げた数を操っておるのか!?」
……だめだ、早くぶつけないと。
なんだか意識が……。
……ぶつけよう、全部。全部、ぶつけるんだ……。
「赤い猛牛! この魔力の球、全部プレゼントだ!」
これだけの数があれば避けられないだろう。
……全部だ。全部を叩き込めばいい!
五百という数の魔力の球を全て赤い猛牛に叩き込んだ。
ギギギィィ! バシュッ、バシュッ、バシュッ、バシュッッッ!!!
耳障りな音の洪水が押し寄せる。
……何回、鳴れば気が済むんだよ……。
……煩くて眠れないじゃないか……寝かせて……。
赤い猛牛がゆっくり倒れたのを確認したあと、俺も意識がなくなった。
□ ルリのいきなりインタビュー □
ルリ「……あの時、カイトはレッドアピにあまり恐怖を感じていないようでした。それはどうしてなのですか?」
おっさん「いやぁ、聞いてくださいよ。あのレッドアピに会う前から殺気に当てられたり、四回も殺されているんですよ! そりゃあ、こっちも感覚麻痺してしまいますよ! 神もいたので死んだとしてもワンチャン生き返らせてもらえるものだと!」
ルリ「……残念ですけど、母様はそこまでお考えになられてはいなかったようです」
おっさん「え、もし死んでいたらどうなっていたの?」
ルリ「……」
おっさん「うわああああ! 聞くんじゃなかったあああ!」




