三話 回想:引き潮に騙される
ピタン、ピタン……。
何かが顔に当たっている……。
冷たい……、水なのかな。
それにとても寒い。
「へっ、へっくしょん!!」
寒くて目が覚めたと思ったら、どこだここ。
手の感触で砂の上にいるみたいだけど、水?
ゆっくり起き上がって辺りを確認すると洞窟の中のようだった。
正面は大きく空いた岩の入り口から波が打ち寄せてくる。
外から入る光で何とか見えているけど、日が落ちたら真っ暗で何も見えなくなるだろうな。
「そういえば落ちたんだっけか」
洞窟の中にいるけど出口は近い位置だと思う……が、これどう見ても外が海に繋がっているようで流れも早そうだ。泳いで外に出るとか自殺行為のように見える。
潮の香りがするし、外は海なのは間違いないのか。
それにしても、よくあの落下から生きていられたもんだ。
足元の地面ごと全部滑り落ちていった感じだったよな。立っていた周辺なんて亀裂が入って割れていったからな。あんな体験は二度と御免だよ。
それに、あの灰色の狼のワンコロめ!
俺を踏み台にして逃げやがったぞ。おかげで死ぬと思った。
いや、運が悪かったら絶対死んでた。
あのワンコロは絶対に許さない。
今のままだと余裕で返り討ち合うけどね……。
「へっくし! さむっ! とりあえず、服脱いで干しておくか」
体が冷え切ってしまう前に脱いで、適当に近くの岩にかけておいた。
俺がいた周辺には葉に付いたままの赤い実と大小様々な葉が一緒に打ちあがっていた。
あの赤い実は味がないんだよなぁ。
水分補給にはいいのか。
いくつか取って口に含む。……瑞々しいけど、やっぱり味がない。
あの狼のところにあった細長くて硬い葉とは違って、これは全然柔らかくて手で切れそうだ。
「おっ、このでかい葉なら隠せるか。何もないよりマシだよな。どうやって腰に巻くかが問題か。両端に切れ目入れれば……っと、よし、うまく繋がった」
何だか原始人になったような気分になったけど、本当にここは何もないな。
二畳くらいの浅瀬の部分に運よく流れてきたけど、ここからどうすればいいんだ。座ってるところは砂だし周りは岩だけだし、正面は出口だと思うけど潮の流れが速いし……。
色々あったので暫くの間、服が乾くまでぼーっとしていた。
そういえば、あの木の鱗のは何だろうな。
ズボンのポケットから取り出してみる。
硬いだけで取れないかと思ったら簡単に取れる場所があったんだ。
しっかり視ると、かなり濃い黒さだ。見かたによって濃度が変わるのか。
岩は濃度が薄色になりすぎて注意しないと存在を忘れてしまいそうになる。
という事は、より正確に視ると色の違いがはっきりと分かるって事か。
何だか砂が少しだけ温かい感じがする……。
……温かくてぼーっとするなぁ。
……落とされたり……あのワンコロめ……実は味しないし……。
……。
…。
……木の鱗を持ったまま、しばらく寝てしまったようだった。
洞窟の入り口を見ると日が暮れて完全に落ちようとしている。
服は岩の熱で伝って落ちていた。
触わると熱を持っていた。熱いくらいでずっと手を置いていられない。
どうやら岩自体が熱を吸収していたおかげのようだった。
おかげで服は乾いたからいいけど、いずれ真っ暗になってしまうな。
服を着て木の鱗はズボンのポケットにしまっておく。
どこか移動できないか……右側の出っ張っている岩の先を身を乗り出して視てみると、奥のほうにいけそうな穴があるな。
ここより全然広い……ここにしか浅瀬がないと思っていたから助かった。
少し距離はあるけど、流れは穏やかみたいだし行ってみるか。
岩のでっぱりから二歩くらいは歩ける。その先に足を海面に入れてみると、思った以上に深くて歩いては行けなそうだ。
「ここからは深いな。足が届かないか。でも、これなら壁沿いに行けそうな感じだな」
足元の岩の感触を確認しながら、壁沿いに少しずつ歩いていく。
少し歩ける幅はあるけど、踏み外したら泳げない俺は終わりだから慎重に歩かないといけない。
この海の底が見えないのが怖くて仕方ない。
たまに上から落ちてくる水滴に驚いて足を滑らせそうになりながらも何とか穴の前までたどり着いた。近くまでくると意外と入り口が広い。
「はぁ……。何でこんなことしているんだろ、俺」
今立っている浅瀬から振り返ると右手側に洞窟の入り口が見える。
左手側がさっきまで、俺が寝ていた場所だ。
そして、視線を戻すと空洞の前で俺は立ち止まっている。
穴の中が真っ暗で何も見えないせいで怖い。
俺が手を伸ばすと、穴の天井に手が届くくらいの大きさで入るのを躊躇ってしまう。
「真っ暗じゃないか。怖いな、入っても平気かなぁ。おーーーい!!」
声が中で少し反響してるのが分かるけど、何も反応がない。
念のため、何度か声を出して少し待ってみたけど何もない。
「入るか……少し不安ではあるけど。他に行く場所ないし」
おっかなびっくりで穴の中に入っていった。
中は本当に真っ暗で、やけに砂利や砂が多い。
足元の砂が歩いていて途切れることがない。何でこんなに砂が多いんだ? 洞窟の中なんて入ったことないから分からないけど普通そういうものなのか?
しばらく歩いていると、だいぶ先だけどうっすらと明るくなっている。
よしよし、やっとこの窮屈な穴を抜けられると思ったら水たまりか何かを踏んでしまったようだ。
何とか見える足元をみると、水溜まりではなく歩いている道全体が水に浸かっていた。
……おかしい、どう考えてもいままで水なんてなかったはず。
前に進んでもずっと水が続いていて、もう水たまりでないのは分かった。
急激に上がる水位に気が付いて、その水に指に付けて口に含んだ時には遅かった。すでに膝辺りまで水に浸かっていた。
「しょっぱ、海水か! ということは……今までこの場所は潮が引いていたおかげで歩いて来れたってことか!」
さすがに戻るという選択肢はなかった。潮が満ちてきたってことは戻っても同じ事だし、また同じ距離を歩く間に天井まで確実に水位が上がるだろうし。
もう俺には先に進んで、この場所を抜けるという選択肢しかなかった。
「こんなところで、溺れるとかごめんだ!」
恐怖を振り払うように大声をあげて走るしかなかった。
バシャバシャと水を蹴って明るい所まで走った時には、もう首まで迫っていて進むことも戻ることもできなくなっていた。
到着した場所は真上から少し光が漏れていて、縦穴になっているようで人が横になれるくらいの幅はある。
「嘘だろ!? 出口じゃなかったのか!」
これは非常にまずい、このままだと本当に溺れてしまう!
こんな縦穴になんて身を任せたくないぞ!
明るいと思ったら薄っすらと縦穴全体が青色に光っていた。
「何で光っているんだ……これって苔なのか。少しだけヌメヌメするけど、あまり滑らないな」
岩壁のヌメヌメは海水で濯ぐと指に残らないので良かった。
これで中々取れなかったり滑ったりしたら、気持ち悪くて最悪だったろうな。
縦穴の岩壁にある凹凸がある場所を見つけて手をかけて沈まないように支えるしかない。そうこうしているうちにどんどん水位が上がってきて、あっという間に縦穴の岩の天井まで到達してしまった。
「まずいまずい! 息がっ! うっぷ! 早い早い! 本当に死ぬ!」
天上ギリギリまで水位が上がったり下がったりでかろうじて息が吸える状態で、時には一分くらい息ができないこともあった。
絶対におかしい! 死ぬって普通に! 潮の満ち引きってここまで早いのか?
「っぷは! ふうっふうっ!! 息がっ、死ぬっ!!」
また息ができない水位まで上がってくる。
もう何十回も繰り返して、何度も海水を飲んだり吐いたりして、いい加減に体力の限界まできていた。
そもそもこんな狭い空間で、空気を求めて何やってるんだ俺は!
死ぬ……息ができない……。
しょっぱい……苦しい……。
……空気……この肺に一杯の空気……くる……しい……。
……たの…む……く…う……き……。
身体の中に流れる血液が脈打つのを感じた。身体が酸素を求めて悲鳴を上げているのが分かる。
こんなに自分の中に存在するもの全てを感じたことがなかった。
何気なく動かしている目・耳・喉・肺・手・足。その動力となる心臓まで流れる血液が暴れているのが分かる。そして臍の下あたりが熱くなった。
……………………。
ただ、身体が血液が熱くなっていた。
意識が混濁していたけど、息をしたかったのは覚えている。
苔の光のおかげで真っ暗にならずにすんでいる海水の中、伸ばした手は黒くなっていた。ふと気づけば身体は底に向かって落ちていたようで、頭上から差し込む薄暗い光だけが俺を照らしていた。
手を伸ばした先は岩の天井で、空気も何もない海水に満ちた場所。
死にたくないと、ただ空気を必死に求めて意識を失った。
おお、おっさんよ。死んでしまうとはなさけない。
あと少しだけ続きます!




