二話 回想:森の中で迷う
目の前に木々が生い茂っていた。
体が重い。目が覚めたばかりで意識がはっきりしない。
そもそもがどうして道端で寝ているのか分からない。
夜勤の帰りで歩道でもない地面の上で寝ていた記憶はないんだけどなぁ。
疲れて寝たとしても、こんなところで普通寝るのか?
「う~ん。ここは……森?」
どうして森にいるんだ?
確か支給品のパン食べて、ぼーっとテレビ見てたような気がする。
家に帰るために外に出た記憶が無い。
まだ頭がぼんやりするな。一旦整理してみよう。
俺の名前は山本海人、四十歳。
どこをどうみても立派なおっさんである。
顔は冴えない顔だと、よく言われる。
パッとしないし印象に残らない平凡な顔だと思う。
体重は……忘れたけど、中肉中背でデブではないはず。
工場の仕事が終わって、一休みしていた所までは覚えている。
起きてみたら、ここにいたという訳だ。
次第に意識がはっきりしてくるにつれて、この辺りの異常さを感じた。
見た事がない草がいくつかあった。
団扇サイズのクローバーや、先端が6つに分かれた葉の先端に赤い実が付いている草もあった。
珍しいなと思って、葉の先端に付いている実を一つ取ってみる。
見た目は赤くて瑞々しいサクランボと変わらない。
普通に美味しそうではある。
見ていると急に空腹を感じてしまったので、食べることにした。
変な味だったり、舌が痺れたりしたら吐き出せばいいか。
食べてみると、プチっと実が弾けて中の液体が口の中に広がってくる。
「……味がしない。本当に味が無いのか」
水なのかなって思うくらい味がしないし、後味も何もない。
別の実を見てみると、一つだけ青い実があって力を入れて引っ張ったけれど取れない。
「赤いやつは取れたのに、こいつだけ取れないな」
仕方ないので何度か左右に曲げてみると、取れそうになったので強めに引っ張ると勢いよく青い実の汁が飛び散って目にかかってしまった。
「うわっ。何だ、これ! 汁が飛び散りすぎだ」
目にはかかったけど、何ともなかった。
この青い実は食べないといけないような気にさせる。
そう思うくらいに美味しそうに見える。
さっきから、普通に考えたらその辺りにある実なんて食べるはずはないのに、食べても大丈夫だよと実のほうから話してきているみたいなんだよね。だから食べてしまう。
「おっ。この青い実は、葡萄かな? 甘酸っぱくてうまいね」
おっさんは知らなかった。
この青い実は、「異世界」では特別な実であることに。
図らずもこの実を食べた事で、おっさんは異世界に存在する魔力を知覚することができるようになった。
*** おっさんは「魔力の覚醒」を取得した。 ***
「何だこれ? 魔力の覚醒……どういうこと?」
おかしい……突然この頭に響くメッセージ。
おっさんには違いないけど、名前じゃなくてどうして「おっさん」なのだろうか。
この青い実を食べてからおかしくなった。
幻覚を引き起こしてしまう、食べては駄目な物だったのだろうか。
何だか目が……視界が少しずつ黒くなってくると徐々にピリピリと痛みだしてきた。
この辺りの木や葉、実が全部黒くなっている?
まさか、さっきの青い実の汁のせいか!?
目のピリピリした痛みが、強くなってきている。
これって、絶対に痛くなるやつだ。
「ぐああっ! 目がっ! 目があああっ!!」
泡立てたシャンプーが目に入ったかのような痛みに、両手で目を押さえながら悶える。予想を超える痛みに、足をバタつかせて涙を流すしかなかった。
「痛たたた! 痛い、痛い!」
刺すような地獄の痛みが何分過ぎたのか分からないけど、蹲って耐えていたら痛みが引いていた。
*** おっさんは『魔眼』を取得した。 ***
お、おかしいぞ。また頭に響いてくる。
「おっさん」はこの際もういいけど、『魔眼』って何?
誰か説明を求む!
*** ÷□▲+は▼□▼×。 ***
おいおーーい。
何を言ってるのか分からないよ。
この文字化けはどうにかならないのかな。
まったくヒントにもなっていないんだけど。
解析してみようと考えていると、視界がおかしい事に気付いた。
変に黒く全体が見えてしまう。
じっと目に集中して視ると目が痛くなる。
さっきの実って、実はヤバいやつだったのかな。
しかし、まだ目がズキズキするぞ。
毒系の実だったのか……いや、毒だったらお前はもう○○でいるか。
……よし、ようやく落ち着いてきた。
何かじっくり見ようとすると、痛くなるな。
慣れるまで、ちょっとかかりそうだけど気を付けよう。それにしても……。
「どこなんだ、ここ。……何か変だな」
やっぱりおかしいな絶対見た事ないぞ。
こんな大きい葉があったら話題になっていてもおかしくない……はずだよなぁ。
「こんなにでかいのあったかな? 実が付いているやつは珍しいよなぁ。俺が知らないだけか。アマゾンみたいな熱帯雨林だったらありそうな気はする」
ふと、近くにあった木をよく見てみる。
これもまた少し変わっていた。
「こんな木も見た事ないよなぁ……」
どの木を見ても樹皮が鱗みたいな形状になっている。
手で剥がせそうな感じだったから鱗のような樹皮に手をかけて力を入れてみた。
「んん? 意外と硬いな。うおぉーっ!!」
取れそうなのに、どんなに力を入れても取れない。
もう少し頑張って引っぱってみても取れない。
おや? ちょっと樹皮の根元に違和感があって近づいてみると、一つだけよく見ないと分からないくらい薄っすらと色が黒くなっていた。
「何でこれだけ色が違うんだろ」
普通につかんで引っ張ってみると、抵抗もなく引っこ抜けてしまった。
あれだけ力を入れてだめだったのに、何なんだ?
「簡単に取れるじゃないか、何だよこれ……」
試しに隣の樹皮を引っ張ってみると、少しも動かないから取ることができない。
取れた場所付近のどれを引っ張っても取れなかった。
「さっきのだけか、取れたの。とりあえず持っておくか」
手のひらサイズだったので後ろのポケットに入れておく。
珍しいのが取れたから記念にね。
こんなことして遊んでいる場合じゃない。
どう見ても俺の見知っている場所ではないのは分かるけど、ここはどこ状態だ。
いや、森なのは分かるんだけどね。
普通だったら見た事がある木や草が絶対あるはずなのに、知っているものと色々違うのものが多い。とにかく見る物が全部違和感を感じる。
とにかく少しでも知っている物を見つけるために、森の中の細い道を歩く。
整備された道はどこにもない。足場はよくないけど、このけもの道を通ったほうが森を抜ける可能性が高いと信じて歩くしかないかな……。
「どこ見ても木ばっかりで同じ景色だなぁ。ここ抜けられるのか?」
少しだけ道から外れて茂みの中を歩いてみたら、知らない草が意外と硬くて無理に進むことができなかった。その中でも特に縦長の草の枝が邪魔で、何度か指を切りそうになった。
この草をどけて歩くだけでもかなり体力使うし、道なりに進むという選択しかできない。
まさか樹海みたいな場所じゃないよなぁ。樹海だったら生きて帰る自信がない。
「オウゥゥゥーーーーーン!!」
結構近い所から遠吠えが聞こえる。
「ちょっ、嘘だろ? こんなところで野犬か何かの類がいる? まさか狼とかじゃないよなぁ。……バッタリ遭遇とか考えたくないな」
おっさんは知らなかった。日本には狼がいないという事を。
なるべく音を立てずに道なりに小走りで行くと、道の左側から水の流れる音が聞こえてくる。
長い草ばかりでよく見えなかったけど、強引にどけて見るとすぐ横が崖になっているようだった。
もし草を掻き分けながら道を探して進んでいたら、どこかで落ちていたね。
歩いていると道が途中で無くなっていた。少し先に道の途中が見えている。
右側に高い崖があって崖崩れがあったのか、抉れるようにして十メートルくらいの幅が斜めに削り取られていて、見ている今も土や石がパラパラと滑り落ちている。
とてもじゃないけど、途切れた道の向こう側まで飛んでいける距離ではなかった。
途中まで森だったのに、ここから先が岩場だとすると開けた場所があったりするのだろうか。
「ごっそり崩れたっぽいな……。そんなのアリ?」
道なりに進んで行き止まりだと来た道を戻らないといけなくなる。それはあの声の主と遭遇する確率が高くなってしまう。だけど道から外れて歩くのは硬い草が多くて体力的に考えても無理があるな。
「こんなの嫌がらせだよ。完全に道が途絶えて下が見えないし」
ここから戻るのはちょっと嫌だな。どう考えても野犬に鉢合わせしそうなのが目に見える。進むのもどう考えても無理なんだよなぁ。
進むのが無理な時点で戻るしかないのは分かっていたけど、野犬をどうするか。
「出会ったら終わりだ。十分に注意して慎重に戻ろう。それしかない」
来た道を戻ろうと振り返ると目の前に野犬と呼ぶには生温い鋭い眼差しでこちらをじっと見つめていた。何の音もなく、虎と同じくらい大きな灰色の狼がそこにいた。
「っ!!」
思わず声を飲み込んだ。
声を出した瞬間に噛まれると思ったからだ。
こんなどことも分からない場所で、怪我でもしたら生きて帰れる気がしない。
その視線は確実に俺のほうを見ていた。
背後には崩れた道しかない。
視線を逸らしたら襲い掛かってきそうで目が離せないし、灰色の狼は一歩ずつゆっくりと距離を詰めてくる。
「ま、まってくれ、話せばわかる!」
俺の声で灰色の狼の足が止まるが、また距離を詰めてくる。
そうだ、狼に話なんて通じるはずがない。
じっとしていると、恐怖でどうにかなりそうだった。
逃げ場はない。
前門の狼、後門の崖って洒落になっていない。
せめて道なりに生えている草がもう少し柔らかければ道から外れて走って逃げる事もできたのに、何でこんなにここの草が硬いんだよ!
こんな硬い草見た事ないわ! 指だって皮だけ切れてもう少し深かったら完全に切れていたし。
……硬いな、それに切れる?
ジリジリと後退しつつ、道のわきに生えている草を根元から思いっきり引っこ抜いてみると、少しの抵抗があったけど普通に抜けた。
「おっし! 普通に抜けた!」
少し長めの草を左右に振ってやるとヒュンヒュンと風を切る音が鳴る。
灰色の狼は歩みを止めて唸り声を上げる。
「グルルルゥゥ……」
左右に振っていた草の音が消えたと思ったら、手にしていた草自体が消えていて根元の部分しか残っていなかった。
「はいっ? 草がない?」
目の前の灰色の狼が口にくわえていた。
目尻が少し下がった感じになってバカにされた感じが余計に腹が立つ。
何だよ、この狼! 完全に遊ばれているだけじゃないか。
武器になるような物もない、逃げ道もないし……。
ガリガリと音を立てて、葉をかみ砕くと唸り声を上げながら近づいてくる。
さっきと違って、一段と強くなった殺気のが肌にまとわりついて心と体が悲鳴を上げて動けなくなる。
「我、不味いなり! 食べるとゲロゲロ! 俺を食べる必要なし!」
自分でも何言ってるんだと思いながら、とにかく何か言わないと怖すぎて気が狂いそうだ。
恐怖で喉元に胃の中の物がこみ上げてくる。
せめてこの危険を声を上げて誰かに気づいてもらおうと、息を思いっきり吸い込んだ時にそれは起こった。
―――ピシッ、ピシッ、ドガガガガガガガガッ!!
立っていた場所がガタっと大きく揺れると、今いる場所ごと引きずられるような細かい振動を感じると、周りの草や木々が少しずつ上にあがっている。
俺の立っている場所が下にズレている。
これはまずい、このままだと落下してしまう。
「ちょっと! これ落ちる!」
ガラガラと地面が割れて、俺も巻き込まれて落ちていく。
目の前の灰色の狼は俺に飛びかかる。
飛んだ先の胸元に足を立てて、反動で勢いよくジャンプした。そのせいで俺は尻を地面に強く打った。
「いってて! 俺を踏み台にするなああああ!!」
落ちながら見えたのは、あの狼が無事に落下を免れて上から俺を見下ろす姿だった。目尻が下がったように見えたのは気のせいじゃない。
完全にバカにしきった感じの目を見返して、その瞬間の怒りだけで言い返してやった。
「覚えておけよおおおおぉぉーー!!」
三下の雑魚が言う台詞を残して、俺は崩れた地面と一緒に落ちていった。
どこじゃないよ。異世界っだって。
おっさんの雑魚感が半端ない。
諸説ありますが、狼はいなくなり犬が勝利説濃厚。




