一話 わたしの名前は
「……カイト?」
少女はただじっと、俺を見つめている。
ぼーっとしているようにも見えるけど、瞼を閉じようとしない。
可愛らしいけど目が虚ろな感じのせいで、最初の人形というイメージが拭えない。
だから話しかけてくるとは思わなかった。
「え? ああ、うん、俺はカイト。君は?」
本当に生きているのか……というか、この場合はどう解釈すればいいんだろうか。人の器に魂が入ってきて起き上がることが、生き返るというなら生き返ったのだろう。
元がどうだったのか知らないけど、魂の転生みたいなものなのか。
もしかして前世の記憶があるってことなのかね。
「わたし……わたしの名前は?」
「それは俺に聞かれても分からないよ」
「……わたしの、名前……」
「名前を思い出せないの?」
「……わたしの、名前……」
壊れた人形のように「わたしの名前」しか言わない。
それにしても綺麗な透き通る声をしている。
鈴の音のような耳に心地よく響く声だ。
名前が思い出せないのかな。
こういう時は、神様に聞けばいいのか。
「この子の名前は何て呼べばいいんですか?」
「名などあるはずがなかろう。元々が器、魂は……元はあるが我が創り上げたものよ。カイト、お主が付けるのじゃ」
「俺が付けていいんですかね」
「……わたしの、名前……」
何度も同じ事しか言わないけど、俺が名前を言えば反応するのだろうか。
仮に反応しないで変わらないとなると名前を考える意味がないよなぁ。
適当な名前で反応を見てみようか。
「山田花子」
「……わたしの……わたしの、名前……」
一瞬、細い眉がピクリと動き、見つめてくる瞳から正体不明の圧力がかかってくる。
まさか反応するとは……も、もしかして怒っていらっしゃいます?
水面に少女から波紋が幾重にも重なって小さなさざ波ができている。
いや、これは恐ろしいものを見てしまった。
「い、今のは冗談だよ。怒らないで」
本能は感じ取った。
そんなふざけて大丈夫か、と。
大丈夫じゃない。やめておこう。引き際は大事だよね。
名前は大事だ。この少女の特徴としてから考えてみようか。
まずは、瞳だ。蒼色なんだけど深い色をしている。
次に声だ。透き通るような声をしている。
あとは髪はほぼ黒いんだけど、蒼色にも見えなくもない。
普通にサラサラで綺麗だね。
やっぱり瞳かな。どこかでこんな色の石があったよな……。
「瑠璃って石があるんだけど、確か君のような蒼い色なんだよね。だからルリでどうかな」
実際はもう少し普通の蒼色だった気がするけど、濃い色でも変わらないだろう。
ルリは目をパチパチさせて、頷いた。
「……ルリ……ありがとう。カイト」
「ほう、良い名を貰ったなルリよ」
「……はい……母様……」
ルリが起き上がろうとしたので、手を貸して台座から出た。
まだうまく歩けないようだったので、俺は支えながら神様の前まで移動した。
ルリは両膝をついて祈るように胸元で両手を重ね合わせた。
「ルリよ、普通にしておるがよい。我がカイトにスキルを与えられぬ間、しっかりと守護してやるがよい」
「……母様、その必要があるのでしょうか?」
ルリは首を傾げているけど、どうしたのだろうか。
神様も一緒になって首を傾げている。
「何を言っておるのじゃ? カイトは死にたくないと言っておる。ならば守護してやれば死なずに済むのじゃ。よいな?」
「……はい。母様の心のままに」
「守護って、ルリが守ってくれるってことですか? 大丈夫なんですかね」
「はっ、またこれよ。すぐ見た目で判断しよる。ルリは我が丹精込めて生成した魔力で作ったものなのじゃ。そこらに転がってるような人間では相手にもならぬ。例え竜が相手になろうが、普通に戦って負けるような戦力ではないのじゃ。必要最低限の強さと、知識は与えておるのじゃ! どうじゃ、恐れ入ったか!」
はっはっは、と腰に手を当てて笑っている神様。
必要最低限ってレベルを超えてるような……オーバースペック過ぎませんかね。
「な、なるほど。それは安心ですね……あはは……」
ルリは俺より小さい。それなのに竜を圧倒する強さなのか……。
とてもそういう風には見えないけど……まあ、神様の言う事なんだ、信じるしかない。
「そうじゃ、ルリを嫁にでもすればよい。それがよい!」
「ちょ、ちょっと待って下さい。ルリの意志は? それに歳はいくつなんですか? どう見ても俺とじゃ歳の差が」
「我が認めるのじゃ。ルリも物言いはあるまい?」
「……はい。母様のお言葉であれば、一向に構いません」
「あ、あの……話を聞いて……」
「ルリも良いと言っておる。何の問題ある。歳の差じゃ? 何を言うとる。この世界では十五もあれば成人よ。ルリは十四じゃ、問題はあるまい」
「十四って俺は四十ですよ。ただのおっさんですよ? 何か問題がありそうな気しかしないですよ」
「ゴチャゴチャと何を日和っておるんじゃ。男なら、どどーんと受け止めんか!」
「いや、でもですねぇ……」
「わかった! ならば一年後にルリとスキルを交換するというのはどうじゃ? ルリと一緒に成長した分だけ、スキルもより良いものにする。これならどうじゃ」
「スキルが更に良くなる……、分かりました! お任せ下さい! ルリはこのカイトが責任をもって預かります!」
ちょっと責任は増えたけど、ルリは強いし問題ないだろう。
一年後に貰えるスキルが更に良くなるとか、なんてラッキーなんだろうか。
おっさんは知らなかった。
その交換という選択が、苦悩と後悔のターニングポイントとなることに。
「……カイト。私をお嫁としておけば、外でもあまり問題になりにくいと思いますけど……どうでしょうか?」
しかし、ルリの言う事は確かに一理ある。
いらぬトラブルを避けるために、嫁ということにしておけば後々で好都合な場面もありそうな気がする。
「そうだなぁ。歳の差はあるけど嫁って話にしておけば、人さらいとか変な疑惑で見られる事も少なくなるか……そうしておいたほうがいいか」
「……では、今からわたしは、カイトのお嫁ということで……不束者で至らない点もあるかもしれませんが……よろしくお願い致します……」
「そ、そんなに畏まらなくてもいいよ? まあ、嫁(仮)って事になるけどね」
「……? そのかっこかりって何でしょうか?」
「確定ではないけど、とりあえずって意味で思ってもらえればいいよ」
「……とりあえず……ですか?」
「とりあえずだと、何かまずかったりする?」
「……分かりました。今はそれでいいです」
何とか納得したような感じだったけど、どうしたのだろう。
守ってもらう事には少し抵抗があるけど、そのためには一緒にいる事による問題をどうにかしないといけないからね。納得してもらわないと。
そういえば、ルリは透けているネグリジェっぽい姿のままだ。
「話はまとまったかの? 一応言っておくが、ルリに何をしようと我は咎めたりはせぬ。それはカイトの自由じゃ。スキルを渡すまでの間は好きにするが良い。本来使えるはずのスキルが使えない、不自由さの代わりじゃ」
「いやいや、さすがに何もしないですよ」
「それもお主の自由じゃ。好きにせい」
「じゃあ、ルリの格好どうにかできませんかね。さすがに寒いんじゃないかなと」
ほぼ全裸みたいなルリの恰好は目に毒だったりする。
俺の自動追尾機能が動作してしまう前にどうにかしてほしい。
「ああ、すまぬな。では、これでよいか」
パンと手を叩くと冒険者っぽい衣服だけど、女の子らしい姿だ。
剣とマントを身に着けている姿は、どことなく神の使いを思わせる。
似合ってるけど、大丈夫なのかこれ。
衣服を視てみると、魔力っぽいのがかかっている。
上から下までジロジロみて申しわけないけど、ルリ自体が……とても強い魔力を感じる。もちろん剣は強力な魔力帯びているのが分かる。
これはじっくり視ないと特別なモノだと分からない。
今更だけど、こんなに良さそうな装備で何でもアリなのかな。
「……ああ、母様。感謝いたします」
胸の前に両手を合わせて感謝するルリ。
その祈るような姿勢が礼拝堂のシスターに見えてしまう。
純粋で清らかなイメージよりも、人間味が無い……どうしても人形のように俺は見えてしまう。
それはそれとして、一番気になっている所がある。
ルリが本当に強いのかという事だ。
神様は強いと言っていた。それは竜すら倒せる強さだと。
だけどルリを見ていると、申し訳ないけど俺でも倒せそうなんだよ。
だったら守ってあげればいいじゃん、というかもしれないけどさ。
守れるならそもそも神様に泣きついたりしないんです、はい。
「あの、一つだけいいですか」
「何じゃ、まだ何かあるのか?」
「ルリが、その……実際どのくらい強いのか分からないのですが……」
「ふむ。また見た目かとは思うたが、さっき生まれたばかりじゃからの。分からぬではないな。では、ルリを組み伏してみればよい。ルリ、少し実力を見せてやるのじゃ」
「……はい、母様。少し自信がありませんが。カイト、いいですか?」
自信がないという割には、ルリはやる気満々のようだ。
あまり張り切ってもらっても困るんだけどね。
「そ、そんなに本気じゃなくてもいいからね」
「……頑張ります」
これでもあの地獄を切り抜けてきたんだ。
ルリが本気でも何とかなるはず。
正面のルリを視た。
魔力の集約している点が足に集中している。
これは、何だろう。
開始と同時に、速攻で突っ込みにくる気なのかな。
「では、始めるのじゃ!」
神様の開始の合図と同時に、俺はルリへと距離を詰めにいく。
ルリは構えもしないで、ただ突っ立っているだけだ。
だけど、さっき視た時の魔力の寄り方が気になる。
捕まえようと手を伸ばしたら、俺は座っていた。いや、座らされていた。
目の前にいたルリは、俺の後ろにいて肩に手をかけて強引に座らせたのだ。
尻餅をつくように座って、呆然とする俺。
ここまで差があるのか。
何もできなかった……これが瞬殺ってやつか。
確かに消える直前まで視えていたんだけど、その後に背後にいた。
そんなに消えるほど早く動けるとは考えにくい。だとすると飛んだってことか。
着地の音は聞こえなかったけど、おそらくそうだと思う。
「勝負ありじゃな! だから強いと言ったのじゃ」
「……カイト。……視る事に集中しすぎたらダメです」
「途中で消えたように見えたんだけど、もしかして飛んだ?」
「……はい。……全体を見ていれば、消えたようには見えなかったはずです」
「しかし十秒も持たぬとはこの先が心配じゃな。まったく、しようがない奴じゃな。まーーったく、ほんとーーーーーーーっに、特別じゃぞ?」
「ま、また特別とかってなんですか!?」
神様の特別という言葉にロクな事がないのは、身をもって証明済みだ。
あんなクラスの災厄はもうごめんだ。
神様が、パン!と今までよりも大きな音を立てると円形の真っ暗な空間ができていた。神様は手の中で魔力を集めている。あのバチバチした音がとても耳にくる。
手のひらサイズの小さな魔量を、円形の空間に投げ込んだ。
「さあ、来るが良い! 猛牛レッドアピちゃん!」
ドシン、ドシン……。
神様の作り出した円形の空間から、赤い……燃え上がるような真っ赤な巨大な牛が現れた。
牛……そう、ただの牛なんだけど、前足の筋肉が隆々と盛り上がっていて張り裂けそうな力強さを見た目だけで醸し出している。
見た目だけじゃないのは、視ているから理解している。
あの前足はヤバい。魔力の籠り方が半端じゃない。
身体から妙な歪みも視える。あれは魔力とは別っぽいけど何だろうか。
名前から想像もつかない凶悪な牛が出てきたもんだよ。
これは……こ、こいつに何をさせようと……。
はい……もう分かっています。分かっているけど、そこから勝手に思考が逃げていくから仕方ない。
「あ、あのさ、ルリ。あの牛、滅茶苦茶強そうに見えるんだけど、どう思う?」
「……カイトの見立て通りだと思います。……むしろアレを見て弱そうと思える要素もないと思います」
「そ、そうですよねぇ……」
お、終わった……。ダメだ……ダメなやつだ。
もう神様が何て言うのか想像がつく。
嫌だあああああああ。
「良いか、カイトよ。死ぬ死ぬ言うておるが、それはお主が戦いに慣れていないからだと思ったのじゃ。だから、このレッドアピを使って思う存分戦うがよいぞ!」
「こ、これは無理ですって!」
「分かっておる、分かっておる! 無論、倒してしまっても良いのじゃぞ? 男ならそれくらい言っても罰は当たらぬでのう。最初は手加減させるからに、心配無用。これなら安心じゃな」
「だ、だめだ……。この神様、どうかしている」
「どうかしているじゃと!? それはこっちのセリフじゃ! その目! ま・が・ん! 魔眼じゃぞ! どこで手に入れた!? 我だってこのままで与えるとしたら時間かかるんじゃぞ! それに、何じゃそのアホみたいな魔力は! 我が与えるとしたってそこまで与えるのは……ちょっとだけな、ちょっとだけ難しいんじゃ! 死にたくないじゃ? ええ? どの口がそんな事言いよるんじゃ?」
ぜいぜいと、肩で息をしている神様。
この神様からしたら、与える前に与えられていたのが気に食わなかったらしい。
そんな事言われても、気づいたらそうなっていただけだし、全部不可抗力なんだけど!!
「まままま、待って下さい! 何度も実際死にかけたのは本当なんですよお!」
「んなもん、言われずとも理解っとるわ! お主は、使い方が分かっておらぬからそうなっておるだけじゃ。不安じゃろう? 言えば、相手を追い払う火の棒を持っておるのに、持ってるだけで危険な目におうて、死ぬ死ぬ言うておるだけよ!」
「そ、そんな事言われても……」
「……カイト。……私も母様と似たような感想です。……ですので、母様に言われて首を傾げてしまいました」
「嘘ではないこともな。じゃから、守護はルリに任せるのじゃ」
「……あ、あの……。まったく、そういう実感が無いのですが……」
「ああーー!! もう、いいーーんじゃ! いいのじゃもーーーーん!! これだけ言うて分からぬなら、実践しかあるまい! レッドアピちゃん! この軟弱者に少しばっかりムチでもくれてやるのじゃ!」
ブシュ―――――――――!!!
ものすごい鼻息を噴出させて、赤い猛牛が洞窟内に響き渡るほどの強い力で前足を何度も何度も蹴っていて、完全にやる気満々のようだ。
「少しばかり、必死になって使い方を考えて見せよ!」
「ひえぇぇ! こんなの使い方の前に死んでしまいます!」
「さあ、ちゅーとりあるじゃあああああああ!!!」
俺は、現実から目を背けるように、しばらくの間ここに来るまでの地獄を思い出すのであった。
ちゅーとりあるじゃ!
次からは、ここにくるまでの回想はいります。
守護られたい、この命。




