八話 現在の位置が分かりません
令和一日のリリースは無理でした。
高台から森に入ったけど、普通の木々があるだけだった。
元の世界と大して変わらない風景に少し肩透かしを食らう。
体調が良いからなのか、一時間くらい普通に歩いていると思う。だけどまったく疲れが来ない。ルリも疲れた様子を見せずについてきている。
「下ったはいいけど森から抜けないなぁ」
「……高台から見た感じでは広範囲に森がありました。もう少し歩けば左右に伸びていた道まで行けるのではないでしょうか」
「そうだね。真っ直ぐ歩いていれば、道までいけるか。ルリは疲れていない?」
「……大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「疲れたら、言ってね。無理する必要ないから」
「……はい」
歩けど木々ばかりで、何も変わらない。
人の手の入っていない道をただ歩いて行く。
下っている間は枝に引っかからないように進んでいるけど、どこを見ても雑草ばかり生えている。
「そういえば、この辺りってどこだか分かる?」
「……現在の位置が分かりません。何か特徴があるものがあればいいのですけれど、高台から見た景色だけでは判断できません」
「そりゃそうか。特徴のあるものか……。そういえば俺が最初にいた場所ってさ、全部じゃないけど鱗が付いている木が何本もあったんだよね。珍しいなって思ったんだけど、何だったんだろう」
「……鱗が付いている木といえば、パルクの木に付いている木鱗ですね。……特定の場所にしか生息していないもので非常に取りにくいため、木鱗は高価な物になっています。また木鱗はとても硬いため一部防具に使われたりします」
「あれはパルクの木っていうのか。木鱗はすごく硬くて全然取れないよね」
「……はい。素手で取ることは難しいと思います。木鱗には魔力が宿っているものがあります。ごく稀に取れるみたいなのですが、それが万能薬の素となるので高額な値段がつくみたいです」
「あ、そういえばポケットに……あった。これ、木鱗だよね」
俺が手にしている木鱗をルリが見るとびっくりしていた。
鑑定士みたいに色々角度を変えてみたり、硬さを確認したりしている。
「……これは……凄いです。全体に魔力が宿っています。この木鱗は万能薬の素に使えますよ。売るとするならば最低でも金貨十枚以上はするのではないかと」
「金貨十枚ってピンとこないんだけど、どのくらいの価値なの?」
「……母様からの知識によれば、金貨一枚で約一年は普通に暮らせるそうです」
ざっくりだけどルリから聞いてみた。
通貨の変換単位はこんな感じみたいだ。
金貨=銀貨100枚
銀貨=白貨20枚
白貨=鉄貨20枚
鉄貨=銅貨10枚
銅貨=最小通貨
「なるほどね。金貨までの変換の単位を見ると、一枚で相当な金額だね」
「……はい。ですので、大金を手に入れた転移者は大抵ダメになる割合が高いみたいです」
ルリが何も言わずにじーーーっと俺の事を見ている。
俺も何も言わずにじーーっと見つめ返してみた。
…………。
……。
「あああああ! ごめんダメだ! そうならないように気をつけます!!」
ルリの純粋な瞳の圧力に負けて、思わず土下座して謝った。
別に俺は何もしてないんだ。
でも、大金を手に入れたと言われるとねぇ。
ただの木だよ? そんなの一つで金貨十枚とか言われるとねぇ。
色々、負けそうです。だって人間だもの。
「……カイトがそうなるとは言っていません。……不安でしたら、わたしが預かりますから大丈夫ですよ」
「その時になったら是非お願いいたします」
大金を持って自制できる自信がない俺は素直にお願いすることにする。
情けないとでも何とでも言われてもいい。
無くしたりしたらショックで立ち直れないだろうし。
「でもさ、この木鱗ってそんなに凄いの?」
「……はい。……先ほど稀に取れると言いましたが、その取れる状態というのが木から自然に落ちたものがほとんどなのです。でもこれは、直接手で取ったと思われるような……木鱗に魔力が満ちています」
「落ちた木鱗は魔力が抜けてしまうって事なんだね」
「……はい。そういう事です」
「ただの木の破片みたいにしか見えないのになぁ。これが金貨ねぇ」
「……それが何かを知らなければ、ただの木で終わっていました。ですから、この世界での情報の価値は高いのです。母様に感謝を」
祈るような姿勢で目を閉じてしまった。
まさにルリの言う通りなんだよな。
何に価値があるのかまったく分からないから、情報は仕入れられる機会があれば積極的にいかないと。でもルリは何でも知ってそうだよな。
「そういう知識ってルリから聞けばいいのかな?」
「わたしの知識はあくまで一般的なものです。多少は深い所もありますけど、難解なものは自分で調べる必要があります」
「一般的な所でもルリが知ってるだけで、安心できるよ」
「……わたしは知識を母様から受け取ってはいます。けれど見聞というものが無いので、少し不安ではあります」
木鱗を見てみる……これが金貨ねぇ。
何となくお尻のポケットにしまっただけのただの木の破片なのにね。
「……よければ預かりますけど、どうしますか?」
「ルリが持っていて。これが大金になると思うと、持っているだけで緊張しそうだし」
木鱗を持つ手から腕までガクガクさせながら、ルリに渡す。
「……ふふっ。分かりました。わたしが責任をもってお預かりします」
普通に少し笑いながらルリは受け取った。
表情が変化している訳じゃなないけど、少しだけ表情が柔らかくなった様に思える。
ルリが掌より少し大きい皮のケースに入れようと入り口を開けた。
木鱗の大きさだとギリギリ入りそうではあるけど、他に何も入らなくなるよなぁ。大丈夫なのか。
ちょっとルリが抜けているだけなのか、先に言ったほうがいいか。
「ルリ、その腰の皮ケースじゃ入らないんじゃない?」
「……これは見た目は普通の皮ケースなのですけど、収納拡張の魔術が施されている魔導具です。どれだけ大きな物でも入ります。魔導具という物は非常に高価ですけど、その分便利な物が多いです。収納拡張の施された魔導具は、一般的にアイテムボックスと呼ばれています」
「そんなことできるんだ! アイテムボックスってすごいな!」
「……そうですね。カイト、見てください。こうして入り口に持ってきて、手を放すと……このように吸い込まれてケースに格納されます」
入り口に持って行っただけで、パッと消えた。
こういう仕組みはもう理屈とかそういうのじゃないんだろうなぁ。
それにしたって普通に見たら、あのケースに入っているようにしかみえない。
手品と変わらないけど、これは手品じゃなくて魔術でそれを可能としているところだ。いくらでも物が入るってのは便利だ。
「すごいよなぁ。一見するとそのケースに入っているようにしか見えないし。重さももちろん感じないんだよね」
「……はい。……重さもまったくありません。……中に何が入っているのかも、すぐに分かり……あ!」
「ど、どうかした?」
「……カイトに朗報です。……母様から、衣服と革袋です」
ルリが皮のケースから取り出したのは紺色に統一された上下の衣服と、茶色のブーツに革袋だった。視てみると普通に魔力のかかっている一品のようにみえる。それを受け取ったけど、衣類は普通のっぽい感じなのに魔力が凝縮されている。皮のブーツなんて見た目と違って全然軽いものだった。さすがにルリの衣服よりは劣っているけど、それでも俺には充分だ。
「これ、もらってもいいの?」
「……ちゅーとりあるの報酬とのことです」
「そうなんだ。いや、よく見たら俺の衣服ボロボロだったんだね」
「……すみません。言おうと思ったのですが、せっかく気分がいい所に着替える衣類もなかったので……、ごめんなさい」
「いいって。こうして報酬を貰えたことだし、ラッキーだよ。ちょっとあっちで着替えてくるね」
さすがにルリの前で着替える訳にもいかないか。
幸いここは森なので視界を遮る木はどこにでもある。
少し陰になるところで着替えるとしよう。
「……はい。お待ちしています」
まずは紺の衣服と茶色のブーツを着てみる。身体にぴったりで動きがまったく阻害されない。寧ろ動きやすい、この衣類の魔力のおかげだろうか。
身体を動かしてみて思ったことがある。
自分の思う以上の動きができるということだ。
木に片足をかける。そこから三歩ほど適当に足を引っかけて垂直に上ることができる。軽くやってこれだ。何なら後ろ宙返りもできそうな勢いだ。
もう一度だけやってみるか。
軽く木を蹴って宙返り……が出来た。
まじですか……そんなこと出来た事なかったんだけど、何なのこれ。
「そうだ。このボロボロの服どうしようか……」
捨てるのも何か嫌だから、この革袋に詰め込んでみるか。
上着だけでも入れようと、突っ込んでみたら全部入った。
「おお!? これもルリと同じやつか! これは便利だな」
靴も含めて全部、とりあえず革袋に詰め込んでおく。
どれくらい入るのか見れば分かるって言ってたけど……。
袋の口を開けると九個のマスが見えている。
今ので一つを使ったみたいだった。
つまり、あと衣類程度なら8つ分入れられるのか。
十分すぎるくらいはいるな。
重さも確かに感じないし、これはすごい。
完全にチートアイテムという他ない。
このアイテムボックス……十しかない容量が百になるってことだよね。
おまけに体積も無視しているんだよね。
そう考えると袋の中の空間は別の所にあるってことかな。
まあ、検証しようもないから考えても仕方ないか。
「……あの、カイト。どうかしましたか?」
「うわっ! ルリか、びっくりした。どうかした?」
音もなくルリの声が聞こえたので、焦って袋を落としそうになる。
「……いえ、少し遅いので気になって来ました。母様から頂いた袋を確認していたのですね」
「ああ、こんな小さいのに色々入るのは便利だね。それとびっくりしたんだけど、凄い動きができるんだ。この衣服のおかげなのかもしれない。ピッタリで動きやすいし、今度神様に会ったらお礼言っておかないと」
「……似合ってますよ。そうされると母様も喜ばれるかと思います」
ルリの表情が嬉しそうな感じに見える。
母様と呼んでいるあの神様からこのルリだもんなぁ。
産んだというか魔力から生まれたというのかな。
そういえば、ルリの魂って元があるって言ってたような……。
「……何か、聞こえませんか?」
「何も聞こえないけど……」
風に吹かれて木々の葉が揺れて擦れるような音がたまに聞こえるだけだ。
耳に集中しても大して変わるわけが……変わった!
何だ、悲鳴と怒号が入り混じったような声が聞こえる。
「カイト、行きましょう!」
「ルリ、ちょっと待って!」
俺の制止を振り切ってルリは声のする方向に足早に走っていった。
声の先に何があるのか分からないのに、勝手に行ってしまうルリに少し不満を覚えながら後を追いかけた。