U.N.オーエンは彼なのか
□魔王の間
「時沢さん、いえ、大魔王よ……至らぬこの身に、重ね重ねのご厚情。なんとお礼したらいいか」
「君にこそ感謝だ。後輩。これで私は憂いなく最終決戦に挑むことができる」
大魔王を演じるものとしてはあまりにも似つかわしくない無垢な笑顔でそう言って、時沢さんは玉座に腰を下げた。
「長く引き留めてしまって、すまないね。勇者たちが来るまでに間に合えばいいのだが――」
対勇者戦で切り札となる懐中時計を眺めながら、ゆっくりと目を瞑る時沢さん。
その様子を見てボクは笑った。いつもより朗らかに。
「いえ、心配は無用です。もとより、勇者と戦うのはアナタでは無いので」
「……え?」
ヤマタノオロチを討伐した証たる草薙の剣が、彼女の心臓を突き破る。殺意も、何の予兆もなく、刺された時沢さん自身でさえも、胸からこぼれる深緑の液体が何も意味するのかとっさに理解できなかった。……もちろんこれは番組上の演出ではあるのだが。しかし大魔王を舞台から降板させるという目的は果たされた。
「――ふっ、興ざめな幕切れだな」
こうしてテレビ局に仕組まれた異世界転生劇はボクという『デウス・エクス・マキナ』によって書き換えられたのだった。
「さて、決戦といこうか」
「ええ、勝負、つけちゃいましょ」
魔王城の最奥。ご都合主義的に置かれたセーブポイントの横、固く閉ざされた扉の先に、暗黒の豊穣神にして、世界を波乱で満たした大魔王クロノスが待ち構えている。
本当に長かったこの異世界転生劇の終局。ここまでの冒険の記憶が脳裏に浮かぶ。僕は思いを馳せながらも、右手にエクスカリバーを握り、扉を蹴飛ばした。
「出てこい。大魔王クロノス」
「…………」
緩やかに開かれた扉の先。俺とブリュンヒルデが飛び込んだ魔王の間。その奥、真正面の玉座に腰掛けるクロノスがいた。魔界の全権委任者が放つ威圧感に思わず戦慄する。
「あれが大魔王かっ……」
「そうよ。アレが倒すべき敵よ。シグルド」
モノクロの鋼スカートに踵に剣が付けられたハイヒールに似た甲冑靴。上半身は急所のみを覆った胸当て。そしてその後ろにはまるでコートのように丈の長い、スカートと同じ柄のマントを羽織っている。髪の毛は銀髪で長く、ツインテールでまとめている。赤い鉱石の装飾が施された兜が深く、表情まではうかがい知れない。
これが魔王の戦闘モードならぬ戦闘メイドって訳か。……こんな時になに言ってんだろ。
身体が震える。足がすくみ、ヤな汗が頬を伝う。これがお芝居だと理解してなお、彼女(彼?)に恐怖を覚える。本当に人類最強の敵に挑むような胸のざわめき。ああ、これが終わりへの恐怖なのか。しかし、ココで諦める訳にはいかない。深く息を吐き、玉座へと進んでいく。
「……おかしい」
勇者がこれ程近くにいるというのにクロノスは反応の一つもしない。そろそろ最終決戦前の会話をしても良いころなのに。ブリュンヒルデも同じ疑問を抱いている様で不思議そうな顔をしている。これが強者の余裕か?
「いや、違う」
異変に気づいたのは玉座まであと10メートルまで近づいた時。
ふと、足元に溜まる粘液に気がつく。しかもそれは先の玉座から流れている。不気味に思いつつも、顔をあげるとソレがあった。
「――大魔王、クロノス……」
はだらしなく開かれた口元から深緑の液体がこぼれ、腹部から伸びる日本刀は同じ液体に塗れている。生命活動を停止した暗黒の豊穣神の姿があった。
そう、大魔王クロノスはすでに討伐されていたのだ。
「そんな……」
衝撃の結末に思わず目を覆うブリュンヒルデ。台本を知っている彼女でさえこの仕草という事は、これは想定されたシナリオでは無いのだろう。
テレビ局に仕組まれた異世界転生劇、その有終の美を飾るクロノス戦がこんなにあっけなく終わるなんてあり得ない。出演キャストがやらかしたのか? いや、色彩の劇団員がそんなミスを犯すとは考えづらい。
では、なぜこうなってしまったのか。そして誰が……。
「一体誰が、魔王を、クロノスを殺したんだっ!」
「――ふっ、何を言うかと思えば。初歩的な事だよ。魔王を殺すのは、勇者の役目だろ? もう一人の勇者くん」
玉座の後ろから声が聞こえ、クロノスに刺さった刀が引き抜かれる。それにより、亡骸が前に倒れ伏す。急に死人を演じることになっても、すんなりとこなせる中の人に圧巻されるが、話題はそこでは無い。今知りたいのはクロノスを討伐したやつの正体だ。
「お前は誰だ」
僕はエクスカリバーをそいつに向け、小さく呟く。
「誰だっていいじゃんか」
そいつはこちらに刀を向け、断言する。
……さて、僕はこの時、どんな顔をしていたのだろうか?
自分と絶対的に違う存在に出会い、不愉快な気持ちになった時にしてしまう苦虫を噛み潰したような顔か。
まるで鏡を見ているかの如くそっくりな存在に出会い、同族嫌悪に陥った時にしてしまう苦虫を噛み潰したような顔か。
結論から述べるとすれば、どちらも正解だ。……てか同じだし。でもそいつは確実に悪い意味で僕の心を掻き毟る存在だった。
身長は一メートル七十センチよりやや低い。痩せ過ぎなくらい細身で、手足が長いモデルのような体格。身に纏った軍服を彷彿とさせる学ランは真っ赤に染められており、嫌でも視界に入ってくる通常の三倍仕様。両手には悪魔的に真っ白な手袋。
切り揃えられた短髪はくすんだブロンド。しかし瞳は碧では無く、どこまでも底が見えない宇宙に似た黒であり、そいつの異質さを際立たせていた。
「気を取られないでっ! こいつ何してくるか、一切分からないのよっ!」
「ああ……、でも……。クソッ」
こちらを見て不敵に微笑むそいつを無意識のうちに睨みつける。
それは『天才』夏目メグと対峙したあの時の羨望の感触に近い。
しかし、そんなあいつの瞳に映る世界は僕に酷似していた。
「ふっ、そう怖い顔するなよ。勇者くん」
「……敵かも知れない奴に微笑むほどの人格者じゃ無いんだ。僕は」
「それは勘違いだよ。別にボクは君と戦おうって訳じゃ無いんだ」
「うん? 何を言って――」
「こういう事さぁっ!」
そいつはそう短く吐き捨て、動き出した。
左手を柄に添えたかと思うと、次の瞬間には既にそいつの半身ほどある巨大な日本刀を振りかぶっていた。それは人を無力化する事に重点を置いた動作で、それが演技の為に放たれたもので無い事は明白だった。
『ファイナルベント』と軽快なエフェクト音と共に、刀身が金色に染まる。今まで見てきた中で一番派手な演出。これが彼の必殺技なのは一目で分かった。これを喰らえば、この世界という舞台を降りる破目に陥るだろう。
だがしかし、絶対的な暴力をまとったそれは僕に向かうことは無かった。
避ける事叶わず、逃れること能わず。『痛恨の一撃』はブリュンヒルデに迫っていた。
「……!! 夏目メグっ!」
僕は即座に振り返る。
そこに上半身をギリギリまで後ろに逸らし、日本刀をかわしたブリュンヒルデの姿があった。本来はこんなことは不可能だ。実際、僕のような『非才少年』なればここで朽ち果てていただろう。しかし、『天才少女』が先天性に持ち合わせた柔軟性は、不可能を可能にした。
「……随分と豪勢な歓迎ね。『色彩』にはいないタイプだわ」
そう言って肩をすくめる夏目メグ。しかしその表情から余裕さは感じられない。
「アレを避けるんか。流石、『天才少女』だ」
「『天才』ねぇ? そんなに重要かしら。それにその言い草は気に食わないわ」
「ボクはアナタという存在そのものが気に食わない。反吐が出る」
「……だから私に必殺技を使ったの? それも殺意マシマシで」
「イグザクトリー、その通りだ」
「呆れた。なんの恨みか知らないけれど。収録を台無しにして……。早急に立ち去りなさい」
「『だが断る』……て言ったら?」
「実力を行使するまでよ」
ブリュンヒルデは床に伏せていたアスカロンをあいつの顔面めがけてボールのごとくシュートする。しかし、ブリュンヒルデの不意を突くような行動を予見していたかのように、日本刀をバットに見立てフルスイング。打たれたアスカロンは持ち主に向け一直線。……ピッチャー返しだ。
「危ないっ」
「まだまだっ! 主演女優をなめんなぁーーっ」
だが、戦いとは二手三手先を読んで行うものであり、天才少女がそれを怠ることは無かった。ブリュンヒルデはこちらに向かってくるアスカロンを片手で受け止め、構え直す。これにはあいつも驚いたようで、一瞬の膠着を見せた。
彼女はその刹那を見切り、一気に距離を詰める。そして渾身の力をアスカロンに込めて、日本刀を振り払った。ポンと段ボールがぶつかった軽い音、ガツンと鉄が打ち合った低い音が魔王の間に響く。一拍置いて、日本刀が床に落ちた。
武器を失ったそいつはそのまま床にへたばり、ブリュンヒルデはすかさず剣先を頸動脈に突き付けた。
「ハァハァ……、ふぅ。コレで、決着がついたわね」
「…………」
「黙ってないでなんか言ったら?」
「ふっ、ふはははは」
「……別に笑えとは言ってないわよ」
「いや、まだ気づかないなと。アナタは天才ゆえにボクの卑劣さに気がつかないのか」
「ブラフのつもり? 私、そんなのに乗る奴に見えるかし――」
そこで言葉は遮られた。
矢がブリュンヒルデの胸を貫いたのだ。
彼女は驚きの表情を浮かべながら後ろに倒れ込む。そして赤黒い液体がまき散るエフェクト。それはブリュンヒルデが死亡したこと、夏目メグが降板したことを意味した。
僕はただそれを見つめている事しか出来なかった。もう一度言おう。僕はただそれを見つめている事しか出来なかった。物語の主人公であるはずなのに、展開に関われないなんて。あいつはデウス・エクス・マキナだとでも言うのか?
「――傑作だぁ」
振り返ると、法悦とした表情を浮かべたあいつの姿があった。右手には小型のクロスボウが握られている。これでブリュンヒルデを……、いや、夏目メグを。
「袖下に隠しておいて正解だった。でもまさかコレでアイツを殺せるとは思わなかったけど」
そいつは充足した顔を浮かべながら、鼻歌交じりにそう語る。
……さて、僕はこの時、どんな顔をしていたのだろうか?
答えは。
「お前は誰だ」
僕は五臓六腑を煮えくり返す阿修羅の顔をした。
「そんなに怖い顔をするなよ。勇者くん。仲良くやろうぜ」
そいつは顔に醜いアルカイックスマイルを貼り付けて頷く。
「ボクが誰だって? それは――」
両手を広げ、天を仰ぐ。そしてステルスドローンを見つめて一言。
「注目の続きはCMのあとで、ボクはどや顔でそう言った」




