追憶の月④
狂戦士ギャロウェイのそらされた視線と、ガイル君が放っていた漆黒の炎が否応なしに私に状況を理解せる。
そう。
私は勇者。
魔王と相反する力。
こんなに魔力が枯渇しても私は『勇者』だ、『魔王』に対しては魔力うんぬんよりその性質がモノを言う…いくらガイル君が魔王の力が使えてもその一部分じゃ私には女神様の力には敵わない。
今の私とガイル君が戦うと言う事は多分どちらも無事では済まない…と言うか、私がガイル君を殺す可能性が高い。
けど。
「…けっ…結婚なんて…!」
戸惑う私の手を熱い手の平が握りしめる。
「頼む…! お前を『主』俺を『従』として婚姻契約してほしい…! そうすれば、俺は暴走せずに狂戦士の力を扱えるし勇者の属性も一部扱える…そうすれば」
「まって! ま…もし、そうして、ガイル君より強くなる? 止められる? 殺さずに…?」
「ああ、狂戦士としての潜在能力は俺が上…それに…」
ギギイギギギギギイイイイイイイイイイイ!
狂戦士ギャロウェイがなにか言いかけた時、まるで凄まじい悲鳴のような音がして私は思わず耳を抑える!
振り返れば、ドームの壁に引き裂かれたような亀裂とそこをこじ開けようとする腕。
「ちっ! 時間がない! キリカ…!」
痛々しい背中が私の前に立って壁を睨み深紅の髪が逆立つ。
ああ。
多分、私はガイル君に勝てるだろう。
今ぐこの背中を乗り越えて、剣を突き立てるソレでいい。
けれど、ソレは彼から最愛の弟を奪う事になる。
もしこれが、私の弟だったら?
もしも、コレが切斗でこの方法しかないとしたら私はきっと______。
「分かった、結婚しよう!」
深紅の髪が振り向いて、月の瞳が見開く。
「キリ…?」
「何驚いてるの? 必要なんでしょう? どうすればいい? 結婚式とかする時間はなさげだよ? さぁ! さぁ!」
やけくそ気味にまくし立てる私に、狂戦士ギャロウェイは引きつった顔で2、3歩後ろに下がる。
「い 良いんだな?」
引きつった顔が、『本当に?』と眉をよせ私を見下ろす…なにアンタがドン引てんのよぉおお!!
「もう! さっさとして!」
こちらに向き直った狂戦士ギャロウェイは私に言われるままそっと肩に触れた。
「…」
「………」
互いに見つめ合ったまま固まる。
少し戸惑った顔。
初めてあったはずなのに『懐かしい』。
「ねぇ、私、貴方に…貴方の事…」
「今はいい…直に、お前が望むならすべてを思い出せる…今はこっちに集中してくれ」
彼の顔が近づく。
「ちょっ、ちょっと?!」
「…本来、この契約の為にはいくつか工程があるが時間がない強制的に短縮させる…多分お互い負荷が掛かる」
耳元でつぶやく声が通り過ぎて首筋に唇が触れる。
「ごめんな」
ブツン!
首筋に突き立てられた牙。
悲鳴を上げてもがこうにも、そのまま食いちぎられそうで抱すくめられた腕の中で動けない!
痛い!
熱い!?
喰いつかれた首筋が、突き立てられた牙の辺りが発熱して徐々に頭がぼーっとしてくる…。
吸い上げられている…?
今度は私が喰われているの?
だんだん頭を起こしていられなくて、コテンっと彼の肩に寄りかかる。
…あ…首筋。
私好みの程よく筋肉のついたライン…。
美味しそう…。
お腹が鳴いて、焼けつくような空腹が駆け巡る。
もう駄目!
ガリッツ!
思うよりの速く私はその首筋に喰らい付く!
彼の体がビクッと跳ねるけど構うもんか!
こんな美味しそうなの我慢できないもん!
噛みついた口いっぱいに血の味がひろがる…血なんて鉄臭いだけだと思ったのに、コレは違う…何だか濃厚なスープを飲んでるみたい…。
美味しい…。
温かい…。
ソレに、何だか不思議…お互い喰らいあっているからなのかな…温かいのがめぐり合ってなんだが体の境界線があいまいになっていく。
もっと。
もっと。
溶けて、混ざって、ねぇ______。
不意に蘇ったのは、暗闇で私を抱きしめていてくれたあの温もり。
ぽん。
ぽん。
「終わったよ、放してくれ」
「ぷぁ?」
優しく背中を叩かれて私は我に返る!
え?
おわた?
「ぁう、わた、私っ…!」
慌てて噛みついてた首筋から顔を上げる!
なにして?!
何した私!!
噛まれたからって、お腹空いたからって、噛んじゃった、飲んじゃった、どうしよう!! 美味しかったああああ!??
体が沸騰しそうなくらい熱い!
口から心臓出そうなくらい恥ずかしいのに、早く逃げ出したいのに体に力が入らない!
「……本当は、こんな形でしたくはなかった」
耳元でぼそりと呟いてため息をついた腕が、力の抜けた私をゆっくり地面に座らせ背を向けた。
その視線に先には、漆黒の炎。
気が付けば、あの白いドームのような空間は消え先程と同じ風景に戻っている。
「チッ…マジかよ兄上、とことんアイツを敵に回したな」
「…ああ、俺はキリカを守る為ならなんでもする…彼女が望むなら、ガイルお前すらも傷つけはしない」
兄の言葉にガイル君の炎が更に闇を増す!
「あ"? なんだよソレ…やる気あんのか?」
「…今にわかる」
兄と弟は少し距離を取って向かい合う。
私に見えるのは深紅の髪の背中だから狂戦士ギャロウェイの表情は良くわからないけれど、ガイル君は険しい表情で兄を睨みつけ牙をむく。
「…舐めるな!」
地を蹴ったガイル君は、一瞬にして距離を詰めその拳を兄目がけ放つ!
ガシッ!
しかし、その拳は手首の辺りを掴まれ止まった。
「へぇ…そんな感じになるんだな」
拳を止められながらも血走った金の瞳は自分と同じもう一つを見上げ、ソレを見返す瞳は同じ色を宿しながらも氷のように冷たい。
どくん。
あ"っ!?
熱い!
首、噛まれたところが脈打ち私は思わず抑えたけど止まらない…!
氷のように冷たい瞳を目の当たりにしたのに、噛み後がまるで焼けつくように脈つ!
「なに…これ? これが? 狂戦士の…」
疼く…暴れる…抑えなきゃ…!
視線の先には、ぶつかり合う漆黒と深紅。
ダメ…ここで私が手放したら彼はきっと弟を傷つける事になる…それが私を守る為であっても暴走した結果であってもきっと彼は傷ついてしまう。
_____ギャロ、貴方はとても優しい人だから _____。
「っっちっ! 避けてばっかかよ!」
漆黒の炎を纏った拳が空を切る。
忌々しいと舌を鳴らした弟は、ひょうひょうと攻撃をかわすばかりの兄を射るように睨んだ。
「…懐かしいな…お前が小さかった頃、よく稽古をつけてやったのを覚えているか?」
その氷のように冷たい瞳を細め愛おしそうに弟を眺めた兄は、触れればただでは済まない炎の拳を掻いくぐってその懐に飛び込みそのまま腕を回して抱きすくめる。
「お前は生まれつき短いその尾のせいで、なかなか上手く体のバランスがとれなくていつも怒ってばかりいたっけな…」
懐に入られた挙句、攻撃されるでもなくまるで小さな子供あやすような優し気な声で語りかけられたガイル君の顔が悔しいとばかりに歪む。
「うるせぇ!」
ガイル君の体から再び漆黒の炎が吹き出し、抱きすくめていた狂戦士ギャロウェイの皮膚を焼き尽くしていく!
「いつまでもガキ扱いしやがって…! オレはもう___」
「ああ、お前はハンデを乗り越えて強くなった。 兄さんは誇らしいよ」
じゅうじゅうと肉の焼ける音や臭いが辺りに充満して、私は思わず口を押さえた!
「っち! 離れやがれっつ!!」
ガイル君は、そのまま焼き尽くすかと思われた漆黒の炎ごとしがみ付く兄を蹴り飛ばす!
「てめぇ…なんのつもりだ!? 焼け死ぬ気か!? 勇者を守る気あんのか!??」
突き放してもなおも相手を焼き尽くそうと燃え盛る炎を払いのけるようにガイル君が手を振ると、それは嘘のように消える。
けれど…!
上半身の露わになった弟を抱きしめた皮膚は頬まで焼けこげているのに、私は目を伏せる事も瞬きすら忘れて見入ってしまう!
「心配してくれるのか?」
狂戦士ギャロウェイは、薄くほほ笑を絶やさないばかりか少し嬉しそうに弟を見つめる。
「俺を心配するなんて、お前こそ魔王を守る気があるのか?」
冷たい月が見開く!
どくん。
あ、やっ…!
首が…!
また、首すじの噛み後が熱を持って疼く。
「彼女は望んだ、お前と争うなと傷つけるなと…だからこの方法しか思いつかなかった」
深紅の長い髪が、噴き出す魔力の渦になびいて背中の傷を露わし______ミチャッ。
焼けこげた肉が蠢く。
カウント10。
狂戦士ギャロウェイの唇が微かに動く。
そうすると、酷い火傷が蠢く速度を速め元の状態へと回復する…ううん…『巻き戻される』。
「ふぅん…女神の時の力ね…そんで回復して、オレの体力が尽きるまで避けゲーでもするつもりか?」
ガイル君は、『馬鹿にしやがて…』っと吐き捨て更に漆黒の炎を立ち昇らせて体制を前かがみにして構える。
金の瞳を血走らせ、炎渦巻くその姿はまるで漆黒の獣。
カウント9。
「オレはもうガキじゃねぇ…! 覚悟しろ兄上…いや、狂戦士ギャロウェイ!!」
漆黒の獣は牙をむき、地面に爪を食い込ませる。
なんて魔力…狂戦士ギャロウェイを遥かに超えている…このままじゃ…!
私は、いつでも剣を抜けるようにマントの中に隠して呼び出す。
カウント8。
すっと、狂戦士ギャロウェイの手が伸びその指先がなるとバチッツっと小さな火花がちった。
「がはっつ!?」
突如うめき声をあげ、地面に崩れ落ちる漆黒の獣。
「な に しやがった…!」
体が全く動かせない様子のガイル君の元に、狂戦士ギャロウェイがゆっくり歩み出す。
カウント7。
あれほど酷かった火傷がすっかり元に戻りになった兄は地面に這いつくばる弟を氷のように冷たい瞳で見下ろし唇を釣り上げる。
「抱きしめた時に、頸椎から腰椎にかけて微弱な電流を忍ばせて合図で増幅させた」
「ちっ…くそっ…! 殺せよっ…!」
漆黒に燃え盛る炎の中で悪態をつく弟の頭を狂戦士ギャロウェイは、くしゃりと優しくなでる。
「可愛い弟を殺す訳ないだろう?」
「はっ…いま殺っとかないと、オレはどんな手段を使ってでも勇者を殺すぜ?」
カウント6。
「だろうな…キリカを連れてどんなに逃げようがお前は決して追撃の手を緩めないだろう」
柔らかな黒髪が兄の手の平で、明るいオレンジに戻っていく。
「だから、俺、考えたよ」
カウント5。
「追われるなら遠ざければいい…簡単には追いつけない場所に、お前らが俺にそうしたようにな」
底冷えするような、背筋が泡立つようなそんなほほ笑み。
カウント4。
「なっ!?」
優しく頭を撫でていた手が離れると、這いつくばるガイル君を中心に地面に白銀の幾何学模様…『魔法陣』がひろがる!
「ガイル、ひとつ良い事を教えてやろう」
カウント3。
「お前は確かに強くなった。 日ごろから努力を惜しまず更には魔王との婚姻によって俺をも凌ぐ程に…」
カウント2。
「…が、急激に力をつけた事でその強大な闇に酔いさらけ出すばかりで努力を忘れた」
冷たい声は地を這う弟に手をかざす。
カウント1。
「教訓として刻め、必殺技は最後まで取っておくものだ」
魔法陣が眩しく輝き、それと同時に狂戦士ギャロウェイの深紅だった髪が白銀に染まってなりを潜めていた魔力が一気にふきだす!
どくん。
首の傷が疼く…!
体を起こしていられない…!
「時と時空を司る女神の羅針盤、古の賢者の血をもって命ず…混沌に穿つ霊樹ユグドラシルの門を開けよ」
白銀に輝いていた魔法陣の中心が突如ばっくりと割れ、その隙間から漆黒とも灰とも区別のつかない空間が覗く!
ああ…私はあれを知っている…いや…もういや…戻りたくない…!
あそこは、冷たくて孤独だ…!
「くそっ!」
ガイル君は動きの鈍い手足を必死に動かそうとしてもがくけど、その覗かせたそれは根のようなものを伸ばして体に巻き付きゆっくりと取り込んでいく…!
「だめ…やめてあげて…おねがいよ…」
私の懇願は銀色の背中には届かない…!
「勇者ぁあ!!」
悔しさに顔を歪め憎悪に満ちた赤い月が、声を荒げ私を睨む。
「オレはお前が死ぬほど嫌いだ! なんもかんも忘れてまた同じこと繰り返すお前が…アイツを殺す『勇者』が!」
忘れている…アイツ…?
忘れている…何もかも…?
冷たい月が見開き、指がもう一度鳴った!
「俺はすぐに戻る! 殺してや______」
ドプン。
その姿はあっと言う間に闇に飲まれ消え失せて、魔法陣もガラスのように砕け散ってあたりに静寂がおとずれる。
そう、まるで何事も無かったような静寂…どうして…!
ばしっ!
白銀の髪が揺れ、狂戦士ギャロウェイの口元に血がにじむ。
「馬鹿! どうして…! あんな事…! 自分が何をしたか分かっているの?! あの子は弟なんでしょう?」
口元の血をぬぐった狂戦士ギャロウェイの髪は銀髪から元の深紅に、氷のように冷え切った瞳はいつもの暖で柔らかい物へと戻る。
「魔王の力を使う狂戦士だぞ? 争わず、傷つけず、退けるにはこの方法しか思いつかなかったし…勇者の恩恵を受けていても俺の力じゃこの状態を長くは持たせる事は出来なかっただろう…」
彼は私の為にそうした。
私なんかの為に自分の弟を…なのに、私は許せなくてもう一度その頬を殴りつけようと拳を握る。
「覚えていなくても…怒った顔はあの時のままなんだな…」
冷たかった頬に触れる熱い手の平、目の下をぬぐう親指が涙をさらってそのまま地面に崩れるように膝をつく!
「あ、ギャロうぇっ…!?」
「少し…すこしだけ眠らせてくれ…力が強大で反動が…」
私は、脱力し浅く呼吸をする体を抱き留る…熱い…すごい熱。
「ガイル…」
かぼそい声と霞む月の瞳が閉じて、私の胸を濡らした。