女神と魔王と賢者と終焉⑧
私は、その刃を枝に突き刺したままこの身に宿した力のありったけを流し込む!
「あああああああああああああ!!!!」
びきっ!
バリリリッリ!
広がる『死』が、歪な枝に亀裂を走らせ引き裂く!
「馬鹿な! クロノスは一体何を考えている!?」
ギャロに抱えられ退避する魔王が、裂け行く枝に更に刃を食い込ませる女神クロノスの姿を信じられないものでも見るようにいきを飲む。
無理もない。
魔王や勇者にしてみれば、この世界を生かすために何千何回と自分達を戦わせ殺し合わせた狂った女神がその後生大事にしていた世界をあれ程までに愛していた世界をその幹より切り離そうとしている。
気が触れたか?
いいや、そもそも初めから常軌を逸しっているのだから。
強張る二人の顔は、枝に剣を走らせる私を追う。
ズパン!
それは、実にあっけなく。
それはそれは、間の抜けた音だった。
10万年。
それだけの時間、巻き戻し、巻き戻し。
死せる時を逃れに逃れた醜く歪に形を成した枝は、その幹から切り離され混沌の海へと落ちる。
WORLD END。
コレで、終わる。
ワタシノ。
私の。
世界が。
タッ。
私は、地を蹴り堕ちる枝を追う。
この翼にかかれば、すぐに追いつけ私は堕ちる枝に触れる。
「ああ、ごめんなさい……!」
切り離された世界は、温度を失い冷たい。
どくん。
どくん。
けれど、その鼓動はまだ生きている。
大丈夫。
私が守るから。
「女神と勇者と魔王……そして賢者の名のもとに______クロノブレイク」
ピシッ。
枝に触れた腕に亀裂が入り、それが全身に広がる。
目の前が暗くなる。
遠くでギャロが私の名を叫んだ気がした。
◆
「こいつは予想外」
なにが?
「思ったよりシンクロ率が高い、まさかここまでとは思わなかった」
え?
「いや、おーけーおーけー。 結果オーライ、何事も結果が全てさ! 終わりよければ全て良し!」
私の額をそっと撫でる手。
あたたかい。
「よく頑張ったな……まさかここまで期待どおりなんて『彼』も報われるってもんだ」
彼?
「なんだよ薄情だなぁ~自我を消滅させた君と彼女を凍えさせない様にあんなに抱きしめて、毎日ごはんもあげたじゃない~?」
『こんなふうにさ』
っと、へらっと笑った声がしてそっと触れた唇が______どくん。
「かはっつ?!」
「あっはは! 起きた! 起きた! 俺でも上手くいくもんだw」
唇に触れただけ。
それだけだなのに、急速充電? みたいに一気に肉体にエネルギーが撃ち込まれたみたいにっ?!
痛いっ____口の中が酷く痺れる。
「ここドコ?」
痺れる舌を必死に動かす私を、懐かしい顔が黒ぶち眼鏡の向こうから目を細めて愛おしそうに頬に触れてほほ笑む。
「小山田……浩二……?」
切斗と同じ……胸元に尚甲学園中等部の獅子の朱い刺繍の入った詰襟の学ランを身に着けた少年。
幼さの残るその顔は、あの時のまま……。
憎く、愛おしい……全く変わらない。
異世界より訪れたごく普通の中学二年生の男の子。
切斗のクラスメイトで、勇者と魔王を育てた賢者……そして今はあの数多世界集合体霊樹ユグドラシルの共通概念。
賢者オヤマダ。
ギャロやガイル君たちの先祖……。
いえ、今の彼はそう呼ぶにはもう神がかりすぎている。
ようやく、視線のピントがあった私に彼は言う。
「やぁ、ようこそ『GB-162世界:女神クロノス世界線分岐043『比嘉家リビング』へ」
「!?」
私は、ソファーから飛び起き辺りを見回す!
間違いない……ここは私の……『私達』の家。
「……! ……!」
「驚いたか? この方が落ち着て話せると思ってさ」
事もなげにそう言った彼は、勝手知ったるようにキッチンへ行くとガラスのコップに冷蔵庫から取り出したオレンジジュースを注いで食卓テーブルにコトリと置く。
ごくり。
差し出されたオレンジジュースに口を付ける______甘い。
久しぶり……いつものスーパーで買ってくる果汁5%の人工甘味料の味。
帰ってきた。
嗅ぎなれた家の匂い。
お父さんが無理して買った一戸建ての我が家。
この家のローンを早く返したいからって、お父さんもお母さんもいつも働きずめで……切斗ったら『こんな借金コンクリート為にあくせくとするなんて下らない』っなんて言って。
でも、そんな憎まれ口も働き過ぎのお父さんとお母さんが心配だったからって姉さんは知っていたよ。
私は、視線をオレンジジュースの湖面に落とす。
ああ……何もかもが鮮やかに記憶の中にあるのに……。
「彼も酷な事をしたね」
どかっと、椅子を引いて正面に座った彼はジュースを片手にまるで他人事のように言う。
「最高シンクロ率200%越え……自己の認識としては自分の事を『比嘉霧香』と誤認したか」
「……!」
「まぁ、肉体は『比嘉霧香』のモノを使用し更には人格形成の為に深く組み込まれていたんだから『前勇者』の記憶まで流れ込んでますます誤認識したのは無理もないよね」
自分のコップを空にして肘をつくその姿は、彼そのものなのに先程から感じる違和感に私は眉を顰める。
小山田浩二の顔で。
小山田浩二の声で。
小山田浩二の目で。
私を見て話すこの人物は本当に『彼』なのだろうか?
「いやぁ~感が良いね。 確かに厳密に言えば俺は君の知ってる『小山田浩二』とは違うんだろな」
「どういう事?」
「今の俺は、ユグドラシルに小山田浩二を足して3で割ったみたいな感じなんだよなー」
「は?」
へらへら笑いながら『彼』は目を細める。
「考えてもごらんよ? 千年前だ……君が初めて小山田浩二と会ったのは」
「……?」
「鈍いなー……まともに考えて、だたの中学2年男子が千年も生きてられると思うの?」
「_____ぁ」
そう問われて始めて、私の記憶が再生される。
千年前の記憶。
女神クロノスが賢者オヤマダと対峙したときの事……ユグドラシルと同化した直後の彼の姿。
鼻血を流し、嘔吐して肩を抱いて苦しむ。
たかが、一生命体の分際で数多世界の集合体の概念と同化した身の程知らず。
けれど、それも全てはあの子達の為。
貴方は千年と言う時を待つ為に永遠の孤独を厭わなかった。
「その結果が……今の貴方の姿___もうどれだけ残っているの?」
懐かしい顔は微笑む。
「酷いな。 俺だって一応は小山田浩二にかわりないんだけど?」
「ご、ごめんなさい……」
私は、思わず視線をジュースの湖面に逸らしてしまう。
小山田浩二は、ユグドラシルと同化した。
同化したと言ってもいきなり全てなんて無理。
いくら人間の脳が神秘的でも、数多の世界を管理するその膨大なキャパを受け止めきれるなんて思えない。
百歩譲って、出来るとしても時間をかけてゆっくりとそれこそ気が遠くなるような作業に間違いないだろう。
千年。
クラスメイトとその姉を救う為、うっかり貧乏くじを引いた可哀そうな小山田君は少しつづすり減っていく自我に耐えながらただひたすらに待ち続けたのだ。
「待たせてごめん」
無意識に口にした言葉は、引っ込みがつかず私は思わず自分の口を手でふさぐ。
コレは、私が言うべき言葉ではない。
彼がこんな目にあったもの、全ての元凶はこの『私』女神クロノスにあるのに!
「ああ……気にやまないで……と言うのは、『小山田浩二』としては言いずらいけど今の君を俺は咎めはしない」
冷蔵庫に立った彼は、今度はパックごとオレンジジュースを取り出しぐびぐびと飲み干す。
「今の君は、女神の残りカス。 彼が____いや、俺がお前の記憶以外のすべてを壊してお前が壊した霧香さんを修復するためのパーツにした」
眼鏡の向こうの黒い瞳がギラリと光って、唇が釣り上がる。
それは、私が知る小山田浩二。
「己の物ではない記憶に溺れ、自分を無くした哀れな女神クロノス」
がたん。
「再構築を経た今のお前だからこそ、俺はあの『枝』を託す事が出来る」
テーブルの向こうから伸びた手が、頬を伝う涙を指で拭う。
「どうして……どうして私なの? 過去の私なら彼女なら女神クロノスなら喜んだ! あれ程までに欲していた彼女なら!」
ぐにゃり。
頬に触れていた手の力が抜けたかと思うと、その途端に私の家のリビングの輪郭が崩れてねじれ始める。
「ああ、もう限界かな?」
また、他人事のように呟いた彼は椅子から立ち上がって辺りを見回す。
「え? 限界って?」
「取り込んだ『小山田浩二』としての自我の限界。 もうずぐ完全にユグドラシルに飲み込まれてログとして蓄積される」
「ぇ? なに?」
「いやぁ~、間一髪。 間に合ってよかった~自我が完全に取り込まれてたら『枝』を株分けしてさらには誰かに権限を委譲するなんて暴挙は統合世界概念としては許されないからな」
ぐにゃぐにゃ歪む世界で、彼は_____小山田浩二はへらへら笑いながら眼鏡をはずして眼鏡ふきで丹念に拭いてかけ直す。
「まって! 待ってよ! 貴方はどうするの!?」
「あの世界を、俺の毛玉達を宜しく……」
明るかったリビングは色を失い、テーブルも冷蔵庫も崩れて混沌に染まっていく!
「そんな! あの子達は、貴方を取り戻すって……!」
「あー……俺は、なんつーか……ぎりぎりアウトって感じ?」
もう遅いんだ。
っと、呟く声は心なしか震える。
怖いくせに。
苦しいくせに。
寂しいくせに。
悲しいくせに。
勇者と魔王とあの世界を救う為、それを全て自分だけでしょい込んで。
本当は手放したくなんてない大事な『枝』を私に託して。
泣きたいくせに。
もう涙も出ないんだね。
リビングだった場所は、私と浩二を残して崩壊し元の混沌の色に戻た。
ジャプ……。
私は、自分の足が濡れた感触で我に返る。
「……ぁ」
思わず足元を見た私は、自分の足がひざ下までぬるりとした淀んだものに沈んでいる事に驚く。
「慌てな……ジジジ……俺達には無害ジジジ」
ノイズ交じりの声に顔を上げると、そこにはもちろん浩二がいるのだけれどそのはもう半透明で更にはその声と同じくノイズが走ってしまっている。
けれど、それよりも……私の視線はその背後の輝きに奪われてしまう。
「ぁあ!」
それは、あの『枝』。
それが、この淀みの中に根を下ろし力強く立つ。
美しい。
生命にあふれた光。
醜く歪んでいた枝葉は広がり、それは自らを軸に新たな『枝』を伸ばす!




