時の羅針盤⑦
『ああ、愛しい私の世界の民よ。 お前のような小さな存在にはこの女神たる私の行いなど説いてもその愚かな頭では理解などできないでしょう』
哀れむように女神は言葉を紡ぐ。
「ふざけるな……」
『ふふ……そんなに牙を剥いて可愛い子猫ちゃん』
女神は、まるで段ボールの中から威嚇する小さな子猫を愛でるように瞳を細める。
この世界と言っても過言じゃないその強大な存在たる女神にとって、今の私の存在はその程度のもの。
……ううん。
もしかしたら、『世界』とか言う大きさから眺めるその瞳にはそこに生きる民なんて虫とかそんなものかもしれない……!
けれど。
だからと言って、どんな理由があれこんな蛮行が許されていい訳がない!
『あの男と魔王それにイレギュラー……邪魔をするそれらの存在を私は許さない……えなさい』
天から降り注ぐ声が響くと、女神の背中の六枚の翼が広がってふわりと舞う羽が鋭利な輝きを放って一斉に私に向けられる!
『さよなら子猫ちゃん』
白い輝きが牙を剥く!
しゅぱぁあああん!
降り注ぐ鋭利な羽は、私とレンブランさんを避け周囲に飛散する!
『まぁ……これはどういう事なのかしら?』
女神は、カクンと小首をかしげ飛散した羽と激痛に蹲る私を見比べる。
『私の攻撃を避けるなんて…イレギュラーでもここまでできたものはないわ』
ふわりと地に降りる白い足。
歩く必要などないのに、わざわざ地に降りた女神は足音すら立てず私の目の前まであるいて止まる。
『貴女はだぁあれ? 何処から来たの?』
まるで作り物みたいにシミひとつない美しい顔。
ふわふわと重力を無視して舞う白銀の長い長いどこまで長いのかわからない髪。
真っ赤な二つの瞳が、見開くヘーゼルの瞳の獣人を見すえ細い指がつぃっと視線を合わせる。
殺される。
私は彼女の邪魔をした。
当然だ、世界を救うと言う女神クロノスの崇高な行いを私は妨害しようとしているのだ。
女神様の赤い目は、世界を見ている。
けれどなぜ?
世界を救うというなら女神様は何故?
「なぜ……なぜ、ころす?」
肺から逆流する血で、上手くしゃべれない。
『まだ、あの子の準備が出来てないの……だから邪魔されると困るいのよ』
冷たく美しい微笑み。
『勇者と魔王の戦い……それはプロセス。 貴女には分からないのでしょうけれど、それこそがこの世界を永らえさせる唯一の術』
無機質な赤い瞳。
『ああ……早くあの子を迎えに行かなきゃ……ピースが揃わない……油を注さなければ羅針盤は逆さに廻らない』
不意に、女神の瞳から透き通った滴が落ちる。
『私の世界……私の世界……どうして邪魔するの? 要らないならくれてもいいじゃない? 数多の枝があるなら一つくらいいいでしょう? 忌まわしい! 忌まわしい!』
女神の真っ赤な瞳が、私の後ろに横たわるレンブランさんに注がれ宙を舞っていた羽が鋭く狙いを定めた。
『あの男。 イレギュラーの血を引き全てを狂わせたあの男の子孫……更にはこんなことまでして……許さない…』
「やめろ……レンブランさんに て だすなっ……コプッ」
『新たなイレギュラー……この男のあとに貴女もすぐ葬ってあげる』
白い指がレンブランさんを指すと、無数の羽が________ドクン。
それは、いつぞやの夕日のオレンジ色。
ドクン。
『また』腹の底が波打って、私の目に映る世界がオレンジを濃くする!
半透明な鈍りのような空間。
息も出来ず、ただゆっくりと私の周辺の時の流れを遅く……ううん……これは私のみの体感を加速させていると言ってもいいのかも。
レンブランさんに差し向けられた鋭利な羽は、ふよふよとのんびりとした速度で動く。
あれっきり使ってなかったから、まさか上手くとは思わなかった……けど……!
「……!」
やはり、この体ではこの空間では指一本動かせない!
ダメだ!
このままじゃ、レンブランさんも私も……!
<ジジジj……お知らせ:復旧作業完了致しました。 プログラム『0』再起動完了・システムオールクリア・サポートを再開いたします>
それは、事もなげに頭に響く無機質な声。
0!?
<お知らせ:ユーザーキリカに本体を経由して闇の精霊獣より回線接続依頼がきています。 お繋しますか?>
え?
<回答:女神クロノスとの接触によりユーザーキリカに生命に危険が及ぶと判断した為、緊急回避として『勇者キリカ』の本体より精霊獣の召喚を試みたもの>
『0』は、淡々とした無機質な口調で回答する。
(0……0、無事だったんだ……ごめんなさい……私、あんな……)
<回答:破損の直前アンカーポイントの作成に成功しました。 問題はありません。 ユーザーキリカは現状の回避を優先してください。 闇の精霊獣と回線を繋ぎますか?>
闇の精霊獣と聞いて私は困惑を隠せな…だって、今回ここに来ることなったのは頑なに対話を拒否する彼女との和解のを……その為に玉座を探しに来たのだから!
けど、今はそんな事を言ってる場合じゃない!
(お願い!)
<回線接続……P!>
……沈黙。
ぇ……繋がったのかな?
(あ、あの……もしもし?)
<闇の精霊獣:なかなか面白い事になっているな……笑える>
それは、冷たい嘲笑。
ほかの子達とは違う明らかな敵意。
『0』は、精霊獣を私の本体……つまり元の時代で寝てる私の体から呼び寄せたって感じだったけどよりによってなんでこの子?
<闇の精霊獣:その問いに不本意ながら答えるなら、時を隔ててなお影響できる程の力を持つ精霊獣などあの中で我しかいないからだ……愚か者>
う……文句がバレてる!
<闇の精霊獣:頭の弱のは相変わらずか……こっちは『勇者』の体に取り込まれているんだぞ? お前の思考など、この賢者の玩具なんぞより筒向けだ……馬鹿が!>
酷っっつ!!
馬鹿って言った!?
<闇の精霊獣:愚かな女、我に何か言う事はないのか?>
「え?」
<闇の精霊獣:いまここで……己の罪を詫びるなら玉座などなくともこの場でお前に力をかしてやってもいいぞ?>
私の罪?
それは、世界を救えていない事だろうか?
<闇の精霊獣:やはり、その程度の認識しかないのか……前勇者にならいざ知らず、こんな女になぜ我が兄弟達は力を貸すのか……>
前勇者。
その言葉に私の心臓が締め付けられる……ああ……私は『前』には敵わないというの?
<闇の精霊獣:ああそうだ、まったく……お前が本当にあの子なのかと思うと実に居た堪れない気持になるが、あの賢者がよこしたのならそうなんだろう……諦めるしかない>
諦めるって……!
なにその、音声のみでもわかるがっかり感!
ううう……切斗ぉ……姉さん…自分の精霊獣に諦めるって言われたぁ~!
<闇の精霊獣:ジジ……キリト……それは……ジジジ>
小舌に私をディスっていた闇の精霊獣の声にノイズ。
長時間通信し過ぎたのかな?
<闇の精霊獣:ジジジ……それは、お前……ジジ……弟……か?>
たっぷりのノイズの後、闇の精霊獣は妙な事を聞く。
え?
だって、それは貴女だって知っているよね?
切斗は私の弟……私、あの子を探してる。
どういう事かわからないけれど、切斗もこっちに来ちゃってるみたいで……泣いている……私を呼んでる……!
そう、呼んでる!
だから、私、早く迎えに行かなきゃ!
その為にも、此処で止まるわけにはいかない……けれど、こんな暴挙……いくら女神様がこの世界の為にやったとしても許せない!
こんなの目の当たりにしたら、きっと切斗だって私と同じことする!
あの子は、普段は冷たいふりをしていても本当はすごく優しい子だから!
<闇の精霊獣:だが、今のお前は『勇者』だろう? これは世界を救う邪魔に外ならないが?>
私、『勇者』である前に切斗の『姉さん』だもん……ここでレンブランさんを見捨てるなんて例え世界を救う為でも出来ない。
そんな、世界を救うからって誰かを犠牲にするなんてそんな背中を弟に見せる訳にはいかない!
<闇の精霊獣:……ククク……それが、お前の本心だと言うのか?>
闇の精霊獣は、まるでさも愉快なものをみたと言いたげに嘲笑する。
それが本当の気持ちかだなんて……弟を思わない姉がいる?
馬鹿にしな_____。
<闇の精霊獣:いいだろう。 ……ついでに他の兄弟たちと同じく力を貸そう>
え?
<闇の精霊獣:クロノスがこの空間に気が付いた……時間がない。 が……運がいいな、おあつらえ向きにこの肉体は『闇属性』いやあの男の事だからこの状況も我が協力する事も計算ずくだろう……忌々しい>
えと、ちょっと!
今、なんて?!
力かして……契約もして……?
『哀れな____』
それは、オレンジの空間に声が震えてゆらりと浮かび上がる褐色の少女。
その姿は、あのリリィとか言った魔王の側近によく似ているけれど違う。
『泣き叫び、もがき苦しめ、それがお前の罪の解、その姿を見ることで我は憤るこの溜飲をさげよう……それまでは従ってやる』
触れる唇は深く冷たい。
ジジジジジジジ。
少女は、私の中に溶け空間が戻る。
女神様と目があった。
その、真っ赤な舌言葉を紡ぐごうと動く前に私は言う。
「私は、貴女を否定する」
女神様の目が見開き、一斉に降り注ぐ羽が加速する!
けれどそれは、私やレンブランさんに届くことなく消滅した。
『なっ!? その力は! それを使えるのは_____』
たじろいだ女神様は、気が付いたように地面から宙へと舞い警戒するように旋回しながら私の様子をうかがう。
闇の精霊獣の力……魔王ほどではないけれど、それは……女神様を……『私』を否定する力。
だから。
「うぷっ_____ぅぇっ……ゲロゲロゲロ~~~~」
う"ぁあ"あ"あ"~~ぎもじわ"る"ぅ"う"う"う"う"~~~~!!!
食べた朝食が、見るも無残に口から吐しゃされる……ああ……折角食べたのに……!
追撃する吐き気に口を押えた私の脳裏に響く声が、『吐いたものに未練を持つな、卑しい奴め』と嘲笑する。
う、だって!
こんなにご飯ちゃんと食べれたの久しぶりだったの!
そう、のたまう私に闇の精霊獣は『その病的な食に対する執着は相変わらずだな』とあきれる。
<警告:女神クロノスより測定分類不能の高エネルギー反応。 ユーザーキリカは直ちに対処してください>
『0』の警告で、私はようやく吐しゃ物から視線をあげた。
空中の女神様は、その赤い瞳を憎悪に染めこちらに向けるその手の平に力を集中している……これはかなりまずい。
「ねぇ、私……あれを喰らったら流石に死んじゃうかな?」
<回答:使用中の肉体は崩壊し、辺り一帯に測定不能の影響を及ぼすと推定されますがそれがどのような被害かはデータベース上での算出が困難です>
『0』は包み隠さず、事実を突きつける。
闇の精霊獣の加護を取り戻したとは言え、この体は借り物。
だから、女神様のあの力を退くにはもはやコレしかない!




