追憶の月①
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彼女は光に包まれ俺の前に現れた。
勇者召喚。
魔王によって滅びを待つばかりの世界を救う為、異世界に転生した勇者を女神様が呼び戻す。
まさか、本当に異世界が存在するとは!
…自分自身、かつて異世界から訪れたと言われる賢者の血を引いているとは言え半ばおとぎ話のようだと思っていたと言うのに…。
こちらと繋ぐ召喚陣の中央にへたり込み状況が分かっていないのか、おろおろと辺りを見回す彼女。
勇者が女だと言う事にも驚いたが、俺はその美しさに目を奪われる。
黒く長い髪。
それが天蓋から差し込む月に艶めき、黒曜石のような瞳は濡れたように俺を見上げ言葉を紡ごうとする唇が微かに震え不安気に顔を強張らせた。
美しい。
それだけじゃない、本人も自覚のないだろう底知れない魔力を感じ背筋がざわめく。
女神様の洗礼が終わり、ようやくこの世界の言葉を見聞きする事が出来るようになった彼女に俺は名を告げ頭を垂れる。
すると、彼女は微笑んでこう言った。
「ギャロうぇい…なにそれ呼びずらっつ! ギャロって呼んでいい?」
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ヒタ。
ヒタ。
頬に冷たい手が触れる。
気持ちいい。
冷たい手が熱を吸い上げ冷やしてい_______。
ヒタッ。
あ、左の頬にも手…額にも…ん?
ヒタ。
ヒタ。
ヒタ。
ヒタ。
ヒタ。
ヒタ。
ヒタ。
ヒタ。
「っ!? ぶぇっ?? ちょっ!!」
顔中に無数の手の感触を感じて、私は目を開ける!
ぎょ?
そこにあったのは、沢山の魚ぎょっよと新鮮な魚の目。
「うきゃあああああ????」
私は、飛び起きてその場から逃げ出そうとするけど_____ぐにゃり。
視界がぶれて、足のもつれた私はその場に派手にすっころんだけど…痛くないというかこの地面弾力があってぬとぬとしてる??
『チャプン!』
へたり込む私の元に、ヌルヌルの肌色の地面を滑るように駆け寄る小さな魚影。
「ぁ…君…!」
それは、牢屋で一緒にいたあの魚人の子。
「大丈夫なの? あ 鱗!」
私は、魚人の子をまじまじと見る。
よかった…体の大半を黒く染めていた鱗は艶やかな虹色を取り戻して白く濁っていた目も新鮮そう…。
「もう、もう、大丈夫なのね…?」
『チャプン!』
魚人の子は、元気よく水かきの手をあげて返事をする。
その様子を、さっき私が飛びのいた辺りからじっと見つめる5人の魚人の子供達…みんな綺麗な鱗ね…。
「あの子たちは友達?」
私が聞くと、魚人の子は『チャプン! チャプン!』と鳴いてそれから_____ペタッ。
んん?
水かきにちょっと鋭い爪の手が、私のおっ____胸に乗ってもちもち…って_____えええ?
「ぇ ちょっと、何して…私っ君のママじゃ…!」
あれ?
魚って飲んだっけ?
そうこうしている間に、他の子達もヌルヌル寄って来て私の体中をヒタヒタペタペタもちもちと!!!
「ふっ…くふっ、あははははっ…やぁ! やめっ、くすぐったぁい!」
脇腹とかヤメテ!
ダメ! 笑い死ぬ!!
「いい加減にしろ! 子魚ども!!」
笑いすぎて朦朧としてきた私の耳に怒号が響いて、それと同時にヌルヌルの地面が蠢き出す!
「うひゃっつ!? なに??」
ぬにゅぅうううん。
もたげたのは、見覚えのありすぎる巨大な三角の頭につぶらな目。
プラナリオ?
って、事はこのヌメヌメの所は______ぬにゅ?
滑り出さないようにヌメりに踏ん張る私の手足の指の股に、ぬにゅんと小さなプラナリオがいっぱいいっぱいにゅるにゅるにゅるって!
「いやあああああああ!!!」
キモイキモイキモイキモイ!!!! 全身にサブいぼ鳥肌冷や汗ぶわってなるぅ!
「取って! 取って! これとってええええええ!!」
叫んだ私に魚人の子達が驚いて、ぱっとその場から散る!
もー! 手伝ってよおおお!
とにかくキモイのぉおおおお!
余りのキモさに私は悲鳴を上げなら小さなプラナリオを手足から払い落とそうとするけど、無駄!
だって、地面にはぴっしりプラナリオって言うかこれ自体が巨大なプラナリオっていう!
ぬ"にゅうううううううんん!!
突然何かに驚いたように叫んだプラナリオが反り返る!
「ぅわっつ!」
急に傾斜をつけたヌメる地面に踏ん張りがきかなくて、私はそのままウォータースライダーみたいに滑り落ちて空中に放り出される!
へ?
眼下に広がる美しい水きらめき…もうそこにあの黒い水や淀みなんてない。
ああ、上手くいったんだ…。
巻き戻された、間違いが起こる前に。
よかった。
落下する加速の中、私は胸をなでおろす。
?
ふと、触れた胸の中央に少し硬さを感じる。
何?
それよりも…。
私は、落下とともに遠ざかるプラナリオを見る。
水の精霊獣ウンディーネを守護しこの水域の浄化をしていた魔物。
ウンディーネが戻って、正気を取り戻した…いえ…もとに巻き戻った…これで大丈夫…。
にしても、…プラナリオってこんなにおっきかったんだぁ私の学校の校舎くらいあるっ…て!
高い!
私、落下中なう!!
これ、余裕で死ねるたかさだよおおおお??
「きゃああああああ______!!」
『もう駄目だ!』と、目をつぶった私の体が空中で抱き留められる。
ピキャアアアアアアアアア!
バサッと羽ばたく燃える深紅の翼。
炎が形作る美しい『鳥』の顔がくいっと私をみてから旋回し始めた。
7、8mはある大きな鳥…私は抱きかかえられてその背に乗っている。
「熱は引いたな…多少魚臭いが…」
優し気な声に私は顔を上げた。
月。
すっぽり包んだ腕の中で私を見下ろす二つの月。
そして、これって…!
するっと、何の躊躇もなく額から滑った手が頬に添えられる。
「ぅひゃっ!!」
「動くな」
彼はそのまま親指で目の少し下の皮膚を引いてじっと見た。
「まだ少し貧血気味だな…」
そういって今度は顎を掴んで口を開かせて覗き込む。
「ぁがっ…」
「舌が白い…まだ疲労が溜まっている…あれだけの魔力を浪費すれば仕方ないな」
そしてそのまま指を滑らせ喉そして胸元で止まると、眉をひそませ今にも泣きだしそうな顔をした。
「キリカ…お前はまたソレを選ぶのか?」
胸元をなぞる指がカリッっと、爪でソレをかく。
「いっ!」
ビリッっとした痛みに思わずのぞき込むとその爪が掛かった場所、心臓よりも少し高い位置に青く輝く少し縦長の丸いなんだか宝石のようなものがまるで私から生えてきたみたいに皮膚から顔を出す。
カリッ。
彼は険しい表情を浮かべ、強い力でないけれどまるでそれを剥がそうとでもしているみたいに爪を立てる!
「痛い…やめて…!」
「っ! す、すまない…」
私の懇願に彼はぱっと手を引っ込めて、顔をそむけた。
「あ あの!」
声をかけると、私をちらっと見てまた視線をそらして『なんだ』と答える。
「お、降ろして…」
私に言われて初めて気が付いたと言うようにはっとした彼は、『鳥』に下に降りるよう命令し痛いくらいに力を込めていた腕からようやく解放してくれた。
下について『鳥』から降りるとその姿はまるで光の粒のようになってその場から消えていく。
「…これは『鳳凰』火の神アグニの召喚獣だ」
そういう彼は私から目をそらしたまますっと指を差す。
「泉、体、洗うといい…魚臭い」
その様子に、私はあらためて自分が全裸であったことを思い出した!
「うきゅああああ!!」
ザボン!
一目散に駆け出した私は真後ろの泉に飛び込む!
ゴポ。
ゴポ。
ゴポ。
み…見られた…というか触られた!
キスとかされたって言うか、しちゃった!
誰!?
何!?
何が起こってるの??
私、私は…。
ジジッ…。
瞼の奥にまるでテレビのノイズのようなものが走って、私は思わず止めていた息を吐く!
比嘉霧香。
脳裏に浮かんだ私の名前。
お父さん。
お母さん。
私。
弟。
四人家族。
お父さんもお母さんも家のローンとかでいつも遅くまで働いて、私はいつも弟の切斗と一緒だった。
人見知りでいつも私から離れなかった切斗。
いつの間にかすっかり生意気になったけれど、いつまでたっても私の可愛い弟に変わりはない。
「おい!」
腕が強く引かれて私は乱暴に水の中から引き上げられる!
「ゴホツ! ゴホッツ!」
彼は水から私を引き上げて、ばさっと私に黒い布をかけた。
「俺のマントだ今はコレしかない、とりあえず火の傍に」
手を引かれて、いつの間にか用意され火の傍へと座らされる。
あったかい…。
たき火と言うよりは、炎が炎だけが火の気のない岩の上で固まって燃えている…どういう仕組みなんだろう?
「水の精霊獣ウンディーネ」
炎の向こうに座ってこちらをじっと見る二つの月が口を開く。
「?」
彼は、首をかしげる私に自分の胸を指でとんとんと叩いて見せる。
「その胸にあるのは精霊石…ただし今回はそのものと言うよりはその力を中継する為のモノの様だがな」
そう言いながらなにやらリュックサックらしきものをごそごそとした彼は、細長い鉄の棒と肉ぽいものを取り出し突き刺して火の上にかさず。
当然ながら肉は、ジュウジュウとジューシーな音と何とも言えない良い臭いをさせ始めた。
う…美味しそう…!
ぐぎゅるるるる~…。
もーーーー!
なんで鳴るの私のお腹ーーーー!!
「……食べたいのか…?」
焼けた肉を食む口が肉汁を舌で舐めとりながら訝し気に聞く…なによ、その信じられないみたいな顔!
「…悪い? ずっと、ろくなもの食べてないの! お腹が空いてしかたないの!」
う~っと唸る私に、彼は自分の齧った肉の刺さった鉄の棒をさしだす!
あんまりお腹の空いてた私は、差し出された肉の部分を直で引っ掴んで______モチャ!
「う"っつ!?」
温かい肉に突き立てた歯…だけど…だけど…?
「…分かったか?」
彼はそう言って、動きが止まった私から肉を取り上げそのままぺろりと食べてしまう。
「…味が…味がしなかった…ゴムみたい…食べられない…?」
無理やり食べようとかそんなんじゃない…口に入れた瞬間解る…『食べられない』。
「どうして______っ!」
茫然とする私の頬に触れた手が引き寄せて唇を重ねる…軽く触れるだけ、咀嚼したものを流し込むのとは根本的に違う栄養というかエネルギーのようなものが流れ込んで…。
「…美味しい…」
思わず追いかけようとした私を彼が制す。