そして、少女は目を覚ました③
「ごめんなさい…私、私…また」
また___?
前にもこんな事があったっけ?
がしっ!
「!?」
一瞬気の抜けていた私の腕を水かきの手が掴んで、ビリッとした感触が奔る!
『コレ プラナリオ イウ、切ル フエル プラナリオ 殺ス 出来ナイ』
ビリビリとした感触と共に、私の脳裏に魚人の考えが流れ込む。
プレナリオ。
水の精霊獣ウンディーネの守護をしていた魔物。
元は水を浄化し、魚人と共に共生して生きた。
けれど、ウンディーネがこの地を去った後…急速に悪化した淀みの影響で今の姿に。
去った?
いや違う。
コポッ。
コポッ!
咎めるように腹の中が泡立つ。
うん、そう…貴女は私が殺した。
全てを救う…それが正しいと思ったから私は躊躇しなかった。
私はその為に『呼ばれた』のだから。
「…今度は…今度は、ちゃんとしなきゃ…もう失敗したりなんてしない…全てを救って見せる…だって」
だって、私は『勇者』だもの。
私は掴まれた手から魚人の手をそっと外して、剣を構えてプラナリオへ向き直る。
「…ごめんなさい…」
切っ先の白銀の輝きが眩しいほどに強さを増す!
「グランドリオン…貴女の力を貸して…」
白銀の輝きと共に私の足元に広がった魔法陣が、空間全体に広がると魚人たちから養分を貪っていた小さなプラナリオ達がバラバラと地面に落ちてグチャグチャを鈍く蠢く。
私は、輝く魔法陣の中をひび割れた氷の琥珀の中で蠢く大きなプラナリオに向かって歩を進めその前で剣の切っ先を抜ける。
大丈夫。
私が…私が…もとに戻してあげ______。
ぐにゃり。
あれ、頭がぼーっとする…気が遠くなる…ダメ 待って…。
「駄目だ」
冷え切った肩に熱い手の平。
「その役目は終わった…いや、俺がお前を二度と勇者になんかさせない!」
そう叫んだ赤い髪が、背後から素早く私の胴に手を回して一気に壁きわまで下がらせ眼前に立ちはだかって詠唱すると先に広がった白銀の魔法陣の上に重なるように黄色い魔法陣が広がった!
「なに…する気…?」
「雷撃で焼き払う…塵すら残さねぇ…」
私の問いに、唇を貪ったあの猫耳の変態の艶やかな深紅の髪が逆立ちその長い尾がぶわっと膨らんでその毛がチリチリと騒めく。
焼き払う?
此処丸ごとってこと!?
「まっ、まって! 壁! 壁には魚人の人たちがいるんだよ?!」
「それは、ご愁傷さまだ。 来世に期待」
ちょっ!
この人何言ってんの??
そうこうしている間に、広がった魔法陣にバチバチと小さな雷みたいのがなぞるように奔る!
「俺から離れるな、感電する」
太くて逞しい腕が、腰に回されてそのまま抱き寄せられ固定された!
「はっ、放して!」
私の懇願なんて、そのぴんととがったけも耳には届かない!
もがいても、目眩がして今の私の筋力じゃこの腕から逃れる事は出来ない…でもなんとかしなきゃ!
このままじゃ、魚人がプラナリオが焼け死んじゃう!
剣で斬り付ける?
でもソレじゃ、この人が怪我しちゃう…!
そんなことを考えているうちに、その唇が早口に詠唱を始めて赤い髪が静電気で逆立つ!
「やめて! 殺さないで!」
懇願しても赤い耳は耳を貸さない!
私は慌てて腰に回った腕を剥がそうとするけど、目眩が止まらなくて腕に力が入らない…それより、あ?
ぐぅううう~…。
この緊急時に、不意に鳴った腹の虫。
今まで、シリアスに何やら詠唱していた赤髪がその金色の目で思わず私を見る。
「ぇ ぅ…ぁ…」
ぐぅうう…ぎゅるるる~…。
この音が知らせる誰もがよく知る感覚に私は顔から火が出そうなくらい赤く…いや、今なら火が出せる確実に!
そんな事より兎に角止めなきゃって思って、その目を睨むけど目眩が止まらなくて言葉が出てこないばかりかこの緊急時だと言うのに全く関係ない感情が支配する。
お腹すいた。
ソレは、生きることに必要な三大欲求の一つだけれどこれはそんな生ぬるいものでは無い!
飢餓。
空腹。
そんな言葉では足りない。
胃を中心に内臓全体が、この体を動かす司令塔である脳がたった一つの感情に支配されていく。
その月のような目に。
その頬に。
その唇に。
食欲がそそられる。
美味しそう。
無意識に私の指が彼の唇をなぞった。
「ま"っ…!」
怯んだ金の目。
逃がさない…!
私は引き腰な『食糧』の顎を捕まえるけど、逃げようと顔を背けるんだもん唇なぞっていた親指が口の中に入って頬をひく。
引いた頬からのぞく血色良い歯茎に鋭い牙。
すっかり怯えた瞳に私の口からついて出る。
「喰わせろ」
無機質な事務的な感情の無い冷たい声。
その言葉に引きつる顔が、何か答えようとして親指をはき出そうとする。
真っ赤な舌。
何か言いたいのかな?
ま、『食糧』の答え何て聞いてないけどね。
私は目の前の食糧に喰らい付く。
いつものように。
当たり前に。
怯えて逃げ出さないように、ぴったり合わせて隙間なく。
貪る。
貪る。
空っぽの腹がようやく満ちて、目眩が止んで視界がクリアに…んん?
当然なのだけど、眼前に見開く金の目。
止まらない。
止められない…美味しくて、呼吸すら忘れてがっつり喰らい付いて貪る。
「ぐぅっ ぅ ぁ」
ついに力尽きたその目がフッと閉じて、私を拘束したまま真後ろに派手に倒れその衝撃で歯が牙に当たって口いっぱいに血の味が広がった!
「ぶっ! ぇあ!? ごっ、ごめんにゃひゃっつ??」
真っ青。
慌てて彼の上から飛び退いたけど、横たわるその顔は血の気がすっかり失せて浅く呼吸をする。
「ぇ…し、しっかり! だいじょ ばないねコレ…どうしようぉぉおおお!!」
抱き起こして揺すってみるけど、首がかくんかくんしてまるで人形みたい!
これ、私が?
ううん、言い訳なんて出来ない・・・私この人を『喰った』んだ。
パキィン!
「あっ」
白い魔法陣の上に彼が敷いた黄色の陣形が、砕けて消える。
それに併せて、小さな電流に拘束されていた小さな方のプラナリオ達がまた壁の魚人達に向かって蠢き始めた。
私は、彼をそっと地面において剣を構える。
お腹が満たされてる。
目眩も、脱力感もない。
コレならやれる。
それは、漠然としているけど確かな確信。
救う方法を私は知っている。
「戻さなきゃ…こうなる前に」
やり方はあの人から教わった。
私は、剣を地面に突き立て詠唱する。
「時と時空を司る女神クロノスの羅針盤、遡れ在りし日の時へ! レェトゥラアクティヴ!」
その瞬間、白の魔法陣が一気に広がって覆い尽くす…この場所をこの水域を白銀に染めて飲み込む。
戻るのこうなる前に。
間違いが起こる前に。
羅針盤が逆さに回り出す。
どこかで悲鳴が聞こえた気がしたけど、ソレは遠くてよく聞こえない。
『お帰りなさい羅針盤の勇者よ』
ゴポッっと腹の底から声がする。
ただいま。
私はそう答えてまぶしさに閉じていた目を開けた。
目の前にはもう薄暗い苔まみれの岩肌は無いあるのは『あのとき見た』清浄な水の輝きと留守にしている主の帰りを待つ水の玉座。
私は、地面に突き立てた剣を引き抜いて玉座へと歩みでる。
「待たせてごめんなさい」
ゴポッ。
腹の底が歓喜に震えて、凄まじい吐き気がおそう!
ま"って!
苦じい!
もっとゆっくりっ…!
腹から競りあがって、のどを通過するソレはもがく私にお構いなしに口から飛び出す!
「げほっつ! がはっつ! はぁ、はぁ…」
ビチャビチャと胃液を吐きながらへたり込んだ私が見たのは、宙に浮かぶピンポン球ほどの大きさの深い青色の球体。
その球体は、ふよふよと漂い水の玉座の上で止まるよパキィンと音を立てて弾け飛ぶ!
「!?」
その瞬間、あたりがフラッシュを炊いたようになり私は目が眩んで思わず顔を背けた。
_______ピチャン_______
_________ピチャン________
まるで空間に響くような澄んだ水音。
『勇者よ』
低いけれど落ち着いた女性の声に私は顔をあげた。
声の主と思われるその人は、いや、おそらく確実に人とも魚人とも違うそのその存在はまるで無重力の水が人の形をなしたように透き通っている。
『やっと、此処に戻ることが出来きました』
その透き通った人は、玉座に優雅に座いりみまるでゼリーのような瞳で私を見てすっと立ち上がってこっちに歩を進める。
「ぁ あのっ、勇者って私の事? あ、私、私の事なのは知って…あれ? 一体なにがなんだか…」
戸惑う私の頬に、冷たい手が触れる。
『賢者の力により今の貴女には鍵がかかっています…わたくしの力では全てを解くことは出来ません。 勇者よ貴女は望みますか?』
望む?
なんのことだろう?
「貴女は戻ってきた。 それは貴女の意思…約束を誓いを果たしますか? それとも_____」
ゼリーの瞳がエメラルドに揺らめいて、頬に手を添えたまま顔をよせる。
バチッツ!
「!?」
頬に触れていた手から静電気を感じたと思ったら、眼前まで迫った顔が飛びのく!
「……キリカから離れろ…!」
私に捕食されて息も絶え絶えの金色の瞳が、よろよろ立ち上がってこちらに手を突き出す。
その指先から、バチバチとしている所を見ると彼が何かしたみたい…。
「…そいつから離れろ…こっちへ来い…!」
差し伸べられる手。
私は、玉座まで飛びのいた彼女と差し伸べる手を見比らべる。
どうしよう…。
私はどうすればいいの?
「キリカ…!」
はき出すように呼ぶ彼。
キリカ。
キリカ。
それは、きっと私の事。
彼を守らなきゃ…。
その為には取り戻さなきゃ…。
不意に浮かんだ感情。
私は…彼を知っているの…?
『助けて…』
震える声に、私は振り返る。
『羅針盤の勇者よ、どうかこの世界をもう一度…その大いなる翼の身元に』
私は、懇願しゼリーの瞳を歪ませてひれ伏す彼女に手を差し伸べた。
そう、私は守らなきゃいけない…何から? どうして?
「ヤメロ! また繰り返すのか!」
駆け寄ろうとした彼が地面に転んで這いずるけど、私は構わず彼女を抱きしめる。
分からない。
でも、思い出さなきゃ。
あの子が泣いているの。
「やって」
『お心のままに』
冷たい唇が触れる。
ゴポッ。
唇が重なった瞬間、ペットボトルを振ったような水音が鼓膜に響いて目の前のゼリーの瞳がぐにゃりと歪んで回りだす。
◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆
私の日常は平穏無事にとは過ぎていかない。
今日も、定時に校門を出るなんて叶わずに閑散とした夕日の照らす校内を駆け抜ける。
まいったなぁ~…今週は高校三年生の最後の期末試験、早く帰って勉強しなきゃだったのにやれ悩み相談だとか先生の手伝いだとかでこんなに遅くなっちゃった。
急がなきゃまた切斗に『姉さんは人の事にかまけてる場合じゃないだろ! いい加減、人助けなんて止めて自分を救え! もう三年生なんだしっかりしろよ!』って、散々な点だった中間テストを引き合いにねちねちと説教されてしまうぞよ。
うざし、中二の癖に生意気だぞぉ~弟よ。
5歳までは『ねーちゃ、ねーちゃ』って、あんなに可愛かったのに!
時の流れって恐ろしい。
…まぁ、確かに切斗の言葉は一理…いやロンギヌス槍なみに的を射てはいるよ…うん。
でもさぁ…もしよ?
もし、目の前で困っている人がいたとして自分にソレを解決できる力があったとしたら何とかしてあげたいって思うじゃない?
確かに、人助けって自分の時間とか大幅に無くすけどさそれで誰かが救われたら嬉しいじゃない?
私が今までしてきた事ってそういう事なのだけれど…切斗にはあまり理解してもらえてないのが現状か…。
「お腹すいた~」
夕日の中、人の通りもまばらの通りを私は駆け抜ける。
途中。
泣きはらした太目の中学生から『友達が不良にボコボコにされているんで助けて下さい!』と助けを求められ駆けつけたコンビニ裏手の路地で、弟のクラスメイトだと言う小山田くんのを救い出して自宅まで送り。
200mほど歩いたスーパーの駐輪場で、70代の老婆が自転車を100台ほどドミノ倒しにして途方にくれていたので代わりに並べてあげて。
それから玄関まで20mと迫る中、小さな女の子の涙声で『子猫を見ませんでしたか? 子猫を探しています』と聞こえて一緒にさがしてあげた。
そんなこんなで…うわぁ~…。
スマホのデジタルな時計は19:00…道理で暗い筈だよね…うん空にお月さま出てるもんね!
うう…切斗に怒られる…今日の夕飯は私の大好きなチキンカレーだってのに…。
「急がなくちゃ!」
私は走ろうと地面を蹴ろうとし…え?
子猫を探した帰り道。
さっき、切斗のクラスメイトの小山田くんを助けたコンビニ裏手の路地…そこに何か…そう…例えるならバスケットボールくらいの白く光る何かがふよふよと入っていく。
ん?
なんだろう?
私は、車が来ないことを確認してガードレールを飛び越えてコンビニの方へ走ってそっと裏手の路地を覗き込んだ。
路地裏に入り込んだ白く光る球体は、徐々に高度下げて『パン!』っと弾けて___。
『ぁっ!』
ソレを見た私は、思わず声をあげそうになって口を手で押さえ込む!
弾けた球体の中から現れたのは白い翼。
白銀の長い髪に透き通るような白い肌のたぶん大きさは20㎝くらいの人の形をした何か…!
けれどそれは弱っていて、横たわったまま動かない。
「だっ、大丈夫!?」
私は、思わず駆け寄ってそっとソレを…その子を抱き上げる。
軽い…女の子だ、この羽って本物だよ…!
「綺麗…」
私は、その美しさにそっとその子の羽に触れた。
『ん…』
気が付いたのかその子が目を開ける…真っ赤なまるでルビーみたいな綺麗な目。
『ああ…勇者様…』
空間に溶けるような声。
小さな唇が動いてルビーの瞳から涙がこぼれる。
「え? どうしたの? どこか痛い?」
おろおろする私にそのか細い腕を伸ばして、言う。
『…やっと…やっと見つけた…これで…』
「え? あの、ちょっと…!」
私の手の中で体を起こしたその子は、自分は『時と時空を司る女神クロノスの精霊クリス』だと名乗り涙をこぼして懇願する。
『勇者様…どうか、魔王に滅ぼされるわたしの世界をお救い下さい…!』
吸い込まれるような瞳。
懐かしいような、怖いような…胸が締め付けられる。
勇者が何なのかよく分からなかったけど、あちらの世界で過ごす時間は女神様の力でこの世界で言うところの数時間程度だと言うクリスの言葉に私はソレを引き受ける事にした。
そのくらいならきっと切斗も怒らないよね?
でも念のため私はメールを送った。
TO:キリト
Sub:おそくなる
内容:ちょっと魔王を倒しに行って来る
こんな感じでいいかな?
『準備はよろしいですか?』
私が頷くと、クリスは何やら呪文を唱えてそれに合わせてアスファルト地面に白い幾何学模様の模様が広がる。
こーゆーの魔法陣っていうのかな?
そんな事を考えていると、その円形の模様からこれまでに無い強烈な光!
「うわっ! わっわわわ!?」
光は私たちを包み、その場から消え失せ路地裏にはいつもと変わらぬ静寂が訪れた。