フェアリア・ノース⑤
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ぐすっ……ぐすっ……。
真っ暗で、冷たくて、何もない場所。
そこで一人で泣いている。
私の可愛い弟。
私は手を伸ばすけど、どうしてかそれは届かない。
そうこうしている間に、嗚咽は激しくなって泣き腫らした瞳から更に涙がこぼれる。
切斗がこんな風に泣くなんて、幼稚園以来だ一体どうしたんだろう?
「切斗? どうして泣いているの??」
私はたまらず駆けだして弟を抱きしめる。
……やっと届いた腕の中、まだ未成熟な華奢な体は震えている。
「_____の?」
「え?」
ぐずぐず鼻を鳴らす声は耳元で問う。
「姉さんは、僕が_____なら…僕を殺すの?」
コロス?
どうして?
ザック!
「ぁ____」
弟の胸に突き刺さる私の剣、伝わる重み。
「姉さん……大好きっ……コプッツ」
涙と血にまみれた弟は、震える手で私の頬を撫でて瞳を閉じる。
「……いや……切斗……いやああああああああああああああああああ!!」
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さぁ! 戦いなさい、私の世界の為に!
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「かはっ!?」
見開いた眼前にあったルビーの瞳からパタパタと滴。
「ねぇねぇ!」
「キリカ!!」
私を抱きしめていた背後の月。
血の匂い。
血。
血。
「ちっ! キリト! 切斗! 切斗どこ!!!」
「落ち付けキリカ! お前の弟はここにはいない!!」
早く切斗を探さなきゃいけないのに、ギャロは私を全力で背後から抱すくめて押さえつける!
「放して! あの子、怪我してるの! 早く治さなきゃ! 血が、血があんなにっ」
「キリカ! 俺を見ろ!」
背後から抱きしめていたギャロが、私の顎を掴んで上を向かせて視線を合わせようと覗き込む。
「息をしろ、俺の目を見ろ……!」
ギャロの目。
ギャロの呼吸に合わせて、ゆっくり息をする。
「俺が分かるか? 俺の名前は?」
「ぎゃろ……ぎゃろうぇい……?」
そう答えると、ようやく顎を放してくれたギャロはそのまま抱きしめてまるで赤ちゃんにするみたいに背中をとんとんしてくれたけどその体からは血の匂い。
「ねぇねぇは、あの黒い翼の人に『呪い』をかけられていたみたいなんだな。 でも、今は解けてるんだな!」
だから安心してっと、Rが言う。
呪い?
じゃ、さっきのは幻覚か悪夢だと言うの?
でも!
手の中に残る肉を切り裂いた感触が、頬に触れた切斗の手の感触が生々しい。
殺してしまった。
たとえそれが現実ではないとしてもこの手で私は、弟を……!
それは、あってはならない事。
たとえそれが、敵に見せられた悪夢であったとしても!
「はやく」
「キリカ?」
「……見つけなきゃ…一人で泣いているの…!」
「……」
私は、ギャロの腕から逃れ立ち上がる。
「も、だいじょうぶなんだな?」
見上げるルビーの瞳。
それがこれ以上不安にならない様に、私はふわふわの綿毛の髪を撫でほほ笑む。
「大丈夫だよ」
「キリカ、もう少し休んでおけ」
ギャロは言うけど、私は首を振る。
「私……休んでいる暇なんてないの」
忘れていた。
思い出せなかった。
何故ここにいるのか……心の中に引っかかっていた物が取れた感じ。
どうしてとか、なんでとか、まだそこまでは思い出せないし漠然としているけれど…感じた。
感じることが出来た。
切斗。
私の弟。
ここにる。
まってて……必ず姉さんが見つけてあげる!
帰ろう……二人で、家に帰るんだ!
「わかった……お前がそう望むなら……」
ギャロはため息をついて、立ち上がる。
「無理させてごめんね」
「……気にするな、俺はお前の『妻』だ『夫』を支えるのは当たり前だ」
「夫ね……うん……それにはまだ慣れないなぁ……」
そうだね。
切斗を見つけたら、ちゃんとギャロの事も奥さんだって紹介しなきゃだよね……驚くねきっと。
私はギャロの肩に触れて、血の流れる傷口を『巻き戻す』。
「キリカ。 弟を探すにしてもまずは精霊獣だ、場所は『思い出せた』か?」
「ぁ、うん、感じるよ……あっちのほう」
私の指さした方角を見すえたギャロは、ぴこぴこと耳を動かし視線を戻すとそっと私の手を引く。
「おいたん! ねぇねぇ! おでも! おでも~!」
仲間にいれてと間に割って入ってふざけながら私とギャロの手に手つなぎブランコをするRをつれて、森の中を歩く。
さっきまでの緊迫した状況から事なきを得たとはいえ、これから精霊獣の玉座まで行こうと言うのになんだかピクニックでもしてるみたい。
「久しぶりだな……こうしていると、前にここに来た時の事を思い出す」
「前……」
「覚えてはいないだろうが、俺達は前にもここに来たことがある……その時はダッチェスやアンバー、リフレやクリスも一緒だった」
覚えてない。
身に覚えがまるでない。
懐かし気に『前』の事を語るギャロの口からこぼれる、かつての仲間の名を聞いても今の私にとっては単語ぐらいにしか感じない。
「……ごめんなさい……なにも思い出せなくて…」
「ぁ、いや……すまん!」
「ふんす!」
俯いた私に、わたわたとするギャロの足を白い鱗の尾がぺちんと叩く。
「おいたんの無神経さんなんだな!」
思わぬ叱咤に、ギャロは言葉を無くしてバツが悪そうに頭を掻く。
「だいじょぶなんだな!」
小さな手がぎゅっと私の手を握って、くりんとした赤い瞳で見上げていう。
「ねぇねぇが思い出せないのは、じぃじが邪魔するからなんだな! 精霊獣さえ解放できればきっと思い出すんだな!」
そう……ウンディーネも言ってた私の記憶は賢者……ん?
「R。 今なんて?」
私の問いに、Rはカクンと首をかしげる。
「いま、『じぃじ』って言った?」
「ん、じぃじはじぃじなんだな?」
それって……?
「賢者オヤマダは我ら一族の先祖だ、子孫であるコイツが賢者を祖父だと呼ぶのになにか問題でもあるか?」
間髪いれないギャロの言葉。
……うん、そうなんだけど普通そんな遥か昔の先祖に『じぃじ』なんていうのかな?
「あ! 見て! ねぇねぇ! あすこなんだな??」
急に手を放したRが駆け出す。
「おい! 待て! 森で急に走るな!」
すかさずギャロは、木々の隙間に駆け込む小さな背中を追って飛び込んでいく。
「ぁ まって! 二人とも______」
ごぽっ。
____?
「う"っ!」
こみ上げる吐き気に私は思わず口を押える!
まだっ、まだだよ……待って……!
ごきゅん。
「げほっつ! けほっつ! はあっ……はぁっ……!」
苦い胃液ごとせり上がったそれを飲み込む……苦しい……早く出してあげなきゃ……でもここじゃダメ。
ちゃんとしなきゃ壊れちゃう。
私は、こぽこぽこ暴れる下腹を抑えてRとギャロの後を追って草に分け入った。
「……あ……」
そこに見えたのはまるで古代ローマの闘技場のようなすり鉢状の建造物…ただしそれは木々の根に侵食されひび割れ岩肌は緑の苔に覆われている。
そして、その中心には玉座______。
「あ! ねぇねぇ~早く! 早く~~~!!」
そのすり鉢状の中心で、玉座の周りをぴょんぴょん跳ねて私を呼ぶRに大人しくするようにいいながらギャロが頭を抱えてため息をつく。
ふふ…。
Rに手を焼くギャロって、見ててなんだか可愛い。
「キリカー! 急げ、いつ追手がくるかわからん!」
ギャロが大声で私を呼ぶ。
「今行く!」
私は、ひび割れた岩肌を苔に滑らない様に下った。
「ふぅ……」
「ほら、手を……」
木の根に型崩れを起こした岩から飛び降りようとしたした私にギャロが手を差し伸べる。
「顔色が悪い……辛いのか?」
手をとった私を、引き寄せて心配そうに眉を寄せるギャロ…婚姻呪の所為なのかな…体調とかが筒抜けているようで恥ずかしい。
「大丈夫、この子が出たがってるだけだだから」
「そうか……早く儀式を」
ギャロは、中央の玉座へと私の手を引く。
玉座。
その鎮座する中央は、多分元は円形に石の敷き詰められた舞台のような感じの場所だったと思う。
けれど今は、木の根に侵食されてぼこぼこで無数の罅が走って原型をとどめてはない。
ただ辛うじて玉座はその中央にある。
「ねぇねぇ、頑張って!」
ギャロの手を離れ、ふらふらと歩く私に玉座の側にいたRが手招きする。
もう少し……コプッ。
ウンディーネの時と同じ凄まじい吐き気。
せり上がって、喉を通る圧迫感!
もがいても許してくれない……!
「げほっつ! がはっつ! はぁ、はぁ」
ビチャビチャと胃液を吐きながらへたり込んだ私が見たのは、宙に浮かぶピンポン球ほどの大きさの深い白色の球体。
その球体は、ふよふよと漂い白岩の玉座の上で止まるよパキィンと音を立てて弾け飛びその瞬間に目の前が真っ白になって一瞬視界が奪われてしまう!
「みぎゃっつ!?」
まるでフラッシュでもたいたような目もくらむような光に、Rが悲鳴を上げて私の胸に飛び込んで尾を丸めて振るえる。
「R……大丈夫……この子は怖くないから」
「みぎゅっ~だって! だって、でっかすぎるんだなっ!」
しらむ目が色を取り戻して、私はその子を見上げた。
白亜の龍。
こうして会うのは久しぶり。
煌めく白銀の鱗が深緑に生い茂る木々の光を反射して、大きく翼を広げる。
光の精霊獣。
『おかえり』
龍はその頭を垂れて、口づけをねだる。
私はその口づけに応え、もう一度我が羽の庇護を与えて解放した。
「うわぁ~キレイなんだなぁ」
いつの間にか顔を上げていたRが、声をあげ辺りを見回す。
すり鉢状の底から見上げる木々の生い茂る空に、色とりどりの光る球体が舞う。
その大きさは、ソフトボール位のものから大きい物でバスケットボールくらいのものまで様々だ。
「これは精霊達だ、この国の守護神が戻った事に歓喜している」
私の背後で警戒を怠らないギャロが、おっかなびっくりなRを優しく諭す。
「どうだ? 完了か?」
「うん」
こぽこぽとあったかな下腹と、鈍く痛む左胸。
そして…私の目にまるで走馬燈のように浮かぶ『記憶』。
そこには_______
「すまないが、記憶に浸るのは後にしろ」
地面に膝をついていた私の肩を、軽く叩くギャロ……うんそうだねコレは雲行きが怪しい。
「ねぇねぇ……おいたん……精霊さんたちね……なんだがぶわってしてるんだな?」
ここまでくると、流石にこんな小さな子にでもわかるものだね。
私は、まるで光の柱のように渦巻き始めた何千何万とも思えるそれを見上げる。
ああ感じる。
コレは怒りだ。




