どうでもいい②
どどどど…。
白亜のマーライオンっぽい石造の口から温かな湯が零れ大浴場を満たす。
っといっても、顔こそライオンっぽいけど魚の尾が3尾もあるし鬣が爆発してるけど…。
ざぼーん!
「わっ!」
石像を見上げていたら、すぐ傍に卵が飛び込んできて水しぶきがあがる。
「こら~! 湯船に飛び込んじゃいけません!」
「ぷはっ! ごめんなんだな!」
お湯から顔を出した卵は満面の笑みで元気よく答えるとそのまま『きゃほーい!』と叫びながらあっという間に15mプールくらいはありそうな湯船の端まで泳いでいく。
……反省の色は微塵もないわね……。
「ふふ」
ばっしゃん、ばっしゃん泳ぎ回る小さな子。
私の弟の切斗も、あのくらいの時初めて銭湯にいったけ…。
ま、切斗は人前では冷静沈着で大人びた態度をとるからあんなにはしゃいだりしなかったけどその時一緒になった同じくらいの男の子がちょうどあんな風に騒いでて切斗ったら『ふん、低俗な』とか言ってたけど本当は泳ぎたくてうずうずしていたのを姉さんは見逃してなかったわよ?
ざぱっ!
「ねぇねぇ~!」
私の真下から飛び出した卵がひしっと私にしがみつく。
「なぁに? 楽しそうね?」
「ん! おで、ずっと卵の中にいたからずっとどろどろぷかぷかしてたけどちゃんと触るの初めてなんだな!」
ぎゅーっとしがみつく。
「ねぇねぇもあったかでやわらかいんだな……おで、手があって良かったんだな! 鼻も口も目も声も……ありがとっ」
「え?」
「おで、こわかった、壊れる音がこわくてあのままずっと卵のままでいようと思ってた……でも、目が見えて声が聞こえて触れることがとっても嬉しいんだな!」
ルビーの瞳がじっと見上げて、すっと涙を流す。
「おでに、体をありあとぉ」
ぎゅーっと、しがみつく耳元でものすごく本当に微かな声で『ごめんなさ』っと聞こえた気が_____ざぱん!
「随分楽しそうじゃないか?」
すぐ横で上がったしぶきと、その声に私は目を疑う…だって!
「あ、おいたん!」
ばちゃばちゃと卵は泳いで、そのお湯越しにでもわかる逞しい膝に乗る……って、ちょっと待てぇえええい!!
「は? ちょっと! ここ女湯でしょ???」
思わず身を縮めて湯の中で後ずさる私に、その美し筋肉美と湯で濡れた艶髪をかき上げたギャロが眉をひそめてぴぴっっと耳の滴をはじいて首をかしげる。
「オンナユ? なんだそれは?」
何それ?
ふざけてんのか??
「女湯は女湯だよ! 女の人しか入っちゃいけない浴場……って」
「女だけが入れる湯? 妙なことを……ああ、東方の大陸でそれらしいことを聞いたことがあったか……」
ギャロは『面倒な……』と呟いて、ため息をつく。
「え? この世界のお風呂って男も女も関係ないの?」
「世界というか一部地域以外で、風呂に入るのに雌雄で分けたりはしない。 そんな事をいっていたら、雌雄のない種族や季節によって雌雄が変化する種、己の意思で性別を変更した者がこまるじゃないか?」
た、確かに!
この世界には沢山の種族がいるみたいだし、共用施設を性別で分けるって難しいのか……!
う~ん。
郷に入れば郷に従えって言うけど……でも、私……抵抗あるかも……恥ずかしいし…。
「う? おで、ねぇねぇとお風呂ダメなんだな?」
ギャロの膝に座る卵が、悲しそうに言う。
「だ、大丈夫よ! ほら! 私達は女の子同士なんだし!」
その言葉にギャロの耳がぴくっと動く。
「違うぞ?」
「へ?」
「コイツは、まだどっちでもない」
「んん?? つるんとしてて可愛いのに?!」
「ああ、コイツはザードマンの義兄上の血が強く出ているし……子供だからな、生えるとしたらもう少し大きくなるか己の意思でどちらを望むかにかかっているだろう」
あ、そう言えば卵のパパさんがそんな事言ってたような気がする。
でも、今はそんな事より!
「ぎ、ギャロ、あのちょっと」
「どうしたキリカ? 背中を流すか?」
裸を見まいと、見られまいと、縮こまて視線を逸らす私の気持ちなんてつゆ知らず、膝から卵をひょいとおろしたギャロが心配そうにこっちに手を伸ばす。
「いえ、あの、わたし、男の人とお風呂って、ちょっとアレっていうか…!」
「安心しろ、俺はお前の妻だ気にすることはない」
どや顔でギャロは言って濡れた私の髪をすくうって!
そうじゃなくてっ!!!!
ぱちゃん。
私の髪をすくった指先が、白い鱗の尾に叩かれる。
「おいたん、ねぇねぇ嫌がってるんだな! 空気読むんだな!」
むーっと、頬を膨らませた卵が縮こまる私にぎゅーっと抱き付く。
「なっ! キリカが俺を嫌がる……だとっ……?」
ギャロは目を見開き、その表情はまるでこの世の終わりでも向かえたような絶望を浮かべる!
「こんな世界滅べばいい……いや、死のう」
「ひっ!? ぎゃ、ギャロ?」
まるで魂の抜け殻のようになったギャロは、ぶくぶくと湯に沈む。
「わっ! ぎゃろぉお!!」
「ほっとくんだな、このくらいじゃおいたんは死なないんだな」
卵は、キッとギャロが沈んだ辺りを睨んで『ふんす!』と鼻を鳴らす。
…自分の伯父に、なかなか厳しめの対応だね!
「ふんす! ん! こんなおいたんほっとくんだな!」
ざぱっと、立ち上がった卵は縮こまった私をじっと見る。
あれ?
この子の目、こんなに赤が濃ゆかったけ?
「ねぇねぇ、おで、話があるんだ」
その赤い目は小さな子供らしからぬ、妖艶な色を浮かべる。
「話?」
何故だろう?
卵のあどけない筈の顔に浮かんだ微笑を見てると、ぞくぞくと背中が冷たくなる。
いや……それ以前に、『私』はこの笑顔を知っている。
……『前』に向けられた事がある?
確か……その時、感じたのは『恐怖』。
じゃぶん!
縮こまったままの私の膝と胸の間の隙間から、卵がその細い腕をじゅぼんっと突っ込んできた!?
「わ! きゃぁあ??」
私の悲鳴何て無視して、差し込まれた腕は胸を通り越してぶにっっと腹の肉を掴む!
「ん! 良い肉付きなんだな!」
ぶにぶにと小さな手がお肉を掴んで、言う!!
肉付き?!
肉付きだとぉおお!?
ご、ご飯なんて食べてないのに?!
食べても栄養にならないってギャロが言ってたのにぃいい??
「むちむちなんだな! おいたん頑張ってるんだな~」
にこにこしたまま卵はなおもお腹の肉をぶにぶにしてくる!
ギャロ!?
そうか、ギャロが食糧なんだから、ギャロが食べた分をそのまま吸い上げてるから!!
もう! 贅肉ぶんまで頑張らなくっていいのに!!
「おいたんは、ねぇねぇが本当に大好きなんだな~」
ああ、愛が重い……。
ぶにぶに。
ぶにぶに。
「ねぇ、もういいでしょう……?」
太ったという事実を突きつけられながらも、私は気を取りなおしてこの小さなセクハラ卵を咎めてみる。
確かに子供の間は許されるかもしれないけれど、もしかしたらこの子は男になるかもしれないしもし女の子に成長したとしてもお風呂で人のお腹の贅肉をもみしだくのは良くない!
今のうちに注意しなきゃ!
私はわざとキッと卵を睨んで口をへの字にして見せる。
……切斗がこのくらいの頃には、この顔をするとすぐに『ごめんなさい』ってしゅんとした顔したっけ。
けど、卵はそんな私の顔なんて見ないでなにか考え込むみたいにぶにぶにをやめてくれない。
「ちょっともういい加減____かはっ!?」
それは突然だった。
今まで肉を弄んでいた小さな手が、その壁を突破し腹の中に沈んだ。
少なくとも私はそう感じ_____!
ぐちゃ。
ゴポっ!
「あぐっ!? うぇ??」
肉に沈んだその手は、まるでハンバーグでもこねるみたいに胎内をまさぐる!?
ちょっとまって!
これ、気のせいじゃない!
「うぷっ!? うぇ??」
ぐちゃ、ごぽっつ。
びゅちゅっ!
「ぅあっ……やめてっつ……!」
苦しいし気持ち悪いけど、無理やりひっぺがしたら内臓を持っていかれそうで怖い!
「……解放されたのは水の精霊獣ウンディーネ……ほかの精霊獣はまだ、火・雷は覚醒しているが精霊石の生成には至らない……やっぱり属性ごとの聖域に行かなと……」
無機質な声。
ぬぶん!
小さな口が高速で動いたかと思うと、まさぐっていた手が引き抜かれる……不思議と血は出ていない……?
「うえっ! けほっつ! けほっつ!!」
私は手が引き抜かれた直後、痛烈な吐き気に襲われ思わず浴槽の縁に身を乗り出した!
「はぁ、 はぁ! なっ……なんでっつ!?」
あまりの吐き気に私は縁に乗り上げたまま声を荒げてしまう!
「ごめんなんだな……こうしないと、おでにはわからない事なんだな…コレからの事考えるのに必要だったんだな……だかから……」
クスッ。
それは、齢に不相応な妖艶な笑み。
「そんなに怒らないでほしんだな、おいたん」
振り向くと、その小さな背中の真後ろから卵のしっとり濡れた白髪の頭を手の平に収めいまにもその頭骨を握り潰さんとするギャロの姿。
「ぎゃ、ギャロっ___うぷっ!」
制止しようと体を起こしたけど、やっぱり吐き気がこみ上げてきて私は思わず動きが止まる!
「お前……」
「ねぇねぇのお腹こねてごめんなさい!」
妖艶ともとれるその表情でギャロを見上げた表情が、突如ふにゃっと歪んでルビーの瞳から涙がぼろぼろと零れた。
「うぇっ……ひっく……ごめんなさいなんだなぁ……」
しゃくりあげるその様子は、先程の物と違って年相応の子供だ。
「けほっ、びっくりしたよ? どうしてこんな事したの?」
私は湯で口をすすいでからがっちり掴まれいている頭をギャロに放すように言って、卵を引き寄せた。
「調べたんだな……」
「調べた?」
「ん、ねぇねぇのお腹の子達」
「ふぁ?!」
私は思わずお腹を押さえる!
「え? え? 私、まだギャロとなんて!!」
「違うんだな!」
むーっと、頬を膨らませる卵。
あははは……ふざけ過ぎちゃったテヘペロ★
私は、気を取り直してそっとその小さな肩に手を置く。
「……精霊獣たち、それを調べたって事なんだね?」
「ん」
しゅんとした表情で私と視線を合わせるその瞳は、さっきの濃い赤ではなく光が差すような透明度のある物へと戻っている。
「あんな事しなくても、聞いてくれれば良かったのに」
ギロッ。
え?
「……ううん……今のねぇねぇは、忘れちゃったことが多くてみんなの事よくわかってないんだな」
卵はいつも通りの陽だまりのような笑顔を浮かべる。
けど、今のは……?
「で? あんな事をしてお前に何が分かったと?」
不機嫌な様子のギャロは、こっちに背を向けたまま卵に問う。
「ねぇねぇのお腹こねてわかったのは、ウンディーネ以外まだ寝てるって事なんだな」
そう。
ウンディーネ……彼女は、私がこの世界に『落ちてきた』ときに最初に起きた子。
私は、あの魚人達のいた水脈の玉座で彼女を解放した。
そして彼女を奪った事で穢れた水脈をあるべき姿に巻き戻して……それから……。




