どうでもいい①
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やっぱりその瞳は私を見ていない。
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「それだけ?」
私の問いにギャロは驚いたような顔をした。
「そのあと『勇者キリカ』は魔王と戦ったんだよね?」
「あ、ああ…」
「どうして『勇者キリカ』は魔王に負けたの? 彼女は強かったんでしょう?」
ギャロは少し眉間に皺をよせ、自分の紅茶を一口飲んだ。
「…自分の事なのにずいぶん他人行儀なんだな…?」
自分の事…?
私にはギャロの語った『勇者キリカ』が自分の事だなんてまるで実感が湧かない…勿論、少し蘇った記憶に該当する部分はあったけどそれは彼女のモノだ『私』のじゃない。
バキン!
気が付いたら私はティーテーブルを叩き壊して立ち上がってた。
「私は私だよ…けど、今この状況に置かれているは『私』なんだよ!」
ギャロは意味が分からないのか眉間の皺を深くする…そうだね、私も良く分かってないんだきっと…。
「私の名前は比嘉霧香、尚甲高校・体育科3年、家族は、お父さん、お母さん、4つ下の弟と私の四人家族で両親は共働きで家ではいつも弟の切斗と一緒で…そう言えばあの子どうしてるかな…私もう何日も家に帰ってないから…」
「キリカ…」
叩き壊したティーテーブルの残骸を避けながら、ギャロの大きな手が私の頬に触れて親指が涙をぬぐう。
「どうでもいい…彼女の都合なんて知らない…けれど、彼女が残した事はちゃんとする…私は勇者なんだから…」
コポッっと疼く腹を私は抱きしめる。
「…私、帰る…この子たちを解放して、魔王を倒して…早く帰ってあげなきゃ…きっとすごくおこってる…」
「それが、お前の望みか?」
そう問う月の瞳に私は頷く。
「わかった」
それだけ言うと、ギャロはいつものように唇をよせて私の腹を満たしてくれた。
「…俺は、なにがあってもお前の味方だ…たとえその望みがこの世界を滅ぼすことであったとしても」
青ざめた顔で冷や汗を浮かべたギャロはそう言って、震える腕で私を抱き寄せる。
やめて…!
今の私は貴方の愛している『勇者キリカ』とは違うんだよ?
叫びだしそうな声を飲み込んで奥歯で噛み締めると、じくじくと息苦しいくらいに胸が痛い。
コレは、彼女のものなのか私の物かは分からないけれど今はこの腕を振り払う気にはなれなかった。
ばたん!
「おいたん! ねぇねぇ! だいじょぶなんだな!? すごい音がしたんだな!!」
ふわり。
袖の短い白いローブの裾が揺れる。
綿毛のようにふわふわの先端が光に透けてしまいそうにきらきらとした真っ白な髪を揺らしながら、卵がドアを蹴破って飛び込んでそれに続いてフルフットさんが入ってい来くる。
「あらあら、そんなに走っては転びますよん♪ 賢者様ぁん~て、あらまぁ夫婦で中の良い事♪」
んふ♪
っと、フルフットさんが鼻を鳴らし『賢者様には刺激がつよいわ~』って…あ"っ今、私、ギャロに抱きしめられてっつ!!
「上気する肌、潤む瞳に荒れた部屋で抱きしめ合うなんて事後かしら?」
「う? ジゴってなんなんだな?」
くりんとしたルビーの瞳が、かくんと首をかしげる。
事後っ! 事後って!???
「ギャロ! 放して! って、ギャロ??」
がくんと、ギャロの頭が揺れる!
き、気絶してる…?
そうか…私ったらさっき思いっきり『喰った』から…!
「あらぁ~失神してるじゃない~奥さんをこんなにして勇者ちゃんたらは☆げ☆し」
「ふぁ?! ち、ちがっつ!」
「ねぇねぇ、これがジゴなんだな?」
「ちがぁう! 事後ちがうの! これは、食べちゃったからで…」
「んまぁ! 奥さんを美味しく頂くなんて、やらしい~お子様は見ちゃダメよ賢者様☆」
フルフットさんは、わざとらしく卵の目を覆う…ってやめてよぉおお!
起きて!
ギャロ、起きてよぉおお!!
どんなに揺すっても、ギャロは寝こけて起きてはくれないし…このままじゃフルフットさんは兎も角、こんな小さな子にまで誤解を!!
「おいたんとねぇねぇが仲良しなのは良い事なんだな!」
フルフットさんの指の隙間から覗く曇り無き幼い眼が、ぱぁああっと笑う。
やめてぇえ!
純粋な笑顔が痛いぃ!
「そうよぉ~ラブラブなのは良い事だわん、その中途半端な婚姻契約のままじゃギャロちゃんに負担が大きすぎるものね~」
「え?」
なんの事だろうと首をかしげる私に、フルフットさんも首をかしげる。
「あらやだ、折角二人っきりにしてあげたのにそこら辺は聞いてなかったのね?」
そう言えば、さっきもフルフットさんがそんなような事を言っていたっけ…?
きょとんとした私の様子に、フルフットさんは呆れたようにため息をつく。
「婚姻契約ってのはね、精霊契約に継ぐ効力の強さを持ったものなのよ…ようは結婚なんだから愛し愛されなきゃ…まぁ『愛』とまではいかなくても互いに必要としなければその思いは一方的ね」
「一方的…」
「契約をもって力を共有し、互いの魂に触れる…気持ちが伴わない契約は不毛。 どちらか一方が負荷をもろに受ける事になる…この場合はギャロちゃんね」
「どうして…?」
「それはあーた…少なくとも今の勇者ちゃんにとってギャロちゃんって食糧以上でも以下でもないじゃない? それは愛ととも言わないし確かに生きるためには必要だけど婚姻契約に考えてもギャロちゃんの思いとつり合い取るには不足だわ…」
「それがギャロの負担と…ぁ…」
私はぐったりしたギャロを見た…うん…もしかしなくても『喰った』後こんなに具合が悪くなるのは…!
「ギャロ…」
青ざめた顔でぐったりしているギャロを抱えたまま私はへなへなと座り込む。
「ねぇねぇは、おいたんが嫌いなんだな?」
フルフットさんの手から抜け出した卵が、膝元にぴょいっと飛んできてローブの裾から白い鱗の尾をふりっとしながら不安気に俯いた私の顔を覗き込む。
嫌い…?
ううん…私は…。
「おで、ねぇねぇの奥さんにおいたんが一番お似合いだとおもうんだな!」
そう言うと、卵はギャロを抱えてへたりこんだ私の背後に回り込んで…かぷっ!
「うひゃあ!?」
私の右側の首筋!
そこに、小さいけれど鋭い牙がブッっと食い込む!
「うじゅるるるるるるるるるぅううううううぅうううう~~~」
「やっ! 熱っ! やめっ…んぅ…!」
突き立てられた牙の所と小さな口の中の熱が、首筋をじくじくと妬くと力がぬけて私は抱えているギャロの頭を落っことしそうになる!
「あら~勇者ちゃんせくすぃ~ね~小さなお口に感じてるのん?」
フルフットさんが楽しそうににょにょにょっと笑う!
「ち、ちがっつ…放してっ、吸わないでっつ…!」
跳ねのけようにもこんな小さな子供だし、ギャロを抱えてるから手がふさがってるし力がぬけて動けない!
「ちゅぼっつ!」
「んっつ…! なっ、何してっつ!」
「これでちょっとは良くなるとおもうんだなぁ…」
首筋を抑える私を、ぺろりと小さな唇をなめずりながらルビーの瞳がにっこり笑う。
「良く…?」
「ん! ねぇねぇの婚姻呪の紋章ね、おでがちょっとだけ直したんだな…でも、おでじゃちょっとしかできなかったけど…これでねぇねぇがおいたんを食べてもこんなふうになりにくくなるはずなんだな!」
卵は、少し長めのとがった耳をぴるぴるしながらドヤ顔をして見せる。
「んまぁ! 流石は賢者様! …でも少し甘やかし過ぎじゃなくって?」
その言葉に、ルビーの瞳がじっとフルフットさんを見上げるとその深緑の瞳はちらりとだけ視線をかわして頭を垂れた。
「………はい、お心のままに」
何…?
私の知らぬ間に、この卵から孵ったばかりの小さな子とエルフの大司教との間に一体何があったのだろう?
「さ、勇者ちゃん、そんなに泣きじゃくって悶えて汗ばんだでしょう? お食事も済んだみたいだし、お風呂でもどうかしら?」
すっと、顔を上げたフルフットさんはにっこりとほほ笑む。
「お風呂…」
「ねぇねぇ! おでも一緒にお風呂入りたいんだな!」
卵も愛らしい笑顔でぎゅっと抱き付いてくる。
「いいわね~此処は籠を受けた聖域だからその湯には邪気を払い体力増強から美容・解呪に至るまで万能よ~奥さんもそのままだと風邪ひくし…お部屋の用意も出来てるからそこに運んであげなさいな♪」
「こっちなんだな!」
へたり込む私の腕を卵がぐいぐいと引く…そうね…ギャロもこのままにはしておけないもんね…。
「うん…いこうか?」
「ん!」
私は、まるで大きな人形のようにぐったりするギャロを布団を担ぐように肩にかけて立ち上がる。
「うぁ~ねぇねぇって力持ちさんなんだな!」
「ああうん、部活で鍛えてるからこのくらいなら軽いよ」
まるで、ヒーローでも見るみたいにきらきらするルビーの瞳の向こうでフルフットさんがため息をつく。
「まぁ…ムードないわねぇ~そこはお姫様抱っこでしょう?」
う"。
だって、ギャロって多分180cmくらいあるし、すごく筋肉で肉厚なんだもん…152cmしかない私の背と手の長さじゃ抱っこなんて出来ないよ!
「…いこっ…」
「ん!」
卵に手を引かれながら私はフルフットさんの横を通り過ぎる。
得体がしれない。
それが、フルフットさんに抱いた印象。
エルフ領リーフベルの大司教フルフット・フィン・リーフベル。
『勇者キリカ』に同行した僧侶リフレの父親で、こうなる前の私を知っている人。
それ以上に、この人はきっといろんな事を『知っている』。
きゅ。
私の右手を握る小さな手に力が入る。
「ねぇねぇ! 早く~!」
「ああ…うん」
通り過ぎる私の視界の端で、深緑の瞳が弧を描いて真っ赤なルージュの唇がニッとつり上がって微かに動く。
『おかえりなさい……様』
え?
振り返った眼前でバタンと扉が閉じた。




