そして、少女は目を覚ました②
『チャフ…チャプ…チャプン』
倒れていた子供の魚人は、濁った眼で私を見上げて弱弱しく鳴き声をあげながら私に向かって手を伸ばす。
「ぁ しっかり! しっかりして!」
私は、震える手を思わず握る。
冷たい…!
さっきの魚人たちからも冷たい感触がしたけど、この子の手はまるで氷みたい…!
ここ、牢獄っぽいよね? どうしてこんな所に子供が?
見たところ病気じゃないの…!
「ちょっと待ってて、さっきの人たち呼んでくるか_____」
手を放して離れようとした私の指に、冷たい水かきの小さな手がぎゅっとする。
キン!
「っつ!?」
『ボク デラレナイ ビョウキ ウツル』
鼓膜の奥に痛みが走って、音が震えるのが分かった。
「ぇ?」
『ウンディーネ ウゴカナクナッタ ソレハトテモ、カナシイコト_____』
子供の魚人の目は、私の事なんて映ってなくてまるでうわ言みたいに言葉を続ける。
『ウンディーネ ウゴカナクナル トキ ヤクソクシタ ケド、ヤクソクハ マダ ウンディーネ ウゴカナッタ アレ キタ クロイ水』
事切れそうに弱弱しい言葉。
黒い水…それって、さっき流されてきたアレの事だろうか?
『クロイ水 ビョウキ ハコブ コドモ カカル、ナオラナイ ボクラ』
「僕ら?」
魚人の子供は、濁った視線を牢の奥へと泳がせる。
私は、その方向をみ______。
「ぇ ぁ…ナニ? そんなっ!」
薄暗いそこに見えたのは、全身をまっ黒な鱗に染めた子供達。
50人くらいのソレは、まるで無造作に打ち捨てられたように積みあがる!
「ひっ、ひどい…!」
『ヒドイ? ヒドイ…』
冷たい魚人の子供の手の平が、私の手を握り返そうと弱弱しく握ってオウム返しにエラを動かす。
「…が、頑張って! こんなのひどすぎる! 助けを…助けを呼ばなきゃ!」
でも、どうしたらいいんだろう?
私はそっと魚人の子供を床に寝かせようとした。
『オネエチャン ドウシテ…?』
濁った目が私を映そうと探す。
『ドウシテ…ヤクソクシタノニ…タスケテクレル テ…』
その目は、まるで咎めるように私を見て『ウラギリモノ』っと呟いてそっと閉じる。
「ぁ え…ちょっとまって!」
私は、慌てて肩をゆすったけどうんともすんとも言わない!
そんな!
「駄目! 息! 息して! 確認…あああ! 鼻ってどこよ!? ちがっ、魚だからエラ??」
どうしよう…魚の人工呼吸はどこですればいいの??
あ!
そうだ!
脱力したその胸に耳を当てる。
トクン…トクン…。
よかった!
弱弱しいけど、心臓の音が聞こえる!
ほっとした…けど…。
この子も、他の魚人たちも私の事…裏切り者って。
何の事?
やっぱり誰かと間違えて_____ぐにゃり。
「あ"_______?」
頭の芯が軋んで、くらんと頭が回りだして、座ってすらいられなくなって、目の前に倒れる黒く染まった鱗の腕に縋り付く。
回る。
石畳の地面が、閉じたこの子の目が、軋んで、歪んで…気持ち悪い。
今にも吐きそうで、喉元までこみ上げて私は右手で口を押える!
「う"う"っ…!」
腹の奥から何かがせり上がって言う、『ココカラダシテ』。
まだだよ、ここじゃない。
もうすぐだから。
自分の意思とは違う誰かが優しく私の背中をさすって、すっと吐き気が引いた。
私は、ふらつきながら立ち上がって弱弱しく息をする魚人の子に背を向け牢の格子の前に立って手を前に突き出す。
「おいで」
軽く開いた手の平に馴染親しんだ感触が戻ってくる。
白銀の切っ先。
羽のように軽いのにその刃に切れないものはない。
私の『剣』。
「グランドリオン…何故かな? 私は貴女の名前を知っている」
軽く振ると、固い牢の格子がまるでゼリーのように細切れになった。
「もう少しまっててね…」
物音に辛うじて薄目を開けた魚人の子供にそういって、私は牢から足を踏み出す。
どこへ行けばいいのか、どこへ行こうとしていたのか解らなくても足が進む。
こっち。
こっちだよ。
途中、複数の大人の魚人が大挙として押し寄せたけど…陸の上だからかな…さっきよりもなんて鈍いんだろう?
そんな事では、私に触れる事は出来にないよ?
私は、殺さないように全ての攻撃を避けて先を急ぐ。
そう、その階段をおりて。
この前はそこにあのコがいたけど、今は____。
ヌルつく岩肌の階段を下り切って、私はそこに出る。
学校の体育館より少し広く、岩をくり貫いて作られたと思われる空間。
天井を見上げると遥か彼方にぽっかりと開いた穴から光が差すけど、そんなのここまで届くはずはない。
うす暗い。
その薄暗い洞窟の中にあって、この場所だけは虹色に輝いてその全体が見渡す事が出来た。
「酷い…」
虹色に輝く光は、この空間を照らす。
ごつごつとした岩肌は明らかに魚人達が創ったと思わる玉座のような盛り上がりに鎮座する『化け物』。
けれど、私はそれ以上に『壁』に視線を奪われた!
ソレは、この空間を照らす虹色の光を放つモノ。
『…チャップン…チャプン…』
無数の哀し気な鳴き声。
その壁一面に魚人たちが隙間なく何やら透明なゲルのようなものにまみれながら張り付く!
私はグランドリオンを構えて、目の前の化け物に向き直った!
「これをやったのはアナタ?」
その問いに、化け物はゆっくりと『顔』をもたげる!
頭と思われる部分はイカのように三角で、つるりとした全長10mはありそうなナメクジのような体が体液でてらてらと魚人達の虹色の光を反射する。
きっキモイ!
私、ナメクジ系はNGなのに!
こしゅうううううう…。
「え?」
もたげた頭の先っちょ…おそらく口を思われる部分からまるで空気を吸い込む音。
ポウッ!
私は反射的にナメクジの口から飛び出したソレを避ける!
『ジャピィィィイィイ!!!』
次々あがる魚人たちの悲鳴。
さっきまで私のいた場所にバシャっと跳ねた液体のようなものが岩肌を溶かし、壁に埋め込まれた魚人たちにもかかってその何人かがどろりと溶けてしまう!
「そんな!」
ナメクジは、更に空気を吸い込み始める!
「はあああ!」
私は間髪入れず地面を蹴り、真上から剣で脳天を切り付けた!
白銀の切っ先は、スッとそのヌルつく肉に通ったけど…おかしい!
真っ二つにする勢いの切っ先を引っ込めそのヌルつく体を足蹴にして、私は距離を取って剣を構え直す!
途中まで裂けたナメクジの体はデロリと左右別れて垂れさがったけど、倒れることなくグチャグチャと蠢いてもたげた。
「…これは…!」
裂いた頭が二つに分かれて私を見すえてまた息を吸い込む!
ダメ!
壁に魚人たちがいるのに!
ゴポッ。
腹の底から水音が湧き上がって、囁く…どうすれば良いのか教えてくれる。
「…水の神の僕たる精霊獣ウンディーネの名をもって奔れ! 水の神水の柱、氷の琥珀:ラストアンバープリズン!」
私が剣を地面に突き刺すと同時にソレは発動して、噴き出た水の柱ががナメクジを包囲し更には氷の塊が形成されて封じ込めた!
「はぁ…はぁ…これ…わ たし____が?」
力が一気に抜けて、倒れ込みそうな体を必死に突き刺した剣で支えるのがやっとで足が震えて目眩がする…けど、立たなきゃ…今、今、叩けば…倒せる!
私は、目の前にそびえる巨大な氷の塊みすえた。
ぁ。
透明な氷の表面に反射した姿。
腰まで届くほどに長い黒く濡れた髪。
服など着ているはずもなく、まるで病人のように白い肌をさらし驚いたようにその真っ黒な目を見開く。
「誰…?」
地面に突き刺した剣にすがるようにやっと立つその姿に私が首を傾げると、彼女も首を傾げた。
そう、それが君だよ。
頭の奥で誰かが微笑む。
私?
コレが?
私は近くでみようと、ふらつく体を奮い立たせて氷に近づく。
そう、コレは私。
十八年間見飽きるほどに見てきた私の顔。
おかしいな…どうして今まで忘れていたんだろう?
私はじっと此方を見返す氷の表面に写る自分に手を伸ばし______ビキン!
その瞬間、氷に罅が入り中からダバダバと出てくる!
全長3cmの無数の小さなナメクジ!
もうソレは滝のように!!
「きゃあああああ!!」
私は、手に張り付いた大量のナメクジを払って距離をとる!
というか壁側まで一気に逃げた!
だって! キモいんだもん!
吹き出す勢いに併せて、ひび割れが一気に縦に広がる!
まずい!
このままじゃ、氷の琥珀が破壊される!
どうする?
原型を残さないくらい細切れにすればいいの!??
激しい目眩がするけど、とにかく私は剣を構え地面を蹴る!
ナメクジ達も、抵抗とばかりに私に纏わりつこうと飛び掛かってきた!
シャコン!
私は、まず眼前に飛びついて来たナメクジを切り裂く。
防御力はほぼゼロ。
弱い。
なのにこの魔物は、此処の住人である魚人をこうも追い詰めたってこと?
違和感を覚えながらも、私は飛び掛かる無数のナメクジを切り裂く。
ビシャ!
ベショ!
苔まみれの岩肌に、ナメクジの体液が飛び散る。
『ピチャン! ピチャンテぴしゃばーまッツ!!』
突然、壁に埋め込まれた魚人の一人から悲鳴に近いような叫ぶ声が聞こえた!
「え? な_____」
モゾリ。
悲鳴の方に振り向こうとした私の視界に切り捨てたナメクジの破片が入る。
ソレは、真っ二つにされてなお蠢いて_____にゅ。
破片の切り口から頭、尾が生えて二つの個体に分かれた!
見渡せば、私が切り捨てたナメクジたちが同じように切り口から分かれて小さいけれどその数は倍にそして壁に塗りこめられた魚人たちに纏わりついてじゅるじゅるとその養分を吸い上げる!
「あ! うそっ!?」
分かり切っていた事だけど、この魔物はナメクジなんかじゃない!
千切れたところから分裂。
養分の摂取して肥大。
斬ってもも凍らせてもダメ!
水の精霊属性では倒せない…コイツは一体何なの?
「このままじゃ…!」
私はどうしていいか分からなくて、無駄だと分かっていても近くにいた魚人の体に這いまわる魔物を手で払い落す!
『…ピチャン…』
弱り切って濁った目が、魔物を払い落とす私を見て何かつぶやくけどやっぱ何を言っているのか分からない。