勇者キリカ②
「さて…」
最後の肉の切れ端を平らげた俺は、皿を重ねて席を立つ。
「お? もういいだか? 赤耳? 夜食はいるか?」
相変わらずアンバーを拘束しながらダチェスが聞いてたので俺は出来るだけ多めにと頼む。
恐らく今食べたぶんなぞ、キリカに吸い上げられてしまうだろうからな。
「おめぇも大変だなぁ~…夜食の事は任せるだ! どれ、追加の獲物を取りにいくべ!」
ダッチェスは膝にのせていたアンバーを解放するとぐっと立ち上がり木に立てかけていた大剣を掴む。
ダッチェス・カランカ。
千年前、勇者に同行した剣士:カランカの末裔。
巨人の亜種とあって、その体格は巨人のそれとは劣るが今や全ての巨人系の種族を束ねるまでになったカランカ一族の次期党首とあってその風格は目を見張るものがある。
が、とうの本人は争い事とは無縁の料理好きの優しい性格で党首の座にも興味などない。
というもの、ダッチェス曰くそもそもその資格があるのは自分の従姉にあたる人物で自分にはそんな資格などないと思っての事らしい。
「んじゃ、いってくるだよ!」
そんなダッチェスの大きな手にぽすぽすと頭を撫でられたアンバーの頬は心なしか赤い。
「………もうやだこんなパーティー…」
リフレは食後の紅茶をすすりながらげんなりとする。
リフレ・リーフベル。
皆と同じく、千年前に勇者同行した僧侶:リーフベルの末裔。
今回のメンバーの中では最年少の10歳。
数多の一族内の候補の中らからその高い魔力と『詩』の力が評価され今回同行が認められた天才だ。
『詩』と言うのはエルフ特有の魔法詠唱で、その力は他種族が同じ魔法を使うのとは段違いに威力が違う。
しかもリフレの『詩』は浄化や回復と言ったものに特化しているので俺達は何度ソレに助けられたかしれない。
そんなリフレは、今まさに年上の仲間達のリア充にうんざりだとご機嫌が斜めのようだ。
「なんだ? 最初のころの殺伐としたのに比べれば、別に仲がいいのは悪いことじゃないだろう?」
「あーもう! それとコレとは別問題なの! こんなの見てるだけで胸やけしちゃうし、それに…」
リフレは、紅茶のカップを置き俺を見上げる。
「ボクが心配なのは、ギャロだよ」
エルフ特有の緑の瞳が、不安げに俺を映す。
「ギャロ、貴方は耐えられるの?」
リフレの言わんとすることに、俺は言葉を詰まらせる。
「明日、闇の精霊獣を喰らえば勇者様は本来の勇者様に戻ってしまう…そうなれば『キリカ』は…異世界で培われた彼女の記憶も人格も…」
「黙れ…この世界を救う為にこれはもう決めた事だ」
「本当に?」
緑の瞳が俺に問う。
「裏切らない?」
小さな手が俺の手を掴む。
「…何をいって…」
「ギャロと勇者様の関係は特別だ、それは千年も前の賢者オヤマダの代までさかのぼるけど…今はそれだけじゃないでしょ?」
「…」
「その時が来ても、ギャロは女神様をこの世界を裏切らない?」
狂戦士の金の瞳から真意を読み取ろうと鋭くなるその眼光は、10歳の子供とは思えないほどに大人びている。
「放せ」
強引に振り切るとリフレの小さな体はガクンとバランスを崩したが、俺はそんな事には目もくれずその場を立ち去った。
雲一つない闇夜に黄色い月が浮かぶ。
その月の映る湖畔に波紋を広げながら舞う白銀の剣。
漆黒の髪。
白い肌。
月の光が映り込む双黒は煌めく。
美しい。
この世界に戻るまで向こうの世界では剣など握った事などないと聞いていたが、ダッチェスの見様見真似から始めて今やその実力をも大きく超える剣筋…。
そして、その腹の底に抑え込んだ7属性存在する精霊獣のうち既に6属性を平らげたその魔力はその気になればこの世界を消滅させるくらいできるであろう。
異常だ。
この世界でキリカより強い者を俺は知らない。
いや、強いていうなら恐らく魔王だけ。
魔王を倒せるのもキリカだけだろうが、キリカを倒すことも出るのも魔王だけだ。
「誰!」
キリカの凛とした声が、木の影から忍び見ていた俺を捉える。
「俺だ」
「ギャロ? もー! 声かけてよ! びっくりするじゃない!」
むーっと、頬を膨らませるキリカ…どうやら今は正気に戻っているらしい。
「こんな時間まで剣の練習か?」
「ん! 明日はいよいよ闇の精霊獣の神殿でしょう? なんだか落ち着かなくて」
キリカはそういうと、手にしていた聖剣グランドリオンを軽く振るう。
「怖くないのか?」
俺の問いに、キリカはきょとんとした顔をしたがそれはすぐにいつもの微笑みへと変わる。
「怖いよ……でも、これで私の勇者の力が完璧になって魔王を倒せたらこの子たちを解放してあげるんだ」
そっと、キリカは自分の腹を撫で小さな声で『もう少しだから』と呟く。
その姿は俺の胸にまるで錆びた杭のように突き刺さり、鈍い痛みとなって血を流す。
ああ、キリカ。
許してくれ。
明日、闇の精霊獣を喰らって勇者の力を取り戻してしまったらお前は『ヒガ・キリカ』としての自我を失うだろう。
しかし、それは本来の『勇者』に戻ると言う事。
そうする事でしか世界を救えないと言うなら、この世界に住まう全ての民の命が永らえられるなら、たとえお前を切り捨てる事になっても俺はそれをとめられない…。
「え、ぎゃ、ギャロ!?」
キリカが、ぎょっとした顔をして俺に駆け寄る。
「なんで!? どうして泣いてるの??」
嗚呼しまった。
また、やってしまった。
このところこんな事無かったのに!
「なん、でも、な、い! 見るな!」
「え? うそ! なんでもなくないでしょ??」
おろおろとしたキリカの手が俺の頬を包む…ヤメロ、やめてくれ……隠せなくなる!
「さ、触るなっ! なんでもな______」
「キレイ……」
は?
「ギャロの目、いつも綺麗って思ってたけど涙で潤んで月が映って…なんだかとっても」
『美味しそう』
ぐぎゅるるぅううっと、キリカの腹が鳴る。
「変……男の人が泣いてるのにすっごくお腹が減る」
キリカの俺を見つめる目が、トロンと霞む。
「キリカ……」
どんどん意識を保てる時間が少なくなっているキリカは、本能に任せに喰らい付いて貪る。
根こそぎ吸い上げられ意識が霞む中、俺はキリカに心の中で詫びる事しかできなかった。
闇の精霊獣。
それは7属性を司る精霊獣の中でも最強とうたわれ、その全てを闇に染める力は他の6属性の精霊獣の力をもって厳重に封印を施さなければならぬほどに強力なものである。
そのため、封印を施されてた闇の精霊獣の鎮座する神殿はほかの精霊獣を喰らうまでその所在を掴むことは出来なかった。
キリカが6属性の精霊を喰らう。
それは闇の精霊獣の封印をおのずから壊すことにつながる…しかし、6属性の精霊獣が一匹でも健在であれば封印に阻まれ神殿にたどり着くことは出来ない。
コレは仕方のない順番だ。
6精霊獣の封印から解き放たれた天空に浮かぶ闇の精霊獣の神殿。
俺達は、精霊クリスの力を借り結界を突破して中へと侵入した。
中には闇の精霊獣の瘴気に当てられた魔物がわんさかいたが、どれも俺達の敵ではなく思いのほか簡単に…いや、隠れる必要なんてない闇の精霊獣はただそこに鎮座していた。
「かはっ!」
その巨大な漆黒の龍の尾が腹を捉え、俺は神殿の柱を何本もなぎ倒しながら壁にめり込んだ!
「ギャロ!!」
傷つき、満身創痍のキリカが瓦礫の中らか俺を掘り起こして抱きかかえる。
「ガアアアアアアアア!!」
そんな俺達目がけ、闇の精霊獣はガパッっと大きく開けた口から魔法陣と共に漆黒の魔力の塊を放つ!
「くっ! はあああああああ!!!」
キリカは俺を抱えたまま聖剣でそれを真っ二つに切り裂くが、直撃こそ避けられたもののその衝撃をもろに受けてしまう。
「き、キリカ!」
俺にダメージが行かないよう放り出しだキリカは、ふらつきながら剣を構え直し目の前に迫りくる巨大な龍の姿を取った闇の精霊獣を見すえ涙を流した。
「ごめんなさい」
その瞬間、その視界に捉えていた筈のキリカの姿が消えた。
そう認識した頃には視線の端で、龍の首が狩り飛ばされ黒い雨が降る。
あのダッチェスの怪力をもってしても、傷一つつける事の出来なかったぶ厚い鱗をいとも簡単に切り裂くとは…流石聖剣…そしてそれを扱うキリカの潜在能力に俺の獣人としての本能が身の危険ととらえ体を震わせ止まらない!
黒い血。
首を狩り飛ばされた巨大な龍の体躯から噴水のように噴き出すと、それに合わせて龍は縮みやがてその足元に本来の姿を露わにする。
小さい…大きさは精霊のクリスとそう変わらないかもしれない。
自分の足地に死んだように横たえる黒い肌にその背にはクリスと似た漆黒の六枚の羽根を持つ少女のような姿をしたそれを手に取ろうと、キリカは膝をつき手をのばす!
ダメだ!
「ヤメロ!!」
俺は震える体を押し、地を蹴ってその小さなソレを闇の精霊獣を奪い取る!
「ギャロ?」
「駄目だ! 喰うな!」
思いもよらない俺の行動にキリカは、カクンと首をかしげて眉を寄せた。
「聞いてくれ! コイツを喰ったらお前は…!」
「ああ、やっぱりそうなんだ…」
ジャリリリリリリリリリリリリリリリ!
地面から魔力で形成された無数の細い鎖が俺の体に纏わりつき拘束する!
そして、狂戦士である俺を拘束できる鎖は!
「リフレ!」
瓦礫の影、ボロボロのローブに足を引きずったリフレが謡う。
「鎖を解け! リフレ!」
リフレは、首を振り謡い続ける!
更に締め付ける鎖…このままでは埒があかない!
こうなったら、狂戦士の力を使うしか……暴走するだろうが仕方な_____
「駄目だよギャロ」
氷のように冷たいキリカの手が、するりと俺の頬に触れるとエネルギーを吸い取られたようにガクンと膝が落ちた。
「キリカ……?」
「うん、流石に気付くよね……みんな急に優しくなったりさぁ、ギャロなんてキスのたび泣きそうになるじゃない? それに、今日なんてこんな無茶して」
キリカが血のにじむ額にそっと触れると、その傷が一瞬にして塞がったのが分かる。
「ギャロってさ、すごく優しいよね? 私だけじゃなくってみんなを守って真っ先に敵に突っ込んでボロボロになってもそれをやめようとしないんだから……」
ホントは全然そんなの似合わないのにねっと、キリカは微笑む。
「キリカ! 俺、もう世界がどうなったって構わない! だから!」
「大丈夫だよ」
キリカの手が俺の目を覆う。
「きっと大丈夫…変に聞こえるかもしれないけどそんな気がするんだ」
「ヤメロ…! 俺がなんとかするから! 考えるから!」
何を考えると言うんだ?
何とかできる訳もないのに?
「ギャロ、貴方はとても優しい人だからこんな事は私に任せておけばいい…これ以上血にまみれる事なんてない」
もはや嗚咽しか漏らさなくなった役立たずの口がキリカに塞がれ『ごめんな』と言う言葉さえも飲み込まれ喰らわれ眠らされる。
いつの間にか俺の手から逃れたらしい闇の精霊獣が苦し紛れに龍の姿を取ったようだが、それは無駄なあがきだ。
そして、全ての精霊獣を喰らった勇者キリカは本来の『勇者』の力を取り戻したのだ。