勇者キリカ
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そう、千年前のあの日。
全ての歯車は狂ってしまったんだから。
「ごめんなさい…ごめんなさい…!」
心優しき勇者よ、嗚咽を上げながらそれを喰らう哀れな仔。
何も感じなければ、何の感情も持たなければそんなに苦しむこともなかったのに。
恨むならあの男を恨みなさい。
それが、私を裏切った対価なのだから。
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「ばぁ!!」
「うわぁ!?」
ぼんやりしていた眼前に、ぬんと現れた変顔に俺は不覚にも悲鳴を上げ飛び退く!
「わ、一瞬で木の上まで跳ぶとかやっぱり猫っぽい!」
「き、キリカっ?!」
なんて奴だ!
狂戦士たるこの俺が気配を感じる事が出来なかったとは…!
驚愕と羞恥心に無意識に尾が膨れていたらしい俺を見てキリカが笑う…良かった、どうやら今日は調子がいいらしい…。
「ほんと、ギャロのしっぽつやつやで指さわりするする~♪」
突然、眼下に居たはずキリカの声が背後から!
と、思った時には既に遅く尾の付け根のあたりもふんと埋まる吐息の熱に飛び退こうとした俺の腰にキリカの腕ががっちりと回される!
「すんすんすんすん」
「ふぎゃあ!! 付け根は止めろ!」
俺の抗議になぞ耳も貸さず、うっとりと尾に顔を埋めるキリカ…コイツまだ正気に戻ってなかったか!
この俺の尾に顔を埋める変た…もとい、勇者キリカは、この世界イズールを滅びの運命より救う為に女神クロノスの加護を受け千年ぶりにこの世界に帰還した。
が、既に異世界で転生していた為その肉体はあちらの世界で形成された物。
そして不運な事に、この世界はキリカのその肉体を異物とみなした為その肉体はこちらの食物からは一切の栄養を受け付けない事が判明したそして…。
ぐぎゅるるる…。
不意に、背後から聞こえた空腹と鳴く腹の虫に今まで尾の辺りですんすん匂いを嗅いでた顔がばっと上がる!
「…ギャロ…お腹空いた…」
俺を見上げるあどけない漆黒の瞳。
この世界の物から嫌われ、一切の食物から栄養をとれないキリカにとって唯一の食糧はキリカと同じ世界から来た賢者の血を引く俺だけだ。
「…いいよ、おいで」
俺がそう言うと、キリカは満面の笑みを浮かべて肩に手を回しそのまま俺の唇に喰らいつく。
確か、年の頃は17か18くらいだと聞いていたがその仕草はまるで小さな子供だ…。
聖霊獣を喰らった後、キリカは決まってこうなってしまう。
聖霊獣。
それは、この世界を司る7属性の化身。
世界創世の頃より存在した彼等は、長い年月の間に個々に自我を持ちこの世界に住まう民に加護を与えながら世界を支える「柱」として存在していた。
しかしそれは、唐突に終わる。
彼等はある時を境に暴走し、世界を混沌へと誘って行く…それは魔王復活により世界が終焉に向かい始めたから…俺達はそう聞かされていた。
「…き、…り…!」
長い。
いい加減息が続かん。
俺は、しつこく吸い付くキリカを引っ剥がそうとするが如何せん不安定な木の上とあって身動きが取れない!
一応弁解しておくが、キリカと俺のこの行為は別にいやらしい事ではなくあくまでもあくまでもキリカが生きる為の「給仕」に過ぎない。
そう、毎日毎日、唇を合わせているからと言って勇者に仕える狂戦士たる俺がそんな目でキリカを見るなんてわけ…
「なにいちゃついてんのよ! バカップルが!! 死ね!」
ガッ!
聞き慣れた声と共に、俺達が登る木に激しい衝撃がくわわる!
「うぐっ! はなれっ! おちっ!」
そうキリカに警告したが、喰らうのに必死な耳には届かない!
ズルッツ!
「______!!!」
どさっ!
「ぐっ!?」
俺はキリカを抱えたまま、地面に叩きつけられる!
「くっ…アンバーか…」
仰向けに転がる俺を見下す耳長族特有の長い垂れ耳が、ゴミでも見るように見下す。
アンバー・ルル・メイヤ。
千年前に勇者に同行した精霊の血族にして後に精霊王となった魔導士:メイヤの末裔。
年の頃はキリカと近く、魔力だけならキリカに次ぐ実力の持ち主で白・黒魔法に精通し、魔導士:メイヤの一族の中でもアンバーの右にでる者はいない。
だからこそ、今回数多の中から選抜され勇者の従者として同行が認められた。
そんなアンバーは今まさに眉間に皺をよせ俺達を咎めている。
「この世界の危機に木の上で『お食事』と言う名のディープキスを仲間に見せつけるなんてどんな神経? リフレなんてまだ子供なんだけど? こんなR指定なラブシーン教育に悪すぎるとか思わない訳? この変態共!」
噛みつくようにまくしたてて力が入ったのか、ふだん垂れさがっているアンバーの耳にピッっと力が入っている。
「…ぷっ、はは」
「な! 何がおかしいのよ!」
「鬼畜なお前がリフレの教育なんて心配するとはな…人は変わるものだ」
「はぁ!? そんなんじゃねーし! 死ね馬鹿猫!」
頬を赤く染めたアンバーは、そのまま走り去ってしまった。
アンバー・ルル・メイヤ、奴のまたの名は『血まみれの操り人形』。
その戦い方は、遠隔操作の呪符魔法を用意て意識とその肉体を支配し己では手を下さず敵同士を自滅させていく様は正に外道…そんなアンバーが子供のリフレを気に掛けるまでに変るとは…。
これも、キリカのお蔭か…。
俺は、「うーうー」っと腹の上でジタバタしながら口を狙う食欲魔人と化した勇者をがっちりと拘束する。
これ以上吸われたのはでは、命にかかわるし正気に戻った時にキリカが激しく落ち込むのは目に見えているからな…。
「…さ、キリカ。 行こう、もうすぐ日が暮れる…明日はいよいよ闇の精霊獣を相手にしなきゃならん…」
ぽんぽんと背中を叩いて、体を起こすとキリカはカクンと首をかしげてきょとんとしたかと思うと無邪気に笑って抱き付いてくる。
「抱っこーーー!」
俺は求められるままキリカを抱き上げた…ついこの前まではすぐ正気に戻ったんだけどな…ここの所すっかり戻りが遅くなっている。
精霊獣を喰らうたび、キリカは自我を失っていく…いや、『本来の勇者に戻っていく』もし明日闇の精霊獣喰らってしまったら一体どうなってしまうんだろう?
「うう? ギャロどうしたのー?」
漆黒の瞳が心配そうに俺を見上げる。
「…いや、何でもない」
俺は、キリカから目をそらし前を向く…今更後悔しても遅い。
全てはこの世界を救う為、俺達は選んだのから。
「まだ干渉に浸っているの?」
くすくすと鈴を振るような不愉快な声に、俺は視線をあげた。
「…クリス…!」
「おお怖い、そんな目で睨まないでよあの男を思い出して八つ裂きにしたくなるわ」
赤い瞳に糸のように細く長い白に近い銀髪が、まるでそこだけ重力を忘れたように波打つ。
クリス。
時と時空を司る女神クロノスの加護を受けた精霊…。
その役目は、異世界より連れ帰った勇者とその従者達を導く事。
大きさは手の平に乗るほどしかないが、その背には六枚の白い翼をもち白い肌に悪目立ちするくらい真っ赤な唇を釣り上げキリカ目の前で優雅に旋回して頭を垂れる。
「ふふ、勇者様ったらギャロウェイに甘えて…お可愛らしい」
「あークリスー! どうしたのー?」
キリカは俺の腕からひょいと飛び降りクリスに手を伸ばす。
「はい、お夕食の用意が出来ましたのでギャロウェイを呼びに来ましたのよ」
「ふぅん…そうなの…お夕食はなに?」
キリカの言葉にクリスは眉を潜める。
「クンのサラダに、ベクトワームのステーキですが…勇者様は召し上がれないかと…?」
「ん、私は食べれないけど、ギャロが食べてくれたら後でちゅーがきっとおいしいと思うの!」
キリカは無邪気に笑う。
ああ、喰った分すぐに吸い上げられるのかと思うと気が気じゃない…きっと幼子に母乳を与える母親とはこんな過酷な思いをしていたのかと今は亡き母上に感謝してもし足りない。
その日の夕飯は、ダッチェスが腕を振るったごちそうだった。
「ガリッ…モチャモチャ ゴクン ゴリッ ゴリッ…クチャクチャ…これあともう二つくれ…ごくっ」
「ひゃー…相変わらずよく食うな赤耳ぃ~作り甲斐があるっつーもんだぁ~! ほらよっつ!」
ダッチェスが俺好みの生焼けの肉の塊を投げてよこすと、それを見ていたアンバーが眉を潜める。
「うわぁ~殆ど生じゃん…オエッ!」
「こらぁ~鬼っ子! きたねぇ口きくでねぇ、折角の美人が台無しだぁ~ほりゃ、おめぇの好きな焼き加減な!」
俺のとは別に分けていたのか、ダッチェスはよく焼いた方の肉をアンバーの皿にとりわけた。
「…あんた、料理旨いわよね…剣士なんかよりこっちが向いてんじゃないの?」
「そっか~! うめぇか? こんなんで良けりゃ毎日作ってやんぞ!」
「ちょ、毎日って! それ…」
「ん? どうした? 鬼っ子、顔が赤けぇぞ?」
赤らめたアンバーの頬に、ダッチェスの大きな手が心配そうに触れる。
「ぅわっ! 触んな馬鹿! これだから巨人の亜種は頭悪いって言われんのよ!」
激しく手を叩かれながらも気にもとめないダッチェスは、今度はその垂れた耳をくるくると指で持て遊ぶ。
「おうおう、元気いーなー鬼っ子は、女は生きが良いのがおら好きだぁ」
「す…って、きゃっつ!?」
不意にダッチェスは、アンバーをひょいと抱き上げて自分の膝にのせた。
「ほれほれ、もっと食え! おめぇはもう少し肉をつけた方がええ」
「やめ…むぐっ!」
巨人よりは小形な亜種とはいえ、大柄なダッチェスが体格の小ぶりな精霊の血族のアンバーを膝にのせていると何だかおもちゃの人形のように見える。
「全く…ボクの周りにはリア充しかいないのかなー」
俺のすぐ横でモグモグと肉を租借していたリフレが、そのエルフ特有の尖った耳をピコピコさせながら呆れたように眉をひそめて呟く。
「このラブラブの雰囲気…本当に明日、闇の精霊獣の神殿に乗り込む感じしないよ! ギャロもそう思わない?」
「そうか? 別にいいじゃないか?」
俺がそう答えると、リフレはげんなりと耳をたたみ更に壮大なため息をつき『あ…そういえばギャロもリア充だったね』っと吐き捨てた。