賢者の卵④
「殺す…塵すら残さねぇ…」
あまりの事に、腰まで落ちたマントを羽織るのも忘れてはらはら涙を流す私を見たギャロの目が血走る。
あ"。
不味い。
熱を帯びる噛み跡が、殺気に疼く。
私の前にふわりと降り立つ深紅の髪をなびかせた背中、左手の掌底の集まるのは稲妻を散らすマグマ。
ヤバい!
ギャロは本気でフルフットさんを殺す気だ!
「駄目! やめて! 大丈夫だから! 背中と胸を触られただけだから!」
「…殺すには十分だ…」
更に膨らむ魔力!!
あああ! 逆効果!!!
「いやぁあん☆ たすけてえぇん! ゆーしゃちゃああああああん!!」
叫ぶ変態!
ちょっと!
叫ぶ暇があったら逃げてよおおおお!!
そんな願いと、両刀変態おねぇの懇願も虚しく怒れる狂戦士の手から禍々しいまでに赤黒いマグマの塊が電撃をまとって放たれようとした!
ダメ!
殺すのはだめええええええ!!
反射的にベッドを蹴った私は、ギャロを飛び越えてフルフットさんの眼前に飛び出す!
「キ_______」
ギャロがフルフットさんの前に飛び出した私に気が付いたときには、その手からマグマが放たれる____不味い直撃す_____!
ドクン。
『また』腹の底が波打って、私の目に映る世界が突如オレンジに染まる!
え…?
い、息が出来ない?
「…! …!」
声、声も出ない!
ソレに体が重い?
まるで、体が何十倍も重く…ううん…すごい力で押さえつけられているみたいな…!
でも今はそんな事よりも…止めなきゃ!
私は、眼前のギャロを見た。
ぎゃ、ギャロ…?
あのマグマの塊を放った筈のギャロは、目を見開きまるで時が止まったように体を硬直させ…いや、微かに…微かにだけど動いてる?
…直撃だと思われたあのマグマもゆっくり本当にゆっくりだけどこっちに向かってる?
それはまるで、重い水の中を押し進むみたいにオレンジの空間に波を立たせながら…。
私は、息苦しさとまるで何十キロも錘を付けたように重い腕を迫りくるマグマに向かって伸ばそうと持ち上げた。
重い。
まるでコレはオレンジの鉛の海。
でも!
やっと、持ち上がった手をマグマにかざす!
これを切り裂けば______っつ!?
私は、剣を呼び出そうとしたけどそれを引っ込める…だめ!
この距離ではグランドリオンの力が強すぎる…ギャロを巻き込んでただでは済まない!
でも、このままマグマが直撃したら私は無事でもフルフットさんは______。
どうする?
どうすればいい?
ウンディーネで水属性の障壁を?
駄目! マグマの威力が強くてそれだけでは足りない!
必要…必要だ…このマグマに含まれる煉獄と稲妻…同じ属性で相殺すれば残った余波をウンディーネで防ぐ事が出来る!
ジジジジジジジ…。
私は目を閉じた…どうしてだろう?
ジジジジジジジ…。
なにも知らない筈なのに…知らなかったはずなのに…。
ねぇ、そこにいるの?
私は問う。
私のお腹…そのもっと奥。
ウンディーネを感じてからなんとなく弱いけれど感じるごろごろとした複数の違和感。
ねぇ!
いるならお願い!
力を貸して!
次に感じたのは、舌がビリビリと痺れるような感触と腹の底から湧き上がる熱。
火の神アグニの属性を司る精霊獣サラマンダー。
雷の神インドラの属性を司る精霊獣フルメン。
『前に』ウンディーネと同じく私が食べた子達。
この子たちは、普段は私のお腹の底で眠って…ううん…『眠らされている』。
ごめんなさい。
多少暴走していたとは言え、平和に暮らしていたあなた達を殺して喰った。
必要だった。
勇者として『完成』する為には『糧』が必要だったから。
頬に冷たい指が触れた。
少女をかたどる美しい水が、空間と同じオレンジ色で私を心配そうに見ている。
ウンディーネ。
貴女とこうして喋るのは『私』は初めてなのね。
ゆっくりと、マグマが迫る。
分かってるよ。
『私』はまた忘れてしまうのね?
私は視線をあげギャロを見た。
ああ、ギャロ…。
会いたかったよ…でもまたね。
ジジジジジジジジジ…カチッツ。
オレンジの鉛の海は晴れ時が動き出す。
「…_________リカ!」
ギャロの伸ばした手が私の肩を掴む!
「キリカ! なにを______」
そう言いかけたギャロは、私を抱き寄せて辺りを見回す。
「うふふん…女神の力で時間の流れを歪めて精霊獣の属性で完全相殺…あんな強力な魔力に一瞬で合わせるなんて流石は勇者ちゃんぬぇ~☆」
パチパチと、楽しそうに手をたたく変態ムキムキおねぇ。
全く!
誰の所為でこんな事…あれ?
目の前が歪む。
涙?
ギャロの顔を見上げると、胸が締め付けられて涙が溢れる。
なんだっけ?
どうしてだっけ?
私、何で泣いているんだっけ?
すごく大事な事なのに、ついさっきの事なのに全部『思い出した』と思ったのに全てが霞が掛かったみたいに遠い。
「どうしたキリカ? どこか苦しいのか!?」
私の顔をのぞき込んだギャロが、親指でそっと涙を拭う。
「あらあら~すっかり泣き虫さんになっちゃったのね~かーいーの~☆」
あらあらまぁまぁと、筋肉質の胸元から白いハンカチを取り出した変態がまるで小さな子供をあやすように泣きはらした瞼をそっと拭く。
「触るな! 誰の所為でこんな事になったと!?」
「いやん☆ すっかり奥さん気取り? 過保護は旦那に良くないわよ~? 子猫ちゃんにも言ったけど『妻』たるもの時にはびしびし行かなきゃダメよん☆」
「なっ!!」
顔を真っ赤にしたギャロと変態が、私を挟んで妙な言い合いをするけど今の私はそれに突っ込みを入れる余裕はない。
さっきの事を思い出そうと頭をフル回転させるけど駄目…あのオレンジの鉛の海の中では『思い出せていた』のに…今どんなに思い出そうとしても何かが…誰かが覆い隠す。
賢者…?
水脈でウンディーネが言っていた事を思い出す。
彼女は言った、私の記憶は賢者によって封じられているって…どうして?
その賢者と言う人はどうしてこんな事をするの?
思い出せないイライラと、止まらない涙…ああ!
何だか腹が立ってきた!
大体、人の記憶を勝手にいじるなんて何様!?
賢者ってそんなに偉いの?
いや!
偉くってもダメこんなの!
あああ!
腹立つ…それもこれも…!!
ぐぎゅるるるるるるるるるる~~…。
「キ…キリカ?」
添えられた手に、ギャロの顔が頬を染めながらも引きつる。
「動くな」
焼けつくように飢餓する腸が、悲鳴をあげなら目の前の餌を喰えと督促して勝手に口を利く。
イライラする。
お腹が空き過ぎて、考えが纏まらない。
もう、なんだかさっきのオレンジの鉛海でのことなんてどうでもよくなってきた!!
「まて…人目がある…!」
「うるさい」
その見開いた金色の目、少し開いて引きつる唇、ふわりと鼻をくすぐる体臭も…その髪も、耳も、尻尾の先まで…全ぶ私のモノだ。
喰う。
本能のまま引き寄せたソレに自分の唇を押し当てて貪る。
コレの力が抜けて膝が床についても容赦はしない…!
「あらぁん~☆ コレはまた…ラブシーンには程遠い____まるで『捕食』ねぇ」
数日ぶりの餌を貪る獣を眺める深い緑の目が、ぬるりと弧を描きほほ笑んだ。
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やっちまったぁ…。
私は、焼けこげたベッドに屍のように横たわる狂戦士にとにかく土下座した。
「もう☆ 勇者ちゃんったら激しいんだから☆ ぞくぞくしちゃう☆」
「激しって…ううう!」
変態ムキムキおねぇ…もとい、大司教さんが『まるで獣ねぇ~堪らないわぁん☆』とくねくね身もだえる!
ダメっ! 思い出しただけで顔から火が出そう!
私ったら、いくらお腹が空いてたからって人前でギャロに襲い掛かるなんて…!
おかげでお腹は大満足なんだけど、それがかえって恥ずかしい!
ううん!
それ以前に、ギャロの都合とか無視してこんなに喰い尽くしちゃうなんて…どうしよう切斗…姉さんとんだ野獣だよぉ~!
恥ずかしさと、情けなさで土下座の体制のままぐすぐすと鼻をすする私にバサッと黒のマントがかけられる。
「ものすごく絶景なんだけど…取りあえずお洋服着ましょっか?」
そのもっともな言葉に私は自分がまだ全裸な事にようやく気が付いたけど、叫び出す気力も無くて素直にうなずいた。
白い大理石のような鉱石で造られた質素だけれどどこか気品のある廊下を大司教フルフットさんの後について歩く。
さっきギャロが殆ど崩壊させたの客間も白一色に統一された質素だけれど広々として…何だか…。
「この石…」
「あら、流石ね勇者ちゃん☆ そうよ、この鉱石はエルフ領リーフベルでとれる最高品質のもの…それを浄化して精霊その他もろもろの加護を施してこの大聖堂を建造したの☆ だから手で触れるだけでも通常のダメージくらいなら回復するし穢れも浄化できるのよん☆」
私は思わずぐるりと廊下を見回す…凄い…目覚めたのがあの客間だったからこの建物の規模なんて分からないけどこの廊下の高さは、私の通う高校の体育館くらいはあるしここまでずいぶん歩いて来たけどまだ先は見えない…これ全部その鉱石とやらで出来てるなんて…!
まるで社会科見学にやってきた学生のように見回す私を横目で流し、前を歩く背中の開いたボディコンがしゃなりしゃなりと腰を振りながら言葉をつづける。
「大聖堂には他にも、重病人やケガ人を集中的に治療する部屋があって…そうそう☆ ギャロちゃんもそこに放り込んだのよ~」
『また逆戻りかしらね☆』っと、フルフットさんはちらりと流し目にウインクする。
嗚呼、ギャロ…。
思い出すだけで羞恥心と罪悪感で心臓がはち切れそう…!
どうしよう…これからお腹が空くたびにこんな事しなきゃいけないの?
…このままじゃ、いつかギャロが干からびちゃうんじゃ…?
一瞬、脳裏に浮かんだ干からびたギャロのイメージを振り払うように私はぶんぶん頭を振る!
それよりも…!
「あ、あの、大司教さま…」
「やぁん☆ 堅苦しいわねん! いつもみたいに名前で呼んでよぉ~」
へにょんと眉を下げる変態お…フルフットさん…『いつもみたいに』って…?
「わ、わかりました…フルフットさん…あ、あの着替えって、どこに向かっているんです? それに…いつもみたいにって…私とあった事があるんですか?」
歩みを止めたフルフットさんは、何だか少し寂しそうに微笑む。
ギャロの時と同じ…自分でも聞いてて何だか申しわけないような気持になるけど、本当に何も思い出せないのだから仕方がない。