コボルティア−状況の把握
光月の夜が明け、太陽が地平の果てから登ってきています。倒れた木の幹に腰掛け一時の眠りを享受した私は、1つずつ現状の不明点を片付けることになるのでしょう。
「何を難しく考えている?」
私の隣で小さな竜へと変化していたガルドスが、私の顔を見下ろしながらそう問いを投げかけてきます。
竜という存在としては小さいながらも、大の男と並び立つような背丈を持つ竜。……私と比べてしまうと、十分大きいですね。
「宝石の龍の影、聖王の意図、見知らぬ土地とそこの住人。考えることが尽きないので、難しいのですよ」
世界の掌握と解明など、人の身には叶わぬ夢。ゆえにどう動くかを決めねば、より強大な存在に足を取られて食われてしまう。そうなる前に、どの強者を軸に付き従うのかを決定しなければならない。
――それに、少なくとも聖王はいま「こちらを見ている」のでしょう。
紅玉をそのままはめ込んだと錯覚するようなガルドスの右目が、本来の色彩を失って冷酷な銀の色を帯びている。そのことが、ガルドスの右目が一時的に聖王の眼と同化していることを示しています。
……なるほど。ガルドスをこちらに向かわせたのは、自身の視界を確保し続けることが目的なのでしょう。
私を眺め続けるために、自らが持つ駒の中でも「災厄」に近い龍を手渡しながら。ますます彼の意図が読みきれませんね。
それに、最後に聞こえた聖王の声も気がかりです。
――合格だとも、エレトルテ。その言葉の示す意味と、何をもって合格としたのか、何を試していたのかが分からないのです。
ああ、考えるのが億劫になりますね。それが表情に出ているのか、ガルドスは横で笑い声を噛み締めて小刻みに震えていますし。
「嗚呼、実に愉快だから良いことを教えてやろう。奴は空からお前を見下ろして、上機嫌に歌を歌っているぞ」
聖王が歌っている、と。それは何かの間違いでしょうね。
彼はどちらかと言えば、音楽を聞いて嗜む側ですから。
それに、「見下ろして」というのが引っかかります。聖王を指すならば、空の上からではなく地上でこちらを見ているはずなのですから。
「くくっ、お前には聞こえぬだろうな。我らが上に座す龍が歌う、空を盛大に揺るがす喜悦の歌は、お前に届くことはない」
それは私に対して問題の解決への糸口を与えてくれた行為だと、最初は感じていました。けれど、「龍の声を聞く魔法」を掛けても、この耳には龍の声らしきものは一切聞こえてきません。
だから、彼が私に嘘を言っている。そう判断するのが正しい、特に気にすることはない。
けれど、なんでしょうか。違和感を覚えてしまうのです。
私が空を見上げたのは、ガルドスが「龍が見下ろしている」と告げたから。ならば、なぜ広場にいるコボルトたちも同じように空を仰ぎ、異口同音に喜びの言葉を口にしながら宝石を空に掲げているのでしょうか。
私にはその龍は見えない。声も聞こえはしない。けれど、周りのコボルトには届いている。
コボルトたちの視線が己が信ずる方角に向けて好き勝手にばらけていることから、彼らも姿を見えてはいないけれど、間違いなく「龍の歌は与えられている」。
私が敗北を認めると、この燭台龍は調子に乗るから嫌なんです。まあ、仕方ないですね。
「私には見えませんし、聞こえません。その理由を教えてもらえるのですか?龍よ」
その問いに、ガルドスの顔が笑います。
嘲り笑うというよりは、眼の前の存在が矮小で可愛らしいがゆえに微笑ましい。そう告げるかのような微笑みで。
「理屈や道理など知らぬし、我にもアレを見えはせぬ。だが、お前がただの人族であるからこそ聞こえぬのだ。猫にも犬にも、竜にも聞こえるというのに、なあ?」
なるほど、どこかの学者も言っていましたね。
獣人やその他異種族たちと、ただの人族では、聞こえる音が全く異なる。賢い人たちは書籍にまとめていました。
その理論に基づくならば、私の耳には「届いている」が、音として伝わらないのでしょう。
けれど、竜に聞こえているならば、もうそろそろ2人が状況の把握のために帰還してくるでしょうね。
彼女たちの調査活動について、詳細な成果はあまり期待していません。メルテも、私たちが救った少女も、どちらも植物の専門家ではありませんから。
でも、大まかな地形を知るだけでも、動きやすさが格段に違います。それと、彼女たちに渡した即席の魔導具の反応を見ることで、何かを掴めるかもしれませんから。
ふと、微かに焦げ臭さを帯びていた空気に風が吹き込み、爽やかな香りを私に届けてきました。
……なるほど、案外早かったですね。
竜は私が見つめる空を勢いよく横切り、その腕に捕まっていた少女は劇的な着地を決めました。落下する勢いのまま、顔面を地面に叩きつけられるという派手な帰還です。
「へぶぎゃっ……」
メルテは優しいとともに、純粋な竜です。ですので、私の言った言葉は過不足なく活かされてしまいました。
コボルトたちとの今後のすり合わせが済んだあと、しばらく気を失っていた少女を介抱していたメルテに対して言ってしまったのです。
――彼女は聖王の城に付き従う「聖霊」だから、滅多なことが起きない限り死なないと。
現在の光景に至ったからこそ、私は過去の発言を後悔するのですけどね。
死なないけど、受ける痛みは普通の人と何も変わらない。その事実を伝えていないことを思い出しながら、空から落下した彼女に近づいていきます。
悲劇の主人公となった少女は、痛みで地をのたうち回りながら、自らのカバンから小さな箱状の魔導具を取り出して起動しました。
……あまり、褒められた魔導具ではないですね。出来は申し分ありませんが、用途を間違えれば人を自死に追い込むことを容易に成し遂げる道具ですから。
――【ペリエレスの箱】。箱を向けた相手の苦痛を吸い込んで、内部に閉じ込める箱です。そして、溜め込んだ辛苦を吐き出すことも可能な魔導具となっています。
一応は医療で用いる品物なのですが、蓄積した痛みを他者にぶつけられるせいで、他人を害する用途に転用されることもある曰く付きの魔導具と言えるでしょう。
ゆえに、こうして「箱」に痛みを吸い込ませれば、人は痛苦を忘れて簡単に再起することができる。
「聖王さまも、燭台の龍も、名も知らぬ竜も。どうしてわたしをいじめるのですぅ……」
……ああ、そういえば心の痛みは取り除けませんね。それは別の魔導具の機能になるでしょうから。
肉体的に立ち直り、心がへし折れた彼女を眺めながら、状況を問いかけます。
「おかえりなさい、メルネット。では、周りの様子の説明と……、魔導具の小瓶を」
「……あなたも容赦ないのですね。エレトルテさま」
少女――メルネットは首から下げていた魔導具のネックレスのペンダントから、人間の人差し指より細い小瓶を取り出し手渡してくれました。
それを受け取り、小瓶の蓋を開けて中の液体の匂いを確認します。
けれど、それはあまりよろしくない傾向を示していて。
この鉄の匂いはよく知っています。私がデウスの天啓を聞いた日に、嫌というほどに嗅いだ匂いですから。
そこに交じる鼻を捻じ曲げる腐臭は、新鮮な生命からの流出とは程遠いもの。
「……なるほど、濃厚な匂いですね。血と、腐敗の」
私はルム・トルガニアがこの地域の開拓を諦めた理由を知りません。
でも、魔道具が集めた周囲の魔法元素の偏り方を分析するに、「生命」と「腐敗」の魔法元素が濃いのです。よって、恐らく竜人の王がこの地を諦めた原因は簡単な話でしょう。
生命の元素が濃いからこそ植物は繁茂こそするが、腐敗の元素により食物はおぞましい速度で腐敗する。
ゆえに、少数の人類がその日暮らしをするには問題ないが、国家や大きな街を作るには食料の保存が効かないのです。
「ねえ、コボルトさん。貴方たちはどうやって食料を保管しているのですか?」
私の問いに、彼らの長と思わしき、握手を交わした獣人が答えてくれます。
「保存、到底無理。材料取って、すぐ調理してすぐ食べる。全ては徴税人の気の向くまま」
全く、こまめな神様ですね。こんな地域まで「徴税人」が駐在しているとは、「腐敗の神」も隙がないお方です。
腐敗の徴税人は好きじゃありません。
過去にペルニカ伯爵領が腐敗の神に宣戦布告して、「神の雫」と呼ばれる果実酒の醸造に取り掛かったことがあるのです。ですが、兵力が足らずに醸造所を破壊されて、醸造途中の酒樽は全て腐敗の神の使徒に持ち去られてしまいました。
もっとも、「腐敗」との戦いは戦争とは違います。「腐敗」にとっては、醸造所の襲撃も税として食物の鮮度を徴収することも、どちらも遊びの延長線上なんですから。
国など作る気はありませんが、食料の保存に関しては改善しておきたいものです。
「エレトルテさまは不思議な表情をするのですね。現状は生活も厳しいと言われているようなものなのに」
勘違いはしないで欲しいですね。
私は領主の娘であるとともに、1人の職人もどきですから。
「ええ、面白いじゃないですか。魔導具職人としての腕の見せ所ですから」
ペルニカ伯爵家において、次代領主の資格を得るのは一番領地と領民に貢献した血族とされていました。そのため、私も自らの技術を高めるために研鑽してきたつもりです。
ただ、魔導具職人としての私は、神様からの贈り物に依存した不安定な技術者と言えるでしょう。それでも、一般人よりは魔法と元素については知識を持っていると自負しています。
……しかし、そういえば。
「メルネット、メルテはどうしました?」
彼女の帰還が遅いのです。何か悪い出来事に巻き込まれていないといいのですが。
返ってきた答えは、口にする自分自身もよく分からないと自信なさげなもので。
「えっと、なにかがやって来るので見に行くと言ってました。トルガニアの方角から、大きな機械が近づいているって」
ルム・トルガニアからやって来る機械じかけの何かというと、飛行調査船か飛行軍艦でしょうか。どちらにせよ、……目立ちすぎましたね。
ですが、今更足掻いたとて準備をする時間などありません。彼女を信じて待ちましょう。
「彼女なら心配ありません。私たちは現状を整理しましょうか」
そう彼女に告げると、彼女は一度軽く頷いて、自らのカバンから握り拳大の銀色に輝く功績を取り出しました。
差し出された鉱石を手にとって、魔法で分析を試みた結果、恐らくこれは銀を含む鉱石だろうと予想しました。
銀は金属の中でも魔法元素の増幅させるための触媒として優秀で、含有している鉱石に魔力を流すと少し歪な反響が返ってきますから。
鉱石を義手で掴み、術式を組み立てながら握り潰します。
溶けて溢れた銀が地面に落ちて固まり、不純物と分離して純粋な輝きを放ちました。
「精錬魔術……。職人さんの間ではありふれた魔法ですけど、いざ実物を見ると摩訶不思議ですねえ……」
驚嘆の言葉を聞き流しながら、固まった金属の塊を拾って、背後にそっと投げておきます。
私は「宝石の龍」こそ見えませんが、貴方が見ているのは分かっているんですよ。
メルネットが短く呟きながら放物線を目で追い、放物線の先で姿を消していた人物は飛んできた銀塊を受け取って、表情筋のない顔面が微かに笑いました。
黒い毛皮のコートを身に着け、神の紋章が刻まれた眼が特徴的な、腐敗を受けることなき人形の身体の生命体。彼は羽飾りのついた中折れ帽を取り、恭しくこちらに礼をします。
――腐敗の徴税人。彼らこそ、一般的に嫌われる神様の手先です。
「ああ、素晴らしきかな。貴方様の腐敗、確かに受け取りました」
彼は銀塊を懐にしまうとこちらに近付いて、私に中身が擦れ合ってしゃらりと軽い音を鳴らす麻袋を渡してきます。
腐敗の神とは、神の雫の醸造家にとっては仇敵であり、政の世界では忌み嫌われる存在です。腐敗という概念を誰よりも愛する神だからこそ、……かの神は物質的どころか概念的な「腐敗」すらも飲み干して、気の向くままに酔いしれるのです。
しかし、「徴税人への賄賂」の対価で得たこれは、匂いがきついです。隣のメルネットは嫌そうに袋を見つめてますし、私も目が痛くなります。
「わたしは嫌いですね……。だって、これ中身『ペルパ』ですよねえ……」
「大丈夫、すぐ慣れますよ」
「ペルパ」とは香辛料の1つです。ペルニカ領では辛口料理に使われてばかりで本来の用途では使われていませんでしたが、食物にこれを多用することで腐敗を遠ざける効果があります。
「でも、香辛料ってどうして腐りにくくなるんです?」
貴方に関しては、その理由は知らない方が神様に愚痴を言わずに済むでしょうね。
「食の美学が腐敗するから、だそうです」
「美学?腐敗?ええ……?」
私も細かいルールを知っているわけじゃないです。ただ、簡潔に言うならば。
「積み上げた風味が台無しになる。腐敗とは人を苦しめることであり、辛味や苦味に塗れて苛まれるならすなわち腐敗である。とのことですよ」
人形の手が上下に拍手をし、カチカチと乾いた木材が触れ合う音を奏でます。
たちの悪い神様です、本当に。とても理解に苦しみますよ。
腐敗の神に言わせれば、すでに腐敗しているなら追加は必要ないという理論だそうです。
「では、私めはコボルト達の集落でお待ちしております。――楽しき闘争を心待ちにしてますので」
そう言って、彼の姿は霧散しました。このためだけに来たんでしょうね、きっと。
実質的な宣戦布告。正確に言うならば、貴様からの布告を待っているという遠回しな挑発。
目を瞑れば、まぶたの裏に燃えるペルニカの醸造所が追憶として流れます。彼らは、遊びにも容赦や遠慮がないんですよね。
それから気分を切り替えて、メルネットの説明を整理し、彼女から貰った紙にペンを走らせて辺りの地形を記録します。
そうして、地図が出来上がった頃に、広場の上空をメルテが横切りました。
竜人国家「ルム・トルガニア」の紋章が船体に刻まれた飛行軍艦、それを背後に引き連れながら。




