光月−輝き森へ
光月の夜は、夜という言葉が似合わないほどに明るいです。まるで、太陽の下で過ごしているかのように。
ペルニカ伯爵領を出立して10分ほど経った頃でしょうか。私たちは空という舞台で、聖王配下の聖騎兵たちに追われていました。相手は6騎で、その全てが騎手をグリフォンに乗せた騎兵です。
聖騎兵にさえ追われていなければ、遠くの空に浮かぶ金色の森を見物していたのですけどね。
聖王自身はまだ動いていないらしく、状況は光月の摂理を利用して足止めを担う尖兵を先に送り込んできたということを示している。
……それでも、早すぎます。本気を出せば光月の力を利用しなくてもこちらに軽々と到達できる、そんな位置に彼らはいたはずということですから。
その用意周到な計画から滲む執念に、少し寒気が走ります。逃れられぬ鎖で絡め取られようとしているかのような、そんな恐怖です。
「あの人たち、不気味」
メルテが背後を飛ぶ聖騎兵を見て、そう呟きます。
「ええ、貴女の感性は間違っていませんよ」
――聖騎兵。聖王国において最高位の騎兵で、必要とされる兵法や用途に合わせて柔軟に配備される精鋭部隊の兵士です。
もっとも、そのあり方は騎兵と呼ぶにはとても歪んだもの。
人が騎獣に跨り駆けるのではなく、騎獣が人を乗せて飛ぶのが彼らなのです。普通の騎兵が「人馬一体」というのが正しいのならば、聖騎兵は騎手を武装として積載しているだけ。
知性ある魔獣という翼と、叡智を蓄えたメイジという槍。2つを組み合わせたのが「聖騎兵」、聖王の意志の執行者です。
しかし、状況だけを見るなら聖王は賭けに負けている。
私が馬で逃げるならば、確かに「グリフォン」の方が都合がよかった。けれど、残念ながら私は竜の背に乗って逃げている。
更に言うならば、グリフォンの上に載せられているのは恐らく全身鎧を模したゴーレムでしょうね。
ゴーレムでは人間のような臨機応変な動きは不可能で、そこに付け入る隙が生まれるはずだ。
だからこそ、どこまでも底が見えなくて不気味なのです。何故ゴーレムでなければいけないのだろうか、それがまだ分かりません。
これでは捕まえるという気迫を全く感じさせない。もっと言うなら、このグリフォンたちは何かの前座であると、そう言っている気さえしてしまう。
聖王の油断、聖王の兵略。どちらの可能性も捨てられないからこそ、私たちが慢心することは決して許されない。
「エレトルテ、どうしてあの人たちはすぐ来たの?」
ああ、メルテ。何故1時間の猶予のはずなのにこうして彼らがいるのか、そう聞くのですね。
確かに世界の規律を知らない人は疑問に思うかもしれませんが、月が光月として輝き出すには条件が存在します。
月齢が頂きの日、すなわち月が天球の中心を通る日の夜であること。そして、常に天頂に輝いている星と重なる時刻を迎えることです。
けれど、悠長にお勉強している時間ではないですね。結果だけを述べるならば……。
「伯爵領と聖王都では月が輝く時刻が1時間ほど違います。けれど、もし聖王都よりもっと近くまで聖騎兵を移動させていたならば、あるいは」
光月の輝きと魔道具が合わされば、2点を隔てる距離の概念が溶け落ちて、遠く離れていたはずの聖王たちの手がこちらに届くようになる。
そうなる前に逃げ出せたと思っていた。けれども、聖騎兵を先に移動させることにより、月が輝くまでの時間差を縮める方法が選ばれたのだ。
私が逃げ切るための時間を奪うために、あらかじめ仕込んでおいたのでしょう。
そんなことを思考している間に、聖騎兵の「槍」が届く範囲まで追いつかれてしまった。
騎手がこちらに魔法が届くと判断したようです。ゴーレムと予想した通り、騎手の腕を守っていた籠手が魔法で吹き飛ばされて、内側から無機質な武装が露出しました。
魔法を操作するための紅玉をその手に握りしめる、光り輝く刻印が施された金属の腕。聖王に勝利をもたらす鍵を握り、私の自由と意志を握り潰すためだけにここに晒された、残酷で無慈悲なる機械仕掛けの腕。
……あの形状は「宝玉を掴む腕」系の魔法武装だ。
魔法元素を宝玉に集めることで、あらゆる事象を大きく歪めることを可能にした装置。人の身を撃ち抜くためだけにはあまりにも大仰すぎる魔法具です。
人間と変わらない大きさのゴーレムが運搬できることから生まれる、その奇襲性と圧倒的な進軍性能が特徴の兵器と言えます。
欠点も明確で、起動の際に膨大な魔法元素が必要になること。それと、起動時に周囲に魔法元素の渦を巻き起こし、人間の肉体ならば容易に破滅に導く反作用の存在も挙げられると思います。
一応、グリフォンならその反作用にも耐えられるとは思います。ですが、諸刃の剣であることに変わりはありません。
もっとも、メルテを撃ち落とす分には恐らく十分な威力のはず。そして、魔法元素が満ちている光月の下ならば、弾薬に限りがない。
撃たれてしまえば、計画の全てが破綻する。
でも、1つだけ私たちに有利な事実が舞い込んできました。
――相手がゴーレムならば、潰しても命は何も失われない。撃たれる前に壊せばいい。その事実だけは私たちに味方している。
発展の神に与えられた腕を動かし、ただ1回だけ指を鳴らす。そうすれば、魔法元素が小さな渦を巻いて、当たった物質を切り裂けるように変わる。あとは渦を相手にぶつけるだけでいいのです。出力も1体に使うには大きいもので、当たれば確実に相手を停止させられる。
けれど、それは間違いだった。まあ、ぶつけたあとに後悔しても、取り返しはつかないのですが。
ゴーレムに当たった渦は金属と硬い石を砕く音が混じった悲鳴を奏でながら、機能を止めるほどの傷を負いました。
けれど、その傷から漏れ出したのは、――紅く輝く宝石の粉。紅玉の粉が、月の明かりを喰らいながら辺りに不気味に広がります。
それだけなら、まだ私たちに致命傷を与えうる犠牲魔法――何かが失われた時の魔力を利用する魔法――である。それだけでしかありませんでした。
ただ、6体全てのゴーレムが全く同じ傷を負っている。1つの傷を全員に伝えたかのように、全てのゴーレムが色彩がそれぞれ異なる宝石の粉を放ち、空というカンバスに色を漏出させている。
ゴーレム全てが犠牲になり、大きな1つの魔法を描こうとしていると、私の知識が警鐘を鳴らす。
とても、嫌な予感がする。……もはや、それだけでいいのです。これだけの宝玉を犠牲に捧げて作り上げる魔法の中で、聖王がいま一番欲している魔法は1つしかありませんから。
「メルテ、よく聞いて下さい」
我ながら、狂っていますね。自由を求めるがあまり、一番死に近づきうる選択を取るのですから。
しかも、彼女まで巻き込んで、次の光月を望めない可能性が存在する選択肢を提案しようとしている。
「全速力で浮いている森に向かって飛んでください。金色に輝く、『輝き森』へ」
私は前を向き、背後で軋んで自壊しているだろうゴーレムから目を逸らします。
もう、時間は無に限りなく等しい。聖王は私が犠牲魔法起動のきっかけを必ず与えると読んで、こうしてお手製のゴーレムを送り込んだのでしょう。犠牲の価値が自らの戦略に見合う価値に等しくなるように、丁寧に調整して。
「――嗚呼、デウスの仔。愚かな意志を貫く、デウスの可愛い娘よ」
布を裂いたような音、それは空間を引き裂く音。続けて空に響く言葉は、それは聖王と彼の城が背後の空に座していることを示す、慈悲深くも残酷な龍の言葉。空に広がる歌は、聖なる城に仕える聖霊の福音の歌。
6体の宝石人形による犠牲魔法に導かれしは、【抱擁の聖城龍−グラムべリヌス】。彼女がここに来てしまったということは、正攻法ではどこにも逃げられないという事実に他なりません。
「ね、ねえエレトルテ。悲鳴が……、悲鳴がいっぱい聞こえる」
私には悲鳴など聞こえていません。けれど、メルテにはそう聞こえているはずです。
龍の言葉は、龍自身がこちらに「言葉」を合わせなければ理に従う生命には理解できません。龍によっては、紡ぐ言葉が鳥のさえずりとなったり、戦場の勝鬨のように聞こえることがあります。
グラムベリヌスの場合は、言葉が「人々の悲鳴」となって届くだけです。
そして、龍の言葉は魔力を帯びた声。声を聞いた生命を狂わせます。彼女の二つ名が「抱擁」を冠している理由は、彼女の声が持つ厄介な性質を表しているからです。
「さあ、私は貴方達を『抱擁』しましょう。その身に燃える自由への好奇や渇望を綺麗に忘れる、その時まで」
声を聞いた生命の意志を一時的に奪い、その巨躯で抱き締めるのがグラムべリヌスのやり方です。その声の届く範囲と効果の及ぶ対象の広さが相まうことにより、聖王国の首都は攻め落とされたことが1度もありません。
また、これは彼女だけの特性ではないのですが、龍の言葉が強力な魔力を保有している関係で、誰かの支援魔法を辺り一帯の人物に届けることも可能にします。
彼女の本質と魔法を伝播させる性質と聖王の支援魔法により、私たちの戦況は一気に地面の底へと叩き落されるでしょうね。実際、意志を奪われかけているメルテは徐々に速度を落としていっています。
グリフォンに疾風のような速度を与える聖王の魔法に、メルテの意志を奪う龍の言葉。
私が対処すべきは、どう考えても後者です。速度に関しては、メルテさえいればこちらも支援魔法を掛けられますから。
――だから、反証しましょう。貴女の『抱擁』は私たちに必要ないと。
「メルテ!いまは私の声だけを聞いて、前に飛んでください!」
私は彼女に対して叫ぶ。グラムべリヌスに構う暇はないと宣言する。それでも、メルテはうわの空かのように、悲鳴に怯える言葉を呟き続ける。
だから、龍を「模倣」し、竜とともに私の反逆を証明するしかありません。
「私が貴女を『抱擁』します。だから、いまは飛んで!」
――ああ、メルテ。
貴女は、私を恨んでもいいのですよ。龍の言葉に相反する言葉を重ねて打ち消すという行為は、存在自体を崩壊させうる危険な行為なのですから。反発する魔力がぶつかり合い、内側から構造を破壊することも起きうる行為です。
私は自らの自由のために、貴女に死すら押し付けようとしている。その愚かさを貴女は咎めてもいい。罰していいんです。
そんな咎人に対する言葉は、竜の咆哮が入り混じっている苛つきを隠さないものでした。
「エレトルテ!私は嘘が嫌い!」
知っています。それでも、嘘つきな私についてきてくれる貴女を、私は愛しているのですから。
自らで渦巻く狂乱に呻く竜は、力の限り吠えながら言葉を吐き続けます。
「だから!絶対に、――私を抱き締めて離さないで!」
ええ、誓いましょう。その意志を、私は信じて進みましょう。
「いいですよ、貴女を手放す気はありません。だから、いまは……一緒に飛んでください!」
私の言葉に対してメルテが大きな咆哮をあげ、「竜の呼吸」の域を超えて周りの魔法元素を吸収し始めます。
けれど、それは光月の夜であることを加味しても魔法元素が少ないこの領域では自殺行為に等しい、愚行とも評価すべき自暴自棄な行動。成功すれば戦況を覆せるけれど、成功する要素のない、賭けですらない自滅です。
そうですね、貴女は嘘が嫌いです。なんなら、嫌いではなく大嫌いですよね。だから、――私も貴女に応えるために1つだけ嘘を剥落させましょう。
当たり前ですが、私はペルニカ初代領主の子孫です。そして、初代領主は「龍」の力を持っていました。
「龍」――すなわち何かしらの無限をその身に宿す者であった初代領主の力を、この時代に発現させてしまった存在。それが私です。
だから、私はいつでも貴女を苦しみから救うことができた。自分が血を流す覚悟があったならば、ですが。
そういえば、貴女は気付いていたんですよね。ある日の晩に問い掛けてきた、「誰かのために傷つくのは怖い?」という唐突な問いは、私に暗に初代領主と同じような覚悟があるかを聞いてきていたかもしれないのですから。
私は「怖い」と答え、恐らく私の偽りを知りながら、貴女は「わたしもあなたが傷つくのは嫌だ」と言ってくれました。
そんな貴女には嫌なことかもしれませんが、私は血を流す覚悟をできています。いいえ、できてしまいました。
発展の神から授かった義手から短剣を魔法で取り出し、メルテの背に当てたもう片方の義手ではない手を貫く。
竜と化したメルテにとっては些細な刺し傷ですが、私にとってはとても痛い傷です。人間の身には「些細な」という言葉では言い表せない、少し深めの傷。けれど、これでいいんです。
「犠牲を払う準備は整った」、そういうことなんですから。
貫かれた手から漏れ出す血を触媒にして、自分の肉体を巡る底なしの魔力を放出します。その魔力を、流れ出す血を対価を払ったことによる犠牲魔法で魔法元素に変換し、周りの魔法元素を無理矢理に増幅させます。
初代領主様だったらこんなことせずに言葉を発するだけでよかったのですが、私はこうやって面倒なことをしなければ魔法元素を作り出せません。けれど、これが私の本気。
――いまできる、嘘なき全力です。
「嗚呼、愚かなるデウスの仔よ。だからこそ、とてもとても……」
グラムべリヌスが何かを宣います。けれど、音で打ち消せない龍の言葉だからこそ聞こえただけで、その他の音は嵐のような風で何も聞こえません。
私たちを取り巻く暴風は時間が経つごとに勢いを強め、私たちに不用意に近づいてきたグリフォンを1体墜落させました。
メルテの灰色の鱗が徐々に新緑のような翠色を帯びて、本来在るべき姿へと彼女を変貌させていきます。
「――愛おしい」
グラムべリヌスの呪縛から解き放たれたメルテが大きく吠え、周りの音を置き去りにして駆ける。
必死に縋り付くグリフォンを風で撃ち落とし、色彩がないはずの風で周囲を歪ませながら、私たちは金色の森を目指してひたすらに飛ぶ。
『輝き森』とは、光月の夜にだけに空に現れる金色に輝く木々が連なる森。その中心には、何処かへ繋がる空間の裂け目があるのです。
問題は、本当に「何処か」ということ。知っている街の近くに飛ばされる場合もあれば、全くの未開地に辿り着く可能性も存在します。
けれど、自由のためなら。……いいえ、私は嘘つきですね。
もう、意志は奪わせない。自由になりたいのもありますが、私たちの覚悟と決意は誰にも渡しはしない。
だから、私は望む。どこか遠くへの道筋を。
黄金に輝く森を、メルテは木々を暴風で粉々に打ち砕きながら進む。目前に迫る空間の裂け目に突入することに、なにも迷いはなかった。
そうして、私たちは何処かへの片道切符を使ってしまったのです。未知を代償に、自由を得るために。
「――合格だとも。エレトルテ」
龍の言葉。声色から考えて、聖王の声であるその言葉を聞きながら。




