4 雨の村の理由
「い…ま…なん…て……?」
それまでの話も信じられなかったが、最後の言葉は耳を疑うものだった。
搾り出すようにそれだけ言えば、ユージンは顔色ひとつ変えず、同じ言葉を繰り返した。
「あの子を葬って欲しいのじゃ、そなたの手で」
「────!!」
言葉を失うあたし達に構わず、ユージンは続ける。
「この村を救う事ができるのは、救い人である そなたのみ。そして、その方法は、呪われし子を葬り去る事だけなのだ。それで全てが解決する。これ以上 犠牲者を出さないためにも、どうか、この村を救ってはくれぬか!?」
〝このとおりじゃ…〟 と頭を下げる二人を見て、何が言えるというのか…。
何も…何も言えるわけない!
〝分かった〟 なんて、誰が言えるの!?
あたしはこの場にいるのが耐えれなくなって、気付けば部屋を飛び出していた。後ろでは、ネオスかラディがあたしの名前を呼んだ気もしたが、そんなの今はどうだっていい。
階段を駆け下り、宿の外に出ようとすれば、入り口に集まる村人たちが目に入り、慌てて、裏口へとまわった。
ルーフィン──!!
彼のいる小屋に向かいながらも、すぐに、鍵がかかっていることを思い出し、裏口近くにいた女性──宿で働いている人──に、思わず叫んだ。
「ルーフィンを出して!」
「え…?」
「小屋よ! 小屋の鍵を開けるの! 早く!!」
女性は、切羽詰った叫びに驚き、分けが分からぬまま、急いで鍵を取りに行った。
戻ってきて鍵を受け取ると、あたしは一目散にルーフィンの元に行き、鍵を開けた。そして、ルーフィンが 〝どうしたのですか?〟 と話しかける前に、その小屋を飛び出した。
どこに行こうというのはなかった。でも、ジッとしてられなかったのだ。雨の中を無我夢中で走り抜ける。ただ、村人がいない方へいない方へと──
あ…たしは…いったい、何を言われたのよ…!?
あの人は…何を言ってたの!?
そうよ…何を言ってたのよ!?
呪われし子…!?
雨が止まない村…!?
そんなの…あるわけないじゃない!!
あの子を…葬るしかないって…いったい、あの人は何を言ってるの!!
救い人なんて知らない…知らないわよ…!!
そう心の中で叫び、頭の中で響くユージンの言葉を振り払おうと、更にスピードを上げようとした矢先──
「────ッ」
ぬかるんだ地面に足を取られ、思いっきり転んでしまった。
雨でできた大きな水溜りに体ごと飛び込み、目はもちろん、僅かだが、口の中にまで泥水が入ってしまった。
あたしは、その水溜りの中で上体だけを起こし、座り込んだ。膝や手の平から滲む赤い血を目にして、思わず涙が溢れてくる。
もちろん、痛さからじゃない…。
『大丈夫ですか、ルフェラ…いったい…どうしたというのです?』
体の中に流れてくるルーフィンの声に、あたしの涙は一層止まらず、ただただ、彼を抱きしめるだけだった。
ルーフィンもすぐには無理だと思ったのか、しばらくは何も言わず、ジッとしていてくれた。
それでも、ある程度泣いて落ち着きが戻ってくるのが分かると、ルーフィンは再び話しかけてきた。
『──いったい、どうしたのですか、ルフェラ?』
あたしは、涙を拭うと、周りに誰もいないことを確かめ、ユージンに聞かされたことを思い出しながら、話し始めた。
ユージンが笑い、気持ちが和らいだ次の瞬間、彼女の顔から笑みが消えた。
「今日は、大事な話をしにきた。聞いてくれるかのぅ?」
「…は…い…?」
「……ワシらは、そなた達──いや、そなたを待っておった。獣を従えた、救い人をな」
「救い…人…」
昨日から疑問に思っていた言葉。
そして今朝、ルーフィンから、あたし達を待っていたという事を聞いたため、驚きはしなかった。
「そなたは、雨の村というのをご存知か?」
「雨の…村…ですか? いいえ…」
あたしは首を振った。
「雨の村というのは、この村のことでな…。信じられないだろうが、この村は二年ほど前からずっと、雨が降っておるのじゃ」
「二年前からずっと…?」
そんなこと──
「そんなことあるわけがない…そう思うだろう。だが、事実なんじゃよ」
「…でも、どうしてなの…?」
質問したのはミュエリだった。
「呪われし子の仕業じゃよ」
「呪われし子…!?」
恐ろしい言葉に、繰り返したミュエリはそのまま手で口を隠し黙ってしまった。その代わりに質問したのはラディ。
「〝子〟 …ってことは、まだ子供なのかよ…?」
「ああ。十二歳の子供じゃ。ローディに聞いたが…そなた達も、昨日会っておるぞ」
「オレらが…!?」
そう言ったもの、すぐに見当がついた。
「も…しかして…あの女の子…!?」
「そうじゃ。雨の中、空に向かって呪いの言葉を呟いていた、女の子だ」
「ま、まさか…?」
ユージンは首を振った。
「あの子の母親は、もともと心の蔵が弱くてのぅ…彼女が十歳の時、それが原因で亡くなってしまった。だが、母親が亡くなったのは村人のせいだと思ってな…ワシらに復讐しておるのだ。昔から不思議な力を持っておった彼女は、母親が亡くなったその日から、雨を降らし続けておる。雨のせいで、食料はまともに採れず、今は他の村から支援してもらってる状態だ。しかも、川は氾濫し、土砂崩れまで何度も起きて…その災害で命を落とした者も多数いる。先ほど乗り込んできた男も、その被害者の一人でな。幼い一人息子を、亡くしているんじゃよ」
そう言われ、男が口走っていた言葉を思い出した。
「…それで…〝あいつのせいで俺の子供が…〟 って…?」
「ああ」
「け、けど…それなら、言やぁいいじゃねーか。その子の母親が亡くなったのは、ただの病気だって。それで誤解を解けばいいだけの話だろ?」
「いや…。確かに、一番の原因は病かも知れぬ。だが、あの子の力を恐れた村人が、あの親子をこの村から追い出そうとしたのも、また事実なのだ。心労が溜まった故に、発作を起こしてしまった可能性も、大いにある」
「そ…れじゃぁ…村人のせいっていうのは当たってんじゃねーかよ」
「ああ、その通りかも知れぬな…」
ユージンは悔やむように、溜め息をついた。
「ワシも、彼女たちを守ろうとはしたんじゃよ。先読みの力では、彼女たちに悪い陰はなかったからのぅ」
「先…読み…?」
「そうじゃ。ワシには、特殊な道具を使って、未来の事を予言する力がある。村人は困った事があると、ワシの所にやってくるのだ。故に、頼り人と呼ばれるんじゃがの…。その先読みでは、あの子の不思議な力に悪い陰は見られなかったのじゃ。だが、一度持った疑念というのは、ちょっとやそっとで消えるものではない。その力を目の当たりにすれば、尚更な。故に、ワシは提案した。お前らの為に、この村を出てはどうか…と」
「出て…いかなかったのですね?」
即座に聞いたのはネオスだった。
「その通り。当の本人は、母親が一緒ならどこにでも行くと言ったのだがな…。母親の方は頑なに拒んでいた。その結果…村人たちの仕打ちがエスカレートしていったのじゃ…」
「そんな…どうして出て行かなかったのよ…?」
ようやく、ミュエリが口を開いた。
「さぁ…ワシにも分からぬ…」
何をどう言っていいか分からなくて、あたしはずっと黙っていた…。他のみんなもそれ以上の言葉は出てこなくて、また、しばらくの沈黙が続いた。
そんな時、再び口を開いたのはラディだった。
「そ、それで…その事とルフェラとどう繋がるんだ?」
「それは…先読みの力でな…この村を救ってくれる 〝救い人〟 として、そなたの事を知ったのじゃ。獣を従えた者が西より現る…とな」
「そ…れが…あたし…!?」
「そうじゃよ」
「あ…でも…あたし…この村を救うなんて…何がなんだかよく分からないし…何をどうすればいいかも──」
「簡単な事じゃ…いや、そのこと自体は難しいかも知れぬが…することは決まっておる」
「…な…に…?」
〝そのこと自体は難しい〟 と聞き、恐る恐る問いかければ──
「──呪われし子を葬むるのじゃ」
「────!!」
それが、ユージンから聞いた話だった──
さすがのルーフィンも驚いていたが、冷静さは失わなかった。
「葬るって……葬るってことは…あの子を殺めるってことよ、ルーフィン…!? そんなのできるわけない!!」
『そうですね…。ではどうしますか?』
「…どうするって…」
『この村の問題は、あくまでも、この村の問題です。たとえ、先読みの力で 〝救い人〟 が現れると言っても、それは彼らが信じているだけのことです。あなたが、この問題に関わらないと決めるのなら、明日にでも村を出る…というのも、ひとつの方法だと思いますが…?』
「村を…?」
『はい。ただし、彼らも必死ですから、そう簡単には出させてもらえないかもしれないですけど』
──考えもしないことだった。
そうか…。
あたしはただの通りすがりの人…。たまたま日の出る方に向かったってだけで、ここにきたのは偶然だったのよ。それをあの人たちが勝手に思い込んだ…あたしが 〝救い人〟 だって。
ついさっきまで、何が起こってたかなんて知らないのに、救えるわけないじゃない…。
ルーフィンの言葉に、あたしはとても救われた気がした。
「…出るわ…明日の日の出前に…」
気付けばそう言っていた。
『分かりました…。では、小屋の鍵もちゃんと手に入れてくださいね』
「もちろん。上手く拝借するわ」
冗談とも思える口調でそう言うと、あたしはやっと立ち上がり、宿に帰ることにした。
あたしたちが帰ると、既にユージンたちの姿はなかった。
少し前に帰ったらしい。
びしょ濡れで、泥まみれ…しかも、転んだ時の傷口から滲む血を見て、ローディはもちろん、ネオスたちも驚いていた。けれどそれ以上に驚いていた理由は、飛び出した時に比べて、断然、あたしが平気そうな顔をしていたからだろう。
あたしは、勧められるがまま お風呂に入り、傷口には薬草を塗ってもらった。
一段落すると、急にどっと疲れが出てくるもので…あたしは大事な話──明日の朝、日の出前に村を出る計画──をする前に、しばしの休息を取ることにしたのだが……。
それを実行するどころか、ネオスたちに伝えることすらできなかった──