8 悟り木の思い出と見つかったタウル
天の煌は邪悪なものを弾き、宵の煌は相手からの攻撃を沈め無力化する…。
天の煌は月の光で…それが邪悪なものを弾くのだとしたら、イオータが持っているあの布に宿っているのは、おそらく天の煌…。つまり、彼の仲間も天の煌を扱えるってことよね…?
あれ、でも…イオータだって月の光は扱ってたし、わざわざその力を宿した布を残す必要なんてないんじゃ…?
朝食を終え一人森の中を歩いていたあたしは、今までの事を整理していて、そんな疑問が浮かんで立ち止まった。
黒風を追い払う時も月の光を吹き掛けてたし…暗くて見えないからって月の光を借りてたはず…。そう、月から光を借りて──
〝これはな、オレが月から借りた光だが、オレだけの力でもないんだぜ〟
ふと、その時の会話が思い出された。
そう…だ…。確かあの時、あたしからも借りたって言ってたわよね…あたしの潜在する力を借りた…って。でもそれってどういう事…?
自分にその力があるなら借りる必要なんてないはずよね…? それとも、本当はイオータにそんな力がなくて…だから仲間がその力を宿した布を残したってこと…?
そう考えてみたものの、あたしはすぐに頭を振った。
そんなわけないわ…。あたしにその力があってイオータにないわけがない。だとしたら、あたしにその力があるって事を教える為に、そう言ったと考える方が無難だろうか…。
じゃぁ、宵の煌は…?
解決する・しないは別にして、今までバラバラになっていた疑問を自分なりに整理し繋げていく。あたしは次に、青白い光が出ていた左手を見つめた。
宵の煌は相手からの攻撃を沈め無力化する。だから結界を作る時に使われたのよね。でもそれは結界を作るだけの力でもない。あたしが動けない時に使ったら動けるようになったし、心の臓の発作の時もイオータはその力を使おうとした。という事は、やっぱり宵の煌は何かを治す事も可能ってことだ。
──と、そう結論付けてハッとした。
もしかして…宵の煌を自在に扱えるようになったら、死の光が現れた人でも救える…!?
病気や事故や、誰かに殺されるような事があったとしても、あたしがそこにいて死の間際にその力を使えば助かるって事…!?
その 〝もしかして〟 の仮説は、あたしに希望を抱かせた。
もしそうなら…もしそうなら……ルシーナの母親も助ける事が出来るってことよね!?
あ…あぁでも、自在に扱えない今のあたしには無理だ…。唯一それができるとしたら、同じ力を持っているイオータだけだけど… 〝母親をその力で救って〟 なんて頼めない…ううん、頼んだところで決して聞いてくれないわ。変えてはいけない運命を…その運命の重さをクルド夫妻に説いたのは彼なんだもの。
結局、自分で何とかするしかないのに、その力がないなんて……。
あたしは悔しくてその手をギュッと握り締めた。
力が…欲しい…。死の光が見える力なんていらないけど、誰かを救う事ができる力なら欲しい…。
あたしは初めてそう思った。
だけど、いつか必ずその力は使えるはずだ。結界はリヴィアも張ったって言ってたし、ジェイスは天の煌も宵の煌も自在に操ってた。エステルがその力を操ってるのは見たことないけど、死の光なら二人とも見えてたのよ。みんな全ての力が共通してるわけじゃないけど、あたしとの共通点はみんなにある。だとすれば、きっとみんな同じ 〝人種〟 のはずだ。
だからきっと、あたしにも使える日がくる…!
そう、思えた矢先だった──
〝オレとあんたは同じ系統ってだけで、決して同じじゃぁない〟
再び不安になるようなイオータの言葉が蘇ってきた。
あれはどういうことだろう…。同じ力があるのに……同じ 〝人種〟 のはずなのに、同じじゃないなんて…。
そんな結論を否定されるような言葉に再び首を傾げていると、ふと何か黄色いものが上から落ちてきたから、途端にそれまでの思考が途切れてしまった。反射的に落ちたものを追いかける。
イチョウの葉…?
次いで上を見上げれば、今更ながら自分の周りが全てイチョウの木であることに気が付いた。ひとつふたつ葉っぱが落ちると、まるでそれが合図でもなったかのようにカラカラと音を立てて落ちていく。そして地面は瞬く間にイチョウの葉で黄色に染まっていった。
あたしは雨のように降ってくるイチョウの葉を見上げ、しばらく動けないでいた。
何だろう…この引き込まれるような感覚は……。
イチョウの葉が、頭や顔に当たって落ちていく…。次から次へと落ちてくる映像はもちろん、体に当たるその感覚や音が何かとても懐かしく感じたのだ。──と同時に、夢を見ているような感覚に襲われた…。
黄色…?
周りの景色が、突如、淡い黄一色に変わったかと思うと、次いで子供の声が聞こえてきた。一人は男の子で、もう一人は女の子だ。
「また、ここにいたんだ?」
「うん。だって、すっごく綺麗なんだもん」
「風邪引くよ?」
「大丈夫。こうやってると…ほら、イチョウの布団に包まれてくでしょ?」
イチョウ…?
そう繰り返して、〝あぁ、そうか…〟 と思った。
この黄色はイチョウなんだ…。
夢であれ何であれ今と同じ状況なんだと理解すると、途端にその淡い色が、地面に敷き詰められたイチョウの葉に変わった。そして何故か、あたしはその女の子になりイチョウの葉の上で寝転んでいた。
青い空に映える黄色いイチョウがあたしの上に降り注ぎ、耳元では心地いいほどカラカラと乾いた音が鳴り続けている。あたしは、極自然に目を閉じてその音を聞いていた。
そんなあたしに、また男の子が話しかける。
「そのまま埋まってしまうよ?」
「…うん」
「僕が見つけられなくなったらどうするのかなぁ…?」
「そんなの心配してないもん…。…ィ…なら、あたしがどこにいても見つけてくれる…」
「見つける前に踏んづけたら…?」
「………………」
「もしくは隠れてると思って、気付かない振りするかも」
「………………」
「そしたら、葉っぱの下の小さな生き物と一緒に冬眠するしか──」
「イ…ジワル…!」
あたしは一人になる寂しさを感じて、思わず跳ね起きた。と、そこにいた男の子を目にしてひどく驚いた。
この子って──!?
「あはは、ごめん、ごめん。だって、このままいたら明日には雪が──」
「──雪が降るよ」
「え…?」
突然、同じような言葉が夢の中の男の子と聞き覚えのある声で同時に聞こえ、ハッと我に返った。辺りを見渡せば、ルシーナがあたしのすぐ後ろから歩いてくるところだった。
「二・三日もしたら、雪が降るよ」
言葉を付けたし、再びルシーナが繰り返した。
「……分かるの?」
「うん。だって、イチョウの木が教えてくれてるもん」
「イチョウの木が……?」
「イチョウの木には神様がいるんだって。雪が降る二・三日前になると、風がなくてもこんなふうに葉っぱが落ちてくるのは、イチョウの神様があたし達に知らせる為に落とすんだって、お母さんが言ってた」
そう説明され、あたしはふとその話を知っているような気がした。いつどこで誰に…なんていうのは分からないが、遠い昔にそんな話を聞いたような気がしたのだ。そして、ほぼ無意識的に浮かんだ言葉が口をついて出た。
「悟り木…」
その言葉に、ルシーナが 〝なんだ〟 という顔をした。
「おねえさんも知ってるんじゃん」
「え…?」
「雪の降る日を知って自ら葉を落とす…そんないわれもあって、イチョウは 〝悟り木〟 とも言うんだってね。どっちかって言ったら、あたしはそっちの方を信じちゃうけど…」
「……………?」
「でも本当は、単に雪が降るくらい寒くなるから葉っぱが落ちる…っていうだけだと思うんだ。だって…神様がいるなんて、あたしには信じられないもん」
「ルシーナ…」
「まぁ…お母さんは、あたしに神様がいるって信じて欲しいみたいだけどね」
そう言うと、ルシーナは少し困ったように笑った。
そんな彼女に、あたしは何も言ってあげられなかった。
きっと彼女は何度も願い、信じたのだろう。
たとえ法律では大罪でも、父親が 〝人として〟 していることは間違っていない。父親を殺した役人が、法律上では正しくて罰せられないなら、法律とは関係のない神が……誰にでも平等である神が罰してくれるはずだ、と。そして、それがダメならせめて母親の病気を治して欲しいと願ったに違いない。なのに、未だにそのどちらの願いも叶えられていないのだ。
父親が殺されてからどれくらい願ったの、ルシーナ?
悲しみや苦しさを抑えながら、何度神に願ったの…?
どちらかひとつでも叶えてくれたら、ルシーナの心は救われたはず…。
どちらかひとつでも叶えてくれたら、神の存在を信じられたはずだ…。
毎日願い、何もない日々が繰り返されるたび裏切られた気持ちになれば、誰だって神がいるなんて信じられなくなる。だからルシーナは信じる事をやめ、自分の手で叶えようと決めたのだ。
〝あたしがお母さんの病気を治さなきゃ…〟
あの言葉には、そんな強い思いがあったに違いない。だとしたら…父親の仇をとってあげるどころか、彼女の母親さえ救えないあたしが、いったい彼女に何を言ってあげられるというのだろう…?
何も言ってあげられやしないじゃない…。
神を信じないというルシーナの気持ちと、何ひとつしてあげられない自分が情けなくて、あたしはただただ、目の前で落ちてくるイチョウを楽しそうに両手で受けようとするルシーナを黙って見ているしかなかった。
そんな時、ふと何かを思い出したかのようにルシーナが振り返った。
「ねぇ、そういえばさ…向こうのおねえさんには何があったの?」
「向こうのおねえさん…?」
「ほら、ケガしたおにいさんと一緒にいる綺麗な人…えっと…名前は……」
「あぁ、ミュエリの事?」
「そうそう、そのおねえさん。あのおねえさんも神様はいないと思うって言ってたからさ」
ミュエリが…?
「いても、自分は嫌われてるからって」
「いつ…言ってたの?」
「う~ん…おにいさんに謝りに行った日。あの日、話の流れで神様の話になってさ…あたし…神様はいないって部屋を飛び出しちゃったんだよねぇ…。そしたらすぐにあのおねえさんが追いかけてきて……当たり前だけどみんな神様はいるって信じてるじゃない? 誰もあたしの気持ちなんて分からないって思ってたから、あたし、おねえさんにそう言われて、何か安心したっていうか、〝あぁ、この人も同じなんだ…〟 って思えたんだよね。だけど気付いたら理由とか聞くの忘れちゃってて……だから今ふっと思い出したの、あの人には何があったのかなーって」
〝おねえさんは知ってるんでしょ?〟
無言でそんな質問を繰り返され、あたしは考えもしなかった告白にすぐには返事ができないでいた。
まさか、ミュエリまで神の存在を信じてなかったなんて…どういうこと…?
どっちかっていったら信じてる…ううん、あたし達の中じゃ、誰よりも信じてるとさえ思っていたのに…。そう思う根拠は特にないけれど、信じないと思う根拠はもっとない…。
それとも、ルシーナの気持ちを分かってあげたくてそう言ったとか…?
可能性としては考えられる事だったが、あたしは 〝ううん、そうじゃないわね…〟 と首を振った。
ルシーナの気持ちを思ってそう言ったとしても、〝自分は嫌われてるから〟 とまでは言わないだろう。
ミュエリにとって闇があるなら、いったいなんなのか…。それらしい事があったかと、いろいろ思い出してみれば──それが関係あるかどうかは分からないものの──ミュエリらしくない言動があった事をふと思い出した。
そういえば…テトラたちの御霊を送り出したあと怒ってた時があったわよね…。何も悪い事してないのに死んじゃう…とか、死んで当然の人はいるのに、いつだって命を奪われるのはいい人ばっかり…とか…。
法律上では大罪でも、ルシーナの父親は悪い事をしてなくて殺された…。
同じ気持ちの二人が、言ってる事と置かれた境遇が似ている事に、あたしは何か嫌な感じを胸に覚えた。
ひょっとして、ミュエリにも同じ経験が…?
〝嫌な感じ〟 を心の中で言葉にした直後、ルシーナの声が聞こえてハッとした。
「…ね…さん…おねえさん!?」
「え…? あ…ご、ごめん…」
質問にも答えずボーっとしていたあたしに、ルシーナは大きな溜め息を付いた。
「その様子じゃ、知らないみたいね?」
「…う…ん、まぁ……」
「そっか…。──ねぇ、おねえさんたちってさ、仲悪いの?」
「え…?」
突然の違う質問に、その意味よりも 〝何故その質問〟 なのかが分からなくて答えに困っていると、ルシーナは気にせず続けた。
「だって、友達なら普通そういう話するでしょ? 言いたくないこともあるかもしれないけど、辛い事とか話してさ、慰めたてもらったり力になってあげたり…こう…なんていうのかな、支えあったりするじゃん?」
「そう…ね…」
「でしょ? 知り合って間もないって感じじゃなさそうだし…だったら、仲が悪いのかなぁって思ってさ」
「……………」
ルシーナの言葉に、あたしは何か冷たいものが心の中を通り過ぎたような気がした。
毎日のように言い合いをしていても、別に嫌いだからとか仲が悪いからというわけではない。本当に嫌いだったら一緒に旅なんかしていないもの。それどころか、テトラの御霊を両親のところに連れて行ったときも、ミュエリはあたしがウソをつく人間じゃないって信じてくれてたのよ。あんなこと言うとは思ってなくて…正直、嬉しい反面、驚きもしたけど…でもそれは信じてくれてないと思ってたからじゃなく、素直に口にしたことに驚いただけなのだ。
普段は意地を張って素直にならない時もあるけど、それでも旅を通して今まで見せなかった一面を見せてくれるようになった。その度に、あたしは何も知らなかったんだなぁ…って情けない気持ちになったけど、同時に距離が縮まった気がしたのよ。でもまさか、ミュエリが何か大きな闇を抱えてるかもしれないだなんて…。
もし本当に闇を抱えているのだとしたら、どうしてあたし達に何も言わないの…? 神を信じなくなるなんてよっぽどの事でしょ?
人には言いたくないことかもしれないけど、一人で抱えてるのだとしたら、やっぱり一緒に旅をしている仲間として、言って欲しいじゃない…。それとも、神を信じてない理由を聞いて、あたし達がまともに取り合わないとでも思ってるの? だとしたら、バカよ、ミュエリ…!
あたしは逆の立場であることも忘れ、そんな寂しさと悔しさを、ここにいないミュエリに向けてぶつけていた。
「なんか…変なこと言っちゃったかな、あたし…?」
「………?」
「あたし、思ったことなんでも口にしちゃうからさ……知らないうちに相手の人を傷付けちゃったりして…それでよくお母さんにも怒られるんだよねぇ…」
あたしが黙ってしまったからだろう。ルシーナが 〝またやっちゃったかなぁ…〟 とバツの悪そうな顔をしたから、あたしは首を横に振った。
「そんなことないわよ」
「ほんとに…?」
少し心配そうな目を向けるルシーナに 〝うん〟 と頷いて見せれば、すぐさまいつもの笑顔が彼女に戻った。
「良かった。じゃ、そろそろ戻らない、おねえさん?」
「そうね。ディトールたちも来る頃だしね」
「うん。──さぁてと、今日はどっちと来るのかなぁ~」
イオータと来るのか、それともミュエリと来るのか。半ばどうでもいい事を楽しみにするルシーナの一方で、あたしは降ってくるイチョウに不思議な夢の余韻を感じながら、その場をあとにしたのだった。
家に戻ると、ディトールだけが既に来ていた。イオータかミュエリが一緒じゃなかったのかと聞けば、途中まではイオータと一緒だったが、急に野暮用を思い出したらしく、どこかに行ってしまったのだという。
最初は、こんな時にディトールだけ来させるなんて…と思ったのだが、考えてみれば一人で出歩いて危険なのはタウルのみ。少なくとも薬草を扱っているとバレない以上、ルシーナやディトールに危険はないわけで、ならばイオータたちがついてこなくても何ら問題はないのだということに、今更ながら気付いたのだった。
タウルから何か聞けたかどうかだけ確認すると──結局、何も分からないままだったが──ルシーナはディトールとルーフィンを連れて薬草探しに出掛けて行った。
朝起きた時、昨日の事があったからやめたほうがいいと言ったのだが、〝こんなことで負けたくない〟 という思いがあったのはもちろん、朝から母親の体調が優れず寝込んでしまったのと、先ほどのイチョウを見て、雪が降る前に摘んでおきたい薬草もあるから…と、出かける気持ちは更に強くなったらしい。だったらあたしかネオスが一緒に…と提案したが、たとえあたし達にでも場所は教えられないということで、最終的にルーフィンを連れて行くことで納得したのだった。
頼むわよ、ルーフィン。危険だと思ったらすぐに連れ帰ってきて…。
出かける直前にルーフィンに伝えた事を、あたしは彼女たちを見送りながら、もう一度 心の中で繰り返した。そんなあたしを安心させるように、ネオスの手があたしの肩に触れた。それがまた、本当にホッとするから不思議なのだが…。
「ルーフィンは勘が鋭いから、きっと大丈夫だよ」
「…うん。あとはルシーナがそれを信じてくれればいいんだけど…」
「それこそ心配ないんじゃないかな。なんてったって初めて会った時に、ルーフィンの性格を見抜いたルシーナだよ?」
「あ…そっか…」
「それに……いいのか悪いのか、今のルシーナは神様よりルーフィンの事を信じてるしね」
「…そうね」
それは、悲しいけれど確かな事だと思えた。と同時に、その言葉でルシーナとの会話を思い出した。
「そういえばネオス、ミュエリも神の存在を信じてないって…知ってた?」
一瞬、どうしてその事を知っているのかという顔をしたが、すぐにルシーナから聞いたものと理解したのだろう。ネオスは静かに首を振った。
「僕たちも数日前に初めて知ったところだよ。部屋を飛び出したルシーナを追いかけていく時、ミュエリが言ったんだ。〝あの子の気持ちがよく分かる〟 って。今までにもミュエリらしくない時があったからね。もしかしたらそうじゃないかって、そうみんなで結論付けたんだけど、原因まではね…」
「そっか…。でも、その結論は間違ってなかったわけだ…」
「──というと?」
「ルシーナにはハッキリ言ったみたいなのよ。〝自分も神様はいないと思う。いても嫌われてるから〟 って」
「いても嫌われてる…?」
繰り返した言葉に、あたしは無言で頷いた。
「ねぇ、ネオス──」
「分かってるよ」
「え…?」
「それとなく、ミュエリが抱えてる事を聞いてあげて欲しい、だろう?」
言おうと思っていたことを先に言われたから驚いた。そんなあたしを見て、ネオスがクスリと笑う。
「実は、ラディにも頼まれたんだ」
「ラディに?」
「自分が聞いたところでケンカになるのがオチだし、話せば少しはラクになるだろうから、聞きだしてやってくれって」
「珍しい事も…あるのね…」
「それだけ深い傷だって分かったんじゃないかな。それに、ラディは僕と違って優しいからね」
「え…?」
あたしは意外な言葉に驚いた。その驚きにネオスが続ける。
「弟や妹がいたからかな。面倒見もいいし…普段はケンカばかりしてても、何かあったら本気で心配するし気に掛けたりもするんだよ。まぁ、そういう態度はあまり見せないようにしてるみたいだけどね」
「……………」
ち…がう…。あたしが驚いたのはそんなことじゃない…。
ラディが意外に優しいというのは、ネオスの説明ほどではなくても気付き始めていた。だから、あたしの驚きはそこではなかったのだ。
その驚きの意味を聞いてみようと口を開ければ、
「悪魔だって」
「…………!?」
一瞬だけネオスの方が早く、それがまた恐ろしい言葉だったため、緊張すると同時にあたしの疑問は吹き飛んでしまった。けれど、次の言葉でその緊張も一気に和らぐのだが。
「ラディ曰く、〝傷付いてるヤツ見ると、それが悪魔でもほっとけねぇタチなんだ〟 だそうだよ」
「それって…ミュエリが悪魔に例えられちゃったってわけ…?」
ネオスが 〝そう〟 と頷いた途端、そういう状況でもないのだろうが、思わず二人して笑ってしまった。でもそれがある意味、区切りになった。
「さてと…じゃぁ、僕は新しい矢でも作って腕を磨こうかな」
「あと、何本くらい作る予定なの?」
「これからの事もあるし全部で十本くらいは作ろうと思ってるけど…矢筒も必要だからね。とりあえず作れるだけ、かな」
「そう…」
これからの事…。
あたしはその言葉に少しドキッとした。これからの事とは、また昨日と同じような事が起こったら…というだけの事ではない。クモ賊を罰したあと、こういう事はこれからも増えると言ったイオータの言葉を含めての 〝これからの事〟 に違いなかったからだ。そしてこれからは狩猟だけじゃない。きっと自分達の命を守る為に必要な道具のひとつになるのだと思ったら、急に昨日の光景が脳裏に浮かんできて、同時にハッとした。
「ネオス…」
「うん?」
「弓…作り直した方がいいんじゃない?」
一瞬、〝どうして?〟 という顔をしたが、あたしが言いたいことはすぐに理解したようだ。けれど返ってきた言葉はあたしの予想とは全く違うものだった。
「大丈夫だよ、誰にも触られてはいないから」
「そんなはずは……だって弓も矢も床に転がってたのよ? あいつらがそれを掴んで放り投げたとしか──」
「例えそうだとしても、誰にも触る事はできないから大丈夫だよ」
「……………?」
自信ありげに、だけど言っている意味が分からず更なる説明を求めようとすれば、ネオスが手に取った弓の端にふと目を奪われてしまった。なぜなら、そこには細い赤い紐が巻きつけられていて、それが初めて見る光景のはずなのに何故か見覚えがあったからだ。
「ネオス、それって…」
昨日の朝にはついてなかったはずだと、故に 〝いつから?〟 と指をさせば、その指の先をネオスの視線が追った。
「あぁ、これかい? 昨日、ルシーナに貰ったんだ。お守りの話をしたら、自分も渡すから付けて欲しいって言われてね。でも補強する所は残ってないし…それでここにね」
「…そうだったんだ…」
「ダメ、だったかな?」
「え? あ、ううん…そうじゃなくて…。ねぇ、村の人で赤い紐をそうやって巻いてた人っていたっけ?」
「補強の下じゃなくて…ってことかい?」
「うん…」
「いや、いないと思うよ。表に巻くと雨や風に当たって、破れたり切れやすくなるからね」
「そう…よね…」
その答えは、あたしの予想通りだった。だから見たことはないはずで、なのに何故か見覚えがあるから気になったのだ。
どこで見たんだろう…。確かに赤い紐が同じ場所に巻いてあって、それを見たはずなのに…。
記憶を辿ってもそれはとてもおぼろげで、記憶というには遠いような気もする…。だけど──
「…どうかした?」
「…え?」
今にも消えそうなほどの記憶を何とか思い出そうとしたのだが、黙ってしまった事がネオスを心配させたのだろう。名前を呼ばれて、何度目かの思考がフッと途切れてしまった。
「あ…う、ううん…何でもない。ちょっと珍しいな…って思ったからさ…」
「まぁ確かに、普通はこんなことしないからね」
その言葉に、あたしは 〝そうよね…〟 と頷いた。
「──じゃぁ、そろそろ行ってくるよ」
「あ…うん、気を付けて」
「ルフェラも」
そう言ってルシーナたちを送り出した裏口にネオスが歩き出した時だった。何かがつま先に当たったのかカサッという音が聞こえ、反射的に足元を見れば、それは昨日ルシーナが見つけたディトールの絵の切れ端だった。
ネオスはそれを拾い上げるとしばし無言で見つめていたが、ややあって発した言葉は、あたしの疑問を更に増やす事となった。
「ルフェラ、ここを荒らしたのは本当に役人だと思うかい…?」
「…え? それって…どういう意味…?」
「うん…僕もよく分からないんだけど、違和感というか何かしっくりこなくてね…」
違和…感…?
それがどんな違和感か聞いてみたかったが、それが分かれば 〝違和感〟 とは言わないわけで…故にあたしはその紙を受け取りつつ、〝そう…〟 と返すしかなかった。
「とりあえず、それが何か分かったらまた話すよ」
あまり考え込まないよう笑顔でそう言うと、〝昼には帰ってくるから〟 と付け足し出掛けていった。
それから数時間後、ネオスが帰ってきたのは予告通り昼頃だった。その頃には母親も少しよくなった…と起き出していて、ルシーナたちもそろそろ帰ってくる頃だから昼ご飯でも作ろうかと話していた時だった。そんな矢先、突然 慌ただしく玄関が開いたかと思えば、来るはずのないラディがミュエリに支えらえて飛び込んできたから驚いた。しかも血相を変えて。けれどもっと驚いたのは、ラディが悔しそうに言い放った最初の一言だった。
「…あいつが…タウルが役人に連れてかれちまった……!!」