6 少年の名は… ※
狩をする者にとっての弓矢は、命の次に大切なものとされている。
生きるための獲物を仕留める道具としてはもちろん、襲われそうになった時に身を守る道具でもあるからだ。そして何より大事にしているのは、ひとつの弓矢でどれだけの獲物を仕留め続ける事ができるかという、弓矢の性能と自分の腕に対する誇りだろう。故に、狩人は自分の弓矢を自分で作り、他の誰にも触らせないというのが、あたし達の村の習わしだった。
今朝、ネオスが弓を引く姿を夢で見たと話してから、翌日ルシーナたちを連れて狩りに出かけよう…と決まるのに、そう時間はかからなかった。その為、ネオスはすぐに弓矢作りに取り掛かり、それは夜遅くになった今でも続いていた。
お風呂から出てくると、ちょうどネオスが机に突っ伏すように眠ってしまったルシーナに布団を掛けてあげるところだった。
「寝ちゃったのね、ルシーナ」
「うん、出来上がるまでは起きてるって、さっきまで頑張ってたんだけどね…」
「しょうがないわ。触っちゃいけないって言われても、木を探すところからずっとネオスの後ついて回ってたんだもの。でも…ディトールはともかく、本当にルシーナも連れていっていいの?」
狩猟に女性が禁制なのは、それが男性の聖域だからという理由のほかに、狩猟の神様が女性だから女の人を連れて行くとヤキモチを焼いて、怪我や不猟になるという言い伝えがあるからなのだ。
ルシーナが狩りを見たいと言った時、あたしやミュエリは無理だと言ったのだが、最終的に 〝分かった〟 と口にしたのはネオスだった。
改めてあたしが尋ねると、ネオスはルシーナを見ながら小さく微笑んだ。
「ここが僕たちの村で、尚且つ他に狩猟の仲間がいたら連れて行けないけど、そうじゃないしね。それに、狩猟の神様も子供にはヤキモチ焼かないんじゃないかと思うんだ」
ネオスらしい答えに、あたしは 〝それもそうね〟 と小さく笑った。
「もしあたしが狩猟の神様だったら、みんなが無事に戻ってくる事を願うもの。でも、ミュエリは知らないわよ?」
そう続けた言葉に、一瞬ネオスが驚いたように見えたが、最後の言葉には苦笑していた。
「それにしても、ほんと懐かしいわ。こういう作業を見てると村に戻った気がして…なんか久々にホッとしちゃった。それに、このネオスの 〝印〟 も久しぶりに見るしね」
触れることはできないため、あたしは矢につけた鳥羽根を指差した。
矢には、それが自分のものと分かるように独自の 〝印〟 を付けるようになっている。矢そのものに色を付ける人もいれば、線を一本入れる人もいる。ネオスの 〝印〟 は、鳥羽根の一部分に赤い線を入れるものだった。
村にいた時は数年前からケルプ実採りをするようになったため、ネオスの 〝印〟 さえ見なくなっていたのだ。
「狩り自体が久しぶりだし、弓を作ったのなんてもっと前だからね。本当のこと言うとちょっと心配なんだ、腕が鈍ってないかって」
「大丈夫よ。作り方見てても手際よかったし、矢を射る時の感覚は体で覚えるものだって、よく言ってたじゃない」
「まぁね。とりあえず、ルシーナが起きる前に試し射ちしてみることにするよ」
「そうね、それがいいかも。──で、あとは何が残ってるの?」
「あとは…弓の補強だけかな」
「そう。じゃぁ、ちょっと待ってて…」
あたしはそう言うと、隣の部屋へ 〝ある物〟 を取りにいった。そして短剣を持ってくると、その柄に巻きつけてあった布紐を解いてネオスに差し出した。
「ルフェラ…これってもしかして……?」
「うん、お守り。ほんとは普段身に付けてる物とか、前もって準備して身に付けたものがいいんだろうけど、何もないからさ…。昼間買ってきて、しばらく付けてたのよ」
補強のために巻く樹皮や紐の下には、大抵、〝お守り〟 が一緒に巻きつけられている。それは必ず女性から渡されるもので、その人を大切に思う母親や恋人からのものが多い。その種類も人それぞれで、無事を祈る言葉を書いた紙や布もあれば、あたしが用意した布紐もよくある 〝お守り〟 のひとつだった。
ネオスの場合は十年ほど前に両親が亡くなっていた為、代わりにばば様が 〝お守り〟 を渡していたのだが、今となってはそれも無理なので、弓矢を作るキッカケとなったあたしが昼間買ってきたのだ。
「ばば様みたいな効果はないかもしれないけど、ないよりはいいかな…と思ってさ」
「いや、そんなことないよ。きっと同じくらいか、それ以上の効果があると思う」
「それは言い過ぎよ。──でも、ありがとう」
「僕の方こそ、ありがとう。すごく嬉しいよ」
「…うん」
思った以上に喜んでもらえて、よかった…と思うと同時にお腹の中がくすぐったくなった。ラディの反応とは正反対だが、心から喜んでくれているというのは伝わってくるからだ。
けれどなぜだろう…?
あたしはふと、心のどこかがチクン…と痛んだ気がした。
「どうかした?」
「あ…ううん、何でも。それより、この事は二人には内緒ね?」
〝二人〟 が誰を指すのかは言わずとも分かるもので…ネオスはクスッと笑うと、
「了解」
──と短く答えた。
「じゃぁ…ルシーナ連れて先に寝るわね」
「うん。お休み」
「お休み、ネオス…」
あたしはそう言うと、机に突っ伏したルシーナを軽く起こし布団に連れて行ったのだった。
そして明け方──
あたしは懐かしい音を布団の中で聞いていた。乾いた空気を切り裂くヒュンッという音と、一瞬の後に続く何かを射抜く音だ。矢の速さや射抜く的までの長さが変わるのか、そのリズムは時々 変わる。けれど村一番の腕前は健在だったようで、その音もすぐに聞こえなくなった。
やっぱり心配する事なかったでしょ、ネオス。
あたしは 〝よかったわね〟 と心の中で呟くと、ルシーナに起こされるまで再び眠りについたのだった。
それから数時間後、いつもと同じようにみんなで朝食を済ませると、ネオスとルシーナはディトールがやって来るのを待って狩りに出掛けて行った。もちろん、ルーフィンも一緒だ。
初めての狩りに緊張しながらも期待の方が遥かに上回っているのだろう。二人の目はキラキラと輝き、山の中に入っていく足取りさえも弾んでいるようだった。
あたしとルシーナの母親は、そんな彼らを見送ってから、用意した食材を持って家を出たが、途中 差し入れのクァバナを買うのを忘れなかった。
「ぅおぉ~! ルフェラァー!!」
顔を見るなり、ラディの飛びついてきそうな声が家中に響いた。
怪我してて助かったわ…と思ってることなど、テンションの上がったラディには気付かないことだろう。
「ほら、ここだここ! お前の場所はここだからな♪」
いつかの時と同じく、〝早く座れよ〟 とばかりに自分の隣をバンバンと叩いた。
相変わらずの態度に呆れもするが、この数日間でさすがのミュエリも手に負えなくなったと聞かされれば、あたしが邪険にするわけにもいかないわけで…言われるがままラディの隣に座った。
「それでどうなの、足は?」
「おぅ! やっと今日になって痛みと腫れが引いてきてな…これぐらいなら何とか曲げられるようになったんだ」
そう言って、ラディはゆっくりと足首を回して見せた。昨日までの状態を実際に目にしたわけではないが、聞いていた話からすると確かに良くなってきたようで、あたしも少しホッとした。
「よかったわね」
「あぁ……っつーか、会いたかったぜぇ、ルフェラ!」
「…みたいね。──はい、これ」
「…ンな?」
予想を反しないというのはありがたいもので、抱きついてこようと両手を広げた所で、すかさずクァバナの袋を差し出した。実は、差し入れとは名ばかりで、ラディの注意を逸らす為に買った物なのだ。案の定、その作戦は見事に成功した。
「うぉぉ! クァバナじゃねーか!!」
「ルシーナから聞いたのよ、ラディがかなり気に入ったみたいだって」
「おぉ、そうか! ありがとな、ルフェラ」
「どういたしまして。それからね、ラディ?」
「んあ?」
既にクァバナにかぶりつき、視線だけをあたしに向けた。
「こちらがルシーナのお母さんで、あたしたちがお世話になってる人よ」
そう紹介すると、隣に座った母親がツイと膝を進めた。
「初めまして、ルシーナの母親でレイラと言います。先日は娘があなたに──」
「あ…あぁ~…ス、ストップ…!」
「………え?」
いきなり、クァバナをくわえたまま両手を前に差し出し、母親の言葉を止めた。
「いや…もっ…ほんと、気にしなくていいんだって…。ルシーナにもちゃんと謝ってもらったし……っていうか、あれはオレの反射神経の問題でよ……だからその……なっ? 誰のせいでとかいう話はやめようぜ…?」
「ラディさん…」
「それに…オレのルフェラが世話になってんだし、なぁ?」
最後の 〝なぁ?〟 は、当然のことながらあたしに向けられていた。いつもなら、〝オレの…は余計よ〟 と否定するところだが、今日の一番の目的は今まで溜まったラディのストレスを解消させることにある。故に敢えて否定はせず、出来る限りの笑顔を返せば、ラディの機嫌は更によくなっていった。
そんな姿を見て、〝本当にお好きなのね、あなたの事〟 と微笑ましい笑顔を向ける母親に、あたしはもう、苦笑いを返すしかなかったのだが…。
「──にしても、タイミングよかったよな、あいつ」
「あいつ…?」
いつのまにか、持ってきた食材を覗き見していたラディが呟いた。
「あいつ…って?」
再び問えば、
「いや、昨日な…突然あそこの扉から飛び込んできたヤツなんだけどよ……」
──と庭先の扉を指さした直後、何かを思い出したのか、〝あれ…?〟 と辺りを見回した。
「そういやあいつ、どこ行った?」
その言葉に、ミュエリやイオータも辺りを見回す。
「変ね…さっきまでそっちの部屋にいたのに…。ちょっと、探してくるわ」
ミュエリがそう言って部屋から出て行った為、あたしはその先の説明を求めた。
「…それで?」
「あ? あぁ、それがな…なんか体調悪ぃみたいでよ、立ち上がった瞬間、気ぃ失っちまったんだ。今日の鍋には薬草が入るって聞いたし、ならちょうどいいなーって思ってな…」
「そう…」
「今日の鍋食ったら、一発で元気が出るんじゃねーか? きっとな、あの体調の悪さは疲れと…まともにメシ食ってないからだと思うぜ?」
ラディは 〝間違いない〟 とばかりに、何度も頷いた。
「あ…けどこの事は、他の誰にも内緒だからな?」
「どうして?」
「それがな──」
言いかけた途端、ミュエリが慌てて戻ってきて叫んだ。
「ね…ぇ…ちょっと、大変…! あの子、どこにもいないわよ!?」
「なに…!?」
同時に叫んだのはラディとイオータだった。
「どこにもいないって、どういう事だよ!?」
「どういう事も何も…どっか行っちゃったってことでしょ!?」
「なんで…!? あいつ、追われてんだぞ!? 見つかったら殺されるってゆーのに、なんで出て行くんだよ…!!」
殺…される…!?
「そんなの私が知るわけないでしょ!? それより、探さなきゃ…」
「あ、あぁ…そうだな。出てったにしてもまだそう遠くは行ってねぇだろーし…イオータ、お前も……ッ── !」
「ちょ…ラディ…!?」
足の事などすっかり忘れて立ち上がった為、走った激痛に再び崩れ落ちてしまった。
「何がなんだかよく分かんないけど…あんたが探しに行けるわけないでしょ!」
「けど──」
「代わりにあたしが探しに行くから、あんたは大人しくここにいなさいって」
「そりゃ無理だ」
「え…?」
間髪入れず、イオータが冷静に否定した。更に、〝どうして?〟 という無言の疑問にも答える。
「名前も知らなけりゃ、顔も知らねーだろーが?」
「あ……」
「まぁ…名前を知ったところで、追われてる以上その名を呼ぶことはできねぇし……それに、無事に見つけ出せたとしても、ここまで連れて帰ってくるには危険過ぎるだろ?」
「……………」
「──ってことでオレが行ってくる。ミュエリもここにいろ、いいな?」
そう言うと、〝分かった〟 という返事も聞かずにさっさと出て行ってしまった。
しばらくは 〝あいつ〟 の身を案じて沈黙が続いたのだが、あたしにとってはまず状況把握が必要だった。
「いったいどういうことなの…追われてるとか、殺されるとかって…?」
どっちでもいいから、とにかく説明を…と二人の顔を見やると、最初に口を開いたのはミュエリだった。
「私にもよく分からないのよ。昨日 帰ってきたらあの子が…十二・三歳の男の子が既に布団の中で眠ってて…イオータには厄介な人に追われてるからここでかくまうんだ…って言われただけなの。まさか殺されるだなんて…私も初めて聞いたわよ…。どういう事なの、ラディ?」
「あ…いや、だから…オレもハッキリは分かんねぇんだよ。本人に聞いても言おうとしねーし…ただ、あいつが逃げ込んできた時にイオータが何か感じたみたいなんだ。どうも、あいつを殺そうとしてるって…。だったらオレらじゃなく役人に言って助けてもらった方がいいんじゃねーかって言ったら、あいつ… 〝それだけは絶対ダメです〟 ってすごい剣幕で立ち上がってよ…そのまま気ぃ失っちまったんだ」
「それだけはダメって……それってもしかして──」
「イオータが言ってた厄介な相手っていうのは、役人だったって事…!?」
推測された結論はミュエリも同じだった。その質問に、ラディが 〝あぁ〟 と無言で頷いた。
「そんな…どうして…? 追われてるって言っても…何か店のものを盗んだとか、度の過ぎたイタズラをしたとか…それくらいだと思ってたのよ、私…? それがまさか役人に殺されそうになってるだなんて……いったい何したのよ、あの子?」
「だから、何も分かんねーって言ってんだろ! ただオレは、あいつが殺されるような事をしたとは思えねぇし、ルシーナの父親の事もイオータから聞いたけどよ、どうも役人が信用できなくなったんだよな」
「確かに、それは言えてるかも…」
「…だろ?」
ラディの言い分には、あたしも深く頷いた。
それに、考えてみれば納得できない事がある。役人に追われるという事は、それなりの 〝罪〟 を犯しているはずで…ならばその罪人の名前や顔を街中に公表するのが当然なのに、ここに来るまでに、そう言った話は噂話でさえ一切聞かなかったからだ。それはつまり、役人が密かにその罪人を探し出し、殺そうとしているってことじゃないのだろうか…? でも、内密にする理由は何なの…? 街の人に知られたらマズイってことだとしたら──
──と、そこまで考えてハッとした。
まさか、ラディの言うように罪人じゃないってこと…?
あ…でも もしそうなら、どうして殺されそうになってるのよ…?
考えれば考えるほどわけが分からなくなって思わず溜め息を付けば、突然ラディが大声を出した。
「あぁ~! もう、やめだ、やめ!! ホントのこと聞くにしても、イオータが連れ帰ってくるまで待つしかねーんだしよ、せっかくルフェラたちが来たんだから、もっと楽しい話しようぜ、な?」
「それもそうね。でも、ネオスが来たらもっと楽しいのに…早く来ないかなぁ…」
「あいつは、獲物が獲れなくて遅ぇんじゃねーか?」
「失礼ね、村一番の腕前よ!?」
「けど、かなり長い間 握ってねーだろ? きっと鈍ってると思うぜ、その腕」
「そんなことないわよ。ああいうのはね、体で覚えるものなんだから。弓を構えた姿だって、何年も握ってないとは思えないほどサマになってるし──」
「見た目じゃねーだろーがよ?」
「分かってるわよ、そんなこと。ただ──」
「大丈夫よ、ミュエリ。朝方 試し射ちしてたけど、村一番の腕前は健在だったから」
「と、当然でしょ。──ほら見なさい。だいたいねぇ、自分の腕が鈍ったからってネオスまで一緒にしないでよ!」
「何だと!? オレの腕はな──」
「鈍ってないわよ、ラディも」
「おぉ…?」
「ダルクさんの宿の裏で沢山釣ってきたでしょ? 短時間であれだけ釣ってこれたんだもの、その腕前は鈍ってなんかない。ちゃんと分かってるって。だから、また魚釣って食べさせてよ、ね?」
そう言うと、ラディの顔がパッと輝いた。
「おぅ、任せとけ! でっかいの釣って食わしてやっからな!!」
二人が喋ると言い合いになるのは相変わらずで…けれど、今はその間に入る事がそれほど苦痛ではなかった。少なくとも他の事で頭を悩ませるよりは随分とマシだったからだ。
変わらない二人の会話が、変わらない時間を思い出させてくれる。きっとそれは甘えなんだと知りながらも、あたしは束の間の安らぎに身を置いていた。
それからどれくらい経っただろう。二人がそっぽを向いてしまうような事もなく無難な時間が過ぎると、外はだいぶ暗くなり始め、あたしたちは囲炉裏のある部屋に移動した。
〝二人の共同作業〟 という言葉に惹かれ、ミュエリが一人で作り始めた鍋も、今やネオスの獲物を入れるだけになっている。
そんな頃、まるで匂いにつられたかのように玄関の開く音が聞こえた。〝来たわ!〟 と満面の笑みを浮かべ立ち上がったミュエリだったが、部屋に入ってきたのはイオータ一人で、即座に 〝なんだ…〟 と座り込んでしまった。とはいえ、別にイオータへの想いがなくなったわけではなく、単に毎日顔を合わせているイオータより、会ってないネオスに対する気持ちの方が勝っているというだけの事なのだが。
「 〝なんだ…〟 とはなんだ…」
いつものミュエリなら有り得ない態度に、さすがのイオータも眉を寄せたが、
「ネオスたちがまだ来ないのよ」
──と小声で説明すれば、〝そういう事か…〟 と納得した。
「──それより、例の子は見つからなかったのね?」
「あぁ。アイツらもまだコソコソと捜し回ってたから、捕まってはいないんだろうけどな…」
「そう…」
「ま、今すぐどうのこうのって事じゃねーから、そこら辺は安心してんだけどよ」
〝今すぐどうのこうのって事じゃない〟
ラディもミュエリもその言葉に疑問は持たなかったが、あたしにはそれが何を意味しているのか分かった気がした。つまり、その子の頭上に死の光が見えてないという事なのだろう。
「──にしても、遅ぇな、あいつら? もしかして、獲物が獲れねぇんじゃ──」
「そんなわけないでしょ!」
最後まで言わせないよう叫んだのはもちろんミュエリで、慌ててイオータが訂正した。
「いや、大猟すぎて持ってくるのに手間取ってんだな」
その言葉に、〝そうよ、絶対そう!〟 と何度も頷くミュエリに、イオータは気付かれないように溜め息を付いたのだった。
その時、再び玄関の開く音が聞こえた。
「とぅちゃ~く♪」
ほぼ同時に聞こえたルシーナの声に、今度は間違いない…とミュエリが出迎えに行く。すると、〝え…誰…?〟 と少々驚くような声が聞こえてきた。
誰…って、どういうこと…?
不思議に思い部屋の皆と顔を見合わせていると、バタバタバタ…とルシーナたちが駆け込んできた。そこで目にした人物に、あたしはミュエリと全く同じ言葉を投げかけていた。
「…誰…?」
ルシーナの横には白い布を頭からすっぽりと被って、薄い黄色のスカートを履いた、同じくらいの女の子がいたのだ。後ろにはネオスとディトールと、出迎えに行ったミュエリが立っている。
「友達…?」
極当たり前の質問をすると、ルシーナが 〝んふふふ〟 と笑った。
「すごい偶然よ、おねえさん。ほらっ!」
そう言って、女の子が被っていた白い布を後ろに引っ張れば──
「タウル!?」
「お前っ…!?」
現れた顔にあたしやラディが驚き、同時に顔を見合わせた。
「タウルって…ルフェラ、知ってんのか?」
「ラディこそ…昨日逃げ込んできた子って、この子だったの…?」
「あぁ、名前は知らなかったけどな──」
「ほらね、すごい偶然でしょ?」
あたし達の会話を聞いたルシーナが、そのあとに続いた。
「狩りを終えて家に帰ってきたらタウルが外で待っててさ、しかもディトールとも知り合いだって言うじゃない。聞けば誰かに追われてるっていうし…でも顔色が悪かったから、とりあえず休ませようって事になって…それでちょっと遅くなったんだ。でも、完璧でしょ、この変装?」
〝ほら見て〟 とタウルを紹介するように両手を向けたルシーナは、得意げな笑みを浮かべていた。確かに、細身で顔を隠しスカートまで履いたタウルは女の子以外には見えなかった。
─にしても、まさか役人に追われ殺されそうになっているのがタウルだったとは…前に言ってた 〝探している女の子〟 と何か関係があるのだろうか…?
逃げ込んできた少年がタウルだと分かって、尚更その理由が思いつかないでいると、既に一口大に切って持ってきた鶏肉を鍋に放り込みながら、ルシーナが代弁するように幾つか質問をした。
「だけどさぁ、追われてるって一体誰に追われてるの、タウル?」
「え…」
「──役人だよな?」
躊躇いもなく代わりに答えたのはイオータで、その言葉にタウルはもちろん、ルシーナも驚いた。おそらく、タウルの驚きは 〝どうして知っているのか〟 なのだろう。
「役人に追われてるって…何したのよ? もしかして、何か盗んだとか!?」
「はは…思いつくことはみんな一緒だな。けど、盗みだけで殺そうとまではしねぇだろ?」
「…………!?」
思った以上に深刻な言葉にも拘らず、それが小さな笑いのあとにサラリと続いたからか、ルシーナの驚きもワンテンポ遅れてしまった。
「こ、殺そうと──!? ちょっ…それホントなの、タウル!?」
隣に座っているタウルの腕を思わず掴んだが、タウルは 〝違う〟 と言うどころか、首を縦にも横にも振らない。けれどそれが答えなのだろう。
「…あ…まさか…あたしのせい…? あたしの渡したお茶が見つかって、それで──」
「ち、違います!」
ルシーナの言葉に、一瞬あたしもその可能性があったか…と思ったが、それはすぐに否定された。
「あれは…関係ありません…」
「ホントに…?」
「…はい、こうなったのはもっと前からなので…」
「そう…ならいいけど…。でもさ、もっと前から…ってことは、ホントに何したの?」
「それは……」
「役人に追われて、しかもその役人があんたを殺そうとしてるなんて…薬草を扱う大罪じゃないとすれば、あとは人を殺める事くらいよ? でも、あんたにそんなことできるわけないし、するようには見えないしさ…。ねぇ──」
「ルシーナ」
質問が質問だからだろう。もうやめなさい、とばかりに止めたのは母親だった。
「だって…」
興味本位だけではなく、本当に心配しているのは彼女の表情を見れば分かることで…けれど、俯き加減で何かを必死に堪えているようなタウルの姿を目にして、やはりと言うべきか、母親は静かに首を振った。その態度に、ようやくルシーナが 〝しょうがない…〟 と溜め息を付くと、今度は別の話題に切り替えた。
「じゃぁさ、捜し人は見つかったの?」
「捜し人?」
タウルの返事より、ミュエリが先に聞き返した。
「捜し人って…誰か捜してたの?」
「うん。会った事もない女の子を、ねぇ?」
〝そうよね?〟 と問いかけられ、タウルが小さく頷いた。
「会った事もないって…どうしてまた…?」
「でしょぉ~? しかも、名前はおろか特長さえ分からないって言うしさ…どうやって見つけるつもりなの、タウル?」
「…捜し人を確かめる方法はあります…確実ではないですけど…」
「何だ、そうなの? じゃぁ、それ教えてよ。あたし達も協力するからさ」
「それは…ダメです…」
「ダメってねぇ…そんな体で持つわけないって前にも言ったじゃん。手伝ってくれる人がいないならあたし達が──」
「それがダメなんです…!」
「タ…ウル…?」
「…これは…人に知られてはダメなんです…僕が 〝その人〟 を捜してるとバレては……もし彼らに知られたら…捜してる人が 〝その人〟 だと知れたら──」
「あぁ~、もうやめようぜ? タウルも もういいって、な?」
聞いても話さないと分かったからか、それともタウルの態度を見兼ねてなのか、ラディがその会話を断ち切った。
「知られちゃマズイって言ってんだし、話したくないってゆーよりは、話したくても話せねー状況なんだろ?」
「……………」
「だったら、オレらもこれ以上 聞かねーよ」
「でも、おにいさん──」
「いいんだって。──けどな、タウル…オレらはお前の味方だから、それだけは忘れんなよ?」
そう言ったラディはいつものような年下には見えず、どちらかと言うと歳相応の 〝おにいさん〟 的な存在を感じさせた。
おそらく、弟たちの面倒を見ていたラディも、こんな感じだったのだろう…。
あたしはふとそんな事を思いながら、〝それでいいよな?〟 との問いかけに、素直に頷いたのだった。
「ヨシ! ンじゃ、メシ食おうぜ? ちょうど鶏肉も煮えたし…オレ、もう腹減って死にそうなんだ。─ほら、タウルもいっぱい食え、な? 今日の鍋は栄養満点だから、明日のお前はチョー元気になってるはずだぞ」
「そうそう。それとあたし特製の あのお茶を飲めば──」
──とルシーナが続いて、そこでハッとした。
「あぁ~、しまったぁ」
「な、なんだ、どうしたんだよ?」
「お茶持ってくるの忘れた…」
「お茶…?」
「そう、体にいいお茶…。持ってくの忘れないように…って、朝から用意して机の上に置いといたのに…」
「あ…あの…」
せっかく用意したのに…と落ち込むルシーナに、タウルが言い難そうに続けた。
「…あれならまだここにも……」
変装した服の下からそろりと差し出したのは、数日前に渡されたままの袋だった。
「これは…」
受け取ったルシーナが中身を確認するように覗き込めば、少々残念そうに肩を落とした。
「…一回も、飲んでないね…」
「すみません…飲もうと思っても家では一人になる事ができなくて…」
「そう…。でもまぁいいや。そのお蔭で二人…ううん、三人に飲んでもらえるもんね」
そう言った三人目の視線はあたしに向けられていて、再度 〝ね?〟 とニッコリ笑いかけられたから、あたしも少々引きつった笑顔を返すしかなかった。
ま、まぁ…確かに目の前で眩暈を起こしちゃったし…仕方ないわよ…ね…。
断る理由のない状況の中で、あたしは飲んだ事もないお茶の味を想像しつつ、目の前のおいしい鍋に手を伸ばしたのだった。
それから数十分後──
大量に持ってきた鍋の材料はあっという間に食べつくされ、ディトールの両親が帰ってきても鍋に薬草が入っていた事など分からないくらい綺麗に片付いた。
食事中も賑やかだったが、初めて狩りに行ったルシーナやディトールの興奮はまだ冷めやらず、食後もその話が続いていた。もちろん、自分の知らないネオスの姿──狩りをしている時の姿──に、ミュエリが目を輝かせて聞き入るから、尚更 二人の話にも熱が入ったのだが。
そんな中、昼の残り物をもらってルーフィンのところに行ったあたしは、いつの間にか庭先で話しているイオータとネオスの姿を目にした。時折、部屋の中に視線を移しながら話す二人の表情はとても真剣で、それだけでタウルの事を話しているのだろうというのが分かった。確かに 〝こっちからは聞かない〟 というラディの言葉に同意した以上、それ以上は聞けないのだが、やはり気になるものは気になるもので…さすがの二人も話さずにはいられなかったのだろう。何気にあたしもその話の中に入って行きたかったのだが、入ってしまえば間違いなくルーフィンのご飯は 〝お預け状態〟 になってしまう為、足早にその場を通り過ぎた。けれど──
まさか、その時の話の対象が 〝タウル〟 ではなかったなんて……あたしがその事を知ったのは、タウルが役人に連れ去られたあとだった──