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女神伝説  作者: Sugary
第六章
83/127

4 追われる理由 ※

 明け方、玄関の戸が開いて誰かが出ていったような気がした。

 〝気がした〟 というのは、つまりハッキリと覚えていないわけで…それでもその時は、誰が出ていったんだろう…と遠い意識の中で考えたのは事実だった。が、前日まともに眠れていなかったせいで、そのまますぐに深い眠りに落ちていき、結局、その人が戻ってきたかどうかは分からぬまま朝を迎えてしまったのだ。

 ルシーナに起こされても、それが夢だったのか現実だったのかはあやふやで……ただ、起きた時には既にみんなが揃っていたから、〝まぁ、いっか…〟 と考えるのはやめた。

 昨日の鍋の残りで作った雑炊には、タウルが食べた時のように三つ葉が加えられていた。色んな野菜のダシが出た雑炊は本当に美味しくて、思わず三杯目をお代わりしそうになったものの、母親の食べる量を目にして何とか箸を置いたのだった。

 朝食を終えると、早速ルシーナがラディの所に行こうと言い出した。別に急ぐ必要もなかったが、ラディの足の様子は気になっていたし、正直ここにいてもすることがないため出掛けることにした。ただし、ネオスは母親が無理をしないよう、ルシーナからの監視役を仰せつかってしまったのだが。

 〝ちょっと待っててね〟 と、いったん台所のほうに向かったルシーナを玄関の外で待っていると、間もなくしてクァバナが入っていた袋を持って戻ってきた。

 残っていた中のクァバナは、昨日の夜ルシーナにあげたから何も入ってないはず。

「それは?」

 少々気になって聞いてみた。

「イヌザンショウの実よ。これを潰して、小麦の粉と水で混ぜれば──」

「あぁ…そうか、貼り薬ね。ありがとう、ルシーナ」

 ディトールから聞いていたため当然のように答えたら、ルシーナの顔が驚きの表情に変わった。

「知って…るの…?」

「えぇ。ラディを助けてくれた子が、貼り薬を作って手当てしてくれたから」

「……………」

「ルシーナ…?」

「あ…ううん、何でも…。ただ…この袋に入れておけば誰にも気付かれないからさ…。それに、きっとその子んちも多くは用意してないだろうし…」

 気付かれない…?

 タウルにお茶を渡した時と同様、〝隠そう〟 とする言動に、あたしは眉をよせた。その表情から何か聞かれると思ったのだろう。ルシーナが 〝早く行こう〟 とばかりに階段を駆け下りて行ったから、仕方なくあたしもそのあとに続こうと足を踏み出した。

 ──が。

「────ッ!!」

 突然 目の前が真っ暗になり、一瞬 足元がグラついたものの、階段を下りる直前で何とか踏みとどまった。

 ま…たなの…!?

 しばらくなかったから、一時的なものだったんだって思ってたのに…!

『ルフェラ…?』

 あたしの様子に気付いたルーフィンの声が、心配から緊張気味の声に変わった。

『まさかまた、眩暈じゃないんですか!?』

『…あ…ルーフィン……しばらくなかったのに──』

「どうしたの、おねえさん?」

 思ったよりすぐに下りてこなかったからか、ルシーナが駆け戻ってきた。

「…大丈夫?」

「……う…ん……何でも……」

 すぐに治まる…そう思っていた。だけど、今回は何度 瞬きしても光が戻ってこなかった。

 まさか…このままなんてことは……!?

 そんな事が頭をよぎった瞬間、不安と焦りで平衡感覚を失いそのまましゃがみ込んでしまった。

『ルフェラ!』

「ちょっ…おねえさん…!?」

 ルシーナが心配してあたしの体を揺らした。

 その時だった──

 フッと周りの音が消え、暗闇の中にぼんやりと人の姿が見えた。一瞬、光が戻ったのだと思ったが、自分の手で目を覆っていた為、すぐに違うと気付いた。だけど、人の姿はよりハッキリと見えてくる。目を閉じていて見えるものなら、目を開けた途端、夢が覚めるように見えなくなる…。そんな気がして、あたしは目を開ける事ができなかった。

 暗闇に浮かんだ人は銀色の長い髪をした男性で、歳は…多分…二十代半ばだろうか。白く暖かそうな防寒布を肩から覆っていたが、カイゼルのように体の線は細くきゃしゃだというのが分かる。

 木の陰からどこかを見ているその眼差しは、とても静かなものだった。感情があるのかないのか分からないが、見ようによっては優しい瞳にも見える…。

 知ってる人…?

 ううん、あたしは知らない…知らないはずよ…。

 自分に問いかけ、頭の中で首を振ったが、直後に 〝だけど…〟 と思った。

 遠い記憶のどこかで見覚えがあるような……それに何…この映像の中に引き込まれるような違和感は……。

 そう思ったところで、砂に描いた絵を手でかき消すように彼の映像がザーっと流れた。そして次に見えたのは、六十歳代のガッシリした体格の男性だった。

 体格はもちろん、顔に刻まれたシワや顔つき、そして髪の毛や蓄えたヒゲに混じる白髪が、より一層その人の歴史と威厳さを増しているように見えた。

 さっきの若い男性とはまるで正反対だ。防寒布ひとつとっても、若い男性は目立つ白なのに、その男性は周りの木々に溶け込んでしまうほど、深い緑色をしていた。まるで自分の身を隠すような、そんな意図が感じられるのは気のせいだろうか。

 この人は誰…?

 そんな疑問を投げかけるや否や、再び映像がザーっとかき消された。次いで見えたのは茂みに身を隠す数人の男たち。

 その男たちもまた、先の二人とは全く違う印象だった。少しコケた頬と手入れのされていない無精ヒゲ。肌は真っ黒に日焼けして、どこかを見つめるその目を不気味に浮き上がらせていた。

 全く見覚えのない男たちだが、似たような人がいたはず…と記憶を辿れば、テトラを襲ったクモ賊と同じだ、と思い出した。

 まさか仲間…!?

 ううん、そんなことないわ。だって、仲間はみんな死んだはずだもの。生きているのはリーダーの三人だけ。それも石の中に閉じ込められたのよ?

 だったらこの男たちはなに…?

 自問自答を繰り返しているうちに、あたしはこの状況そのものにハッとした。

 ま…まさか あたし…また誰かに触れられてる!? じゃなければ、誰かの心の中に入ってその人の記憶を見ているんじゃ──

 テトラとエステルの記憶を見ていた時の事を思い出し、心の臓が早鐘を打ったその時だった。

「…フェラ…ルフェラ、大丈夫かい!? ルフェラ!!」

 ひどく体が揺れたと思ったら、引き込まれそうになっていた意識がスッと持ち上げられ、次いでネオスの声と共に周りの音が戻ってきた。反射的に目を開ければ、家の中から駆けつけたネオスが、あたしの両腕を掴んで揺らしている所だった。当然、真っ暗だった闇も、そこに浮かんだ男性の姿も既に消えている。

「…あ…ネ、ネオス…」

「ルフェラ…!?」

「…あたし…あたしは…」

 〝あたしはルフェラよね…?〟

 思わず聞いてしまいそうになった言葉だったが、あたしは必死に飲み込んだ。ネオスがあたしを 〝ルフェラ〟 と呼んでいることに気がついたからだ。

「また、眩暈なんだろう?」

 確かめるようなその質問に、あたしは躊躇いがちに頷いた。

 眩暈…。ううん、もうそんなものじゃなくなってるわね。だけど、それ以外に答えようがないんだもの…。

「おねえさん、休んでたほうがいいよ」

「ありがと…でも……」

「その方がいい。代わりに僕が行くから」

 〝大丈夫よ〟 という言葉を遮るようにそう言うと、次いで、ルーフィンも続いた。

『そうして下さい、ルフェラ』

『…ルーフィン……』

『心配をかけたくないなら、そうすべきですよ』

 お願いは既に注意になっていたが、言われてみればルーフィンの言葉が正しい事に気付く。

『ルフェラ…?』

『…うん、分かった、そうする…』

 答えを求める呼びかけにそう返すと、あたしはネオスに視線を移した。

「ネオス、ごめん…。お願いするわ」

「うん。ゆっくり休むといいよ」

 安心したような優しい笑顔が、あたしの心をホッとさせた。ネオスに支えられ玄関に腰掛けると、あたしはその場で彼らを見送ったのだった。

 そして 〝あの事〟 を話そうと、足元に座るルーフィンの頭に触れた。

『ルーフィン…』

『はい?』

『あたし…また誰かに御霊を触れられてるのかな…?』

『え…?』

『さっき…見えたのよ…暗闇に浮かぶ男の人たちが…』

『どういうことですか、ルフェラ?』

 ルーフィンの口調が僅かに緊張したように感じた。

『眩暈っていっても、クラクラするような眩暈じゃないの…。一瞬だけど目の前が真っ暗になるのよ。本当に一瞬だったし、テトラの時からしばらくは起きなかったから一時的なものだったんだ…って思ったんだけど…さっきの 〝闇〟 は長かった…。その間に、数人の男の人が見えたの。まるであたしの知らない人よ。だからまた、誰かに御霊を触れられて見せられているのかも…って……』

『それは違うと思いますよ』

 心配は即座に否定された。

『ち…がう…?』

『えぇ。少なくとも、その一瞬の闇に襲われるようになったのは、テトラの村に着く前からのはずです、違いますか?』

 言われて思い出せば、そういえば…と気が付いた。

『あ…じゃぁ…闇の中に見えた男の人たちは…?』

『さぁ…それは分かりません。でも、あなたから御霊に触れられた時の違和感が感じられないのは確かです』

『そう…』

 御霊には触れられていない…。

 男の人たちが誰なのか、そして彼らが見えた現象がなんなのか…それは分からないが、とりあえず、御霊には触れられてないと言われ少しは安心することができた。

『それで、どういう人だったのですか、見えた男の人は?』

『う…ん、それがね──』

 あたしは闇の中に浮かんだ男たちの容姿を、できるだけ見たままルーフィンに伝えた。そして、最後に引き込まれるような感覚があったことも付け加えると、少し考え込むような間があってから、〝なるほど…〟 と続いた。

『同じような場所にいるのに、それぞれ、全く違う 〝色〟 を持つ人たちのようですね』

『うん…。ただ、みんな初めて見るのに、最初の人は何故かそう言い切れないところがあるのよね…』

『というと?』

『んん~…あたしもよく分からないんだけどさ。なんか、自分自身が記憶として認識してないのに、どこか知ってるような気がする…っていう、そんな感じかな』

『記憶として認識してない…ですか…』

『うん。あ…でもやっぱり、そういうのって変よね?』

 その感覚は、〝気のせいかもしれない〟 と言われたら、〝そうかも〟 と納得できるようなほど曖昧のもので…だから、正直それを期待して質問した。けれど、ルーフィンからの返事はすぐに返ってこなかった。

『ルーフィン?』

 少々心配になって名前を呼べば、〝あぁ…〟 と我に返るような声が聞こえた。

『そうですね…案外、知っている人と似てたりすると、そう思ってしまう事があるかもしれません』

『知ってる人と似てる…?』

 そう繰り返し、似てる人を探そうとしたところで、部屋から出てきた母親に声を掛けられた。

「あら、ネオスさんは?」

「あ…ちょっと眩暈がしたから、代わりに行ってもらいました」

「まぁ…大丈夫なの?」

「えぇ、もうよくなりました」

「そう、ならいいけど…。あなたもルシーナ特製のお茶を飲んだ方がいいかもしれないわね?」

「え…」

 まだ飲んだ事がない為、お茶の味は想像の域を超えないが、できるなら飲みたくない…という思いが表情で伝わってしまったのだろう。母親はクスクスと笑ってすぐ隣に座った。

「でも、ビックリしたわ。いきなり飛び出していくんですもの…」

「え…いきなり…?」

「えぇ。話してたら突然 飛び出していってね。なかなか帰ってこないと思ったら、まさかあなたが眩暈を起こしてたなんて…」

 〝勘が鋭いのね〟 と付け足す母親に、あたしは曖昧な笑みを返すしかなかった。てっきり、ネオスはルシーナの声を聞いて駆けつけてくれたんだと思ってたからだ。だけど考えてみれば、ネオスだけ駆けつけるのはおかしな話よね? 彼女の声が聞こえたなら、その場にいた母親にだって聞こえてたはずだし、飛び出したキッカケが分かるどころか、一緒に駆けつけるのが普通だもの。それにあたしがルーフィンと会話してる間も様子を見に来なかったということは、やっぱり、ネオスが何かを察して飛び出してきたという事になるのだろう。

 これって偶然、なのかな…?

 ふと浮かんだ疑問が、半ばどうでもいいような事に気付き、あたしは小さな溜め息をついた。

 もし駆けつけたのがネオスでなくイオータなら、ある意味何の疑問も持たずに納得できたのに。こんな小さな事を考えるようになるなんて、この数ヶ月の出来事が異常すぎるからよね。

 考えすぎる事をそんな出来事のせいにして、あたしは頭の中の思考を溜め息と共に吐き出すことにした。

 そんな時、さっきとは打って変わって心配そうな母親の声が聞こえた。

「あの子…昨日、走ってたって言ってたけど、ひょっとして誰かに追われていませんでした?」

「え…?」

「街中を走るなんてそれくらいしか考えられなくて…」

 心配している母親にハッキリ言っていいものかどうか迷ったが、薄々分かっているような言葉が続いたので、本当の事を言う事にした。

「えぇ…男の人に…。でも決して捕まらないんだって、そう言ってましたけど」

「やっぱり…」

「やっぱり…って事は、誰か心当たりがあるんですか?」

 追われている本人だけならまだしも、母親まで知ってるとなると、いったい、何があったのだろうと気になる。しかも、追われているルシーナを外に出すという事は、〝男の子〟 として追われているという事も知っているという事だろうか?

 浮かぶ疑問をできるだけ抑えながら母親の答えを待っていると、ややあって、辛そうに口を開いた。

「…お役人なんですよ」

「お、お役人…!? どうしてですか?」

 思わぬ相手に驚き、同時にそれは深刻な問題じゃないのかと胸が騒いだ。

 母親は言おうか言うまいか迷っていたが、あたしがこの街の人間じゃないからか、玄関の扉を閉めると、再びあたしの隣に腰掛けた。

「誰にも言わないでいただけますか?」

 〝追い人〟 が役人であると聞いた時点で、そして玄関を閉めた時点で決して誰にも言えないことだと察した。だから頷くと同時に、〝えぇ、もちろんです〟 と言葉に表せば、深呼吸した母親が静かに話し始めた。

「絶対に捕まらないって言ってたって事は、きっと、何も言わなくてもお金をくれる人がいる…というのも聞いたんじゃありません?」

「えぇ、その時にお金も見せてくれました。だから気にしないで泊まって…って言われて…」

「そのお金…本当はお役人から盗んできたものなの」

「え…!? じゃぁ、それがお役人に追われている理由なんですか?」

 母親はゆっくりと頷いた。

「見ての通り私の家は貧しくて…それが盗む理由のひとつなんだけど、だからと言って人の物を盗んでいいって事じゃないでしょう? 盗みは罪だし、今は捕まらなくても、神様はちゃんと見てるんだから、いつか必ず天罰が下るわよ…って何度も言ってはいるんだけど…」

「やめようとしない…ですか?」

「えぇ。でも、天罰が下るのは私の方かもしれないわね」

「どうしてですか…?」

「盗みをやめないあの子を注意しながら、心のどこかで許してる私もいるからよ」

「……………?」

 いまいちよく分からない…と眉を寄せれば、母親は複雑そうな顔をして、その理由を語った。

「お役人のお金を盗む一番の理由がね、彼らに対する抵抗と復讐だからなの」

「なっ……ふ、復讐…!?」

「えぇ。五年前、あの子の父親は薬草を研究していたという理由で役人に殺されてしまったの。それまで研究しまとめた本や書き付けた小さな紙に至るまで、全て焼かれてしまったわ…。どうしてそれだけの理由で…って思うでしょうね…。でも、この街では薬草を研究したり扱ったりする事は、人を殺めるのと同じくらい大罪だと決められているのよ」

「どう…して…?」

「三十年ほど前かしら…。体にいいからって贈られた薬草を、毎日のように食べていた人がいたんだけど、ある時 体調を崩してしまってね…その人は自分の体を治す為に、いつも以上の量を摂るようになったの。だけど、体調はよくなるどころか悪くなる一方で…結局、一度も回復の兆しがないまま亡くなってしまったのよ」

「それってもしかして…」

「そう。原因はその薬草だったの」

 やっぱり…。

 殺されるほどの大罪になる理由は分からないが、扱う事を許されない理由がその話と関係あるなら、答えはそれしかないだろう。

「本来は体にいい影響を与える薬草も、摂る量や摂り方ひとつで悪い影響を与える事があるの。正しく摂っていれば何の問題もないのに、摂り方を間違えれば薬草の中の悪い毒素が体の中に溜まっていって、その人のように命を落としてしまうことがあるのよ」

 ──だとしたら、分からないことがある。

「研究することまで大罪になるのはどうしてですか? だって、研究すれば正しい摂り方だって分かってくるのに…」

「その通りよ。私もそう思っていたし主人もそれを信じて研究していたわ。でも 〝大罪〟 という法律を作った人は、そういう 〝考え〟 を信じる以前に、〝人〟 を信じようとしなかったの」

「人を信じようとしなかった…? それってどういうことですか?」

「薬草を贈った人に 〝殺された〟 と思ったからよ。だからそれを扱う人はもちろん、研究する事をも禁止した。それが悪用される事を恐れてね。それだけ、人を信用しなくなったって事なの」

「で、でも…それっておかしくないですか? だって──」

 〝人の話を聞かない〟 とか、〝人の言う事を信じない〟 というならまだ分かる。どんな状況でも、それを実際に見るのと、人から伝え聞くのとでは現実味に欠けるからだ。

 〝たったそれだけで〟 とは言わないけど、街の誰かが薬草で亡くなったからって、法律を作る人がそこまで恐れ、人を信じなくなるものだろうか。亡くなった人と何か関係があるならともかく…。

 ──と、そこまで考えてハッとした。

「ま、まさか…法律を作った人と亡くなった人には何か関係が…?」

 導き出された可能性を口にすると、母親は大きく、そしてゆっくりと頷いた。

「その法律を作った人は、この街の統治家の主…現在の統主よ。そして、亡くなったのはその人の父親だったの」

「────!!」

「街の誰かが 〝あいつに殺されたんだ〟 って騒いでも、こんな法律は作られないわ。でも、亡くなった人が自分の父親で、尚且つ統主であれば、〝暗殺〟 の可能性を考えてしまうのは当然の事でしょう? 統治家には昔から統主権争いがあったし、その事で家の中はもちろん、街の住人も信じられなくなってしまったのね。だから、父親の跡を継いだ当時十六歳の少年は、そんな法律を作り、父親に薬草を贈った街人を密かに処刑したのよ」

「そ…んな……」

 あたしはそのあとの言葉が続かなかった。

 〝暗殺〟 が本当かどうかは分からないけど、物心ついた時から統主権争いを見てきた上に、目の前で死んでいく父親を見てしまったら、人を信じなくなるのも当然と言えば当然のことだろう。だけど…だけど、純粋に人の為になると信じて研究してきた人が、法律を犯したからって殺されるのは間違ってるわ。本当の罪を犯したならまだしも、そうじゃないんだもの…ルシーナが役人に対して復讐したくなる気持ちも分かる…。

 だからこそ、何も言えなかった。いったい、誰を責めたらいいのか分からなかったから…。ただ、今の話でルシーナが 〝隠そう〟 とした言動の意味は分かった気がした。

 あたしはそれを確かめてみた。

「もしかして…イヌザンショウの実や体に良いお茶って、薬草…なんですか?」

「えぇ。あの子が父親の跡を継いで密かに調べ作ったものよ。それがあの子なりの抵抗なのね…」

「でも…それってすごく危険じゃないんですか? 見つかったら父親のように殺されるってことですよね? だったら、盗みよりそっちを先にやめさせないと──」

 薬草を研究する事は間違ってない。それはあたしにだって分かる。だけど、今の法律ではルシーナの身が危険すぎるもの。せめて法律が変わってから…ううん、変えさせてからでも…と思いそう言ったのだが…。

「無理よ…」

 母親が悲しそうな笑みを見せてあたしの言葉を切った。

挿絵(By みてみん)

「どう…して…?」

「あの子自身が絶対にやめようとしないのはもちろん、その研究は間違ってないと私も思うから」

「で、でも…ルシーナの身が──」

「分かってるわ。それは私も心配よ。でも、安全な道を歩ませる事だけが子供の幸せとは限らないと思うの。私はこんな体だから、そう長くはない…。とはいっても、普通の親だって子供より先に死ぬのが命の仕組みでしょう? あの子には父親もいないし…私が死んだあとは一人で生きていかなければならない。私にできる事は、あの子が一人でもちゃんと生きていけるように育て見守っていく事だけなの。今のあの子なら、この街を追われたとしてもきっと生きていける…それだけの知識と術を持っているはずだもの。それにね、親は子供がある程度大きくなったら心配する事しかできないものなのよ。特に、自分で自分の生き方を決めたならね」

 母親は寂しそうに、だけど強く優しい微笑みを見せた。

 そんな母親の笑顔を見て、これ以上あたしに何が言えるだろうか。ううん、言えるわけないわ…。だって他でもない、ルシーナを愛する母親がそう覚悟しているんだもの。

 このままでいいわけないのに、あたしにできる事は何もない…そんなやるせないあたしの気持ちを知ってか、母親は少し明るめの声で 〝大丈夫よ〟 と続けた。

「万が一、お役人がここに踏み込んできても、ルシーナが薬草を調べてるという証拠は見つけられないから」

「…どうしてですか?」

「薬草はもちろん、調べた事を書き付けた紙や手帳はここにはないからよ。おそらく、あの子が全て違う場所に隠しているんでしょうけど、私にも教えてくれないし…だから、調べる時とか薬草が必要な時は、その日その時 使う分を、その 〝隠れ家〟 に取りに行ってるのよ」

 そう説明され、あたしは明け方の事を思い出し、悟った。あれは、〝気がした〟 のではなく現実だったのだ、と。

 証拠がなければ殺される事はない…そう言われたような気がして少しは表情が柔らかくなったのか、母親は 〝ちょっと、喋りすぎたかしらね〟 とどちらとも取れる言葉を残して、部屋の奥に戻って行った。

 〝ちょっと喋りすぎた…〟

 単に喋りすぎて疲れたから休むという意味か、それとも街の人じゃないとはいえ、色々と喋りすぎたという意味なのか…。

『──おそらく、その両方でしょうね』

 心の中で思った疑問にルーフィンがタイミングよく答えた。

『そうね…。でもこれで幾つかの事が分かった気がする。ディトールと会って話した時、〝ちょっと…〟 って言いかけてやめたのも、あたし達がこの街の人じゃないって確かめてから家に案内したのも、薬草を扱ってる事を隠そうとして慎重になったからよね』

『えぇ』

『でも──』

『…でも?』

『ディトールは役人を目指してるのよ…? 役人を目指してる人が大罪を犯してるのって、何か変じゃない? 今はそんな権利なくても、将来は捕まえる側に──』

 ──とそこまで言って、とんでもないことに気が付いた。

『どう…しよう、ルーフィン…! ルシーナは薬草を持って行ったのよ!? ディトールに薬草を扱ってるってバレてしまうわ…! それにルシーナが…ディトールが役人を目指してるって知ったら──』

『落ち着いて下さい、ルフェラ!』

 早く連れ戻さなきゃ…と立ち上がったあたしを、ルーフィンが制した。

『役人を目指しているディトールが、何故 薬草を扱っているのかは分かりません。でも理由はどうであれ扱っているという事は、少なからずその法律がおかしいと思っているからではないですか? それに、ディトールが役人を目指していると知っても、一方で、ルシーナも彼が薬草を扱っていることは、出かける前のあなたの言葉で分かっているはずですから、あなたが心配するようなことにはならないと思いますよ』

『…そ…うかな…?』

『えぇ。それに、奥で休んでいる母親をひとり残して行けますか?』

 〝ネオスだってついているんですから〟

 そんな言葉を付け足され、あたしは 〝そうよね…〟 と、何とか落ち着きを取り戻し、二人が帰ってくるのを待ったのだった。

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