3 癒された体と幾つかの疑問
男の後についていき、〝どうぞ〟 と案内されたのは、古めかしい家だった。
置いてあるものや、艶出しに使った塗装の光り具合から見て、そこに住む人が老人だというのが分かる。そして、そう思う理由はもうひとつあった。
「なんだか…ばば様の家みたいね…」
ボソリと呟いたミュエリの言葉に、あたしは大きく頷いた。
そうなのだ。
パーゴラのばば様の家と、同じ雰囲気があったのだ。
ほんのしばらくして、家主と思える老婆が若い女性に手を引かれ現れた。半ば呆然としていたあたし達に、僅かな緊張が走る。
それが分かったのだろうか…。
「ワシはユージン。ちょいと変わった老婆だが…なに、怖がらずともよい」
落ち着いた口調で、優しい笑みを向けると、ゆっくり椅子に腰掛けた。
そんな態度に、一番ホッとしたのはミュエリだった。
「ずいぶん濡れて…さぞかし大変だっただろうのぅ?」
その言葉に、思わず後ろを振り向けば、床は、あたし達のせいでびしょ濡れだった。それに気付いて謝ろうとしたのだが、ミュエリに先を越されてしまった。しかも、どうでもいい内容に…。
「ほんと。ルフェラが自然のシャワーだ…とか言って、雨宿りもさせてくれないんだもの」
「ミュエリ! 今そんなこと言わなくてもいいでしょ! それより──」
あたしはユージンの方に視線を移した。
「ご、ごめんなさい…。床がびしょ濡れで──」
「あぁ…そんなことは構わぬ。いつもの事じゃ」
え…いつもの…?
そんな疑問が湧いたが、すぐにユージンの言葉が続き、自然に消えてしまった。
「──ほら、何をしておる。拭くものと、なにか温かい飲み物を用意せぬか」
「は、はい。ただいま…!」
傍にいた女性──ユージンの手を引いていた女性──は、慌てて奥の部屋に行き、乾いた布を持ってきた。
男やあたしたちにはもちろん、ルーフィンの分まで…。
〝ありがとう…〟 と受け取ると、すぐまた、奥に引っ込んでしまった。おそらく、ユージンに言われた 〝温かいもの〟 を用意しに行ったのだろう。
あたし達が体を拭いている間、ユージンは何も言わず、ただジッとあたし達のことを見ていた。
ある程度 拭き終わると、独り言かと思える声が聞こえてくる。
「そなた達がのぅ…」
その言葉に、ふと、あの時の疑問が浮かんだ。
「あ、あの…ひとつ聞いていいですか…?」
「ああ?」
「救い人…って…一体…?」
あたしのその一言に、ユージンの目は男に移され、つられるようにそちらを向けば、男はバツの悪そうな顔で俯いていた。
何かいけないことでも…?
そう思うや否や、溜め息が漏れ、再びユージンが口を開いた。
「そのことは、もう少しあとで話すとしよう」
「…………?」
「今は、服を着替え、温かい風呂にでも入るのが先決じゃからのぅ」
「あぁ~、それ賛成!」
「オレも! ついでに腹一杯、飯食って、布団の上で寝れたら、最高だな!」
「ちょ…なに言ってんのよ──」
あまりにも図々しい希望に、あたしはラディの脇腹を肘で小突いた。
「──ンだよ?」
「あぁ、よいよい。それが素直な気持ちだろうて。──泊まるとこならいくらでもある。その男の家も宿屋をしておってな、しばらくそこで休むとよい」
「あ…でも…あたし達 お金が…」
「なぁに、心配するな。その男の無礼で帳消しだ、そうだろう?」
最後の質問は、男に向けられていた。
「も、もちろんです! 是非、私どもの所に…!!」
「──という事じゃが…それでよいかな?」
よく分からないが、あたし達にとってはありがたい話なわけで、拒否する理由などなかった。故に、答えはひとつしかない。
「あ、ありがとう…ございます」
「よし、では決まりだな」
ユージンがニッコリと頷くと、男もホッとした表情を見せた。そして、奥に行っていた女性が、お盆に飲み物を持って現れたのも、ちょうどその時だった。
〝どうぞ〟 と言って渡されたものは、茶褐色した液体。ルーフィンには温かいミルクだったが、甘さと柑橘系の香りを漂わせるそれは、一口飲むごとに、体の中を芯から温めていった。
そして、みんながそれを飲み終えると、あたし達はまた、あの男──途中、ローディだと教えてくれたが──に案内され、宿に向かう事になった。
宿に到着すると、真っ先に着替えを渡された。
「今からお風呂を沸かしますので…よかったら、その間にお食事を…」
夕飯時というのもあったのだろう、食事はすぐに準備された。豪華な…とまではいかなくても、一日中、木の実を食べていたあたし達には、十分なご馳走だった。
ミュエリもラディも大満足だ。
もちろん、今、自分が置かれている状況に疑問がないわけではなかったが、それを考えるには、あまりにも疲れすぎていた。そして、食事を終え、お風呂に入れば、更にそれを痛感する。
あたし達は、夜も早いうちから意識共々、布団の中に沈みこんでいったのだった。
翌朝、あたしは雨の音で目が覚めた。──とは言っても、昨日より激しくなっているというものではなかった。ただ、あれだけ長く寝た為、普通の音でも自然に目が覚めたのだろう。
ふと見れば、まだみんな寝ていた為、あたしはルーフィンの所に行く事にした。
ローカを出ると、朝食の準備をしているのか、いい匂いが漂ってくる。
次に起きるのはラディかもね…。
そんなことを思いながら、階段を下り、裏口にある動物専用の小屋に向かった。
小屋の中はいくつか仕切られているが、中いるのはルーフィンだけのため、一番大きな場所を使わせてもらっているようだ。
「ルーフィン…?」
入り口から声をかけると、藁網の上で寝ていたルーフィンがスッと起き上がった。近くに行き──鍵がかけてあるため──格子越しに、ルーフィンに触れる。
「おはよう、ルーフィン」
『おはようございます』
「よく眠れた?」
『はい、とても気持ちよく眠れました。ルフェラは?』
「あたしもよ。ご飯食べて、お風呂にも入って…半日近く寝たんだもの、もう、元気満々」
あたしはそう言って笑った。けれど、それだけの余裕が出てくると、昨日 考えられなかった疑問が、ポツポツと沸いてくる。
「ねぇ、ルーフィン」
『はい?』
「ルーフィンは…この村ってどう思う? ううん、正確には村の人…かな」
『そうですね…。とても親切…と言うより、親切すぎるように思います』
「それって…やっぱり、どこかおかしい…って思ってるってことよね?」
『ええ。──そういうルフェラはどうなんです? 〝やっぱり〟 という言葉が出てくるところを見ると、あなたも何か感じているように思いますが…?』
「…うん、まぁね。〝こういう村にした〟 っていう女の子も、急に態度を変えたローディさんも、それから、いくら無礼をしたからって、タダでここに泊まらせてくれるなんてさ…」
『私への扱いも、人と同じくらい丁寧でしたし…』
「そうよね…」
ルーフィンにまで布を貸してくれた事を思い出し、そう頷いたが、同時に、触れる手の感触の違いに、今更ながら気が付いた。
「ルーフィン…この感触って…」
『昨日、私の体も お湯で洗っていただきました。よく乾かしてもらいましたし、櫛で丁寧に すいてもいただきました。ここにある藁も、すべて新しいものです』
「そう…だったんだ…」
『ルフェラ…?』
「…うん?」
『彼らは……私たちを待っていたみたいですよ?』
「待つ…? どうして…? それに、彼らって……」
『彼らというのは、おそらく ここの村の人々、全員でしょう。待っていたのは、〝救い人〟 という言葉に関係があるように思います』
「救い人…」
改めてその言葉を思い出してみて、ハッとした。
そう言えば、確かあの人…
〝あなたが救い人だったとは…〟
──って言ってたわよね。
でも──
「どうして、あたしが救い人だなんて…?」
『さぁ…そこまでは私にも…。ただ、体を洗ってくれた方が、独り言のように呟いていました。〝君たちを待っていたんだ。これで、救われる…〟 と』
「……そんな……」
あり得ない言葉に、それだけしか言えなかった。けれど、すぐに、もう一つの可能性がすぐに思い浮かぶ。
「ねぇ…ひょっとして、誰かと勘違いしてるんじゃないかしら?」
『ええ。そういう可能性もあるでしょう』
「だったら、違うって言ったほうがよくない?」
『そうですね…。でも、とりあえずは、彼らの話を聞くのが先決だと思います』
「……そっか……うん、そうかもね」
ルーフィンの提案に頷いた時、ちょうど名前を呼ばれドキッとした。
顔を上げれば、入り口の所にネオスが立っている。
「おはよう。やっぱり、ここにいたんだ?」
「あ…うん…。おはよう…」
喋ってるところを見られちゃったかな…と心配したが、それらしき言葉はもちろん、態度にも出てなかったため、ホッとした。
「食事の用意ができたから、探してたんだ」
「そうなんだ…ごめん、ありがとう」
「ルーフィンの分も、もうすぐ来るから」
半分はあたしに、半分はルーフィンに言ったようだった。
「──だって、ルーフィン。じゃぁね」
あたしは、そう言ってルーフィンの頭をポンポンと軽く叩くと、ネオスと一緒に部屋に戻ることにした。
部屋には既に食事が運ばれていて、身だしなみを整えたミュエリが 〝あなた待ちだったのよ〟 と言わんばかりの目を向けていた。一方ラディは、〝ルフェラはここだ〟 と、無言で自分の隣を指差す。
ここは反抗しないほうがいいだろう…と、ラディの言う通り、隣に座れば、即座に 〝いただきまーす〟 の声がかかり、一斉に食事が始まった。
昨日の今日だが、まともな食事と、お風呂に入ってからの十分な睡眠は、あたしだけじゃなく、他のみんなも元気にした。
元気になれば、自然と食事時も賑やかになり、あたし達は、久々に楽しい時間を過ごすことができた。
そんな食事が終わる頃、なにやら外の方が騒がしくなり、それに気付いたのはラディが最初だった。
「なんか、騒がしくねぇ?」
「ひょっとして、お祭りとか?」
「ばっか、こんな雨の日にだぞ?」
「バカとはなによ。雨だからこそ、するお祭りだってあるんじゃないの!?」
「マジかよ?」
楽しい事が大好きな二人は、そう言い合いながらも、そうだったらいいな…程度の期待はあるらしく、次の瞬間には二人で窓を開け外を覗き見ていた。
「うわっ…なんかすんげー人が集まってるぞ…?」
「あら、でも…お祭りのような雰囲気じゃないわね」
「店も出てねーしな」
なんて会話が続いた矢先、急にその騒がしさが増した。
なにやら、叫びながらドタドタとローカを走ってくるのだ。それは、あたし達の方に近付いてくる。
そして、部屋の前まで来ると、〝まだ、だめだ!!〟 という声と共に、突然、バンッと、戸が開けられた。
そこに現れたのは、ローディと同じ位の年──三十代半ばだろうか──の男だった。男は、自分の腕と肩を掴み、制していたローディの手を体で振り払うと、ズカズカとあたしの方に迫ってきた。
その勢いに圧倒されたのはもちろん、何をされるのかという恐怖で、その場から動けないでいると、昨日のローディのように、いきなり、目の前で座りこんだ。
「…あ、あの──」
「あ、あんた方が…救い人なんだな……俺らの救い人なんだよな!!」
「…あ……」
その口調は、尋ねるというより、殆ど強制的に 〝うん〟 と言わせるようなものだった。けれど、そうは言えなかった。〝違うから〟 というのはあるが、やはり、驚きと恐怖心の方が勝っていたからだ。
答えられないあたしに代わって、
「ちょっと、おっさん…ルフェラが怖がってんだろ。大体なんなんだよ、急に部屋に入ってきて──」
──と、ラディが怒りを露にしたが、その言葉も最後まで言い終わらないうちに遮られてしまった。
「た、頼む…!! 助けてくれ…あいつのせいで俺の子供が…!! あいつのせいなんだ…!! あいつを…あいつをこの世から──」
「そこまでじゃ!!」
聞き覚えのある…それでいて、初めて聞く強い声が男の言葉を制した。怒りを含んだ突然の声に、男だけじゃなく、あたし達の体も大きくビクついた。
恐る恐る声のした方を向けば、昨日、手を引いた女性と、太い杖を持ったユージンが、男を睨み戸口に立っていたのだ。
「ユ…ユージン様…」
「ワシの話は、まだ始まってもおらぬ! 一人勝手に走りおって…!! ローディ、さっさとこの男を外に連れ出さぬか!!」
「は、はい!!」
目は男を捉えたまま放さず、僅かに顔だけを動かしローディに命令すると、ローディも焦るように男を連れ出していった。
そうして、部屋に残ったのは、あたしたち四人と、ユージンと一緒に来た女性の六人。
全てが突然のことで、あたしたち四人は、正直、固まっていた。
女性は部屋の戸をそっと閉め、窓際に立って動けないでいたミュエリに座るよう促すと、更にその窓も閉めてしまった。
そして、しばしの沈黙が流れたあと、最初に口を開いたのはユージンだった。
「ヤツの無礼を詫びよう。すまなかったな」
ユージンがそう言って頭を下げると、隣に座った女性も頭を下げた。その時のユージンの顔は、もう元に戻っていた。それでようやく、体の力が抜けた気がした。
「突然のことで驚いただろう? 怖い思いもさせてしまったようじゃ…」
「…ほ、ほんと…。でも、おばあさんの方が、何倍も迫力あったわよ…」
先に答えたのはミュエリだった。そしてラディも続く。
「そうそう。久々にマジ、ビビったぜ。あのおっさんも、まともには立てなかったもんな。ぜってー、腰抜かしてるぞ」
「ラディ!」
面白そうに話すラディを、あたしはまた肘で小突いた。
「はっはっは…よいよい。ワシも、まだまだナメられるほど、老いぼれていないようじゃな」
「ああ、もちろん。十分、威厳あるぜ」
「そうか。それは自信のつく言葉じゃな」
ユージンは満足そうにそう言った。
最初こそ、失礼な事を…と思ったのだが、ラディの言葉は──ユージンが笑ったというのもあるのだろう──不思議と、この場の雰囲気を柔らかくした。
しかし、それも束の間──
このあとのユージンの話に、あたし達はとんでもない村に来てしまったと後悔することになったのだ──