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女神伝説  作者: Sugary
第五章
77/127

12 最後の願い ※

 あぁ…まただ……また、この感覚…。

 ラディの熱が下がった朝に感じたのと同じだ…。それに、ラミールの記憶が戻った時──彼女を追いかけようとして体が動かなくて、イオータが額に手を当てて何かしてくれた時──も確かこんな感じだった…。

 でも──

 あたしは 〝同じ〟 という感覚をやんわりと否定した。

 でも、今までのよりずっと心地いい…。

 何か大きく優しいものに包まれる感じがあって……どんな状態の時でも、決してあたしのリズムを乱さない…そんな安心感がある…。

 これはいったい何…?

 この感覚の時に青白い光を発してたのはイオータだったけど…今のは違う気がする…。よく分からないけど、あたしと同じものを持っていて、とても近い人のような気がするのだ。

 でも…誰なの……?


 ふと戻った意識の中──

 全てを包み込まれるようなこの心地良さは何なのか、そして誰からのものなのか…分かるわけないと思いながらも、あたしはごく自然の流れで考えていた。とはいえ、それはあくまでも自然の流れであって、本気で答えを知りたいとか、真剣に悩むというものではなかった。ただただ、この心地良さにいつまでも包まれていたいという思いのほうが強かったのだ。

 そんな心地良さに身を委ねていると、再びあたしの意識が奥深く沈んでいった。


 そして次に意識が戻ったのは、同じような心地良さと定期的な体の揺れを感じるようになったからだった。

 トクン…トクン…トクン……。

 耳元で聞こえる少し早い鼓動と、体の前面から伝わってくる温もり…。次第に感覚が戻ってくると、ようやく、あたしは今の状況が分かってくるようになった。

 あぁ…そうか……。あたし…誰かに背負われてるのね……。

 それが誰なのかは分からなかったが、伝わってくる温もりが心地良くて、寝返りを打つように顔を動かせば、少々驚いたように足が止まった。

「…ルフェラ…? ルフェラ、気が付いたのか!?」

 いつも聞く声と、鼓動に混じって聞こえてきた声が同じだった為、背負ってくれてるのが誰なのか、一瞬にして理解した。

「…ラ…ディ……?」

 発した声が思ったより弱々しいことに驚いたが、それ以上に驚いたのは、自分の声に戻っている事だった。

 ハッとして顔を上げれば、まず目に入ったのはイオータの顔。

「…イ…オータ……」

「──どうだ、気分は?」

「え…? あ…うん…まぁ……」

 曖昧な返事を返しつつ、隣にいたミュエリを目にして、無事だったんだ…とホッとした。

「他のみんなは…?」

「あぁ、いるぜ。そっち側にな」

 顎をしゃくられ、〝そっち側〟 を見れば、ジェイスとエステルの姿があった。彼女の姿を自分の目で確かめて、改めて元に戻ったんだと実感していると、不意にジェイスの持つ松明から、何かを感じた気がした。なんだろう…と松明を見上げた矢先、

「ルフェラ…」

 ネオスの声が聞こえた。たった一言なのに、それだけで心配しているのが伝わってくる。怪我をしているのはネオスのはずなのに…。

 傷の状態が気になって、振り向いたネオスの腕に視線を落とせば、あたしの言おうとした事が分かったのだろう。

「大丈夫、大したことないよ」

 ──と、布で縛った腕を軽く押さえて言った。縛った布に新たな血が染みてない事から、血は止まっているのだと分かり安心したが、同時に、その白い布で思い出した事があった。

「…ルーフィン……ルーフィンは…!?」

 慌ててルーフィンの姿を探せば、

「安心しろ、ここだ」

 そう言って、イオータがルーフィンを抱いていた腕を少しだけ上げた。

「──っつーか、気付けよ。オレを見た時に」

 その口調は、別にバカにしているものでも責めているものでもなかった。単純に今の雰囲気を和ませる為の軽口であり、そのお蔭か、あたしもすぐに 〝そうよね…〟 と落ち着きを取り戻した。

「ラディ…ありがと。もう、一人で歩けるから…」

「あ…? け、けど─」

「大丈夫よ。前より、全然 体が動くし…」

 〝前より〟 が、ラディにとっていつの時かは分からないだろうが、それでも体が動くと聞けば安心したのだろう。それ以上のことは何も言わず、黙って降ろしてくれた。いつかの時と同じように、地に足がついてない感覚でフラついたが、すぐにラディが支えてくれた。

「ありがと…」

 もう一度そう言ってから、あたしはルーフィンの体にそっと手を触れた。浅く早い呼吸が苦しそうで、見ているだけで辛くなってくる…。

『…ごめんね、ルーフィン…』

 心の中で謝ったが、痛みのためか、それとも気を失っているのか、返事は返ってこなかった。その代わり、イオータが答えてくれた。

「骨は折れてるが、ただそれだけだ」

 〝命に別状はない。だから安心しろ〟 という彼らしい言葉に、あたしは小さいながらも、できるだけ笑顔を作って頷いてみせた。

「さてと、出口はすぐそこだ。とっとと帰って寝るぞ?」

「おぅ! なんてたって、休息が一番だからな!」

 敢えて元気よく受け答えしたラディは、まだ足元がフラつくあたしを支え、先頭を切って歩き出したのだった。



 そうして元の場所に戻ってくると、タリアさんたちの姿が、まだそこにあった。心配で、帰る事ができなかったのだろう。全員の無事な姿と、あたしの御霊が解放されたことを悟り、よかった…と涙まで浮かべて喜んでくれた。

 何があったのか、どんな真実だったのか…聞きたいことは山ほどあるだろうが、彼女は敢えて聞いてこなかった。とにかく今は、休息が必要だと分かっていたのだ。

「これで、全てが終わったのね…本当によかった…」

 〝さぁ、帰りましょう〟 と、涙を拭いながら二手に解散しようとした時、あたしは静かにその言葉を拒否した。

「まだ…終わってないわ…」

「え…?」

 驚いたのはあたし以外の全員。

「まだ終わってない…ってどういう事なの、ルフェラ?」

 真っ先に質問したのはミュエリだった。

「テトラには最後の願いがあるの…。それを叶えてあげないと、全てが終わったとはいえない…」

「なに…それ…最後の願いって──」

 繰り返された質問に、あたしは視線をジェイスとエステルに向けた。

「──両親に会うことよ。両親に会って、全ての誤解を解くの」

 その言葉に、二人の顔が僅かに強張った。と同時に、ジェイスが持っていた松明の炎が、風もないのに一際大きく揺らめいた。それが何を意味するのか…少し前に松明から感じた 〝何か〟 の理由を含め、あたしはこの時ようやく分かったのだった。

 それをジェイスに投げかけてみた。

「テトラは、まだそこにいるんですよね、ジェイスさん?」

 一瞬、答える事に躊躇ったようだが、ややあって、ジェイスは 〝ええ〟 と答えた。

「あ…ちょ、ちょっと待ってよ……。テトラがそこにいるってどういう事…? だって、あなたもテトラの御霊も解放されたんでしょ…? だったらもうここには──」

「明日、彼女の御霊を天召させる為に、御霊をこの炎の中に移したのですよ」

 ジェイスの説明に、ミュエリは思わず一歩あとずさった。

 もともと、幽霊などの類が苦手なミュエリだ。あたしの御霊に亡き人が触れていると聞いた時点で、あたしを恐れてもおかしくなかったのだが、緊急事態ということで、恐れるヒマがなかったのだろう。それが、無事に解放されたと分かった今、やっと…というべきか、当然の恐れを感じてしまったのだ。

 そんなミュエリに代わって話を繋いだのはラディだった。

「…ひょっとして…その松明を両親の所に持っていくってことなのか、ルフェラ…?」

「…そうよ」

「け、けど…どうすんだよ…? 松明の炎にテトラの御霊があるって言ったってよ…信じるとは思えねぇぞ…? しかも誤解を解くなんて…」

「…分かってる。でも、テトラはあたしを選んだのよ。あたしに全てを教えたら、みんなを助けてくれる、そう信じてね…。だったら、あたしはそれに答えなきゃ。そうでしょ?」

「そう…だけどよ……」

「──じゃないと、本当の意味で彼女を救ったことにならないのよ…」

「──── !」

 そう、救った事にならないのだ。確かに、復讐も彼女の願いのひとつだったろうけど、本当の願いは、誤解を解いて昔のようにみんなが仲良く暮らして欲しいということ。特に、両親とジェイスたちには、これ以上苦しんで欲しくないのだ。

 何をどうやって説明したら信じてもらえるのか、それはあたしにも分からない。でもひとつだけ確かなのは、このままだと、〝一時的な救い〟 しかできずに終わってしまうということだ。

 何としても、誤解を解かなきゃ…。テトラの為にも、彼女の両親やジェイスたちの為にも……そして、あたし自身の為にも──

「…とにかく、彼女の家に行くわ」

 あたしは、大きく息を吸ってからキッパリと言った。

 少なくとも、ラディはこの気持ちを分かってくれるはず。ううん、分かってくれたはずだ。

 〝本当の意味で…〟

 そう口にしたのは数日前、ラディ本人に対してなんだもの。

 案の定、ラディはそれ以上 何も言わなかった。

 僅かな沈黙が流れ、ジェイスから松明を預かろうとした時、ハッとしたように驚きの声をあげたのはミュエリだった。

「ちょ、ちょっと…行くって…今から…!?」

「そうよ」

「そうよ…ってあなた、こんな夜中に──」

「──時間がないのよ」

「……え?」

「少しでも長く、両親の傍にいさせてあげるにはね」

「どういう事…?」

 ワケが分からないと説明を求めるミュエリに、あたしは小さな溜め息を付いた。正直、それを説明する時間さえ惜しいのだ。

「ねぇ、ルフェラ──」

「 〝時間がない…〟 だろ?」

 再び質問を繰り返そうとしたミュエリを遮ったのはイオータだった。

「真実を知ってるのはルフェラだけだ。そのルフェラが 〝時間がねぇ〟 ってゆーんだから、この際、相手の都合なんてどうでもいいだろ? それに、オレらも早くその真実とやらを聞きてぇし、聞けば、おのずとその理由も分かってくるってもんだ」

 ──故に、今は聞いてやるな。

 イオータは無言でその言葉を付け足した。

 何も知らないのが自分だけなら気分も悪いだろうが、知らないのは 〝聞いてやるな〟 と言ったイオータを含め、ほぼ全員。それに、その真実を先に話して欲しい…というのが本音であっても、〝時間がない〟 と言われてしまえば、渋々でも頷くしかないわけで…。

 ミュエリが黙ったのを返事だと受け取ったイオータは、先に連れ帰ってくれるよう、タリアにルーフィンを預けた。

「よぉし。──んじゃ行こうぜ、テトラの家によ」

 自由になった腕を肩からほぐすように動かしたイオータは、そう言いながらジェイスに彼女の家を案内してくれるよう促した。

 そうして、タリアたちとルーフィン以外はみんな、テトラの家に向かう事になったのだった。



 霊刻はとうに過ぎていると思う…。

 鳥も虫も…命あるもの全てが寝静まる、そんな時刻。

 普段なら気にもならない足音が妙に大きく響いてる気がするのは、テトラの家に向かう間、誰一人として喋ろうとしないからだろう。

 あたしは、そんなみんなの足音を聞きながら、遅れないように…とフワつく足を前に出していた。転ばないよう足元を見ていたあたしが、ようやくシッカリとした足取りが戻って顔を上げたのは、宿の近くを通る頃だった。

 夜の闇を照らすのは月明かりと松明の炎だけ。当然の事ながら寝静まった家は真っ暗で、それでも、ある一角を曲がった時には、その先に柔らかな明かりが漏れている家を見つけた。こんな時間に不自然だと思いながらも、数日前の記憶が新しいあたしたち─ラディやミュエリも含めて─にはそこがテトラの家だとすぐに分かった。案の定、その家の前でジェイスの足が止まった。

 〝ここです〟

 言葉にこそ出さなかったが、一旦、イオータを見てからあたしに移した目がそう言っていた。あたしは無言で頷くと、扉の前に立って、一度 大きな深呼吸をした。

 そして、握った拳を二度 軽く打ちつけた──

 ゴン、ゴン…。

 さほど力は入れてなかったが、少し厚めの扉が周りの枠まで音を響かせた。夜の静寂では特に大きく聞こえ、思わず周りを伺ってしまったほどだ。

 明かりがついているという事は、誰かが起きていると思うのだが、すぐには返事が返ってこなかった。しばらくして、もう一度 叩いてみる。

 ゴン、ゴン…。


 シ……ン……


 やはり返事は返ってこなかった。

「あ、あの…夜分遅くすみません──」

 〝夜分遅く…〟 にもほどがあると思いながらも、躊躇いがちに声をかけた時だった。外に漏れる明かりを人影が横切ったかと思うと、扉の向こうから警戒する男性──テトラの父親──の声が聞こえてきた。

「誰だ、こんな夜中に?」

「す、すみません…。旅をしてる者ですけど……」

「旅…?」

「はい…。あ、あたしはルフェラと言い──」

「何を勘違いしたのか知らんが、ここは宿ではないんでね。泊まる所ならもう少し西に行ったところにあるから、そこを尋ねるといい」

「あ、いえ…そうじゃないんです」

 そのまま扉の前から離れる気配がして、慌てて否定した。

 旅の者がこんな夜中に尋ねてきて、しかも泊まる所を探しているのではないとすれば、一体、何の用なのか…。

 そう思うのは当然で、男性はしばし無言だった。──が、すぐに鍵を開ける音がすると、あたしたちを隔てている目の前の引き戸が開けられた。

 怪訝そうに出てきた男性。その顔が、予想外の人数を目にして驚きの表情に変わった。

 本来なら、部屋の中を灯す幾つかのロウソクが彼の後ろにある為、逆光で見辛くなるのだろうが、表情までハッキリと見えたのは、松明の炎が一瞬 強く燃えたからだった。

 その一瞬の燃え方が、反射的に彼の注意を引く。そこで目にした──松明を持つ──人物に、テトラの父親は怒りを露にした。

「お前は…! 二度と来るなと言ったはずだ!! 一体 何しに──」

「娘を連れてきた」

「──ッ!?」

 男性がジェイスの胸倉に掴み掛かった瞬間、驚きの一言を発したのは玄関の入り口に目を向けたままのイオータだった。その言葉に、男性の動きがピタリと止まった。みんなの視線が一斉にイオータに集まり、そこへ、男性の視線が僅かに遅れて加わった。

 イオータは驚きのあまり声も出せないでいる男性をチラリと見やると、

「──と、言ったら?」

 タバコをひと吹かししたような落ち着きようで付け足した。

「娘を…連れてきた…だと…? 何を言ってやがる、お前は…? テトラは死んだ、半年も前に……こいつに見殺しにされてな! この世にいない人間をどうやって──」

「どういう…こと…?」

 最後まで言い終わらないうちに、走り寄って男性の言葉を遮ったのは、部屋の奥で会話を聞いていた彼の妻、つまりテトラの母親だった。病の先生の所に行く途中、ジェイスに罵声を浴びせていた、あの女性だ。

 再び松明の炎が強く燃え、父親と同じように視線がそちらに向く。ジェイスの顔を見て憎しみの目をしたが、それよりもイオータの言った言葉のほうが重要で、彼女はイオータの両腕を掴んだ。

「どういう事なの!? 娘を…テトラを連れてきたって……あの子がここにいるの…!? ねぇ、いるなら会わせて──」

「バカな事を言うんじゃない!」

 父親は、イオータの腕を掴んだまま今にも泣き崩れそうな母親を引き離して、強引に自分の方に向けた。

「テトラは死んだ、もうこの世にはいないんだ!」

「でもこの人がテトラを連れてきたって──」

「いいや、テトラはいない! どうせ、こいつが日頃の腹いせにオレたちを苦しませようとしたのさ」

 この時の 〝こいつ〟 とは、ジェイスを指していた。

「あ…ぁ、そんな…酷い…!」

「あぁ。そういうヤツなんだよ、こいつは」

 父親はすごい形相でジェイスを睨みつけてから、彼女をグイッと引き寄せて家の中に入っていこうとした。

「ちょっと待って…違うわ、そんな──」

 こんな状況になったのはイオータの発言だというのに、その張本人が何も言わないもんだから、思わず父親の腕に手をかけて引き止めた。けれど、既に聞く耳は持っておらず、放せとばかりに振り払われてしまった。

 何て言えば話を聞いてくれるのか、それが分からなくてイオータに視線を投げかければ、

「あの扉が閉まったら、二度と開けてくれねぇかもな?」

 ──と、まるで人事のように返してきたから腹が立つやら呆れるやら…。怒鳴りつけて足でも思いっきり踏んづけてやりたい衝動に駆られたものの、それ以上に焦る気持ちの方が強い。

 どう…しよう…。

 言葉が浮かばぬまま、目の前で扉が閉められ始める。

 やだ…ほんとに何も浮かばない……!

 母親と、父親の姿が半分ほど扉で遮られ、焦りが更に増した時だった。

「ルフェラ!」

 ネオスが咄嗟にジェイスから松明を奪い、あたしの目の前に差し出した。その瞬間──

「テトラはここにいるわ!!」

 反射的にそれを受け取ったのと、あたしが、この真夜中の静寂を憚りもせず叫んでいたのはほぼ同時だった。

挿絵(By みてみん)

 閉められるはずだった扉は途中で止まり、次いで、父親がゆっくりとこちらを振り返った。

 〝ここにいる〟 と差し出されたのが松明で、再び父親の顔が怒りに満ちてきた。ほんの一瞬遅ければ、〝バカにするんじゃねぇ!〟 と叫んでいただろうが、あたしはその一瞬を与えなかった。

「御霊よ!」

「な、んだと…!?」

「テトラの御霊。半年間ずっと…林の中で願いを叶えて欲しいと一人待ってた彼女の御霊が、ここにいるの。この炎の中に…!」

 見えるはずもないのは分かっていたが、あたしは 〝ここよ〟 と更に松明を突き出した。

 炎の強さは変わらなかったが、左右に大きく揺れたように見えた。ただ、それがテトラの反応によるものか、松明を突き出したときの動きによるものかは、分からなかったが…。

 いきなり目に見えないものを突き出され、〝御霊が…〟 と言われても、信じられないのが正直なところだろう。だけど、亡くなった人の御霊が存在するなら 〝会いたい〟 と思うのも、また正直な気持ちだと思う。それが最愛の人の御霊なら尚更…。

 〝ここよ〟 と言われ、思わず扉に手をかけ寄りかかった父親。複雑な思いで松明とあたしの顔を見ていたが、当然の事ながらその存在を知ることはできず、なんら変わらない炎を前に、悲しさと怒りを滲ませた。

「い…い加減にしてくれ…! こんな夜中にやってきて、存在すら怪しい亡き人の御霊を連れてきただなんて、オレらが信じるとでも思ってんのか!?」

「それは……」

「この村に無関係なあんたたちが、一体なんでこんな事を…! この男に何を吹き込まれたか知らんが、これ以上 オレたちを苦しめないでくれ!」

「ちがっ…ジェイスさんは何も──」

「いいからもう、帰ってくれ!!」

 父親は怒りと苦しみをぶつけるように、ダンッ…と扉を叩いた。その音が再び静寂を作り出したものの、ほぼ同時に母親の泣き崩れる声が響き渡った。

 どうしてこんな風になっちゃうのよ…。あたしは、ちゃんと話がしたいだけ……ちゃんと話ができれば、きっと この人たちも分かってくれるはずなのに…!

 やるせない思いだけが苦しいくらい胸にたまってきて、自分の無力さに悔しさまで込み上げてくる。

 そんな状況に、たまらず震えるような溜め息を出した時だった──

「…だけど、嘘じゃない…」

 ボソリと呟いたのはミュエリだった。

「なにぃ…?」

「…私だって…実際にテトラの御霊は見てないし、その存在を感じたのか…って聞かれたら、正直、感じてないって答えるしかないわ…。だから、この炎の中に彼女の御霊がいるって言われてもあまりピンとこなかったし、実感もなかった…。かろうじて、御霊の存在を信じる事ができた私でさえそうなんだもの…その存在すら怪しいって言うあなたに、根拠もなく信じてって言っても無理なのは分かってるわ…」

「あぁ、その通りだな…」

 分かってんなら、とっとと帰ってくれ…と付け足しそうな口調だったが、ミュエリは構わず続けた。

「でも…ひとつだけ確かなことがある。──それは、こんな時にルフェラが嘘をつく人間じゃないってことよ」

 ミュエリ…。

「それだけは、根拠がなくても自信を持って言えるわ」

「……………!」

 その瞬間、父親の顔が僅かに変わった。

 怒り心頭だった心に水を一滴落とされたかのような表情。それは小さな刺激だったかも知れないが、冷静さを取り戻すキッカケにはなったようだった。

「…嘘じゃない…か。だから、テトラの御霊がこの炎の中にいるというのも信じるというのか…?」

「ええ」

 強く、だけど少し優しい目をして答えた。

 根拠のない事がどれだけ意味のないことなのか…。

 数日前、あたしを安心させる為に言ったのはミュエリなのに、その彼女が根拠のない自信…つまり意味のない自信の方を信じるだなんて…。

 あたしは、思わぬ言葉に驚きながらも胸の中が熱くなっていくのを感じた。

 その一方で、父親の怒りが徐々に鎮まっていくのも感じていた。けれど、怒りの奥には深い悲しみがあり、表面を覆い隠していた 〝怒り〟 が消えてくと同時に、悲しみの色がより一層 濃く表れた…。

「だが…その思いは あんたたち仲間にしか分からん事だ…。初めて会った上に、娘を見殺しにしたやつと一緒だなんて……。そんなあんたたちを、オレにどう信じろと言うんだ…」

 〝どうしようもないんだよ…〟

 ──そんな溜め息が漏れた。

 言葉で言われても、気持ちがついていかない…そう言われているようだった。

「だ、だからそれはよ──」

「頼むから…」

 父親は、ミュエリの代わりに続けようとしたラディの言葉を遮ると、込み上げてくるものを抑えるように大きく息を吸って続けた。

「頼むから…もう、放っといてくれ…」

 信じることすらできないあたしたちに、父親が 〝頼む〟 と下げた頭。

 これ以上、あたしたちに何が言えるだろうか…。

 悔しさと悲しみで一杯になりながら、あたしたちは目の前の扉が閉まっていくのを見てるしかなかった。

 どうすれば…どうすればよかったっていうの…?

 話すら聞いてもらえないなんて…テトラはここに…すぐここにいるっていうのに…!

「──話を聞かなきゃダメよ、クルドさん!」

 それは、扉がトン…と静かな音を立てて、父親の項垂れた後ろ姿が見えなくなった瞬間だった。

 突然聞こえた声に振り向くと、視線の先には少し息を切らしたタリアが胸に手を当てて立っていた。

「タリアさん…!?」

 ルーフィンを連れて帰ってくれたとばかり思っていたのに……いや、連れて帰ってから、走って追いかけてきたのだ。

 でも、どうして…?

 無言でその言葉を投げかけると、タリアは小さな微笑みだけを返して、扉に近付いた。そして、その向こう側にいる父親に話しかけた。

「クルドさん…タリアです。そのままでいいので聞いてください。テトラの御霊は、亡くなってからずっと、あの林の中にいました。御霊が天の国に行けず、亡くなった場所に留まるのには理由があるんです。その多くは、思い残したことや叶えて欲しい願いとかで…私は、それが何なのか教えて欲しくて毎日そこに通いました。でも、テトラは私に話しかけようとはしない…ただ無言でそこに留まるだけだったんです。正直、私にはどうする事もできませんでした…。でも数日前…ルフェラさんがこの村にきた時、テトラが動いたんです。彼女が…ルフェラさんの御霊に触れたんですよ。今は、彼女の体から離れましたが、テトラの御霊は、間違いなくこの炎の中にいます」

 そこまで言うと、不意に、ドン…という重い音と衝撃が扉に響いた。叩くような音ではないため、扉にもたれたらしいというのが分かった。次いで聞こえてくる、力ない声…。

「タリアさん、あんたまで……。どういうことだ、これは……。一体 オレたちにどうしろと言うんだ……」

 独り言に近いその口調が、本当にどうしていいか分からない気持ちを伝えてくる。

 タリアはその迷いを断ち切らせるかのように、一度目を閉じてからハッキリと言った。

「私は、御霊の存在が分かります。彼女の言う通り、テトラの御霊はここに…この炎の中にいます。ですから、この人の話を聞いてあげてください。命がけでテトラの願いを叶え、救おうとしている彼女の話を。そして、彼女を信じ全てを託した…テトラの最後の想いを。──何を信じるかは、その後でもいいんじゃないんですか?」

 最後はそっと問いかけるような言葉だった。けれど、父親からの返事は返ってこなかった。

 ジッと何かを考えているのか、それとも、バカバカしくて部屋の奥に引っ込んでしまったのか……実際どれくらいの時間が流れたのか分からないが、重く長い沈黙が続いたように感じた。

 やっぱり、ムリなのかな……。

 あたしだけじゃなく、ここにいる誰もがそう思い、不安な表情で顔を見合わせた時だった──

 扉から離れる時の 〝ガタ…〟 という音がしたかと思うと、一瞬 考えるような間があってから、ゆっくりと戸が開けられた。

 閉ざされた扉が開いた事に、ホッとした吐息があたしたちの間で静かに漏れる。

「クルドさん…」

 声に出したのはタリアで、父親はタリアの顔をチラリと見てから、体を横にずらした。

 それは 〝入れ…〟 という意味だった。

「ありがとう、クルドさん…」

 礼を言ったタリアが、あたしたちにも 〝さぁ、入りましょう〟 と目で促した。彼女のあとにイオータたちが続いたものの、さすがに家の中に松明を入れるわけにもいかず……あたしは、どうするべきか…としばらく玄関先で考えていた。すると、タリアが部屋の中で灯っていたロウソクを借りて戻ってきた。

「こっちに移って、テトラ」

 そう言って小さなロウソクを松明に近付けた時だった。二つの炎が重なる瞬間、ロウソクの炎が一際大きく燃え上がると、それに反比例するように松明の炎が小さくなり消えてしまったのだ。

 その現象にここにいる誰もが驚いたものの、あたしたちはすぐにそれが普通だと気付いた。燃えていた時間を考えれば、もうそろそろ消えてもおかしくない頃なのだ。他の松明も消えていたり、消えかかっていたり…と、明かりの用を成さなかった中で その一本だけ明るかったのは、テトラの御霊が宿っていたからだ。その松明にロウソクの炎を近づけた途端 消えたという事は、テトラの御霊がロウソクの方に移ったという証なのだろう。

 あたしは消えた松明をその場に置くと、ようやくタリアのあとに続いて敷居をまたいだのだった。──が、ふとジェイスたちが動く気配がないことに気付いて足を止めた。

「ジェイスさん…?」

 振り返り、〝入りましょう〟 と声を掛けてみたのだが、ジェイスは、

「いえ…私たちは……」

 ──と言ったきり、〝入ることは許されてないでしょうから…〟 と首を振った。しかし、松明の現象を目の前で見たからなのか否か、すぐ傍にいた父親が視線を避けながらもジェイスに対し声を掛けた。

「あんたも入ってくれ。そこにいられちゃ、周りの連中が気になって眠れやしない…」

 そう言われ改めて周りを見れば、騒々しさに目を覚ました近所の人たちが、窓の隙間からこちらの様子を伺っているのが見えた。

 目が合った途端に窓を閉める人もいて、ここにいても迷惑を掛けるだけなら…と、ようやくジェイスたちも父親の言葉に従ったのだった。




 テトラの両親とあたしたちが向かい合うように座ってから、長い沈黙が流れていた。傍らに置いたロウソクの炎は、部屋の空気が動いてない事を示すように上に向かって真っ直ぐと燃えている。まるで、あたしが話し出すのをテトラもジッと待っているかのように…。

 何から話せば御霊の存在を信じてもらえるのか…それを考えていた為、長い沈黙が続いてしまったのだが、その沈黙に耐えかねて口火を切ったのはテトラの父親──クルド──だった。

「…娘はあんたに何を託したというんだ…?」

「それは…」

 正直、最初の質問がそれでホッとした。御霊の存在を信じる信じないという話より、幾分か答えやすいからだ…。

 あたしは彼の目を見てハッキリと言った。

「あなた方と、ジェイスさんを助ける事です」

「────ッ!! なっ…何をバカな…!!」

 クルドはドンッと机を叩き、ジェイスを突き刺すように指差した。

「む、娘は この男に見殺しにされたんだぞ!? 信じてたこの男に裏切られたんだ…! 復讐したいと思いこそすれ、助けようなんて思うはずがないじゃないか!!」

「確かに、復讐も願いのひとつでした」

「当たり前だ──」

「でもそれは、自分を酷い目に合わせた連中に対してで、ジェイスさんに対してではないんです」

「な…に…!?」

「…テトラが助けたいと思っているのは、見殺しにしたジェイスさんではなく、見殺しにしたと思わせているジェイスさんなんですよ」

「なん…だって…?」

 意外すぎた言葉に一瞬 何を言われたのか分からないようで、二人は中途半端な驚きを見せた。怒りさえ忘れ、もう一度 言われた事を頭の中で思い出してみる。そんな間があって、驚きは困惑を含んだ。

「…お…思わせているとは…どういうことだ…。現にテトラはこの男に助けを求めたと言ったんだぞ…。〝助けて〟 と言ったのに助けてくれなかったと……」

「ええ、言いました。草の根の隙間からジェイスさんの姿を捉えたテトラは、彼なら助けてくれると信じ、最後の力を振り絞って叫びました…」

「だったら──」

「でも、声にはならなかった」

「……………?」

「口を…塞がれていたんです」

「──── !」

「人が近付いてくる事に気付いた連中は、身を潜めるようにテトラを押さえ込み、息さえできないくらいの強さで口を塞いだんです。その手に、声が漏れる隙間なんてなかった…。だから、心の中で叫ぶしかなかったんです。それに…たとえ口を塞がれなかったとしても、その時のテトラにはもう…声を出す力など残ってなかった…」

 〝抵抗するたびに顔やお腹を殴られていたテトラには…〟

 あとに続くその言葉は、敢えて言わないようにした。けれどきっと分かるはずだ、テトラの体を見ている両親なら…。

「…ま…さか…そんな……じゃぁ、なぜテトラはあんな事を……」

「本人も分からなかったんです。実際に声に出して叫んだのかどうか…。心の声は人には聞こえなくても自分には聞こえるものだから……必死だったテトラにはその区別がつかなかったんです…。でも、今は全て分かっています。ジェイスさんは自分を見殺しになんかしてない、エステルさんの事もあったけど、あの声は聞こえるはずがなかったんだから…って…。彼を恨むどころか、自分の最後の言葉で辛い思いをさせていることに申し訳ないとさえ思っているんです。だから、真実を伝えて彼を助け──」

「ウソよ…!」

 たまらなくなって叫んだのはテトラの母親だった。

「テトラがそんなこと思うはずがない…! あの子はこの人に見殺しにされた…この人だって自分でそう言ったじゃない…! 本人がそう言ったのよ!? それが真実でしょ!? ──大体…そうじゃないって、どうしてあなたに分かるのよ!?」

 手元に何かあれば、それを全て投げつけんばかりの勢いだった。けれどその時、傍らに置いてあったロウソクの炎が三倍くらいに燃え立つと、どこかに燃え移らないかと思うほど前後左右に大きく揺らいだ。まるで、テトラが 〝違うわ!〟 とでも訴えたかのように…。

 その炎にハッと息を呑んだ母親。父親も驚きは隠せず、一瞬 この場がシン…と静まり返った。

「──最初から話を聞けってことじゃねーの?」

 大きな溜め息に乗せたのは、腕を組んで壁にもたれているイオータだった。

 いかにもテトラがそう言っているという言い方だが、本音は…

 〝そんな中途半端な質疑応答をするより、最初から順を追って説明した方が全体像が見えて納得もしやすい〟

 ──という事だろう。

 もちろん、あたしもその 〝本音〟 には賛成だった。ただ問題は、最初を 〝どこ〟 にするべきか、だ。エステルの誤解も解いておきたいけど、テトラの事だけなら、その説明がなくても事足りるのだ。

 だけど、本当にそれだけでいいのだろうか…?

 僅かな間に自問自答を繰り返していると、そんな迷いを知っているかのようにイオータが付け加えた。

「出し惜しみなんかするなよ? 役者も観客も揃ってんだからよ」

 そう言って、チラリと目線を玄関にやった。それがどういう意味なのか、釣られるようにそちらを見て 〝役者? 観客?〟 と頭の中で繰り返していたら、ようやくその意味が分かった気がした。

 なるほど…。近所の人たちがそこにいるのね…。

 扉も窓も閉まっていて外は見えないけれど、気配を読める彼のことだ。間違いないだろう。

 だったら──

 あたしは二人に視線を戻すと、外の人たちにも聞こえるよう、少し大きめの声で話すことにした。

「あたしが知った事実の始まりは、五年前です」

 〝五年前…?〟

 二人が一様にそんな顔をした。が、あたしは構わず続けた。

「五年前、タリアさんは息子さんを、ジェイスさんたちは両親を同時に亡くしました。その悲しみは大きく、どんな慰めの言葉も彼らの心を癒すには至らなかった…。今のあなた方なら、そんな彼らの気持ちが痛いほど分かるんじゃないですか? テトラが亡くなった状況は違っても、愛する者を失った悲しみは同じだもの」

「あぁ…分かるさ…。悲しみのあまり乱心した者の気持ちもな」

 そう言って、ダルクがエステルをチラッと見ると、彼女は気まずそうに目を伏せた。

「…だが、それが何だって言うんだ? 情をかけて仲良くしろとでも? ……冗談じゃない。乱心してワーワー喚くのは仕方ないにしても、子供を溺れさせてもいいってことじゃないだろ? だいたい、それが愛する者を失った悲しみを知る人間のすることか!?」

「えぇ、確かに愛する者を失った悲しみを知る人間のすることではありません。もしそれが、本当に子供を溺れさせようとしたのなら…ね」

「な…に…?」

「溺れさせようとしたんじゃ…ねーのか…?」

 クルドの疑問を言葉にしたのはラディだった。あたしはエステルを見てからゆっくりと頷いた。

「どういうことだよ…ルフェラ?」

「エステルさんは、あの事故のあと死の花に願ったのよ。〝死者の姿が見えるように…〟 って…」

「──── !」

「死者の姿…って…何でまたそんな……だ、だってよ…自分の命に代えてでも…っていう願いじゃねーだろ…?」

「そ、そうよ…。いくら寂しくてもう一度 両親に会いたい…って思ったにしても、自分の命と引き換えにだなんて──」

「自分の為じゃないわ。兄、ジェイスさんの為よ」

「な、なに…!?」

 声に出して驚く傍らで、ジェイスもまた、俯くエステルを驚きの目で見ていた。

「あの日…両親はエステルさんに内緒で家を出ようとしてたの…。数日後に十五歳の誕生日を迎える彼女に渡す 〝贈り物〟 を持ち帰るためにね。でも…彼女は たまたま家を出ようとしてた両親を見つけ、送り出す事になったのよ。もう…帰ってこないと分かっている両親を──」

「まさかそんな…!」

 叫んだのはジェイスだった。

「エステル…まさかあの時 見えていたのか…!?」

 両腕を掴んで自分の方に向けようとするものの、エステルは唇を噛み締めるようにして顔を背けた。

「エステル──」

 尚も追求しようとするジェイスの言葉を、ラディが慌てて遮った。

「ちょ、ちょっと待ってくれよ…。見えてた…って何が見えてたんだよ?」

「そうよ…。もう帰ってこないと分かってたって…どういう事…?」

 二人の質問に、ジェイスは 〝それは…〟 と口ごもった。

 一方あたしは、彼の一言で分かった事があった。

 それは──

「ジェイスさんも、分かっていたんですね…? 両親が、あと数日の命だということを」

「────!!」

 ジェイスの顔が核心を突かれたように固まると、エステルも、返事をしないジェイスを見て、〝まさか…〟 という顔をした。

 更に理解できないと焦るのはラディとミュエリだ。

「おぃ、ルフェラ…いったいどういう事だよ!?」

「そうよ、ちゃんと説明してよ…。数日の命ってことは…亡くなることが分かってたってこと…!?」

「……………」

 〝亡くなる事が分かってた〟 その一言はとても重いものだった。けれど、あたしはあるひとつの覚悟を持って説明を続けることにした。

「タリアさんに御霊の存在が分かる力があるように、エステルさんには死を予知する力があったのよ。両親が家を出て行くとき、彼女は数日後に消えてしまう命だと知ったの…。どういう状況で亡くなるかは分からなくても、事故で亡くなる事だけは分かった…」

「マ…ジかよ…?」

 あたしは無言で頷いた。

「じゃぁ、なぜ止めなかった?」

 その質問はダルクからだった。

「事故で死ぬと分かっていたのなら、止めるのが普通じゃないか。それを送り出したってことは──」

「もちろん、止めたかったわよ。自分の両親だもの…誰よりも助けたいと思った…。ここまで……喉のところまで 〝行かないで〟 って言葉が出てきたのよ。だけど、彼女は必死でその言葉を飲み込んだの」

「なぜだ…」

「それが、両親の運命だったから……変えてはいけない運命だと知っていたからよ…」

「変えてはいけない…? そんな…そんな理由で──」

「 〝そんな〟 っていうほど、運命は軽くないぜ?」

 イオータが 〝そんな〟 という言葉に反応した。

「人の生き死になんてもんは特にな。神は人の生死を操ってると言うが、実際は、そんなの一握りだ。その多くは、与えられた運命をどう生きていくのか…それを見届けるもんなんだぜ。──なぜだか分かるか?」

 素直に首を振ったのはラディだった。

「死ぬと分かったら助けてやりたいと思うのは神だって同じさ。何でもできる神なら、運命を変える事も不可能じゃない。だが、何でもできるからといって、何でもしていい事とは違うんだよ。運命を変えれば、確実に歪みが生じる。自分だけでなく、周りの人間の運命をも変えちまう 〝歪み〟 がな。だから神は、そう簡単に人の運命に手を出したりはしないんだ。その代わり、そいつの最期からも決して目を逸らさない。それが、見届けるってことなんだよ。自分の運命を自分の手で変えるならまだしも、死を予知できるからって人の運命を変えようとするのは、神でさえ手を出さない領域を侵すということだ。それにな、運命を変えるのはそう簡単な事じゃないんだ。それを知ってるエステルだからこそ、涙を呑んで両親を送り出したんだろ」

 そう説明すると、今度はネオスが続いた。

「…助けたくても助けられなかったっていうのも辛いけど、運命を変えてはいけないと知って、見届ける決断をする方がずっと辛いことなのかもしれない…」

「あぁ。結果的に助けられなかったとしても、心のまま行動できるほうが幾分かマシだからな。そして…それ以上に、そんな力を持ってない人間のほうが幸せだったりするのさ…」

 エステルの辛さがどれほどのものなのか、そして、どれほどの想いで見届ける決断をしたのか…イオータの説明を聞いて、両親を送り出した彼女を責める者はいなかった。ジェイスやエステルを嫌い、憎んでいるテトラの両親でさえ、涙を浮かべていたのだ。

 そして同時に、運命を変えてはいけないと言った意味の重さと、見届ける決断をしなければいけないという事が、あたしの心に重く伸し掛かっていた…。

「──で?」

「…え?」

 沈黙の中、イオータが 〝今こそ先を続けろ〟 とばかりに促した。

「その先だ」

「あ…ぁ、うん…」

 どこまで話したっけ…と涙を拭いながら思い出すと、あたしは再び続きを話し始めた。

「…偶然にも両親の死期を知り送り出したエステルさんは、辛いながらも最後の姿を目に焼きつけ、さよならをする事ができた。でも、兄のジェイスさんはそれができなかったのよ…。知らないうちに両親が出かけて、数日後には変わり果てた姿で戻ってきた…。悲しみに暮れるジェイスさんを見て、彼女は思ったのよ…せめてもう一度、死者の姿でもいいからジェイスさんに両親を会わせてあげたい…って」

「…だから、死者の姿が見えるように…って祈ったの…?」

 ミュエリの質問に、あたしは 〝そうよ〟 と頷いた。

「死者の姿さえ見えれば、少なくとも自分を通して何かを伝えられる…そう思ったから。それに…一方でエステルさんは、止めなかった自分も、ずっと責めてきたのよ。彼女にとって──立場が逆だって思うかもしれないけど──兄のジェイスさんを助けたり、守ったりする事は特別な事だった…。それが、自分が両親を引き止めなかった事で、ジェイスさんを苦しませてるって思ったから……だから、命に代えてでも今のジェイスさんを救いたかったのよ。結果として、彼女の願いは叶ったわ。さっきの子供を溺れさせようとしたっていうのもね…本当は、その子を助けたかったからなの。子供を川に引き込もうとする死者の手を引き離したくて…」

「────!!」

「両親の事があったから、死に対して敏感になっていたんだと思う。これ以上、誰も死なせたくないっていう思いから、傍目には、その言動が乱心したように映ってしまったのよ。でも、彼女は自分がどう思われようと関係なかった…たったひとつ、亡き両親の姿を見つけジェイスさんに会わせる為なら…。だから、否定もしなかったのよ」

「そんな…」

 声を出したのはミュエリだけ…しかも、それ以上は言葉が続かなかった。

 もし、必死で否定したのに信じてくれなかったのなら、村人に 〝信じなかったあなた達が悪いんじゃない!〟 と言葉を投げつけることもできただろう。だけど、本人が否定しない以上、村人が誤解してしまうのは当然なわけで…責める相手がいないという事が、言葉すら失わせてしまったのだ。

 言葉にならない想いが、やるせない溜め息となってこの場の空気に混じり込んでいく…。

 そんな時だった…。

「すまなかった…エステル…」

 ジェイスが辛そうに呟いた。

「…兄…さん…?」

「まさか、そんな思いでいたなんて……許してくれ、エステル……」

「あ…ち、違うわ……これはあたしの責任で、兄さんが謝ることじゃ──」

「いいや、私の責任だよ…妹を信用していなかった私の責任だ…」

「…………!? 兄…さん…それって……」

「父さんたちが出かける前の晩…私は既に 〝さよなら〟 を言ったんだよ、心の中で…。そして、エステルに内緒で出掛けるよう勧めたのも、この私なんだ」

「…どう…いう事…兄さん…?」

「父さんは、よく私に言っていた…。最期が分かっても決して運命を変えようとするな、と。そして、できるなら自分たちにも教えないでくれ…とね。あの日の前の晩、たまたま夜中に起きたら、父さんたちが話していたんだよ。エステルの誕生日に渡す贈り物をいつ探しに行こうか…ってね。その時、私は父さんたちの死期が近いことを知った…。しかも二人同時に…」

「────!!」

「私は真っ先に運命を変えたいと思ったよ…。だけど、その思いを止めたのは、〝運命を変えようとするな〟 という父さんの言葉だった…。溢れそうになる涙を堪え、そのまま布団に戻ろうとしたけど、お前の事が頭をよぎったんだ。私でさえその運命を変えたいと思うのに、十四・五のお前が変えたいと思わないわけないとね…。何もしない辛さに耐えられるかどうか…そしてそれ以上に、そんな思いをさせるのが辛かった…。ひょっとしたら、自分の境遇を恨みヤケになってしまうのではないかと心配もした…。だから、エステルに内緒で朝早く出掛けて、帰ってくると同時に驚かせたら…って提案したんだよ…。それをまさか…お前が二人を見送っていたなんて……」

「…ぁ…あぁ……」

「お前の強さを信用しなかった私の責任だよ……本当にすまなかった、エステル……」

「…あ…ぁ…兄…さん……!」

 初めて聞くジェイスの真実に、エステルは言葉を詰まらせボロボロと泣いた。

 この時、あたしは思った。言葉に詰まらなくても、きっと、もう何も言わなくていいんだと。〝さよなら〟 を言えていたという事が分かっただけでも、エステルの心は救われたと思うし、最後だと知らせなかった理由も、お互いを思いやっての事だもの。それに、〝共人〟 が年下だという事を気にしていた彼女にとって、〝信用してなかった〟 と言われたのはショックだろうけど、五年前の決断を知ったジェイスの今の言葉からは、そんな思いは微塵も感じられないからだ。

 テトラの両親の表情から、少なくともエステルへの誤解が解けたと確信したあたしは、涙を拭い一呼吸置くと、更に話を進めることにした。

「クルドさん。あたしは…テトラの御霊に触れられていた時、彼女の記憶を通して同じ体験をしました…」

「同じ…体験…?」

「ええ。見たり聞いたりなんてものじゃない…。あたしがテトラ自身になって、あの日の…半年前の記憶を体験したんです…」

「────ッ!!?」

「ひどい…あまりにもひどいものでした…」

 今思い出してもゾッとする、体に残る生々しい感覚…。

 冷静に続けたにもかかわらず、体の痛みや恐怖、気持ち悪さといった様々な感覚が蘇ってきて、あたしはすぐに声を詰まらせてしまった。

 大丈夫…? と無言で背中に触れてきたのは、おそらくミュエリの手だろう…。

 あたしは 〝大丈夫よ〟 と答える代わりに、込み上げてくる涙や震えを深呼吸で押さえ込んだ。

「…だから分かるんです、何が真実なのか。口を塞がれていて声が出せなかったのはもちろん、たとえ塞がれてなくても、あの時のテトラには聞こえるほどの声は出せなかったって…。それに…あそこを通りがかったジェイスさんは、ちょうど、エステルさんが死の花を使ったと聞かされた直後で、周りの音さえ聞こえないほどひどく動揺してたんです。でも…だからこそ、ジェイスさんは責任を感じた…。冷静だったら、きっとテトラの声が聞こえていたはずだった…って。口を塞がれてたなんて知らないんだもの、そう思って当然だった…」

「…それで、〝見殺しにした〟 と言われても、否定するどころか、自らもそう言ったというのか…?」

「えぇ。でもそれはひとつの理由に過ぎなかった…。責任を感じたジェイスさんはテトラが亡くなってから、毎日のようにあの場所に謝りに行っていたんです。テトラはそんなジェイスさんをずっと見てました。その都度、謝る必要なんてない、あれは仕方がないことだったんだ…と何度も答えたそうです。でも…当然ですけどその声はジェイスさんには届かなかった…。だから、テトラは助けたかったんです。自分が残した最後の言葉で、村人から 〝見殺しにした〟 と思われ、ずっと苦しんでいるジェイスさんの事を」

「…ではなぜ、娘はタリアさんに何も言わなかったんだ?」

 そう言うと、視線をタリアに移した。

「思い残した事や叶えたい事を知りたくて、あんたは毎日あの場所に行ったと言った。でも、テトラはあんたに話しかけようとしなかったんだろう…? 御霊の存在が分かるなら…自分の存在に気付いてくれるあんたになら、その想いを伝えようとするんじゃないのか…? なのに、テトラはあんたに何も言わなかった…なぜだ…?」

「それは……」

 クルドの質問にタリアは言葉に詰まった。そこがタリアにとっても一番 辛いところなのだ。だから、あたしが答える事にした。

「──知ってたからよ」

 クルドの視線が 〝何をだ?〟 という無言の言葉と共にあたしに向いた。

「タリアさんは、自分の息子のせいで彼らの両親を死なせてしまったと思ってる。そんな罪の意識さえ感じているタリアさんに言っても、誰も彼女の言葉を信じはしない…それをテトラは知ってたのよ。特に、〝見殺しにしたんじゃない〟 っていう話はね」

 その言葉に、クルドは何も言えず下を向いてしまった。否定しようにも、素直に信じようとしない今の心境が、その言葉を証明していたからだろう。

 あたしは、また一呼吸置いて続けた。

「テトラは十分すぎるくらい分かってたわ。タリアさんは、ジェイスさんだけでなく、自分のことも助けようとしてくれてるんだって…。だからほんとは、彼女に伝えたかったのよ。でも、彼女の話を信じてくれないってことは、結局、何もできないことに苦しませてしまうだけだって分かってたから……だから、何も言わなかった…ううん、言えなかったのよ」

「……………」

 証拠がない以上、簡単に信じてもらえないのは分かっていた。現に、目の前の二人が未だ困惑している顔を見れば、それも当然だと思う。ただ、その中には憎しみといった刺々しい雰囲気がなくなっているのだけは見てとれた。

 何をどう信じていいのか…悩めば悩むほど、母親の視線はテトラの御霊がいるというロウソクの炎に移っていた。もし本当にそこにテトラがいるのなら…さっきのように炎で教えてと、そう願うような目だ。けれど悲しいかな、ロウソクの炎は何の変化も起きなかった。

「クルドさん」

「……あぁ?」

 あたしは今しかないと思い、改めて彼らを真っ直ぐ見つめた。

「ジェイスさんが 〝見殺しにした〟 と自ら言ったもう一つの理由……それは、少しでもあなた方を助けたいと思ったからなんです」

「…なに?」

 意外で、尚且つ理解できない言葉に二人は眉を寄せた。

「愛する者を失った悲しみは、あなたが言ったように乱心してもおかしくないほど大きなものです。中には、生きる気力を失くし自らの命を絶つ人だっている…。ジェイスさんは、その悲しみや辛さを誰よりも知っているんです。特に、責める相手がいない辛さというものを…」

「責める相手がいない辛さ…?」

 繰り返した言葉に 〝ええ〟 と頷くと、次いでイオータが理解したとばかりに付け足した。

「なるほど。愛と憎しみで人は生きる、か…」

「…ええ、そう」

「ちょ、ちょっと待ってくれ…それってどういう事だ…?」

 クルドより先に聞いたのはラディだった。それにイオータが答える。

「人にはな、誰かを愛する事で生きていける人間と、誰かを憎む事で生きていける人間がいんだよ。その愛する誰かを失った時、そこに悲しみや苦しみしか残らなければ、さっきも言ったような事が起こっちまう。だが、テトラのように誰かに殺された場合は、悲しみや苦しみ以上に、犯人に対する怒りや憎しみが湧くんだ。その感情は、乱心する間も与えなければ、死のうとする考えまで忘れさせる。つまり、怒りや憎しみを持つことで生きていけるってことだ。──それに、よくあるだろ? 避けようのない自然の災害や、もともと本人に原因があって亡くなっちまった場合でも、遺された家族が何かしら責任を追及することがよ。そこを責めるのは筋違いじゃねーかってとこまでな」

「あ、あぁ…まぁ…」

「だが、そうだと分かっていても、愛する者を失った者にとっては、どうしようもねぇ行動なんだ。正気を保ち、その悲しみを乗り越える為にはな。──まぁ、責められる方はたまったもんじゃねーんだけど?」

「…そう…だよな…。でもそうすっとよ、テトラの場合は犯人がちゃんといるわけだし、ジェイスが 〝見殺しにした〟 って思わせる必要なんてねーんじゃねーのか?」

「まぁ、普通だったらな」

「普通…だったら…?」

 イオータの答えに、理解できないと再度繰り返し質問すれば、イオータは 〝そういうことだろ?〟 と、同意とその先の説明をあたしに求めた。あたしは 〝そうよ〟 と頷くと、ラディの質問がくる前に続けた。

「テトラを死なせた犯人がいても、それが誰だか分からない上に、そこに結びつく手掛かりが何ひとつなかったとしたら? その怒りや憎しみは心の中に募る一方で、どこにも持って行き場所がないのよ。ジェイスさんはそんな辛さを誰よりも分かってた。責める相手のいない辛さや、感情をぶつける相手がいない辛さを…そして、責める相手がいない人より、いる人の方が幸せな時もあるんだってこともね」

「…ってことはまさか…見殺しにしたと思わせることで、その役を引き受けたってことなのか…?」

「…ま…さか…そんな…!」

 〝そうよ〟 と答える前に、クルドの驚いた声が響いた。

「いくら責任を感じたからって、それはないに等しいものだったんだろう…? なのに何でオレたちの為にそこまでするんだ…!?」

「大好きだったからよ」

「……………?」

「二人ともテトラの事が大好きだったの。どんなに周りの人がエステルさんを白い目で見ようと、彼女だけは二人を信じてた。それだけ、テトラも二人の事が大好きだったのよ。だからもしあの時…テトラの死期が分かったなら、変えてはいけない運命さえ変えていたかもしれないわ。──そうでしょ?」

 あたしは、最後の言葉をジェイスとエステルの二人に向けた。

 〝あの時〟 がいつの事を指しているのか、あたしがエステルの記憶を見たと知らなくても、二人には十分 分かる事だろう。案の定、二人はその時のことを思い出すように、辛そうな表情で小さく頷いた。それを見たクルドが当然の疑問を口にする。

「…あの時って…いつの事だ…?」

「亡くなる前日よ。その日に、二人はテトラと会ってるの」

「まさか…!?」

「みんなには内緒にしてたみたいだけどね、ジェイスさんとテトラが話してるのを、エステルさんは近くで見てたのよ。その時の彼女には、テトラが亡くなる 〝知らせ〟 が見えなかった。その時のジェイスさんの様子からすれば、多分、彼も……。翌日にテトラが亡くなったと知って、二人は知る事ができなかったことに責任を感じたのよ。特に、エステルさんはね…」

「どういう事だ…?」

「彼女にとって死の花の代償は…命じゃなく、死を予知する二人の力だったのよ」

「────!!」

「だから、尚更 自分を責めたの…。死の花さえ使わなければ、テトラの死期を知る事ができた…。運命を変える事ができたら、ジェイスさんにも こんな辛い思いをさせずに済んだはずだ…ってね」

「…だから、オレたちの為にこんな辛い役を引き受けたというのか…」

「…えぇ」

「…なん…て事だ…」

 クルドが愕然と床に手を付き頭を垂れると、母親がその肩に顔を埋めて泣いた。

 死の花を使わなければ自分の娘は助かったかもしれない…。その気持ちがないわけでもないだろうが、だからと言って誰が二人を責められるだろう。死の花の代償が 〝死を予知する力〟 だと知っていたならいざしらず、そうじゃないんだもの。それに、愛する者を失った者同士、クルドたちには死の花を使ったエステルの気持ちが痛いほど分かるはず。立場が逆でも同じ事をしただろう…と思えば、これ以上彼らを責める気持ちにはなれないのだ。しかも、人とは違う 〝力〟 があったばっかりに、二人は感じなくていい責任を感じて苦しんできた。何も知らなかったとはいえ、被害者の立場で責め続けたことを悔いると共に、ジェイスたちに対して申し訳ないことをしたという気持ちで一杯になるのは当然なのだろう。

 クルドは震える声で 〝すまなかった…〟 と何度も謝った。その思いは外で話を聞いていた村人も同じようで、いつの間にか、すすり泣く声や嗚咽する声がこの静かな部屋に届いていた。

 これで願いが叶ったわね…とロウソクの炎に目をやると、それに答えるように炎が揺れた。それはテトラの気持ちが現れているようなとても柔らかな揺れで、その事に心の底からホッとすれば、それまで張り詰めていたものが切れたからか、一気に疲れが押し寄せ、座っている事さえ辛くなってきた。少しでもバランスを崩せばそのまま倒れてしまうんじゃないかという状況に、そっと腕をつかんで支えてくれたのはネオスだった。─と同時に、イオータが膝を叩いた。

「さてと…帰るとするか。テトラの願いは全て叶ったし…ルフェラの体も、もうそろそろ限界だしな」

「あ…あぁ、そうだよな。──大丈夫か、ルフェラ?」

 そう言ってあたしの顔を覗き込むラディと目が合い、返事をしようと口を開きかけた時だった。〝限界だ〟 という言葉に、クルドが思い出しように顔を上げた。

「そ…う言えば……命がけで娘の願いを叶えたと言ったが、それはいったい…?」

「あ? あぁ…復讐さ」

「──!?」

「最初に言ったろ。復讐も願いのひとつだった、ってな。テトラの願いは二つあって、ひとつは真実を伝え全ての誤解を解くことだった。そしてもうひとつは…犯人に対する復讐だったのさ」

「じゃ…ぁ…まさか、その犯人を…!?」

「あぁ、その 〝まさか〟 だ。犯人は目尻と腕にクモの刺青をしたクモ賊で、数日前、偶然にもルフェラはその犯人と森の中で出会っていたんだ」

「ク…モ…!?」

 その反応はクルドだけじゃなく母親も同じで、イオータは何かを悟ったようだが敢えて何も言わず先を続けた。

「それをテトラが知ったというのも、ルフェラに触れた理由のひとつだろうが…ルフェラの体を借りて犯人に復讐しようと思ったのさ。ただ、御霊に触れられてると、生きた体…つまり、ルフェラの体力がどんどんと奪われていく。願いを叶えるまでは御霊も離れられないからな…願いを叶えるのが遅ければ、最悪、死に至っちまうんだ。ついさっき復讐を果たし、ようやくテトラの御霊が離れたんだが……正直、かなりヤバかった。──そうだよな?」

 その問いかけはネオスに向けられ、ネオスも 〝あぁ〟 と小さく答えた。

「それが…命がけで娘の願いを叶えたという意味だったのか…」

「…あぁ。まぁ、それでも何とか持ち直したから、ここに来たんだけどな──」

 ──とそこまで言って ふと何かを思い出した。

「そういや、時間がないって言ったのはどういう意味だ?」

 その質問はあたしに向けられていて、一斉に みんなの視線が集まった。あたしは体のだるさを吐き出すように、ひとつ深呼吸をして答えた。

「…その前に…ひとつ訂正させて…」

「あぁ…?」

「…犯人に復讐……ううん、犯人を罰したのはジェイスさんとエステルさんよ。あたしはテトラに体を貸しただけ…。そのテトラの手さえも汚さないように…って、犯人が一番苦しむ方法で罰したのがジェイスさんなの…あたしは…何もできなかった…」

「……そうか」

 あたしはコクンと頷いた。

「…時間がないって言ったのは、明日…正確には今日が特別な誕生日だからよ。その特別で最後の日を、少しでも長く両親と過ごさせたいと思ったから……」

「なるほど、そういう事か…」

「うん…。それから──」

 喋るのが辛くなってきたというのもあるが、これはジェイスの口から言った方がいいと思い、彼にその先を託した。

「ジェイスさん…」

「……はい?」

「…教えてあげてください、鏡のこと…」

 一瞬、何のことだか分からなかったものの、すぐにテトラが亡くなる前日に話した事だと悟り、〝分かった〟 と頷いた。

 ジェイスは姿勢を整え、クルドの目を真っ直ぐ見つめた。

「クルドさん」

「…あぁ?」

「彼女の…娘さんの為に、手鏡を贈ってあげてください」

「手鏡…?」

「はい。十五歳の誕生日の贈り物…彼女は自分の事を想って贈ってくれるものなら、本当に何でもいいと言っていました。でも敢えて言うなら、いつでも持ち歩ける手鏡が欲しいと話していたんです。明日の夜、テトラがその手鏡を持って天の国へ行けるよう、御霊の癒し火と共に川に流してあげたいのです」

 そう説明すると、クルドと母親は再び涙を流し大きく頷いた。

「…では明日の夜、テトラの御霊が宿ったロウソクを灯篭に入れて、手鏡と一緒に持って川に来てください」

「あ、あぁ…分かった。必ず持って行こう…」

「…はい。待っています」

 心の中のわだかまりが解けた二人の穏やかな笑みに、ようやくあたしは自分のすべき事が終わった…と思えたのだった。

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