BS5 現れたテトラ
昼間、タリアに案内されたネオスたちが見たのは、ぐっすりと眠るルフェラの姿だった。
最後に見たのが熱で苦しんでいる姿だったからか、顔色はまだ優れないものの、静かで深い呼吸を繰り返すその寝顔はホッとできるものだった。
目を覚ましたあとも何かしら口にしていたせいか、その顔色も徐々によくなってきた。それが清められた食事によるものだと知った時は、御霊に触れられていることを実感すると同時に、このまま清められたものを食していれば、元のように元気になるのではないかと、誰もが思ってしまったほどだ。
お風呂も清められた水が使われ、その日だけで心身ともに随分と体力が補われたように見えた。
〝今日はもう、大丈夫だろう…〟
そう思えたのは、一足先に休んだルフェラの寝顔が、久々に見る安らかなものだったからで…それを目にしてようやくみんなも安心して眠る事ができたのだった。
そんな中、みんなが眠った頃に起き出したのはネオスだった。ルフェラに何が起きているのか、それをルーフィンに説明する為だ。
土間で休んでいたルーフィンを起こし、そっと外に連れ出すと、二人は門の所にある石段に腰を下ろした。
『──遅くなって悪かったね』
ルーフィンの背に触れ謝ると、ややあって 〝いえ…〟 と一言返ってきた。その声はいつもより元気がなかった。
『ルーフィン…?』
『……仕方がないことだと、分ってはいるんです。一緒の部屋で寝泊りする事さえできれば、逐一 情報も耳に入ってくるんでしょうけど…私が人間でない以上、それは無理ですからね…。でも、本音を言えば…まるで蚊帳の外にいるようで…それが堪らなく悲しく、堪らなく悔しいのです…』
『ご…めん…ルーフィン…』
ルーフィンには珍しく責めの口調だった。──が、その気持ちは十分すぎるほどネオスにも分かるものだ。ルフェラの正体を知り 身を案じる者として、彼女の状況は常に把握しておきたいもの。更に言えば、常に傍で見守っておきたいものなのだ。それが、人間ではない故に叶わず、自分だけが蚊帳の外にいる気になれば、誰だって不満が溜まってくるものだろう。
説明する余裕がなかったとはいえ、申し訳ないことをしたと謝れば、今度はルーフィンが慌てた。
『あ…いえ…すみません…。そうじゃ…ないんです…』
『え…?』
『あなたを責めたわけではありません。責めるべき者は…自分自身ですから…』
『自分…自身…?』
思わぬ言葉に聞き返せば、ルーフィンの目が更に悲しい色になった。
『自業自得なんですよ…。責める相手は誰もいない…それが分かっているからこそ、溜まってくる気持ちの はけ口がなくて…思わず愚痴ってしまいました…。すみません…』
『ルーフィン…』
責めるべき者が自分自身…更には自業自得とはどういう事なのか…それを聞き出したかったネオスだが、〝すみません…〟 という言葉で終わったからか、それ以上は聞き返すことができなかった。
『──それで、ルフェラの身に何が起こっているのですか?』
『え…? あ、あぁ…それが……結論から言うと、御霊に触れられているみたいなんだ…』
『…御霊に…!?』
『…十四歳の少女だそうだよ』
『一体いつ…?』
独り言のように呟きながら記憶を辿るルーフィンに、ネオスが 〝その時〟 を教えた。
『この村に来た日…エステルがルフェラに罵声を浴びせて去った、あの直後らしい…』
『…そ…んな……全く気付きませんでした…』
その言葉に、〝僕もだよ…〟 と続くと、ネオスはタリアの息子の死から、ジェイス両親の死、それが原因でエステルが乱心し、更には願いを叶える為に死の花を使ったこと…そして、テトラの死と、その御霊がルフェラに触れたことまで、疑問や納得した事なども含め事細かに説明したのだった。
そして最後まで説明し終わると、それまで黙って聞いていたルーフィンが深い息を吐いた。
『…私たちが何とかしようとしてできることではない…そういう事ですか…』
『うん…。ルフェラを救う事ができるのはルフェラ自身…しかも、体力の問題なんだ…。せめて宵の煌だけでも使えるようになれば…って思うけど──』
『それは無理ですよ』
『え…?』
一瞬、力が目覚めない意味かと思い驚いたネオスだったが、次の言葉で違うと分かりホッとした。
『力があっても、今のルフェラには意味がありません』
『それって一体──』
『入っていかないのですよ…。御霊がルフェラの中にいる以上、まるでその御霊に拒否されるように吸収されないのです』
そう言われて、思い当たる節がありハッとした。
『じゃあ…あの時…イオータがルフェラの胸の痛みを鎮めようとしてできなかったっていうのは──』
『体の周りを力が流れていくようで、跳ね返される感覚がしたというのは当然のこと…イオータの力が弱まってきたからではありません』
『そ…うか…よかった…』
『それに、あなたの力が目覚めるのも時間の問題だと思います』
『ほ…んとうかい、ルーフィン…?』
『ええ、間違いないでしょう。だから安心してください、ネオス』
(──現に私の体にも異変が起こっているのですから…)
ルーフィンは、安心するネオスにその言葉が伝わらないよう敢えて心の中で消し去った。
『それともうひとつ、夜中に出歩いたルフェラのことですが──』
──と言いかけた時、背後で物音が聞こえた。反射的に言葉を切り振り返れば、そこにいた人物に二人はひどく驚かされた。
『────!!』
「ルフェラ…!?」
玄関の扉の前に立っていたのは、寝ているはずのルフェラだったのだ。
「ルフェラ…一体どうして……眠れないのかい…?」
そう言いながら歩み寄ったものの、ルフェラはそんなネオスの言葉を無視して横を通り過ぎた。
「ル…フェラ…?」
聞こえてないはずはないのに、ルフェラは尚も無視して門の外に向かって歩いていく。
「ルフェラ…どうしたんだい…? どこに行くつもり──」
『違います、ネオス』
「え…?」
慌てて止めようとしたところで、短い言葉が心に届き、思わず声に出してしまった。
『気配が違います』
『気配…って…』
『扉の音が聞こえるまで、私はルフェラが起きたことに気付きませんでした。家の中にいるイオータでさえ、今も気付いていません。そして今のルフェラは、気配さえ感じさせず夜中に出歩いた時と同じです』
『それってまさか…』
『えぇ。今のルフェラは…ルフェラではありません』
『────!!』
何を意味するのか、そしてさっきルーフィンが何を言おうとしたのか、ネオスはようやく分かった気がした。途端に体の中に緊張が走り、呼び止める言葉にさえ詰まってしまった。けれど、このまま見送るわけには行かない。
ネオスは、意を決するかのように息を飲み込んでから、ルフェラの背中にその名を呼んだ。
「……テ…トラ…?」
そう呼ばれた途端、ルフェラの顔が僅かに上がり石段を降りようとしていた足がピタリと止まった。次いで、ゆっくりと後ろを振り返る。ネオスを捉えたその目は、明らかに彼らが知っているルフェラのものではなかった。
「…テトラ…一体どこに行くつもりなんだ…?」
「…ってもらう…」
「…え…?」
「…知ってもらう…今夜…この人にみんな知ってもらうの…」
そう言って、スッと流した視線の先をネオスが追うと、一瞬にしてこれから起こる事が予想された。
「ま…さか…あの場所にルフェラを連れて行く気かい…!?」
その質問に、僅かながらテトラが頷いた。
「無茶だ……今ルフェラを連れて行ったら──」
「だって、ないんだもん…」
「…な…い…って何が──」
「……時間…」
「────!!」
テトラはそれだけ言うと、再びネオスに背を向け歩き出してしまった。
時間がないとはどういう事なのか…!?
そしてそれは誰にとってのことなのか…!?
そんな疑問に対して浮かんでくる答えはどれも同じで…考えたくない言葉がネオスの頭の中をグルグルと回り始めた。彼女を引き止めるどころか、すぐには追いかけることもできない。
そんな時──
『ネオス! 共人の使命を お忘れですか!?』
まるで頬を叩くようなルーフィンの声が聞こえた。
『最大の使命は主君をあるべき姿に導く事。その過程において主君の命が奪われた時は、共人の命を捧げることが最大の使命になるはず! 違いますか…!?』
初めてとも思えるルーフィンの凛とした声に、ネオスの心が震える。
それは単に、命がけで守れとか、今こそ使命を果たす時だ、という直接的な意味ではなかった。
自分が生きているという事は、主君に捧げる命があるという事。そして、その覚悟があれば何も恐れる事はないはずだ。──つまり、〝共人なら、どんな時もうろたえるものではない〟 という意味だったのだ。
(そ…うだ…。僕は自分の死など恐れていない…。ルフェラの為に使われる命なら、今すぐにだって捧げる事ができる。その覚悟はできているはずだ。そう、既にあの時に──)
自分の中で共人の使命とその覚悟を再確認した時、ネオスの中の 〝うろたえている自分〟 は消えていた。
『──行こう、ルーフィン』
これが最後になるのなら、尚更、主君の傍で全てを見届けるべきだ…。
ネオスは、そんな強い思いでテトラのあとを追いかけていった──