7 御霊(みたま)に触れられたルフェラ ※
………?
突然 何かにグイッと腕を引っ張られ、よろめくように振り返ったあたしの目に映ったのは見知らぬ女性だった。それが夢なのか現実なのかは分からない。ただ、当たり前のように 〝だれ…?〟 と思った瞬間、あたしの体は大きく揺らめき、再び暗い世界へと飛ばされていたのだ。
それが現実だと知ったのは、次に目を覚ました時──見知らぬ部屋でその女性を目にした時──だった。
「よかった。目を覚ましたのね?」
三十歳半ばの女性は、僅かに顔を動かしたあたしの気配に気付き、ホッとした笑みを浮かべた。
「…ぁ…の……」
ここはどこなのか、どうしてあたしがここにいるのか、そしてあなたは誰なのか…それが聞きたくて問いかけたが、声がうまく出せなかった。喉がカラカラで声が掠れるのはもちろん、お腹にも力が入らないのだ。すると、彼女が 〝ちょっと 待ってて〟 という仕草をして部屋を出て行ったかと思うと、今度は湯気の立ったお椀を持って戻ってきた。
「我が家 特製の薬草粥よ。随分と体も弱ってるみたいだし…とりあえず、何か口にしないとね。話はそれからにしましょう?」
そう言いながら、傍に置いてあった机に他の布団を被せると、それを枕もとの壁にピッタリっとくっつけた。そして、うまく力の入らないあたしの体を起こすと、そこを背もたれのようにして座らせてくれた。
〝どうそ?〟 と差し出されたお椀を受け取り、ひとくち口にする…。薬草という言葉に苦味を想像したが、意外にも苦味は全くなく、とても美味しいものだった。
温かいお粥がお腹に入ると、そこから全身が温まる感じがした。汗を掻いてカラカラになった体に、水分まで行き渡るようだ。自分の体じゃないほど気だるく、感覚さえ鈍かったあたしの体は、一口食べるごとにその感覚が戻っていく気がした…。
「食欲があるだけでも、まだ安心ね。──はい、どうぞ?」
八割ほど食べた所で お茶を差し出され、あたしは、〝ありがとう〟 と、軽く頭を下げて受け取った。
「私はタリアよ。今朝、あなたに声を掛けたんだけど、すぐに気を失ってしまって……その時の事、覚えてるかしら?」
あたしは 〝覚えている〟 と頷いた。正直に言えば、〝やっぱり、そうだったんだ…〟 という気持ちのほうが強かったが…。
「そう。じゃぁ、その前のことは? どうしてあの場所に来たのか…っていうのは分かる?」
その質問に、あたしは首を横に振った。タリアの言う 〝あの場所〟 がどの場所かは分からなかったが、それよりも、また知らぬ間に外を出歩いていたんだという事実の方がショックだった。
「…あ…たし…病気なんです、きっと…夢遊病っていう……この前も寝てたはずなのに気付いたら外にいたし……」
「数日前? それっていつの事?」
即座に質問され思い出そうとしたが、肝心な事が分からず聞き返した。
「…今日って…何日ですか…?」
「今日は十七日よ、実の月の十七日」
「……………!?」
そう言われ、丸一日以上寝ていたことに驚いた。
「ルフェラさん…?」
「え…? あ…ぁ…えっと……あたし達がこの村に来た夜だから……」
この時、教えてないにもかかわらず、自分の名前を呼ばれたことに気付きもしなかった。そして、指折り数えて答えを出した。
「…四日前の夜……正確には日付が変わってたから三日前の朝早く……ですけど…」
「──という事は単純に考えて十三日の夜中ね。あの子がいなくなったのも確か同じ日だったから……やっぱり──」
「や…っぱり…?」
独り言のように発したその言葉に、思わず聞き返していた。
「あぁ…ごめんなさい。ひょっとしたら…とは思ってたんだけど……ねぇ、もうひとつ聞いていいかしら?」
わけが分からず、無言で頷く。
「その日……つまり、あなたがこの村に来た日、何か変わった感じを受けなかった?」
「変わった感じ…?」
「ええ。特に、あなたが立っていた場所……森を抜けてすぐの所なんだけど…?」
「森を抜けて…すぐ…?」
そう繰り返して、ハタと気が付いた。
そこって…確かエステルが蹲っていた場所……あたしが、最初の夢遊病で目が覚めた場所じゃないの…?
──という事は、あたし…今回もその場所に立ってたってこと…!?
二度目の偶然に驚きながならも、〝どうかしら?〟 という目を向けられ、慌ててその時の事を思い出そうとした…。
「変な感じって言うのも ちょっと漠然としてるかしら…。じゃぁ そうね…例えば急に寒気を感じたとか、体が重く感じたりはしなかった?」
「い…え、その時は特に……。そのあとなら、心の臓の発作であまりよく眠れなくて…日に日に疲れがたまったのか、ずっと体がだるかったっていうのはあるけど……今思えば、それも風邪の前触れだったみたいだし…」
「そう…。じゃぁ、誰かに触られたっていう感じもないのよね…?」
「誰かに触られた…ですか…」
あの時、誰かに触られた…って言ったら、ラディしかいない…。実際、〝大丈夫だ〟 って言ったのに、ほぼ強制的に肩を抱いてきてたのはラディだし……。
──と、記憶を辿ってフッと思い出した。
「そう…言えば……」
「そう言えば…? やっぱり、何か心当たりがあるのね?」
「え…ぇ、まぁ…気のせいかもしれないですけど…誰かに押されたんです…」
「…誰かに押された…?」
「ええ、後ろから…。でも、振り向いた時には誰もいなくて──」
「それだわ」
「え…?」
突然 〝それだ〟 と指摘され、何が 〝それ〟 なのか分からないでいると、タリアはツイ…と膝を進め、真剣な目をあたしに向けた。
「ルフェラさん、落ち着いてよく聞いてね」
「は…い…?」
「あなた、御霊に触れられてるのよ」
「────!?」
「触れられたのは きっと、後ろから押されたって感じた、その時ね」
「…あ…あの…御霊に触れられてるって……確か…亡くなった人が──」
「えぇ、そう。亡くなった人の魂が、生きてる人の体に入り込むことよ」
「────!!」
一瞬、目の前がクラッとした。
話には聞いた事があったが、実際それが本当に起こりうることなのかは疑問だった。だけどまさか、それが自分に起こるなんて…。
「御霊に触れられると、色んな症状が出てくるのよ。どれだけ寝ても疲れは取れず、それどころか、あなたがさっき言ったように、どんどん体がだるくなって、自分の体とは思えないほど自由が利かなくなるの。それに、触れた者の感情や想いが自分の意志とは関係なく溢れてくる時もあるしね…。心の臓に問題がないのに胸が痛くなるのも、きっと、そのせいだと思うわ」
「…そ…んな……」
彼女の説明は、本当に御霊に触れられているんだ…という証拠を突き付けられているようだった。あたしには、それを覆すだけの説明は持っていない。ただ、御霊に触れられた者がこれからどうなるのか…その不安だけが強くなってくるのだ。けれどその一方で、スッキリしている自分がいることにも気付いていた。御霊に触れられている…そう考えれば全てツジツマがあう自分の状況に、今 何が起こっているのかが分かったからだ。それが募る不安に歯止めをかけたのだろうか、あたしは、今になって彼女の発言の疑問に気が付いた。
「タリアさん…?」
「はい…?」
「どうして…心の臓に問題がないって知ってるんですか…? それに…あたしの名前も──」
「 〝ツイてる〟 って言えば分かるかしら?」
「………………!?」
あたしの質問を予想していたのだろう。ううん…もしかすると、わざと気付かせるように言ってたのかもしれない。
タリアは、あたしが最後まで言い終わらないうちに、そう答えた。
「ツイ…てる…?」
「ええ」
聞いた事がある…と必死で記憶を辿れば、道端で突然 話しかけてきたおばあさんの言葉だと思い出した。それが表情で分かったのだろう。タリアは 〝思い出した?〟 と問いかけてきた。
「え…ぇ、でもあれは、おばあさんが言った事で…どうしてタリアさんが…?」
「近くにいて聞いてたのよ。──正確には、手伝いに行ってた店の中でね」
「手伝いに行ってたって…」
「あのお店、私のおばあさんのお店なのよ」
「え…? そうなんですか…!?」
タリアはゆっくりと頷いた。
「 〝ツイてる〟 って言ったのは、御霊に触れられてる…っていう意味だったのよ。母方の家系は、そういう事を感じる不思議な力があってね…おばあさんも私も、あなたを見ただけで 〝触れられてる〟 っていうのが分かったの。でも、〝誰が〟 触れてるのかまでは分からなくて……。ただ、前日にあの子がいなくなってることに気付いて…それでもしかしたら…って思ってね…」
「…あの子…って…?」
「半年ほど前、暴行と乱暴をされて亡くなった十四歳の少女よ」
「────!!」
そのひとつの説明に、ある記憶が一気に蘇ってきた。
寝ている時に聞いた、あの話だ。
ま…さか…あれは夢じゃなくて現実の会話だったの…?
ダルクが話してた二人の過去は本当だったってこと…!?
「…彼女──テトラ──が倒れていたのは林の中……ちょうど、あなたが御霊に触れられた場所から数メートル中に入ったところなの。息を引き取ったのは自分の家だったけど…想いがあそこに留まってしまったのね。犯人も分からないままだし、何かできる事があれば…って何度も話しかけたけど、最後まで何も訴えてはこなかったわ…。せめて姿が見えれば、表情で知ることもできたのかもしれないけど…私たちの力はその存在や想いを 〝感じる〟 だけだから…本人が訴えてこない以上 分からないものなのよ…」
「…み…見殺しにした…っていうのは…本当なんですか…?」
タリアの説明を聞きながら、気付けばそう口にしていた。
あたしに触れている御霊がその少女なら、起きる直前に感じた悲しみも、ジェイスさんに掴み掛かった気持ちも理解できたからだ…。
その質問に、タリアの顔が変わった。
「ジェイスさんのこと…知ってたの…?」
「あ…よ、よく分からないけど…熱出して寝込んでる時に、そんな話が聞こえたっていうか……自分自身、意識があるかどうか分からなかったから、夢か現実かもハッキリしなくて…」
「そう…」
「…それで…ジェイスさんやエステルさんの過去は…本当なんですか…? 両親を亡くして彼女が乱心したっていうのも…川で溺れさせようとしたっていうのも……ジェイスさんが少女を助けなかった…っていうのも……全て本当のことなんですか…?」
「あなたはどう思う、ルフェラさん? あの二人がそういう人に見えるのかしら?」
「…あ…たしは……二人の事よく知らないから……分からない……」
「そうよね…ごめんなさい。──でも、正直 私も分からないの」
「え…?」
それは意外な言葉だった。同じ村に住み、しかも数年前のことなのに、〝分からない〟 と返ってくるとは思わなかったのだ。
「一般的に見れば、きっとあなたの聞いた二人の過去は本当だと思うわ…。子供を助けようとして彼の両親が亡くなったのは事実だし、川で溺れさせようとしたのも実の親が必死になって止めたくらいだから…。みんなそう思ってるし、そうじゃないっていう証拠もないもの…。ただ……」
タリアは何かを考えるように言葉を切ると、ややあってその先を続けた。
「…ただ、ジェイスさんに限っては、〝助けなかった〟 んじゃなくて、〝助けられなかった〟 んじゃないかと思ってね…」
「助け…られなかった…? それって…どういうことですか…?」
「……〝死の花〟 の事は知らない…って言ったわよね?」
突然、あのおばあさんの言葉が再度聞かれ、一瞬 戸惑ったが 〝ええ〟 と頷いた。
「 〝死の花〟 は特別な花でね…村によって呼び名は違うけど、この村ではそう呼ばれているの。一年に一輪…季節に関係なく、いつどこで咲くか分からない花で、その花に願い事をすれば、それが叶うって言い伝えられてるのよ。でもね、それには代償が必要なの…」
「代償…?」
「ええ。その人にとって大事なもの…その多くは、命よ」
「────ッ!!」
「命と引き換えに願い事を叶えてもらう…だから、死の花と呼ばれるの。その死の花をエステルさんが使ったのよ」
「なっ──!!」
「驚くわよね…。あの時のジェイスさんも同じように驚いていたわ」
「あの…時……?」
「少女が襲われた日よ。エステルさんが死の花を使ったことに気付いたのは、テトラが亡くなる数ヶ月前でね、私とおばあさんは、ジェイスさんを家に呼んでその事を話したの。かなりショックを受けて帰っていったけど…まさかその途中に彼女が襲われてたなんて…」
「…じゃ…ぁ…あまりのショックに…その少女の声が聞こえなくて…?」
「その可能性があるんじゃないかと思ってね…。でも…ジェイスさんは 〝見殺しにした〟 という言葉を否定しなかったわ…。それどころか、自分の口から 〝見殺しにした〟 って言ったから…私たちは、それ以上 何も言えなかった…」
「…でも… 〝気付かなかった〟 っていうのが事実だとしたら、みんなに教えなきゃ……」
「…そう…したいけど…無理ね、きっと…」
「どうしてですか…?」
「本人が否定しないのはもちろんだけど…村のみんなが二人を嫌っている以上、そうじゃないっていう説は、誰の言葉も信じないのよ」
「そんな…」
嫌いというだけで、誰の言葉も信じない…それが真実を曲げていたとしても…?
その説明に、腹立たしさとやるせない気持ちが湧きあがってきた。そして、あたしはおばあさんの言葉を思い出した。
〝嫌ってるだけでは真実は見えてこぬのも、また事実…〟
あれは…ジェイス兄妹の過去を知っても偏見を持たない為の忠告だったんだわ…。そして何より、本当にその言葉を言いたい相手は、今の村の人たちなんだ…。タリアの言う可能性が真実かどうかは分からないけど……少なくとも、今の村人が真実を見ようとしないのは確かだ…。
「それにね、分からない事がもうひとつあるのよ」
「…なん…ですか…?」
「エステルさんにとって、命を懸けて叶えたい願いとは何なのか…それが分からなくて…」
「命を懸けて叶えたい願い…?」
そう繰り返して、また思い出した。
「そう…言えば…あの時も同じ事を…」
「あの時って…?」
「あ…一昨日の夜…彼女があたしのところにやってきたんです…ジェイスさんを探してたみたいで……その時、彼女言ったんです…。〝村のみんなは、悲しみのあまり気が狂ったとしか思っていない…。でも、それでもいい…なんと言われようとあたしの願いが叶うなら…〟 って…。それ以上は言わなかったから肝心な所は分からないんですけど……」
「そう…」
「でもあたし…熱で頭がどうかしてたのかもしれないけど…あの時の彼女は、何故か乱心している人には思えなかった…」
「──だとすれば、一体どういう事かしらね…」
ここにきて、エステルが乱心してなかったとしたら…という仮説が更に頭を悩ませてしまった。せめて何かひとつもでも分かれば…そんな思いが溜め息に混じって漏れると、ふと落とした視線があたしの手元にいったのだろう。
「あ…ら、ごめんなさい。手を止めてしまったわね。やっぱり、全部食べ終わってから話すべきだったかしら…」
「あ、いえ…」
あたしは軽く首を振って残りのお粥を平らげると、今一番聞きたい事を聞いてみることにした。
「タリアさん……あたしは、これからどうすればいいんですか…」
「え…?」
「…御霊に触れられた者はどうなっちゃうのかな…って…」
「あ…あぁ…そうだったわ。それをあなたに言わなきゃ…って思ってたのよ。──実はね、ルフェラさん。御霊に触れられた者は、亡き人が残した想い…つまり、願いを叶えない限り解放されないのよ」
「…え…? あ…タ、タリアさんにはどうすることもできないんですか…?」
亡き人の存在や想いを感じる事ことのできる彼女なら、その願いを叶え、共に──御霊と触れられた者──を解放する事ができるはず…。不安が募る一方で、そんな期待を抱いていたのだが、タリアは申し訳なさそうに首を横に振った。
「その人が叶えて欲しい相手として、私を選ばない限りはね…。テトラは、本当にこの半年間、何も訴えてこなかったのよ。その彼女があなたに触れたという事は、つまり、あなたを選んだという事なの」
「…じゃ…あ…自分で何とかするしかないってこと…ですか…?」
「えぇ…」
「で、でも…あたし…タリアさんのような力はないし……数日前に、すごく悲しい感情が湧きあがってきたり、自分ではどうする事もできない衝動に駆られたりした事はあるけど……彼女の願いを知るだなんて……」
「…そうね。でも、それしか方法がないのよ。湧き上がる感情や衝動的なことから、少しずつ推測していくしかないの。ただ……」
タリアはそこで言葉を切った。その先を言おうかどうしようか迷ってるようだ。けれど、そういう態度は尚更気にかかる。
「…ただ……なんですか…?」
「え…ぇ……推測する事自体は、そう難しい事じゃないと思うのよ…。場合によっては御霊の彼女と話をすることだってできるから。ただ…ひとつ問題があるの」
「問題…?」
「えぇ。──それは、あなたの時間」
「あ…たしの時間…?」
「御霊に触れられると、徐々に体力が奪われていくのよ。寝ても、疲れが取れるどころか酷くなるのは、体力が御霊に奪われていたから…。時間が経てば経つほど、動けなくなるほど体がだるくなって…特に、御霊が興奮したあとは、一気に体力も奪われるから熱まで出したりするの…。その上、食事も喉を通らなくなれば、最後に行きつくのは死しかないのよ」
「────ッ!!」
熱を出したのは風邪のせいじゃなかったんだ…と今更ながら知ったのも束の間、最後の言葉に、一瞬 目の前が真っ暗になり、持っていたお茶をこぼしそうになった。それをタリアがそっと支えてくれた。
「ごめんなさいね…。本当はここまで言うつもりはなかったんだけど…」
「…ぁ…あ…あたし…このままだと死んじゃう…?」
声に出してみて、御霊に触れられた本当の恐怖を知った気がした。
死に対する恐怖…。
死にたくないという思い…。
だけど、心のどこかで 〝それなら仕方がない…〟 と受け入れてる自分もいた。御霊に触れられた事が死ぬ事に繋がるのなら……それが、背負った十字架の罰だと言うなら仕方がない……そう思ったのだ。
こんなこと…約束したネオスに知れたら怒られるわね…。
そう思ったが、すぐに違うと思った。
怒るのはイオータだわ……。ネオスは、きっとひどいショックを受けるんだろう…。
シニアの一件で 〝あたしを殺して…!〟 と叫んだあと、イオータが見てられなかった…と言うネオスの姿を想像すれば、こんな気持ちを知られちゃいけないと思うと同時に、生きなきゃ…とも思った。
「…だからって諦めないで、ルフェラさん。彼女があなたを選んだ以上、私が代わってあげることはできないけど……それでも、少しは時間を稼ぐ事ができるわ」
「…どう…やってですか…?」
「──食事よ」
「食…事…?」
「えぇ。さっきのお粥と同じ、特別なものを用意するわ。普通の食事は、その栄養も御霊に奪われてしまうけど、清められた食材で作ったものは、真っ先に命ある体に吸収されるの。そして、全てが吸収されるまでの数時間は、御霊も鳴りを潜めてるしかないのよ。だから、その間は体力を補う事ができるの。──とは言っても、体力が補われたら、また奪われてしまうんだけどね…」
申し訳なさそうに目を伏せたが、〝それでも、体力が補われるなら、少しは時間が稼げる〟 その事実はあたしにも理解できた。そして、自分の体とは思えないほど鈍かったあたしの体が、あのお粥を食べた途端、驚くほど元に戻っていったその理由も知ったのだった。
「…だからって諦めちゃダメよ。大事なのはあなた自身の気持ちなんだから。それに…彼女の願いを叶えたら、ジェイスさんも少しは救われると思うし…」
「…ジェイスさん…も…?」
タリアはゆっくりと頷いた。
「彼には…私たちのような力はないけど、殆ど毎日、彼女の想いが残ったあの場所に行って話しかけているのよ。心の中で何度も謝罪して…自分がダメなら、せめてこの私に何かを訴えてくれ…って…」
「…彼女を…助けたいって思ってるんですか…?」
「えぇ、おそらく彼女が亡くなった翌日からずっとね。そしてその想いは誰よりも強い…そう感じるの…」
「じゃぁ…どうして──」
「どうしてあの時に助けなかったのか…でしょ? 私もそれが分からなくて理由を聞いたけど、結局、教えてくれなかったわ…。だから尚更、見殺しにしたとは思えなくなったのよ」
「本当に見殺しにしたのなら…後悔すらしないから…?」
「えぇ。それに…剣術に長けた彼なら、襲われたテトラを助けるのは簡単なことよ。恐ろしくて助けられなかったなんて…とてもじゃないけど考えられないもの…」
「そう…ですよね…」
「…少しでもあの人たちを助けたいって思うのに……」
そう言った彼女の目には、どうする事もできない悔しさからなのか、薄っすらと涙が浮かんでいた。
それを見て、あたしはその涙が本物だと思った。少なくともジェイスのことに関して言えば、〝助けられなかった〟 という事が、タリアにとっては既に可能性ではなく、確信になっているのだ、と。そして、あたしも同じ気持ちだった。
「…タリアさん…どうしてその説明をみんなにしないんですか…?」
「え…?」
「だって…いくら二人の事を嫌ってるからって…それだけの説明があれば誰かは信じるはずです…。たとえ信じられなくても、今言われてる事に疑問は抱くだろうし…そしたら真実を見ようとするでしょ…? それに…御霊の存在が分かるタリアさんなら、尚更、村の人は信じるんじゃないんですか…?」
今の状況から少しでもジェイスを救いたいなら、真実を明らかにする事もひとつの方法なのでは…そう思ったのだが…。
「私だから無理なのよ…」
「…………?」
タリアは更に悲しそうな目をした。
「どういう…ことですか…?」
意外すぎた答えに驚き そう返すと、タリアの視線がゆっくりと部屋の隅に注がれた。つられるようにしてそちらを見れば、そこには小さな机と綺麗にたたまれた子供の服が置いてあった。
今の話に何の関係が…?
そう思いつつも、タリアの様子から一度 話題を変えたほうがいいのかも…と思ったその矢先、机をジッと見つめたままのタリアがポツリと呟いた。
「…私の息子なの」
え…?
それが何を意味してるのか分からなくてタリアを見れば、彼女も視線を元に戻し、その説明を加えた。
「……ジェイスさんの両親が助けようとしたのはね……私の息子なの…」
「────!」
それは、予期せぬ告白だった。驚きですぐには声も出なかったが、タリアは構わず続けた。
「息子を亡くしてから毎日泣いて暮らしたわ。寂しくて悲しくて涙が止まらなかった…。人は、せめて子供だけでも助かっていれば、どちらにとっても救いがあったのに…って言うけど…子どもが助からなかった現実では、その言葉そのものがお互いにとって辛いものだった…」
「タリアさん…」
「ただね…これを言うと 〝それでも母親なのか!?〟 って怒られそうだけど… 〝うちの子も死んでよかった…〟 って思ったの…」
「…どう…してですか?」
「…それ以上に辛かったのよ、彼の両親まで死なせてしまったことが…。息子のせいで…息子を助けようとしたせいで、彼らから両親を奪ってしまったなんて……本当に…申し訳ない気持ちで一杯だった……」
「…で、でも…ジェイスさんたちは息子さんのせいだなんて思わないわ…」
「えぇ、きっとそうでしょうね…」
「だったら──」
「でも、助けられた側はそうは思わないものなのよ。──もし、あなたを助けるために誰かが犠牲になったら…心に何も背負わず笑って生きていける?」
「…ぁ…そ、それは……」
「助けようとした人が亡くなるくらいなら、自分が死んでいればよかったって思うものじゃないかしら…?」
「……………」
「息子が生きていたら…きっと自分を一生許せないでしょうね…。自分のせいで二人を死なせてしまったんだって…ずっとそう思い続けるに違いないわ。そして私もね…。だから、思ったのよ…。どうせなら同じ苦しみを……愛する者を失う苦しみを与えられてよかったって……」
「……………」
あたしは何も言えなかった…。
悲しすぎるとは思ったが、〝もし自分が同じ立場なら…?〟 と言われて、彼女の気持ちがなんとなく分かったからだ…。
何も言わない事が、理解したとタリアも思ったのだろう。彼女はその先を続けた。
「…そんな申し訳ないと思う気持ちは、罪の意識と同じね…。何か償う事ができれば…って毎日のように思ったわ。そんな時だったの、エステルさんが乱心したって聞いたのは…。尚更、罪の意識は強くなって…子供を溺れさせようとしたと聞いても、何かの間違いだって信じようとはしなかった…。ジェイスさんが少女を見殺しにしたって聞いた時も、〝そんなはずはない〟 ってみんなにそう言ってたのよ。最初は信じたくないだけだったけど、次第に何か違うって思い始めたの。改めて考えてみれば、さっきあなたに説明した矛盾が次々と浮かんできて……それで、その可能性が強いって思うようになったのよ。──事実が隠されているような気がしてる…って…。でも、どれだけ言っても村の人は信じてくれなかったわ…。その理由が…私の立場だったの…」
「タリアさんの…立場…?」
「えぇ。ジェイスさん達に対して申し訳ないっていう気持ちを持つのは、きっと当然のことで…そんな私の気持ちは村の人も理解してくれてたの…。でもね…だからこそ、私が言っても信じてくれなかったのよ」
「……………?」
「──事実がどうっていうのではなく、庇いたい気持ちからなんだろう…って思われるだけだから…」
「…あ…ぁ…そんな……」
「それにね…私が御霊の存在を知ることができるっていうのは、殆どの人が知らないことなのよ」
「…え?」
「──というよりは、私が内緒にしているからなんだけど…」
言い直すように付け加えたタリアは、自分を責めているようにも見えた。
「内緒…って…どうしてですか…?」
「……人は…普通じゃないことを嫌い、恐れるものなの。人には見えないものが見えたり、感じないものを感じたりするって分かると、そうしちゃいけないって思ってても、自分たちとは違う…って無意識のうちに一線を引いてしまうものなのよ。気味が悪いとか、それこそ乱心してるって思ったり…ひどい時は悪魔だって思ってしまう時もある…。御霊に触れられてる…って言われて信用するのは、自分にとって 〝普通じゃないこと〟 が起きてるって実感している本人だけ…。何の問題もなく普通に過ごしている人にとっては、御霊の存在すら信じない人もいるのよ」
〝分かるかしら?〟 と目で言われ、あたしは自分のことのように納得した。──いや、それ以上に自分の事がハッキリと分かった気がしたのだ。
あたしを心配して、何があったか聞きだそうとするラディたちに、悪いと思いつつ何も言えなかったのは…きっと、タリアの気持ちと同じだからだろう。普通じゃない人に対して抱く嫌悪感や恐怖は、逆に、〝普通じゃない人〟 にとっては恐怖になる…。
村を出るキッカケとなったこともそうだし、飛影を見たんじゃないか…と察した──洗濯が入った籠を抱えた──あの彼女の反応もそう。
あたしは……自分ですら理解できず、尚且つ、普通では有り得ない経験したと話した時の、彼らの反応が怖いのだ…と。
だから、あたしは何も言えないでいたんだ…。
タリアの気持ちが十分すぎるほど分かったあたしは、ただもう、深く頷くしかなく…同時に、自分で何とかするしかないんだ…と改めて思ったのだった。
「タリアさん…」
「うん?」
「彼女の…テトラの気持ちを知る、一番の方法っていうのはあるんですか…?」
時間を稼げるとはいっても、僅かなものだ…。彼女の願いを叶え、それが直接ジェイス兄妹に繋がらなくても、謎を解く糸口になる可能性があるのなら、何としてでも叶えたい…そう思ったのだ。
一瞬 躊躇ったタリアだったが、あたしの強い気持ちが伝わったのか、意を決したように答えてくれた。
「──あるわ。でも、危険も伴うわよ?」
「…え…えぇ…。それでもいいです…教えてください…!」
すがるような形でお願いすると、タリアは 〝分かったわ…〟 と言って、大きく息を吸い込んだ。
「……御霊を…元の場所に連れて行くの」
「それって…あたしがそこに行けばいいってことですか…?」
「えぇ、そう…。今朝、意識のないあなたを あの場所に連れてきたのは、おそらくテトラ自身。でも、林の中に入るのは躊躇っていたわ…。当然よね…あの場所は彼女にとってひどい思い出の場所ですもの…。でも…だからこそ彼女の想いを知る上では重要な場所なのよ。あそこに連れてきたのは、あなたに何かを伝えたかったのかもしれないし、単に、あなたの体を借りて自分で何かをしたかったのかもしれない…。でも どちらにせよ、あなたの中にいるテトラが動き出した以上、彼女の気持ちが分るのは時間の問題なのよ。それでも敢えて、躊躇っていた林の中に彼女を連れて行くということは、彼女の気持ちを手っ取り早く知る方法である反面、あなたの命を危うくさせることでもあるの。それが何故だか分る?」
「………………」
今までの話からすれば、なんとなくその理由も察する事ができたが、言葉にできるほど考えがまとまっていなかった為、返事はできなかった。そんなあたしに、タリアが続けた。
「…一気に体力が奪われる可能性があるからよ。御霊が触れるのはもちろん、あなたにその想いを伝えたり、あなたの意識を押し込めて動き出すと、更に体力を奪ってしまうことになるの。伝える過程で彼女の気持ちが高ぶれば、一気に体力が奪われてしまうわ…。御霊の想いが留まる場所だからこそ、そうなる可能性が高いのよ。──それでも、その方法を選ぶ?」
危険を伴うという事が、一体どういう事なのか…。それが、死に直結する可能性があるのだと聞かされて、あたしはすぐに返事を返す事ができなかった。ただ…この時、結論を出さずとも、後々、あたしは彼女によって林の中に連れて行かれることになるのだが…。
「…よく、考えてね。──とりあえず今は、少しでも体力を戻す事が大事だし…もう少し休むといいわ」
「…え…ぇ…でもあたし…一度みんなのところに戻らなきゃ…。今頃、きっと必死になって探してると思うし……」
「だったら、私が代わりに話してくるわ」
「え…?」
「──というより、ここに連れてきてあげる、その 〝みんな〟 を。その方があなたも心強いでしょうし…この前、あなたと一緒にいた人なら顔も覚えてるしね」
「で、でも──」
あたしのいう 〝みんな〟 がラディとミュエリの二人だけじゃないことを伝えたかったのだが、タリアは、ほぼ強制的にあたしを横にさせると 〝次に目を覚ました時は、みんないるから〟 と言い残し家を出て行ったのだった。
ひとり残されたあたしは、最初こそ大丈夫かな…と心配したものの、休息を欲しているのは体のほうが正直だったようで……あっという間に寝入ってしまっていた。そして、次に目を覚ました時には、タリアが言った通り 〝みんな〟 が傍にいてくれていた。もちろん、二人だけじゃないと知って驚いたんだけど…と、あとで聞かされたのだが…。
そうして、自分に何が起こっているのかを改めて説明しようとした時、タリアより先におばあさんから話を聞いていたのだと聞かされ、驚くと同時に分かってくれていることにホッとした。
そんな安堵の気持ちと、特別な食事が好を奏したのか、その日は何事も起こらず、お風呂まで入ってスッキリしたのだった。