2 抜けた森の先
柔らかい風が頬をなでる。小鳥のさえずり、木々のざわめき、小動物が木の実をかじる音など、妙に耳に心地いい。そんな音を聞きながら、あたしの意識は徐々に鮮明になっていった。
二日目の朝がきた…いや、太陽の高さからいうと、昼だろうか…。
あたしは静かに上半身を起こすと、その場で伸びをした。上のほうでは太陽がちらつき、風で揺れた木の葉の間からはオーロラのような陽の光が、地面まで足を伸ばし森の中を明るく照らし出していた。ふと視線を落とすと、昨日 採ってきた木の実を取り囲む様にネオス達が眠っている。あたしが覚えてる限り、彼らは寝そべったままの状態で身動き一つしていない。熟睡…いや、爆睡状態なのだ。もちろんルーフィンも同じである。
ほとんど丸一日 歩いたんだもの、疲れは相当のものよね。時間はまだたくさんあるんだし……とりあえずこのままそっとしておいて、あたしは食べ物と水を集めに行ってこよう。
真ん中に転がっていた空の木筒を掴むと、できるだけ音を立てないようにそっと立ち上がった。──いや、立ち上がろうとしたのだが、足に力が入らず即座に跪いてしまった。
あたしもそーとー疲れてるみたいだわ…。
『大丈夫ですか、ルフェラ?』
『え…? あ、ルーフィン。ごめん、起こしちゃったみたい…ね』
さっきまで気持ちよさそうに寝ていたと思ったら、いつの間にかすぐ隣で座りあたしの顔を覗き込んでいた。
『疲れが抜けきれていないのでしょう?』
『まぁ…ね。よく考えてみたら昨日の夜マッサージせずに眠っちゃったんだもの。体中が筋肉痛やらだるいやらで……足には力はいんないしさ……でも、ミュエリに言った手前、こんなことがバレたらバカにされちゃうわね』
あたしは自分で苦笑しながら立ち上がると、昨日の夜、木の実を取りに行った場所へと歩き出した。当たり前のようにルーフィンもついてくる。
しばらくして、声を出しても大丈夫だと判断すると、ルーフィンが話しかけてきた。
『………ルフェラ?』
「うん…?」
『みんなが起きてから、一緒に採りに行けばいいと思いますが…?』
「大丈夫よ。夜じゃないんだし、怖くないもの」
『そういう意味では…』
「分かってる。気を遣うな…ってことでしょ?」
『そうです』
「………………」
『ルフェラ…?』
「……分かってるけど、ムリよ」
『それは、自信がないから…ですか?』
「それもあるけど…。村を出て行くように言われたのは、あたし一人よ。ネオスもラディもミュエリも…ルーフィンだって、出てくる必要はなかった。いつものように、森に行ってケルプ実を採ったり、川に行って魚釣りしたり…変わらない毎日を送れてたはずなのに…。あたし一人の為に、その生活を捨てたも同然だもの。負い目を感じるな…って言うほうがムリだわ…」
それが本音だった…。
こっちの方向でよかったのか…とか、ネオスたちを連れてきてよかったのか…というのはもちろん、それと同じくらい、負い目を感じるのは、出る必要のない彼らを、出させてしまった事なのだ。
『ルフェラ──』
「お願い…」
なにかを言おうとするルーフィンを、あたしは遮るように続けた。
「今のあたしは、そうせずにはいられないの。注意したい気持ちは分かるけど、しばらくは、あたしのしたいようにさせて…ルーフィン」
『注意なんて私は…ただ、心配しているだけです。最初から何もかも自分でしようとするあなたが──』
「ありがとう。でも……」
ついてきたのが間違いだった…。
ついてこなければ今頃は…。
そんな風に思われたくないもの。
あまり迷惑かけたくないし、できるだけの事は、あたしがしなきゃ…。そんな思いが強くて、あたしは、心配してくれるルーフィンに、〝大丈夫だから〟 と言い切った。
その口調が、おもいのほか強かったからか、それとも何を言ってもムダだと思ったのか、すぐには返事も返ってこなかったが、諦めたような溜め息を感じた直後、
『…分かりました。でも、ひとつだけ約束してください』
──と、条件を出してきた。
「うん、なに…?」
『決して無理はなさらないでください。人は抱え込みすぎると、生きる事すらやめたくなるものです。特にあなたの場合は──』
と、そこまで言いかけて、次の言葉を飲み込んだようだった。
「ルーフィン…?」
『──とにかく、抱え込みすぎないでください。それが私との約束です。いいですね?』
〝生きる事すらやめたくなる〟 とは、大袈裟ね…と思いはしたものの、言うのはやめた。
ここで軽く、〝大袈裟すぎるわよ〟 なんて言ったら、納得するどころか、更に不安を与えてしまう。それほど、ルーフィンは真剣だったのだ。
「…分かった。今回の事に限らず、抱えきれないな…って思ったら、ちゃんと話すわ」
そう言うと、ようやくルーフィンも満足したようだった。
『──では、急いで木の実を集めて帰りましょう』
「え…ど、どうしてよ…?」
歩く速度が、一瞬 速まり、慌てて追いかければ、
『今は夜じゃありませんからね。沢山の木の実を、ラディが起きる前に持っていかないと──』
──そこまで言われて、ハッとした。
〝夜じゃない〟 という事と、〝沢山の木の実〟 〝ラディ〟 の言葉で、ルーフィンの言わんとすることが分かったのだ。
「昨日、見てないのによく分かったわね?」
『あれだけの量ですからね。どうやって持ってきたか…と考えれば、その方法もラディの行動も容易に想像がつきます』
「さすがルーフィン。容易に想像がつくとは…」
『それがラディですから』
「ほんと…」
そんな会話に、あたしはクスッと肩を揺らした。
村を出てから、まだほんの一日と少しなのに──ばば様と話したあとが長く感じたからか──久々に笑った気がした。
間もなくして、見覚えのある場所に到着した。
それまでの道のりは、ノエたちの光に照らされ歩いていたものの、正直、周りの景色は覚えていなかった。けれど、そこだけは見覚えがあった。
小山にはなっていないが、あちこちに木の実が落ちていたし、何より、あたしが切った滴の木もあったからだ。
「──さぁ、急ぐわよ」
気合を入れるようにそう言うと、あたしは滴の木を切り始め、ルーフィンが木の実を一箇所にまとめ始めた。
木筒が一杯になったら、今度はルーフィンがまとめてくれた木の実をスカートの上に載せ始める。
これもノエたちが落としたものだろうか…と想像しながら……。
そして、昨日の夜と同じく、スカートの裾を両手で持つと、急いで彼らの元に向かったのだった。
元のところに戻ってくると、幸いにも、まだ誰も起きていなかった。
そっと座り込み、スカートの上の木の実をバラバラと地面に置くと、ようやくその音でネオスが目を覚ました。
「おはよう、ネオス」
そう言われ、あたしの方を向いたが、すぐに、地面の木の実に気付く。
「お…はよう…ひょっとして、一人で…?」
「あ…ううん。ルーフィンと一緒よ」
「僕も起こしてくれればよかったのに」
「大丈夫よ。みんなより早く目が覚めただけだし、散歩がてら歩くのに、ちょうどよかったから」
もちろん、急いだ事は言わないが、それ以上に、わざわざ早く起きたんじゃないという事を強調したかった。
事実、自然に目が覚めただけだからだ。
〝気持ちよかったわよ〟 と付け加えれば、
「そうか…なら、よかった」
──と、笑ってくれた。
それからしばらくすると、ラディやミュエリが起きだしてきた。まだまだ寝足りない…というその目であたしを見ると、とてもスットボケなことを言い出す。
「あぁ~、ルフェラ…はぇーなぁ…?」
「そう? 既に太陽は真上にあるんだけどねぇ…?」
「そうか…どうりでハラが減ったと思った…」
別に、今が朝でも昼でも関係ないらしい…。
「昨日と同じものしかないけ…ど──ちょ、ちょっとミュエリどこ行くの…?」
話してる途中、寝ぼけ眼のミュエリがフラフラ~と歩きだした為、慌てて声をかければ、
「…寝起きの顔…よ……ネオスに見られたくないもの……」
──と返ってきて、ある意味すごい意識だと感心させられた。
眠たくてフラフラしてるのか、それとも、筋肉痛で上手く歩けないのかは定かではないが、危なっかしくて見てられない。──かと言って、あたしがついていっても 〝どうしてついてくるのよ?〟 と返ってくるのがオチだ。
「…ルーフィン、一緒についてあげてくれる?」
そう言うと、ルーフィンはミュエリの後を追った。
「ふわぁ~あぁ……。寝起きの顔が見せれねーなんてよ…村一の美人だって豪語するほどじゃねーよな…あ……あぁ!?」
最後の 〝な〟 で、あたしはラディの口の中に、木の実を突っ込んだ。
森の奥へ入っていったが、まだすぐそこにいる。
わざと聞こえるように言ったのだとは思うが、寝起きで機嫌が悪い時に、わざわざ怒らすような事を言うものじゃない。
「…ッフェラ…おまっ…いきなり何すん─」
「お腹空いてたんでしょ?」
「…う…そ、それはそうだけど──」
「そっ。じゃぁよかった。あんたの為に た~くさん採ってきたんだから、好きなだけ食べちゃってよ。無言になるほど一生懸命にね」
「………それはつまり…喋んなってことかよ…?」
「ほぼ強制的に♪」
敢えてニッコリ微笑むと、それ以上何も言い返してこなかった。多少ふてくされたが、あたしとはもちろん、ミュエリと言い合いされるよりはまだマシってもんだ。
あたしとネオスは困ったように笑って、採ってきた──というより、正確には拾ってきたのだが──木の実を食べ始めた。
もちろん、村を出てからずっとそればかりだったから、飽きてはいた。けれど、他にないから仕方がない。
普通ならラディがその言葉を言うのだろうが、喋るなと言われ ふてくされてるから、そんな言葉は聞かなくて済む。
いくつか食べて、空腹が満たされ始めた頃、ようやくミュエリが戻ってきた。
髪をきちんと結い終え、目もしっかりと開いたミュエリは、地面に転がったものを見て、案の定と言うべき言葉を吐いた。
「また…木の実…?」
「嫌ならいいのよ、別に」
あたしは、素っ気なくそう言って、皮を剥いた木の実をルーフィンに差し出した。
飽きてはいるが、空腹には勝てないのが現実で…結局、ミュエリは渋々ながらそれを口にしたのだった。
食事が終わると、改めて東の方角へと歩き出した。
せめて、今日中にはこの森を抜けたい。いや…お願いだから抜けさせて欲しい。そんな思いを強めながら、あたしは口数も少なに歩き続けた。
途中ミュエリは、冴えてきた頭でラディに言われた事を思い出したらしく、またバカバカしい言い合いを繰り広げていたのだが…。
そして、どれくらい歩いただろうか…。
雲行きが怪しくなってきたと思ったら、ポツリポツリと雨が降り出してきた。
すぐに止むだろうか…とも思ったが、前に進めば進むほど、空は暗くなり雨も強くなってくる。
「最悪ぅ~。びしょ濡れよぉ~」
「自然のシャワーだと思ったら? 顔も洗えるし、汗でベタベタした肌も綺麗になるわよ。よかったじゃない」
「服を着たままなんて望んでないわよ」
「だったら脱ぐ?」
「……………!!」
ミュエリの気持ちも分かるけど、ここまで来たら、なんとしても今日中に抜けたいと思うのが正直な所。
森を抜ければ、きっとすぐ近くに村があるはずだもの。そうしたら、そこで休ませてもらえばいい。それに、ここまで濡れたらあとは同じだものね…。そう思うと、休む気にはなれなかったのだ。
「さぁ、急ぐわよ」
とりあえず、一番うるさい者が黙った為、あたしは歩を速めた。
その先、雨足は強くもならなかったが弱くもならなかった。
そんな時間が かなり過ぎた頃──
あまりにも周りの景色に変化がなかった為、ひょっとして、戻っているのではないかという不安に駆られてきたのだが、その不安を打ち消したのはミュエリの一言だった。
「あ…女の子…!」
「え…?」
〝ほら、あそこ〟 と言って指差す方向を見れば、木々の間から一人の女の子が見えた。
女の子は、雨の中で ずぶ濡れになりながら、両手を天に突き上げている。
「あんな所で何してるのかしら…? ずぶ濡れよ…?」
子供好きなミュエリは、心配と興味であたしより先に、その子の方へ走っていった。あたしも慌ててついていく。
すると、雨音で聞こえないのだが、なにやら喋っているようだった。
そんな彼女にミュエリが問いかける。
自分も同じ状況だという事はさて置き…。
「ねぇ、何してるの? こんなところにいたら、風邪引いちゃうわよ?」
その声に、女の子はハッとして振り向いたが、同時に、目の前の景色にハッとしたのはあたしだった。
村だ──
彼女の向こう側に、村の景色が広がっていたのだ。
やっと…やっと、抜けきれたんだ…よかった!
心底ホッとして、危うく彼女の事を忘れそうになった一瞬──
けれど、彼女の声が聞こえて、すぐに我に返った。
「…おねえちゃん!! たす──」
〝え…?〟 と、彼女に視線を移すや否や、今度は違う方向から怒りに満ちた声が聞こえてきた。
「こらー!! お前はまたこんな所で──」
下の方から、すごい形相の男が走り上がってくる。
「お前のせいで…お前のせいで……!!」
何がなんだかよく分からないが、このままだと殴りかかりそうな勢いだった為、あたしは慌ててその間に立ち塞がった。
「ちょ、ちょっと待って──」
「うるさい! そこをどけ……あっ、こら──」
「ちょっ…あっ──」
後ろにいた女の子が逃げたのだろう。その方向に、男が追いかけていこうとした為、咄嗟に、体をぶつけたら──案の定と言うべきか──跳ね返され、地面に尻餅をついてしまった。
「…ったたた…」
即座にルーフィンが駆け寄ってきた。
『大丈夫ですか?』
『あ、うん、平気。それより、あの男は──』
『ラディとネオスが止めてます』
そう言われ振り返ると、二人揃って、男の前に立ち塞がっていた。──というよりは、ラディが男の胸倉に掴みかかり、それを制しているネオスの姿…なのだが…。
あたしは、その場で立ち上がると、後ろにいる彼らのほうに近寄っていった。
「…くそっ…放せ──」
「うっせぇ! その前にルフェラに謝れ!!」
「い、いいわよ、ラディ…。その手を放して…」
女の子が逃げた方を見れば、かなり姿が小さくなっていた。
今更、追いかけては行かないだろう。それになにより、話が聞きたくて、胸倉から手を放すよう言えば、ややあって、突き放すようにその手を放した。
〝どうして──〟 と口を開きかければ、一瞬早くミュエリの声。
「あの子が何したっていうのよ!?」
「フンッ!! 何をしたかだって!? 今更なに言ってやがんだ!? この村がこうなったのは、みんなあいつのせいなんだぞ!! 全てあいつの仕業なんだ!!」
「ど…ういうことよ…?」
そんな驚いた顔を見せたのは、ミュエリだけでなく、ここにいる全員だった。その表情を見て、男はハッと我に返ったらしい…。
「あ…んたら…この村の者じゃ──」
そう言いながら、グルっとあたしたちの顔を見渡した。そして、あたしの足元にいるルーフィンを目にした時、その男の表情も態度も全て、一変した。
「ま…さか…!?」
今度は、あたしとルーフィンの顔を交互に見つめた。その次の瞬間──
「す、すみませんでした!!」
「え…!?」
突然、濡れた地べたに座り込み、頭を下げたのだ。
その態度の変化にも驚いたが、一番驚いたのは、そこまでするということ。
「ちょ…ちょっと待って…どうしてそんなこと──」
慌ててしゃがめば、理解できない言葉──
「申し訳ない! あなたが救い人とは…!」
「…す、救い人…?」
分けが分からず、オウム返しのように繰り返すものの、男には聞こえてないらしい。
「そ、そうだ…ユージン様に報告せねば! ──あぁ、あなた方も来てください!」
「えぇ…!?」
そう言ったかと思うと、さっき登ってきた来た道を駆け下り始めた。
その姿を見送るしかないのはあたし達で…。
でもそれも、ほんの一瞬。
すぐさま振り返ると、有無を言わせぬ口調で叫んだ。
「早く! 私のあとに…!!」
本当に突然の出来事で、あたし達は彼の後をついていくしかなかった…。