BS4 残る謎とひとつの結論
エステルが去った後の部屋は、変な緊張感となんとも言い難い重い空気が漂っていた。怒りというよりは驚き…あるいはショックのほうが大きいのかもしれない。誰一人として喋ろうとはせず、ただやるべき事を黙々とやるだけの時間がしばらく続いていた。
普通なら、二階から人が入ってくる事はないのだが、目の前でエステルが飛び出していったのを見ると、その逆もあり得るような気がしたのだろう。ラディは真っ先に窓を閉めて鍵を掛けた。
夜になってようやく汗をかき始め、誰もが 〝これで熱も下がってくる…〟 と少なからずホッとしていた矢先の出来事。ルフェラの体は更に熱さを増していた。とりあえずミュエリは服を着替えさせ、その間にネオスたちが新しい氷を取りに行った。
氷水の入った数個の小袋と濡れタオルを桶の中に用意すると、隣の部屋から端の引き戸を少し開け、そのまま桶だけを差し入れた。
やるべき事が終われば一気に疲れが押し寄せてくる。重い空気に押し沈められるようにドン…と腰を下ろせば、誰からともなく重い溜め息が漏れた。そして、壁にもたれたラディの視線が机の上に移ると、ようやく独り言のような第一声が発せられた。
「……食わせるタイミング、なくなっちまったじゃねぇか……」
それは、朝から何も食べてないルフェラのために用意されたお粥と薬だった。熱が下がってくる兆候が現れ、目を覚ました時に少しでも口に入れたほうがいいから…と、夕食時にダルクが持ってきたのだ。とはいえ、エステルによって無理矢理目を覚ましたルフェラが──たとえ、あのまま気を失わなかったとしても──口にできる状態でないのは分かっていたのだが…。だから本気でそう言ったわけではない。どちらかといえば、どうでもいいと思う事で…本当に話したいことはもっと核心の部分にあったのだ。ただ、今その話をするには、頭の中が混乱しているというか…何をどういっていいのか分からないというのが彼の本音だった。
そんなラディの気持ちがネオスたちにも伝わったのだろう。聞きたいことはあったが、敢えて何も言おうとはせず、再び沈黙が続いてしまった。
今から一時間ほど前──
夕食を済ました四人は、昼間に比べ明るさを取り戻していた。ジェイス兄妹の話を聞いて、少なからず謎が解けスッキリしたからだろう。
他愛もない話をしながら、それでも机に残ったお粥が目に入れば、引き戸の向こうで寝ているルフェラを心配し、そっと様子を伺うこともあった。
そんな時、イオータが発した言葉にラディが驚いた。
「…なん…で、ネオスなんだよ…?」
「何が? 食後の運動にネオスを誘っちゃわりぃのか?」
「いや…だから、なんでオレじゃなくネオスに──」
──とそこまで言って、お互いがハッとした。
「ま…さか…お前…ネオスにも剣術 教えてたのか!?」
「あ…ぁ~…いや、なんだその…」
(マズった…。バレねぇように、〝食後の運動〟 って言ったはいいが、これはラディにしか使ってなかったな…)
すぐにハッキリとした返事は返ってこなかったが、〝しまった…〟 という顔を見れば、一目瞭然。更に、〝ネオスにも〟 と言ったにも関らず、当の本人がさほど驚いていないことに、ある事が推測された。
「ネオス…お前、オレが剣術習ってたこと知ってたんだな?」
ネオスはチラリとイオータを見やると、彼の態度が 〝あぁ~、もう、言っちまえ〟 とばかりに両手を軽く上げたため、正直に話すことにした。
「まぁ…うすうすは…」
「うすうす…って……」
「僕も習ってたから、食後の運動って言いながらほぼ同じ時刻に出かけるのを見てたら、なんとなく…ね」
「けっ…なんとなくって態度か、それが? バレバレじゃねーかよ…。──くそ…お前は知ってて、オレは自分だけが習ってる気になってたなんて、バカみたいじゃねーか。知ってんだったら言えよな…ったく…」
もちろん、自分だけ密かに剣術をマスターして、いざという時にルフェラを驚かす、というのが最初の目的だっただけに、ネオスまで習ってた事を知って舌を鳴らしたい気持ちはあった。しかも、ここしばらく練習していなかった事で、ならば、負けてなるものか…とライバル心が芽生えもしたのだが、今の状況では集中できないというのが正直な所で、ラディは仕方なく二人を見送ったのだった。
もちろん、そのあとは驚きと興味を一杯にしたミュエリによって、からかわれる事になるのだが、〝ルフェラには言うな〟 という事だけは、しつこいくらい何度も繰り返したのは言うまでもない。
一方、裏手の土手に向かったネオスとイオータは、すぐに剣術の練習を始めなかった。
「悪かったな、バレちまって…」
「いや…。僕の方こそ変に気を使わせてしまったみたいで悪かったよ。それに、内緒にすることで、君にとっては二倍…いや、三倍の練習量になってしまったしね」
ネオスの最後の一言に、イオータはフッと顔を緩ませた。
「やっぱ、バレてたか…ルフェラにも教えてたこと」
「あぁ。ダイエットっていうのは不自然だったからね。黒風に命を狙われてるっていう時期にさ」
「…だよな、やっぱ」
「でも、ラディに対してはいい口実だったかも」
「だろ? 一番バレたくない相手だったからな、ルフェラにとって。あれで信じてもらえたんなら、万々歳さ。──けど、あの練習もシニアの一件以来 してねぇぜ?」
「そうだろうね…。剣を持っているだけでも辛いんだと思うよ。ましてや、自分を守るだけでなく、同時に相手を傷つけてしまうものだからさ…」
「あぁ…そうだな…」
そう言ったイオータからは、自分の責任でもある…という思いが感じられた。けれど、後悔はしていない。もちろん、自分を責める気持ちはあるが、その辛さを背負ってでも、神にとって必要なことなら、躊躇ってはいけないことを知っているからだ。
ネオスもそれはよく分かっていた。イオータがルフェラに剣術を教えた事を責める気は毛頭ない。それどころか、彼に対して申し訳ないという気持ちが沸いてくるのだ。ルフェラは他でもない、自分の主君なのだから。ネオス自身が辛い思いをするならともかく、他の共人にその役目をさせてしまった事のほうに、胸を痛めていた。けれど、敢えてその事は口にせず、今の問題を彼にぶつけた。
「──それで、わざわざ剣術の練習に誘ったのにはどういう理由が?」
ここ数日はそういう状況でもなかったため──自分も含め──剣術の練習をすることもなかった。故に、〝付き合ってくれ〟 と言われた時は、瞬時に 〝何かあるな…〟 と思ったのだ。ただ、そのあとの返答は数日前の事を上回っていて…思わず彼の言った言葉を繰り返してしまった。
「力が…確実に弱まっている…!?」
「あぁ…。昨日の朝、ルフェラが発作を起こした時だ。宵の煌で痛みを鎮めようとしたんだが、できなかった…」
「でも、あのあとルフェラはすぐに──」
「あれは偶然だ。しかも、二回目の時のな」
「二回…目…?」
「お前には、一回目の宵の煌は見えたか?」
「…あ…ぁ…いや……」
「だよな…。お前に見えなかったってことは、お前が見えるほどの力じゃなかたってことだ。しかも、あいつの体の周りを流れていくようで、すぐに消えちまった。二回目は、それ以上に力を入れたつもりだったんだが、どうも上手くいかなくてな……痛みの強さに負けたのか、跳ね返されるような感覚だった」
「ま…さか…それで最悪な事を考えていたのかい…?」
「まぁ…可能性は高いだろーってな。ただ、今までの経験からすれば、剣術が磨かれるほど力が増してきたからな。ここしばらくはそんな状況じゃなかったからよ、逆に衰えてきたのかもしれねぇ…っつー可能性もあるにはあるんだが…」
「じゃ…あ…それで練習を…?」
「あぁ。──けど…やっぱ本音は そうであって欲しいと思う希望だよなぁ…」
「…イオータ……」
「まぁ…どっちが本当かは分かんねーからよ。とりあえず、なんもせずにはいられねぇし……もう一度 鍛錬し直そうと思ってな。──ってことで、こんな時に何だが、しばらく付き合ってくれるか?」
「あ…あぁ…それはもちろん…」
「わりぃな、助かる。──あぁ、それから話は変わるけどよ。ダルクの話を聞いてどう思った?」
急に話が変わり、一瞬、何を求めた質問なのか分からなかったが、ダルクに話を聞こうと思ったキッカケを思い出し、その意味を理解した。
「…ルフェラがジェイスの何に反応したのか…ってことかい?」
「…あぁ」
「やっぱり…彼が少女を見殺しにしたっていう過去だとは思うけど…。──イオータは?」
「…オレも同じかなぁ、やっぱ。ジェイスの胸倉に掴み掛かって言おうとしたのは、おそらく、〝どうして、少女を見殺しにしたのか!?〟 って言葉だろ。意識的かそうでないかは別にしてもな」
よりハッキリとした推測が言葉になれば、改めてネオスも 〝その通りだろう〟 と頷いた。
もちろん、それで全てが理解できたわけではなかった。原因不明の──到底、ストレスや疲れが原因とは思えない──激しい胸の痛みや、イオータに気付かれず夜中に出歩く事ができた理由は未だ分からないままだ。
それにもし、イオータの力が弱まっていて 〝感じる事ができなかった〟 としても、ルーフィンが感じなかった事までは説明できない。──という事はつまり、〝感じる事ができなかった〟 というよりは、〝感じさせなかった〟 と考える方が正しいわけで……。だとすると、いったいルフェラに何が起こっているのか…という一番の疑問がそこに立ちはだかる為、それ以上は推測さえできないでいたのだ。そんな中、ジェイスに反応した理由だけは分かった気がしたのだが、同時に、最後の言葉でネオスの胸がズキンと疼いた。
(…意識的かそうでないか…か…。どちらにせよ、ルフェラは また一人で辛い思いをしているんだ…)
もし意識的であれば、ルフェラは何らかの方法でジェイスの過去を知った事になる。ここ数日の状況を考えれば、誰かに話を聞いた可能性はなく……となると、共鳴のような特別な力が関わったのだろう。せめてその事を誰かに話してくれれば…と思うネオスだが、〝特別な力〟 を恐れるルフェラが、その事を簡単に話すとは思えない。
更に言えば、無意識だった場合もそうだろう。自分の意識とは別に、どうすることもできない感情で人の胸倉に掴み掛かったなら、自分自身が恐ろしいとさえ思ってしまう。つまり、どちらであっても、ルフェラは一人で抱え込んでしまう事になるのだ。
それが分かっていながら、どうする事もできない自分が情けなく、ネオスはそんな自分に腹立たしささえ覚えていた。
「よぉ~し。──んじゃ、始めるぜ?」
イオータはそう言うと、腰に挿してあった二本の剣を抜き、宵の煌でその刃を覆った。そして長い剣をネオスに差し出すと、
「一応、斬れねぇようにしたからな。今の気持ち、思いっ切りぶつけてきてもいいぜ?」
──と付け加えた。
本当に、どこまでこの男は人の気持ちが分かるのだろう…と驚くのはもちろん、ありがたい気持ちでネオスはその剣を受け取ったのだった。
そうして、練習が始まって数十分が経った頃──
血相を変えたミュエリが、今にも泣き出しそうな顔で叫びながら駆け寄ってきたのだ。
「ルフェラが…ルフェラが殺される──!!」
──と。
先ほどの騒ぎとは一変して沈黙が続く中、ルフェラの寝衣を整えたミュエリが、全ての物を片付けて戻ってきた。
ラディ同様、しばらくは無言になるかと思いきや、ミュエリは腰を下ろすや否や口を開いた。
「どうして…こんな事になったのよ…?」
「それが聞きたいのはオレらのほうだ。いったい、何がどうなってあいつはルフェラに刃を向けたんだ?」
独り言とも思えるミュエリの質問に、質問で返したのはイオータだった。
「分からないわよ……。突然、彼女がやってきて、〝兄さんはどこにいるの!? どこにやったの!?〟 って叫んだから…私もラディも訳が分からなくて…。 〝何のことだか分からない〟 って言ったら、急に隣の部屋に飛び込んでルフェラを叩き起こしたのよ…」
「止めようとはしたけど、ルフェラに刃を向けるほうが早くてよ…」
「 〝兄さんはどこにいるの!?〟 て言うくらいだから、行方が分からないんだろうけど──」
「ンなの知るわけねーじゃねーか、そうだろ? しかも、なんでルフェラに刃を向けんだよ!?」
訳が分からないことと、病気のルフェラ相手にした行動が許せないのだろう。両親の事で同情する気持ちがないわけではないが、ラディは怒りを露にした。そんなラディとは対照的に、静かな口調で答えたのはネオスだった。
「勘違い…してるんじゃないだろか…」
「勘違い…? 何と何をだよ?」
「刃を向けるってことは、エステルにとってそれだけジェイスの存在が大事だってことだろうし……彼の行方を僕たち…特にルフェラに聞いたのは、ルフェラがジェイスを殺すって思い込んでるからだと思うんだ」
そう言った時、ミュエリが何か思い出した。
「そう…いえば…夜中にルフェラがいなくなった時……ほら、胸の痛みが治まって帰ろうとした時、彼女がやってきて騒いだわよね。あの時、確か…〝兄さんの命まで奪おうっていう気なの!?〟 って叫んでなかったかしら?」
「だ…から、なんでそう思い込んでんだよ?」
「あいつにとってルフェラは、多くの人間を殺してきた殺人者だからだろ? 目の前に殺人者がいれば、誰だって自分…もしくは大事な者を殺されるって思うもんだ。それが、殺される理由がないっていうんなら、尚更な」
「ふっざけんな!? なんでルフェラが殺人者なんだよ!?」
「だぁから、〝あいつにとって〟 って言ってんだろーが? それが事実じゃなくても、気が狂ったあいつの目に死者の姿が見えてんなら、そいつが殺人者だと思っても不思議じゃねぇってことだ」
更に詳しい説明をされ、ラディは彼の言わんとする事がようやく分かった気がした。
死者の姿が幻──つまり、壊れた心が見せているものだとしても、本人にとってそれが見えている以上、事実であり現実なのだ。それをどれだけ周りの人間が否定したところで、本人が見ている事実を覆すことはできないし仕方のない事だ…と、そう言いたかったのだ。
イオータがあまりにも簡単に 〝殺人者だ〟 と言ったことで、本当にそう思っているのではないか…と一瞬頭にきたラディだったが、そうでない事が分かって怒りも治まった。──が、同時にある言葉が引っかかった。
「…気が…狂った…」
その言葉を自分で繰り返してみて、ラディはハタとした。思わず、考えたくない事を考えてしまったのだ。
(ま…さかな…?)
「どうした?」
まだ何か理解できないのか…と言おうとしたイオータだったが、ラディの様子からしてそうでないことを悟った。
「おい?」
「あ…? あぁ、いや…今すんげー嫌なこと考えちまってよ……」
「嫌なこと? ──どんな事だ?」
その質問は、ラディの耳に届かなかった。
(そんなわけ…ねーよな…? そんなわけねーだろーけど……けど…万が一そうだったら…? そん時はあいつの言ってた事が正しいってことに──)
「おい、聞いてんのか!?」
パシッと払うように腕を叩かれ、やっとイオータの声が届いた。
「あ…? あぁ…わりぃ、なんだって?」
「お前なぁ…こんな時に自分の世界に入り込むなっつーの」
「だってよ…万が一そうだったらあいつの言ってた事──」
「だぁから! 先に何を考えたか言えって。じゃなきゃ、なに言ってんのか分かんねぇだろーがよ!?」
「あ…あぁ、そうか…」
「──ったく。で、なに嫌なこと考えたんだ?」
「い、いや…それがな……もし、エステルの気が狂ってなかったら…って考えたんだ」
「エステルの気が狂ってなかったら…?」
思わぬ発言にみんなの視線がラディに集中する。
「あいつがルフェラに刃を向けてた時……オレ、必死で説得しようと思ってよ…。〝過去に何があったのかはダルクから聞いた。両親亡くして悲しいのも分かるが、気をシッカリ持てって……あんたがそんなことしたら、両親だって悲しむんじゃねぇのか…〟 って、そう言ったんだ…」
「なるほど。まともな説得だな」
「──だろ? そしたら… 〝そんな言葉はもう何年も前に聞き飽きた。言われなくたって分かってる。どんなに悲しんだって、どんなに泣き叫んだって帰ってこない事ぐらい分かってる〟 って、まるで開き直ったように返してきてよ…。だから思わず聞いたんだ、〝だったら、なんで?〟 って…」
「あぁ」
「そしたらあいつ… 〝あんた達にあたしの気持ちが分かるわけない。村のみんなだってそう…悲しみのあまり、気が狂ったとしか思ってないんだ〟 って言ったんだ。しかも、〝それでもいい。なんと言われようと、あたしの願いが叶うなら。なのに、兄さんの気持ちも知らずにみんなで責めて…〟 って言ったんだぜ? なんかよぉ……なんかこう…引っ掛かってこねぇか…?」
「そうだな…。実際に気が狂った人間が 〝自分はまともだ〟 って言うのはよくあるが、気が狂ったと思われても、自分の願いが叶えばそれでいい…って言うのはな…」
「──だろ? それに…あいつとの会話は、気が狂ったヤツと話してる感じがしなかったんだよな…」
「あぁ。お前の話を聞く限り、まともだな」
「けど、そうなるとよ…」
ラディはそう言ったまま、一番嫌な考えを飲み込んだ。しかし、そこまで言えば極自然にその考えが導かれるもので…代わりに続いたのはミュエリだった。
「死者の姿が見えるっていうのは……本当だってこと…?」
その言葉を口に出されて、部屋の隅に座っていたネオスの胸が僅かに大きな音を立てた。
「もし、ラディの言う仮説が本当だったら……エステルが正気だったら…死者の姿が見えるっていうのも、本当ってことになるのよね…?」
「ン、なわけねーだろ…!?」
自分の言っている事が矛盾してると思いつつも、ラディは思い切り否定した。
「そんなこと…ぜってぇ ねぇって…!」
「でも──」
「でも、なんだよ? お前は…あいつの言う事が本当だったらいいとでも思ってんのか!?」
「そう…いうわけじゃないけど……ただ、あなたの仮説が本当だったら、そういう事に繋がるって──」
「だから…! そんなこと、ぜってぇ ねぇって言ってんだろーが!? オレはな、たとえエステルが正気だったとしても、死者の姿が見えるって事だけは、ぜってぇ、認めねぇからな!!」
「あ…なた…自分の言ってることがメチャクチャだって分かってるの!?」
「あぁ、十分すぎるくらい分かってるさ。分かってねーのは、お前のほうだろうーが!」
「なんですって──」
「そうだろーがよ!? いいか、あいつの言う事を認めちまったら、ルフェラが罪もない多くの人を殺した殺人者だってことも認めることになるんだぞ!!」
「────ッ!!」
そこまで言われ、仮設の繋がりを正そうとしていたミュエリは、ようやく、ラディが頑なに認めようとしなかった理由を理解した。
つまりそういう事なのだ。言ってる事がメチャクチャだと言われようと、仲間の立場からすれば当然といえば当然の考え方で…ミュエリもその結論に気付いていれば、決して仮説の繋がりを正そうとはしなかっただろう。では何故、その結論に結び付かなかったかというと……実は、ダルクの話を聞いてから、心の奥底にあった願いにも似た想いが、時間と共に大きくなってきたからだった。
もし本当に死者の姿が見えるなら……彼らの声が聞けるなら……と。
「…ご、ごめん…そうよね…」
悪気がなかったとはいえ、こんな時に自分のことを考えてしまったことに申し訳なく、ミュエリは心から反省した。その姿を目にして、ラディの口調も一気にトーンダウンする。
「それに…本当に死者の姿が見えてんなら、なんでオレのことは言わねーんだよ…」
それは殆ど独り言に近かった。
殺した者の背後に殺された者が見えるなら、自分の後ろには妹の姿が見えていたはず。ならば、殺されたのがあんな幼い子供だと分かって黙っているわけがないだろう。
──ラディはそう思っていたのだ。
(あいつはオレが殺したも同然なんだからよ…。エステルの言う事が本当なら、ぜってぇ、オレの後ろにいる…。そんでもって、オレの背中をバシバシ叩いてるんだぜ… 〝なんで、あの時、助けてくれなかったの!?〟 って泣き叫んでよ……。なぁ、タフィー、そうだろ? 死への道夢で泣いてたのは…そう言いたかったんだよな…? ──あぁ、いや…それより恨みの方が強い…か…? なぁ、タフィー…エステルならお前の気持ちを聞き出せ──)
──とそこで、考えてはならないことを考えている自分に気付き、ハッとした。
(な…に考えてんだよ、オレは…!? 死者の姿が見えるわけねーんだから、あいつの気持ちが聞けるわけねーじゃねーか!?)
妹の気持ちを知りたいという想いが、無意識のうちにルフェラを殺人者だとする考えを引き寄せていて……ラディもミュエリ同様、反省すると共に複雑な表情を浮かべた。
そんな二人を見兼ねたのか、敢えて明るい口調で話を繋いだのはイオータだった。
「まぁ、本当に死者の姿が見えるってゆーんなら、オレの後ろが誰よりも賑やかだろうけどなぁ」
何度も命を狙われていながら、今もなお生きているという事は、それだけ人を殺めてきたということだ。つまり、この中で背後が一番 賑やかなのは、どう考えてもイオータであり、ルフェラではない。
もちろん、彼の正体を知らないラディたちが、今までにどれだけの人を殺めてきたのかなんて分かるはずもない。ただ、剣術に長けていることや、普段から、寝ている時でさえ何か張り詰めたものを持っている…と感じていれば、おのずと彼の過去は推測でき、尚且つ、それがウソや気休めの言葉ではないことが分かるのだ。
故に、〝オレの事を言わねぇのはおかしいだろ〟 という無言の言葉に気付けば、二人の表情も僅かながら元に戻ったのだった。
「はは…やっぱな。それが何よりの証拠じゃねーか、なぁ?」
「え、ええ。もし、彼女が正気だったとしても、死者の姿が見える…ってウソついてるだけなんだわ、きっと。そうよね?」
最後に、〝その通りだ〟 という言葉が欲しくてイオータに問いかければ、思わぬ返事に二人は驚いた。
「──さぁ、どうだかな」
「え…?」
「お…い…なんだよ、その 〝どうだかな〟 ってゆーのは──」
「分かんねー事だらけだからなぁ」
「何が…?」
「ほとんど全て」
「はぁ?」
眉を寄せイラつきを見せるラディに、イオータは、自分の頭の中を整理する意味でも、その全てを話し始めた。
「──いいか? 本当にエステルが乱心してんなら、お前との会話はまともすぎる。逆に、乱心してなかったとしたら、なぜ、そう思われるような事を言うのかが分かんねぇんだよ。だいたい、乱心したように見せかけて、得になるようなことがあると思うか?」
「い…いや…」
「──だろ? だとすれば、ミュエリが言った通り──それが考えたくない事だとしても──本当に死者の姿が見えてるっていう可能性も出てくるわけだ」
「────!!」
「ただし、本当に死者の姿が見えてたんなら、真っ先にオレを責めるはずだから、そこがまた分かんねーとこなんだけどな」
「………………」
「それによ、川で子供を溺れさせようとした理由も分かんねーだろ?」
「あ…あぁ…」
「それだけじゃねぇ。あの会話がまともなら、乱心してると思われてもいいから叶えたい願いっていうのは何なんだ? ジェイスの気持ちも知らずにってことは、村の皆も知らない事があるってことだろ。──違うか?」
「そ…うだよな…」
「それから、分かんねーことって言えば、あの兄妹以外にもあるぜ」
「何だよ…?」
「お前らに、〝ツイてる〟 って言ったばあさんだ。〝嫌ってるだけじゃ真実は見えてこない〟 っていう言葉も引っ掛かるし…どうも、なんか繋がってるような気がするんだよなぁ…」
「繋がってる…か…」
「あぁ…」
(──それに、ルフェラがジェイスの何に反応したのか、イマイチ分からなくなっちまったしな…)
おそらく、ネオスも同じことを感じているだろうと思ったが、今ここで言う必要はない…と、イオータは敢えて胸の中で呟いた。
「…まとも…乱心に見せかける……溺れさせようとした理由…? それに…叶えたい夢に…ジェイスの気持ちだろ……それからばあさんの言葉に繋がりがある…ってか……? う……うぅ……うだぁ~!!」
「な、何だよ、突然!?」
「やっぱ、分かんねぇ!! 何がどうなってんのかさっぱり分かんねぇよ!」
「だぁから、分かんねー事だらけだって言っただろ? 大体、オレが分かんねーのに、お前が分かるわけねーだろーがよ?」
「うっ……。じゃ、じゃぁ…これからどーすんだよ?」
「まぁ…あいつら兄妹がウソを付いていようといまいと、本来、オレ達には関係ねぇことだからな。ルフェラの熱が下がったら、とっととこの村を出るっていうのもひとつの手ではあるが…」
「あるが…?」
「もし、ルフェラの心の臓の発作が、あのばあさんの言う 〝死の花〟 のせいだったとしたら、治す方法も分かるんじゃねーかと思ってよ」
「──ってことは…あのばあさんに聞くってことだな?」
「少なくとも聞いておいて損はねーだろーからな」
「そ…うだな…。よし、分かった。明日、聞いてこようぜ?」
何だかんだ言っても、基本的には放っておけないラディでさえ、あの二人の事はどうでもいいと思うようになっていた。とにかく今は、ルフェラの病が治る事だけが願いなのだ。
〝本来、自分達に関係ないことだから…〟 と言われれば、それ以上考える必要はないわけで…ラディはやるべき事が見つかって、一気にいつもの元気を取り戻した。
ところが──
その隣では、ミュエリがまだ浮かない顔をしていた。
「どうした、ミュエリ?」
「…え?」
「まだ何か気になることでもあんのか?」
「…あ…ぁ…うん…ちょっと…」
「なんだ、言ってみな?」
「…うん……」
数秒 間を置いてから、ミュエリは言い難そうに口を開いた。
「…それで…いいのかな…と思って……」
「それでいいとは…?」
同じ言葉を繰り返されて、ミュエリの視線がちらりとネオスに向いた。
「だって…言ったじゃない…。ルフェラは…ジェイスもエステルも救える、唯一の人なんだ…って…」
(……………!)
ネオスの胸が、またドキリと鳴った。
「あれは…ウソだったの、ネオス?」
「そ…それは……」
どう言っていいか困っていると、代わりに答えたのはイオータでなく、ラディだった。
「──んなもん、ウソに決まってんだろ? 救うたって、何がなんだかさっぱり分かんねーんだからよ。ああ言うしかなかったのさ。なぁ、ネオス?」
「あ…あぁ…」
「……だったら、あの言葉はどうなの?」
「あの言葉?」
繰り返したのはラディだった。
「 〝ルフェラの命を奪うというなら、そうすればいい。その時は自分の命を捧げれば済むだけの事だ〟 …ってそう言ったでしょ?」
(────!!)
「あれはどういう意味なの? ああ言うしかなかったっていうだけの言葉じゃないわよね?」
「そういや、そうだな…。オレもあん時は、お前の気が狂ったんじゃねーかと思ったけど、そうじゃなかったみてぇだし……どうなんだよ、ネオス?」
「あ…ぁ……それはその……」
(…言えるわけがない…ルフェラさえ知らないというのに……。言ったところで信じないかもしれないけど、お互いに傷付くのは目に見えている…。ルフェラが手の届かない遠い存在だと気付いた時、ラディは一緒にいる事が辛くなって この旅すらやめるかもしれない。ミュエリだってそうだ…。ラディたちがいなくなったらルフェラも傷付くし…もし旅をやめなかったとしても、今まで通りの関係ではいられなくなるだろう。その態度の変化に、やはりルフェラも同じくらい辛い思いをするんだ…)
「その…なんだよ?」
なかなか質問の答えが返ってこず、〝早く言え〟 とばかりに急かすと、助け舟を出したのは、見兼ねたイオータだった。
「…ンなことも分かんねーのか、お前らはぁ?」
「な…にぃ…?」
「こっちに切り札がねぇなら、開き直るのもひとつの手なんだよ。やれるもんならやってみな、ってな。自分の命を捧げる事ができるかどうかなんて関係ねぇ。要は、お前がやってることは無意味なんだって思わせるほど、強気な態度が必要なんだ。そうすりゃ、相手の方がそれ以上どうしていいか分かんなくなって、刃を持つ手を緩めちまうんだよ。──まぁ、こいつの場合、自分の命と引き換えても…ってゆー覚悟は既にあるんだろうけど?」
〝なぁ?〟 と目だけで問いかけられれば、最後の言葉が気になったものの、思わずネオスも頷いてしまった。そして、当然と言うべきか、その最後の言葉に食いついてきたのはラディだった…。
「──ンなことならオレにもあるさ!!」
「ぁあ? 何が?」
「だから、自分の命と引き換えに…ってゆー想いだよ!! オレはな、あいつの為なら死んだっていいと思ってるし、あいつの為に死ねるなら本望だとさえ思ってんだからな!! こいつより、ずっと ずっと、ずぅ~っと前から覚悟もできてんだ!!」
〝だから、ルフェラを想う気持ちはネオスに負けてなんかいないんだ〟 と、ラディは力説した。
無論、イオータにしてみれば共人としての宿命を言ったまでのことで、どちらがルフェラの事をより強く想っているか…を投げかけたのではない。故に、予想してなかった反論に──とは言え、すぐに理解したが──一瞬、あっけに取られてしまった。その一瞬に、ミュエリが入り込んだ。
「バッカじゃないの!?」
「ンだと──」
「そんなことしてルフェラが喜ぶとでも思ってるわけ?」
「喜ぶとかそーいうんじゃなくて、それだけ想われてるって分かったら嬉しいもんだろーがよ?」
「さぁ、どうかしら? それは相手にもよるんじゃなくて?」
「お…前なぁ──」
──と言いかけてふと気付く。
「あぁ、そうか! お前、あれだろ?」
「何よ?」
「ネオスの想いが自分に向いてないからひがんでんだろ?」
「バカなこと言わないでよ。それが愛情だっていうのなら、私はそんなの欲しいとは思わないわ! ──大体ね、誰かが命を懸けて守らなきゃならいほど、ルフェラは弱くないのよ!」
「なんっだそれ!?」
「なんだっていいでしょ! 要は、そう簡単に死なないってことなんだから!」
(そうよ…ルフェラはそう簡単に死なない…! ネオスだってそう…! だって…ばば様がそう言ったんだもの…!!)
ミュエリは、自分に言い聞かすように心の中で叫ぶと、そのままギュッと口を閉ざした。
その様子は、思ったことをすぐ口にする いつものミュエリらしくなく、ラディでさえ、単に 〝ひがんでいる〟 だけとは思えなかった。
「ミュエリ…お前、なんか変じゃねーか…?」
「な、何よ…失礼ね…!」
「だってよ…なんかお前らしくねぇっつーか──」
「私はまともよ! 少なくとも、あなたとは比べ物にならないほどね!」
「なっ…何だとぉ…!? 人が真面目に心配してやってんのに──」
「大きなお世話! 大体ねぇ、心配してって頼んでないのに、〝心配してやってる〟 っていう恩着せがましい言葉が気に入らないわ!」
「なっ…なにぃ~!?」
それはもう既に、いつものミュエリに戻っていた。そのいつもの態度にホッとしたのか、雰囲気を壊すまいと、イオータが合いの手を入れた。
「はははっ…確かに、恩着せがましい言葉ではあるかもなー」
「イ…オータ、てめぇまで──」
「まぁまぁ、いいじゃねーか。言葉はどうであれ、心配する必要がないってゆーんならよ、なぁ?」
ラディではなくネオスに同意を求めれば、敢えて今は突っ込まないという考えが伝わったのか、ややあって、〝あぁ〟 と返事が返ってきた。それを聞いて、ラディも溜め息を付く。
「──ったく、しょうがねーなぁ…。そういう事にしといてやるよ」
「よし! ンじゃ、明日はする事が決まったし、風呂入って とっとと寝るぞ?」
「あ…あぁ、そうだな…」
「じゃぁ、今日は私がルフェラを看るから……明日、しっかり話を聞いてきて」
「おぅ! 分かった、任しとけ!」
翌日──
朝になってもルフェラの熱は下がる気配がなく、ミュエリが休む代わりにネオスがその後を引き継いだ。
ラディとイオータは、予定通り〝死の花〟 の事と治す方法を聞きにおばあさんの家に行ったのだが……そこで聞かされた内容は、やはりと言うべきか、放っておくつもりだったジェイス兄妹と繋がる事になるのだった──