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女神伝説  作者: Sugary
第五章
63/127

3 突然の罵声 ※

 森は数時間程で抜けた。

 途中、いつ 〝仲間〟 に見つかりはしないかとハラハラしたが、その主な原因は、まるで緊張感のないラディとミュエリにあった。

 自分達の存在に気付かせない為にも、できるだけ静かに歩いて欲しかったのに、機嫌が悪いからか、二人の言い合いがいつにも増して激しかったのだ。そのたびに、静かにするよう注意してきたが、あまり強く言えないというのが正直な所だった。なぜなら、もともとの原因があたしの説明にあったからだ。

 彼らが起きる前に何があったのかなんて、約束したルーフィンには話せても、他のみんなには話せない。そんなことしたら今以上に心配するのはもちろん、あたし自身、そんな彼らの視線の中では、苦しすぎて一緒に居られなくなってしまうからだ。

 故にあたしが言えたのは、〝ちょっとヤバイ人を見かけたから〟 という事だけだった。しかもそんな納得しない説明に加えて、朝食を摂るどころか、顔を洗う時間さえ与えず出発したものだから、二人の機嫌は相当悪く、更には、〝ヤバイ人〟 に対する緊張感さえ持たなくなったのだ。


「ハラ減ったぁ~…」

「顔が洗いたいぃ~…」

「誰かメシ食わせてくれぇ…」

「そぉんなの贅沢よぉー。水があれば十分でしょー」

「ぶわぁーかっ。そんなものでハラの足しになるかぁー」

「ハラの足しにならなくても、生きる上では水が一番大切なのよー。そぉんなことも知らないなんて、あなたのほうが 〝ぶわぁーかっ〟 でしょうが!」

「なんだとぉー。お前の場合、〝生きる上〟 よりも、〝顔を洗いたいだけ〟 じゃねーか!?」

「うるさいわねぇ! 何に使おうと、水が一番大切なのには変わりないじゃない! それに、顔だけじゃないわよ。髪だってグチャグチャだから洗って梳かしたいし、お風呂にだって入りたいし──」

「それこそ、贅沢じゃねーか」

「水があれば、いろんな事ができるっていうことの 〝例え〟 を言ったまでよ!」

「フンッ! お前が言う 〝例え〟 は、〝事実としての欲求〟 にしか聞こえねーな!」

「なによ──」

「──ちょっと、いい加減に静かにしてよ。ヤバイ人にでも聞こえたらどうするの!?」

 声を潜めながらも注意するも、それは逆効果で、ミュエリは更に声をあげた。

「いいわよねぇ~、誰かさんはぁ。私を起こす前に、さっさと自分だけ顔洗ったんだものぉ」

「……………」

 ほんと、いやんなる、この子の嫌味って…。

 ウンザリして 〝はぁ…〟 と溜め息つけば、まるで見てないのか、

「スッキリした顔しちゃってさぁ~」

 ──と、裏腹な事を言われてしまった。

「顔を洗うなんてほんのちょっとの時間じゃない。それくらい待ってくれてもいいようなものなのに──」

 食事はともかく、顔を洗うくらいの時間はあった。ただ、その時の問題は時間じゃなく、場所だったのだ。そのヤバイ人たちが気を失ってるなんて知ったら、間違いなく何があったかと問い詰められる。ウソを言ってるのがバレてしまう上に、知らぬ存ぜんでは済まされないのだ。

 もちろん、そんな事を思ってるなんて口には出せないのだが…。

 そんな時、またまた ラディが彼女の言葉を遮った。

「ぶわぁっかじゃねーのか、お前はー?」

「なによ!?」

「お前なんてなぁー、顔を洗おうが、髪を梳かそうが、風呂に入って全身の汚れを落とそうが、今と そう大して変わんねーんだよ!」

「なっ…なん…ですってぇ~!?」

「──んだよ、文句あっか!?」

「当然でしょ!! 大体、私の美しさに気が付かないのは、あなたの目が悪いだけで、私自身に問題はないのよ!!」

「ハンッ!! よっく言うぜ。目が悪けりゃな、全部がボヤけるから、もうちょっとマシに見えんだよ!!」

「あぁ~ら、そう!? だったら悪いのは目じゃなくて、その映像を分析する脳みそに問題があるってことになるわね!!」

「な、にぃ!?」

「ふ~んだっ!」


 ──とまぁ、こんな調子。

 優位な立場を何度も逆転させながら、こんな言い合いが延々と続いたのだ。

 森を抜ける頃には、当の本人達も聞いてるあたしたちも疲れてしまい、ほぼ無言だったが…。

 その森を抜けると、すぐ目の前には新たな村が広がっていた。それを目にするや否や、疲れて黙っていた二人が一気に元気を取り戻す。

「よっしゃぁ、抜けた! これでようやくメシにありつけるぜ!!」

「ほんと! でもその前に私はお風呂よ。どこか泊まるところを見つけなきゃ」

 とにもかくにも、森を抜けさえすれば二人の欲求は満たされる。

 ふてくされて後ろを歩いていた彼らは、今やもう、スキップでもしそうな軽い足取りで、あたしの前を歩いていた。

 その姿を見て溜め息をつけば、タイミングよくルーフィンの言葉が聞こえてくる。

『…ついていけませんね、彼らには…』

 まさに、今のあたしの気持ちだった。

『よかったわ。同じこと思ってる人が他にいて』

 ルーフィンが人間だったら、返答する前に握手しているところだ…。

『アレがさっきまで言い争ってた二人とはねぇ…。今にも腕組んで歩きそうなあの雰囲気はどうよ?』

『結局、彼らにとっての言い争いは、〝ケンカ〟 ではなく、個人的なストレス解消法だったって事でしょうか…』

 そう言われて、ハタと思い出だした言葉に、あたしは今更ながら愕然と肩を落とした。

『…どうか、しましたか?』

『え…あ、うん…まぁね。ちょっと思い出したのよ。あのくだらない言い合いをするのは、〝ストレスを溜めないためだ〟 って言ってたなぁ…って』

『まともに仲裁に入っていたのがバカらしくなったとか…?』

『そういうこと。今回の事に限らずね…』

 あたしは、ルーフィンに苦笑いを見せた。

『でも…何事もなくあの森を抜けてよかったですよ』

『…そうね。見つかったらどうしよう…って気が気じゃなかったわ』

『ええ。彼もかなり気を張っていましたし…』

 そう言うと、ルーフィンはチラリと後ろを振り返った。あたしも釣られて後ろの 〝彼〟 を見やったが、イオータはその視線に気付いてないようだった。

『…やっぱりそう思う?』

『はい。でも彼の場合、少し違うかもしれませんがね』

『違うって…? 怪しい気配がないか気にしてくれてたんじゃないってこと…?』

『…たぶん、ですけど』

『そう…』

 まぁ…確かに、あんな説明で、あのイオータの態度はおかしいと思っていた。ラディとミュエリが言い争っても、注意するどころか一言も喋らないのだ。しかも、話しかけても上の空…。とにかく、朝から様子がおかしかったのだ。

 じゃぁ、いったい何が 〝少し違う〟 のか聞き返そうとしたら、

『──それはそうと、ルフェラ?』

 ルーフィンのほうが一瞬早く、話題が変わってしまった。

『うん、なに…?』

『話とは何ですか?』

『え…話…?』

 一瞬分からなかったが、すぐに 〝あぁ…〟 と思い出した。

 皆には本当の事は言えないけど、ルーフィンには言っておこうと、出発する時に 〝あとで話があるの〟 と言ったのだ。

 できるなら、夜とか もっと落ち着いた時に話そうと思っていたのだが、とりあえず、危ない森は抜けたから、いいか…と口を開きかけたその時──

 目の前を歩いていたラディたちが、突然 タタタッ…と駆け出したため、またもや話すタイミングを失ってしまった…。

 彼らが向かったその先には、地面にうずくまるようにして座り込んでいる女性がいた。歩いてる途中で気分が悪くなったようで、慌ててあたし達も駆け寄ると、先に声をかけていたラディに問いかけた。

「…どうしたの?」

「いや…よく分かんねーけど…気分が悪いみたいだ…」

「顔色も悪いし…どこか休める所か、病の先生に診てもらったほうがいいと思うんだけど…」

「おぉ、そうだな。ンじゃ、オレがおぶってってやるからよ──」

 ミュエリの提案に同意し顔を覗き込めば、女性は小さく首を振った。

「いえ…大丈夫です…」

「大丈夫って…んなわけねーだろ?」

「そうよ。顔色だって相当悪いし、歩くのさえままならないんじゃないの?」

「…いつもの…ことなんです…。少し休めばすぐによくなるし……本当に…大丈夫ですから──」

「無理しちゃダメよ」

 更に断る彼女の言葉を、今度はあたしが遮った。

「いつもの事だから…とか、よくあることだからって軽く考えてると、あとで取り返しのつかないことになる時だってあるのよ」

 それはまさに、ラディが陽射しと水の病で倒れた時のことを思い出しながら言っていた。

 今の季節と彼女の様子からいって、その病とは全く違うことは分かっていた。けれど、どんな症状であれ、軽く考えない方がいい…そう思ったのだ。

「ルフェラ…」

 すぐ後ろで、軽く注意するようなネオスの声が聞こえ、そこであたしはハッとした。

「あ…ごめん…」

 慌てて彼女の前に回り込むと、その場でしゃがみ込んだ。

「ごめんなさい…。別にあなたを不安にさせるつもりはなかったのよ。ただ、本当に無理しなくていい…遠慮しなくていいって…そう言いたかっただけで──」

「…ひ…どい…」

「え…?」

 謝っている最中に突然 発せられた言葉。その言葉に、あたしはもちろん、ラディたちも驚いたようで顔を見合わせた。──と同時に、あたしの胸のどこかでズキンと何かが疼いた。

「…なんて…ひどい人なの…?」

 ボロボロと涙を流し、肩を震わせる彼女。

 いくらなんでも、そこまでひどい事を言ったつもりはない…と理解できないでいたら、更に彼女はあたしの腕をギュッと掴んだ。

 いたっ……な、なんなの…いったい…!?

「…無理しなくていい…? 遠慮しなくていい……ですって…!? あなたに……そんな、人を気遣う言葉を言う資格なんてないわ…!」

「おい! なんだよ、その言い方──」

 何が何だか分からないものの、ひどいことを言っているのは彼女のほうだと、我慢できなくなったラディが口を挟んだ。けれど、女性はその言葉さえ無視するように声を荒げた。

「隠したってムダよ…! あなたがどんなにひどい人か、私には分かるんだから…!」

「ちょっと待ってよ…いったい…何を言って──」

「どう…してよ…?」

「…え…?」

 反射的に聞き返せば、次に発した彼女の言葉に、一瞬、ひどい耳鳴りがした気がした。

「…どうして…そんな罪もない多くの人の命を奪ったのよ…!?」

挿絵(By みてみん)

 ────!?

 な…に…?

 今なんて…?

 何を意味したのか分からないものの、胸に突き刺さる言葉に動けないでいると、彼女があたしの腕を振り払うようにして駆け出すのと、ラディが 〝おぃ、ふざけんなよ!?〟 と叫ぶのは殆ど同時だった。

「──ったく、なんなんだよ、あの女ぁ!? ──おい、ルフェラ、大丈夫か? あんなの気にすんじゃねーぞ?」

 ラディは、振り払われたままの状態で地面に手を着いていたあたしを、ゆっくりと起こしてくれた。

「そうよぉ! きっと他の誰かと間違ってるのよ。じゃなきゃ、ココがおかしいか、よね」

 ミュエリはそう言って自分のこめかみを指差した。

「そーそー。ぜってぇ、おかしいって。気分なんか悪いフリしやがってよ…心配して損したぜ! ──おい、ネオス、お前もなんか言ってやれよ?」

「……え?」

「 〝え…?〟 じゃねーって! ルフェラが傷ついてんだぞ!? 大体、なんで二人揃って驚いた顔してんだよ!?」

「あ…いや…」

「お…前ら…まさかあの女の言葉 真に受けてんじゃねーだろーな!? もし、一瞬でもそんな事考えてみろ? そん時は──」

「まさか…そんなわけないよ…」

「だったら──」

 ラディが続けようとした瞬間、

「どうかしたのか、あんたら?」

 別の男性の声が聞こえた。見れば、三十代半ばでガッシリとした体格の男性が籠を背負って立っていた。

「え…? あぁ…いや…ちょっと変な女がな…」

「変な女…?」

 ラディの視線を追いかけるように遠くを見れば、走って行く彼女のうしろ姿を捉えたのだろう。男性は 〝あぁ…〟 と溜め息をついた。

「また あいつか…」

「また…? お、おぃ… 〝また〟 ってなんだよ? 前にもなんかあったのか?」

「あ…あぁ、まぁな。人に罵声浴びせたり…最悪、殺人者呼ばわりする、イカれた女さ。それで村中に嫌われてるんだ。どんなひどいこと言われたか知らねーが、気にすることはねぇ。──ってか、大丈夫か、あんたの彼女?」

 〝やっぱり、イカれてたか…〟 と確信したのはもちろん、最後の言葉が嬉しかったのか、あたしを支えるラディの手には、更なる力が加わった。無論、否定するつもりはないらしい…。

「あぁ~…いや、それがかなりダメージ大きくてよ…。この辺でゆっくり休めるところってねーかな? ─あ、できれば泊まれるところがいいんだけどよ」

「なんだ。泊まる所を探してんのか? ──なら、ちょうどいい。オレんとこに来いよ?」

「え…あんたんち?」

「あぁ。オレの家、宿屋やってんだ」

「マジ!?」

「しかも、今日は久々に大猟だったしな。運がいいぜ、あんたら」

 そう言うと、男性は後ろの籠に入っていた数羽の鳥やうさぎを、あたしたちに見せてくれた。

「うほっ! ひょっとして、それ…これから食うのか?」

「いや、これは晩メシだ。うまいぜぇ、オレの作る鍋は。──どうだ、来るか?」

「おぅ、もちろん!!」

「よぉーし! ──んじゃ、決まりだな」

 男性は籠を背負いなおすと、〝ついてきな〟 とばかりに顎をしゃくった。そのあとに続いたのは、ミュエリと、彼女に引っ張られたイオータとネオスだった。

「──よかったな、ルフェラ。これでゆっくり休めるぞ!」

 満面の笑みでそう言うと、ラディはあたしの肩をグイッと引き寄せた。

「ちょ…っと、ラディ…」

「…なんだ?」

「この手はなに?」

 あたしは、右肩にかかった手に視線を落とした。

「なにって…まだ危なっかしいから、シッカリ支えてやろうと──」

「あら、それはご親切にどうも。でも もう大丈夫よ。一人で歩けるから──」

「まぁまぁ、そう遠慮すんなって、な?」

 どけようとした手を上手くかわすと、更にグィッと力を入れた。

「あのね…これは遠慮じゃなくて、必要ないって言ってんの」

「冷てぇなぁ~。いいじゃねーか、自他共に認める、オレの彼女なんだからよ」

「なに言ってんのよ。認めてんのはラディだけ。〝他〟 はただの勘違いに決まってんでしょ。更に言うならね、肝心の 〝あたし〟 が認めてないの」

 村人である男性の口から 〝気にすることはない〟 と言われたからか、二人の会話を聞いてるうちに、気分が落ち着いて、いつもの調子が戻ってきたのだ。

「──分かった?」

 〝だから、この手を離して〟 と目で訴えれば、ふてくされながらも、渋々と手を離したのだった。

「──さっ。じゃぁ、置いて行かれないように行くわよ」

 そう言って、あたしは満足げに歩き出した。が──

「………っ!?」

「お…い…!?」

 一歩目が地面に着く前に、突然、後ろから誰かに押されてしまった。転びそうになったあたしを、瞬時にラディが支えてくれたからよかったものの、当然、そのあとにあるはずの 〝すみません〟 の一言が聞こえてこなかった為、キッと後ろを睨んだのだが……。

「……………?」

 ──そこには誰もいなかった。

「おい…大丈夫かよ、ルフェラ? また眩暈なのか…?」

「…え…? あ…ううん…そうじゃない…。今、後ろから──」

「後ろ…?」

 そう言ってラディも振り返るが、

「後ろがどうかしたのか…?」

 ──と、不思議な顔を向けた。

「…う、ううん…何でもない…。気のせい…かな…」

「おぃ、大丈夫かよ…?」

「う…ん。…ごめん、ありがと…」

「やっぱよぉー、ぜってぇ、おかしいって!」

「え…な、何が…? 別におかしくなんか…」

「いいや! ぜってぇ、おかしい!! 疲れがそーとーたまってる証拠だ。だから、色んな症状が出るんだぜ。─な、これで分かったろ? いくら自分で大丈夫だと思っても、体は正直なんだよ」

 〝おかしい〟 と言われ、あたしが恐れている 〝おかしさ〟 だと思いドキッとしたが、疲れからくる体調不良の事だと分かって、ホッとした。

「そ、そうね…。思ったより疲れてるのか…も…」

「──だろ? んじゃ、オレの言うことは素直に聞けよなっ?」

 そう言うと、有無を言わせずあたしの肩を──というよりは腕ごと──引き寄せてどんどんと歩き始めたのだった。

 これは、どんでん返しというのだろうか…。この状況では何を言ってもムダなわけで…今度はあたしの方が、渋々ながらこの状況を受け入れることになってしまったのだった…。



 宿に着いたのは、ちょうど お昼時だった。

 朝ごはんを食べずにいても、着いたら真っ先にお風呂に入るつもりでいたミュエリでさえ、その漂ってくる匂いには敵わなかった。

 出された食事はどれも美味しく、あっという間に全てを平らげてしまった。

 豪快な食べっぷりに驚いていた男性も、ここまでくると気持ちよくさえ感じたのか、

「こりゃ、作りがいがあるってもんだ。よし、晩メシは覚悟しとけよ?」

 ──と、楽しそうに挑戦状を突き付けて部屋から出て行ったほどだ。

 食事を終えると、ミュエリは早速 お風呂に向かった。ラディは、宿の裏手に川が流れていると聞き、久しぶりに魚釣りがしたくなったらしく、これまた一人で出掛けていった。もちろん、


 〝寂しいかもしんねーけど、ルフェラはここでゆっくり休んでろよ、いいな?〟


 ──と、強く言い残して…。

 部屋に残ったのは、あたしとネオスとイオータの三人だったが、イオータは横になると数分もしないうちに寝入ってしまった。聞けば、最後まで火の番をして明け方まで起きていた、とのことらしい。

 あたしは、部屋の隅に畳んで置いてあった布団を、そっとイオータに掛けてあげた。

「珍しくイビキかいてる…」

 眠りの浅いイオータにとって、イビキをかくほど熟睡するのは滅多にないことだった。

「寝不足っていうのはあると思うけど、僕たちと行動するようになって、緊張感が薄くなったのかもね」

「それって…あたし達が緊張感なさ過ぎってこと?」

「いや、そうじゃなくて…」

 ネオスはクスッと笑った。

「ほら、一人身だとさ、寝てる時も身を守る為に気を張らなきゃいけないけど、誰かと一緒ならその心配はないからさ」

「あぁ…そういう事ね…」

「そう、そういうこと。しかも、こうやって起きてる者がいるし…。でもまぁ、彼にしてみれば、僕たちはまだまだ ぬるいお湯に浸かってるのかも」

「そうね…。毎日の悩みの種って言えば、誰かさんと誰かさんが、どうでもいいことで言い合ってる事だけだもんね」

「その誰かさんは、今頃 一人で釣りを楽しんで、更に もう一人の誰かさんは、お風呂に浸かりながら満足な笑みを浮かべてるだろうしね」

「あは…ホントだわ。──そういえば、ネオスはいいの、お風呂?」

「あ、あぁ…。とりあえずミュエリが戻ってきてから入るよ」

「…そう」

 それがどういう意味か、あたしはすぐに理解した。

 お風呂はひとつでもなければ、一人用でもない。男性用も女性用もあるにもかかわらず、ミュエリが戻ってきてから入る理由はただひとつ。

 ──あたしを一人にさせない為だ。

 その優しさに、あたしの胸が小さく疼いた。

 心配してくれたり気遣ってくれたりするのは、とてもありがたいことだと思うし、同時に、申し訳ないとも思う。だけど、その気持ちを口にすることはできなかった。言ったところで、彼らが本当に聞きたいことは何一つ言えないし、そんな状況の時に 〝心配しないで〟 とか 〝大丈夫だから〟 と言われて、誰が心底 〝分かった〟 と言えるだろうか。しかも、その 〝言えない内容〟 が、あたしを不安にさせ、苦しませていると気付いてるなら尚更の事…。

 それに、全てを話せば心配しなくなるわけじゃない。イオータならまだしも、ネオスが知ったら、今以上に心配するのは目に見えているのだ。

 これ以上心配させたくないというのはもちろん、あたし自身、言えないことが分かっていながら、それに触れるようなことは避けたかった為、今はネオスの優しさに気付かないフリをすることにした。そして、何気に呟く…。

「夜になったりして…」

「え…?」

 一瞬、わけが分からなかったようだが、〝ミュエリがお風呂に入っている〟 という事実と、〝夜になるかも〟 という言葉を改めて考えれば、すぐに理解したようだった。

 そう、つまり、彼女のお風呂は長いのだ。

「…う~ん…あり得るかも」

 半分冗談の突っ込みに納得すると、あたしとネオスはクスッと肩を揺らした。

「──あ、そういえばさ?」

「うん…?」

「今日のイオータって、何かおかしくない…?」

 あたしで気付いてるなら、ネオスも気付いてるだろうと聞いてみれば、

「やっぱり…そう思うかい?」

 ──と、当然の答えが返ってきた。

「最初はさ…あたしが、〝ヤバイ人を見かけた〟 って言ったからかな…って思ってたんだけど…その割には、緊張感が強かったような気がするのよね。それに、ずっと何かに集中してたようで、話しかけても上の空ってことが多かったじゃない…?」

「あぁ。──でも、〝ヤバイ人がいる〟 って言ったのは、あまり関係ないかもしれないな」

「どういうこと…?」

「様子がおかしかったのは、それよりも前…つまり、起きた時にはもう、おかしかったんだよ」

「…そう…なの?」

「うん。珍しく驚いてたっていうか…動揺してたみたいだった」

「…動…揺…?」

 あのイオータが…?

 それは信じられない言葉だった。

 何があっても冷静沈着な彼が動揺…?

 まさか怖い夢を見たから…なんてことはないだろうし……。──ってか、あり得ないわよね…?

 いったい、何が彼を動揺させたのか……理解するどころか、想像さえつかない問題に、あたしはそれ以上の言葉を続ける事ができなかった。そして、ネオスも同じだったのだろう。

「とりあえず、本人に聞いてみるしかないかな…?」

 ──という言葉で、〝どちらが〟 というのは言わないまま、その話は締めくくられた。

 しばらくすると、疲れのせいか体のだるさを感じて──ラディの言葉どおり──あたしはその場で横になると、瞬く間に寝入ってしまった。

 ラディの時と同様、様子を見ながら聞いてみようかな…と、頭の片隅に入れたつもりだったが、その日の夜から起こった出来事に、すっかり忘れてしまうことになるのだった…。

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