1 知りたい気持ち ※
「ねぇ…今って何の月だったっけ…?」
不意に後ろから声が聞こえ振り向くと、ミュエリが歩きながらポカンと口を開け、空を見上げている所だった。
「〝実の月〟 よ」
さも当然のように答えたが、実はあたしも、昨日の夜に指折り数えて確認していたクチだったりする…。
「実の月かぁ…。どうりで、よねぇ」
「何が?」
「う~ん…まぁ…色々と実り始める季節なんだなぁ~っと思ってさぁ」
「そりゃ、実の月って言うくらいだからね、食べ物だって美味しいし──」
「そういう意味じゃないんだけどぉ…」
秋になると、色んなものが実り収穫される。故に、〝実の月〟 と言われるのだが、〝そういう意味じゃないんだけど〟 などと意味ありげな目を向けられては、意味が分からなくても反射的に眉を寄せてしまう。
「何よ…?」
「何って──」
「食い物以外に何があるってんだ」
言いかけた言葉を遮ったのはラディだった。
「──なぁ、ルフェラ?」
「別に…食べ物以外だって、あるにはあるでしょ?」
「そうよぉ、大事な事がねぇ~」
「沢山本を読んで知識を得るとか、練習を積んで技に磨きをかけるとかさ…」
本当に、〝食べ物以外には何もない〟 と思ってるラディに、当たり前の事を答え、更には 〝そういう事でしょ?〟 とミュエリに同意を求めたというのに、彼女から返ってきた言葉は──
「違うわよぉ、全然」
──というものだった。言葉にこそ出さないが、明らかに 〝何言ってるのよ?〟 という言葉がその表情に表れている。
「もっと大事なものがあるでしょぉ? 特に、今年のあなたには、ね」
──と、指を差したのはラディ。
「オレに!? なんだよそりゃ…?」
知識を得ることも、技に磨きをかけることも──ラディに限った事じゃないにしろ──大事なことだと思うんだけど…?
そう思い、あたしも理解ができぬとミュエリを見やれば、
「二人して、ホントやんなっちゃうわね…」
──と、呆れたように溜め息を付かれてしまった。
「あのなぁ…大体、説明が足らねーんだよ。お前のノーミソと同じでな」
「失礼ね! だったら、〝足りる〟 と自負する自分の頭で考えて、その足りない部分を補えばいいでしょ?」
「はぁ?」
「それができないからって、人の頭のせいにしないでよね。しかも、鈍感なルフェラならともかく、あなたが理解できないって事の方が問題よ。〝自分の頭が足りない〟 って認めるべきね」
「…んだと!?」
「ノークさんとトゥナスさん!」
「んあ!?」
ラディの反論など全く無視で、突然発せられたその名前に、彼はもちろんのこと、あたしやネオスたちまでもが、その場で立ち止まってしまった。
「あの二人を見てて何も気付かなかったわけ?」
「はぁ!? 何が言いてーんだよ、お前は…」
「好きあってるって事よ!」
「……………!」
「間違いないわ」
自信を持ってそう言うミュエリに、どう返せばいいのか分からないのは全員同じで、しばらくは皆 黙ってしまった。
どうしてその二人の話になるのか、はたまた、今までの話となんの繋がりがあるのか、あたしには全くもって分からない…。
それでも、分からないなりに話を繋げたのはラディだった。
「な…んでそんな事が分かんだよ?」
「ユイナさんが言ってたでしょ? ノークさんが絵をやめないのには、何か理由があるんだって、トゥナスさんが言ってたって」
「それが?」
「だからぁ、それだけトゥナスさんはノークさんのことを見てたってことよ。父親はもちろん、二人の妹だって、やめない理由が分からなかった。それを、トゥナスさんが 〝何かある〟 って察したのよ。その人を信じ、些細なことさえ見逃さないほど彼女はノークさんを見てたってこと。好きな人じゃなきゃ分からないわよ。それにノークさんも彼女の事を一番信頼してるみたいだし……。あの村を出る頃には、二人ともいい感じだったもの」
なるほど…。恐ろしいほどの観察力だわ。
──と納得するのは、あたしに限ったことじゃないわけで…ミュエリの説明に、先ほどまでのイライラを忘れ、感心すらするラディがここにいた…。
その説明はヨシとしても、分からないことはもうひとつある。
あたしはその説明を求めるべく、口を開いた。
「……で?」
「 〝で?〟 って何が?」
〝他に何か説明がいる?〟 とでも言うようなその口調に、今度はあたしの方が溜め息を付いてしまった。
「 〝何が?〟 じゃないでしょ? それが、〝実の月〟 の話とどういう関係があるのかって聞いてんのよ」
「やだ…まだ分からないの?」
「分かるわけないで──」
「恋も実る季節だってことさ、そうだろ?」
割って入ったのはイオータだった。
恋…?
そう心の中で繰り返すのと、ミュエリがイオータの言葉に飛びついたのはほぼ同時だった。
「そう、その通りよ! さすがイオータよね。ほんと、これだから鈍感な人って嫌なのよね~。説明するのが疲れちゃうわよ。しかも、当の本人が気付いてないんだものねぇ~」
「ちょ、ちょっと…当の本人って……まさか、あたしとラディのこと言ってんの!?」
「まさかも何も、他に誰がいるって言うのよ?」
「な…んで…そんな話に…」
「決まってるじゃない。あの村を出る頃から、二人の様子がおかしかったからよ」
「えぇ…!?」
「やぁね~、そんなにわざとらしく驚いちゃったりなんかしてぇ~」
「わ…わざと…?」
「気付かれないとでも思ったの?」
「気付かれないも何も…」
「何があったのよ?」
「え…?」
「とぼけてもむだよ。ちゃんと分かってるんだから」
「な、なにをよ…?」
「まだ付き合ってないにしても、二人の距離が縮まったってことは、このミュエリ様がお見通しなんだから。なにか、いい雰囲気になったのよねぇ、あなたたち二人って」
二人の距離が縮まった…?
なにか、いい雰囲気…?
それに理由があるとすれば、きっと、あの時の事だと思う。──というより、間違いないだろう。ラディが、自分の過去を話してくれた、あの時だ。
確かに、ラディに対するイメージは変わったし、普通に話せることが増えたのも事実…。だけど…だからって、恋の話になるほどのことではないはずだ。
「…それで、どうなのよ?」
「何がよ…?」
先走るその推測に、呆れ半分、ウンザリ半分で答えるも、ミュエリは気にもせず続ける。
「だから、何があったのかって聞いてるのよ?」
「別に、何もないわよ」
「またまたぁ。いいじゃないのよぉ、教えてくれたってぇ~」
「だから…教えるもなにも、ないものはないんだからしょうがないでしょ」
「そんなわけないって! 私の目に狂いはないんだから──」
「しっつこいわね! ないったらないの!」
「やぁね~、もう。そうやってムキになるところが怪しいのになぁ~」
「あのねぇ ────ッッ!!」
更に反論しようとしたその瞬間、目の前が真っ暗になった。
や…だ…また…!?
思わず目を押さえ、一瞬ふらつく。
「あ、おい? ルフェラ…?」
咄嗟に支えてくれたのはラディだった。
「どうした、大丈夫か?」
「…あ…うん…大丈夫…なんでも…ない…」
「気分悪ぃなら…」
「…大丈夫よ…ちょっと頭に血が上っただけだから…」
何度か瞬きをして、自分でも大丈夫だと確認しながらそう言うと、今度はラディの逆襲が始まった。
「──ったく、お前のせいだぞ、ミュエリ!」
「な、なによ…」
「お前がどうでもいいことで騒ぐからだな──」
「なん…ですって!? どうでもいいとは何よ、どうでもいいとは!?」
「どうでもいいことだろうがよ!?」
「信じられない…! あなたの恋が実りそうだっていう話をしてたのよ!? それがどうでもいい事ですって!? あなた、頭おかしくなったなんじゃないの!?」
「──んだとぉ!?」
「なによ──」
結局、相手が変わっても言い合いは続いていくもので…それが更にエスカレートしていくから困ったものだ…。
そりゃ…今までのラディからしたらおかしいわよね。あんなにバカの一つ覚えみたいに言ってた、好きとか嫌いとかいう 〝恋愛〟 の話で食いつかないんだもの。
それもこれも、ミュエリが求める 〝何か〟 の答えが、あの夜のことだから、余計 避けようとするんだろうけど、何にも知らないミュエリにとっちゃ、納得できないわよね…。
さて、どうしたものか…と不意に視線を泳がせた時だった。あたしはそれまで全く気付かなかった光景に驚かされたのだ。
「大体、お前はな──」
「は…はいはいはい! もういいから、ラディ!!」
これ以上ここで言い合いするのはマズイだろうと、燃え盛る炎に油を注がんとするラディを止めようとしたのだが──
「いいわけねーだろ!?」
「そうよ、いいわけないでしょ!?」
──と、二人に睨まれてしまった。
なん…なのよ…?
なんでこういう時だけ意見が一致するかなぁ、この二人は…。しかも、この状況はあまりにも恥ずかしいだろうと、止めようとしたっていうのによ…?
親切心がまるでバカみたいじゃない…と、溜め息しか出てこない。
「──じゃ、勝手にしたら? 悪いけど、あたしはこの舞台から降りるから。──じゃあね」
「…え…? ぶ…たい…?」
二人同時にその言葉を繰り返すや否や、あたしはネオスたちに声を掛け、さっさと人ごみを掻き分けその舞台を降りた。
──そうなのだ。
あたしとミュエリが言い合いを始めた直後から──立ち止まったというのもあるが──行き交う人が足を止めたのだ。故に、今では見せ物のように大勢の人に囲まれていた。
その現実にようやく気付いた二人。
「や…だ…ちょっと待ってよ…」
「な、なに見てんだよ!? オレらは見せもんじゃねぇぞ、こらぁ!」
慌てた様子の怒鳴り声とともに、ズサァ~と、人だかりが散っていくのを背中で感じた。
そんな中、スッと流れ込んだルーフィンの声。
『──ルフェラ』
『うん?』
『今日は早めに休んだらどうですか…?』
『どうして?』
『さっきの眩暈は──』
『あぁ、あれ? あれは…大丈夫よ。ほんと、頭に血が昇っただけだからさ…』
『でも、今日に限った事じゃないですよね?』
見透かしたような落ち着いた口調とその言葉に、一瞬 ドキッとした。
『…ま…ぁ…そうだけど……』
確かに、あの 〝眩暈〟 は今日に限った事ではなかった。
最初に起こったのはノークの村を出た翌日で、さっきと同様、言い合いの途中だった。一日に一度あるかないかの 〝眩暈〟 は、何かしら行動をしたあとに起こったため、それが原因だと思ったし、皆にもそう言っていたのだ。
ところが、何もしてない時でさえ目の前が真っ暗になる事があり、これはただの眩暈なんかじゃないと思い始めたのは、正直、昨日辺りからだった。
自分の目がどうかしたのか…というのはもちろん、もしかしたら、いつか光を失うのでは…という病的な不安が募り始める一方で、あって欲しくない非現実的な事…つまり、〝新たな力〟 に関係するのでは…という不安が頭をもたげてしまった。そうなると、病的な不安より、そっちの可能性のほうが大半を占めてしまい、今ではあまりその事に触れて欲しくないと思うようになっていたのだ。
だから、ただの眩暈じゃない…とは言えなかった。特に、ルーフィンには…。もし言って、その答えが非現実的な事だったら…と思うと、分からないままの方がまだマシだったからだ。
『ラディだって心配していますよ。最近、調子が悪いのではないか…と。だからこそ、さっきのようにミュエリを怒ったのです。疲れているなら、一度ゆっくり休んで、それでも調子が悪ければ、一度、病の先生に診てもらったほうが──』
『ほんとに…ほんとに大丈夫だって、ルーフィン』
あたしは、それ以上何も言わないでという思いを込めて、ルーフィンの言葉を遮った。
今はまだ、どちらの答えも欲しくない。病的な事なのか、そうでないのかも…。
『ルフェラ…』
『それに、さ……一日も早く、ラディの心を何とかしてあげたいっていう気持ちのほうが強いのよね…』
『…ラディの心? ──過去、ですか?』
『うん…。あたし…あれから現実の夢を見なくなったでしょ。それはラディのお陰だし、すごく感謝してる。そのラディが、本当はまだ、十年以上も前の過去に苦しんでるって分かったからさ……今度はあたしが何かできればと思って……』
『…ひょっとして、昨日 その話を…?』
『……うん』
あたしは、その時の会話をルーフィンに伝えるように、昨日の事を思い出し始めた。
夜中に目が覚めたあたしは、久々にルーフィンの所に行って話をした。
別に大した話ではなく、いつの間にか外が涼しくなったことに気付いて、〝そういえば、今は何の月だったっけ?〟 なんていう、取り留めのない普通の会話をしていたのだ。それで、指折り数えて 〝実の月〟 に入っている事を知ったのだが…。
ラディは、そんな普通の会話を楽しんでる最中に現れた。あたしを見た瞬間、ホッとしたような息が漏れたので、心配していたのだという事は分かり、すぐにルーフィンの元を離れたのだった。
「ひょっとして…迎えに来てくれたの?」
珍しく無言で家の中に入ろうとするラディに、そう声をかけると、戸口にかけていた手が、ふと止まった。
「…ね、寝る前に水飲みすぎちまったからな……せーり現象だ、せーり現象」
「そう…わざわざ外に?」
明らかにウソだと分かる答えにそう突っ込むと、慌てたようにこっちを振り向き、キョロキョロと辺りを見渡した。
「あ…た、たまには外でするのもいいもんだぜ? こう…なんつーのかな…開放感があっていいっていうかよ……」
「…あ、そう…」
「まぁ…女には分かんねーだろーなぁ、この感覚は」
「……よかったわね、男に生まれてきて」
外に出てきた理由がウソであれ、開放感が云々…という話は本当だろう。月明かりに見えるラディの顔を見れば、一目瞭然だ。
あたしは、呆れたように小さく笑った。
「な、なんだよ…その笑いは…?」
「別に…。ただ…ほんとに男でよかった…って顔してるからさ…」
「あったりめーだろ? なんてったって、お前がいるんだからな!」
「な、なによそれ…?」
「決まってんだろー? オレが女だったらお前と結婚できねーじゃねーか」
〝そうだろ?〟 と付け足すラディに、なんと返せばいいものやら…。
とりあえず、〝生理現象〟 という用事は済んだわけだし…ここは軽く聞き流しておこう。
そう思い、
「さ、もう寝るわよ?」
──と戸口に手をかけたのだが…。
「…ま、また……」
「え…?」
言いにくそうに、けれど、一番聞きたかったであろう、その言葉を静かに吐き出した。しかも、あたしに背を向けたまた…。
「また…見たのか、うなされる夢…?」
らしくないほど真剣な口調は、どれだけ心配していたかがよく伝わってくる。
「……ねぇ?」
「…あぁ…?」
「ちょっと…話さない?」
「……………」
あたしは家に入るのをやめて、近くの大きな木に向かって歩き出した。静かについてくるラディの足音を聞きながら、さっきの質問の答えを口にする。
「見ないのよね、あれから」
「あ…?」
「ラディが自分の過去を話してくれた、あの夜から…。パッタリと見なくなったのよ、あの夢」
「え…? そうなのか…?」
「うん」
「一度も…?」
あたしは、ゆっくりと頷いた。
「…今日は…?」
「もちろん、今日もよ」
「じゃ…なんでルーフィンの所にいたんだよ?」
「それは別に…たまたま目が覚めたからよ。寝不足だったらまたすぐに眠れちゃうんだろうけど、最近はよく眠れてたからね。だから、ちょっと話し相手に──」
──とそこまで言ってハッとした。が、それこそ、その言葉は彼の耳を綺麗にスルーしたようだ。
「なんだ…そうだったのか…」
「う、うん…」
その言葉に嘘はないと悟ったのか、ラディは分かりやすいくらいホッとした。けれど、彼同様あたしも、〝話し相手〟 の事で突っ込まれなかったことに、心底ホッとしていたのだった。故に、そのあとに続いた 〝はは…そうだよな…ネオスもぐっすり寝てたもんな…〟 という、独り言にも似た彼の言葉には、正直、何の疑問も持たなかった。
「…ありがとね、ラディ」
あたしは、木の根元に座って、改めてお礼を言った。
「……な、なにがだよ?」
「あたしの気持ちが分かるって言ってくれてさ…」
「あ…ぁ…まぁ、オレに出来ることっつったら、それくらいしかなかったからな…」
「ううん、十分よ。ほんと…自分の気持ちを分かってくれる人がいるって分かって、どれだけ救われたか……。夢を見なくなったのもラディのおかげだし…ほんと、感謝してる」
「そ…そうか…? なんか改めて言われると…腹ん中くすぐってぇな…」
初めてともいえる、こんな 素で照れるラディを見ていると、ほのぼのとした笑みがこぼれてきた。けれど同時に、彼の過去が思い出される。
あたしの気持ちが分かるということは、ラディも同じような思いをしたということだ。例え誰もが、彼に責任はないと言っても、本人が、妹を死なせたのが自分のせいだと思っている以上、その十字架を下ろすことはできない。
あたしも、同じ苦しみを共有する事で、〝現実の夢〟 を見なくなるほど心は救われたものの、やっぱり、背負った十字架をおろす事はできないでいるのだ。ただ少し違うのは、あたしの答えは未来にあるという事だろう。シニアを殺めてしまった十字架を下ろせるのは、未来のあの村次第だからだ。だからこそ、あたしはまだ、前を向いていられるのかもしれない…。
だとしたら、なんとかしたいと思う。
できるかどうか分からないし、偉そうな事を言ってると自分でも思うけど、なんとか、ラディを過去の苦しみから救ってあげたいと思うのだ。
だから思わず、あの時の会話を繰り返していた。
「…やっぱり…失くしたいと思う、あの記憶…?」
その言葉に、ラディの顔が一瞬にして曇った。
「…あ…ごめん…。自分のこと棚にあげて、勝手なこと聞いてるっていうのは十分 わかってるのよ…。でも…どうしても気になってさ…」
「……………」
「…まぁ…記憶を失くしたいって言われても…あたしにはどうしようもないんだけどね…。ただ……」
あたしは、そのあとに続けようとした言葉を一瞬 飲み込んだ。
「………? ただ…なんだよ?」
「…う…ん…その……あたし、やっぱり ラディを救ってないと思うからさ……」
「……………!」
「あの時、ラディがあたしに救われた…って言ってくれたけど…だとしたら、十年以上も前の事で、こんなに苦しんでないはずだものね…」
「い、いや…だからそれはよ──」
「いいのよ、ラディ」
「ルフェラ…?」
「それが事実なの。あたしがしたことは、ただの一時的な救いに過ぎなかった。日を追うごとにそれがよく分かってきたのよ」
「け、けどな! オレはあの時…ほんとにお前に救われたんだぜ! お前に会わなかったら…お前に ああ言ってもらわなかったら、今こうして生きてなかったんだぞ! だから──」
「分かってる。分かってるって、ラディ! 覚えてないにしろ…あたしの言葉で今のラディがあるなら、あたしはその時のラディを救ったって言えるわ。たださっきも言ったように、それは一時的な救いだったのよ」
「べ、別にそれでいいじゃねーか。お前はオレを救ってくれた。それで十分だろ。余計なこと考えなくて──」
「十分じゃないわよ…」
「…な…に…?」
「あたしを傷付けまいと、そう言ってくれてるのも分かってる。だけどあたしは……あんたの為に何かできたら…って思ってんの!」
「…ル…フェラ…?」
「あたしの気持ちが分かるって言ってくれたから…あたしは救われた…。一時的とはいえ、あの時のラディにとっては、あたしの言葉が必要だった。それと同じように、数日前のあたしにも、その言葉が必要だったのよ。一時的な救いだと気付いて落ち込むよりずっとね」
「……………!」
「…だから今度は、ラディの為に何かできたら……何かしたいって思うんじゃない!」
「……………」
「…何にもできないかもしれないけどさ……ラディの…今の気持ちが知りたいのよ……」
なんて勝手な事を言ってるんだろうと、自分でも思う。
うなされる夢がシニアの一件だと気付いてるとはいえ、あたしはラディたちに何も話してないんだもの。
あたしがラディの為に何かしたいと思うのと同じくらい、彼らもまた、あたしの為に何かしたいと思ってくれている。だからこそ何度か、〝何があったのか…〟 〝何に苦しんでるのか…〟 が知りたくて聞いてきたのだ。けれど、深くは追求してこなかった。それは、あたしの気持ちを考えてくれたからで……そんな彼らに対してあたしは、自分のことを話すどころか、〝何かしたい〟 〝今の気持ちが知りたい〟 なんて言ってるんだものね…。〝ふざけんなよ!?〟 って怒鳴られたっておかしくないくらいなのだ…。
だけど…だけどね、ラディ…。
うなされる夢の原因がまだ他にあるとしても、人ひとりを死なせてしまった罪の重さに苦しんでるあたしの気持ちを、あんたは救ってくれた…。気持ちが分かると言ってくれて、本当に嬉しかったのよ。原因の大部分を占めていたから、その日以来、〝現実の夢〟 も見なくなったんだもの…。だから、〝ふざけんな〟 って怒鳴られてもいい。あたしは、あんたの為に何かしたいって思うの…。
自分でも不思議なくらい、心からそう思った。
ラディの為に何かしたい…と。
そう、ラディの為に……。
何度も、そう心の中で繰り返すうちに、あたしはふとした疑問が脳裏を掠めた。それは、ものすごく嫌な感覚だった。
〝ラディの…為…?〟
その瞬間、ルーフィンの言葉が鮮明に蘇ってきた。
〝誰かを助けることで、自分が背負った罪が軽くなるわけじゃありません。でも、〝償い〟 をしていると思えることで、心は安らかになるはずです。あなたはその 〝安らぎ〟 を、あるいは 〝救い〟 を心のどこかで求めていたはず…違いますか?〟
〝違いますか?〟
〝違いますか?〟
〝違いますか?〟
頭の中で何度も繰り返される最後の言葉に、〝ラディの為〟 だと思っていた自分の気持ちが大きく揺らいだ。
〝違う〟 と言い切れない自分がそこにいて、途端に自分の身勝手さが重く心にのしかかってきたのだ。ラディに対してひどい事を言ってると思うと同時に、自分自身に腹が立ってくる…。
もう、やめよう…。この話はもうやめにしよう…。
自分の為かもしれないと思ったら、これ以上は何も聞けない…。
そう思い、謝ろうと口を開きかけた時だった──
「…分かんねーんだよな…」
あたしより一瞬だけ早かったその言葉は、怒りどころか、溜め息混じりで 寂しささえ感じられた。
「ちょっと前までは、この記憶がなかったらどんだけラクか…って思ってたけどよ…ラミールの事があってから分かんなくなっちまった…」
「……それは…思い出してよかった、って思うから?」
「…まぁな。オレが失くしたいと思った記憶には、ラミールのような隠された真実はねーからなぁ…」
「…隠…された…?」
「父親だと思ってたヤツが実は叔父で…でもその叔父は実の父親以上にラミールを愛してた事とか……二人が苦しんでたのは、お互いを想っての事だったとかよ……」
「…あぁ…そうね…」
「忘れた記憶の中身は、思い出さなきゃよかった…って思うのが殆どかもしんねぇけど、ラミールのような真実なら、思い出してよかったって思えるし、思い出すべきだ…って思ったんだ。それに…」
ラディは大きく息を吸い込んだ。
「母親の言葉が聞けたからな。あれでみんな救われただろ…?」
「……うん」
「だから、思い出してよかったって思えんだ。けどオレは……オレが記憶を失くしたとしても、思い出してよかったって思えるような真実はねーからよ…。だったら、失くした方がラクになれんじゃねーか…って思うんだけど……。やっぱなぁ…ラミールの笑顔を見たら、それでいいのか…って考えちまった…」
「……………」
「…それに…よくよく考えたら、〝ラクになれる〟 って思う事が卑怯なんだってことに気付いたんだ…。人を死なせておいて自分だけラクになろうなんてな…」
〝酷いだろ?〟 とでも言うかのような、そんな口調…。
「…ラディ…」
それはラディに限った事じゃない…。
あたしにとっても同じ事なのよ…。
「ただ…最近、分かった事があんだ」
「…な…に…?」
「…あいつの気持ち……オレは、タフィーの気持ちが知りたいんだな…って」
「…タフィー…? それって妹さんの…?」
「あぁ、あいつの名前だ…。── 自分が死んだのは、オレが釣りに行っちまったからだ…とか、助けを呼んでも来てくれなかったとか…そう思ってんのかな…ってな。恨まれてるなら恨まれてるで それでもいいからよ…もう一度、あいつと話がしてぇ…あいつに会って謝りてぇ…って そう思うんだ…。あいつの…今の気持ちが知りてぇ…ってな……」
「……………」
「まっ…オレが死なねー限り無理な話なんだけどな…」
冗談っぽく終わろうとしたのだろう。〝はは…〟 と笑ったものの、その笑い声はとても力なかった。
死者の気持ちが知りたい…か…。
忘れたい記憶だけを失くすっていうのも無理だけど、ラディが望むそれも、また無理なことだ…。だけど、記憶を失くしたいと思うよりはずっと前向きだと思うし、死なせてしまった人の気持ちを……ううん、それだけじゃない……死んでしまった人の気持ちを知りたいと思うのは、きっと自然なことなんだと思う。
だからって、あたしにしてあげれることじゃないんだけど…。
どう言っていいか分からず黙っていると、急にラディの口調が変わった。
「あぁ~ そういえばよ、オレを救ってくれる方法なら他にもあるぜ?」
「…な…に?」
「すんげー簡単なのに、効果バツグンなこと!」
「簡単で、効果バツグン…?」
今までとは打って変わった軽いノリに、意味も分からず繰り返すと、
「そっ! ──んでもって、お前にしかできねーことさ」
──と、最後には 〝♪〟 が付きそうなラディの笑みに、なんだかすごく嫌な予感がした…。このあとの展開は大抵予想がつく…。
「もう、分かんだろ?」
「え…? あ…えっと……」
計算もなくズイズイと身を乗り出すラディに対し、あたしは磁石が反発するように距離をとろうと後ずさりしていった。次に来るその瞬間に備えて、すぐ逃げれるようにとタイミングを見計らっていたのだ。が、しかし──
「うぉー! 残念!! 時間切れだー!!」
「え……時間…?」
「──ってことで、答えは!!」
──と言ったかと思うと、〝え…?〟 っと思う間もなく抱きつかれてしまった…。
し…しまった……。
今までのようにすぐに抱きついてくるなら避け切れたけど、〝残念!!〟 なんて叫ばれたら、一瞬 動きも止まるわよ…。
「へっへーん♪ やっとつかまえたぜ、ルーフェラ♪」
「ちょ…っと、ラディ──」
「オレと付き合うのさ、な?」
「 〝な?〟 じゃないわよ…」
「いいだろー? オレの為ならそれが一番なんだからよ」
「何言ってんのよ、もう…。ふざけんのも──」
〝いい加減にしてよね〟 と続けようとしたのだが…。
「ふざけてなんかないさ」
え…?
ドキッとするくらい真剣な口調に変わった。耳元で、しかも顔が見えてないから尚更ドキドキする…。
「何度も言ってんだろ? オレはお前が好きだってよ…」
「…だ、だってそれは…」
「お前の為にも…誰か特別な存在がいたほうがいいだろ…?」
「え…?」
「…そしたら何でも喋れるだろーが…」
「────!!」
その言葉に、一瞬 息が止まった…。
変化球の多いイオータやネオスが言うなら驚かないが、まさか、直球しか投げないラディがこんな風に言うなんて…。だからこそ、余計 胸にグッと来る…。
「…あ…ぁ…ラ、ディ……ぁ……」
なんて言えばいいか分からず言葉に詰まっていると、あたしを抱きしめていた腕がフッと緩んだ。と、思った次の瞬間──
「──なんてな」
え…?
「オレの為に決まってんだろぉー」
腕だけ掴み、グイッとその胸から離されて見えたのは、いつもと同じ 〝ニッ〟 と笑った顔だった。それこそ分けが分からなかったが、その口調もその声も…そしてあたしを見るその瞳も、いつものラディに戻っていて、いつもなら湧き上がる怒りも、ホッとした気持ちのほうが強くて、笑みさえこぼれてきそうになった。
「まったく あんたって──あ、れ…ネオス?」
「な、なに…!?」
スッとラディの後ろに視線をやれば、驚いたように手を離し、体ごと後ろを振り返った。
まるで、格闘でもするかのような構えぶりに思わず噴き出しそうになる。それでも何とか堪えると、さっさと彼の横を通り過ぎ、
「──なんてね」
──と、得意げに 〝ニッ〟 と笑って見せたら、一瞬にしてそれがウソだと理解した。
「ルフェラ…お前──」
「じゃ、お休み~」
あたしは、軽く手を振ると、悔しがるラディを背に、余裕で家の中に入っていったのだった。
『なるほど…それがラディの本音ですか…』
『うん…』
この時、ルーフィンの言った 〝ラディの本音〟 がどちらなのか…あたしは敢えて聞かなかった。
妹の気持ちを知りたいという事か、それとも 〝特別な存在がいれば…〟 と言ったあの言葉なのか…もしくは、その両方なのか…。特に、〝特別な…〟 という件に関しては、突っ込まれたくなかったからだ。
『ラディの願いを叶えるのは無理だけどさ…それでも、何かできればな…って…』
『そうですね…。自分の為になる事が、同時に人の為にもなる事ならば、何も躊躇う事はないですからね』
それは、ラディとの会話で気付いたあたしの気持ちに、救いの手を伸ばしてくれたものだった。
『…ありがと、ルーフィン…』
『いえ…。──また、一緒に考えましょう、ルフェラ』
『うん』
あたしは心の中でそう言うと、下を向き、ルーフィンに笑顔を見せたのだった──