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女神伝説  作者: Sugary
第四章
57/127

13 死の事実と救いの手 ※

 ラミールの一件で、あたしの心が僅かに 〝救われた〟 のか、今朝は現実の夢を見ることなく昼まで眠ってしまっていた。

 昼食後、なんとなく過ごしていると、ノークさんに足を診てもらったラミールとバダルが、わざわざ昨日のお礼を言いに寄って来てくれた。一時的だが、彼らの笑顔であたしの心は更に晴れやかとなり、天気がいいのも重なって、そのままルーフィンを連れて、川辺へと散歩に出かけたのだった。


『…そう…でしたか…あの人たちに、そんな辛い過去が…』

 昨日あったことを全て話し終えると、最後まで黙って聞いていたルーフィンが想像以上の出来事に驚き、そう呟いた。

 あたしはこぼれてくる涙を拭いながら、小さく何度か頷いた。

 きっと、何度話しても、何度思い出しても涙は溢れてくるのだろう…。

「相手を思いやる気持ちが、逆に相手を苦しめてたなんてね…」

『ええ…皮肉なものです。──でも、もう大丈夫ですよ。あなたの言葉で二人は救われましたから。よくやりましたね、ルフェラ』

 お褒めの言葉に、あたしは苦笑いした。

「本当のこと言うとさ…あまりにも必死で、自分が何言ったのかよく覚えてないんだけどね…。ただ、どうしても救いたかったのよ。自分のためっていうのもあっただろうし、目の前で苦しんでる人を助けたいっていうのもあっただろうけど、一番強く思ったのは、二人には幸せになって欲しい…ううん、幸せにならなきゃいけないんだってことだったの。だって、あんなにお互いのことを思いやって、それで苦しんでたんだもの。このまま人生終わらせたら、不公平でしょ? ラミールは何にも悪くないし、バダルさんだって、そりゃ包丁で傷付けはしたけど、厳密に言えば誰も殺めてない。傷付けた事を償うなら、もう十分っていうほど苦しんだわ。だから、絶対に最悪の結果にしたくなかったのよ…」

『その気持ちは、あなたがラミールの記憶に共鳴したから、特に強くなったのでしょうね』

「……共…鳴…?」

 初めて聞く言葉に繰り返せば、ルーフィンがその説明を始めた。

『人に触れた時、その人の強い想いや感情、痛みや苦しみなどが、同じように伝わってくる事ですよ。あなたの感覚が鋭くなればなるほど、人に触れなくても伝わってくるようになるでしょうけど、同時に、伝わらないようコントロールする事もできてきます。今回は、ラミールに触れたとき、その記憶に共鳴し、同じ記憶を見る事ができたのです。単に話を聞くだけだったり、何かを見るだけでは伝わってこないような深い部分……つまり、心の中までもが同じように感じられたのです。だからこそ、相手の苦しみや痛みが、まるで自分が経験するかのように伝わってきて、〝こうしてあげたい〟 という思いが強くなったのでしょう』

 あたしは、その説明に嫌な感覚を覚えた。

「…ルー…フィン…?」

『はい?』

「それって…よくあることなの…? 誰もが…ってほどじゃなくても、正夢や飛影を見る人が他にもいるように、その…共鳴とかいうのも…珍しい事じゃないの…?」

 恐る恐る尋ねてみれば、嫌な感覚は的中した。

『いいえ。正夢や飛影のように一般的なことではなく、力のひとつですよ。限られた人だけが持つ特別な力です』

 特別な…力……また、特別な力なの…?

 予知夢も限られた者だけ…特別な者だけが見るってイオータが言ってた…。

 ばば様もあたしを特別だと言ったわ。でも、未だに分からない…。分からないまま、どんどん、〝特別な事〟 が増えていく…。

 あたしは一体──

『ルフェラ──』

「…何者なの…?」

 気付けば、そう呟いていた。でも、一度口にすると聞かずにはいられなくなり、同じ言葉を繰り返した。

「あたしは…誰なの、ルーフィン? 一体、何者なの…?」

『ルフェラ…』

「ばば様にも特別だって言われたのよ…。死を予知する光もそう、予知夢も、今回の共鳴とかいうのも、特別な力…。あたしには分からないわ…。普通の人と同じじゃないの? ねぇ、あたしは何が特別なの!?」

『ルフェラ…それは……』

「こんなこと…誰にも聞けやしない…。死を予知する光はもちろん、妖精のことも人に言っちゃいけない…って言ったものね。だったらルーフィンに聞くしかないじゃない。でも、ルーフィンも、ちゃんと答えてくれなかったでしょ…? 何が特別なのか…自分自身が分からないまま、どんどん 〝特別な事〟 が増えていって…あたし…どうしていいか……」

『すみません…ルフェラ、苦しめてしまって…。でも、今はまだ言う時期じゃないのです…。どうか、お許しください』

 ルーフィン…。

 それは、とても申し訳ないという気持ちが伝わってくるものだった。

『ただ、あの時は誰があなたと共に行動するか…それがハッキリとしなかったので、誰にも言わないように…と言ってしまいました。でも今なら、行動を共にするネオスたちがいます。あなたが欲しい回答はないでしょうけど、いろんなことを話してみてください。きっと、今よりは心が軽くなると思いますよ』

「……………」

 なぜだろう…。

 言ってもいい…そう言われてホッとするはずなのに、なぜか、そういう気持ちにはなれなかった…。

『ルフェラ…?』

「…え…? あ…うん…」

 言いたくても言えない…。発端がルーフィンの言葉だったとはいえ、その気持ちは、あたしがネオスやラディたちに持っていたものと同じだろう。

 それに、あたしを苦しめたくはないけど、そういう時期じゃない…だから許してほしい…と言われれば、これ以上、追求できるはずもなく…結局、〝そうね〟 と続けるしかなかったのだった。

 胸の中に残ったモヤモヤは、今の段階ではこれ以上どうしようもなく、とりあえず、しなきゃいけない事がまだ残っているため、そっちの方へ頭を切り替えることにした。

「──あと残ってるのは、テイトのことね…」

 数百メートル川を下ったところにある橋の上では、テイトの為に花を手向ける人が大勢いた。

 亡くなって三日目。お葬式の日だから余計なのだろう。

「…テイトの心には闇があった…ノークさんはそう言ってたわ。それに、自分に助けを求めていた…ともね。ということは、自ら川に身を投げたって考える方が自然よね?」

『ええ。でも…聞くところによると、彼の履物は橋の上にもなかったそうじゃないですか?』

「そう…なのよね…」

 村の人の噂や、何かを見たと言う人の話は色々と耳に入ってくる。その中の情報によると、落ちたとされる橋の上に履物はなく、彼が発見された、更に下流の方で片方の履物が見つかったらしいのだ。故に、身を投げたという考えは否定され、落ちた場所が特定されないものの、生前に目撃されていたテイトの行動から、橋の上からだろう…という結論に至ったのだった。

「身を投げる人が、絶対に裸足になるかっていったら、そうも言い切れないけど…だからって、誰かに殺される可能性はもっと低いでしょ…?」

『そうですね。せめて、闇が何なのか分かれば、どちらかの推測は立てられるでしょうけど…』

「…心の闇…か…」

 聞けるものなら直接本人に聞いてみたい。

 いったい何があったのか…。

 何を抱え込んでいたのか…。

 せめて生きていたら…そう思わずにはいられなかった。だけど同時に、その仮定には意味がないと悟った。あの子が、もうこの世にいないという現実はもちろんだが、いたとしても、〝話せなくなった〟 って言ってたし、聞いても答えてくれないから、ノークさんは描いた絵で知るしかなかったんだものね…。

「…どうすればいいのかな…あたし…」

 真実はちゃんと見つけてみせる…そう、心に誓ったのに…事故だったという結論を覆すものが何ひとつない…。

 考えてみれば、一番近くにいる両親でさえ、事故という結論に疑問を抱かないのよ?

 それはつまり、自ら命を絶つ理由がなかったってことじゃないの?

 だとしたら、あの光はあたしの見間違いってこと…?

 あぁ…でも…!

 それじゃあ、ノークさんが言う 〝心の闇〟 も否定する事になるわ…。

 どうしていいか分からず溜め息を付けば、心の中の考えを聞いていたルーフィンがその迷いを断ち切るようにキッパリと言い切った。

『私は、あなたが見た光を信じています』

「ルーフィン…」

『どちらにせよ、心の闇と死の真実を明らかにしないと、テイトの魂はあの川の中に沈んだままです』

 この時の 〝どちらにせよ〟 というのは、事故かそうでないかという事ではなく、自ら命を絶ったか、もしくは誰かに殺されたか…という意味であることは、あたしの見た光を信じると言ったことで理解した。

 ──とはいえ、一番肝心なことは分からずじまいなわけで……ただただ、花を手向けに橋を訪れる人たちを、遠くの方から黙って眺めるしかなかった。そして、亡くなった人の魂を黄泉の国へ送り出すという 〝送り火の参列〟 が始まる頃、宿に帰りついたのだった。

 村人の死を悼んでか、その夜は全体的に静かだったが、いつもと違うのはそれくらいで、ある意味、あたし達は平穏な時間を過ごしていた。

 その平穏な時間が崩れたのは、真夜中 ──それも、あたしにだけだった。



 みんなと同じように眠りについたあたしは、その いつもと違う感覚に目が覚めた。いや、目が覚めた時の感覚が、いつもと違ったのかもしれない。

 自然に目が覚めるとか、起きようと思って起きたのではなく、何かに意識を捉まれた感じだったのだ。ほぼ強制的に起こされ、それでも、そのまましばらく放って置かれたら、すぐまた眠りに落ちてしまっただろう。けれど次の瞬間、窓の外で動くものを目にして、ハッとした。

 銀色に輝く光の粒が空から降っていたのに驚いたのはもちろん、それが開け放された窓から入ってきたのだ…!

 途端に思い出された現実の夢に、あたしの背中が凍りついた。

 あ…ぁ…やだ……逃げなきゃ……!

 少なくとも、あれに触れちゃいけない……そう思い体を起こそうとしたのだが──これで何度目だろう──また、体が動かなかったのだ…。

 重くて動かないんじゃない。そこに貼り付けられたかのように、ビクともしないのだ。

 ど…うして……どうしてよ……!?

 自分の体に迫ってくる光の粒を横目で追いながら、あたしの心は焦る一方だった。恐怖で冷や汗さえ滲んでくる。

 あぁ……ミュエリ…お願いよ、起きて…!!

 隣で寝ているミュエリに助けを求めたが、なぜか声にもならなかった。

 どうして──!?

 このままだとまた、あたしじゃない 〝あたし〟 が出てくる…!

 そうなったら何が起きるか──

 あまりの恐怖に泣きそうになった時だった。ようやく、僅かに体が動いた。

 もっとよ…もっと動いて──!!

 心の中で祈るように叫び、窓から離れようと思い切り力を入れれば、更に大きく体が動いた。

 〝これで助かる…!?〟

 ──そう思ったものの、それはほんの一瞬だった。

 次の瞬間には、自分の体の異変にゾッとした。

 あ…あたしじゃ…ない…!?

 ううん、あたしはあたしだけど…あたしの意思とは無関係に体が動くのだ…!

 近付きたくない…!

 触れたくない…!

 その思いとは裏腹に、体は勝手に動き、窓へと近付いていったのだ。

 あ…あぁ…やだ……もう…遅かったんだわ…!!

 自分じゃない自分が動き出したのだ。

 シニアと会った時のように…!!

 体に月の光を浴びたもう一人の 〝あたし〟 は、恐怖におののくあたしとは全く違い、とても冷静な心でそれを見ていた。

 何を考え、何をしようとしているのか…それは分からなくても──シニアの時と同様──怖いくらいに落ち着いている心は、なぜか分かるのだった。

 ほんのしばらく外を眺めたあと、もう一人の 〝あたし〟 は静かに窓を離れた。

 瞬時に、部屋を出て行こうとするのが分かり、慌てて周りを見渡す。

 何でもいい…物を落としたり倒したりして音を立てようと思ったのだ。そうすれば、必ず誰かが気付いて止めてくれる。特に戦術に長けたイオータなら、何かに躓いただけでも気付いてくれるはずだ…!

 そんな確信とも願いとも言える思いで、部屋を出て行く僅かな時間に音を立てようとしたのだが……まるで、あたしの意思が伝わらない。

 閉ざされたガラスの部屋に入れられ、思いだけが空回りする中、知らない 〝あたし〟 がする事を見てるしかない…そんな感覚なのだ…。

 いったい…何がどうなってこんな事に……?

 もし何かあっても、自分ではどうしようもできない状況に、不安ばかりが募っていく…。

 別の意思を持った 〝あたし〟 は──そんな気持ちを知ってか知らずか──部屋を振り返ることなく出て行くと、階段を下り、宿の外へと出て行った。

 雪のように降る月の光は、村全体ではなくあたしのところだけだった。全ての月の光があたしに向かって注がれてくる。ひとつ、またひとつと体に降り積もるたび、〝あたし〟 は何か強い力に満たされていくように感じ、それは同時に、あたしを閉じ込めるガラスの層が厚くなっていくようにも思えた。

 〝あたし〟 は、目的があるかのように夜の道を歩き続けていた。その道のりがある場所を予測させる。

 もしかして…川……?

 それは散歩でルーフィンと一緒に歩いた道……ラミールのあとを追った道だった。

 そうしてこんな時間に川へ…?

 とても普通の疑問だったのに、ふと頭をよぎった事が 〝まさか…!?〟 の事で、あたしの心の臓は一瞬、止まりそうになった。

 まさか…あたしが…テイトを…?

 知らぬ間に、あたしじゃない 〝あたし〟 が出てきてテイトを橋から突き落としたっていうんじゃ──!?

 シニアの時──赤守球を奪う時──と重なり、〝まさか、今度こそ自分が…?〟 という最悪な推測を立ててしまったのだ。

 けれど、すぐに否定した。──ううん、否定せずにはいられなかった。

 そんなはずない…そんなはずないわよ…! だって……〝あたし〟 になっても、今のように意識はちゃんとあるもの…。シニアの時だって、コントロールはできなかったけど、ちゃんとあたしの意識はあったし…全て覚えてたじゃない…! そうでしょ!? それに…それに──

 あたしは、〝そうじゃない〟 という理由を出来うる限り考えた。

 こんなこと、人に言えば呆れられるかもしれない。自分じゃない 〝自分〟 が出てくるのを百歩譲って認めたとしても、夜に出歩いただけで 〝まさか自分が…?〟 と疑うなんて…。

 〝直結しすぎだ〟 と、イオータなら言うかもしれない…。でも、前例があって、コントロールできないという事実がある以上、その不安は付きまとう。だから、そうじゃないという理由が欲しかったのだ。

 そうじゃないという理由が──

 再びそう心の中で呟いて、〝理由〟 という言葉にふと気付いた。

 そう…よ…理由がないわ……あたしにはテイトを殺めるという理由──つまり、動機がないじゃない…!

 不安で一杯になるあたしの心が、たったそれだけの事で、落ち着きを取り戻し始めた。そんな時、〝あたし〟 の足が止まった。

 目に映るその場所は、テイトが落ちたとされる橋の上、ちょうど真ん中あたりだった。

 〝あたし〟 はその場に座り込むと、川を覗き込んだ。あんなに月は明るく、降ってくる月の光は輝いているのに、流れる水面は黒くて何も見えない。すると、〝あたし〟 は降ってくる月の光を受け止めるように両手を前に差し出した。

 なにを…する気…?

 わけが分からず、ただただ 〝あたし〟 がする事を黙ってみていると、以前、イオータがした時と同じように、手の中にたまった光の粒を川に向かって吹いたのだった。

 ────!!

 途端に飛び散る月の光。それは 〝あたし〟 の目線の高さで水平に、且つ一枚の幕のように広がった。その広がった月の光と水面の間は、まるで昼間のように明るく、剣術の練習をした時と同じ現象だと確信させられるものだった。

 そして再び水面を覗き込めば、そこにあたしの顔が映り込む。水の流れで歪んではいるものの、どこか、あたしの顔とは違う…というのは分かった。感情があるようなないような…全てを悟り見透かすような目は、自信に満ち溢れているようにも見える。

 シニアから赤守球を奪った時、あたしはこんな顔をしてたのだろうか…。

 ふと、そんな事が頭をよぎった。だけど、それ以上なにかを考える余裕は与えられなかった。

 〝あたし〟 は、テイトがそうしたであろう水面に手を伸ばし始めたのだ。当然の事ながら、映りこんだ 〝あたし〟 も手を伸ばす。

 何をしようとしているのかまったく分からず、かといってどうする事もできないでいると、次に起きた現象に、我が目を疑った。

 テ…イト──!?

 水面に映っていたはずの 〝あたし〟 の顔が、スッ…とテイトの顔に変わったのだ…!

 そして、水面に映っていた手までもが幼い子供の手に変わり、橋の上から伸ばしていた 〝あたし〟 の手をつかまえた──

 ま…さか…引きずりこまれる…!?

 咄嗟に橋を掴んでいた手に力を込め、その手を引けば──あんなに自分の意思が伝わらなかったのに──なぜか、その時だけは思うように動いた。

 けれど、そう思ったのはほんの一瞬。単に、あたしと 〝あたし〟 のする事が同じだったと気付いたのは、その直後だった。

 〝あたし〟 は子供の手を握り手前に引くと、ゆっくりと立ち上がった。同時に水面から現れるテイトの姿。音もなく浮かびあがるテイトが月の光の幕を通り抜けたとき、彼の体はその光に包まれ、ハッキリとその姿を浮かび上がらせた。そして光の粒は更に細かく弾け、あたしとテイトの周りを取り囲んだ。それはまるで、湖面に広がる霧のようだった。

「テイト…話してみて、何があったのか──」

 不意に聞こえたその声は 〝あたし〟 のものだった。シニアと話した時のような冷たさはなく、驚きと不安の中で唯一、少しだけホッとした瞬間だった。一方、テイトは俯き加減で何か言うのを躊躇っていた。

「テイト──」

 再び名前が呼ばれ、テイトは顔を上げた。そして──

「……僕は……」

 初めてテイトの声を聞いた…。

「…僕は…天の国に行けるの…?」

「ええ、行けるわ。でも、心の中に何かを抱えたままではムリよ。分かるでしょう?」

 テイトはゆっくりと頷いた。

 何かを伝えたい…何かを知って欲しい…など、この世に満足していなければ、天の国にも行けず、この世を彷徨う…と聞いたことがある。それを意味しているのだろう。

「さぁ、話してみて?」

 天の国へ行くには、心の中のものを吐き出さないといけない…そう聞いたからか、テイトは意を決したように口を開いた。

「…お母さんは…ずっと僕に冷たかったんだ…。お兄ちゃんや弟には優しかったけど…僕には…誰もいないところでは…僕に冷たかった……。時々…叩かれたり蹴られたりしたこともあるけど…奴隷のようにこき使われる事が多かった…。僕は…お母さんに褒められたくて一生懸命がんばったんだ…。でも…お母さんは一度も僕を褒めてくれなかったし、抱き締めてもくれなかった…。どうしてなんだろう……どうしてお母さんは僕に優しくしてくれないんだろうって…何度も思ったよ。何度も思って聞いたけど、お母さんは答えてくれなかった…。その代わり、今までよりずっと冷たい目で僕を見るようになったんだ…。だから、いつの間にか聞かないようにしてた…。でも…お父さんが仕事で二・三日家を空けた時……お母さん…お酒を飲んで酔っ払った時があったんだ…。その時、僕たちはもう、夜も遅くて寝てたけど…たまたま、僕は目が覚めて起きたんだ。そしたら、お母さんの声が聞こえた…。お母さん…泣いてたよ… 〝あたしはあの人と同じになってく…あの女のようになりたくなかったのに…あの女の血が…テイトをあたしと同じようにさせる…!〟 って…。その時、初めて分かった気がした…。僕だけじゃなく、お母さんも苦しんでたんだって…今だけじゃない…きっと、子供の頃からずっと苦しんでたんだって…。だから、その時に決めた…僕は何も喋らないって…」

「それで、話すことをやめたの?」

「…うん」

「でも、辛かったでしょ?」

「最初は我慢してたんだ…。でも、だんだん苦しくなって…誰かに助けて欲しいって思うようになったよ…。だけど、僕が誰かに言えば、きっとお母さんが責められる…もっと苦しむ事になるって思うと、どうしても言えなかったんだ…。だから、何度もこの川で手を伸ばした…。僕が手を伸ばすと、水の中の僕も手を伸ばしてくれるから…水の中の僕はいつでも僕の味方だから…そう思うだけでちょっとは楽になったんだ…。そんな時、ノーク先生と一緒に絵を描く事があって…」

「その絵に、あなたは助けを求めたのね…?」

 テイトは頷いた。

「何でも好きなものを描いていい…って言われたけど…描けなかった…。目の前にある花も川も、ヒラヒラと飛ぶチョウも建物も…描こうと思っても手が動かなくて…気付いたら、あんな不気味な絵を描いてた…。でも、描いたあとは、また少しスッキリしたから……それからずっと、変な絵を描くようになったんだ…」

「それがあなたの心の中…心の闇だと気付いたのが彼だった──」

「ノーク先生は…一度だけ聞いてきた…。〝何かあったのかい? 何か苦しい事があれば、いつでも聞くよ? 紙に書いてごらん?〟 って…。僕……嬉しかった……僕の事を気付いてくれる人がいるって分かって……。それだけで、また頑張れると思ったから…〝大丈夫だよ、ありがとう〟 って言いたかったけど、一言でも喋れば、みんなのいる場所で、思い切り泣いて全部喋っちゃいそうで…それで…何も言わず帰っちゃったんだ…。それから、ノーク先生は何も聞いてこなくなった…。でもね、僕、ちゃんと知ってたよ。ノーク先生が、ずっと僕の事を気にしてくれてたのは…。だから、大丈夫だって思った。苦しくても、水の中の僕と、絵とノーク先生がいれば、きっと乗り越えられる…きっと、この苦しさは子供の時だけで、大きくなったらお母さんも変わるだろう…って…そう信じるようにしたんだ…。だけどあの時…いつものように川を覗きに行って手を伸ばしたら…バランス崩しちゃって…気付いたらもう、水の中だった…」

 じゃ…あ…テイトの死は事故…?

 閉じ込められたあたしがそう思うや否や、更に続いたテイトの説明に、あたしはその真実を知ることになる。

「…僕…必死でもがいたよ…。もがいて、顔が水面に出たら思いっきり息を吸った…。でもまた沈んじゃうんだ…。それが何度も続いて…水も飲んじゃうし…だんだん苦しくなってきて…それでも、必死でもがいた……。でもね…その時 思ったんだ…〝もう、いいのかな…〟 って。今のこの苦しさを乗り越えれば、何もかもラクになる…そう思った…。僕がいなくなれば、僕も苦しまないし、お母さんも苦しまなくて済む…だから、〝ああ、もうやめよう…〟 って思って、もがくのをやめたんだ…」

 あ…ぁ…そうだったんだ…!

 だから、あの時に見た光は黒かったんだわ…!

 あたしは、その真実とテイトが抱えていた心の闇を知って、涙が出てきた。

 なんて子供なの…?

 ラミールといい、テイトといい…自分の事より相手のことまで思いやるなんて…。

 おそらく、〝あたし〟 は泣いていないだろうが、頑張ってきたテイトに対する想いは同じものを感じていたに違いない。

「テイト、よく話してくれたわね。これで天の国へ行けるわよ」

「…う…ん……でも…お母さんはどうなるの…?」

「大丈夫よ。お母さんの苦しみも取り除くわ。それには少し時間がかかるけど、必ずその苦しみを取り除き、あなたに対する愛情も取り戻すから、天の国で見ててあげて」

「ほ…んと…? 僕に対する愛情も戻るの…?」

「ええ、きっとね」

「…うん…分かった…僕…ずっと見てる…」

「──テイト?」

「……………?」

「あなたはよく頑張ってきたわ。せっかくこの世に生まれてきたのに、欲しかった愛情も貰えないまま、その苦しさに耐え、同時に母親までも守ろうとした…。それは誰もが出来ることじゃないわ。──さぁ、こっちに来て」

 〝あたし〟 は、再びテイトの手を取り、自分の胸に抱きよせた。

 実体がないはずなのに、テイトの体をしっかりと感じ、温もりさえ伝わってくるようだった。

「テイト、たくさんの愛をあなたに…」

 そう耳元で囁くと、〝あたし〟 はテイトの額に優しく口付けをした。

 その途端、霧のように広がっていた月の光が瞬く間にテイトを包み込み、ひとつの大きな光になった。

 眩しいくらいの光の中で、嬉しそうに笑うテイト。

 声を聞いたのも初めてなら、笑った顔も初めてだったが、なぜかそれは、今までにない笑顔だという気がした。

 そして、新たに降り注ぐ月の光がその道標なのか、シャボン玉が浮かんでいくように、テイトを包み込んだ光が天へと昇っていったのだった。

挿絵(By みてみん)

 最後の最後に聞こえたテイトの言葉は、

 〝ありが…………さま…〟

 ──というもので、最初の言葉は お礼だというのは分かったが、そのあとの 〝さま〟 は理解できなかった。けれどもう、それだけでよかった。テイトの心の闇も死の真実も分かり、彼の魂が天の国へと召されたから…。

 シニアの時とは違うものだったからか、いつの間にか、今回の 〝あたし〟 に対する恐怖は消えていた。全てが終わり、これでいつものあたしに戻れるだろう…その安心感もあったのだが、それはすぐには現実のものにはならなかった。

 〝あたし〟 は、不意に顔を逸らし、そして呼んだ。

「ノークさん」

 え…ノークさん…!?

 思わぬ名前に驚いた。

 振り向いた視線の先には、物陰から出て来るノークの姿が目に入った。

「…あ…ル、ルフェラさん……」

 う…そ……まさか…全部見られてた…!?

 再びあたしの心が慌て始めた。しかし、〝あたし〟 はどこまでも冷静だ…。まるで、最初から彼がそこにいたのを知っていたかのような冷静さ…。

「ノークさん、テイトの死は事故じゃないわ」

「え…!?」

「もちろん、橋の上から落ちたのは事故よ。でも、命を落とした原因は、彼の意思と母親にある」

「原因が…彼の意思と母親…?」

 言っている意味さえ分からないと繰り返すノークに、〝あたし〟 は真実を告げた。

「彼は川に落ちたあと、生きる事を諦めた。そして、そこまで追い詰めたのは母親からの虐待。つまり、テイトは自らの意思で死を選び、母親に殺されたも同然ってことよ」

「────!!」

 そうなのだ。だから、テイトの頭上に見えた死の光は黒かったのだ。

 思わぬ原因に、ノークもすぐには言葉が出なかった。

「肉体的な事より、精神的な虐待が大きかったみたいだけどね。虐待は母親と二人きりの時に起きた。だから、他の兄弟はもちろん、父親さえ知らなかったはずよ。なぜ自分だけ褒めても貰えず、抱きしめても貰えず、冷たくされるのか…原因は分からない。でも、ある時 彼は知ったのよ。母親もまた、幼い頃に虐待を受けていたという事を。自分だけじゃなく、母親も幼い頃から苦しんでいたと知って、彼は一人で耐えることを決意した」

「ま…さか…それで喋らなくなったと…?」

「話せば、母親が責められ、更に苦しい思いをすると思ったからだそうよ。でも、幼い子供が一人で耐えられるはずがない。だから、助けを求めた。水の中から手を差し伸べる自分と、唯一、心の中をさらけ出せる絵にね。その彼の叫びに、ノークさん、あなたが気付いたのよ」

「…あ…ぁ…じゃぁ…あの絵はやっぱり…」

「ええ。心の中ではずっと助けを求め、泣き叫んでいた。そして、うしろ姿の絵はおそらく、自分の状況に気付いてくれなかった父親よ」

「……………!」

「ノークさん、今あなたがすべき事、分かるわよね?」

「………………」

「今の母親は、子供を失ったという事実だけを悲しんでるわ。でも、テイトが死んだ原因は母親にあるのよ。なのに罪の意識を感じるどころか、自分が原因とさえ思わない。──まともな精神状態じゃないわ。なぜだと思う…?」

 〝あたし〟 は、敢えて彼に質問した。

「…母親もまた、心の闇を抱えているから…?」

「そうよ。我が子を失った辛さで精神が崩れたんじゃない。幼い頃に抱えた心の闇が、彼女の精神状態を崩壊させているのよ」

 そこまで言うと、ノークは 〝あたし〟 が何を言わんとしているのか分かったようだった。

「…私が…彼女の心の闇を取り除けと…?」

「ええ」

「でも私は──」

「あなた以外にできる人はいないわ、ノークさん」

「…ルフェラさん…」

「テイトは、あなたに 〝ありがとう〟 って言いたかったのよ」

「え…?」

「誰も気付いてくれなかった自分の苦しみに、あなただけが気付いてくれたから…とても嬉しかったって」

「………………!」

「それに、彼女を救うことはテイトを救うことにも繋がるのよ」

「テイトを…?」

 〝あたし〟 はゆっくりと頷いた。

「たとえ心の闇があったとしても、彼女は我が子を死に追いやった。その事実は変わらないし、その罪は償わなければならない。でも、今の状態では、彼女はその罪さえ感じないわ。それがどういう事か分かるでしょ? このままだと、必ずまた、テイトのような犠牲者が出るわ」

「………………!」

「だから、あなたが必要なのよ、ノークさん。彼女の心の闇を取り除き、同じ事を繰り返さぬよう導く事のできるあなたがね。そして、自分が犯した罪を背負いながらも、前に向かって生きて行けるように導くことも、あなたがすべき事なのよ。そうすれば必ず、彼女はテイトへの愛情を取り戻すわ」

「…テイトへの…愛情……」

「そうよ。そしてテイトは、天の国でその日が来るのをずっと待ってるのよ」

「………………!」

 自分ではムリだと、自信を失くし諦めていたノークだったが、自分がしようとしていたことの必要性を再認識したのか、彼の表情からその変化が読み取れた。

 そこへ、〝あたし〟 が更に付け足した。

「ノークさん、よく聞いて」

「………………?」

「テイトの死を意味あるものにできるのは、セオール医師じゃない。──あなたよ」

「────!!」

 その言葉に、彼の顔つきが変わった。それが何を意味するのか、〝あたし〟 はもちろん、閉じ込められたあたしも、心の中を見透かすように理解できた。

 そして、〝あたし〟 は、橋の上で立ち尽くす彼をひとり残し、静かな夜道を帰っていったのだった──

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