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女神伝説  作者: Sugary
第四章
56/127

12 正夢 ※

 ラミールの記憶を見てから、どれくらい経っただろうか…。

 目を開けた時は薄暗く、一瞬どこにいるのか分からなかった。目に映ったのが天井で、更に視線を泳がせれば、見覚えのある造りに気付き、ようやくここが宿の部屋だと分かったのだった。

 おそらく、イオータたちがこの宿に運んでくれたのだろう。

 実際、記憶を見てから意識を失ったのか、意識を失ってから記憶を見たのか定かではないが、〝薄暗い〟 という事は、かなり時間が経っているようだ

 ラミールの記憶さえ夢だったのでは…と思ってしまいそうになるが、それはきっと、夢であって欲しいという、希望だ…。

 あまりにも残酷で悲しい記憶に、再びあたしの目が熱くなってきた。

 そんな時、ふと視界の端に映った隣の布団が、もぬけのカラになっているのに気が付いた。

 気を失う前の状況を思い出せば、そこにいたのがラミールだという予想がつき、同時に嫌な予感が確信のように頭をよぎった。

 ──まさか!?

 咄嗟に起きようとしたが、その違和感に驚いた。まるで、鉛の体になったかのように重く、力も入らないのだ。

 な…なんなのよ…これ…!?

 なんでこんなに重いの…!?

 布団をめくる力もなく、それでもラミールのことを考えるとなんとしてでも…という思いが強くなる。

 こんな所で時間をくってる場合じゃないのに…!

 あたしはどうにか布団の中でうつ伏せになると、ありったけの力を使って這いずり、そして、同時に喉から搾り出すように叫んだ。

「…ネ…オス…!? ラディ…!? 誰か…!!」

 誰でもいい…!

 隣の部屋にいるなら誰か来て…!!

 そう心の中で叫ぶと、その思いはすぐに通じた。

「お、おい──!?」

 目の前の戸が開くや否や──開けたのがイオータだったからか──あたしの姿に気付いたイオータが瞬時に抱き起こしてくれた。そして次々にネオスたちの驚きの声と顔が視界に入った。

「ルフェラ!」

「ちょっと、大丈夫なの…!?」

「お…い…大丈──」

「ラ…ミールは…!?」

 最後に言いかけたラディの言葉を遮ると、彼らが 〝え…?〟 と返す間もなく、更に続けた。

「ラミールは…どこなの!?」

「どこって…ちょっと前に出ていったぞ。風に当たりたいとか言ってよ…」

 〝なぁ?〟 とラディは皆に同意を求めた。

 ち…がう…。風に当たりたいだなんて嘘よ…。

 あたしがラミールの立場で、あの記憶を取り戻したなら…風に当たってる余裕なんてないもの…!

「おい…ルフェラ…?」

「追って…」

「はぁ?」

「追いかけるの! 彼女を追いかけて!」

「な、なんだよ突然──」

「いいから、早く! ラミールは自分の家に戻ろうとしてるのよ!」

「なっ…!?」

 あたしの焦りが理解できなかった彼らも、最後の一言で緊張が走った。

 ここで、真実を知っているのはあたしだけだ。けれど、それを説明してる暇はなかった。

 どんな過去かは別にしても、ラミールが全ての記憶を取り戻したことは彼らも承知のはず。ならば、その精神状態で自分の家に戻るということは、父親にも分かってしまうことくらい容易に推測されるのだ。そして、それがどれほど危険かという事も。それに気付き、いち早く指示を出したのはイオータだった。

「おい、ラディ、ネオス。お前ら先に行っててくれ。オレもすぐにルフェラと追いかけるからよ」

「あ、あぁ…」

「それから、ミュエリはノークを呼びに行ってラミールの家に連れてってくれないか」

「え…? ここじゃなく…て…?」

 状況からすれば、あたしを診てもらうためだと思うのが当然だろう。けれど、万が一をの事を考えれば、ラミールの家に連れて行くべきなのだ。故にミュエリの質問に、イオータは自信を持って答えた。

「あぁ。ラミールのところだ」

「…わ、分かったわ…」

 そう言うと、ネオスたちに続いてミュエリが出て行った。

 あ…たしも早く行かなきゃ…!

 その一心で立ち上がろうとした時だった。

「おい、あんたはまだだ」

 抱き起こしてくれていたイオータが、ただでさえ動かないあたしの体を制した。

「な…にすんのよ……あたしも早く行かなきゃ──」

「分かってるって」

「だったら──」

 〝その手を放してよ〟 と続けようとしたのだが、これまたすぐに制された。

「──ったく、落ち着けって。だいたい、その体じゃムリだろーが?」

「でもっ…」

「いいから、聞けよ。とにかく、動けるようになりたかったら、オレの言う事を聞くんだ、いいな?」

 体さえ動けば、こんな手なんか簡単に振り払えるのに…!

 イオータとこんなやりとりをする時間さえ惜しいというのに、その肝心の体が動かないなんて…!

 それでも、焦りと苛立ちが募る一方で、あたしは頷くしかなかった。

「よし。──じゃあ まず、体の力を抜くぞ? ほら、大きく息を吸って…………吐いて……」

 こんな事やってる場合じゃない…と思いつつも、反論するよりは素直に従った方が早く終わるだろう。そう思い、言われるがまま深呼吸を数回繰り返した。体の重さは変わらなかったが、力が抜けたせいか、余分な力を使わなくなった為、僅かに楽になったような気がした。

「──しばらく目を閉じてろよ」

 そう言われ目を閉じれば、即座にイオータの手の平が額に当てられた。

 何やってんのよ…バカ…。

 あたしは熱なんてないわよ…!?

 何をしようとしてるのか全く分からず、あたしは苛立ちと共に、そう心の中で叫んだ。そして、重い手でその手を払いのけようとしたのだが、それよりも一瞬先に、妙な感覚に襲われたため、力を入れるのを辞めた。

 なに…これ…?

 額に当てられた手は、なぜかほのかに冷たい。その冷たさが体の中に入ってくるような、あるいは何かに包まれるような感覚を覚える。でも、気持ち悪いわけじゃない。それどころか、とても心地良く、体が軽くなる感じだ…。

 なんなの…この感覚…?

 初めてだわ…こんなの…。

 そう思ったものの、すぐに違うと思った。

 前にも一度…似たような感覚があったような…。

 あれは…いつ…?

 そんなとき、不意に瞼を通して明るくなった気がして、うっすらと目を開ければ、更なる光景に驚いた。

 な…に…? ひかり…?

 目を開けたのにイオータの顔は見えず、体中が光に包まれているように明るかったのだ。けれど、それもほんの束の間。目が光に慣れたのか、徐々にイオータの顔が見えるようになってきた。

 普通に見えるようになれば、〝気のせいだったのか…〟 とも思えるのだが、この状況は違った。普通に見えるようになったからこそ、普通じゃない事を認識させられた。

 青白い光が目の上…つまり、イオータの手から溢れるように出ていたのだ。

 青白い…光…?

 頭の中で繰り返し、ハッとした。

 そういえば、いつだったかの夢の中でもこんな光に包まれてたような…。

 異質なものだが、心地良い感覚だからか、不思議と怖くなかった。けれど、気にはなるもので、その手を払いのける代わりに質問していた。

「…イ…オータ…いったいこれは──」

「シッ…静かに。思ったより大したことねーみたいだからな、すぐに終わるさ。もうちょっとだけ目を閉じてろ」

 集中したいからか、早口でそう言うと、〝いいな〟 と、目だけで言われてしまった。

 その態度が、邪魔しちゃいけないと思わせる。

 わけが分からないけど、もう、反論する気にはなれず、素直に目を閉じることにした。

 不思議…。

 目は閉じてるというのに、感覚で伝わってくる…。眠る直前…あるいは、夢を見るような浮遊感…。

 ううん…。実際はもう、夢を見てるのかもしれない…。だって、見えるはずもないのに、体中が青白い光に包まれてるのが分かるもの…。

 やだ…どうしよう…このままだと眠っちゃいそうだわ……こんな時…だって…いうの…に…。


 時間の感覚が分からなくなり、その心地良さに身を委ねていると、イオータの声が聞こえてきた。

「…ぃ…おい…? 終わったぜ?」

「………?」

「寝ちまったんじゃないだろうな?」

「…あ…ぁ…やだ…そんなに長い時間…?」

「冗談だ。ネオスたちが出て行って二分も経っちゃいねぇさ。──ほら、どうだ? 動けるか?」

 そう言われ、驚きつつもホッとした。

 体を起こしてみると、全快…とまではいかないが、さっきまでに比べれば不思議なくらい体が軽くなっていた。その様子を見て、イオータも軽く頷く。

「──んじゃ、行こうぜ?」

「…う…ん…」

 そう答え立ち上がると、これまた覚えのある感覚が足元を襲い、一瞬 フラついたあたしを、イオータが予想していたかのように支えた。

「あ…りがと…」

「まぁ…最初のうちは地に足が着かない感じがするけどな…すぐに元に戻るさ。ほら、オレの腕に掴まれよ?」

 このさき何もなければ、足のフワつき感がなくなるまでジッとしている所だが、今はそんな余裕はない。故に、イオータの腕に掴まると、ラミールの家へと急ぐことにした。


 お願い…間に合って…!

 早まった事はしないで、バダルさん…!!


 そう強く願いながらも、ある不安が胸をよぎり、あたしは、その不安をイオータに伝えた。

「…イオータ…」

「あぁ?」

「なんとしてでも彼を止めて…!」

「…………?」

「バダルさんは山の男よ……ラディとネオスだけじゃ…敵わないかもしれない…」

 本来なら、〝ラミールを助けて〟 と言うべきだからなのか、一瞬、イオータはあたしの言葉に、不思議な顔をした。

 ラミールを助けると言う点では、どちらも同じ意味だが、その違いを感じたのだろう。だから、あたしは付け足した。

「…あの夢……バダルさんは…ラミールに刃を向けたんじゃない……自分自身に向けてたのよ…」

「な…に…!?」

 予想外の言葉に、さすがのイオータも言葉を失ったが、その理由を聞こうとはしなかった。今、何が一番大事か…それをよく知っているからだ。

「…とにかく…急ぐぞ…」

「うん…」


 走っているうちに足のフワつき感は消え、途中からはイオータの腕を借りないでも済むようになった。そして、ほとんど全力で走り続け、ようやく玄関の入り口を目の前にした時だった。

 開け放された玄関に足を踏み入れるのと、夢で何度も聞いたあの叫び声が聞こえるのはほぼ同時だった。

「やめて……お願い、誰か助けて……!!」

 間違いなく、ラミールの声だった…!

 その瞬間、心臓が大きくドクン…と脈打ったあたしは、無意識のうちに、一枚挟んだ戸の向こう側にいるバダルに向かって叫んでいた。

「シリルさんの想いはどうするの──!?」

 最後の言葉を叫び終わるのと、彼らを隔てていた戸を開けるのは同時で、イオータは一瞬でも躊躇ったバダルから、瞬時に刃を叩き落していた。そして、拾おうとする彼の手を掴み、足元に落ちた刃を、すぐには手の届かぬ所へ蹴り飛ばした。

「くっ…そ…!」

 刃を奪われ、なおもイオータを投げ飛ばし拾いに行こうとするバダル。

 そんなバダルを、部屋の隅に投げ飛ばされたであろうラディやネオスが、このチャンスを逃してなるものかと、必死に立ち上がり押さえつけたのだった。

 何とか力の強いバダルを押さえられた事にホッとしつつ、ラミールを見れば、夢で見たのはこれだ…と思うような状況で涙を流していた。彼女もまた、バダルに振り払われ、その際に足首を捻ったのだろう。立てない状況で、ラディたちもが投げ飛ばされ、どうにもならなかったのだ。だから叫んだのだ、〝誰か助けて…!〟 と。

「…大丈夫、ラミール?」

「…あ…あぁ…違うの…違うのよ…」

 ラディたちが踏み込んだ時に、勘違いしていると悟ったのだろう。それを知らせたくて、〝違う〟 と繰り返すラミールに、あたしは何度も頷いた。

「ええ。分かってるわ、ラミール。安心して、全て分かったから…」

 両肩をしっかり掴み、目を見てそう言えば、ラミールは何とか落ち着きを取り戻し始めたのだった。代わりに、わけが分からないと口にしたのはラディだ。

「どう…なってんだよ…ルフェラ!? ラミールに刃を向けるかと思ったら、いきなり自分に向けやがってよ──」

「ええ、そう…。間違ってたのよ、あたしたち…」

「なっ…に…!?」

 そう言った時、ちょうど、ミュエリとノークが駆け込んできた。あたしは、ノークにラミールの足を診てもらうよう頼むと、バダルを見つめ、ゆっくりと話し始めた。

「彼は、ラミールを殺めようとしたんじゃない。罪の償いの為に、自分の命を絶とうとしたのよ。──そうよね、バダルおじさん?」

「────!?」

 その一言に、ここにいる全ての人が驚き、その視線はバダルに集中した。

「バダル…おじさん…? おじさんって……こいつは…ラミールの父親じゃねーのか…?」

「ええ。残念ながら…と言うよりは、幸運にも…って言った方がいいかもね」

「幸運にも…? え…じゃぁ…父親が人を刺したっていうラミールの記憶は誰なんだよ? 本物の父親のほう…ってことなのか?」

 あたしは首を振った。

「刺したのはバダルさんよ。あの夢が自分の記憶だって事は分かっても、記憶が戻ったわけじゃないもの。だから、バダルさんを 〝おじさん〟 だと思わなかっただけ」

「だったらなんで 〝幸運にも…〟 なんだよ?」

 分かるように説明してくれ…と訴えるラディに、あたしはバダルの目を見つめてその答えを口にした。

「本当の父親はとてもひどい人で、ラミールが記憶を失くしてからずっと一緒に過ごしてきたバダルさんが、〝その人〟 じゃないからよ。そして──」

 あたしはそこで大きく息を吸った。

「ラミールを心から愛し、本当の娘のように想ってる…この世で唯一、血の繋がった 〝家族〟 だから」

 その答えでラディが納得するはずもないが、あたしにはそれでもよかった。ちゃんと説明するのは後でも、今すぐに分かって欲しかったのは、〝おじさん〟 だけだったから。

 ラミールを本当の娘のように愛し守れるのは、唯一の家族であるバダルだけ。彼がいなくなったら、誰がラミールを守るのか…。それに気付いて欲しかったからだ。

 その想いは、バダルに通じたようだ。

 押さえつけられながらも、ラディたちを振り払おうとしていた彼の体から、徐々に力が抜けていったのだ。それに気付いて、イオータたちも力を緩め、最後には彼を座らせ離れていった。

 あたしは、ラミールが取り戻した記憶を、自分が見たまま話すことにした。

 体の弱い母親──シリル──のこと、そんな母親が大好きで、彼女の好きな紅葉を家の中に飾ろうと、色紙で楓の葉っぱを作っていたラミールのこと。

 父親──ガエン──が飲んだくれで、どうしようもない男だった事や、シリルのみならずラミールにも罵声を浴びせていたこと…。

 どんなに辛くても、大好きな母親やバダルおじさんを悲しませないように、全てを心の中にしまいこみ、笑顔でいたラミールのこと。それがある日、抱えきれなくなってバダルおじさんに話したら、ラミールと(シリル)を助ける為、結果としてガエンを刺してしまった事…。けれど、最後の息の根を止めたのはシリルで、ラミールの幸せを願い、(バダル)に全てを托した直後、家に火をつけ自らの命を絶ったこと。

 そして、〝自分のせいで…〟 という罪の思いから、翌日には記憶を失ってしまい、最後に見た火の粉と、ラミールが作った楓の葉っぱが舞い上がる光景が、あの 〝風に舞う楓の絵〟 と繋がった事など…。

 話しているうちにまた涙が溢れてきたが、それでもなんとか最後まで話し終えると、そのあまりにも酷く悲しい記憶に、ミュエリが泣くのはもちろん、他のみんなも言葉を失っていた。

「…ラミールの記憶が戻る事で、〝人ひとりが死んでもいいのか〟 …そう言ったのは、彼女の命じゃなくて、あなたのことだったのよね? でもそれは、自分の命が惜しかったからじゃない。本気でラミールを心配したからよ。せっかく忘れたのに、あんな酷い記憶を取り戻したら、また彼女が苦しんでしまう…。そうなれば最悪、彼女自身が自分の命を絶ってしまうかもしれない…そう思ったからだわ。──だったら恨まれたっていい、どんなに勝手だと言われようと、ラミールには記憶を取り戻させないようにしようと思った。だから、彼女にはもちろん、ノークさんにもきつく当たったのよ。そうなんでしょ、バダルさん?」

 間違いない…そう思いながらバダルに問うと、ややあって、彼が口を開いた。

「……ああ…ああ、そうだ! あいつは…ガエンはどうしようもないやつだった…。妹だけでなく、実の子であるラミールまで苦しめていたんだからな…。ガエンに対する怒りは当然湧く。だが、同時にオレは、自分に対しても腹が立った。だって、そうだろ? ラミールが毎日のように遊びに来るのを楽しみにして、のほほんと過ごしていたんだからな…!

 耐え切れなくなったラミールが自分から言い出すまで、気付かなかったなんて……その間…ずっと一人で耐えていたというのに……! 八歳だぞ…八歳の子供が…ずっと耐えていたんだ…! なんで気付いてやれなかったんだ…って責めもしたし、気付いてやれなくて悪かったとも思った…」

「…だから、父親を刺したのか…。そいつから二人を助けたい…自由にしてやりたい……それが唯一、自分にできることだと、そう信じて…」

 そう呟くように言ったイオータの口調は、責めているものではなく、むしろ、彼の気持ちが分かると言っているものだった。

「…オレはあの時…本気であいつを殺そうと思った。二人が自由になるなら、追われる身になり捕まったっていい…そう思って、奪った包丁を思い切りあいつの腹に突き刺したんだ。倒れて息があっても、放って置けば いずれ死ぬ…。時間の問題だったのに…シリルが…更に包丁を押し込んじまった…。それだけなんだ…たったそれだけでシリルは…オレの罪をかぶって、自分の命まで絶ってしまったんだよ…! ガエンはもちろん…オレがシリルを殺したも同然…ラミールの大好きな母親を殺しちまったも同然なんだ…!」

「ち…がう…違うわ…バダルおじさん──」

 最後の言葉に堪らなくなって叫んだのはラミールだった。けれど、その言葉を遮るように、バダルが続ける。

「いいや、違わないんだよ、ラミール。あれはオレが全部悪いんだ…お前の大好きな母親まで奪っちまったんだからな…。本当にすまないと思ってる…。だから、恨むならオレを恨んでくれ──」

「違う…そうじゃない…! あれはあたしが──」

「──だから、あなたに思い出して欲しくなかったのよ、ラミール」

「…………?」

 その先、何を言おうとしているか分かった為、あたしはラミールの言葉を遮り、更に続けた。

「バダルさんが自分を責めるように、あなたも自分を責めると分かっていたから、バダルさんは、あなたに思い出して欲しくなかったのよ。自分を責めて死のうとするかもしれない…そう思ったから──」

 そこまで言うと、今度はバダルが続けた。

「その通りだ…」

「お…じさん…?」

「あの夜、お前はオレにずっと謝っていた…。〝自分のせいで、おじさんにこんな事をさせてしまった〟 〝自分のせいで、おじさんの妹を死なせてしまった〟 ──とな。下手をすれば、自分も死ぬって言い出しそうで怖かったよ…。

 何度、〝お前は悪くない。悪いのはオレだから、オレを恨めばいい〟 そう言っても、お前は首を振って謝るばかり…。たった八歳のお前が、大好きな母親を失った悲しみより、オレのことを気遣っていたんだ…。オレは堪らなかった…。堪らなく悲しくて、堪らなく切なくて、堪らなく胸が痛くて……そして、堪らなく愛しかった…。だから誓ったんだ、どんな事があっても お前を守ろう…とな。翌日、お前が記憶を失ってると知ったとき、驚きはしたが、同時にホッとした。神に感謝さえしたさ。お前から、あんな酷い記憶を消してくれたんだからな…。このまま一生、思い出さないでくれ…そう願ったよ。思い出さなければ、苦しむ事はないからな。けどもし、神のイタズラでその記憶が戻る時があるとすれば、その時は、オレが命を絶とうと決めたんだ。シリルを死なせてしまった罪、お前を苦しめた罪…全ての罪の償いで死ねば、それこそ全てが終わり、お前が死ぬ 〝理由〟 もなくなるんだ」

 〝だから、自分が死ぬつもりだった…〟

 バダルは、無言でその言葉を付け足した。

 彼の気持ちもラミールの気持ちも……お互いがお互いを想う気持ちは痛いほど伝わってくる。

 けれど、誰が納得できようか…。

 人が人を想う時、その気持ちに決して嘘はないだろう。だけど、それに伴う考えや行動が全て正しいとは限らないものだ。

「バダルさん…」

 あたしは、これだけは間違ってる…と確信している事を口にした。

「もし、あなたが罪を償い、自分の命を絶ったとしたら、ラミールは確実に死を選ぶわよ」

「────!?」

「あなたは、その全ての責任を取ったつもりでも、ラミールはそうは思わない。あなたが死ねば、更に、彼女は自分を責めるはずよ。だって、あなたが罪を感じ自らの命を絶つという事は、〝自分が喋ってしまったせいで、おじさんが罪を犯した〟 という事を証明する事になるもの」

「────!!」

「そんな彼女が……あなたまで死なせたと思う彼女が、その先も生きていこうって思うと思う? ──そんなの無理だわ。だとしたら、あなたが死んでしまったあと、死のうとする彼女を誰が止めるというの? 誰が助け、守ると言うの? ──バダルさん、あなたしかいないのよ?」

「………………!」

「そ…うよ、おじさん! おじさんが死んだら…あたしも死ぬから…! どんな事があっても守るって誓ったのに…約束破らないでよぉ…」

「ラミール…」

「それに…シリルさんは自分でその道を選んだのよ」

「………………?」

「ガエンさんをあのまま放って置けば死ぬことぐらい、彼女も分かってたはず。それを敢えて自分が最後の息の根を止めたのは、あなたの罪を被ろうっていう気持ちからじゃないわ。彼女もまた、ラミールの気持ちを知っていながら、何もできなかった自分を悔いていたのよ。だから最後に……唯一自分ができることを、自分の意志で決めたのよ…。あなたが自分の意志で、二人を自由にしてやろうと決めたのと同じようにね。だとしたら、分かるはずよね。誰にも責任を感じて欲しくない…っていう気持ちが」

「………………!」

「 〝自分のせいで……〟 ──そういう気持ちを捨てろとは言わないわ。でもあなた達は、相手を想うあまり、自分を責めすぎてる…。みんながみんな、誰にも責任を感じて欲しくないなら、それを胸にしまって、前を向いて生きるべきだわ。じゃないと、お互いが苦しい思いをするだけだもの。命を懸けてラミールの幸せを願ったシリルさんは、その全てをあなたに託したのよ。自分のせいで彼女が死んだと思うなら、その想いを死ぬ気で叶えるのが、本当の償いでしょ? それにラミール──」

 そう言って、あたしはラミールの方に向き直った。

「あなたも自分のせいで…って思うなら、お母さんの願いを叶えるべきだわ。分かるでしょう、お母さんの願いが何かは?」

 ラミールはゆっくり頷いた。

「おじさんと一緒に…幸せに過ごすこと…」

「そうよ。そして、笑顔を振りまいて見せる事…だったわよね? 戻る記憶の中であなたも見たはずよ。最後にお母さんが微笑んだのを…。あれは、あなたに知って欲しかったから。決して苦しんで死ぬんじゃない。自分が選んだ事に満足して死ぬのよ…って。だから、自分を責めないで…って言ってたんだわ。そして、最後の最後に見る母親の笑顔を忘れないで欲しい。いつだって微笑んであなたの傍にいるんだから…そう言いたかったのよ。だからもう、自分を責めちゃいけないわ、ラミール」

「…あ…あぁ…」

「それに、あなたは最後にお母さんを幸せにしたでしょ? お母さんの大好きな楓の葉っぱが舞って…お母さん、とても綺麗だって言ってたじゃない」

 そう言うと、背負っていたものがスッと落ちたのか、ラミールは崩れるように 〝わぁーっ〟 と泣き伏せてしまった。

 そんな彼女に、バダルが駆け寄り、抱きしめた。

「…す…まなかった、ラミール…すまなかったよ…。でも本当に…お前が苦しむような記憶は戻って欲しくなかったんだ……また、こんな辛い思いを──」

 そう言いかけたバダルに、ラミールは大きく首を振った。

「い…いいの…あたしが望んだ事だもの…。それに…戻ってよかったって思ってる…」

「ラ…ミール…?」

「…今までずっと、お母さんがどんな人か…分からなかった…。おじさんのことまで忘れてたのよ……。あんなに大好きだったのに…。どんなに酷い過去でも……今は幸せよ…。だって…大好きなお母さんの記憶も、大好きなおじさんの記憶も戻ったんだもの…! やっとあたしは…〝あたし〟 になれた気がする…!」

「…ラミール…」

「お願い…おじさん…これからもずっと、〝お父さん〟 って呼んでいい…?」

 その 〝お願い〟 に、バダルの目から、更に大粒の涙が流れた。

「あ…あぁ…もちろんだ、もちろんだよ…ラミール…!」

挿絵(By みてみん)

 そんな親子の姿に、あたし達の目からも涙が溢れた。今度は、よかった…という、ホッとした涙だ…。


 失くしたい記憶の裏には、失くしたくない記憶も沢山ある。自分がどこの誰で、誰に愛され、誰を愛していたのか…。〝自分〟 を決定付けるものがなくなった時、人は自分が自分でなくなるのだ…。

 それに…どんなに辛い過去でも、辛い過去だからこそ、得るものがあるはずだ。それがすぐには分からなくても、いつか必ず気付く時がある。なのに、その過去を失うということは、〝何かを得る前の自分〟 で止まってるわけで…やっぱり、本当の自分じゃなくなるということなのだろう。

 その事を、ラミールはもちろん、ここにいる全員が知ったのだった。


 それからしばらくして、あたし達はラミールの家をそっと出てきた。

 〝酷い過去だったけど、二人はもう大丈夫〟

 みんながみんな、そう確信したからだ。

 帰り道は誰一人として口を聞かなかったが、おそらくそれは、口を開けば、〝本当によかった〟 という言葉以外に出てこないからだろう。思うことはみんな同じで、言う必要もなかったのだ。

 それでも宿に着くと、その時には浮かんでこなかった 〝疑問〟 が不意に顔を出したようで、〝なぜ、ラミールの過去を知ったのか〟 と、ラディに質問された。

 〝なぜ…〟 と聞かれても、あったままの事を話すしかないわけで…〝自分でもよく分からないけど、ラミールが思い出す記憶を一緒に見たから〟 と説明したのだった。

 もしこの時、記憶を一緒に見た事が、〝特別な事〟 だと分かっていたら、きっとあたしは言わなかっただろう。だけど、沢山の人が経験するわけじゃないにしても、正夢や飛影のように、波長か何かが合った時に見られる類のものだと思っていたため、普通に話していたのだ。

 それが 〝特別な事〟 だと知ったのは、翌日、ルーフィンに今日のことを話した時だったのだが……。

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