11 共鳴するラミールの記憶 ※
さかのぼる事 十年前──
家の中では、今の面影を残す幼いラミールが楽しそうに色紙を切って遊んでいた。その傍らに敷いてある布団には、色白の若い女性が横になりながら彼女を見つめている。
──ラミールの母親だ。
顔色はあまりよくなく、その様子から病気だという事が窺い知れる。
それでも、我が子を見つめるその瞳は、決して弱々しいものではなく、何かあれば命がけで守るくらい、深い愛情に満ちた 〝母親〟 の目をしていた。
「ほら、お母さん見て見て! こんなに沢山できたわ」
そう言って見せた箱の中には、赤や黄や橙の紙で切られた楓の葉っぱが詰まっていた。
「ほんとね。でもそんなにどうするの?」
「木の枝につけるのよ」
「木の枝に?」
「うん。おじさん、山でお仕事してるでしょ? 形のいい木の枝を見つけて拾ってきてくれるっていうから、それに、この葉っぱをつけるの。そしたら、お母さんの大好きな楓が、ずーっと見られるでしょ?」
「ラミール…」
「本物には負けちゃうけど…」
「いいえ。きっと、本物より綺麗よ。──そうだ。葉っぱをつける時は、お母さんも一緒に手伝おうかな?」
「ほんと!?」
「ええ。二人で、うんっと綺麗な楓を作りましょう」
「うん!!」
伝わってくる…。
ラミールがどれほど母親を好きで、どれほど笑った顔が見たいのか…。
病気がちで辛そうな顔が多い母親を、少しでも元気付けたいと思うラミールの気持ち。本物は無理だけど──ならば色紙で大好きな楓を作って見せてあげたい…そんな心優しいラミールの気持ちが、目の前の光景だけでなく、感覚で伝わってくるのだ。
そして、母親もまた、そんなラミールの気持ちを知って笑顔を見せる。自分の笑顔でラミールが幸せそうに笑うのを知っているから。
なんて美しいんだろう…。
なんて幸せなんだろう…。
家の中の様子や着ている物からは、とても裕福そうには見えない。それどころか、貧しいほうなのに、お互いを思う気持ちが病気の辛ささえ感じさせないほど、彼女たちをとても幸せにしているのだ。
──けれど、その幸せは束の間のものだった。
何かに気付いたラミールは、ハッと顔を強張らせた。その変化に母親も気付く。
「ラミール、裏から出ておじさんの家に行ってなさい」
「でも──」
「大丈夫よ。すぐに終わるから。さぁ、早く…!」
「……………!」
母親に急かされ、否応なく隣の部屋に移ったラミール。その戸が閉められるのと、玄関の扉が開くのはほぼ同時だった。
途端に聞こえてくる、酔っ払った男性の声…。
この後の展開をラミールはよく知っていた。
男性の声は次第に怒鳴り声になり、そのうち、何かが壊れる音がする。それがほぼ毎日のように繰り返されるのだ。
母親と一緒にいて、母親を守ってあげたい…!
その思いがあっても、ラミールにはまだ幼すぎた。怒鳴り声は恐怖を植え付け、思いとは裏腹に体が勝手に反応してしまうのだ。だから、ラミールはすぐに逃げ出していた。
三つ目の通りを右に曲がって、大きな橋を越えてすぐの所にあるおじさんの家へ──
息を切らし駆け込むと、仕事から帰っていたおじさんがいつもの笑顔で迎えた。
「おぉ? 今日は早かったな、ラミール」
────!?
あたしは、その 〝おじさん〟 に驚いた。
う…そ…この人がおじさん…?
どういう事…? だってこの人は──
わけが分からなくても、ラミールの記憶はそれとは関係なく思い出されていく…。だからあたしは、そのまま見るしかなかった…。
「走ってきたのか? じゃぁ、水でも飲むか──」
そう言いかけて、ラミールの様子に気付いたおじさんは、慌てて玄関の所で立ち尽くす彼女の元へ駆け寄った。
ラミールが、堪えきれず涙を流し始めたからだ。
母親の兄だからだろう。笑顔から溢れる優しさが同じで、ラミールはそんなおじさんも大好きだった。
ほぼ毎日のように怒鳴り散らす父親──先ほどの男性──から逃げてきても、何もなかったように振舞っていたラミール。けれど、そんな状態がいつまでも続くはずがない。大人でさえ限界はくるのだ。八歳の幼いラミールの心が悲鳴を上げるのは当然であり、時間の問題だった。
それが、とうとうきたのだ──
ラミールは母親に似たおじさんの笑顔を見て、せきを切ったように泣き出し、おじさんにしがみついた。
「お…じさん…もう、やだ……もう…やだよぉ……」
「ラミール、いったいどうしたんだ!? 何が嫌なんだ?」
「…や…だ…もう、こんなのやだぁ……あんな人嫌い…大ッ嫌い…!!」
「あんな人…? あんな人って誰の事だ、ラミール?」
「………やだぁ……あぁあ……」
「ラミール、ラミール! それだけじゃ分からんよ。ほら、何があったのかちゃんと言ってごらん? おじさんが聞いてあげるから、な?」
「………おじ…さん……助けてくれる…?」
「あ…あぁ…もちろんだろ。だから言ってごらん?」
ラミールの涙を拭い取り、〝さぁ〟 と促すと、ラミールは一生懸命 呼吸を整え、途切れ途切れになりながらも話し始めた。
「…お…父さん…いっつも…お酒飲んで帰ってくる…。帰ってきたら…お母さんに大声上げて……お…お怒るの…。ラミール…違う部屋で隠れてるけど……時々…すごい音が聞こえてくるから……それで…それで…怖くなって…おじさんの所に来てたの…」
突然の告白に、おじさんはひどく驚いていた。
そんな事があったなんて、針の先ほども思っていなかったからだ。
毎日のようにラミールが来ても、それは自分を慕っているからだと思っていた。実際、何度も 〝おじさん大好き〟 と言われていたからだ。しかも、ラミール自身がそんな素振りを見せなかったし、それどころか笑顔を絶やさなかったから、気付きもしなかったのだ。
自分が気付いてやれなかった事を悔やむのはもちろんだが、更に話を聞けば、それ以上に父親に対する怒りが湧いてきた。
彼の妹──ラミールの母親──は、もともとそんなに丈夫なほうではなかったが、ラミールが生まれてから寝込む事が多くなった。病の名前はハッキリせず、特効薬もない状態で、最初こそ、いろんな薬を試していたが、どれも効かないと分かると、次第に父親の態度が変わってきたという。
ラミールが物心ついた時が、ちょうど父親が変わってきた頃で、働いたお金の殆どが治療代に消えていったためか、イライラが募ってきたのだろう。出来うる限り、家事もこなしたが、無理をして寝込むと、そのイライラに拍車がかかった。
〝昨日までできて、今日できないわけがない。気持ちの持ちようだ〟 と吐き捨てるように言うと、ラミールの面倒さえ見ずに出て行ってしまうのだ。そして、酒に酔って帰ってくると、さっきラミールが言った事が繰り返されるのだ。
最近になると、イライラの矛先はラミールにも及んだ。
〝お前を生んだから、母親がこんなになっちまったんだ。家のことがまともにできない上に、稼いだ金の大半が薬代で消えちまう。とんだ疫病神だ。俺は騙されたも同然なんだぞ!〟
そんな罵声を投げつけられても、ラミールは決して泣いたりはしなかった。泣けば、母親がもっと悲しむのを知っていたから。
(何てことだ…そんな辛さを抱えながら、この子は笑っていたというのか…?)
「…ラミール…何で今まで黙っていたんだ…?」
「…だって……だって…お母さんが悲しむから…」
「────!?」
「お母さん言ってた…。おじさんは…お母さんが小さい頃から優しくて…自分のしたいこと…いっぱい我慢してたって……。だから お母さん…少しでも早く…おじさんを自由にしてあげたかったって…言った…。もし泣くことがあったら…またおじさんが心配するから…ラミールと二人で…頑張って幸せになろうね…って…」
「…そ…れで…黙ってるように言われたのか…?」
その質問に、ラミールは大きく首を振った。
「言わない…そんなこと言わない…。ラミールが言わないって決めたの…。ラミール…おじさん大好きだから…」
「…ラミール……」
「…それに…嫌いだ…って言ったら、お母さん悲しむ…。ラミールには、人を嫌いになったり憎んだりして欲しくないって…。優しい子でいて欲しい…って…。言わないけど、絶対 そう思ってる…。ラミール…お母さん大好きだから分かるもん……!」
そう言うと、堪えきれなくなって再び 〝わぁーっ〟 と声をあげて泣いてしまった。
母親に言われたわけではなく、大好きな母親だからこそ、その気持ちが分かるのだと、ラミールは、自らの意志でその全てを小さな心の中にしまっていたのだ。
おじさんは、自分の胸で泣くラミールがたまらなく愛しく、また、たまらなく切なく思えて、父親のような気持ちで抱きしめた。
「ラミール…苦しかっただろう? よく一人で我慢してたな…。おじさんがもっと早くに気付いていれば、こんなに苦しまなくて済んだのに…。悪かったな、ラミール…。でももう、心配してなくていいぞ。おじさんが、お前も、お前のお母さんも助けてやる。これからもずっと守ってやるから、安心しろ…。いいな、ラミール…!」
「…お…じさぁ…ん……あぁあ…!」
あぁ…なんて可哀想なラミール…!
物心ついた時にはもう、父親の愛情は失われ、恨まれてさえいたなんて…!
悲しくて泣きたくて…どれほど大嫌いだと言いたかっただろう。なのにラミールは、大好きなお母さんやおじさんのために、ずっと一人で耐えていたのだ…!
あまりにも可哀想で、ラミールの記憶を辿りながら、あたしもまた涙を流さずにはいられなかった…。
全てを告白し、思い切り泣いたからか、ラミールはおじさんの胸の中で眠ってしまった。
頬に残る涙を優しく拭き取り、ラミールを布団に寝かせたおじさんは、長い間、その安らかな寝顔を見つめていた。
抱えていたものを全部吐き出し、心がスッキリした表れなのだろうが、一番はやはり、おじさんがラミールや母親を助けてくれると言ったからだろう。大好きなおじさんを信頼している証なのだ。
その信頼を裏切る事はできない。いや、それ以前に裏切りたくない…!
おじさんは何かを決意したかのようにすっくと立ち上がると、寝ているラミールを残し、家を出て行った。
目指す場所はただひとつ。
ラミールの家だ──
家の扉を目の前にした時、既に男の怒鳴り声はなかったが、代わりに聞こえてきたのは、大きなイビキと、女性のすすり泣きだった。
来る途中に、何度も怒りを抑えようと自分に言い聞かせていたおじさん。けれど、妹のすすり泣きを耳にすれば、その怒りも蘇ってくる。
おじさんは、ノックをすることも忘れ扉を開けた。
「────!!」
目に映った光景は、初めて見るものだった。
足元には割れた食器が散乱し、僅かな米や調味料、油などもこぼれていた。
視線を奥に向ければ、布団の上に倒れこんだと思われる父親──ガエン──が、大きなイビキを掻いて寝ていて、その向こう側には、部屋の隅で身を縮めるように泣いていた妹──シリル──がいた。
「シリル…!」
玄関の扉が開いた事さえ気付かなかったシリルは、兄の呼びかけにハッと顔を上げた。
「……兄…さん…!?」
「シリル…大丈夫か…!?」
駆け寄るおじさんに、シリルは慌てて涙を拭きとった。
「…に…兄さん…これは何でも──」
「もういいんだ、シリル。話は全部ラミールから聞いた」
「────!!」
「なんでもっと早く言ってくれなかった…? お前のために、オレが色んなことを我慢してきたなんて大間違いだ。オレは自分がそうしたいと思ったから、そうしてきただけで…一度だって、迷惑だなんて思ったことない。たった一人の妹と、たった一人の可愛い姪っ子なんだ…迷惑だなんて思うはずがないじゃないか…!」
「…兄…さん……」
「悪かったな…オレも、気付いてやれなくて…」
「あ…ぁ…あぁ…! ごめん…ごめん…なさい…兄さん…ごめんなさい……!!」
シリルは、ラミール同様、優しい兄の言葉に声をあげて泣いてしまった。
今まで泣くような事があっても、密かに涙を流していただけで、ラミールにも気付かれないよう、声を殺していたのだ。気付かれないよう…心配かけないよう……そう心に決めていたものが、今まさに取り払われれば、それまで抑えてきたものがどっと溢れてきても当然といえよう。
シリルの背中をさすり、〝もう、心配することはない〟 と、何度か囁いていると、不意に、後ろで聞こえていたイビキが止まった。──と、同時に不機嫌な声が聞こえてくる。
「うぅ~…うるせぇなぁ! …静かにしやがれ、この役立たず──…う、うぉ…!?」
「兄さん…!」
男の声が途切れたのは、おじさんが、ガエンの胸倉を掴み座らせたからだった。
「なん──」
「ガ…エン…お前……オレの妹に…オレの姪に何をしてきたのか分かってんのか!?」
「んぁ…!?」
「シリルの体が弱い事 知って…それを承知で妻にしたんだろうが!! なのになんでお前がもっと気遣ってやれねぇんだ!!」
「…気遣う?」
その言葉に、ガエンはフンと鼻を鳴らした。
「気遣って欲しいのはこっちのほうだ!」
「なに…!?」
「外で働いてる妻はいくらでもいる。体が弱いからって、ずっと家に置いてやってんだ。なのに、家のことすらまともにできねーわ、薬代だの治療代だの、金ばっかいりやがる! その上、子供ができてからは、ほとんど寝たきり。俺は病人の看病するために、こいつを妻にしたんじゃねぇ!」
「て…めぇ…!」
「に、兄さん…!」
今度は胸倉を掴み立たせると、壁に思い切り押し付けた。
「てめぇは…自分の嫁をなんだと思ってやがる!? 召使いでも雇った気でいたのか!?」
「ハッ! 召使いの方が、断然、役に立たぁな!!」
その瞬間、おじさんの拳がガエンの顎を直撃した。
「…がはっ…! て、てめぇ──」
反撃しようとするが、まだ酔っているためか動きが鈍い。おじさんは更に胸倉を掴んだ。
「お前なんかに…お前なんかに大事な妹をやるんじゃなかった! ラミールまであんなに苦しませて!! 分かってるのか!? ラミールはお前の子なんだぞ!? 自分の子供を苦しませる親がどこにいる!!」
「フンッ! どうだかな!」
「な…に…!?」
「あんたにとっちゃ、大事な大事な妹で、シリルにとっても大事な大事な兄貴だ。ラミールも、俺よりあんたに懐いてるしな。ここまで言やぁ、分かるだ──」
再び、おじさんの拳がうなり、ガエンは思い切り玄関口に飛ばされた。ものすごい音がして、くの字に倒れたガエンの視界は、衝撃で眩暈さえ起こしていた。
更に殴りかかろうと近付くおじさん。
けれど、一瞬先にガエンの目に映ったのは、手を伸ばせば届く距離に落ちていた包丁だった。それを拾うと、近付いてきたおじさんに向かい大きく腕を振った。
「────!!」
「きゃぁー……!」
不意を突かれたものの、瞬時に避けたため、腕を掠った程度で済んだが、その隙を見て、立ち上がったガエンが、今度はおじさんの胸めがけ真っ直ぐ突っ込んでいく。
「てめぇら…みんな死にやがれ…!」
「いやぁ…! やめてぇ…!!」
シリルは思わず顔を覆った。
彼女の悲鳴と、ガエンの罵声が家中に響く。
ヤケになっているとはいえ、山で働くおじさんの力のほうが強いのは明白で、数秒、力での奪い合いをした直後、
「…死ぬのはお前の方だ…」
──という、小さな声が聞こえたと同時に、〝うぐっ…〟 という うめき声がして、一人が地面に倒れ込んだ。
その音にシリルが気付き、顔を上げる。
「────!! ガエン…!?」
瞬時に駆け寄るシリル。
「すまん…シリル…オレにはこんな事しか──」
言いかけたのはおじさんだった。
謝るおじさんに、シリルは大きく首を振った。
〝兄さんは、謝らなくていい…!〟
そういう思いを込めて。
けれど、次の瞬間、ガエンの手がシリルの腕を掴んだ。息がまだあったのだ。
ハッとしてガエンを見れば、苦しそうな顔で何か言いたげに口を動かす。しかし、声どころか息さえ漏れてこないため、言いたい事が伝わってこない…。
最後の最後に謝ろうと言うのか? それとも、最後の最後まで罵声を浴びせるのか…。それは分からなかったが、シリルにはもう、どうでもよかった。
「…兄さん……」
「……………?」
「あの子を……ラミールをお願い…」
「シ…リル…何を──」
そのあとの光景に、おじさんは我が目を疑った。
未だガエンのお腹に刺さる包丁を握ると、更に強く押し込んだのだ。
痛みで、ガエンの顔は歪み、目が見開いた。そして、〝ガクン〟 と全ての力が抜けると、シリルはその包丁をガエンのお腹から抜き、自分の喉元に当てたのだ!
「シリル──」
「お願い、兄さん! ラミールを連れてこの村から逃げて!」
「ばかっ…逃げるならお前も一緒だ。ラミールにはお前が必要なんだぞ。頼むからバカな事しないでくれ──」
「いいのよ、兄さん…。この人を殺めたのは私ですもの」
「シリル…何をバカな事を…!! 殺めたのはオレだ──」
「いいえ、違うわ。私よ、兄さん。最後の息の根を止めたのは私…。それに、この人が飲んだくれで、お金を使い込み、私やラミールに罵声を浴びせていたことは、近所の人もよく知ってる…。私が兄さんの耳に入れないよう、黙ってもらってたのよ…。だから、私が我慢ならなくて、酔ったこの人を刺したって思ってくれるわ…」
「だからって──」
「私はこんな体だもの…そう長くは生きられない…だからいいの…。この人を殺めて私も死ねば、この事は全て解決するし、誰も兄さんを捕まえようとはしない。だからお願い、兄さん。ラミールと一緒に他の村で幸せに過ごして…!」
そう言うや否や、台所にあった料理用の小さな火種を地面にこぼれた油の上に投げ入れた。途端に撒き散らされていた油に火がつき、近くに転がっていた紙や木を炎で包んでいく。
「シリル──」
「兄さん…バダル兄さん…今まで心配ばかりかけてごめんね…。それから本当にありがとう…。私は兄さんの妹でとても幸せだったわ…」
「シリル…!」
その瞬間、別の声が聞こえた。
「お母さん!!」
「ラミール…!?」
玄関の入り口に目をやれば、いつの間にかラミールが涙を流し立っていた。
「お母さん…やだぁ…死んじゃやだぁ…あ…!」
「ラミール…!!」
「ラミールもお母さんと一緒にいる……一緒にいるぅ…!!」
バダルの横を通り過ぎ、炎の中に飛び込んで行こうとするラミールを、バダルが懸命に止めた。シリルもまた母親の声で止める。
「ラミール、ラミール! よく聞いて。お母さんはあなたが苦しんでるのを知っていたわ。知っていたけど、どうしていいか分からなかったの…。どんな酷いお父さんでも、あなたにとっては血の繋がった父親ですものね。お母さんが先に死んだら、〝親〟 はこの人しかいなくなる。だから、いつかは父親として心を入れ替え、あなたを可愛がってくれるのを信じたの…ううん、信じたかったのよ…。でも、それがあなたをこんなにも苦しめてたなんて…お母さんが間違ってたわ…。ごめね、ラミール…。だから、お母さんなりの 〝幸せ〟 をあなたにあげたいのよ…。──受け取ってくれるわね?」
「…お…母さん…!」
「これからは、おじさんがあなたを愛して守ってくれるわ。本当の父親のように…。だから、違う村に行って、おじさんと一緒に幸せに暮らすのよ。そして、沢山の笑顔を振りまいて見せて。お母さんは、いつでもあなたの傍にいるから──」
そう言い終わると、それを待っていたかのように、火の勢いが増した。
「いやぁ…! お母さん…!!」
手を伸ばし、炎の中に消えていく母親を掴もうとするラミール。そんなラミールを懸命に抱きしめ、バダルは家の外へと飛び出した。
少し離れたところで家が炎に包まれていくのを、ラミールは涙を流しながら見ていた。あまりにも残酷で、バダルがラミールの視界を遮ろうとしたが、ラミールはそれを拒んだ。
そんな時、風にあおられより一層、炎が増した。火の粉が舞い上がり、ラミールの視界を流れていく。そして、僅かに炎が途切れた場所で、凛と立ち尽くす母親の姿が目に入った。
「お母さん…!!」
ラミールの呼びかけに、母親の口が動いた。
おそらく、その時のラミールには、なんて言ったかは分からなかっただろう。けれど、記憶を取り戻している今なら、不思議とその口元がハッキリ見え、何を言っていたのか分かったのだった。
「ありがとう…ラミール…綺麗な紅葉よ…。愛しているわ、いつまでも…」
優しい微笑みを最後に、母親の姿は炎にのまれていった。
「お…母さん…!!」
目の前には火の粉と混じって、僅かに火がついた 〝あるもの〟 も舞っていた。
母親のために作ろうとした、楓の葉っぱだ…。
まるで、紅葉の中にいる美しさ…。
なんて美しく…なんて悲しい紅葉なのだろう…。
ラミールはおじさんに抱きつき、何度も何度も謝った。
「ごめんなさい…おじさん…ラミールが喋ったからこんな事に……ごめんなさい…!」
そんなラミールに、バダルは言う。
「お前が悪いわけないだろう。悪いのはおじさんだ…。お前の大好きなお母さんまで奪ってしまったんだ…。恨むなら恨んでいいんだぞ…。おじさんはどんな罰でも受けるからな…」
自分のせいでこんな事になった…。自分のせいでお母さんを…そして、おじさんの妹を失ってしまった…。
そんな罪の思いに、ラミールの小さな心は押し潰されそうになっていた。
そして、そのまま村を出て行くと、翌日にはラミールの記憶がなくなってしまったのだった。
なんて…なんて残酷な記憶なの…?
なんて、悲しい記憶なの…?
あたしは、隣で泣いている十八歳のラミールを抱きしめ、一緒になって泣いていた…。
そして、知らぬ間に あたし達は意識を失っていた──