10 記憶と繋がる一枚の絵 ※
翌朝、あたしとイオータは少し早めに家を出た。ラミールの家で見張っている 〝二人〟 と交代するためだ。
「あいつら、ケンカしてなきゃいーけどなー」
「そうね…それが一番 心配だわ…」
昨日の夜中まではネオスが見張るが、夜中から今朝にかけては誰が見張るかという話になった時、順番から行けば、あたしかミュエリがラディと一緒に見張ることになっていた。
ラディと二人きりになるのには、まだ抵抗があったが、何を最優先にするべきかを考えれば、個人的な気持ちは無視しなければならない。故に、覚悟を決めて 〝あたしが──〟 と言いかけたのだが、〝今日は寝とけ〟 と、半強制的に断られてしまった。もちろん、そう言ったのはイオータだったが、両脇にいた他の二人も同意したから驚いた…。
あたしが行かないという事は、必然的にラディとミュエリの二人が見張るという事であり、どう考えても、納得するはずないと思っていたからだ。それに、美容に気を使うミュエリなら、徹夜など絶対にしたくないと文句を言うかと思ったのに、二人とも文句ひとつ言わず出かけたから、なお驚くというもの。
「ま、二人とも思ったよりガキじゃなかったってことだな」
──と、信じられない面持ちのあたしの傍らで、イオータが二人の背中を見送りながら満足げに呟いたが、
「明日の朝まで問題なければね」
──というあたしの言葉に、〝う~ん〟 と唸ってしまったのだった。
そして翌朝、二人が心配だというのはもちろん、もうひとつの理由があって、早めに家を出たのだった。
「あの橋らしいぜ…」
そう言ったイオータの視線の先に架かっていた橋は、あたしがテイトの後をつけて渡った橋だった。
「そう…」
「…橋の上からだと魚がよく見えるし…村人も、テイトが腹ばいになって覗いてる姿を何度も見かけた事があるってよ。手を伸ばしてたこともあったってゆーから、まぁ…バランス崩して落ちたんじゃないか…てゆーのが、打倒なとこだな」
「………………」
それには、返事をできなかった。
よく知らないあたし達でなはなく、村の人たちが 〝事故〟 だと結論付けるほど、テイトには、自ら命を絶つ理由も、誰かに殺される理由もなかったという事だ。けれど、あの光は──ルーフィンが気付かせてくれたように──それが真実ではないという事を示している。その真実がなにか分からない以上、あやふやな返事はしたくなかったのだ。
あたしはその橋の真ん中に行くと、目を閉じ両手を合わせた。
早めに家を出たもうひとつの理由がこれだった。テイトが落ちたと言われる場所で手を合わせたかったのだ。
テイト…ごめんね…。分かってたのに助けてあげれなくて…。でも、真実はちゃんと見つけてみせるわ。だからお願い…あたしに力を貸して…。伝えたい事があったら、何でもいいから、あたしが分かるように気付かせて…!
そう、心の中で祈り目を開けた時、ほぼ同時にイオータが何かを見つけた。
「…あれ、ノークじゃねーか?」
そう聞かれ彼の視線を追えば、川の少し上流の方でノークが何やら燃やしているのが見えた。
「…行ってみるか?」
早めに出たから時間はまだあるし、こんな時間に何を燃やしているのか気になれば、行かないわけがない。
イオータの問いには、当然ながら、
「うん…」
──と答えいた。
上流に向かい、ノークの手元がよりハッキリと見えてくると、燃やしているものが何かすぐに分かった。
「絵だわ…!」
そう言うと、思わず駆け出していた。
「ノークさん!」
その声に、次の絵を燃やそうとしていたノークの手が止まった。
「…ルフェラさん!? あ…ぁ…イオータさんまで──」
「どうして絵を…!?」
おそらく違う意味で 〝どうして〟 と続けるつもりだったのだろうが、あたしが先に遮った。
「どうして絵を燃やしちゃうんですか!?」
「ルフェラさん…」
どうして絵を燃やすのか…。
考えれば…ううん、考えなくても分かるものだ。だけど、聞かずにはいられなかった。
「ノークさ──」
「やめようと…思ったからですよ…」
「────!!」
そう言った目は、とても寂しそうだった。
「どう…して…? セオール医師に反対されたから…? でも…反対されても今まで絵を描き続けてきたのは、そのどちらも同じくらい大事だったからじゃないんですか!?」
「もちろん大事ですよ」
「だったらどうして──」
「無理だと思ったのです…」
「……え?」
今まで父親の反対を押し切ってまで描き続けてきたのに、どうして急に無理だと思ったのか…。それが分からなくて、再度聞き返そうとしたら、一瞬だけイオータのほうが早かった。しかも、その質問はあたしと同じものではなかった。
「──昨日の事が原因か?」
テイトの…?
そう思うが早いか、ノークが頷いた。
「私はテイトを助ける事ができませんでした。それで分かったのです。私には無理だと…」
「…ちが…う…!」
あたしは思わず、そう叫んでいた。
「…ルフェラさん…?」
違う…違う…違う……!!
絶対にノークのせいなんかじゃない…!
だって、ノークは知らなかったんだもの…!
〝運命だったから〟 とルーフィンは言った。でも、運命という言葉じゃなく、〝誰か〟 のせいだとしたら、それはあたしなんだから…!
あの子の死を知ってて助けられなかった、あたしのせいなのよ…!
口にはできないから、そう、心の中で叫びながら首を振っていると、再び、ノークが口を開いた。
「ルフェラさん…これを見てください」
そう言って差し出したのは、黒一色で描かれた見覚えのある絵だった。
「…これは……?」
「テイトの絵ですよ。覚えていませんか?」
そう言われ考えてみれば、無言でノークさんの前に絵だけを置いて帰っていった時のものだと思い出した。
「あの…時の…?」
「ええ。これは、あの子の心の中の叫び……私に、助けを求めていたんですよ」
「え……?」
「今までに何枚か描いたものもありますが、この絵を見たとき、そう確信しました。私に助けを求めているのだとね…」
「………………?」
「一番手前にあるこの人物は、おそらくテイト自身です。笑ってはいますが、心の臓は黒く塗りつぶされ、そのすぐ下に描かれた小さな人物は涙を流しています」
「…え、ええ…」
「私は…この小さな人物こそが、本当のテイトの姿だと思いました。でも、私が分かったのはそれだけです。この左上に描かれた小さな人物も、〝誰か〟 というのが分かればまだいいのですが、うしろ姿なので検討がつかなくて…。話せなくなったのも、全てはこの絵の中に原因が隠されていると思います。でも…話せない以上…あるいは、聞いても答えてくれない以上、絵でその答えを見つけるしかなかったのです」
そんなノークの話を聞いて、不意に思い出したことがあった。
確か、何かの本に書いてあった…。
人には、想いを伝える方法が幾つかある。言葉を口にするだけじゃなく、言葉を紙に書いたり体の動きで伝える事もできるけど、特に絵は、人の心の中を覗く事ができるものだ…と、書いてあったはず。そしてそれを使うことで、将来 心の病をも治す事ができるようになるだろう…と。
その事を思い出したあたしは、無意識のうちに呟いていた。
「……心の…医師…?」
その言葉を知っている事に少々驚いたようだが、ノークは静かに頷くと、その先を続けた。
「…ある時、自分の描いた絵を振り返っていて気が付いたことがありました。どの絵にも、その時の自分の感情が入っているということに。時間がなくて急いで描いたものだという事も、悩み事があった時に書いた絵だという事も、ただ自然の美しさに感動して無我夢中で描いていた絵だという事も…それぞれの絵に表れていました」
「それが…今と繋がって…?」
「ええ。原点みたいなものです。絵を描いているとね、自然と子供たちが集まって、一緒に絵を描きたいって言うんですよ。自由に絵を描くようにすすめると、子供たちは見えるものにこだわらず、本当に自由に描いていました。そんな絵を何枚も何枚も見ているうち、子供たちの中にある 〝心〟 が見えてきたんです。特に気になったのは、〝心の闇〟 。心の中にしまいこんでいる、言いたくても言えないもの…あるいは、誰かに気付いて欲しいという心の闇でした。その典型的なのが…テイトだったのです」
「──── !」
「ルフェラさん、あの時……〝あの子を助けてあげて…〟 と駆け込んできたのは…ひょっとしてテイトの事だったのでは…?」
あたしはドキッとした。
「……あ…その……」
「いえ…ムリには聞きません。でもあの時、あなたの言葉にもっと耳を傾けて、テイトと結びつける事ができたら、私はあの子を救えたかもしれません…。そう思うと、私はとても悔しいのです…」
「ノーク…さん…」
「それに…あの子を助ける事ができたら、私は父に証明する事ができましたしね…」
「証…明…?」
「…ご存知のように、〝心の医師〟 は確立されていない…あやふやなものです。でも、いつか必ず必要なものになってくると信じています。父を尊敬している事も、跡を継ぎたいと思っている事も事実ですから…ならば、好きな絵を使って心の医師になれれば…と思ったのです」
「でも、許してくれなかった…?」
「心の医師になるという事は話していませんから、特に…ですけど…。まぁ…言ったところで、証明できなければ信じてはもらえませんし、許してもくれませんからね…」
「じゃあ…その証明ができなかったから諦めるんですか…?」
「それもありますけど…最初に言ったように、テイトを助ける事ができなかった事が、一番の理由ですよ。心の闇があの子の中にあると知りながら救えなかった以上、これから先、同じ事があっても私には救えない…無理だと分かったからです。私には心の医師は向かないのだとね…」
「そんなこと……そんなことないわ……。だって…絵を見て心の闇に気付いたんだもの…。他の医師には治せない心の病を治せる事ができるはずよ…! ノークさんができないなら誰が──」
「いいんですよ、ルフェラさん」
「……………!」
「もう、決めたことですから」
そう言うと、傍らに置いてあった絵を取り、小さくなった炎にかざし始めた。
瞬時に、その絵を取り上げようと手を伸ばしたが、ノーク自身が 〝決めた〟 と言ったからなのか、イオータがその手を止めた。
途端に、メラメラと炎が大きくなる。
もしそれが普通の絵なら、あたしも唇を噛んで耐えたかもしれない。けれど、そこに描かれたものが何の絵なのかが分かった瞬間、半分ほど炎に包まれた絵をノークの手から奪い取っていた。
これは──!!
「ルフェラさん──!?」
「お…い、何やってんだ…火傷──」
「楓よ!」
「なに…!?」
「楓が風に舞ってる絵…ラミールの記憶の手掛かり──」
「ばっか…そんなこと言ってねーで、その手を離せって──」
そう言ってあたしから絵を奪い取った時だった──
一瞬 風が強く吹いたかと思うと、あっという間にあたし達の手から離れ飛ばされてしまったのだ。同時に、それまで燃やした灰が目の前で舞い上がり、まだ、ところどころ炎が残る赤い灰も飛び散ってしまった。
これは……。
まるで風に舞う楓のよう…さっき見た絵と同じだわ……。
飛び散る灰を眺めそう思った時、突然、女性の悲鳴のような声と男性の声が聞こえた。
反射的に振り返れば──
「ラミール!!」
「ラミール…!?」
「お…前ら…!?」
ほぼ同時に、あたしたち三人が叫び走り出していた。
どうしてこんな所にラミールが来るのか…?
そんな疑問が浮かぶよりも先に、ラミールの異変に気付いたからだ。
「…あ…あぁ…ああぁ……や…あ…ぁあぁあ────!!」
頭を抱えるようにして崩れ落ちるラミールを、瞬時にラディとミュエリが支える。
「ラミール! ラミール!! どうしたのですか、ラミール!?」
駆けつけたノークが正気を取り戻そうと、ラミールの体を強く揺さぶった。しかし、その目の焦点はまったく合わず、〝あぁあ……!〟 と叫ぶだけで、正気を取り戻すどころか、更にエスカレートしていく。
焦ったあたしはラディに詰め寄った。
「…何があったの!? ラミールに何があったのよ!?」
「分…かんねーよ! 急に風が吹いたと思ったらこうなっちまって…オレにも何がなんだが──」
「そうよ……風が吹いて 〝楓〟 って言ったのは聞こえたけど、すぐに震え出したのよ──」
「か…えで…?」
そう繰り返した途端、まるでそれが合図になったかのように、ラミールの悲鳴が強くなった。そして、支えていたラディたちの手を無我夢中で振り解くと──力が入らないのか──両手をついて這い出したのだ。
慌てて、ノークとあたしが押さえ込もうとラミールの体に触れた、まさにその瞬間──!!
────!?
ドクン…と大きな脈がうち、体が揺れたかと思ったら、あたしの目の前を何か赤いものが横切ったのだ。
なんだろう…と、ふと顔を上げれば、沢山の赤い 〝何か〟 が、サァー…っと流れていくのが見えた。
な…によ…これ…?
信じられないことだが、あたしの目の前の景色が一変していたのだ。しかも、ここには、あたしとラミール以外、誰もいなくなっていた。
目の前で流れていく赤いものを見てると、少し前の記憶が蘇ってくる。
楓…なの…?
あたし自身の目がどうにかなったのかと思うほど、まるで焦点が合わず、それが何なのかがハッキリしない。
そんな時、その赤い何かがあたしの手に触れた。
あつ…っ…!?
な…んで……楓の葉が…熱いのよ…?
思ってもみない感覚に驚けば、楓の葉だと思っていた赤いものが別のものだと分かった。
火の粉…?
そう思うや否や、風が吹き、火の粉が空に舞い上がった。そして、見る見るうちに新たなものが見え始めてきた。
大きく揺らめく赤いもの…その中に黒い線のような物が、縦や横、斜めに組まれ、何かの形を作っていた。
この形は……家…?
あ…ぁ…そうか……大変…家が燃えてるんだわ…!?
いったい誰の家が…?
中に人は…!?
そんな心配をしていると、少しずつ炎が弱まり始め、比例して見えてくる二人の人影…。
その時は、誰かが消してくれていると思ったため、〝急いで!!〟 と叫んだが、その後の映像を見て、これは時間が戻っているのだという事に気付いたのだった。更に、火の粉の中に混じって、もう一つ別のものが見えてきた…。
そして、分かったのだ。
これは…ラミールの記憶なんだ、と。
だから、楓の葉が風に舞う絵に、なにか感じたのだ…。
あ…あぁ…!
なんて、残酷な記憶…!
なんて、悲しい記憶なの…!