7 誤った推測…? ※
あぁ…そうか…。
昨日、ネオスと彼女の話をしたからだわ、きっと…。
男の子の家を眺め、あれやこれやと考えていたあたしは、自分が一番納得できる理由で そう結論付けた。
昨日は、夜の散歩をしたせいか現実の夢でうなされる事はなかった。けれど、イオータの言う 〝正夢〟 は相変わらずで…今日は暗闇に浮かび上がる人の顔と、怪しく光る刃が見えたのだ。
〝ラミール………!?〟
初めて見えたその顔に、思わず叫びそうになって目が覚めた。ハッと息を飲んだ音も、心臓がバクバクと早鐘打つ音も、寝ているみんなに気付かれるんじゃないかと思うほど大きく、しばらくは布団の中にもぐりこんでいたほどだ。
一瞬、ラミールが殺されるのかと思ったが、すぐに違うと否定した。彼女の死があるとすれば、それこそ、取り戻した記憶の辛さに耐えかねて自殺する可能性が高いと思ったからだ。
だとすれば、考えつくのはひとつしかない──
やっぱり、あの男の子は誰かの刃で殺されるんだわ…!?
自らの命を絶つんじゃなく、誰かに…!
でもどうして、母親ではなくラミールなの…!?
あれはラミールの目の前であの男の子が殺されるってことでしょ…!?
いったい、どんな繋がりがあって二人が一緒にいるわけ…?
たまたまなの…?
そりゃ、村人だから顔も知ってるだろうし、話もしてるだろうけど…あの場所は外じゃないはずよ。夢がハッキリしなくて周りが真っ暗だから、夜なのか昼なのかは分からないけど、顔と刃のほかに、ラミールの足先が見えていたもの。ラミールは裸足だった。もし外で靴が脱げているなら、汚れているはずだが、それもなかったのだ。──ということは、あれは家の中…ってこと。
いつ、どこで、二人が一緒の部屋に……?
なかなか答えの出ない疑問と、それが遠い未来の事じゃない事だけは確かで、気だけが急いていく。
そんな態度が朝食時にも表れたのだろう。ネオスが気にしていたようだが、まさか、男の子が殺されるとは言えない。そんな夢を見たと言っても、そこまで神経質になることでもないし、死の光が見えたからだとは、それこそ言えないのだ。だからまた、適当な事を言って外に出てきたのだった。
そして今、男の子の家の近くで、答えの出ない疑問を あれやこれやと考えた結果、寝る前にラミールの話をしたからだ…と結論付けたのだ。
寝る前に見たものや話した事、聞いたこと…夢にはいろんな事が影響されるというし、実際に、今までだって影響された事があった。
母親の顔がラミールの顔と入れ替わったとしても、それはあり得ることだろう。
それにもし、ラミールと男の子が会う事になるのなら、どちらかを見張っていれば済む事だから。二人が会うことによって、あの夢が本当に正夢になるとしたら、あの二人を会わせなければいい事だものね…。
そこまで考えて、ようやく心の中が落ち着いてきたのだった。
男の子はあまり外には出てこなかったが、時折、母親から頼まれるのだろう、おつかいに出かけたりしていた。後をつけても、橋から川の様子を眺めたり、立ち止まって大空を仰ぎ見たりするくらいで、特に変わった様子は見られなかった。
もしあの光が一瞬のもので、今は何も見えないなら、きっと 〝気のせい〟 だと思い思い込んで宿に帰ってしまうだろう。けれどあの光は、今もなおハッキリと あの子の頭上で光っている。
あたしに見えるのが当日か前日ならば、今日が一番気を付けなきゃいけない日である事は確かなわけで、周りに誰か怪しい人はないか…それをずっと気にしていた。でも同時に、ラミールが近付いてこない限り、大丈夫だとういう思いも頭の片隅に置いていた。
昼食時には、家の中に入るため人通りもまばらになる。再び子供たちが外に出て遊び始めると、一気に賑やかになった。
あの男の子も兄弟と一緒になって遊び始めたが、見ていて 〝そうだったのか…〟 と気付く事があった。周りの兄弟や友達が喋りかけると、それに対し、頷いたり首を振ったりするだけ。ノークの前から無言で立ち去った時は、〝挨拶もなしに?〟 と思ったが、どうやら彼は喋れないようなのだ。
心に傷を負っていて精神的な問題で喋れないのか、それとも 〝喋る〟 という機能上に問題があるのか…。それは分からないが、〝聞こえないから喋れない〟 というものじゃないことだけは確かだ。
──なんにせよ、これ以上あの子に不幸な事は起こって欲しくない。
そんな想いが時間と共に強くなり、どうにもできない黒い光を忌々しく見つめていると──昼も半分ほど過ぎた頃だろうか──小走りで近寄ってくる人物が目の端に映った。
ふとそちらを振り向けば──
ラミール…!?
途端に頭の片隅に追いやっていた 〝可能性〟 が膨らんできてしまった。
まさか…と胸の鼓動が早くなる。
反射的に見るのは男の子。彼はまだラミールの事に気付かず、他の兄弟と遊んでいた。
ダメよ…そこにいちゃダメ……少しの間でいいから家の中に入ってて!
祈るように心の中で叫ぶものの、ラミールとの距離はだんだん縮まってくる。
ラミールと会っちゃいけないのよ!
お願い…早く…!
二人の姿を交互に目に映しながら、自然と胸の前で組んだ両手に力がこもっていった。時々、後ろを気にしている姿が、〝誰かに追われているのではないか…〟 そんな気持ちにさせ、更に不安を募らせる。
こうなったら、あたしがラミールを引き止めて、ここから遠ざけるしかない…。
引きとめる言葉すら思い浮かばないものの、これ以上近づけるわけにはいかない。そう思い、そこから一歩足を踏み出した時だった──
「──テイト?」
僅かに聞き覚えのある声が聞こえ振り返ると、それが母親のものだったのだろう、男の子が家の中に入っていくところだった。
助…かった…?
ホッと胸を撫で下ろす間もなくラミールに視線を移すと、彼女もまたタイミングよく手前の道を曲がっていくのが見えた為、ようやく安堵の溜め息を漏らす事ができたのだった。
ひとまず二人が会うことは避けられた。けれど、一度膨らんだ 〝可能性〟 は、今や頭の片隅には収まり切らないものになっていた。一番気を付けなきゃいけない時に──偶然にも──あれほど二人の距離が縮まれば、寝る前の会話が影響しただけだとは思い直せないのだ。そして更にもう一度、二人が近付くような事があれば、あたしはきっと 〝可能性〟 を 〝確信〟 に変えてしまうだろう。
ただ、それならそれであの子を守る方法がハッキリするのだが…。
確信に変えたいような変えたくないような…複雑な気持ちのまま、しばらくの時が流れていった。
そして──
「ルフェラ…!?」
やっと見つけた…とばかりの声が聞こえたのは、そんな時だった。振り向けば、ラミールが曲がった道を通り越して走り寄ってくるラディの姿。
「お前、こんなとこにいたのかよ? 昼飯にも帰ってこねーで、みんな心配してたんだぞ?」
「あ…ごめん…」
「──ったく、いったい何やってんだ、こんなとこで…?」
そう言いながら辺りを見渡し、ふと何かに気付いた。
「そういや、昨日もここにいたよな…?」
「え……あ、うん…まぁ…」
「……なんか…あったのか?」
二日続けて同じ場所にいて、食事時にも帰ってこないなんて、何かあると思って当然なのだが、だからといって、正直に言えるわけがなかった。
「ルフェラ…?」
「……………」
あぁ…だけど、あたしはいつまで黙っていればいいんだろう…。
この先も、あんな光を見るたび、あたしは同じことを繰り返さなきゃいけないのよ…?
一人黙って、〝別に、なんでもないのよ〟 って言い張りながら…そのくせ、心配かけるような行動をしたりして……。
そんなの……いつまでも隠し通せるはずがない……。
だとしたら、せめてラディにだけでも言った方がいいのかも…。昨日の事を聞いてるなら、光の事は言えないにしても、あの子が危ない…という事だけは伝えられるかもしれない…。
そう思い、あたしは意を決するように大きく息を吸い込んだ。そして──
「……ラディ…昨日ノークさんから──」
そう言いかけたのだが──
ラディの肩越しに見えた人物にハッとし、思わずラディの腕を引っ張り物陰に隠れてしまった。
「お…い、どうしたんだよ、突然──」
「シッー!」
慌てて、言いかけた言葉を遮ると、あたしは声を潜めた。
「そのままジッとしてて!」
「…はぁ!?」
それは本当に突然の事で、さすがのラディもいつものような調子づいた言葉を返してこなかった。
全く理解できないため、その理由を聞きたいと口を開きかけるが、あたしの態度がそうはさせなかったのだろう。とりあえず、言われた通りジッとしていた。
けれど、彼の腕を掴んでいたあたしの手に力がこもっていくと──それは殆ど無意識のうちだったが──心配と同時に、あたしの視線の先…つまり、ラディにとっては後ろが気になりだしたようだった。
何気に振り向けば、あたしの態度から原因らしきものを察知する。
「あの子が どうかしたのか?」
「………………」
「……なんか、今にも泣き出しそうだけどよ…?」
「………………」
「…それに、後ろばっか気にしてるし…誰かに追われてんじゃねーのか?」
「………………」
ラディの言うとおりだった。
こちらに近付いてくるのは、一番近付いて欲しくなかったラミール。ギリギリのところで曲がってホッとしたのに、今では、その時見えなかった表情までハッキリと見えるほど近付いてきたのだ。
だけど、未だ男の子は家の中。
お願い…あの子の家に行かないで…!
そのまま通り過ぎて…!
ただただ、それだけを祈りながら、あたしはラディの質問にも答えずジッとしていた。
そして、その想いが通じたのだろうか…。ラミールは男の子の家さえ見向きもせず、あたし達の横をも足早に通り過ぎたのだった。
途端に、手の力が抜けた。それに気付いて、ラディが説明を求める。
「ルフェラ…?」
「…あ…うん……えっと、あの子は──」
ホッとして、ようやくラディの質問も頭に入り答えようとしたのだが、いかんせん、ホッとしたからこそ新たな事が気になりだしてしまった。
──今ここを離れるわけにはいかない。
そう思うものの、彼女のあの顔がなぜかとても気になる…。
追われてるような行動も、何か胸騒ぎがしてならない…。
「ル──」
「ラディ、ごめん。ちょっとここで見てて」
そう言うや否や、あたしは体を翻した。
「え!? あ…おい、ルフェラ…ここで見てって何を──」
「いいから──!!」
とにかくそこにいてくれればいいから…と、振り返りざま言い残すと、再び背を向け彼女のあとを追い始めたのだった。
とりあえず、ラディがいれば最悪の事態は避けられるはずだ。母親が助けを求めた時、傍に誰もいなかったとしても、ラディがいてくれればすぐに駆けつけてくれるだろうから。それに、叫ぶのが母親ではなくラミールだったとしても、彼女を見張っていればそれは同じことだもの。
〝──だから、大丈夫〟
あたしは、納得できるだけの説明を、そう 自分自身にしていた。
ラミールは後ろを気にしているものの、あたしがあとを付けていることには気付いてないようだった。もちろん、気付かれないよう、ある程度の距離を置いていたというのもあるだろうし、振り返りそうになるたび、すぐに物陰に隠れたり、歩をゆるめ、明後日のほうを向いたりしていたというのもあると思う。でもひょっとしたら、特定の人物──追われているなら、追ってくる人物──以外、その視界に入らないのかもしれない…という思いも湧いてきた。
それほど、焦っているというか余裕がなかったのだ。
いったい、なにをそんなに…?
まるで彼女の焦りが伝わってくるように、あたしの中にもわけの分からない焦りと不安、そして胸騒ぎがどんどんと高まっていった。
ただ、最初は誰かから逃げているようにも思えたのだが、途中から、どこかに向かっているのだろうと思うようになった。なぜなら、時折、あたしも後ろを見ていたが、追ってくるような怪しげな人物はいなかったし、覚えている限り、彼女の進んでる道は、あたしが昨日ラディと帰って来た道だったからだ。──つまり、彼女はその逆で川に向かってるということ。
川……? どうして…?
更なる疑問が頭をよぎる。けれど、その答えが分かるのに時間はかからなかった。
川辺に出て、上流の方に向かったラミール。その先にいたのは、木の陰に座り込み、目の前の景色を描いているノークの姿だったのだ。
そして、ラミールの歩も更に早くなった。
ノークさんに…会いに…?
じゃ…あ…後ろを気にしてたのは、会うのを反対している父親が気付いて追ってこないか確認するためだったの…?
ひょっとしてあたし、何か勘違いしてたのかな…?
そんな不安が胸をよぎった。けれど──
でも、それだけであんなに必死になるものかしら…?
今にも泣きそうな顔してたのよ…?
それだけじゃないと思わせる疑問が膨らんでいく。
そんな中、ラミールが我慢しきれなくなったのかノークの所へ走り寄っていった。思わず、あたしも走り寄る。木の幹で二人の姿は見えないが、それでも、声の聞こえる茂みに身を隠した。
途端に、叫ぶようなラミールの声が聞こえてくる。
「ノーク先生!」
「…ラ…ミール!?」
「せ…んせい…どうしよう…あたし…!」
「ラミール…いったい、どうしたんですか!? お父さんに見つかったら──」
「たす…けて、先生…あ、あたし…父に殺されるかもしれない!」
────!?
突然の告白に、耳を疑った…。
それはノークも同じだったようで、一瞬の間のあと、動揺した声が聞こえてきた。
「…今…なん…て…!?」
「…あたし…父に殺されるかも──」
同じ言葉を繰り返し、その言葉の恐ろしさに耐え切れなくなったのか、途端に言葉に詰まってしまったラミール。聞き間違いじゃなかったと分かれば、体中に緊張が走る。
「ラミール、落ち着いて。一体なにがあったのか、ちゃんと話してごらん?」
「………せ…んせい……!」
「…ほら、とにかく座って」
そう優しく促すと、ラミールが落ち着くのを待っていたのか、しばしの沈黙が流れた。そして、次にラミールの口から出た言葉は、再びあたしをドキリとさせるものだった。
「あたし…思い出したんです…」
「思い出した…? ──って…まさか、記憶を…!?」
出来る限り冷静に話そうとするラミールとは対照的に、あたしの胸が騒がしくなりはじめた。
「…でも全部じゃないんです…ほんの少しだけ…。それも、ハッキリしたものじゃなくて…なんとなくっていう、曖昧な感覚…。でも…あれはただの夢じゃない…。それだけは分かるんです!」
「…夢…?」
その一言に、あたしはもちろん、ノークの緊張が緩んだように感じた。けれど、ラミールは違った。
「分かるんです…。〝そういえばそうだった…〟 っていう感覚はないけど、あの男の人の顔…記憶のどこかで知ってるって感じるの…。今のあたしは知らないけど、昔のあたしが知ってるって…! だからあれはあたしの記憶なんだわ…! あ…ぁ…でも…どうしよう、先生……あたし…もしかしたら、とんでもない事を思い出したのかもしれない──」
「ラミール──」
話していくうち、徐々に興奮していくラミールに、ノークは再び落ち着くよう促した。
「ゆっくりでいいから、その夢で見たことを話してごらん?」
「……は…い…」
優しく促され、ラミールは、夢で見た映像を思い出すかのようにゆっくり話し始めた。
「………家の…扉が見えたんです。周りの景色に見覚えはないけど…その扉はなんとなく覚えてる気がしました…」
「…うん」
「…中から人の声が聞こえて……覗いたら…若い男の人が二人…すごい剣幕で言い争っていたんです。一人は…父でした…」
「…それで…?」
「…あたし…怖くて中に入れなくて…隠れるようにその場でジッとしてたんです…。そしたら急に声が途切れて……どうしたんだろうって思って中を覗いたら…父が………父が……」
その次の言葉に、あたしの心の臓が止まりそうになった。
「…父が…男の人を刺してたんです──!!」
「────!!」
「…先…生…どうしよう……まさか…まさか父があんな事をしたなんて──!!」
ラミールは、そう言ったまま堪えきれなくなって 〝わぁー〟 と泣き出してしまった。
信じられない……ううん、信じたくない…。そう思いながらも、同時に ただの夢じゃないという事を感じてるのは、他でもない、ラミール自身なのだ。それもとても強く──
だから、今にも泣き出しそうな顔をしてたんだわ。どうしていいか分からなかったから──
「ラミール! ラミール、落ち着いて…! それがもし、ただの夢じゃなく本当に君の記憶だとしても、今はまだ、どこまでが真実かは分からない。曖昧な感覚の記憶は、精神的なものにも左右されるんだよ。時間が経てば間違いにも気付くし、よりハッキリしたものが蘇ってくる。だから今は──」
夢で見た事が全て真実じゃないんだ…、と説明するノークだが、その思いはラミールには届かなかった。
でも、それは彼女だけではない。──このあたしも、なのだ。
彼の言葉に、〝確かに、その可能性もある〟 と思ったものの、幾つかの事があたしの脳裏に蘇ってきた。それは、〝信じたくない〟 という事が事実だと思わざるを得ないものばかり…。
必死になって、逃げるように歩いていたのも、この考えからなんだ…。
おそらく、ノークもそれに気付いているはず──
そう思った矢先、それを言い放ったのはラミール本人だった。
「…だ…から…父はあたしが記憶を取り戻す事に反対してたんです…! 人の命がかかってるって言ったのは……記憶を取り戻したら、あたしを殺すつもりだったんです…! 唯一、父の過去を知ってるあたしを──!!」
「────!!」
──そう。そして、その結論をあたしに決定付けたものは、夢だった。
イオータに正夢になると言われた、あの夢…。
彼女が死ぬとしたら、思い出した記憶に耐え切れなくなって自殺するんだとばかり思ってた。だから、あの夢で見たラミールの顔は、前の晩にネオスと会話したことが影響されたのだと思ったのだ。
でもそうじゃなかった…。
あれは、本当に彼女が誰かに殺されそうになる正夢なんだ。そして、彼女を殺そうとする誰かが、ほぼ間違いなく実の父親だなんて──!!
「ラミール、ラミール!? ──いいかい、よく聞いて。少なくとも、記憶を取り戻した事を悟られなければ、その危険性はないんだよ。──それは分かるね?」
「………は…ぃ……」
「…夢や曖昧なものとはいえ、思い出した記憶は まだほんの一部に過ぎない。その男の人がどこの誰なのか…なぜそんな言い争う事になったのか…事実を確かめる必要がある。もしかしたら、先に仕掛けたのは刺された男の方で、揉み合っているうちに誤って…という事もあるだろう? それに、ラミールが気付かなかっただけで、お父さんの近くに誰かいたのかもしれない。その人を守る為に一生懸命だったとしたら…? 前後の記憶で、良い方にも悪い方にも考えられるんだよ。だから、結論を急いじゃいけない。せめて、もう少しその記憶がハッキリするまで、今まで通りのラミールでいるんだ。──できるね?」
「………………」
「……大丈夫、私がついていますよ。不安になったり、何か新たなことを思い出したら、すぐに私の所に来なさい。この時間は大抵ここにいるから。いいですね?」
最後はいつものノークらしい口調に戻っていて、〝私がついている〟 と言ったその一言には、包み込まれるような安心感があった。
それが彼女にも伝わったのだろう。ラミールはようやく落ち着きを取り戻し、〝分かりました〟 と言うと、普段通りの足取りで帰っていったのだった。
こんなのってあんまりだわ…。実の父親に殺されるかもしれないだなんて…。
何とかして、最悪の事態を避けさせてあげなきゃ…。
事実ならば、その記憶を変えることはできない。そのやるせなさと、ならば何とかして最悪の事態だけは…という思いが重なって、あたしは、しばらくの間、そのうしろ姿を眺めていた。
そして、無意識のうちにその場で立っていた事に気付いたのは、ノークがあたしの名前を呼んだからだった──
「ルフェラさん…!?」
「…え?」
「いつからそこに…? まさか、今の話──」
「え…あ…ご、ごめんなさい…! 彼女を見掛けた時…様子がおかしかったから気になって…後をつけてしまったんです…。盗み聞きするつもりじゃなかった…って言ったら…嘘になる…けど……その……」
わざわざ自分からそんなことを…しかも、正直に言わなくていいのに…と心の中でツッコミながら、それ以上、何を言っていいか分からない現状に、自分で自分が情けなくなってしまった。
ほんと…あたしってバカ…。
せめて、茂みに隠れたままならよかったのに…。
そんな後悔をしても時既に遅く…困ったような溜め息をつかれてしまえば、再び謝るしかない…。
「…ごめん…なさい…」
「…仕方がありませんね…。──それで、彼女の事は誰から?」
「え…?」
「──様子が気になるからといって、全ての人の後をつけるわけじゃないでしょう?」
あ…ぁ…なるほど…そういう意味…ね。
ごもっともというか…さすがの質問だわ…。
確かに、様子が気になるからといって、全ての人の後をつけるわけじゃない。知らない人や関係ない人の様子が気になっても、普通は 〝何か変ね…〟 と思うだけだろう。それが、こうやって後をつけ、話まで盗み聞きするなんて、その人のことを知ってるか、何かを聞いていたからに違いない…と思っても不思議じゃないのだ。
あたしは一昨日の事を思い出しながら答えることにした。
「…妹の…ユイナさんから聞いたんです…一昨日の朝に…」
そう言った途端、今度は呆れたような溜め息が聞こえてきた。
「…やっぱり、ユイナでしたか。どうもあの子はお喋りが過ぎるようですね…」
「あ…でも…怒らないであげてください。あたし達がムリに聞き出したようなものですから…」
「…ムリに?」
「あ、いえ…その…飛影の事で矢継ぎ早に質問されて困ってたら、イオータが、先に自分達の質問に答えたら教えてやる…みたいに言って…それで…」
「そうですか…」
「それに…結局、話しているうちに飛影の事は忘れちゃって…彼女の質問に答えてないので…」
申し訳なさそうにそう言うと、ノークはクスッと笑った。
「分かりました。では、ルフェラさんに免じて今回の事は責めないでおきますよ。──それで、話は元に戻りますが、ユイナから聞いているという事は、さっきの話の意味も分かるということですね?」
「…え…えぇ…。…なんか大変な事になりそうで…」
「そうですね…。私も、まさかこういう展開になるとは思ってもみませんでしたよ。でも、その夢が、本当に彼女の記憶かどうかはまだなんとも言えませんから──」
「ノークさん」
あたしは、彼の言葉を途中で遮った。
「…正夢って、ご存知ですか?」
突然の質問に、ノークは不思議な顔をした。
普通なら、〝なぜに今、そんな話が…?〟 と聞き返してくるところだろうが──もちろん、ノークもそう思っただろうが──あたしの顔が真剣だったからか、普通に会話を続けてくれた。
「何度も同じ夢を見て…それが現実になるという夢ですよね?」
イオータ以外の人から、〝正夢の定義〟 を聞き、あたしは正夢の存在と、やっぱり、あれは 〝正夢なんだ〟 という確信を持った。そして、平静さを保ちながら無言で頷くと、更なる質問を続けた。
「正夢を見たことは…?」
「いいえ」
「…じゃぁ、あたしがその正夢を見たと言ったら…信じますか?」
それまで、正夢の事を言い出した意図が分からなかったようだが、その質問で、悟ったようにハッとした。
「まさか……彼女が……ラミールが殺される正夢を…!?」
「…正確には、その直前の映像ですけど…ここ何日と同じ夢ばかり見てるんです…」
「そんな…」
正夢を信じるかどうかという事に関しての答えは返ってこなかったが、全ての状況を考えれば、それが現実になる可能性が高いという結論に至るのだろう。
先ほど、父親に気付かれなければ大丈夫だ…と言って帰した事が、間違いだったのではないかと悔やみ始めたのだった。
だからあたしは答えた。
「大丈夫です、ノークさん。彼女は…あたし達が守りますから」
「え…? ル…フェラさん…?」
「夢では、ラミールが 〝誰か助けて…!〟 って叫ぶんです。あたし達は五人もいるし、交代で彼女の家を見張れば、いざっていう時に飛び込めるもの」
「でも…それでは あなた方まで危険な目に──」
「それも大丈夫です。イオータは剣術に長けてるし、あたしも少しは彼に習ったんですよ。それに、ネオスやラディも力はあるし、ミュエリだって誰かと一緒なら、父親を制してる間に、ラミールと逃げる事ができるでしょ?」
そう言いながら、なぜ、そんな自信たっぷりに言えるのか…と、疑問に思ったが、実はそれが自信ではなく、〝なんとしてでも助けたい〟 という思いからくるものだと気付くのは、もう少しあとになってからだった。
「ノークさん…彼女の家、教えていただけますか?」
そのお願いに最初は躊躇っていたノークも、あたしの考えが変わらないことを知ったのか、〝ムリをせず、何かあったらすぐ私のところに来るように〟 という約束と引き換えに、家の地図を書いてもらった。
「ありがとうございます」
あたしは、それだけ言って受け取ると、もと来た道を戻り始めた。
そして、途中でラディを拾い、彼女の家に向かったのだが、この時、あたしはとんでもない事を忘れていたのだった──