5 二度目の黒い光 ※
翌日、あたし達はセオール医師の許可を得て、昼食後には宿に移ることになった。
一度、部屋に案内されれば夜まで何もする事がないため、自然と自由行動になる。
ミュエリはネオスを連れ外に出かけ、ラディはイオータに 〝食後の運動〟 を呼びかけていたが、
「病み上がりがムリすんじゃねぇ」
──と、即行拒否された。
「オレは一人で行ってくるから、お前は大人しくここにいるんだな」
「なんだよ、つまんねー……あ、でもちょっと待てよ?」
不意に何かが浮かんだのか、ラディがあたしの方を見た。
「…なによ?」
「お前と一緒なら、ここにいてもいいな、うん」
「あら、悪いけど あたしも出かけるわよ」
「なに!?」
「ルーフィンと一緒に、川辺まで お散歩♪」
「お…前ら…白状だな…」
「そう?」
「オレはここに来てどっこも出かけてねーんだぞぉ!? やっと元気になったってーのに、またオレだけ一人かよ?」
〝冷てぇヤツだ〟 と付けたし、ラディはイジケて背を向けてしまった。
子供みたいな言い分だけど…まぁ、確かにここに来てすぐ倒れちゃったし、ずっと個室だったものね。しかもその原因を作ったのはあたしだしなぁ…。
セオール医師から許可も出たんだし、ジッとしてなきゃいけないっていう必要もない。
水と陽射しの病なら、正直、食事ができれば問題ないもの。
あたしは小さな溜め息と共に、イオータと目が合ってクスッと笑ってしまった。
「ラディ…?」
「………………」
呼びかけに対し、ラディは黙ったままだった。もう一度、呼んでみる。
「ラディ…?」
「………………」
やっぱり、返答はなし。
ならば──
「…あたしに背を向けて座ってる、そこのカッコイイお兄さん…?」
──と呼べば、僅かながらに顔が上がった。
ほんとに年上かしら、この男は…。
あまりにも子供じみてて、呆れるやら笑えるやら…。
「ねぇ、ラディ?」
「な、なんだよ…?」
やっと…だけど顔を向けずに、ぶっきらぼうな返事が返ってきた。
ここで 〝一緒に散歩に行こ〟 と言っても、素直に 〝おぅ!〟 とは返ってこないだろう。
故に、あたしも考える。
「あたし、散歩に行くんだけどさ…」
「あぁ、行けばいーだろ」
「喋る相手がいないのよねぇ…」
「…だから?」
「一人でブツブツ言ってても危ない人だと思われるし…なぁんにも喋らないっていうのもつまんないじゃない?」
「…だから、なんだよ…?」
「だからさ…話し相手になってよ」
「………………」
「ラディ…?」
「………………」
黙った時点で、作戦成功かと思ったのだが、なかなか次の言葉が返ってこない…。
それほど単純じゃなかったか…と、次の作戦を考えようとした矢先、
「…しゃぁねーな…。オレと喋りたいなら最初っからそう言えよ」
──と、嬉しそうな顔でこちらを振り返った。
前言撤回。
まだまだ単純だわ…。
「んじゃ、行こーぜ。川辺で愛の語らい…ってーのも悪くねーしな」
「え…?」
何でそこで 〝愛の語らい〟 になるのよ!?
〝ほら、行くぜ?〟 と言うや否や、ラディはさっさと部屋を出て行ってしまった。そんなラディに声を掛ける間もなく、イオータと目が合えば、
「ははは…襲われんなよ」
──と、からかい半分の言葉が飛んできた。
「その言葉…冗談にならなかったら、あとであんたの顔、思いっきり引っ叩いてやるから」
あたしは静かにそう言うと、再度、イオータの笑い声を背に受けて、その部屋を出て行ったのだった。
あたしたち三人──もちろん、そのうちの一人はルーフィンだ──が到着したのは、数日前、ルーフィンと来た場所だった。
「水は十分にあるからね」
故に、〝喉が渇いたら我慢せずに飲むのよ〟 と冗談半分に言えば、
「あぁ~そうだな。ちょいと気絶して、ルフェラに口移しで飲ませてもらうってゆー手もあるなぁ」
──と、冗談とも本気とも取れる口調で返ってきた。
「その作戦…本人 目の前にして言った時点で終わったわね」
「はっ…し、しまった…」
「バカねぇ~」
あたしはクスッと笑って木陰を見つけると、その場に腰を下ろした。続いてルーフィンやラディも座る。
この前と同じように、心地良い風が体をすり抜けていった。
水が流れる音も、遠くのほうで聞こえる子供たちの楽しそうな笑い声も、空を飛び回る鳥の姿も…やっぱり、ゆっくり時間が流れてるように感じてしまう。それほど、穏やかな景色だった。
このまま二人とも黙っていたら、きっとあの時と同じように眠ってしまうわね…。
そう思った時だった。
「…今日も、うなされたのか…?」
その言葉にドキッとして隣を見れば、ラディの視線は川に残されたままだった。
あたしの方を見てないからこそ…なのか、何故か真剣な問いだと強く訴えているように見える。
ウソをついた所で、今のラディには分かってしまう。いや、それ以上に信じないだろう。そうなれば、余計に心配させることになるため、あたしは正直に答えた。
「…うん、まぁね」
「そうか…」
「でも…約束した通り、ちゃんと戻ってるわよ、自分で」
「そうだな…」
まるで、あたしが戻ってくるのを見てるような返事で驚いたが、よくよく考えてみれば、朝起きてベッドにあたしがいれば分かることよね…と納得した。
「ラ──」
〝ラディ、本当にあたしは大丈夫だから──〟
そう言おうと口を開けば、同時にラディがこちらを向いた為、言葉が途切れてしまった。代わりに、ラディが その間を埋めた。視線はあたしの左腕に注がれる。
「もう…すっかり治ったみてーだな?」
「え…あ、うん。イオータのお蔭ね…」
「傷跡は消えねーって…?」
傷口は治ったが、真っ直ぐに引かれた傷跡はまだハッキリと残っていて、それを心配そうに見ていた。
「まぁ…少し残るみたいだけど…今よりは薄くなるんじゃない?」
「そうか…。──なぁ、ルフェラ…?」
「なに…?」
「あの日──」
そう言いかけて、ラディは次の言葉を飲み込んだ。
〝あの日〟 と言われ、あたしは即座に赤守球を取り戻した日の事だと思った。傷の話をしていれば、どう考えたって、あの日だろう…。故に、飲み込んだ言葉も容易に想像がつく。
〝あの日、何があったんだ…?〟
おそらくそれだろうと思うものの、聞かれても答える事はできない。だから、飲み込んだあとの言葉を、正直、あたしは聞き返すことができなかった。
それを察したのか否か…ラディは 〝いや、なんでもねーや〟 と首を振った。
しかし──
「いつかは…話してくれよ?」
「え…?」
「話せる時になったら…でもいいし、話さずにいられなくなってからでも…いいからよ…」
「ラ…ディ…」
それが何のことを言っているのか、あたしにはよく分かっていた。
イオータが言った、あの一言だ。
〝とりあえず、今はそれで問題ないのか?〟
あの一言で、問題がなければオレたちは聞かない…そういう決断に至ったのだ。
聞きたくても、約束した以上、聞かないでいてくれてるのだろう。
けれど、その 〝いつか〟 が、あたしには皆目検討がつかなかった。
内容が内容だけに、もしかしたら、このままずっと話せないかもしれない…と思うからだ。例え、話さずにはいられない…そんな時期が、夜中にうなされている今だとしても、やっぱり言えない…。それが原因のひとつだとしても、だ。
聞きたいけど、聞かない…。我慢してくれているラディたちには、本当に申し訳ないと思う。思うけど…だからって、あたしはどうすればいいのだろうか…?
どう答えていいかわからず黙っていると、不意にラディが立ち上がる気配がした。どうしたのかと、知らず知らずのうちに俯いていた顔を上げれば、近くの葉をちぎって、再び腰掛けた。
そして、その葉を口元に持っていったと思ったら、そこから綺麗な音色が流れ始めた。
草…笛……。
初めて聞くラディの草笛に、あたしは驚いていた。草笛を吹くラディを見るのは初めてだったし、なにより吹けるとは思ってなかったのだ。
しかも、とても上手い…。高い音も低い音も、全て濁らず綺麗な音を奏でている。優しいメロディは、普段のラディからは想像もつかないほどで、あたしは無意識のうちに目を閉じ聞き入っていた。
そして、同じメロディが二回繰り返され、最後を強調するようにゆっくり吹き終わると、あたしは静かに目を開けた。
「知らなかったわ、ラディが草笛吹くなんて…」
「…元気がない時にこれ聴かせると喜ぶガキがいてよ…ふと思い出したんだ」
「あたしもその 〝ガキ〟 と同じってわけ?」
笑いながらそう言えば、
「結果同じなら、そうかもなー」
──と、同じように笑った。
「でも、上手いじゃない?」
「まぁな。オレも久々に吹いたぜ…。子供の頃はしょっちゅう吹かされてたんだぜ。せがまれてよ…しまいには、それ吹かないと寝なくなっちまった」
「子守唄代わり…ってわけね」
「あぁ」
「すごく綺麗な曲だけど、まさか、ラディが作った…ってことはないわよね?」
「その 〝まさか…〟 だったら、オレに惚れるか?」
「それこそ、〝まさか〟 だわ」
「ちぇー、なんでぃ!」
「…でも、少しは見直すわね」
「マジ!?」
あたしは無言で頷いた。
「少し…じゃなくて、〝結構〟 見直さねぇ?」
「少し、よ」
あたしはそう言って、指で 〝少し〟 を強調してみせた。
頭の中にあるのは、〝それはないだろう〟 という思い。だからもし、本当にラディが作ったのなら、正直、〝結構〟 見直すことだろう…。
〝どうなのよ?〟 と、今度は目で問いかけてみれば──
「まぁ…そんな才能ねーからなぁ──」
そんな言葉が返ってきて、〝やっぱり…〟 と思うが早いか、驚くべき答えが続いた。
「すぐにはできなかったぜ。なんどかせがまれて吹いてるうちに、できたって感じだな、うん」
「え…ほ、ほんと…に…?」
「あぁ。どうだ、少しは見直したか?」
あたしは、驚きのまま数回、頷いた。
それに満足したのだろう。ラディは、それからも幾つか違う曲を吹いてくれた。
いつもなら、バカの一つ覚えみたいに 〝大好き〟 だとか 〝惚れてる〟 を連発し、バカバカしい言い合いにまで発展してしまうものだ。なのに、何故こんなにも落ち着いて座っていられるのか。何故こんなにも、普通の会話が成立し、彼の草笛を穏やかな気持ちで聴いていられるのか…。
これが、あたしの前では見せないようにしていた 〝真面目さ〟 だとしたら、隠さず見せてくれればいいのに。そうすれば、普段からちゃんと話もできるし、信用度も増すのよ、ラディ?
そういうラディは嫌いじゃない。むしろ、好きなほうなんだからさ。
意外な一面を知り、あたしは本当のラディに一歩近付いた気がして、なんだか嬉しかった。
しばらくすると──疲れたのだろう──寝転がると、自然の心地良さに負け、眠ってしまった。もちろん、夜中に起きるあたしも、襲ってくる睡魔には勝てなかったのだが──
そして数時間後──
目が覚めると、隣にラディの姿はなかった。どこに行ったのかと体を起こし周りを見渡せば、少し離れた所で、こちらに背を向け座っているのを見つけた。
そっと近付き声を掛ける。
「何やってんの?」
「おぅわっっ…ル、ルフェラ!?」
ラディが驚いて飛びのくと、片手になにやら黄色いものが見えた。
「なに、それ?」
「え…? あ…いや、これは…」
瞬時に隠そうとするが、隠せる場所でもない為、すぐに諦める。
「いや…お、起きる前に仕上げて驚かしてやろうかと思ってよ…」
そう言って、差し出したのは黄色い花がいくつも束ねられたもの。途中ではあるが、それが編み掛けの花輪だという事は分かった。
「花輪…を?」
「あぁ。目ぇ覚めて、そこら辺 歩いてたら、この花見つけてよ…。そういや、あのガキと一緒に花輪作ったなぁ~って思い出したから、懐かしくなったんだ。ちょうどいいから、お前に作って驚かしてやろうって思ったのによ……起きんの早すぎだぜ…」
いつもなら、最後の言葉に 〝そんなの知らないわよ〟 と言い返しそうなものだが、驚きの方が勝っているため、素直に謝ってしまう。
「ご、ごめん…。でも、十分驚いたわよ。草笛といい花輪といい…そんなに器用だとは知らなかったもの」
「惚れたか?」
「うん、見直した」
「くそ、まだかよ…」
そんな言葉に、あたしはルーフィンと顔を見合わせ、小さく笑ってしまった。
「まぁ、いいや…。とりあえず、あと もう少しだから、ちょっと待ってろよ」
「うん…」
素直にそう言うと、ラディは集めた黄色い花を手際よく編み込み、あっという間に花輪を完成させてしまった。そして、〝できた〟 と言うや否や、あたしの頭の上にチョコンと乗せてくれた。
その時だった──
即座に 〝ありがとう〟 と言おうとしたのだが、一瞬、何かの光景が脳裏を横切った気がした。いや、正確には目の前が急に明るくなり、そこに見えたものと、今の状況が重なった感じだ。
な…に…今の…?
何が起こったのか分からず、考えようとした矢先──
「……らねーのか?」
「え…?」
不意にラディの声が聞こえ、ハッと我に返った。見れば、少々ふてくされたような顔でこちらを見ている。
「…気に入らねーのかよ?」
「あ…う、ううん…ちょっと嬉しくってさ…。ありがとね、ラディ」
気のせいかも…と思い直し、慌ててお礼を言えば、すっかり機嫌は元通り。
「よしっ。んじゃ帰ろーぜ」
──と、満足げに帰り始めたのだった。
ところが──
その途中、あたしは胸が止まるほどの衝撃を受け、思わず立ち止まってしまった。
持っていた花輪も落としそうになる。
突然止まった為、ラディも不思議そうに振り返った。
「どうした、ルフェラ?」
「あ…ご、ごめん…ラディ…」
「なんだよ…気分でも悪いのか…?」
「ごめん…ちょっと用事を思い出したの…先にルーフィンと帰ってて…」
あたしはそう言うが早いか、ある場所へ向かって走り出していた。
うそ…でしょ…!?
どうしてあの子が…!?
いったいあの子に何が起こるっていうの…!?
あたしは、そう 心の中で叫びながら走り続けた。
信じられなかった…。
一枚の絵だけを置いて、ノークの前から無言で立ち去ったあの男の子…。
あの子の頭上に、〝まさか〟 と思うような黒い光が見えたなんて…!
だけどあれは──
思い出せば出すほど、シニアの頭上に見えた 〝死の光〟 と重なっていく…。
ノークさんに知らせなきゃ…!
彼なら救ってくれるはずだ、と、ただそれだけを願って、あたしは彼の元へと急いだのだった。
そして──
「ノークさん! ノークさん…ッ!!」
数時間前に出てきたばかりの玄関を またいだ瞬間、あたしは叫んでいた。
その叫び声に驚き、みんながあたしの方を振り向いたが、あたしはノークの姿だけを探した為、正直、彼女たちの視線は気にならなかった。
「ノークさん…!」
何度目かの叫び声に、部屋の奥からノークが現れ、あたしは更に声をあげた。
「ノークさん…助けて…!」
「ルフェラさん…いったいどうしたのですか…」
「助けて…助けてあげて…! あの子…死んじゃうわ…!」
「どういう事ですか!? あの子って──」
「死んじゃうのよ……!」
「ルフェラさん、落ち着いて…!」
「お願い…ノークさん…あの子 死んじゃうのよ……ううん…もしかしたら誰かに殺されるかも──」
「ルフェラさん──!!」
最後の言葉がそうさせたのか、あたしの腕を掴んでいたノークの力と声が増した為、あたしはハッと我に返った。ようやく視界に入った他の人たちの視線。驚きと共に、気味の悪い者を見るあの目…。あたしが恐れてたあの目だった…。
「…あ…ぁ…」
「ルフェラさん…」
「あ…ご、ごめんなさ……あたし…」
そ…うよ…あたし何やってるの…?
あの光はあたしにしか見えないのよ?
それを話した所で、誰も信じやしないじゃない……。
「大丈夫ですか…? もしよければ少し休んで──」
その言葉に、あたしは俯いたまま首を横に振った。
「ご、ごめんなさい…大丈夫です…」
「本当に…?」
「はい…」
「そうですか…」
「すみません…騒いじゃって……じゃぁ、失礼します」
「あ…ルフェラさん待ってください…あの子って いったい──」
頭を下げるや否や、あたしはノークの質問を背中で振り切り、外に飛び出していた。