BS3 ラディの夢意識
(うぅわっ、あっちぃ…!!)
ふと気付いた感覚に目を開けたラディだったが、次の瞬間、見たこともない景色に絶句した。
(────!!?)
思わず目をこする。しかし、自分の目に映るものは何一つ変わらなかった。
さっきまで何処にいたのか記憶がない上に、突然知らない世界に放り出された気分だ。
自分の目を疑うどころか、暑さで頭がイカれたか…と思ってしまうのは、ラディに限ったことではないだろう。なにせ、目に映るのは普通ではあり得ない光景だからだ。
わけの分からぬまま空を見上げれば、そこにあるのは太陽のみ。雲ひとつない空は夕焼けのように赤く、夕暮れだと思えば何も不思議はない。しかし問題は、その太陽の位置だった。
西ではなく、真上にあったのだ。つまり、今は昼間のはずで、雲がなければ、青空が広がるのが当然なのだ。しかも、下に視線を移せば、見渡す限り薄茶色の砂。
(こ…れは、砂漠…!?)
──そう。本で読んだ、空想の世界にしかないと思っていた砂漠が、目の前に広がっていたのだ。
頭上からは太陽が…そして下からは、その熱を受けた砂が、容赦なくラディを焼き付けてくる。風がないことも、その暑さに拍車を掛けているのだろう。
「──ンなんだよ、ここは……いったい、どーなってんだよ!?」
暑さに対するイライラと、状況が飲み込めない焦りからか、吐き出した言葉は独り言というより、誰かに問いかけていた。
〝誰でもいい、知ってるヤツがいたら教えろ!〟
──そんな気持ちだ。
しかし、その声が誰かに届くことはなかった。なぜなら、届く相手がいないというのはもちろん、いたところで、この砂が全ての音を吸い込んでしまったからだ。
何か、物がひとつでもあれば音は跳ね返ってくる。
響くことなく吸い込まれるように消えていく現象は、ラディにとって初めての経験であり、不気味にさえ感じていた。
(……マ…ジ、どーなってんだ? 何でこんなとこにいんだよ…?)
ここに来る前はどこにいたのか…それを思い出そうと記憶を引っ張り出す。──と、不意に、結論が浮かび上がった。
もしこれが現実ならば、〝現実逃避〟 と言われてしまうだろうが、つじつまが合う以上、それしか考えられない…。
(なん…だ、そーゆーことか…。夢ならあり得るよな…)
夢だとしたらいつ眠ったのか、そんな疑問さえラディには浮かばない。
とりあえず、何でもありの夢ならば、ある意味、どんな情況も飲み込めてしまうからだ。故に、今のラディには、さっきまで感じたイライラはおろか、音が吸い込まれていく現象さえ、不気味とは思わなくなっていた。代わりに、湧き上がってきたのは、〝砂漠〟 という初物に対する好奇心。
気付けば、方向すら関係なく歩き始めていた。踏み出した足に体重をかければ、踵から順に沈んでいく。そして、地を蹴ろうとすると、その瞬間、つま先の下の砂が逃げるように散ってしまった。
(──なんっか、砂だけっつーのも歩きにくいもんだな…)
初めて歩く砂漠の砂は、思った以上に細かく、そして柔らかい。
(人間…やっぱ、土が一番か…)
──などと、夢の中で再認識するラディ。
しばらく歩くと、あっという間に汗が吹き出し、全身 びしょ濡れになってしまった。歩きにくさも手伝ってか、疲れが出るのも早い。
(やっべぇな…。水はねーし…どっか日陰探して休まねーと、オレ、干からびちまうぞ…?)
そんな心配をしたのも束の間、思わず、フッと笑ってしまった。
(夢で死ぬってことはねーか…)
夢のわりに疲れはリアルで、膝に手を当て体を支えていたラディだったが、〝気の持ちようだ〟 と自分に言い聞かすと、俯いていた顔を上げた。
その時だった。
(ん──?)
視界の先に、なにやら白い影があったのだ。形からすると、それは人…。しかも、その少し向こうは、淡い光に満たされている。
さっきまで、見渡す限り砂だったのに、光に包まれた場所に砂は見えない。どこから人がやってきたかさえ理解できず、驚くラディだが…すぐに、思い直す。
(さすが、夢だ…)
──と。
興味が湧いて近付いていくと、影の主は老人だった。
長めの白い髪と、口元を隠す白い髭。薄く柔らかい服まで白色なのだが、夕暮れのような空が、それら全部を赤く染めていた。
ラディが話しかけようとした時、わずかに口髭が動き、かすれた声が聞こえてきた。
「おや…すごい汗ですね?」
「あ…? あぁ……ってか、ジイさんは えらく涼しい顔してんな?」
「ええ、暑くありませんから…」
「…………」
(からかってんのか…? ここは砂漠だぞ? いくら温度に鈍感なヤツでも、これで暑くないってーのは、ねぇだろ?)
そんな感情が、あからさまに顔に出たのか、老人は 〝ほら〟 というように、顔を近づけた。
見れば、本人の言う事は確かなようで、滲む汗すら浮かんでいない。
「──それにしても、その感覚があるという事は、あなたじゃないようですね?」
「は…?」
「いえね…人を待っているものですから…」
「人…って? まだ他に誰か来んのか?」
「ええ。私は、この先の道を知りませんから…迎えに来てくれる予定なんですよ。いわば、案内人…ですね。でも、少々 遅れているようです…」
「へ、ぇ…。この先かぁ…」
──と、老人が指差した先を見れば、そこは光に包まれた場所。ラディに更なる好奇心が湧いてくる。
「なぁ、ジイさん。その案内人が来たら、オレも一緒に連れてってくれねーか?」
〝なんら問題はないだろ〟 と安易に頼んだラディ。しかし、返ってきたのは──
「それは…ムリでしょうなぁ」
──の、一言だった。当たり前だが、当然の疑問が湧く。
「な…んで? オレ、別に迷惑かけるようなことは──」
「いえいえ、そういう事ではなくてですね…。ムリだというのは…迎える者と迎えられる者の関係が、一対一と決められているからなんですよ。つまり、私には私の…あなたにはあなたの案内人がいるという事です」
「オレには、オレ…の?」
「ええ。それは、命あるもの全てに共通することですが、迎えに来る時期というのは、それぞれ違うものなんです」
(時期…ねぇ…)
「──どうやら、あなたを迎えに来るのは、もっとあとのようですなぁ」
「なんで、そんなことが分かるんだ?」
「分かるものですよ、その時が来たら誰にでもね。それに…何より、その感覚が私と違いますから」
「感覚…?」
そう繰り返し、老人との違いを考える。
「──それって、暑い・暑くないってゆー感覚のことか…?」
老人は無言で頷いた。
なぜそれが、迎えに来る・来ないという事に関係するのか分からないが、この砂漠で暑くないという老人の方がおかしいのは確かだ。
それを言おうと口を開けかけたラディ。ところが、老人の視線が自分のすぐ後ろに向けられているのに気付いた。
「ようやく、来ていただけましたなぁ…」
それは、明らかにラディではない誰かに話しかけたものだった。
瞬時に、案内人だと理解し後ろを振り返ったラディ。しかし、そこにいた人物を目にした瞬間、今までにない衝撃が心臓を襲った。
(タフィー!? な、なんでここに──!?)
そこにいたのは、見覚えのある懐かしい女の子。
突然のことで驚いたのはもちろんだが、逢えるはずのない者に逢えた喜びは大きい。けれど、それ以上に、怖さがあった。あの時の自分を憎んではいないか…そんな怖さだ。
複雑な心境で声も出せないでいると、目の前の案内人──タフィー──は、意外にも冷静な顔。
(タフィー? ──あぁ、そうか…オレがこんなになってるから分かんねーんだな…。そりゃそうだ…。あの時、オレ…十二歳だったもんな…)
月日の流れを感じ、やりきれない思いが湧いてくる。
そんなラディとは対照的に、穏やかな口調で喋り始めるのは、老人だった。しかも、話す相手は案内人、タフィー。
「おや…何か悲しいことでも…?」
(かな…しい…?)
その言葉で改めてタフィーを見れば、わずかに目が赤い。老人の髪と同じく、空の色に染まって そう見えるだけかとも思ったが、涙の跡が頬にあれば、それは間違いなく泣いていた証拠だと分かる。
「どう…したんだ、タフィー…?」
何かあるなら聞いてあげたい…そんな思いで問いかけたが、タフィーはラディを見つめるだけで、一言も喋ろうとしない。その行為に、ラディの胸が痛んだ。
「タ、タフ──」
「あぁ…ムリですよ」
「あ…?」
再度、尋ねようとしたラディを制したのは、老人。
「ムリ…って…何が…?」
「案内人は、案内すべき者以外と関わることはもちろん、話すことも許されていないのです」
「は…ぁ!?」
「どうやら、あなた方は知り合いのようですが……?」
「あ…ああ、まぁ──」
タフィーとの関係を言おうとした矢先、老人は何やら呟いた。
「な、なんだ…?」
聞こえなかった、と聞き返すものの、老人はタフィーのほうを見たまま数回頷くだけ。それから暫くすると、老人の視線はラディに移った。
「なるほど、そういうことでしたか…」
「はぁ…?」
「あなたの妹さんなんですね…?」
「な、なんでそれを…!?」
「今、聞きました」
「誰に…!?」
「タフィーさん、本人に」
「…………!?」
その答えに、ラディは開いた口が塞がらなかった。
それもそのはず、タフィーはここに現れてから、一度も喋っていなかったからだ。
その疑問が老人にも分かったのだろう。
「彼女の声は、私の心の中に届くのです。でも、私を通して お二人が話をされることは許されません。でも、いつか必ず逢える時がきますから…」
そこまで言うと、タフィーの心の声を聞いたのか、再び彼女を見やった。そして──
「──もう、私は行かなければならないようです。あなたも、そろそろ出発した方がいいでしょう」
「え…?」
「それでは──」
「あ…ちょ、ちょっと──」
まだ、聞きたいことが山ほどあったが、老人は軽く会釈をすると、タフィーを先頭にして歩き始めていた。
(な、なんだよ…ワケ分かんねぇ…。これは夢だろ…? 何でもありなら、出来ねーことはねーはずだぞ? タフィーと話すことも、可能なはずだ…)
ほんの少しだけでもいい、話すことができたら…そんな願いさえ叶えられない夢に、ラディの胸は悔しさで一杯になっていった。
(タフィー……!!)
やり切れない想いで、タフィーの名前を叫んだ時…その声が聞こえたかのように二人の足が止まった。そして、半分ほど体を翻し、ラディに向き直ったのは老人。
(…………?)
「……最後に、この唄をあなたに贈りましょう」
「え…う、唄…?」
老人に聞こえるか聞こえないかの小さな声で繰り返すと、老人は ゆっくりとその唄を口にした。
少々かすれ気味の声が、穏やかな口調に更なる優しさを与える。耳に心地よく響く唄の真髄は、分かるような分からないようなものだったが、不思議な何かが心に湧き上がってくるのを、ラディは感じていた。
束の間、焼けるような暑さを忘れるほど、気持ちも穏やかになる。
そして、その声が止んだ時、老人は最後に一言付け足した。
「声を聞きなさい…」
──と。
「声…?」
ラディが、そう繰り返すと、老人は無言のまま頷き、再び光に向かって歩いていった。
(声…? 声って…誰の声を聞けってんだ? オレ以外、誰もいねーだろ…?)
周りをグルッと見渡して、誰もいないと再確認すれば、自分の夢ながら 理解できないことばかりでイライラしてくる。
「だぁ~~~! なんっなんだ、この夢は!? ワケ分かんねーわ、メチャメチャ あちぃわ……一体、オレにどこ行けってんだよぉー!!」
ヤケクソになって叫んだ声は、あっという間に吸い込まれ消えていく。
(くそっ…!)
〝やってられっか…〟 とばかりに、ラディはその場でドッカと座り込んだ。そして、両手両足を放り出し、大の字になって寝転んでしまった。
瞼を閉じていても、照りつける太陽の熱さは目の中にまで入り込んでくる。背中は、まるで鉄板の上にでもいるようなほどの熱さだ。だけど、ラディは起き上がろうとしなかった。
(こうなったら、目が覚めるまで此処でこうしててやる。どうせ夢なんだから、火傷もしねーし、干からびもしねーんだからな!)
そう 自分自身に言い聞かせながら、ラディは熱さに耐えるよう、全身に力を込めた。
肌は既にジリジリと焼け始め、痛みも伴ってくる。
最初は、吹きだした汗が背中へと流れていた。しかし、間もなくすると流れる前に太陽の熱で蒸発していく。そして、最後には、汗さえ出なくなってしまった。体内から出る水分がなくなってしまったのだ。
熱せられた空気が呼吸をするたび肺に送り込まれ、呼吸の道は体の中から焼けるように熱く感じた。
(そ…ういや、こんな感覚、前にもあったような気がするな…)
それまで、過去のこと──正確には、妹タフィーの一件以外──は思い出せなかったのだが、不意に、そんな感覚を思い出した。
──と、その時である。
(…………!)
微かに誰かの声が聞こえ、ラディはその場で飛び起きた。
(だ、誰だ…?)
その場で身動きひとつせず、耳を澄ます。
(……………)
しかし、何も聞こえない。それでも、なぜか気のせいだとは思えなかった。どこかで聞いた事のある懐かしい声…そんな気がしたからだ。
しばらく、ジッと耳を済ませ続けるラディ。
すると──
《…ディ……》
(────!!)
今度は、間違いなく耳に届き、その場で立ち上がった。
(誰だ…? どこにいる…?)
さっき以上にグルグルと見渡すも、人っ子ひとり見当たらない。光のほうに歩いていった老人やタフィーの姿も、既に消えていた…。
「お…い、誰だよ…?」
たまらなくなって、声に出す。すると、また聞こえてくる。
《…ラディ…今どこにいるの…?》
「え…どこって…さ、砂漠だけど…」
《…そこでは何が見える?》
「砂以外はなんも…」
《…そこで吹く風は優しい…?》
「いや…風は全く吹いてねーけど──」
思わず、聞こえてくる質問に答えるラディ。けれど、その声が誰かに聞こえていないと知るのは、このすぐ後のことだ。
《…風が強くて歩けないなら、止むように祈るわ…》
「…………」
《…雨は激しい? 分厚い雨雲なら、風がその雲を吹き飛ばすように祈るから…》
(雨は降ってねーけど…まぁ、風はあるとありがたいかもな…)
《…強い日差しなら、柔らかい雨が降るよう祈るわよ…》
(あー、それもいいかもなぁ…)
何気に心の中で答えていると、これまた不意に、何かが頬をかすめた。前から後ろにかすめた為、後ろを振り返る。すると、自分が無意識のうちに歩いていたことに気付いた。
声につられたのだろうか…?
不思議に思っていると、またまた何かが全身を横切った…。
(か…ぜ…?)
髪の毛が揺れたことで、それが風だと気付く。すると、それがキッカケとなったかのように、柔らかな風が冷たさを増して吹いてきた。砂漠の砂もサラサラと流れていく。そのうち、あんなに暑いと思っていた太陽の陽射しが和らぎ始めた。上を見上げれば、雲ひとつなかった空に、雨雲が流れている。
(な、なんだ…この変化は…?)
急な変化に驚きながらも、暑さが和らぐことはありがたいこと。ただ、これから何が起きるのか…予想が立ちそうで、立たない夢に、ドキドキしているのも正直なところだった。
雨雲が空を覆いつくすと、瞬く間に しとやかな雨が降り始める。焼け付くように熱せられたラディの体は、蒸気を上げて徐々に冷やされていった。そして、また風が吹き、雲が去り始めると、そこには綺麗な青空が現れた。
半ば呆然と見上げていると、再び声が聞こえた。
《…ラディ…聞こえる? あたしの声、聞こえるよね?》
なぜか、その瞬間、その声が誰のものなのか分かった。──いや、今までどうして分からなかったんだというぐらい、分かりすぎるくらいの声だ。
「…フェラ…ルフェラ…!!」
《ねぇ、聞こえたら、帰ってきて。あたしたちがいるこの場所に帰ってきてよ…》
「…あ、ああ…聞こえるぞ…よく聞こえる…。なんで、お前とはぐれちまったのかは分かんねーけど…待ってろよ…すぐそっちに行くから──」
どこから聞こえ、どこに向かえばいいのか、正直わからない。けれど、ルフェラの声が泣いているように聞こえた為、いても立ってもいられなくなり、気付けば老人とタフィーが消えた光を背にして走り出していた。