13 戻ってきたミュエリ ※
カイゼルが去ってから二日が経った夜、あたしはまた、椅子に腰掛け夜空を見上げていた。
もちろん、隣にはルーフィンが行儀よく座っている。
あたしは頭に手を置いた。
「ルーフィン…あたし、初めて違う色を見たわ」
『違う…?』
「うん…。ミュエリのおばあちゃんの時は綺麗に輝いてた…」
『死を予知する光…のことですか?』
「そう。もちろん、それ以外の色はみんな初めて見る色なんだけどさ…。シニアさんから赤守球を奪った時、逃げながら後ろを振り返ったら見えたのよ。頭の上で揺れる黒く怪しいカゲみたいなものを…。その時は、全然、気付かなかったけどね。黒風かと思ったから…。あんな色もあるのね…」
『そうですね。自分から命を捨てる時や、誰かによって殺されてしまう時は、そういう色で見えてしまうのですが、それほど件数は多くないですからね…』
「誰かに殺される…か…。それがあたし自身だったとはね…」
『すみません…責めるつもりでは…』
「ううん、いいのよ。責められても耐えなきゃ…。それに、忘れちゃいけない事だわ、こういう事って」
『そう…ですね』
「──でもさ、偶然とはいえ、正夢になったあの夢と、死を予知する光と結びつけることができてたら、やっぱり、少しは違ってたかな…って思っちゃうわ…」
『夢…ですか?』
「うん…。ミュエリが連れ去られたあと、あたし、宿で気を失ったじゃない? それから目覚める時、シニアを刺して殺してしまう夢を見たのよ…。その時は、リヴィアしか知らないから、シニアだとは思わなかったんだけどね」
『本当ですか?』
少々驚いたルーフィンを不審に思いながらも、無言で頷いた。
「まさか、正夢になるとは思ってなかったしさ、そうなったって気付いたのも、結局、シニアの体から血が流れてる時だったし……」
『それは…〝正夢になった〟 んじゃありませんよ…』
「え…?」
『新たな力…です。正夢になったのではなく、これから起こることを夢で予知する…そんな力ですよ』
彼の言葉に、今度はあたしが驚かされた。
「ま…さか…?」
『…おそらく、間違いないでしょう』
「…や…だ。だったら…あたしが気付いてさえいれば、避けれたんじゃない…」
『それはムリです』
「どうして…?」
『厳密に言えば、予知した事によって、その事態を避けることはできます。でも、それはしてはならない事なのです』
「だったら…なんでそんな力が備わるのよ…? 事態を変えちゃいけないなら…先の事を予知する意味なんかないじゃない…」
『予知する力は、未来を変えるために備わるのではありません。その事態をいかに正しく把握し、そのあとにどう繋げていくか…それを考える為に備わるものなのですよ』
「…よく…分からないわ…」
『…そうでしょうね。でも、そのうち分かってくることですから』
また、いつかの時と同じようにそんな言葉で締めくくられた。
ちょうどその時だった。後ろの戸が開く音がして振り返ると、ネオスが出てくるところだった。同時に、数日前の時と同じようにルーフィンが家の中に入っていく。
「星がよく見えるね…」
「うん…」
「また、何か考え事…?」
そう言って、ネオスはルーフィンがいた所に座り込む。
イオータと同じだわ。まぁ、そこしか座る所がないといったら、それまでなんだけど…。
「う~ん…特にそういうのはないけどね…。あ、でも、あるといえばあるかな…」
実は、この二日間、ジーネスを見て思ったことがあったのだ。
「目は何の為に見えるんだろう…って」
「目…?」
「うん。ジーネスはさ、目が見えないけど、シニアと話をして、彼女が悪い人じゃないことを見抜いてたのよね。なのに、あたしは…シニアの方が悪い人だと思ってた…。イオータが言ったように、〝あんな綺麗な人が、そんな酷いことするはずがない〟 っていうだけの理由で、リヴィを信じてしまったし…。シニアの事だって、多分、外見で判断してたのよ、あたし…。つまり、目の見えない人が真実を見抜いてて、目の見えるあたしが真実を見抜けなかったってこと。だとしたら、何の為に目は見えるんだろう…ってね」
「なるほど…。なかなか鋭いね」
「確かに、目が見えないと、そういう感覚って鋭くなるんだろうけど…」
「うん…。でも、だからといって、見えなければいいってことじゃないよね。──そうだなぁ…目が見えるのは、そういう事を経験する為かもね」
「そういう事…?」
「そう。まぁ、色々、理由はあるだろうけど、その中のひとつとして、今、ルフェラが言ったようなことに気付く為じゃないかな。外見で判断しちゃいけないってことに気付くのって、大事なことだと思うし、目が見えてないと分からないことだからね」
「そっか…」
「ばばさまの言葉だったら…そうだな…。〝完璧なものは、そうでないものより劣る〟 ってことを学ぶのかも…」
「完璧な…ものは…?」
あたしが途中まで繰り返すと、ネオスは頷いて、そのあとを続けた。
「…そうでないものより劣る。──目のことを例に挙げれば、五感の揃った僕たちが完璧だとしたら、ジーネスは僕たちより劣るだろ? でも、実は、僕たちにとって殆ど感じることのない第六感が優れていたりして…結局、劣っているのは僕たちの方かもしれない…ってことだよ。
リヴィアとシニアもそう。一見、容姿も性格も完璧に見えたリヴィアだったけど、そうでなかったシニアの方が実は優れていた…って感じかな。まぁ…結局の所、どちらが悪いとは言えなかったけどね」
「なる…ほど…」
「──それより僕は、今回のことで 〝月の裏側〟 を見た気がしたよ」
「月の…裏側…?」
何を意味するのか全く分からず、語尾を上げて問い返してみたものの、ネオスは、月を見上げて 〝うん…〟 と呟くだけだった。
仕方なく、あたしも月に目をやる。
ややあって、再び声が聞こえてきた。
「月の裏側って、見たことある?」
「う、ううん…。だって、月の形こそ毎日変わるけど、模様は変わらないもの。それって、毎日、同じ面を見せてるってことでしょ?」
よく、月や星を見てるから、それは間違いない。ゆえに、月の裏側は見たことないはずだ。
自信を持ってそう答えると、ネオスも頷く。
「──じゃぁ、想像した事…もしくは、考えた事は?」
新たな質問に、あたしは首を横に振った。
「そうなんだよね。僕たちは目に映るものはよく見てるけど、そうじゃない部分は考えないことが多いんだ。〝物〟 は表面だけじゃな成り立たない。薄い紙一枚だって、表と裏があって、一枚の紙が存在するわけだろ? 月だってそうなんだ。必ず裏があるはず。──なのに、考えもしないし気付きもしない。表面だけ見て、全て知った気になっているんだ。
それは、人にだって言えることなんだよ。一見、心に何の曇りもなく幸せそうに見えたリヴィアも、裏を覗けば、悲しく辛い過去があった。それが原因で、こんな村が作られているのに、村人達は何も気付いていないんだ。表面的な部分を信じ切って、疑うことさえしない。もちろん、疑われないようにシニアも気を配っていたんだけど、それだけじゃないと思うんだよね。唯一、僕たちの後をつけてきた子供のおばあさんが、かろうじて何かに気付いていたのかも…。だけど、結局の所、本当のリヴィアやシニアを見てる人はいないんだ。
そんな中で……大変だったけど、僕たちは、リヴィア達の裏を見た気がするんだ」
ネオスの説明は、一言一言が、どれも納得いくものだった。心の中にも染み込んでくる。
「月の裏側、か…。何の為に目が見えるのか…っていう疑問と似てるけど、ネオスのほうが規模が大きいわね。──なんか、すごく大事なことを学んだような気がする」
「僕も…。──それに、色々あったしね」
「ほんと、色々あって…色々 学んだわ」
それからしばらく、ネオスもあたしも黙ったままで空を見上げていた。
──と、不意に、ネオスが 〝あっ…〟 と声を漏らした。
「な…に、どうしたの?」
「お風呂沸いたから、入るよう伝えにきたんだった…」
外に出てきた本来の目的を思い出して、〝すっかり忘れてた〟 と肩をすぼめた その姿に、あたしは思わず笑ってしまった。
「じゃぁ、冷めないうちに入ってこなきゃ…」
あたしはそう言うと、まだしばらく外にいるというネオスを残し、家の中に入っていった。
それから更に二日後、その日は突然やってきた…。
朝早く、外が騒がしくなったと思ったら、歓喜の声が沸きあがってきたのだ。
何事かと思う間もなく、〝その日〟 が来たのだと分かる。
しかし、外に出てみれば、その変わり様に驚かされた。リヴィアの家の方角にあった森が、忽然と消えていたのだ。今や、二つの村は一つになっていた。
自分達が知っている、本来の村が目の前に広がり、それぞれに分かれていた村人たちが一斉に駆け寄る。喜びの涙を流す人が殆どだ。
そんな中で、唯一、不思議な顔をしているのは、ジーネスの家で育った子供達。
一歳や二歳の子が、本来の村を覚えていないのは当然の事。ゆえに今の光景の方が異様なのだろう。ただただ、目の前の光景を見つめるばかりだった…。
だけど、そこは頭の柔らかい子供だ。時間も経てば、喜ぶ大人たちを見ているうちに、なんだか気分も明るくなる。意味は理解できなくても、なんだか嬉しくてはしゃぎまくっていたのだ。
「順応性が高いって、すばらしいわよね…」
「そう…ですね…」
はしゃぐ子供達を見てボソリと呟くと、ジーネスもポツリと呟く。
その言葉に元気がなくて、隣を見てみれば、なんとも複雑そうな顔を浮かべているではないか…。
どうしたのかと口を開きかけて、ハタッ…と気が付く…。
そ…うか…。
村が元に戻ったってことは…つまり、子供達の親も戻ってくるという事…。それは、子供達との別れを意味するのだ…。
「ジーネ……」
「あの子達のお母さん、自分の子供だって気付いてくれるでしょうか…。赤ちゃんの頃の面影、ちゃんと残ってるかな…」
気付いて欲しいような、そうでないような…そんな複雑な心境が伝わってくる。
こういう時、なんて言葉を掛ければいいんだろう…。
〝みんな、ジーネスのこと好きだから、離れないんじゃないかな…〟
〝みんな、忘れないから…〟
〝お母さんが気付かなかったら、そのまま一緒に暮らせばいいよ…〟
どれもこれも、嘘っぱちに聞こえる言葉だ。ジーネスを慰めるどころか、心にも届かない…。
色々考えた末、あたしはただひとつ確かなことを口にすることにした。
「………分かるわよ。だって…愛する我が子だもの…」
自分の手から離れていくのは悲しい事だ。だけど、あの子達が帰る場所は、〝愛してくれる人の元〟 だという事には間違いないはずなのだ。
その言葉で何かをふんぎったのか、それは分からないが、少し間があってから、ジーネスはいつもの口調を取り戻した。
「私も、負けないぐらい愛してくれる人 見つけようかなぁ~」
「あぁ~、それいいかも」
「ですよね?」
「うん。──あ、でも、反対する人が一人…」
「え…?」
「ほら、ラディの弟が──」
「あ…そう言えば…」
「かなり、手強いと思うけど…」
「だとしたら、ルフェラさんも恋人、作れないですね」
「やだ…そうじゃない…」
〝それは問題だわ〟 と付け足せば、ジーネスもあたしもそのまま 〝プーッ〟 と噴き出してしまった。
それから数時間もすると、お昼時になり、再会した家族はみんなが集まって食事をし始める。そのせいか、騒がしすぎた村の様子も、ようやくあたしたちが知る 〝普通の村〟 に落ち着き始めていた。
そんな頃、玄関の戸が上品な音を立てた。
机の上に、お箸を並べていたシリカが、元気な声で出迎える。
「はぁ~い! あいてまぁ~す!!」
出迎えの言葉を受けると、すぐに、戸が開けられた。
「あ…」
そこに現れた人物を見て、シリカの動きが止まる。下手すると、机に置こうとした箸を落としてしまいそうだ。
シリカの口から漏れた声に、それまでワイのワイのと騒いでいた他の子供たちも、瞬時に体の動きが止まった。しかしその一瞬後には、玄関の入り口に立っている人を取り囲み始めた。
あたしが気付いたのも、その時だった…。
「カイゼル…さん…」
「あ…ルフェラさん…約束どおり、戻ってきました」
そう言って、玄関の外に向けて手を招けば、懐かしい、元気そうな顔が現れた。
「ミュエリ…!」
その次の行動は、自分でも驚くほどだった。
「や…な、なによ…急に──」
あたしは、思いっきりミュエリに抱きついていたのだ。
「…よ…かった…ほんとに…よかった…」
素直な気持ちが、何度も口から溢れてくる。嬉しさのあまり、涙まで出てくるのだ。
突然のことで驚きを隠せないミュエリも、涙を流すあたしに気付くと、困惑したように立ち尽くしていた。
それでも状況が飲め込めないのが、気持ち悪くて仕方がないのだろう。目の前に集まったネオスたちを見ると、いつもの憎まれ口を叩き始めた。
「ちょっと…離れなさいよ。女の人に抱きつかれるのなんて、趣味じゃないわよ、私は。──だいたい何よ、みんなして…宿を変えたんなら 〝変えた〟 って言いなさいよね。それに、どうして、私を見てあなたが泣くのよ? まるで、死の淵から、奇跡の生還を果たした人みたいな目で見ちゃってさ──」
普段なら怒れてくることだったが、今はとにかく嬉しい。
「だ…から…どうして、笑ってるのよ…。気持ち悪いわね…」
「お前なぁ…人をどれだけ心配させたか──」
「心配!? なによそれ? 私が心配かけたっていうの?」
「めーいっぱい、かけてるだろーが!?」
「知らないわよ。──だいたい、何かがあったとしても、あなたに心配してもらったって、嬉しくもなんともないわ」
「おまっ…ほんっと、可愛くねーなー。あ~ぁ、どうせなら、一回死んでこりゃよかったんだよ! そーすりゃ、ちっとはその性格もよくなるだろ!?」
「あなたに、性格のことを とやかく言われたくないわね」
「なに!? だいたいなぁ、お前が、あの日 外に出なけりゃ、こんなことにはならなかったんだよ! そしたらルフェラだって──」
「ラディ!」
「──んだよ! こーゆーことはな、ハッキリ言わなきゃ分かんねーんだよ。特に、こいつみたいな自己中の塊は!!」
「なんですってぇ~!?」
「おねえちゃん、なんでしょ?」
ミュエリとラディの言い合いが、更にエスカレートしそうな矢先、突然、シリカがミュエリの手を引っ張った。
さすがに、ミュエリも反応する。
「おねえちゃん…って…?」
「ルフェラのおねえちゃんが言ってたの。シリカみたいに髪がクリンクリンだったけど、今は村で一番の美人になったのよ…って。おねえちゃんが、そうなんでしょ? だって、すっごく、綺麗だもん」
憧れの人を見るようにキラキラした瞳で見つめられれば、誰だって、ご機嫌はよくなるものだ。案の定、ミュエリのご機嫌も、シリカの言葉で治ってしまった。
にっこり微笑んで、その場にしゃがみこむ。
「そうよ。私も小さな時はあなたみたいにクリンクリンだったの。だけど、ひとつだけ違うわよ」
「え…なぁに…?」
「私は、小さな頃から村で一番美人だったのよ」
その言葉には、さすがに誰も口を挟まなかった。
お見事だわよ…。
呆れるぐらいの自信に、反論する気も起きない…。
だけど、ここでエライと思ったのは、さすが子供好きのミュエリだった。
「あなたは、私の小さい頃とそっくりよ」
そう付け足した言葉に、シリカの顔が 〝ぱぁっ〟 っと輝いた。
その後、カイゼルは布に包まれたものを、あたしに差し出すと、リヴィアさんからのお礼の言葉を伝え、帰って行った。
布に包まれたものはすぐに分かった。
あの時の短剣と、ジョーカーだと例えたペンダントのようなものだ。
人を殺めてしまった短剣は、正直、持っていたくなかった。けれど、そんな気持ちを読み取ったのか、イオータが耳元で囁く。
「見える十字架なら、いつだって捨てられるぜ?」
そうね…。忘れない為にも、今はちゃんと持っておくべきなんだわ…。
不思議と、イオータの言葉の意味を理解した瞬間だった。
翌日、あたし達は、旅を再開することにした。
彼女たちにお礼を言い、いつか必ず、またここに来ることを誓った。
その頃、ジーネスの家で育った子供達が、どこでどう過ごしているか…それも知りたいところだ。
〝さよなら〟 と伝え、歩き始めると、隣にいたミュエリが、先に歩くラディやイオータを見つめたまま、真剣な口調で喋り始めた。
「私…〝ごめん〟 も 〝ありがとう〟 も言わないわよ」
「え…?」
「だけど…いつか必ず、今回の事がよかったって思わせるわ。私を救ってよかったって、あなたに思わせるから…」
「ミュ…エリ──」
「それだけ…。だから、それまでちゃんと、息してなさいよ」
本当にそれだけ言うと、未だ、後ろで手を振ってるシリカたちに再度大きく手を振った。そして、さっさとイオータのところまで走っていってしまった。
「ネオス…?」
一歩、後ろを歩いていたネオスに、その意味を聞いてみる。
「ルフェラは、あまり言いたくなかったみたいだけど、やっぱり、なにがあったのか、ちゃんと言うべきだと思って…。昨日の夜、話したんだ」
「そう…だったの…」
「うん。一緒に旅をしていく以上、背負うものは同じじゃないと、ね。──それに、少しはよくなるかと思って…」
「え…何を…?」
「勝手な行動をとらないように…ってね」
「あぁ~、それはとても重要かも…」
「──だろ?」
ネオスはそう言って、笑った。あたしもつられて笑う。
十字架は背負ったままだけど、どこか、嬉しかった。
ミュエリが無事、帰ってきたことも嬉しいし、ミュエリからあんな言葉が聞かれたことも嬉しかった。
汗ばむ陽気はまだまだ続く。それでも、穏やかな風が心をすり抜けていく感じだ。
「おぉーい、お前ら、ほんっとに、おっせぇーなぁ」
こちらを振り返って叫ぶその声に、あたしは不意に疑問を抱いた。
「ねぇ、ネオス…」
「ん…?」
「なんで、イオータが一緒にいるの?」
「さぁ…」
ミュエリを捜すために、一緒に行動していたイオータは、ミュエリが戻ってきてからも、しばらく、あたし達と行動を共にすることになったのだった。