12 語られた真実 ※
夢と現実の狭間に迷い込むというのは、どういう状態なのだろう…?
もしかして、今がその状態なのだろか…。
時間の経過などまるで分からない。かといって、それを気にするわけでもない…。
ただ、ぼんやりとした意識の中で、あたしはずっと彷徨っていた。考える力なんてあるはずもなく、ただぼんやりと…ほんとうに、ぼんやりとしていたのだ。
あまりにも辛い体験をすると、人は自己防衛機能が働いて、その経験を忘れるという。
ぼんやりとしている間は、おそらくその状態なのかもしれない…。考えられないという事自体が、すでに防衛機能が働きだしているのだ。けれど、時々、映像の欠片が入り込んでくる。その度に、防衛機能は乱される。それはまるで、忘れてはいけないと、心の中の何かが訴えているようだった。
映像の欠片を振り切れば、何もかも忘れることができるのだろうか…。そうできれば、どれほどラクになるだろう…。だけど、自分の意思とは関係なく、映像は頻度を増して入り込んできた。振り切ろうにも振り切れないぐらいに。欠片が少しづつ繋がってくると、今度は、声までもが聞こえるようになった。
もう…やめてよ…。もう、何も見せないで…。
目を閉じ耳を塞いでも、映像と声は、より クリアになる。
初めてリヴィアに会った時の、彼女の笑顔。淡い紅の唇が動いた。
ミュエリが黒風に連れ去られ、今度は自分の方に襲ってくる瞬間、イオータが追い払う。
リヴィアを刺し、自分の体が血の色に染まっていく、ゾッとする夢の一場面。
やだ…もう、お願いだからぁ……。
頭から振り払うように激しく振るが、一向に消える様子はない。
赤守球を見せるリヴィアが入り込む。ここでもまた、紅の唇が強調されるように出てきた。
ジーネスや子供達の笑顔も出てくる。
イオータの横顔と声が聞こえる。
〝今日も、まだ見えねーなぁ〟
〝月に隠されし星…だろ?〟
ジーネスが強い口調で訴える。
〝そんなことするような人ではありません!〟
彼女の言った通りだって事…? それとも、彼女と会った女性は、あたしが赤守球を奪った人とは違うのだろうか…?
振り切ろうとするが、ふいに、そんな疑問が湧いた。
しかし、すぐに、また違う映像が流れる。
赤守球を持った女の、冷たい目と感情のない声。
〝何を探している?〟
そして、一瞬だけ、感情が宿った言葉。
〝誰?…か〟
戦う直前の言葉さえもハッキリと聞こえる。
〝これ以上、待つのはごめんだ〟
あたしじゃないあたしが最後に言った言葉。
〝また、あとでね〟
女の頭上で、怪しげな黒い物体が揺らめいている。
〝また、あとでね〟 なんて、その通りになっちゃったじゃない…。
あの黒い物体は、一体なんだったの…?
そんな疑問が浮かんだ瞬間、今度は時間をさかのぼった声が聞こえた。
〝死を予知する光〟
ルーフィンの声だった。そして更に聞こえる。
〝その光の強さや色で、どういう事が原因で亡くなるのかが分かってしまうのですよ〟
まさか…!?
そう思った時、その先を考える時間など与えないかのように、また映像や声が変わった。
〝バカね、あなたも…〟
そう言って急変したリヴィアの顔。ここでもまた、紅の唇が強調された。
あ…れ…?
これって…二回目……。
また、映像が進む。
黒風が部屋中を駆け回る。
自分の体が空中に放り投げられた時、カイゼルは、グルグルと舞っていた布を手にした。
リヴィアが叫ぶ。〝カイゼル、何を──〟
掴んだ布を黒風に向かって投げ入れた。その布は、まるで矢を放ったかのように真っ直ぐ向かってきた。
カイ…ゼルがあたしを助けてくれたの…?
なぜ見てもいないのに、こんな映像が…?
自分では知らないうちに、視界に入っていたのだろうか…。
疑問は疑問のまま、一番見たくない映像まで映し出す。
急降下する自分の目にリヴィアが映った。
生身の体に刃が入り込む感触が、未だリアルに残る。
そして、青ざめたあの女が…いや、シニアが消えそうな声で謝っていた。涙を流しながら…。
それを最後に、赤い血がすべてを飲み込んでいった。
赤い血……。
真っ赤に染まる床…。
自分の手も赤く染まる…。それは徐々に、腕へ広がり、身体全体をも染め始めた。
振り払っても拭っても取れない。
ヌルヌルとした感触が生々しく、血生臭さも漂ってくる。
シニアの赤い血…。腹部から止めどなく流れる、生暖かい血…。
自分の体も、シニアの体も、血の海に沈んでいく…。
体の中にその血が入り込んでくるようだった。
いや…いやよ……誰か助けて…ねぇ…お願い……誰かぁ────!!
その時だった──
「…フェラ…ル…ラ……ルフェラ!!」
あたしの体が大きく揺れた。ハッとして目を開ける。
「ルフェラ…」
「あ…ぁ……ああ……」
言葉が出なかった。
あたしの両手を掴んで、大きく揺らしていたのは、ネオスだった。
ひどく心配しているネオスの顔を見て、ようやく現実に戻る。
掴まれた手に赤い血はなく、イオータが手当てしてくれた白い包帯が巻いてあるだけだった。
周りを見渡してみれば、そこはジーネスの家。部屋の片隅で、ずっと膝を抱えていたあたしは、敷いてある布団にも入らず、うずくまっていたのだった。
意識の中に入り込んだ映像に、恐怖で体は震えていた。映像を振り切ろうと両手で頭を抱え込んでも、容赦なく流れてくるのだ。それに耐えられず、あたしは知らないうちに、涙も流していた。
「ルフェラ…落ち着いて…」
「あぁ…あ……あ……」
まだ、震えは止まらない…。
「ほら、こっちに来て。布団で休もう…?」
そっと、肩を抱き、布団の方まで連れて行こうとするが、あたしの足は動かなかった。体も縮こまった状態から形を崩してくれない。
「…ネ…オス…」
震える声が、ようやく喉から出る。
「…たし…あた…し……あ…の人を…ころ………」
その後の言葉は、続かなかった。あまりにも、恐ろしい言葉だ…。
なんて事をしてしまったの…!?
更に、震えが増していく。
「ルフェラ…とにかく休もう。帰ってきてから、寝ていないんだろう? このままじゃ、ルフェラの体がおかしくなる…」
今以上に、ギュッと肩を抱くネオス。その強さが…その優しさが、胸を締め付けた。
あたしの体がおかしくなる…?
そうね…。それでもいいわ…。体も心も、どうにかなってしまえばいいのよ…。どうせなら、このまま死んでしまえばいい。人 ひとりを死なせてしまったんだもの…。そんなあたしが生きてていいはずがないのよ…。
「…と…て……」
「え…?」
「…ほっと…いて…」
「ル…フェラ…?」
「このまま…ほっといて…ネオス…」
「そんな事、できるわけないだろ…? 死んでしまうよ…」
「い…いのよ……。それで…いいの…」
「ルフェラ!?」
「このまま…死…なせて…」
その言葉に、ネオスの顔が一変した。
もちろん、様々な疑問が解決したわけでもないから、自分のしたことが正しかったのかどうかは分からない。それを考えられるような、まともな精神状態じゃないことも分かっている。だけど、人を殺めたことは事実であり、重い罪であることには間違いないのだ。それだけで、自分が死をもって償うという事には、十分なことだろう。
あたしは、言葉を変え、改めて繰り返した。
「あたしは…死ぬべきなのよ……だから──」
「バカなこと言うんじゃない!」
「バカでもなんでもいい…死なせてよ…」
「ルフェラ!!」
「…あたしは人を殺めた…。死んで当然…ううん、殺されても当然なの…。このまま死なせて、ねぇ…もしくは、殺して…ネオス……あたしを殺してよ…ねぇ…殺してよぉぉ……!」
「ルフェラ……」
自分の体を煮るなり焼くなり…引きちぎってでもいい…苦しみながら死ぬほうが、救われる…。そんな思いから、あたしは叫んでいた。ネオスの腕にしがみつき、涙を流して叫び続けた。
その叫びに、ラディやイオータが駆け付けたことも知らずに…。
もはや、誰も声を発せないでいた。静かな部屋で、嗚咽と共に繰り返すあたしの言葉だけが響く。
それでも、心より体のほうが、先に限界を迎えるものだ。
声がかすれて嗚咽だけが残ると、あたしはネオスの胸の中で体を委ね、意識さえ遠のき始めていた。
次に目覚めた時、あたしは布団の中にいた。
部屋の中も明るい。時間の経過など気にしていなかった時は、昼か夜かも分からなかった。けれど、一度寝てしまうと、体も精神的にも落ち着いたのか、昼間だという事は分かった。
目が覚めなければよかったのに…。
そんな思いも虚しく、意識はクリアになっていく。もちろん、すぐに頭の中に蘇ったのは、あの出来事だ。見る見るうちに、天井の木目が涙で滲み始め、あたしは両手で顔を覆った…。
「……死ぬなんて考えんなよ」
不意に、どこからともなく声が聞こえ、咄嗟に顔を動かした。
部屋の隅のほうで、壁にもたれ座っていたのは、イオータだった。
「……オー…タ…?」
声がかすれ、きちんと名前を呼べなかった。
「あんたが目覚めたら、また 〝殺してくれ〟 って叫びだすんじゃねーかと思って、ちぃーとばかし、びびっちまったぜ。だから、先に釘刺しちまった」
起き上がろうとするあたしを手伝いながら、イオータは冗談交じりにそう言った。でも、その冗談は、いつもと違って、どこか優しい。
「死にたくなる気持ちも分かるがな、そんなことは考えんな」
「そ…んなの…ムリよ…」
「ムリでも、考えねーよーにするんだよ」
「どう…して…。あたしは…人を殺めたのよ……」
シニアの顔が浮かんで、また涙が溢れてきた。その為か、イオータもしばらく口を閉ざした。
そんな時、ローカ側の戸が開いて、ラディが顔を覗かせた。
起きているあたしを目にして、何か言いたげだったが、すぐには言葉も出ないようだ。
「どうした?」
「あ? ああ…あのよぉ…」
イオータの問いかけに、何かを思い出したのか、チラッとローカのほうに視線をやってから、小声で話し出す。
「来たんだ…」
「誰が?」
「いや…だから…その…あいつが…よぉ…」
「あいつ…?」
「ああ…」
ラディはそう言ったまま、あたしとイオータの顔を何度も見比べていた。
「あいつって誰だよ?」
「分かんだろ…。あいつだ……カイゼルだよ」
「──!!」
あたしの体に緊張が走った。
「──来た…か。やっぱ、目的は、アレだろうな…」
「いや、それが…どうも違うみてーなんだ」
「なに?」
「…オレらもそうだと思って、話し始めたんだけど…違うってゆーんだよな。話をしたいだけだって言ってよ…」
「話…?」
「ああ…。どーする?」
「そうだな…」
二人とも、困ったように、震えるあたしを見て黙ってしまった。
「今日はムリだって言っとくか…?」
「………いや、ちょっとだけ待ってもらってくれ」
「けど…ルフェラのその様子じゃ──」
「オレとの話が先だ。そのあと、ルフェラ自身に決めてもらう。だから、こっちの話が終わるまで待ってもらってくれ」
「…あ…ああ…」
あたしの様子を心配して、もう一度 〝ムリだ〟 と言いたかったみたいだが、イオータの口調から、却下されるのが分かったのだろう。ラディは、渋々ながらもそう言うと、
「ムリにさせんなよ」
と付け足し、そっと戸を閉めた。
ラディの足音が遠のくと、イオータは小さな溜め息と共に、あたしの頭を軽く押した。
両手をギュッと握り締め、治まりそうもない震えを見兼ねての事だろう。イオータは、更に言葉を足した。
「安心しろよ。アレじゃないっつってんだからよ」
言葉こそ違うものの、どこかネオスに似た優しさを感じて、次第に力が抜けていく。硬く握り締められた拳も緩み、震えも止まりつつあると、ようやく、あたしも声を出すことができた。
「アレ…ってな…に…?」
「あ? あー、そりゃぁ…こうゆー時のアレっつったら…復讐しかねーだろ?」
「復…讐…!?」
「ああ。──けど、どうも、そーじゃねーみてーだからな。心配するこたぁ、ねーだろ」
〝復讐〟 という言葉に、一瞬ドキッとしたが、考えれば当たり前の事で、今更、驚くことではないはずだ。むしろ、復讐されたほうが救われる…。
「──それに、万が一そうだとしても、そう簡単にあんたを出しゃしねーさ。ネオスだってラディだって、あんたを守るために、戦うぜ?」
「…んなの…必要ないわ…。どうせなら、それであたしを殺してくれたほうが──」
「だからぁ、死ぬなんて考えんなっつったろ?」
「だって…」
「だっても、くそもねーんだよ! あんたが死んだって、何にも変わんねーだろーが!?」
「じゃぁ、どうしろっていうのよ……」
「生きりゃぁいーじゃねーか」
「な…んで…」
「だいたい、あんた、罪を償うつもりあんのか?」
「あるわよ。あるから、死んだ方がいいって──」
「そりゃ、間違いだ」
「え…?」
「あんたが死にたいって思うのは、罪を償う為じゃない。今の苦痛から逃げたいだけさ」
「──!!」
「図星だろ?」
「……………」
〝違う〟
そう言いたかったが、なぜか、その三文字が言えなかった。
どうして言えないのよ…?
違うって言うだけでしょ…? たった、三文字…違うって……。
なのに、言えない…。どうして…どうして言えないの…?
その理由を、あたしは考えた。でも、分からなかった…。
違…う…。分からないんじゃないわ…。きっと、分かってる…。イオータの言う通りなのよ…。
死んだ人に対して申し訳ないっていう気持ちは、ある。間違いなくある…けど、犯してしまった罪の重さに、耐えられなかったのだ。だから、死んでしまえばいいって思ったのよ…。
あたしは、そんな自分が情けなくて、また涙が溢れてきた。
それを、答えだと判断したのか、イオータはさっきより柔らかい口調で話し始めた。
「償うって事は、死ぬことばかりじゃねーんだぜ? どっちかってーと、生きてこそ、償いができるんだ。言い換えれば、償う為には生きなきゃいけねーってこったな」
「生きて…こそ…?」
「ああ。──それに、オレが逆の立場だったら、死にてーって思ってるヤツの願いなんか叶えたくもねーや。どうせなら、一生苦しんでくれ…って思っちまう。死にてーヤツは生かして、生きたいヤツは殺しちまう。まぁ、こうゆー所は、結構、ヒデーヤツかもな、オレも」
「………………」
自称 〝優しい男〟 と言ってたが、実はそうでもない…と、冗談交じりに言うイオータ。こんな状況じゃなかったら……こんなことが起こってなかったら、きっと、〝悪魔ね、あんたって〟 などと突っ込んでいる所だろう。だけど、今は、何も言えなかった。酷いとかそういうのじゃなく、やっぱり、その通りだと思ってしまうから…。
イオータは更に続ける。
「オレも、今までにかなりの人数 相手に戦って、殺しちまったヤツがいるぜ。けどよ、死にてーとは、思わなかった──ってゆーより、思えなかったな」
「どう…して…?」
「死んだヤツらに恥じたくねーからよ」
「………?」
意味が分からないのが通じたのか、死んだ相手を思い出すかのように一息つくと、その説明を始めた。
「みんな、遊びでやってんじゃねーんだよなぁ。生きるか死ぬか…っつーギリギリの所で、本気出して戦ってよ、強いやつが生き残ってくもんなんだ。例え負けても、本気で戦ったんなら、殺したオレがそう簡単に死ぬわけにはいかねーだろ、やっぱ。無様な死に方したら、死んだヤツらにワリーしよ。死にたいって思って死んだら尚更な。〝あんなヤツに、オレは殺されたのか?〟 なんて思われたかねーぜ。どうせなら、何が何でも生き抜いて、〝あんなヤツが相手だったら、殺されても仕方がなかった…〟 って思わせたいじゃねーか。なぁ、そう思わねー?」
「………それは……」
「まぁ…オレもよ、いろんな疑問がありすぎて 何が正しかったのかどうかなんて、正直、分かんねーわ。けど、人を殺しちまったっつー事は、どういう理由であれ、いいとは言えねーんだよな。でもな、それでも、リヴィアも、もう一人の女も、命をかけて戦ったことには変わりねーんだぜ。あとは、あんたが、彼女に恥じないよう生きることが大切なんじゃなねーのかなぁ?」
「……………」
不思議だった…。
あんなに苦しかった胸が、イオータの一言一言で、ラクになっていった。締め付けていた縄が解けるように、重く圧し掛かっていた錘が一つ一つ降ろされるように…不思議なほど軽くなったのだ。
まるでネオスと同じ感覚…。
どちらかといえば、ラディと似てると思ってたけど、今のイオータは、ルーフィンやネオス自身が言ったように、彼に似ていた。
今までのものとは違う涙が、溢れてくる。
「…りがと…ありがと…イオータ…」
素直に出てくる感謝の言葉を、できるだけ声に出して繰り返した。
「……ん~、まぁ…あんたが死んじまったら、あと二人は死んじまうもんなぁ。運良く、一人は助けられても、もう一人はムリだろうしよ。折角、オレも おもしれーヤツらと知りあったんだ。そう簡単に死なれちゃぁ、つまんねーからな」
「…………?」
いつもの調子で、またわけの分からないことを言い出され、その意味を聞きたかったのだが、そんな時間はないかのように、話が切り替わった。
「──で、どーするよ?」
「な…にが…?」
「決まってんだろ、カイゼルの話さ」
「あ…ぁ……そっか……」
「今日がムリなら、別の日でもいいんだぜ?」
「う…ん……」
どういう顔して会えばいいんだろう…。
リヴィアと同じ顔をしてたシニアは、おそらくリヴィアの姉妹なのよね…?
初めて会った時の顔が違ったのはなぜか…それは分からない。でも、彼女が話してたことを考えても、深い繋がりであることは確かだわ、きっと。
そんな人を殺してしまったあたしを、カイゼルは恨んでるわよね…。
だけど──
「断ってくるか…」
何の返事もないあたしを見て、ムリだと思ったのか、イオータはそう言って立ち上がろうとした。
あたしは、即座に答えた。
「会…うわ…」
「大丈夫なのか?」
「…………うん」
多分、今 会わなければ、一生 会えない気がする。
辛いけど、ちゃんと会って、謝らなければ、きっと後悔する。それに、様々な疑問を残したままじゃ、いつまでたっても最後の錘が滞ってしまう気がしたのだ。
あたしは、深呼吸をひとつすると、改めて繰り返した。
「カイゼルに会うわ」
「そっか。──んじゃぁ、ここにいろ。呼んできてやっから」
「ううん。そっちに行く。ちゃんと話さなきゃならないもの…」
そう言うと、イオータは無言のまま数回頷いた。
布団から出て立ち上がると、血の気が引くように、一瞬目の前が白くなった。
立ち眩みだ。
しかし、イオータはそれを予想していたかのように、支えてくれた。
「ありがと…」
「しゃーねーさ。三日も飲まず食わずなんだからな。話、聞いたら、メシ食えよ?」
三日…!?
そんなに経ったなんて、思ってもみず、少々驚いた。だけど、〝生きてこそ…〟 と聞かされたからだろうか、同時に、イオータの言う通り、全てが終わったら御飯を食べようとも思った。
「分かったな?」
「………ん」
「よし!」
安心したような声でそう言うと、あたしもイオータも、カイゼルの待つ部屋に向かった。
カイゼルたちは、ジーネスから赤守球の話を聞いた部屋にいた。戸を一枚挟んで、緊張が襲ってくる。そんなあたしの心境を察してか、イオータは軽く背中を叩いた。あたしは、それを機に大きく息を吸い、吐き出した。
目の前の戸を開ける。
一斉に、みんなの注目を浴びた。
「ルフェラ…大丈夫かい…?」
真っ先に、ひどく心配しているネオスの顔が目に入る。今にも立ち上がりそうな勢いだった。あたしはそれに、無言で頷いた。次いで、ラディが声をかける。
「こっちに座れ…な、ルフェラ?」
自分とネオスの間に座るよう、間を開けた。
これにも、あたしは無言で頷き、勧められるまま座った。
目の前にはカイゼルが座っている。だけど、すぐには顔も見れなかった。
謝らなきゃ……。
そう思うものの、なかなか声が出てこない。
そんな時、先に口火を切ったのはカイゼルの方だった。
「ルフェラさん…そして皆さん…本当にすみませんでした」
思ってもみなかった言葉に、あたしはもちろん、全員が驚いた。
それまで、カイゼルの方を見れなかったあたしも、思わず顔を上げてしまう。カイゼルは、畳に額を着けるほど頭を下げていた。その行動にも驚き、あたし達はお互いに顔を合わせた。
「どういう…ことなんだ?」
皆の気持ちを代弁して、イオータが問う。それに反応して、カイゼルは顔を上げた。
正座をして背筋をピンと伸ばす細い体が、更に細さを増したように見えた。
「こうなったのは、全て私のせいなんです。私がしっかりしてさえいれば、おそらくこんなことには…」
「ワリーけど、もっと分かりやすく言ってくれねーか?」
「……はい」
カイゼルはイオータの要求に答えるべく、気を落ち着かせてから話し始めた。
「──十一年ほど前、私は、一人の少女と出会いました。
その頃の私は、その…普通の人には出来ないことができたといいましょうか…ちょっと、人と変わっていたせいで…友達はもちろん、両親でさえ、気味悪がるほどでした…。そんなある日、母親が私に言ったのです。〝お前には、一生をかけた大事な仕事があるから、一週間後には、ある人の家に行かなくてはならない〟 と」
「それって…ただの口実なんじゃねーのか…?」
思ったことを口にするラディ。もちろん、そう思ったのは、彼だけではないのだが…。
カイゼルは、少し目を伏せて続けた。
「とてもショックでした。追い出したいほど嫌われていたのかと思うと、悲しくて悲しくて…でも、親の前で泣いても、疎ましく思われるだけですので、私は一人、森の中に行って泣いていたのです。その日が来るまで、毎日毎日…。
そんな時に、その少女と出会ったのです。泣いていた私を見つけて、不思議な顔をして聞いてきました。〝どうして泣いてるの?〟 と。私は答えました。〝家を追い出されるんだ〟 と。
〝どうして?〟
〝僕は変わり者だから…〟
〝変わり者だと、どうして追い出されるの?〟
〝他の人と違ってると、嫌われるんだ〟
〝ふ~ん。じゃぁ、私も追い出されるのかなぁ…?〟
〝どうして?〟
〝だって、あなたを変わり者だと思わない私は、もっと変わり者なんでしょ?〟
〝え…いや…君は別に変わってなどいないと思うけど…〟
〝う~ん。じゃぁ…変わり者じゃない私が、あなたを変わり者じゃないって思ってるってことは、やっぱり、あなたは変わり者じゃないのよね?〟
そう言った時の少女は、とても真剣でした。私はそれがなんだかおかしくて…でも、どこか嬉しくて、素直に笑ってしまったのです。そんな私を見て、少女も笑いました。とても、幸せそうに…。その時の瞳は忘れることができません。吸い込まれそうなほど綺麗な瞳でしたから…。幼心に、胸が高鳴ったのを覚えています」
「惚れたな?」
「それが、リヴィアだったのか?」
同時に発したラディとイオータの質問に、カイゼルは複雑そうな顔をした。
「──その時の少女が、リヴィア様だったかどうか、私はついこの間まで…正確に言うと、シニア様が死ぬ間際まで分かりませんでした」
「なん…でだよ…?」
「その時、少女は名前も言わなかったのです。まぁ、私も自分の名前を言う暇などなかったですけど…。それに、なぜか、その日の事は何があっても内緒にするよう言われてしまいましたから。
そして、数日後、私は 〝ある家に〟 に連れてこられました。──そこが、今 私がいるリヴィア様の家です。
その日、私はとても驚かされました。なぜなら、私の目の前には、二人の少女がいたのですから。あの時 笑った少女が二人…」
「それって…つまり…リヴィアと同じ顔ってことだよな…?」
「双子…か。三日前、あんたの腕の中にいたのが、リヴィアの姉か、妹…ってとこだな?」
「姉の…シニア様です。私は、あの時の少女がどちらか確かめたかったのですが、〝何があっても内緒に…〟 と言われていましたので、聞けませんでした。分からないまま、月日は経ち、ある時、噂を聞いてしまったのです」
「噂…?」
「はい。私が見る限り、そうは思わなかったのですが、どうも大人たちは違ったようで…。どちらかと言うと、リヴィア様よりシニア様の方が愛されていたのです。純粋で天使のような心を持っているシニア様。それに比べて、リヴィア様はわざと愛されるように、シニア様のマネをしているだけだと。私も、そんな噂を聞き流していればよかったのですが、一度持った偏見というのは、なかなか捨て切れないものです」
カイゼルは、何かを失敗した時のように、肩を落とした。
「吸い込まれそうな瞳の持ち主は、きっとシニア様なんだと思い込んでしまったのです。そうなると、どうしても、それを確かめたくて…。シニア様と二人きりになったある日、思わず聞いてしまいました。〝初めて森で会ったのはシニア様、あなたですね?〟 と。すると、シニア様は少々驚かれたようですが、周りに誰もいないのを確認すると、小さく頷いたのです。私は嬉しくて、高鳴る胸は更に増していきました。
そして、彼女達が十二歳になった時、昔からそうであったように、金守球と赤守球を、それぞれが受け継ぐようになりました。本来、受け継ぐのは一人です。でも、彼女達は双子ですから、御両親も悩んだのでしょう。一時的には二人に受け継がせ、後々、一人に決めようとしたらしいのです。──ですが、本当の所は、御両親の心の中では決まっていました。受け継がせるのは、シニア様だと」
「愛されていたから…か」
「ええ。それもあると思いますが、周りの人の意見もあったのです。村を守り、治める立場というのは、神の存在にも置き換えられましたから、天使のようなシニア様が一番だと、そう言う方が殆どだったのです。
それから、数年が経ち、新たな 〝主〟 を決める日が、近づいてきた時です。
シニア様には、以前から好きになった男性がいました。そのことはリヴィア様もご存知でしたが、双子という存在ゆえ、リヴィア様もまた、その男性に惹かれていたのです。
周りの想いとは裏腹に、シニア様は 〝主〟 になりたいとは思っていませんでした。どうにか、その男性と二人で一緒になりたいと思ったシニア様は、私にだけその事を話してくれたのです。〝主〟 を決める前日の夜、二人で逃げるから、黙っていてくれないか…そういうお願いを含めて…。彼女に惹かれていた私は、反対したい思いで一杯でしたが、彼女がそれで幸せになれるのなら…と思い、その願いを受けることにしたのです。でも、その話を、リヴィア様が偶然にも聞いていたようでした。──私がその事に気付いたのも、かなりあとになってからでしたけど…。
もう二度と会えないと思ったリヴィア様は、どうしても自分の思いを伝えたかったので、〝主〟 を決める三日ほど前に、男性を呼び出しました。そこで、告白しましたが、もちろん、受け入れてはもらえません。その理由を尋ねてみると、返ってきた答えはこうでした。
〝彼女の方が綺麗だから…〟」
「な…んだ、それ…? 双子だから、綺麗さなんて変わんねーだろ?」
どこか、怒りを含んだラディの口調。カイゼルは、深い息を吐いた。
「それからなんです。美に対して執着し始めたのは…。美しい人を見ると、シニア様と恋に落ちた男性のように、自分を選んでもらえないのでは…という恐怖に襲われてしまって…」
それで、怖かった…って言ったの…?
「 〝主〟 を決める当日、もちろんシニア様はいません。それを知った大人たちは、御両親も含め、リヴィア様を疑いました。自分が主になりたいが為に、シニア様を追い出したのでは…と」
「はぁ!? なんでそーなるんだよ? それじゃぁ、あまりにもリヴィアがかわいそうじゃねーか。──それで、カイゼルはちゃんと説明したのか?」
「いえ…。言おうと思いましたが、リヴィア様がそれを止めたのです。内緒のままに…と。
シニア様がいなくなってしまいましたから、主はリヴィア様になりました。それが、今から六年ほど前のことです」
「──っつーことは…ひょっとして…?」
頭の回転の速いイオータが何かを察すれば、カイゼルも頷く。
彼の話を聞くのが精一杯だったあたしにも、だんだんと読めてきた。
「金守球は 〝美〟 を意味します。外見だけの美ではなく、どちらかと言うと、心の美を意味します。守球から中に棲む生き物を呼び出したリヴィア様は、村を出て行かれたシニア様を黒風で探し出し、容姿を変えてこの村に閉じ込めてしまわれたのです。もちろん、男性と引き離して…です。
呼び出した生き物は、操る者の心で、良くも悪くにも働きます。リヴィア様が呼び出したものは、悪い方に働き、黒風というものを作り出してしまったのです。美に執着するあまり、美しいものは黒風に襲わせ、あの家の地下に閉じ込めてしまうのです」
そこまで言って、あたしはハッとした。
「じゃ…ぁ…ミュエリは…」
「はい。まだ、地下におられます。もう少ししたら、おそらく今までに連れ去られた人は、全て解放されるでしょう。それだけではなく、この隠された村も、元のように一つになります。ただ、それができるのはリヴィア様だけなので、私は…待つしかないんです」
「どう…いう事…?」
「金守球は美を、赤守球は愛を、そして、銀守球は強さを意味するのです。その最後の銀守球を手に入れなければ、何も変わらないからです」
「で…も…銀守球は受け継がれなかったって…」
「はい」
「じゃぁ、ムリなんじゃ…」
「銀守球は、他の二つと違って、ここなんです」
カイゼルはそう言って、自分の胸を指差した。
「こ…心…ってこと…?」
「はい。シニア様の死を乗り越え、これからあるべき姿に向かって生きていく…そんな強い心を持つことができれば、ようやく、三つ目の銀守球が揃うことになるのです」
その意味に、あたしは言葉が出なかった。そんなあたしを見て、カイゼルは、更に話を続ける。
「赤守球を持っていたシニア様は、おそらく、ずっと待っていたのでしょう。隠されたこの村は、それだけの力を持った人…あるいは、リヴィア様が意図的に送り込んだ人です。そうでない限り、この村には入って来れません。その村に入ってきたあなたに、シニア様は全てをかけたのだと思います」
この時、あたしは思い出した。戦う前に言った、彼女の一言を。
〝これ以上待つつもりはない…〟
ずっと…待っていた…全てを元に戻せるその日を…?
だから、この村に入ってきた旅人には親切にするよう、ジーネスに言ったってこと?
「なんか…それって酷くねーか? そのせいで、ルフェラは危険な目にも合ったし、取り返しのつかない罪を犯すことになったんだぜ…。キレイだかなんだか知らねーけど、オレだったら、ぜってー、シニアなんか選らばねーな」
すでに、ラディはキレていた。
「綺麗だといったのは、実は外見じゃなく、心なんです」
「だったら、尚更じゃねーか!」
「リヴィア様もシニア様も外見だけじゃなく、本当に心も綺麗だったのです。ですが、どちらかと言うと、リヴィア様のほうが純粋だった…というよりは、純粋すぎたのです。それは、御両親もシニア様も分かっていらっしゃいました。ただ、相手が美しすぎると、自分が醜いんじゃないかと思ってしまうことがあるのですよ。それが、シニア様のほうだったのです。人から愛される為に、演じていたのはシニア様のほうで、それを知っていた大人たちも、またシニア様が不憫に思えたのでしょう。同じように接しているようでしたが、どうしてもシニア様のほうに偏ってしまったのです。
私が森での出来事を確認した時も、自分から私が離れてしまうのを恐れてウソを付いてしまったようなのです」
カイゼルの話に、さっきまでキレていたラディは黙ってしまった。変わりに、イオータが呟く。
「な~んか、悲しいっつーか…複雑だよなぁ~」
「…ええ。その上、リヴィア様も二つの人格を持つようになってしまわれて…」
「二つ…?」
「はい。本来のリヴィア様は装飾品も殆ど付けず、口紅の色も淡い紅なのですが、もう一つの人格になると、装飾品もそうですが紅の色も強くなるのです」
そこでまた、あたしはハッとした。
数日前、記憶の中に入り込んだ欠片が蘇る。
そ…うか…それだったんだ…。
ミュエリを助ける手掛かりが欲しくてリヴィアに会いに行った時、何かが違うと思った。でもその時は、その 〝何か〟 が分からなかったのだ。
お金持ちにありがちな装飾品を殆ど身に付けていない…初めて会った時、確か、そう思ったはずだった…。
「で…も、どうして別の人格が…?」
「それは…黒風のせいなのです。単独で呼び起こすことを禁止されている理由は、前にもリヴィア様がお話しした通り、暴走してしまうからです。でもそれは、単独で呼び起こすことだけが原因ではないのです。問題は、銀守球を…つまり、心の強さを持っているかどうかです。銀守球を手に入れてないと、心は守球に棲む生き物の強さに対応できず、徐々に飲み込まれてしまうのです。その結果、別の人格が形成され、生き物は暴走…という事になるのです。そうなれば、誰にも止めることはできません。最近は、リヴィア様も、飲み込まれている日が多くなっていたのです」
「つまり、ミイラ取りがミイラになる…ってことか」
「はい。──リヴィア様は、幼い頃から、自分よりシニア様の方が愛されている事に、気付いておいででした。でも、それを口にした事はありません。それだけでも、心には幼い頃からの傷が、癒える事なく残ってしまいます。そこへ、六年前の、あの男性の一言が重なって…」
「そりゃ…そんなこと言われたら、耐えられねーよな。──だいたい何で、そんな言い方したんだよ、その男は? オレだって、そんなヒデーこと言わねーぜ?」
ラディの怒りが、その男性に向けられる。
「彼もまた、リヴィア様の心の美しさには気付いておられました。リヴィア様から、想いを伝えられた時、実は、シニア様が近くで隠れていたのを、彼は知っていたのです。もちろん、シニア様への愛情は偽りではありません。だからこそ、シニア様に自信を持っていただきたくて、そう仰ったのです。リヴィア様ではなく、シニア様に聞いてほしくて…」
「けどよ…その一言がなかったら、リヴィアは禁じらてたことに、手は出さなかったんだろ?」
「ええ。でも、それも時間の問題だったと思います。シニア様が森を出てしまった時点で、同じことになっていたと思いますから…」
「かぁ~。なんっか、もう…誰が悪いのか分かんなくなっちまったぜ…」
「…そうだな。リヴィアはリヴィアで傷つき、シニアもシニアで傷ついていた。その男だって、愛する女を助けたかっただけなんだろうしな…。──ただ、誰か一人でも、自分の胸のうちを話していれば、ここまで複雑で悲しい結末にはならなかったんじゃねーのか?」
「その…通りです。誰かが悪いというなら、それは…守るべき相手を見失い、その上、争いごとは苦手だと、それぞれの間に深く立ち入らなかった私に責任があります」
カイゼルはそう言うと、改まってあたしを見つめた。
「…もう、特にルフェラさんには、辛い思いをさせてしまっていることが、ただただ申し訳なくて…。本当にすみませんでした」
涙も流す勢いで深く頭を下げるカイゼルに、あたしは掛ける言葉も、すぐには出てこなかった。
今や、様々な疑問点は、ひとつの線に繋がっていた。
〝惑わされないでください〟 と言ったカイゼルの言葉も、黒風を操っているのがシニアじゃないことに気付いて欲しかったものだと分かる。
ジーネスに会った赤守球の人は間違いなくシニアだった。そのシニアと話をしただけで、〝そんなことする人ではありません!〟 と強い口調で言い切った言葉も、あたしは信じることができなかった。目が見えない分、口調や肌から伝わる何かで、心の美しさを感じ取ったのだとしたら、そういう力は、目の見えるあたし達より、確かなほど敏感なはずだ…。
術をかけられた後遺症で苦しんでる時に、思わず口を出た言葉…。〝誰?…か〟 と、聞き返したシニアの口調に、僅かながら感情が宿っていたのも、今ならその理由が分かる。
わざと、あたしに赤守球を奪わせるようにしたシニアの行動も、そうだ。
夢が正夢だとは思わなくても、シニアの頭上で揺らめいてた黒いものが、死を予知する光だと、どうして気付かなかったんだろう…。
どれもこれも、少し考えれば、最悪の結果は避けられたものばかり…。
カイゼルがどう言っても、やはり、責任はあたしにもあるのだ。
あたしは、溢れてくる涙を何度も拭いながら、頭を下げるカイゼルに話しかけた。
「カイゼル…ごめんなさい…。やっぱり、こうなった責任はあたしにもあるわ…。あたしも、いろんな事に気付くべきだった。気付いてさえいれば、こんなことにはならなかったもの…。あたしのほうこそ…ごめんなさい…」
あたしが頭を下げると、代わりにカイゼルが顔を上げた。
「いいえ…いいえ…どうか、頭をお上げください、ルフェラさん。これは、私が招いた結果なんです。──お願いですから、私を責めても、ご自分は責めないでください」
「でも…本来、みんなが 〝主〟 だと望んだシニアはもういないし…」
「それは、問題ありません。──あ…いえ…問題ないというか…その…シニア様の死は、自らがお選びになったことですし…。それに、〝主〟 というのは、本当は最初から決まっているものなのです。それはシニア様ではなく、リヴィア様であり、私はその主をお守りする義務があるのです」
「…………」
「ルフェラさん…こうは思っていただけないでしょうか…。リヴィア様はもちろん、シニア様、しいてはこの村全体を、ルフェラさんが救ってくださった…と」
「そ…んなの…」
「事実、私たちはあなたに救われたのですから…」
「でも…」
そんな簡単に思えないわよ…。
人ひとり殺めたのよ?
罪を犯したのに、村を救っただなんて…。
「ん~、まぁ、すぐにはムリだろうなぁ…」
何も言えないでいるあたしを見かねてか、イオータが代わりに話し出した。
「ついさっきまで、死にたいって言ってたんだぜ、こいつ。それが、やっと、生きることで罪を償おうと決心したんだ。話を聞く限り、確かに村を救ったかも知れんが、罪は罪として背負うべきだろ? 本当に、救ったんだと思うには、時間が必要なんじゃねーのかなぁ」
「そう…ですね…」
「だからよ、こーしよーぜ? ルフェラはこの先何があっても生き抜いて罪を償い、カイゼルは、〝救われた〟 ことを証明する。今回のことを経験したあんたなら、できるだろ? 一生をかけた大事な仕事をすれば、おのずと証明されるんだからな。そして、ルフェラは何年か後に、もう一度この村にやってきて、その目で、この村が救われたことを確かめる。──どうだ、それなら、心の底から 〝今回のことが、救うことに繋がったんだ〟 って思えるだろ?」
イオータの提案に、すぐには誰も口を開かなかった。だけど、分かっていた。それが一番ベストな方法で、それ以上のものはないことを。
わずかに沈黙が流れた後、静かに口を開いたのは、またもや、カイゼルだった。
「…分かりました。私はイオータさんの提案に賛成します」
「よぉ~し。──で、ルフェラは?」
「あ…あたしは…」
しばらく考えたが、そのあとの言葉は、態度で示した。
首を縦に振ると、即座に、今まで以上に真剣なカイゼルの声が響く。
「ルフェラさん、私は、この村があなたによって救われたことを、必ず証明させて見せます。今回のことで、自分に課せられたことの重要性がよく分かりました。二度と、こんな失敗は繰り返しません。ですから、安心して、もう一度ここに来てください」
そう言うと、また、深々と頭を上げた。
「カイゼル…」
その後に、なんて言っていいか分からずと惑っていると、隣にいたラディがそっと耳元で囁いた。
「女王様みたいに、〝分かりました。その言葉を信じて、また戻ってきます〟 って言ってやれよ。じゃねーと、あいつ、頭上げねーぜ?」
心配したような争いごとにはならず、今にも握手を交わしそうな所まで来たからなのか、ラディの口調は、どこか冗談ぽく聞こえた。──いや、現に冗談ぽく言ったのだ。もちろん、こんな時に笑えるはずもなかったが、気持ちは妙に軽くなった気がした。
涙を拭い、何度か深呼吸すると、落ち着きも戻ってきた。
「カイゼル、ありがとう。あたし…その言葉を信じるわ。そして、あたし自身もシニアさんに恥じないよう頑張って生き抜いてみせる。そしたら、必ずもう一度ここに戻ってくるわ…」
「ルフェラさん…」
ラディの言う通り、あたしの言葉でカイゼルは頭を上げた。
「よっしゃぁ、これで、一件落着!」
イオータはそう言って 〝パンッ〟 と手を叩いた。それを機に、一気に緊張していた雰囲気が和む。
──と、途端にいつもの口調で喋りだすラディ。
「なぁ、オレ…まだ分かんねーことがあんだけどよ…」
「なんだ…折角、一件落着したのに、またぶり返すのか?」
「いや…そーゆーつもりはねーんだけど…ただ、気になってよ…」
「眠れねーぐらいか?」
「ああ」
「──んじゃ、言ってみろよ?」
「あ、あのよ、カイゼル…。この村で採れる食料はどこにいってんだ?」
「おまっ…そんなことで眠れねーのかよ…?」
真剣に質問したラディに、イオータが呆れる。
確かに、疑問は疑問だが…眠れないことのほどでは…とも思う。
もちろん、カイゼルも気が抜けたように、しばらくは二人の会話を黙って聞いていた。
「そんな事…ってゆーなよな。気になるもんは気になるんだからよ」
「ああ、もう、どーでもいいじゃねーか。〝終わりよければ全てよし〟 ってゆーだろ?」
「そうだけどよ…」
「だいたいなぁ、気になることっつったら、もっとこう…重要なことっつーか…深いことを気にしろよ?」
「──んじゃぁ、カネはどうだ?」
「カネ!?」
「ああ。なんでタダでカネを渡してたのか…ってーのなら、深いだろ?」
どうだと言わんばかりに、胸を張る。
「あぁ~、ん~、まぁ~」
「なんだよ、その反応は…。気に入らねーなら、お前 言ってみろよ。なんもないのか?」
「まぁ…あるっちゃぁ、あるけどよ…。全てが元に戻るんなら、それでいっか…と思ってな…」
「かぁ~、つまんねぇ~」
「なんだ、不満か?」
「──ったりめーだろ。どうせなら、全ての疑問を解決しちまおうぜ。乗りかかった船じゃねーか」
「ワリーけど…お前以外、既にその船から降りてるぞ?」
「マジかよ!?」
「ああ」
「いつの間に!?」
「ついさっき」
「早えーよ!!」
「そうか?」
「だぁ~!! もう一回 乗れよ。乗って、お前が持ってる疑問を話してくれぇ、な?」
懇願するような目に、イオータは笑いを堪えていた。
「しゃねーなぁ。──いいか、オレが思う疑問はだな…」
「おう…」
「ズバリ、黒風によってこの村に連れてこられたやつの状況…だな」
「連れてこられたやつ…?」
「ああ。リヴィアの家の地下に閉じ込められているのは分かったが、それは、黒風が連れ去ったやつの事だろ? オレが言ってんのは、この村に連れてこられて記憶を失くしたやつらのことさ。顔も変わっちまったからな」
そこまで言って、ラディは 〝あぁ~〟 と納得した。
もちろん、あたしやネオスもだ。
「そりゃ…重要だな…」
自分の疑問があまりにもちっぽけだと気付いたのか、ラディはそのまま黙ってしまった。その様子を見ていたカイゼルが、代わりに話し出す。
「…それは、シニア様の仕業です。地下に閉じ込めておくにも人が多くなるばかりですから、リヴィア様が、最初の頃に連れ去った人から順番にこの村に送り出していたのです。シニア様が住む森の中に運べば、今度はシニア様が赤守球を使って、一時的ですが、容姿を変え記憶を消していました。以前の記憶があると、辛い思いをするからだそうで…。
この村が二つに分かれる時、美しい人とそうでない人と分けられました。それは、必然的に自分の娘や母親と別れさせられることになります。黒風によって連れ去られた人が、この村に戻ってこれば、別れた家族とも再会できますが、シニア様は村が元に戻ったときのことを考えて、敢えて容姿も変えたのです」
「なんでだ?」
「村が二つに分かれたのも、黒風が誰に操られていたのかも、村の人たちは何一つ知りません。シニア様は村が元に戻ることを信じていましたし、元に戻った時、リヴィア様の信頼がなくては、村は崩壊してしまいますから…」
「つまり…村を守り、治める立場であるリヴィアの為だった…ってことか」
「はい。村が元に戻ればそれらの記憶も容姿も元に戻りますし、ここにいる子供達も本当の親の元に帰り、一緒に住むことができます。もちろん、六年間という子供達の成長は空白でしょうが…」
「ちょっと待てよ…? ひょっとして、ジーネスたちがシニアから預かった子供っていうのは、村が分かれる時に引き離された子供達なのか…?」
子供の事になって、急に反応するラディ。
「…はい。しばらくはシニア様が面倒見ていたようなのですが、容姿と記憶を消すために赤守球を呼び起こしていれば、いつ、自分が飲み込まれてしまうか分かりません。ですから、安全の為、大変だとは思ったのですが、こちらの方にお願いしたのです」
な…るほど…。それでシニアは 〝自分と一緒にいては危ないから…〟 と言ったのか…。
カイゼルの話を聞くたび、今まで忘れていた疑問さえ、納得がいった。
「…それから、ここで採れる食料ですが…」
「お…おう…」
自分の疑問が取り上げられ、ラディが身を乗り出した。
「週に一度、村のはずれに持っていくのです。この村は孤立していて、リヴィア様の結界によって、外との行き来ができなくなっているのです。リヴィア様の家の裏から来れるあの道も、招かれざるものは通ることができません。道に迷って、何度も何度も同じ所を繰り返し通ることになるのです」
「それで、誰も入ることができなかった…?」
あたしは、〝隠された村〟 の原因がそういう事だったのか…と、思わず呟いていた。
「そうです。でも、一週間に一度、その結界が一箇所だけなくなるのです。そこから食料を運び出し、決められた場所に持って行きます。すると、別の村の人が……つまり、リヴィア様がいるあの村の人たちが、それを取りに行く…という感じで…」
「そうか…それで、リヴィアの村には食物を育ててないのに、あんなに一杯、食い物があったのか…」
「はい」
「──んじゃ、カネは?」
「お金は…単に村の中でお金を回していくためです。他の村とは違う通貨ですから、村の外から来た人は持ってないですしね…」
「ふ~ん…」
単純といえば単純な答えだったのだろう。ラディはそれだけ言うと、自分の疑問が全て解決されたからか、案外あっさりと納得した。
あたしは、二度目である 〝結界〟 がどういうものなのか気になったが、やっぱり 〝終わりよければ全てよし〟 精神が働いて、すぐにどうでもよくなってしまった。それに、これから先、その言葉が聞かれるようなことはないだろうと思ったのが正直な所だ。
「あ…そういえばよ…」
イオータが思い出したように口を開く。
「アレ、売るのはやめたほうがいいんじゃねーか?」
「アレ…とは…?」
「 〝想いの石〟 だよ。ここ数日、ネオスが一生懸命、その石を通じてミュエリに語りかけてたけど、やっぱ何の反応もなかったぜ。ただの石を売っちゃぁ、詐欺だろ?」
〝詐欺だ〟 とは言うものの、その口調は、特に責めているようなものではなかった。
カイゼルも、複雑そうに苦笑いを返す。
「でも…その石は、本当に想いが通じるものなんです。ただ…今回の場合、相手の状態が問題で…」
「──というと?」
「リヴィア様が地下に閉じ込めた人たちは、私たちとは別の世界で暮らしています。──とは言っても、本当に別の世界で暮らしてるという意味ではなく…なんと言いましょうか…意識的に現実の世界から遠のいていると言えばいいでしょうか…」
「夢うつつ…ってな感じか?」
的確な言葉が浮かんでこないカイゼルに変わって、イオータが付け足す。
「ええ、そのような感じです。──ですから、外からどれだけ強い想いをかけても、受ける側のミュエリさんの意識がハッキリしていないので、誰かに助けを求めたり…ということがないのです」
「は…ぁ…。そーゆーことか…。んじゃぁ、ムリだわな。とんだ時間の無駄だったな、ネオス?」
〝ご苦労だったな〟 というねぎらいの意味も込めてか、イオータはネオスの肩をポンと叩いた。ネオスも苦笑するしかなかったようだ。
「──けど、ミュエリも惜しいことしたよなぁ~?」
「なんでだよ?」
意味ありげなイオータの発言に、ラディが飛びつく。
「だってよ、こんなに強く想われてたこと、知らねーんだぜ? しかも、相手がネオスだったなんて…これから先、こんなことはねーぞ、きっと」
「おぉー!! そうだよなぁ~」
それを知った時のミュエリの顔を想像したのか、二人とも、今にも噴き出しそうな顔だった。
その和んだ様子を見て安心したのか、カイゼルは小さく微笑むと姿勢を正した。
「みなさん、今回は、本当にすみませんでした。数日後には、全てが元に戻るはずです。その時は、ミュエリさんと共に、もう一度ここに来ます。その時まで…。今日の所は、これで失礼します」
丁寧に頭を下げると、カイゼルは音もなく立ち上がり帰っていった。
「さぁ~てと、あとはオレらも待つだけだ。──おい、ラディ、オレらは外行こうぜ?」
「あ? なんでだよ?」
「今日の運動、まだだろ?」
「あ…あぁ~、そう言えばそうだな。ここんとこすっかり忘れてたぜ」
ラディはイオータの誘いに乗ると、彼に続いて立ち上がった。
「ネオス、ルフェラにお粥 作ってやれや。話が終わったら、食うって約束したからな。それから、ルフェラ──」
イオータに言われたネオスが立ち上がると、今度はあたしの方を指差した。
「あんたは…ちゃんとネオスに謝っとけよ。この前、泣きながら 〝殺してくれ〟 って言ってから、こいつの落ち込みようったらなかったんだぜ。さすがのオレも、見てらんなかったんだからな」
「……あ…う、うん…」
「よしっ。じゃ、そーゆーことだから、ちょっくら、外行ってくるわ」
二人して、〝じゃっ〟 と手を上げると、さっさと外に出て行ってしまった。
ネオスも彼らと同じように部屋を出て行くと、次にはお粥を持って隣の部屋…つまり、食事をする部屋に戻ってきた。
あたしもそこへ移動する。
「熱いから気を付けて」
「うん…ありがと…」
そう言って、さじを受け取った。しかし、すぐには手を付けなかった。
「…食欲、ない?」
心配するネオスの言葉に、あたしは首を横に振った。
「そうじゃなくて…。ごめんね、ネオス。もう、殺して…って言わないから…」
「…うん。できれば、〝死にたい〟 とも言わないで欲しいけど…」
「分かった…」
その答えに、ネオスはいつもの優しい笑みを見せた。久しぶりに見る、優しい笑みだ。おそらく、つられて微笑んだあたしも、久しぶりに見せた笑顔だろう。
「ほら、食べて…」
「うん。いただきます」
「どうぞ」
温かいお粥が、少しずつ空っぽの胃を満たしていく。
量はさほどなかったものの、さすがに三日も食べてないと、胃が小さくなったのか、用意されたもの全てを平らげると、お腹一杯になった。
さっきまで脳に回っていた血液が、一気に内臓へ流れ込む。満腹感はもちろんだが、心に滞っていた最後の錘が溶けたせいか、自然と安らかな睡魔に襲われた。
イオータたちが戻ってくる頃には、既にその場で眠ってしまっていた。