11 リヴィアのもとへ… <2> ※
「な~んて、ね?」
え…?
「バカね、あなたも」
「リ…ヴィアさん…?」
「リヴィア様!?」
リヴィアの変化に、後ろで控えていたカイゼルも気付いたのか、慌てて彼女に歩み寄る。
しかし──
「止まりなさい!」
振り向きもせず、突然の強い命令口調が放たれた。
彼女の変化どころか、その言葉や口調にも驚き、自分に言われたものではないと理解しても、既に、あたしは彼女の前で動けなくなっていた。もちろん、〝止まれ!〟 と命令されたカイゼル本人も、凍りついたようにその場で立ち尽くしてしまう。
「リヴィ──」
「ここまで上手くいくなんて…私はあなたに感謝するべきかしら?」
そう言って見せた微笑みは、今までのものと何かが違っていた。優しく上品で、見る者全てを魅了する…そんな微笑みに変わりはないが、何かが違う…。
でも、なにが…?
ふと、前にもこんな違和感を覚えたような気がして、記憶の糸を探り出そうとした。しかしそれは、リヴィアが椅子から立ち上がる動きと重なり、すぐに現実に引き戻されてしまった。
石でできた床の上を、彼女の靴音だけが、部屋中に響く。
一体なにが起こったというのか──あるいは、起こっているのか──あたしには全く分からなかった。ただ、様子がおかしいという事だけは分かり、募る不安が緊迫感を増していく。
リヴィアが庭に面した大きな扉に近づいていくのを、ただ無言で見つめるあたしとカイゼルだったが、あまりの緊迫感に耐えられず、声を発した。
「リヴィアさん…一体 どうしたんですか…?」
その質問に、ゆっくりとこちらを向き直る。
「あら、私はどうもしないわよ。どうかしているのは…ルフェラさん、あなたの方じゃなくて?」
「どう…いう……」
「だって、私の言うこと全てを 真に受けているんですもの。見ていて、少し心配になるほどでしたわ」
な…なんなの…?
一体、何を言ってるの…リヴィアさん?
〝全てを真に受けてる〟 ってどういう意味よ…?
それじゃぁ、まるで──
考えもしなかったことが、頭をよぎった瞬間、それを悟ったかのように、彼女が続けた。
「まだ、分からないかしら? 黒風が赤守球から呼び出されたものなんて、全くの嘘なのよ」
「────!!」
「それだけじゃなくってよ。赤守球が盗まれたというのも、姉が連れ去られたというのも真っ赤な嘘。その嘘を、あなたは何の疑いもなく信じ、危険な目に遭ってまで、赤守球を取り戻しに行ったってわけ」
まるで、あたしが騙されていくのを楽しんでたような口調だった。最後には、〝お気の毒さま〟 という言葉が聞かれるんじゃないかと思うほどだ。心の中であざ笑う声さえ、聞こえてくる気がする。
「あまりのショックに、声を失ったかしら? それとも、今の言葉の方が信じられない?」
何も言えないでいるあたしに、彼女が優しく微笑みかける。──と同時に、いつかの言葉が思い出された。
〝彼女があの黒風に一枚かんでるのか──〟
あれは確か…イオータの言葉…。言われて、即座に 〝バッカじゃないの!?〟 と否定したけど、もしかして…ううん、もしかしなくても…これは、イオータの推測が正しかったってこと!?
で、でも…かんでるって事が、イコール、黒風を呼び起こしたのがリヴィアだっていう事には繋がらないはずよ。だって、黒風の存在を利用しただけかもしれないもの…。
何が真実なのか分からなくなって、あたしの頭の中には様々な推測と感情が入り乱れてきた。
〝まさか、彼女が!?〟 と疑うと同時に、その一方で 〝そうとも限らない〟 と否定する。そして もし、〝まさか…〟 というのが正しかったなら、あたしはとんでもないことをしたのかもしれない…という不安に駆られた。そのせいで、予想も付かない何かが──取り返しのつかない何かが──これから起きるとしたら、不安どころか、恐怖にさえ包まれてしまう。
あの時、イオータの言う事を、もっと まともに聞いていたら、何かしら、彼女のウソに気付いただろうか? ──いや、気付かなくても、〝バッカじゃないの〟 と言い切った時の偏見は捨ててるかもしれない。どうしてあの時、彼の言う事を信じなかったんだろう…。なんだかもう、自分がどうしようもないバカに思えてくる。情けなくて、泣けてくるわよ。
その上、あんな怖い思いをして手に入れた赤守球が、ミュエリの救出とは全く関係なかったなんて…。唯一の可能性だったのに、それを絶たれたショックは大きい。
自分を騙したリヴィアにも、かなりの怒りを感じてしまうのだ。
「ど…うして、そんなウソを…?」
感情を噛み殺すように、声を絞り出した。
そんなあたしとは対照的に、リヴィアは涼しげな顔でサラッと答える。
「あら、簡単なことよ。──赤守球を取り戻したかったから」
「取り戻す…って…盗まれたんじゃないのよ…ね?」
「ええ。でも、赤守球は私のもの。自分のものを取り戻したいと思うのは当然じゃなくて?」
「……………」
な…にが、どうなってんの…?
全く分からないわ…。
赤守球はリヴィアのものだけど、ここにはなかった…。盗まれたんじゃないなら、なんで彼女の手元になかったのよ?
それとも、彼女のものだっていう事も、ウソなのかしら?
だけど、あの女は言ったわ。〝持つべき者に返せば…〟 って…。だとすると、やっぱり、赤守球はリヴィアのものって事になるわよね?
ああ、でも…〝持つべき者〟 がまったく別の人を指していたら?
大体、なんであの女が赤守球を持っていたのよ?
考えれば考えるほど、理解できなくなって、あたしの頭はパニック寸前だった。いや、もう既に、パニックに陥ってるかもしれない。
そんな状況の中、なおも疑問が湧いてくる。
姉が連れ去られたっていうのもウソなら、お姉さんはどこにいるのよ?
もしかして、お姉さんなんて、最初からいなかったとか…?
それに、ちょっと待ってよ…?
黒風の原因が赤守球じゃなかったら、なにから出てるわけ? このままだと、ミュエリを助けることも出来ないじゃない…。
ああ、もうやだ…本当にわけが分からない。一体、どこまでがホントの事で、どこからがウソなのよ…?
「かわいそうなルフェラさん…。なにがなんだか分からないっていう顔をしてるわね」
あたしの表情から全てを読み取ったように、微笑みは哀れみを帯び始めた。
〝かわいそう〟 だなんて、哀れみを向けられたら…もう、ヤケだわ…。
パニクった脳みそなんか、この際、ムシだ。整理するぐらいなら、細胞も焼いて捨ててやる!
半ば、わけの分からない考えで吹っ切ると、不思議なことに冷静さが戻ってきた。
「……そう思うんなら、初めから説明してよ。もう、ウソをつく必要なんてないんでしょ?」
「そうね……」
何かを考えるように、一瞬、視線を落とした。──が、すぐに言葉を繋ぐ。
「お話ししても構わないけど…あなた、もう、帰れないわよ?」
「なっ…!?」
「あら、ごめんなさい。本当は、最初から帰すつもりはなかったの」
「どういう事よ…? あたしがここから出れないって事なの?」
「ええ」
なんともまぁ、あっさりと…。
「──だ、だとしても、そんなの心配してないわ。外にはネオスたちがいるんだから。なかなか出てこなかったら、それこそ、あたしを連れ戻しに来るわよ」
一晩中、ずっと捜し続けてくれたせいか、あたしは確信しているかのように、自信を持ってそう言い返した。
しかし、リヴィアの微笑みは、消えるどころか、更に哀れみが増す。
「本当にかわいそうな方ね、あなったって。本気で、彼らが助けてくれるって信じてるなんて…。でもね、ダメなの」
「な…に…言って──」
「今頃、〝家の中に入れない…〟 って、慌ててるんじゃないかしら」
「どういう──」
「──だって、私が拒否したんですもの。家の周りに結界を張り巡らして、あなた以外の人を入れないように…ってね」
「結…界…?」
聞いた事のない言葉に、あたしはその言葉を繰り返しただけで、反論の一言さえ出てこなかった。
その間にカイゼルが入り込む。
「リ…ヴィア様……リヴィア様、どうか、おやめ──」
「カイゼル? 私はリヴィアさんとお話し しているのよ」
暗に 〝黙っていろ〟 という意味だった。
「ですが、リヴィア様──」
「カイゼル!!」
なおも、何かを言いかけたカイゼルに、リヴィアは鋭い眼差しで、それを制した。
成す術がないかのように口をつぐむカイゼルの顔には、困惑・懇願・悲痛……など、あらゆる思いが浮かんでいるように見えた。
その様子から、これ以上、カイゼルが何も言わないと確信したのか、リヴィアは、またすぐに 柔らかな微笑みを あたしに向けた。
「ごめんなさいね、マナーが悪くて…。──それで、話を元に戻しましょうか。結界がどんなものか…あるいは、どうやって作り出されるのか…それは大した問題ではありません。それが分かったところで、彼らがこの家に入れないという事には、変わりありませんもの」
「そ…う。だったら、あたしは自力でここから出ればいいわけよね?」
「あら…また随分と強気ですのね」
「それは、どうも…。だけど、あたしだって、ただでは出て行かないわよ。さっきも言ったとおり、最初から本当の事を説明してくれるまで、ここを動かないから」
「なるほど。それでしたら、あなたをここから出さない為には、説明をしなければいいのね」
「ふ…ざけないでよ」
「私は別にふざけてなどいませんわ。言ったでしょう? もともと、私はあなたをここから出すつもりはなかった、と。言葉が足りないなら、付け足しますわ。ルフェラさん、私はあなたをこの世から消そうと思っていますの」
「なっ……!?」
「でも、その前に何が真実かという事ぐらいは、教えて差し上げますわ。だって、教えた所で、やはり、あなたはここから出ることなどできないんですもの」
〝この世から消す〟 と言われれば、本来なら恐怖が湧いてくるところだ。だけど、楽しそうに話すリヴィアを見ていると、本気なのかどうかが 分からなくなるせいか、怒りのほうが強くなってくる。
しかし、リヴィアはそんなあたしの感情などまるでムシして、真実の説明とやらを始めた。
「──この村の守り球である守球の話は、以前にもお話しした通り、本当のことですわ。必要な守球は三つなのに、代々受け継がれてきたのは金と赤の二つ。銀守球はどこをどう探しても見つからなかった。でも、私はその銀守球がどうしても欲しかったの。──なぜだか分かる?」
「三つ揃えば、黒風も退治できるから…って言ってたけど…その様子じゃ、それもウソだって事ね…」
「その通り。もちろん、三つ揃えば村を守ることができるわ。今までに、そういう状況に陥った事がなかったとしても、昔から、そう言い伝えられてきましたもの。でも、もうひとつ、言い伝えがあって……それは、思いのままに村を支配することができるってことなの。──どう、ルフェラさん、素晴らしいと思いませんこと?」
リヴィアはそう言って、目を細めた。
「あたしは…素晴らしいって思うことの中に、支配することなんて入ってないもの…。ハッキリ言って、リヴィアさんの気持ちはよく分からない」
「そぅ…残念ですわ。でも、無理に分かっていただくことじゃないわね。だって、これは価値観の問題ですもの」
「そうね。──だけど、その事と、あたし達にウソをつくことに、どういう関係があるっていうの? 銀守球は、初めからなかったんでしょ? どうして、赤守球までなくなったのかは分からないけど、銀守球がない以上、それを取り戻したって、何の意味もないじゃない」
「ええ。まったく、その通りよ。私も、銀守球が一生 手に入らないものだったら、赤守球を取り戻すことなど考えもしませんでしたわ。でも、銀守球の代わりになるものを見つけてしまったんですもの」
「え…?」
「ほら、これ…」
リヴィアはそう言うと、〝代わりになる〟 と言った物を、チャラチャラと揺らした。
「あ…たしの…!?」
「ええ。言ったでしょう? これは、カードゲームに例えるとジョーカーのようなものだと。ジョーカーは、ゲームの種類によって嫌われ者にもなるけど、その多くは一番強いカードとして存在するのよ。時には、違うカードになることもできる…言わば、オールマイティーの強さがあるの」
「それって…まさか…」
「そう、そのまさか。でも…これひとつで、私の夢が叶う代物だとは、思いもよらなかったけれど…」
リヴィアはより一層 目を細めると、うっとりしたように、そのペンダントを見つめた。
そんな中、あたしの頭にはある疑問点が湧き上がってきた…。
「どうして…あたしがそれを持っていたこと知ってたの…? だって、あたしはあなたにそれを見せたことなんてないのよ。今が初めてだったのに…。なのに、話を聞く限り、ミュエリが連れ去られた翌日には、それを知っていて、ウソを付いたって事になる…」
「さすがね、ルフェラさん。──あなたがこれをもっていたことを私が知ったのは、ミュエリさんを連れ去った直後なの」
「連れ…去った…? それって──」
「そうよ。黒風を呼び起こし、彼女を連れ去ったのは──この私なの」
「────!!」
「旅の人には手を出さないつもりだったのよ? 現に、今まで出さなかったもの。でもね、あなた達を見たとき、ミュエリさんは特に綺麗で…見て見ぬふりができなかった…」
「どうして…? あなたはこの村の中で一番綺麗じゃない。ミュエリより、何倍も綺麗だわ。それはミュエリ本人だって認めたのよ。なのに、なんで…」
「あら、嬉しい お言葉ね。ありがとう。──でも、そうねぇ…簡単に言えば、怖かったから…ってとこかしら?」
「怖…かった…?」
理解できない理由に二の句が告げないでいると、リヴィアもそれ以上の理由を言わず、話を元に戻した。
「──黒風は私の下僕。金守球から呼び起こされた黒風は、私が思うままに操っていたの。黒風の目は、この金守球と繋がっていて、私は黒風の視点で全てを見ることができた」
金…守球から黒風を…!?
「ミュエリさんを連れ去る時、黒風はあなたにも近付いたわ。だけど、イオータさんにジャマされてしまった。その時、あなたの鞘からこのジョーカーが落ちたのを見たのよ。ひと目で、銀守球の代わりになるものだって、分かったわ」
「それで、またあたしを襲うと…? それを手に入れるために…?」
「ええ。どうやって奪おうかと色々考えて、まずは、あなた方に赤守球を取り戻してもらおうと計画を立てたの。あなたは、私の話を丸々信じ、南へと向かった。取り戻したら、真っ先に私の所に寄るだろうと予想していたけど…案の定だったわね。あなた達は見事に取り戻して、今日、ここに来てくれた。でも、問題が一つだけあったのよ」
「問…題?」
「そう。それは、他の人も一緒だって事。私はあなたと彼らを引き離したかった。特に、黒風を追い払ったイオータさんとはね。だから、最初は一度、宿のほうに帰ってもらって、改めてカイゼルにあなただけを連れてくるよう命じたのよ。でも、結局、あなたは帰らなかった…。この家の中に、一人で入ってくることになったの。私としては、好都合だったけどね。──どう、これで満足かしら?」
もしこの時、黒風を呼び起こしたのがリヴィアじゃなかったら、きっと、満足などしなかった。赤守球がこの家からなくなった理由や、その存在が南にあると知ってた理由はもちろん、姉の存在や、黒風が誰によって、何から呼び起こされているのか、そして、どうして美人ばかりを連れ去るのかという疑問を、改めて問い詰めてたに違いない。カイゼルにも、全てを知ってたのかと詰め寄っただろう。だけど、ミュエリを連れ去ったのがリヴィアだと分かった途端、それらの疑問は、正直、どうでもよくなってしまった。
「ひとつだけ…教えてよ?」
「何かしら?」
「ミュエリを助ける方法は、あるの?」
その質問に、リヴィアは溜め息をついた。
「本当に、かわいそうな方だわ…。それを聞いてどうするおつもり?」
「もちろん、その方法があるなら、彼女を助けるまでよ」
「でも、あなたはもうすぐ私に殺されるのよ? ミュエリさんより、ご自分の身を案じたほうがよくなくって?」
「そ…んなの…あたしの勝手でしょ! いいから答えてよ。助ける方法があるの、ないの!?」
「そうねぇ…どうしようかしら…」
「あたしは…あなたが欲しがってた赤守球を、命がけで取り戻したのよ。その上、そのペンダントも渡したわ。赤守球の貸しが、〝真実の説明〟 でチャラになっても、まだ、ペンダント分が残ってるでしょ!?」
こんな時に、貸し借りの問題を持ち出すなんてバカげてるとは思ったけど、この際、何でもいいわ。これから死ぬかもしれないって時に、バカだの笑われるだのなんて考えてらんないもの。
わざとらしく迷うリヴィアに対し、あたしは半ば強引にこじつけながら、何とかミュエリを助ける方法を聞き出そうと詰め寄った。
しばらく、あたしの顔をジッと見つめていたリヴィアは、〝仕方ない…〟 というように溜め息を付くと、やんわりと微笑んだ。
「いいわ。借りを作ったままでは、私も後味が悪いですものね。よく、聞いてくださいな、ルフェラさん。ミュエリさんを助ける方法はただひとつ──」
リヴィアは、一瞬間を置いた。
そして、ゆっくりと口を開く──
「──私を殺すことですわ」
「殺…す…!?」
全く考えてなかった方法に、あたしは、そのまま絶句した。
「あらあら…。そんな事はできない…ってお顔ね。でも、心配することはなくってよ。だって、私には勝てないもの。もし、万が一勝てたとしても、ミュエリさんは、すでにこの世にいないかもしれないしね?」
「なん…ですって…!?」
あたしの反応に、リヴィアはクスッと肩を揺らした。
「さぁ…どうします? 彼女が生きていることを信じて、私と戦いますか?」
それまで殆ど絶やさなかった微笑みが、最後であろう質問と共に、彼女の顔から消えた。
微笑みながら 〝殺す〟 という言葉を発するのも、それなりの怖さがあるが、あれほど魅了し絶やさなかったものが、スッと消えると、ただならぬ恐怖を感じてしまう。
けれど、ここはもう、後に引き返すことはできない。
閉じ込められた部屋に、怪しげな扉が一つでもあれば、その先に何が待ち受けていようと、人は、やっぱりその扉を開けるものなのだ。
あたしは、鞘に納まる短剣の柄をギュッと握り締め、彼女の目をシッカと捉えると、強い意志を持って、答えた。
「ミュエリが生きてるなんて、信じてないわ」
「…………?」
「ミュエリは生きてるのよ。信じるんじゃない、生きてるから、信じる必要なんてないの。それが現実。──だから、あたしはここから出て行くわ、ミュエリに会うためにね」
あたしの言葉に、リヴィアの眉が少しだけ動いた。
そうよ。
ミュエリは死んでなんかいない。リヴィアにあんなこと言われて、少し動揺したけど、ミュエリは絶対に生きてるわ。明日になったら分からないけど、ルーフィンが保証したのは、今日までだもの。あたしは、ルーフィンを信じてる。そう思える自分も信じてる。だから、絶対に生きてるのよ。
負けてなるものかと、捉えた目を離さないでいると、彼女の顔が一瞬和らぎ、そしてすぐに、真剣な面持ちに変わった。
「──いい考えね。では、私も遠慮しなくってよ?」
「望むとこ──」
最後まで言い終わらないうちに、リヴィアが金守球に手をかざした。そして、何やら小さな声で呟くと、瞬く間に黒い煙のようなものが、そこから飛び出してきた。
黒…風──!?
そう思う間もなく、部屋中に風が吹き荒れ、黒い煙はミュエリがさらった時に見た、猛獣の姿を現した。しかし、すぐには動かない。獲物を狙う時のように、姿勢を低くしたまま、リヴィアの上のほうでジッとしてるのだ。それは、彼女の命令があれば、すぐにでも襲い掛かる準備ができているという事だった。
見るのは二度目でも、この世のものとは思えない現象に圧倒されてしまう。しかも、あの黒風は他の誰でもない、このあたしを狙っているのだから、それは尚更だ。
あ…たし…ほんとに…あの黒風と戦って勝てるのかしら…?
咄嗟に短剣を引き抜き構えたものの、そんな不安が頭をよぎる。
──っていうか、この短剣じゃムリじゃないのよ!?
だって、イオータは言ったもの。黒風を追い払った時に吹きかけた、銀色の粉のようなものは、月の光と同じだって。昼間なのに、なんで月の光があるのか分からないけど、今のあたしには、月の光なんか見えない。昨日の夜だって見えなかったのよ!?
〝生きて出て行く〟 なんて強気に言ったものの、月の光がないとムリだと分かると、途端に死への恐怖が蘇ってきてしまった。
あたしってば…いつもこんな事ばっかり…。
勢いに任せて 〝来るなら来い〟 とばかりに言っちゃうけど、結局、無計画だから、現実を直視したとき愕然とするのだ。
今の現状だって、まさか黒風を呼び起こすとは思ってなかったし、例え、それを考慮してたとしても、月の光のことまで考えられなかったわ、きっと。
リヴィアと戦うだけなら、なんとかなるんだろうけど…。
怖さを感じながらも、そんなことを考えていた時だ。あたしの変化に気付いたのか、リヴィアがわざとらしく声をかけてきた。
「大丈夫かしら、ルフェラさん?」
「え…? あ…し、失礼ね。それより、ちょっと卑怯なんじゃないの!?」
「なにがです?」
「正々堂々と、あたしとあなたとで勝負するべきよ」
「あら…。もしかして、この黒風のことをおっしゃっているのかしら?」
「そうよ」
「でも、使えるものを最大限に使うのも、ひとつの戦略じゃなくて? 絶対に負けられない勝負なら、尚更にね」
その言葉に、あたしはハッとした。
そ…う言えば、あの女はどうして黒風を呼び起こさなかったのよ?
あたしも、あの時はちゃんと頭にあったわ、黒風を呼び起こされたら終わりだって…。でも、あの女は呼び起こさなかった…。
結局、黒風は金守球から出ていたものだから、あの女にはムリなことなんだけど…。赤守球にだって、同じような生き物が住んでるはずでしょ? だったら、それを呼び出せばすむことなのよ、本当に赤守球を奪われたくなかったら。
それに、黒風が自分の持ってる赤守球から出たものじゃないってことは、あの女が一番よく知ってることじゃない。なのに、どうして それを言わなかったのよ?
殺すとか言ってた割には、そんなチャンスがあったはずなのに、何もしなかった。
あれじゃ、まるで、わざとあたしに奪われたようなものじゃない…。
いったい、どうなってんの…!?
さっきまで恐怖が襲ってきたと思ったら、今度は疑問の嵐でわけが分からなくなった。しかし、──当たり前のことだが──リヴィアはそんなことなど お構いなしだ。
「行きますわよ、ルフェラさん」
語尾と同時に、リヴィアの細く白い手がこちらに振られ、その途端、上のほうで待機していた黒風が、ジャンプする勢いで向かってきた。
え…ちょっと…待っ──
月の光が借りられないならどうすれば…と思う間もなく、生暖かな風が黒風より一瞬早く吹き付ける。物が迫ってくる時の風圧だ。
光る目があたしを捉え、風なのに鋭い爪まで見えてくる──
ヤバッ──!!
そう思った時だ。
いや、実際、そう思うより早かったかもしれないが、あたしの脳からある指令が伝達された。途端に、体中が微かに痺れる。それ以外にも、感じたことのない振動が手に伝わってきた。
無意識のうちに瞑っていた目を開ける──
────!!
その間、おそらくほんの一瞬。
あたしは、左手で腰に挟んでいた銀色の布──イオータから借りた、あの布──を、瞬時に振り回していた。布を掴んだ所が、ちょうど端だった為か、銀色の布は大きく広がり、あたしの目の前ではためいている。その向こう側では、今まさに黒風が弾け飛んでいく姿が見えたのだ。まるでスローモーションのようにゆっくりと…。
そうか…。この痺れは布のせいで、振動は、黒風を弾いた瞬間のものなんだ…。と、納得していたほどに、とてもゆっくりと、だ。
しかし黒風は、やはり風。部屋の壁に叩きつけられる瞬間は、煙が壁にぶつかる時のように、ふわりと弾け分散した。そしてまた、部屋中の空気をかき混ぜながら、黒い煙は塊り、猛獣の形を作り出した。もちろん、冷たく光る目もある…。
布で黒風を弾いた時は、〝やった…〟 と思ったが、それもやはり一瞬だった。
弾く…だけ…。
「その布があるとは思いませんでしたわ。──でも、なんてことはないですわね。黒風を弾いても、消すことはできないんですもの。それに、いつまで、その布が通用するか…が問題ですわ。弾かれても弾かれても、黒風はあなたを襲い続ける。いくら体力のある方でも、最後には必ず黒風に襲われてしまうのよ。ルフェラさん、あなたは尚更……時間の問題ですわよね?」
そう言ったリヴィアの視線は、左腕の包帯に移り、すぐにあたしの顔を捉えた。
傷口が微かに疼く…。
悔しいけど…確かにリヴィアの言うとおりだ。
弾くだけならこの布でも十分。だけど、それだけじゃ意味がない。何度も襲われたら、いつしか、抵抗できなくなるわ…。しかも、あたしの体力は、万全じゃないもの。もし仮に万全だったとしても、やっぱり、時間の問題だろう。
──と、思っていると、またもやリヴィアの手がゆるりと動き、黒風はあたしに牙を剥いた。
生暖かい風に光る目が迫り、鋭い爪が刀のように一振りされた。
掴んでいた布を遠心力で腕に巻きつけ、あたしは楯のようにその爪を払いのける。弾かれた時の感覚が、腕から全身に広がっていった。
どうすればいいのよ…?
布は弾くだけ…。──だったら、黒風を倒す為にはどうすればいい?
短剣に、あの月の光さえあればいいのよね?
でもそれは、ムリなのよ!?
イオータがいれば、あの月の光を使える。そしたらまた黒風に剣を振り回して──
その時の事を思い浮かべた時、体勢を建て直した黒風が再突進してきた。今度は牙を剥き出してにして、突っ込んでくる。大きく開いた口で、ミュエリをそうしたように、あたしも咥えようというのだ。
そう…簡単に捕まってたまるもんですか…!
半ばヤケになって、布を巻いた左腕を剣のように振り回すと、黒風を弾く感触がまた、伝わる。
黒風の姿もその度に形が崩れるが、いとも簡単に元の姿に戻ってしまう。
イオータと練習した時のように、あるいは、あの女と戦った時のように、黒風の攻撃は何度も何度も繰り返された。
形が崩れても再生するその姿は、まるで軽やかに踊っているかのようにも見える。前から来た攻撃を弾き返すと、今度は左後ろから…。その動きが、体を翻したように見えるのだ。
ほんの一瞬でさえ気が抜けない…。
せめてこの剣さえ使えれば…。
今や、何の役にも立たない短剣は、だんだんと動きの邪魔になりつつあった。
実体のないものが、これほど厄介だとは…。
目の前の黒風がうっとうしく思えてきた時、先ほどの光景が、また目に浮かび、不安を増した。
実体がないのに、切ることが出来るのだろうか…?
月の光を借りたところで、本当に黒風が切れる?
もし、切れるなら、なぜ、この黒風はここにいるのよ?
だって、月の光を借りた短剣で黒風を切り、本当に消し去れたなら…つまり、やっつけることができたなら、イオータが短剣を振り回した時に、すでにその存在は消えてるはずなのよ。──なのに、今あたしの目の前にいるという事は…月の光を借りた短剣でも、やっつけられるものじゃないってことよね!?
──だとしたら、本当に勝ち目はないじゃない!?
たどり着いて欲しくない予想の結末に、あたしの鼓動が更に早く打ち始める。
あ~、だめよ…ルフェラ、落ち着いて…落ち着いて考えるのよ。
なんでもそうでしょ? 焦ったら、簡単な答えさえ、分からなくなる。
だから、落ち着いて考えるの。必ず、何か方法があるはずだわ。
自分に言い聞かせるように、あたしは心の中で何度も呟いた。
その間にも、黒風は容赦なく襲い掛かってくる。
「………くっ……はぁ…はぁ…」
あ…ぁ…ほんっとに もう…うっとうしい!!
焦りやら、悔しいやら腹が立つやら…もう、いろんな感情が入り乱れてきた。
そんな時、黒風の後ろのほうで、涼しげな顔で佇むリヴィアの姿が僅かに目に入った。
〝金守球から呼び起こされた黒風は、私が思うままに操っていたの〟
そ…うよ…。黒風を操っているのはリヴィアなんじゃない…。
──ということは、彼女を殺れば、黒風も消える…そういう事よね?
ううん、それだけじゃないわ。ミュエリだって助かるし、あたしだって、ここから出られるのよ。
結局の所、あたしと彼女の戦いには変わりないんだわ。
考えれば、とても単純明快だった。だけど、切羽詰った状態では、目先の出来事を何とかしようというだけで、根本的なことには気付きにくい。そんな状況で、よく、そこに気付いたものだと、自分で自分を褒めたくなってしまうほどだ。
ただ…問題は、どうやって彼女を殺るか…よね?
改めて頭の中で考えてみたのだが、同時に、急に怖くなってきた。今の状況が怖いというんじゃない。どうやって殺すか…と考えてる自分に、怖くなったのだ。
あ…たし…何でこんなこと平気で考えてるんだろう…。
「だいぶ、お疲れのようね、ルフェラさん。もう そろそろ終わりかしら?」
こちらの気持ちを知ってか知らずか、肩で息をするあたしに、まるで遊び足りないとでも言うかのような顔を向ける。
それがなんだか、無性に感に障った。一瞬、忘れていた感情が再び燃え上がる。
冗…談じゃないわ…。ミュエリを連れ去って、散々 あたし達を騙した挙句、死ぬ思いまでして赤守球を取り戻したのよ!? その上、自分は涼しげな顔して黒風を操り、遊んでるような気持ちになってるなんて…。
ほんっとに、許せない──!!!
ふつふつと湧き上がるものを感じると、それはすぐに体全体に駆け巡り始めた。
抑えようにも抑えられない思いが、噴火前の地震のように震えまで起こさせる。その上、絶え間なく続く痺れと黒風を弾く振動で、体中の感覚までがおかしくなってきた。地に足を着けているはずなのに、安定感に欠けるのだ。
これでは立ってられるのも、弾き返せなくなるのも、時間の問題だわ。
焦りが、更に加わる。
大体…こうなったのは、誰のせいよ!?
ヒートアップした脳みそが自分自身に問いかける。出てくる答えは決まっている!
あそこで、一人涼しげな顔をしてるリヴィアよ!
呼吸が苦しいのも彼女のせい。体中の感覚がおかしいのも彼女のせい!
怒りで体が熱くなるのも、時間がないのも、実体のない黒風に短剣が使えないのもそうだ!
全ては、彼女のせいなのよ!!
あたしは、涼しげな顔でこちらを見ているリヴィアをキッと睨むと、
「終わり…なのは…終わりだけど…それは…あなたのほうよ!!」
と、タイミングを見てそう叫んだ。
しかし、彼女の表情は一向に変わらない。それを目にして、一瞬、何かが脳裏をかすめたが、それは本当にかすめただけで、〝何か〟 というのは分からなかった。
「終わるのが、私ではないことぐらい分かっていますけど、そんな目で言われると、油断できませんわね。──先手必勝という言葉は、今からでも間に合うのかしら?」
リヴィアはそう言うと、さっきより真剣な眼差しで、手を大きく振った。
え……?
──と、その瞬間、黒風がものすごい勢いで部屋中を回り始め、周りの空気を巻き込んだ。
「くっ……!!」
あまりの勢いに、感覚がおかしくなった体が大きく揺らぐ。
彼女のために置かれた椅子が、一瞬 引きずられたのち、フワリと浮くと、すぐに、壁に叩きつけらた。無残にも壊れてしまった破片が、竜巻に巻き込まれたように吸い上げられる。
部屋中にあった小物は、全て、彼女を中心として空中を飛び始めた。
なんとか、体勢を崩さないよう足を踏みしめたものの、風の勢いには勝てない。更には、風に舞った小物や壊れた家具の残骸が、あたしの体を直撃してくるのだ。激しい痛みを感じ、否応なしにその場で膝まずいてしまった。
部屋中を駆け回る黒風は、止まることを知らないかのように その勢いを増す。それに合わせ、あたしを襲う風の勢いも増した。
無造作に巻いてあった腕の布は、風の強さと流れで、バタバタとはためき始めた。
これが飛ばされたら…。
そう思ったものの、どうにもできなかった。足だけじゃなく、両手までもが床を掴んでいる今、飛ばされそうになる布を手で抑えるなどできない。そんなことをしたら、布だけじゃなく、あたし自身が飛ばされ、壁や床に叩きつけられるのだ。
ど…うしよう…!?
何とか打開策を考えようとしたのだが、今までより僅かに大きく、バタッという音がして、腕を叩かれたかと思うと、それまでの感覚が消えた。
ハッとした時には、すでに遅く、銀色の布は空中に舞い上がっていたのだ。
〝しまった…〟 と思うが早いか、空気の流れが変ると、何かに足をすくわれた。
「ルフェラさん──!!」
部屋の中だから、カイゼルが叫んだその声もすぐ近くでするはずなのだが、風に乗った声は、部屋中を駆け巡る。大きくなったり小さくなったり。
そして、気付いた時には空中に放り投げられていた──
カイゼルの声が部屋中を駆け巡るというよりは、自分自身の方が空中で回っていたのだ。
空中に放り投げられたことに気付くと、今度は、いつ壁か床に叩きつけられるかを考えた。しかし、鈍くなった体にも、今までと違う何かを感じる。
温度だ──
目を開けてみれば、視界は暗い。──というより煙の中にいる。
すぐにはその状況が分からなかったものの、グルグル回る視界の端に、鋭く光るものが映った。
黒風の…目…!?
そう悟るや否や、その状況に驚いた。
黒風を弾くあの布が、あたしの腕から離れた途端、それを待っていたかのように黒風が急降下したのだ。そして、ミュエリをそうしたように、あたしの体を口に咥えた。
その事実に驚愕した。
これで…お…わり…なの?
思考回路が止まりそうになる中、自分の最後を自分に訊いてみる。
しかし、その次の瞬間だった──
遠くの方で、リヴィアが何かを叫んだと思ったら、途端に、大きな振動を体中に感じた。
見覚えのある振動。
────!?
風の轟音のような、あるいは猛獣の叫びのような…そんな音が響き渡ると、視界から黒い煙が分散した。同時に、あの布が目の前をヒラリと横切る。下のほうでは、カイゼルが悲痛な面持ちであたしを見上げているのが見えた。
おそらく、それは重力がなくなった瞬間の光景だ。その直後には、自分が急降下した。
思わず、自分が叩きつけられるであろう床に視線を落としたのだが、床よりも先に目に飛び込んできたのは、真下にいるリヴィアだった。向こうも、空中に放り出されたあたしが、自分の方に落ちてくるのを捉えていた──
い…まだ…!!
あたしは、こんな状況でも、なぜか放さなかった短剣をグッと両手で握り締めると、殆ど無意識のうちにそう思い、彼女の胸めがけて、重力に従った。
「………ぐっっっ……!!」
彼女の呻き声と同時に感じたのは、明らかに初めての感触。しかし、それもほんの一瞬で、短剣はあたしの手から放れ、体は床に打ちつけられた。
「うっ………」
衝撃と痛みのせいで、すぐには動けず、そのままうずくまってしまった。
その時だった──
「シ、シニア様────!?」
え…?
突然、聞いた事のない名前が聞かれ、瞬時に顔だけを上げる。
─────!!
な…に…?
目に映った光景に、あたしは自分の目を疑った。
なによ…これ…!?
なんなの、いったい…!?
駆け寄ったカイゼルの腕の中には、女が寄りかかっていた。
その脇には、驚きを隠せず口元を手で覆うリヴィアが立っている。
ど…ういう…ことよ…!?
何がどうなっているのか分からず、三人の顔を見渡していると、不意に自分の手の上に何かを感じ、咄嗟にそこを見てみた──
血──
ポタリ…ポタリ…と、ガラスのような床や自分の手の上に、次々と滴り落ちてくるのだ。当たり前のように、その血液を自分の視線が追う。下ではなく、上へと。
リヴィアの胸に向かって剣を突き付けたはずが、リヴィアは女の脇で立っているのだ。嫌な予感がしながらも、赤く染まっていく血を追うと、出所は、やはりリヴィアじゃなく、別の女だった。女の腹部に痛々しく自分の短剣が突き刺さり、そこから、溢れるように赤い血が流れていたのだ。
服装には見覚えがあった。
どうしてよ……?
どうしてここに、この女が…!?
そうなのだ。カイゼルに寄りかかり、腹部からとめどなく血を流す女は、あたしが赤守球を奪った、あの女だったのだ!!
動転しているのはみんな同じだろうが、そんなあたしの耳に、カイゼルの声が響く。
「シニア様…しっかり…しっかりしてください!!」
シニア…様…?
〝誰のことを…?〟 と思う間もなく、あたしは次に起きた光景に、息を呑んだ。動かないと思っていた体さえも、殆ど反射的に起き上がる。
青ざめた女の顔が、見る見るうちに変わったのだ。火傷でケロイド状になっていた皮膚はなくなり、綺麗な白い肌に変わる。黒かった髪も見事なまでのブロンドだ。太陽の光と、皮膚の白さからか、眩しくさえ思えるが、改めてその顔を見た時、思わず呟いていた。
「リ…ヴィア…?」
途端に、忘れていたものがフラッシュバックするかのように、目の前を横切った。
ゆ…め……!?
なによ…これ…。
あの時の夢と同じじゃない…!?
そう。ミュエリが連れ去られた後、あたしは宿で気を失った。そして、目覚める直前に見た夢と、まさに、同じだったのだ。
あたしがリヴィアを殺す夢…。でも現実はあの女を刺していた…。ああ、だけど、顔はリヴィアと同じに…?
一体…何がどうなってるのよ…?
ますます、わけが分からなくなるものの、リヴィアじゃない人を死なせてしまうかも…という現実に、鼓動が早くなる。そんなあたしの心臓を追い詰めるように、様々な出来事が、時間に関係なく蘇ってきた。それはまさに、走馬灯の如し…だ。
殺すと言っておきながら、そのチャンスがあったにもかかわらず、あたしを殺さなかった女。
黒風の原因が、赤守球じゃないことを知っておきながら、わざとあたしに奪われるような行動をとった、あの女…。
何を言っても変らない冷たい視線だった女の目とは対照的に、絶えず微笑んでいたものの、やはり、何があっても、殆ど変わらない目をしていたリヴィア…。黒風を操る時になったら、微笑みは消えたけど…。
ジーネスは、黒風の原因は赤守球じゃないと信じていた。それだけじゃない。その女の事も、犯人じゃないと信じていた…。
赤守球を奪った後、あの女の頭上に妖しく動く黒い物体があったこと。
南に向かう前、裏口で言った、カイゼルの一言…。
〝惑わされないでください〟
今まで不思議だったことが、次から次へと溢れてくる。
その不思議な点が線になる事はなかったが、とんでもない事をしてしまったような気がしてならない。
胸の鼓動も限界を超えたように、痛くなってくる。
「シニア…様…お気を──」
「…リ…ヴィア…?」
カイゼルの悲痛な声を遮り、シニアは目だけを、脇にいるリヴィアを探すように向けた。続いて、か弱い声が微かに聞こえてくる。
「リヴィア…ごめん…ね……」
「シ…ニア……?」
目から流れる一筋の涙。
ゴホッ…っと咳き込めば、口から血が溢れる…。
「シニ──」
「……あなたは…誰よりも綺麗だったわ…。みんな、知っていたのよ…。そして…私も…。知っていたから…必死だったの…。自分が醜い気がして…。父や母の…愛情が離れていくのが…こわ…かったわ…。だから、必死で…自分を演じたの…。それが…結果的に…あなたを苦しめてしまって…。許して…とは言わない…。でも、本当に…ごめんなさい…」
「シニア……」
「シニア様…」
シニアは苦しそうに一息つくと、今度はカイゼルを見つめた。
「カイ…ゼル…。あなたにも…苦しい思いを…させてしまいました…」
「いいえ…いいえ…シニア様…」
「リヴィアを…お願い…ね…」
「分かっております! ですから──」
「…私じゃないの…」
「え…?」
「私が…あなたと初めて会ったのは…この部屋…」
「シニア…様…?」
「いつまでも…リヴィアを……支えて…」
か弱い声がそこで途切れると、カイゼルに抱かれたシニアの体は力なく重力に委ねられた。
「シニア様…? シニア様…シニア様ぁ──!?」
カイゼルの叫びと共に、脇にいたリヴィアも崩れ落ちる。
もはや、あたしの頭では理解不能だった…。
赤く染まった服や、自分の姿が映るほど溜まった床の血に、恐ろしさを感じる。血なまぐさい匂いが拍車をかけ、あたしは自分の体の震えを止めることができなくなっていた。
目を開けていても焦点など合うはずがなく、視覚情報は遮断状態。瞳の中に映像を映すだけで、何の意味も持たせないのだ。
声も、耳鳴りのように響くだけで、あたしの意識までは到達してこなかった…。
この時すでに、ネオスたちが駆け付けていたらしいが、現実から遮断された意識の中に、彼らが入ってくることはなく、その後の記憶にも残ることはなかった……。