11 リヴィアのもとへ… <1>
静かだった…。
とても ゆっくりと意識が戻り、目覚めた時は、周りの音などなく、とても静かだった。
目を開けて最初に見えたのは、木の木目…。
今まで何があったのか、いつどこで意識がなくなったのかさえ、あたしの記憶の中には残っていなかった。もちろん、記憶消失というものではなく、単に、思考回路がまだ働いていなかっただけなのだが…。
案の定、目に映るその木目を、なんの気はなしに眺めていると、それが天井だと分かり、徐々にその記憶が蘇ってきた。
あ…たし…確か森にいたはずよね…。
ここは……。
今いるところが森じゃなく家の中だと認識すると、咄嗟に思い浮かんだのは、あの小屋だった。
もしかして、また連れ戻された…!?
そう思うや否や、徐々に動き出していた思考回路が、一瞬にしてフル活動し始めた。
まさか…と思うことを確認する為、反射的に起き上がったのだが、それより先に、左腕が刺すように痛み、条件反射の如く右手で押さえると、何か柔らかいものを触った事に気付いた。思わずその場所を見る。
押さえた左腕には白い包帯が巻かれていた。しかし、それだけじゃない。両手首も同じように包帯が巻かれていたのだ。少し冷静になって今の状況を観察してみる。──いや、観察という大げさなものはいらない。なぜなら、ここは、ジーネスと一緒に寝ていた部屋だと、すぐに気付いたからだ。
そうか…。みんな仕事に出かけてるから、静かなのね…。
だけど、どうしてあたしがここに…?
どこを走ってるかなんて、まったく分からなかったのよ。無我夢中で走り続けて、いつの間にか眠ったはずなのに…。それとも、あたしが覚えてないだけで、無意識のうちにここまで帰ってきたとか?
──ううん、そんなことあるはずがないわ。あの時はもう、動けないくらい疲れきってたもの…。だとしたら、誰かがここに連れてきてくれたってことよね…? どこにいるか分からないあたしを見つけてくれたってことは………ひょっとして、ルーフィン?
あれからずっと…ネオスたちを連れて、一緒に捜してくれたってこと…?
眠ったからか、幾分 物事を考えることができ、一番有力な可能性を導き出した。
それが本当なら、ありがとうって言わなきゃ…。
そう思ったものの、すぐに頭の中で否定した。
違う…。最初に言わなきゃいけないのは……。
あたしは、掛け布団をめくり、ゆっくりと立ち上がったが、すぐに枕元に置いてあった短剣と、赤く輝く石を見つけ、思わず、布団の下に隠してしまった。
どれだけ眠っていたのかは皆目検討もつかない。──けれど、体のだるさがあまり変わってないという事は、おそらく数時間だろうと、予想させた。
立ち上がったはいいが、足を踏み出すのにかなりの慎重を要する。あの、術の副作用という痺れの感覚の鈍さではないものの、自分の体じゃないようなだるさに、フラフラしてしまうのだ。それでもなんとか歩を進め、部屋の戸を開けると、ローカに出て壁や扉づたいに歩き出した。
それにしても、ほんと重いわ、この体…。しかも、あちこち痛いのよね…。
歩くたびに使われる筋肉や関節が、これでもか、これでもか…と痛みを訴えてくる。まるで、お前が悪いんだと責めるように…。
仕方がないわよね…その通りだもの…。
あたしは苦笑と溜め息を同時につくと、痛みに耐えながらゆっくりと歩いた。
ジーネスや他の子供達がいないのは分かるけど、ネオスたちはどこに行ったんだろう…。ルーフィンがいる様子もないし…。
──と、思った矢先だった。
「おねえちゃん!!」
突然、背後から大きな声がして、あたしは危うく転びそうになった。それまで誰もいないと思っていただけに、突然の声には、正直驚く。体のだるさや、痛みのせいで、上手く支えきれなかったが、それでも何とか、目の前にあった柱に掴まった為、転ぶことは免れた。
「おねえちゃん、大丈夫なの!?」
「あ…うん…えっと…」
「ルフェラ!?」
「え…?」
「ルフェラ、お前 大丈夫なのか!?」
「気が、付いたのか!?」
「あ…ぁ…ネオスにラディに…イオータ…?」
さっきの大声が合図でもあったかのように、ネオスたちの声が次々に聞こえ、あたしの視界に姿を現した。誰もいないと思っていたが、どうやら、ローカの先にある食事をする部屋で寝ていたらしい。
──というのも、ローカから食事をする場所はここから丸見えなのだ。その机の向こう側から急に上半身が現れたので、起き上がったと分かったのだった。もちろん、丸見えだから、あたし自身、ネオスたちがそこにいると、すぐに気付くようなものなのだが、なにせ重い体を引きずるように歩いていたから、俯き加減で、まともに見れていなかったのだ。
机を飛び越え、バタバタと激しい音を立てながら、あたしのもとへ走り寄ってくる。
「おねえちゃ~ん!!」
彼らと同じように走り寄り、あたしの足に抱きついたのは、先ほど大声を出したシリカだった。さっきまで手に持っていた大根は、シリカが立っていた場所に時間が止まったかのように転がっていた。
「おねえちゃん、おねえちゃん、おねえちゃん!!」
まるで、その言葉しか知らないほど、〝おねえちゃん〟 を繰り返し、しがみついたあたしの足を揺らす。そのたびに、あたしは倒れそうになり、隣にいたネオスやラディに支えられた。
「お…おい、シリカ。そのくらいで勘弁してやってくれ。じゃないと、ねえちゃん、また、倒れちまうぜ?」
「あ……」
イオータがあたしの足にしがみついていたシリカの頭を無造作に撫でると、〝倒れちまう〟 という言葉に反応してか、パッと手を離した。そしてすぐに あたしを見上げ 〝ごめんなさい…〟 と呟く。
その目は赤く、涙で濡れていて、唯一 痛みのなかったあたしの心に、小さな刺激を感じさせた。
こんな状態でなければ、なんてことない揺れであり、わざわざ しがみついてきた手を離させるほどのものでもなかった。だけど、状態が状態だけに、その行動をやめざるを得なかったシリカの気持ちを考えると、悪いなぁ…と思うと同時に、とてもかわいそうに思えたのだ。
夜になっても帰ってこなかったあたしを心配し、やっと帰ってきたと思ったら、こんな状態だもの…。歩いている姿を目にしたら、嬉しさと安堵が重なって、抱きつきたくなるのは当然の行動だろう。それを、一生懸命 堪えているのだから、胸が痛まないわけがない。
あたしは、〝ごめんね〟 という代わりに、できるだけの笑み作って、シリカの頭を撫でてあげた。
すると、シリカもすぐに涙を拭って、
「大根のお粥さん作るね」
と、満面の笑みを返し、置き去りにされた大根を拾いに戻った。
「ルフェラ、とにかく座ろう?」
台所でお粥を作り始めたシリカの後姿を見ていると、あたしを気遣うようにネオスが背中をそっと押した。
あたしが、それに無言で頷く。
ネオスたちに支えられながら、なんとか重い体を運び、机を前にして座ると、彼らもその周りに座り始めた。
しかし、誰も口を開かない…。
あたしが話し出すのを待っているのだろうが、自分自身、何をどう言っていいか悩んでいた。ただ、最初に言わなければいけないことは決まっているのだが…。
あたしは深呼吸すると、頭を垂れ、シリカと同じ言葉を口にした。
「ご…ごめんなさい…」
心配かけて 〝ごめんなさい〟 というのはもちろん、ルーフィンと二人で森に行きたいとわがままを言ったことに対しての謝罪でもあった。我を通さなければ、こんなことにはならなかっただろうからだ…。
だけど、三人からは何の返答も返ってこなかった。
しばらく、沈黙が続いた後、あたしも、これ以上の言葉を発せないでいると、今度は、その沈黙を破るかのように口を開いたのは、腕を組み溜め息をついたイオータだった。
「どうよ、ネオス?」
それは、あたしの謝罪に対して 〝許す・許さない〟 という返答ではなく、〝謝ってるけど、どうする?〟 という、ネオスに対しての問いだった。
「聞ぃてっか?」
「あ…あぁ……」
「お前が、一番心配したんだろ?」
「それは…」
「おい、ちょっと待てよ? 心配したのはみんな同じだろ? オレだって心配したし、お前もそうだった。ルーフィンでさえ昨日の夕飯 食わなかったんだぜ!? 心配に一番も何もねーだろーがよ!!」
「ああ、そうだな。──けど、こいつの場合は ちっと違うんだ」
「なにがどう違うんだよ!? オレだってあんな思いは二度とごめんなんだ。こいつに…ルフェラに何かあったらオレは──」
言いかけたものの、ラディはハッとして、そのあとの言葉を飲み込んだ。
心配性のネオスが一番心配するのは分かるし、彼だけじゃなく、ラディやイオータやルーフィンだって、随分、心配したことも理解できることだった。
ただ、イオータの言う 〝ちっと違う〟 という言葉と、〝あんな思いは…〟 と言ったラディの言葉は、少々 胸に引っ掛かるものがあった。
しかも、気のせいかもしれないが、ラディの目は、今までに数回だけ見せた、あの年相応の目だったのだ。
必然的に思い出される、ネオスの言葉…。
〝まだ、過去のことが引っ掛かってるんじゃないかな?〟
過去…か…。
今の今まで引っ掛かってるってことは、相当のことがあったのよね、きっと…。
ラディの中で、未だ滞っている過去がなんなのかを考えようとした矢先、怒りの混じった言葉の矢が、今度はあたしのほうに飛んできた。
「だいたいなぁ…なんで一人で森に行きたいって言い出したんだよ!? 確かめたかった事ってなんだったんだ!? オレは…本当は反対だったんだぞ!! なのに、こいつらがムリヤリ、オレを丸め込んで…。そう仕向けたのもルフェラだったって言うじゃねーか!! 仕方がなしに承諾したら、こんなことになっちまってよ……。そのキズは何だ!? 誰にやられたんだ、ルフェラ!? ──いったい…なにがどうなって、こんなことになっちまったんだよ!?」
聞きたいことは山ほどあって、そこまで一気に吐き出すと、最後に 〝答えろよ〟 という言葉で口を閉じた。
ラディが声を荒げている間、ネオスやイオータが口を挟むことはなかった。それは、二人とも、ラディと同じ気持ちだったからだろう。
仕方がないわよね…。あたしが逆の立場だったら、同じように怒鳴ってるはずだ。しかも、相手が口を開く前に…。
少なくとも、あたしから話し出すのを待とうとした彼らの気持ちには、感謝するべきなのだろう…。
だけど…。
いったい、何を話せるというのだろうか…。
妖精と話をしようと思って、二人で森に入ったなんて言えない。
変な女が赤守球を持ってたから、短剣で戦った…なんて言える?
敵うわけない相手から赤守球を奪うのに、月の光を借りたと…?
その光を借りたら、急に自信が出てきて、自分じゃない自分がいた…だなんて……。
そんな、常識ではあり得ないこと、簡単には言えないわ…。
何が言えるだろうと、考えていると、最後に出てきた 〝自分じゃない自分〟 を思い出して、急に怖くなってきた。
あの時…あたし…どうしちゃったんだろう…。違う自分がもう一人いる感覚だったわ…。
あの女との戦いの恐怖はもちろんだが、過ぎ去ってみると、自分じゃないと感じた事のほうが、恐怖だった。自分のことは自分が一番よく知っているはずなのに、そうじゃないんだから…。
「お、おい…ルフェラ…? 悪かったよ…。べ、別に…そんなに怖がらせるつもりじゃなかったんだ…な、なぁ…ルフェラ…?」
大きく体を揺らされて、ハッと我に返ると、真向かいに座っていたラディが、机に身を乗り出してあたしの肩を揺らしていた。そして、自分の体が震えていたことにも気付いた。
「ルフェラ…?」
「あ…ご、ごめん……ほんとに…ごめ…なさい…」
震える声で、そう言うのがやっとだった。
「いや…オレが大声出したから──」
この震えが、自分のせいだと思ったラディは、しきりに 〝悪かったよ〟 と謝ってきた。
そうじゃないんだと言いたくても、出す声は震えてしまう。だから、あたしは頭だけを大きく左右に振った。
「お前のせいじゃねーさ。そうだろ、ルフェラ?」
「え…そうなのか…?」
突然、口を挟んだイオータの言葉に、あたしは首を振るのをやめた。ラディも思わず、その意味をイオータに問いかける。
「どういうこった?」
「お前の大声で、ルフェラが怖がるかよ? その逆はあってもよ」
一見、冗談とも取れる理由だったが、それは事実だった。ラディも、〝そーいや、そうだな…〟 などと、素直に納得してしまった。
「じゃぁ、いったい…」
と、言いかけて、すぐに気付く。
「…刃物で切られてんだもんな。相当、怖い思いしたんだろ、ルフェラ?」
そう言ったラディの口調は、一瞬、ネオスと間違えるような優しさがあった。
ラディの口から、これほどまで、気遣う気持ちが伝わってくる言葉のニュアンスに、正直、驚いたが、それより何より、あたしの目からは涙が零れ落ちてきてしまった。
「あ~ぁ、今度はお前のせいだな」
「あ? な、なんでだよ…?」
「今のは、どー見ても、お前の言葉で泣いた」
「オ、オレは別に泣かせるようなことなんか……」
「そうか? 〝怖い思いしたんだろ?〟 って言われちゃぁ、泣けてくるだろーがよ?」
「わっけわかんねぇ…。怖い思いしたから泣けてくるなら分かるが──」
「ま、それもあるけどなぁ~」
「なんなんだ…それは…。だいたい、怖い思いして泣いてんなら、オレのせいじゃなくて、ルフェラをこんな目に合わせたヤツだろーがよ!?」
「確かに…」
「──いいか、ルフェラ。お前をこんな目に合わせたヤツを、オレは絶対、許さねーからな。見つけたら、オレに教えろよ。絶対、絶対、ぜぇ~ったい、仇とってやっから…な、ルフェラ?」
「あ~、その意見には、オレも賛成だな」
「おうよ! ──ほら、こいつもそー言ってるしよ。な、顔上げてみろって。オレもいるし、イオータもネオスもいる。ここはもう、安全な場所だぜ?」
押し潰されそうな心境の中、力の抜けた──あるいは、少々、小バカにしたような──イオータの言葉が、ラディとの会話に拍車を駆け、この場の雰囲気を軽くする。
懸命に、あたしの涙を止めようとするラディの態度や言動が、恐怖で締め付けられた心を、徐々に解放していった。
震えもおさまり始め、あたしは涙を拭うと、顔を上げて小さく笑った。
「あ…りがと、ラディ。もう、大丈夫よ…」
ラディに対して、不思議なほど、素直に出た言葉…。
「…そ、そうか…?」
「………うん」
とりあえず、涙が止まったのを見て、ラディは安堵の笑みを漏らした。
「本当に、みんなごめんね…。それから、ありがとう。昨日は、ずっと捜してくれてたんでしょ? じゃなきゃ、あんな森の中で、あたしを見つけられないものね」
三人が三人とも、布団に入らずこの場所で寝ていたことからすると、あたしを見つけるまで、ずっと捜してたことぐらい容易に想像がつく。
「んん~、まぁ、ルーフィンがいたからな。見つけられたのは、ほとんどあいつのお蔭だろ」
「そうそう。今回ばかりは、オレの愛のテレパシーもルーフィンには敵わなかったんだよなぁ~。悔しいけどよ」
「 〝まだまだ〟 ってこったな?」
「ば~か、オレの愛は完璧さ。ただ、完璧すぎて、突然のトラブルにパニクっただけだ」
「…その意味こそ、分けわかんねーぞ?」
「そうか? オレは十分わかってっぞ?」
「そりゃ、すげーや。自分の言ったことすら分からなくなっちまったら、終わりだもんな」
しばらく、そんなバカバカしい会話が続き、あたしの気分は だいぶ落ち着きを取り戻し始めた。その頃合いを見計らったように、イオータとラディは、あたしを見つけるまでのことを、いろいろ話してくれた。内容こそ、申し訳ないと沈みそうになるものだったが、そうならないように気遣ってくれたのか、二人の会話はどこか楽しんでるようにさえ聞こえてくる。そのお蔭と言うべきか、あたしは自己嫌悪だけじゃなく、自分を心配してくれる優しさに、胸が温かくなるのを感じることができた。
「──それで、〝何があったのか〟 っつーのは、聞いていいのか?」
一通り話しきると、イオータは本題を切り出した。
「そ……それは…」
ほんとに、どうしようか…。
「あ、あー、テメェ…いきなりふんなよ。折角、笑顔が見れたのに…また、泣いちまうだろーが……」
「いきなり…ってなぁ、今が一番いい時期だと思うぜ? それに、ちゃんと、選択肢を投げただろ?」
「選択肢?」
「ああ。〝聞いていいか?〟 ってな。言いたくなければ言わなくていいってことさ」
「あ~、そういうことなら…」
と、納得したのも束の間、〝そういう問題か?〟 と首をかしげる。しかし、イオータは気にせず続けた。
「どうだ? 思い出したくないってゆーんなら、ムリにとは言わねーし、話せるまで待ってくれってゆーなら、そうするぜ? 目的のものを取り戻すには、それなりの事があったはずだろうからな」
「………う、ん」
それだけ答えると、あたしは また黙ってしまった。
ほんとに、どうするべきか……。
話したくないか、待って欲しいか…そのどちらの希望もないため、イオータはひとつ溜め息を付くと、今度は言葉を変えて質問した。
「とりあえず、今はそれで問題ないのか?」
その言葉の意味を、あたしは十分に理解することができた。
何があったのか、この先、言う・言わないのを別にしても、今この時点で、あたし自身に問題がないかという事だった。体は大丈夫なのかというのはもちろん、黙っていることで精神的に辛くならないか、あるいは、これからの行動に、問題はないか…それら全てに対して、大丈夫なのかという質問だったのだ。
あたしは、よく考え、そして ゆっくりと頷いた。
「そうか。──なら、この話はこれで終わりにしようぜ、なぁ?」
最後の同意は、ラディたちに求めているものだった。
それに、ラディが答える。
「…ああ。ルフェラがそれでいいんならな」
「ネオスは?」
「あ、ああ…」
「──んじゃ、メシ 食お~ぜ~」
イオータがそう言った時、ちょうど シリカが、お盆にお粥を乗せて歩いてくる所だった。
一斉に皆が立ち上がり、各々の食事を運び始める。目の前の机に、その全てを並び終えると、あたし達は少し遅めの昼食をとることになった。
ひとくち、お粥を口に運べば、その美味しさに涙が出てきそうになる。丸一日、何も食べていなかったから…というのもあるだろうが、口の中に広がるお粥の温かさは、〝今、自分は生きてるんだ。生きて帰れたんだ〟 と、改めて実感できたからだ。
あたしは、感謝の意味も込めて、何度も呟いた。
〝美味しい、美味しい…〟 と。
食事を終えると、とりあえず、今日は休もう…という事になって、それぞれの布団に入って休むことにした。
赤守球は取り戻した。あとは、それをリヴィアに渡し、ミュエリを助けてもらえばいい。
連れ去られてから、ルーフィンが 〝安全だ〟 と保証してくれた一週間は、明日なのだ。もう、全ては明日だ。明日になれば、全てが終わる…。
安全な場所に戻ってきて、今はみんなも傍にいる。それだけで、あたしは、とても安心して眠りにつくことができた。
不意に目覚めると、部屋の中は暗かった。
隣を見れば、ジーネスとシリカが一緒の布団で寝ているのが、窓から入る月の光で見えた。
だいぶ深く眠っていたのだろう。ジーネスが帰ってきたことにも気付かなければ、彼女達が夕食をとり、この部屋に入って寝たことさえ、気付かなかったのだ。
あたしは、深い眠りから覚めたせいで、そのあと、なかなか眠くならなかった。
仕方ない…。ちょっと、外の空気を吸ってこようかしら…。
そう思い、布団から出ると、ジーネスたちを起こさないよう、静かに部屋を後にする。
あんなに だるかった体は、食事と睡眠のお蔭か、だいぶラクになっていた。
玄関のすぐ近くには、ルーフィンが眠っていたが、あたしの足音に気付くと、即座に歩み寄ってきた。
『大…丈夫ですか…?』
その第一声に、あたしは声を潜めて答えた。
「うん。だいぶ 良くなったわ」
『そうですか…。それは良かったです。あなたが危険な目に合っていたのに……何もできないのが、私は本当に悔しいです』
「え…や、やだ…。ル、ルーフィン…?」
ルーフィンは、いつかの時と同じように、深く頭をうな垂れた。その態度に、何をどう言っていいのか分からなかったが、まだ、御礼を言ってなかったことに気付いて、慌てて口を開く。
「──あ、あのさ…。昼間、言えなかったけど…ありがとね、ルーフィン。あれから ずっと捜してくれてたんでしょ?」
『え、ええ、もちろんです。見失ったのは、私の責任ですから…』
「それは違うわ。あたしが あんなこと言い出さなければ…ちゃんとネオスと行動してれば良かったのよ。あれは、みんな あたしの責任。ルーフィンが責任感じることなんて、なにもないのよ」
『でも…』
それでも、何か言いかけようとするルーフィンに、あたしは大きく首を振った。
「あたしの責任なの。これ以上、自分を責めたら許さないわよ、いい?」
何を許さないのか、自分でもよく分からなかった。ただ、責任は間違いなく自分にあって、ルーフィンが落ち込むことは全くないのだ。謝ることはあっても 〝許さない〟 と言える立場じゃないと思いながらも、あたしは強い口調で、そう言った。ルーフィンも、その言葉に 〝はい〟 とだけ答えると、それ以上のことは何も言わなくなった。
「あたし、ちょっと、外の空気吸ってくるわね」
『では、私も…』
「いいのよ。家の前に出るだけだから」
『でも、もし何かあったら…』
「大丈夫。もう、何も起きやしないって。ルーフィンはゆっくり寝ててよ」
『それは…ムリな話です。昨日の今日ですよ?』
〝当たり前でしょう?〟 とでも言うかのような口調に、あたしは小さな溜め息を漏らした。
「分かったわよ」
それだけ言うと、目の前の戸を開け、ルーフィンと外に出ることにした。
月の光は相変わらず明るい。見上げても、あの時のような光は降っていなかった。
心地よい風に吹かれながら、すぐ横にある椅子に腰掛けると、何度となく深呼吸した。
ルーフィンは、付かず離れずの場所で行儀良く座り、特に何かを話しかけるわけでもなく、ジッとしていた。
あたしは、しばらく目を閉じることにした。
そうして、数分が過ぎただろうか。
すぐ近くにいたルーフィンが動いたかなぁ…と思うと、玄関の戸が開き、誰かが近づいてきた。咄嗟に目を開け振り返ると、ルーフィンのいた場所に、イオータが座り込むところだった。
「イオータ…」
「眠れねーのか?」
「あ…うん。まぁ…熟睡したから…。それより、ルーフィンは?」
「ああ、オレと入れ替わるように家ん中、入ってったぞ」
「あ…そ、そう」
ま、まるで、見張りの交代みたいね…。
出来すぎた行動に、妙な笑みが浮かんでくる。
「傷は──」
「え…?」
「傷は痛むか?」
チラリと、あたしの腕を見ながら、イオータは静かに口を開いた。その質問に、左腕を押さえ、少し動かしてみる。
「う…ん…。でも、ジッとしてれば、平気…かな」
「そうか。まぁ、思ったよりは深くなかったしな。傷跡は少し残るとは思うけどよ」
「………手当てしてくれたのって、イオータ?」
「ああ」
イオータは、明後日の方を向いて、当たり前のように答えた。
「そう…だったんだ。ありがと…」
「まぁ、一番 慣れてるしな」
「そっか…」
そんなことに慣れるのがいいとは思えないけど、助かったことは確かだ。
あたしは、もう一度 〝ありがとう〟 と繰り返した。
それからしばらくは、あたしもイオータも黙っていた。だけど、その無言の状態が、あることを思い出させた。
「ネオス…怒ってるわよね…?」
気になって、質問してみる。
もちろん、何のことだか分からず、即、聞き返してきた。
「なんで?」
「だって…昼間、ずっと黙ってたもの…」
そうなのだ。昼間は、イオータとラディが喋っているだけで、ネオスは、ずっと黙っていたのだ。
あれは相当、怒ってる…。
そう思っていたのだが、次に発したイオータの言葉に、あたしはひどく驚かされた。
「あぁ~、それは怒ってるっていうより、自責の念に駆られてるって言ったほうが正しいな」
「え…ど、どうして!?」
「あの時、最初にあんたが謝ったからなぁ。自分が謝るタイミングをなくしたっていうか…。そんなところだろーな。反対出来る立場じゃないとはいえ、あんたを守ってやれなかったからよ。たぶん、それで、な」
「…………」
よく分かるような分からないような理由に、あたしは何も言えなかった。そして、更に続ける。
「ほんとは、みんなそう思ってんぜ? 守ってやれなくて悪かった…ってな。ただ、謝ろうとは思っていたけど、それ以上に、〝いったい、あんたに何があったのか…〟 ってーことのほうが知りたくて…。結局、すぐには何も言えなかったってわけさ」
「…………」
「でも、まぁ、安心しな。あんたが言わない限り、オレも、アイツ等もそれ以上のことは聞かねーからよ」
「…………」
「あー、それにしても、今日は、一段と月が明るいぜぇ~。そー、思わねーか?」
何も言えないでいると、イオータは 〝もう、その話は終わりだ〟 と言わんばかりに、話題を変えた。
あたしは、改めて月を見上げたが、言っている意味すら分からなかった。月が満ちていけば、日に日に明るくなるだろうが、今はその逆。昨日より今日のほうが月は欠け、だんだんと光を失っていくはずなのだ。
「明るいよな?」
再度、そう問われ、あたしは意味も分からず、〝そうね〟 と呟いてしまった。
ここでまた、どういういう意味だと突っ込めば、どうでもいいような話が始まりそうだったからだ。けれど、この時のイオータの言葉にも、ちゃんとした意味があったと知るのは、これまた、あとになってからだったが…。
翌朝、あたしがみんなの前に姿を現すと、一様に同じ反応を示した。
最初はどこか心配そうな目を向けるが、あたしの顔色が思ったより良く、ケガをしているものの、元気そうだと分かるや否や、満面の笑顔を振りまいたのだ。
よほど心配かけたのね…と実感すると同時に、みんなと会うのが、昨日の夜ではなく、今日でよかったと素直に思えた。もし、昨日の夕食時に目覚めていたら、間違いなく、こんな元気な姿は見せられない。それこそ、心配させるだけで、みんなの笑顔なんて見れなかっただろう。
本当に今朝でよかったわ…。
いつも通りの騒がしさを目の当たりにして、つくづくそう思っていたのだが、ひとつだけ、〝やられたなぁ…〟 という事があった。
それは、あたしがこうなった理由だった。
子供達の会話を聞いていると、どうやらあたしは、方向音痴のせいで、森で迷ったらしい。しかも、夜になって何も見えないというのに、動き回ったものだから、転んでケガをしたというのだ。その繰り返しで、朝方には疲れてしまい、眠り呆けている所を、ネオスたちが見つけて連れ帰ってきたという。
イオータたちが作ったスジガキだと理解するのに、少々時間がかかったが、理解したら理解したで、なんとも情けない話じゃないかと、恥ずかしさの余り溜め息しか出てこない。
お蔭で、ディゼルには、〝迷子になった時はジッとしてるのが一番なんだぞ〟 とありがたい忠告を頂き、その上、〝それにしても、かくれんぼしたり、迷子になったり…ねえちゃん子供見てーだな〟 と言われる始末…。これには、いくらディゼルがラディと似てるからって、さすがのあたしも何も言えなくなった。
あとあと話を聞けば、〝なぁ~んだ〟 と思うぐらいのほうが、心配かけなくて済むから…という理由だったそうだが、なんか、こう…バカ丸出しという気がしないでもない…。
まぁ、落ち着いて考えれば、半分当たってるような気もするし、一番まともなスジガキだとは思えたけどね…。
とにもかくにも、そういうわけで、心配かけたことを詫びると、今度は、探し物が見つかったから、元の場所に戻ることを伝えた。
突然のことで、みんな驚き寂しがってくれたが、今度来る時は、もう一人連れてくるからと約束し、ジーネスの家をあとにした。そして、一週間ほど前に通った道を戻り、リヴィアの家に続く山道へと向かった。
彼女の家に着く頃には、太陽は真上に登っていた。
この家を出る時は裏口からだったが、まさかそこから入るわけにもいかない。表の方に回り、大きな扉の前までくると、あたしは一度、肩で大きく息を吐いた。そして、扉を叩こうと右手の拳を上げた、ちょうどその時──
一瞬早く、その扉が 〝カチャリ〟 と鳴って開いた。そのタイミングに驚き、あたしたちは一歩後ろに下がると同時に、視線は自然とその隙間に移った。中から現れたのはカイゼルだった。彼もまた、目の前にあたしたちがいるのを知って、驚きの表情を浮かべた。
お互いに、すぐには声も出なかったが、それでも先に口を開いたのは、彼だった。
「ル…ルフェラさん…どうしたのですか!?」
「え…どうしたって──」
もちろん、赤守球を取り返したから戻ってきたんだけど…と思っていると、カイゼルはすぐに言葉を付け足した。
「そのケガ……」
「あ…ああ、これね…。ちょっと、色々あって…。それより、カイゼルは今から見回り?」
「ええ。でも、そんなことはもう、どうでもいいです。──よかった、皆さんご無事で…」
「は…ぁ…」
「──あ、早速、リヴィア様にお知らせしてきますので、少しお待ち頂けますか?」
「あ…うん…」
あたしの返事を聞くや否や、カイゼルは部屋の中に引っ込んでしまった。
まだ、夏の暑い日差しが燦燦と降り注ぐ。山の中は木々に囲まれ、日陰の為、わりと涼しかった。もちろん、歩けば暑く汗もかくが、日陰のない扉の前では、立っているだけでも汗が滲み出してくる。
「大丈夫、ルフェラ?」
「うん…ありがと。全然、大丈夫よ」
体を気遣い、心配そうに覗き込んでくるネオスに、あたしは笑顔で そう返した。
疲れていないと言えば、ウソになるが、それはあたしに限ったことじゃない。夜中もずっと捜し続けてたネオスたちだって、同じことなのだ。
「もう、あと少しだもの」
〝だから、頑張ろう〟 という意味も込めて、あたしは みんなの顔を見渡した。
しばらくすると、少しだけ開いた扉の向こうから、足早に歩く靴の音が聞こえてきた。そして、目の前で止まると同時に、カイゼルが扉を大きく開けた。
しかし、さっきと少し 様子がおかしい。どうしたのかと、口を開けかけた時、カイゼルがすぐに話し出した。
「ひとつ聞いてよろしいですか?」
「う、ん…」
「皆さんが戻られたという事は、ひょっとして赤守球を…?」
「…取り戻したわ」
「やはり、そうでしたか…」
そう言ったカイゼルの表情は、あたしたちが予想したものと随分 違っていた。
「カイゼル…?」
「あ…すみません。それでしたら、今すぐにでもリヴィア様とお会いした方がよろしいのでしょうが……ただ今、リヴィア様の気分がすぐれなくて──」
「病気でもしたのか…?」
「いえ、そういうものでは…。ただ、できれば明日にして頂けると──」
「えらく、急に気分が悪くなるんだな?」
ラディの質問のあと、彼が答え終わる前に、新たな質問をしたのはイオータだった。その口調が、明らかに何かを含んでるように聞こえて、思わず、イオータの方を振り返る。あたしの目と合いはしないが、それはワザと合わせないようにしている気がした。まっすぐに、カイゼルの目を見ているのだ。
「気分がすぐれないなら、最初からそう言えばいいのに、なんで今なんだ?」
イオータの質問に、あたしを始め、ラディたちも納得した。
「…リヴィア様は、少々貧血気味でして──」
そう言い出したのを聞いて、また更に納得してしまった。
どうりで、色が白いわけよね…。
「何も問題なく過ごされる日もあるのですが、どうも、今日はそうじゃなかったらしいのです」
「なんだ、その らしいって?」
「私も、つい先程まで問題ないと思っていたのです。見回りに行くと言った時もいつも通りでしたから。でも、ルフェラさん達が戻っていらしたことを知らせに行ったら、お部屋のほうで休まれていて…随分、お顔の色も悪かったので、それで……」
「なるほど、な。彼女の体を気遣って、独断で決めたわけだ」
「え…え…。私も、あまりの変わりように驚きましたけど、人前では、かなり我慢される性格だったこと、忘れていました」
「ふ~ん。──けどよ、赤守球は、彼女にとって大事なもんなんだろ?」
「もちろんです」
「じゃぁ、少々、気分が悪くっても、普通は赤守球を持ってきたって聞いたら、会いたいって言うんじゃねーのか?」
「それは…」
「おい、イオータ?」
「なんだ?」
イオータとカイゼルの会話を黙って聞いていたラディが、突然、割って入った。
「それって、なんか、同じ事 聞いてねぇ?」
「なにが?」
「大事なもんでもなんでも…人前ではムリしちまうんだろ、彼女は?」
「ああ」
「だけどよ…カイゼルは、彼女が、そーゆー性格だって思い出したから、体を気遣ったんじゃねーのか?」
「──だから?」
「いや…だからぁ… 〝赤守球を持ってきたって聞いたら会いたいって言うんじゃねーのか?〟 っつー質問は、同じことの繰り返しになるんじゃねーかと…」
強い口調で話していたイオータだから、ラディも間違いを訂正するのも忍びないとでも思ったのか、最後の方になると、かなり小声になっていた。
しかし、イオータの口調は変わらない。それどころか、更に強気になったのだ。
「──んじゃ、言葉を変えようぜ。〝何であんたが決めれるんだ?〟 ってゆーなら、分かりやすいか?」
〝分かりやすいか?〟 と言うからには、分かりやすく質問したのだろうが、あたしにはその意味するところが余計、分からなくなった。だけど、カイゼルの表情が硬くなったのを目にすると、このままイオータと話をさせてはまずいような気がして、今度はあたしが割って入ってしまった。
「あ、あのさ…カイゼル。あたしだけでもダメかな?」
「え…?」
「みんなで会うと迷惑かけちゃうから…いや、まぁ…ムリに会おうとすること自体、迷惑だとは思うんだけど…その…あたしたちにも時間がなくて…。赤守球を渡して、たった一つだけやって欲しいことがあるのよ…」
そう、たった一つだけ…。
保証された一週間の最後は今日だ。リヴィアには申し訳ないけど、明日なんて、やっぱり待てない。どんな方法かは知らないけど、赤守球を渡して、今日中にミュエリを助け出してもらいたかったのだ。
あの女は言ってたもの。その方法は赤守球を持つべきものが知ってるって…。
あたしの言わんとしてることは、カイゼルも分かるはずだ。仲間を助け出す為に、赤守球を探しに行ったんだから…。
ほんの少し考えると、カイゼルは小さな笑みを見せた。なぜかは分からないが、とても切ない笑みを…。
「そうですね。ではルフェラさんだけでも…」
言いながら、カイゼルは、自分の体をずらした。
「大丈夫だから、ちょっとだけ待ってて」
心配そうに後ろで立っているネオスたちに振り向くと、それだけ言って、大きな扉の向こうに足を踏み入れた。
カイゼルの靴音と合わせるように、あたしは彼の後ろを付いていった。
中の様子もカイゼルの雰囲気も、一週間前と、ちっとも変わらない。
変わらないのに懐かしいと思うのはなぜだろう?
たった一週間しか離れてないのに、随分 長い間会ってないようにも思える。
それとも、変わってないからこそ、懐かしいのかしら…?
などと、半ばどうでもいいようなことを考えていると、例のあの部屋の前に来ていた。
金の取っ手に手をかけ、カイゼルが扉を押し開ける。
途端に漂ってくる甘い香…。
真っ白なソファや、主だけが座る椅子は相変わらずで、大きな天窓からは、やはり変わらず、太陽の光がこの部屋に降り注いでいた。
後ろで扉を閉めたカイゼルは、あの時と同じようにソファに座るよう勧めると、すぐにカーテンの向こう側へと消えていった。
次に戻ってきた時、カイゼルはリヴィアの後ろを歩いて出てきた。
気分がすぐれないとは言っていたが、リヴィアは彼の手を借りることなく、思ったより、しっかり歩いていた。
あれでも、かなり我慢してるのよね、きっと…。
彼の言葉を思い出すと、途端に申し訳ない気持ちになってくる。
頭から被っていた布の下では、陰になっているからか、余計に顔色が悪く見える。ただひとつ 際立っていたのは、紅い唇だった。貧血の状態を悟られないようになのか、顔色の良し悪しが一番よく分かる口唇は、最初に見たときのような淡い紅色ではなかったのだ。
本当に申し訳ない…。
だけど、引き下がれない…。
そんな葛藤が、あたしの胸の中で大きくなってきた時だった。椅子に腰掛けるなり、リヴィアが早々に話し出した。
「ルフェラさん…」
「あ、はい…」
「カイゼルから聞きました。みなさん、無事に戻ってこられたそうですね。私、ホッとしましたわ。ルフェラさん達に大変なことをお願いしてしまって一週間…。何かあったらどうしようかと、毎日、そればかり考えて…やっぱり自分で何とかするべきだったと後悔ばかりしていました。もう、赤守球のことはどうでもいいと、とにかく何事もなく戻ってこられることだけを祈っていました」
最初にそれだけ言うと、あたしの無事な姿を確認するように一呼吸 置いた。そして、また話し出す。
「ケガの方は大丈夫ですか、ルフェラさん?」
「え、ええ…なんとか…」
「そう…ですか。本当にごめんなさい。私事のために…かなり危険な目に合われたのでしょうね? ──皆さんとお会いして、ちゃんと御礼をするべきなのに…私は……」
今にも涙を流しそうなリヴィアに、あたしは慌てて言葉を繋げた。
「そ、そんなに気にしないで下さい、リヴィアさん。体の調子がよくないのに、ムリを言って会わせてもらって…あたしのほうこそ、すみませんでした…」
「そんなこと…」
「それに、あたし達はミュエリを助けたくて必死だったんです。そんな時、何か方法がないかと尋ねたら、赤守球の話をしてもらえて…。ミュエリを助けることができるかもしれないという、その可能性と、リヴィアさんの問題が、たまたま重なっただけなんですから。──あ、でも、その可能性はやっぱり正しかったですけど」
「──というと、まさか…?」
「ええ。黒風は赤守球から呼び出されたものでした。赤守球を奪う時、訊いたんです、連れ去った人を戻す方法を。そしたら、本来持つべき者に返せば、その方法を知っていると言ったんです。──リヴィアさん、ご存知ですか?」
「……そう…ですね…。私も、ルフェラさん達が南に向かった時から、ずっと考えていました。もし、黒風の原因が赤守球なら、何か方法があるのではないかと…。おそらく、あの方法なら──」
「で、できるんですね!?」
「ええ。成功する確率が高いとはいえませんが…何とかやってみましょう」
リヴィアのその言葉に、あたしは、今までのことが全て報われた気がした。ホッと胸を撫で下ろすどころか、全身の力が抜け、その場で崩れてもおかしくないほどの安堵感に襲われたのだ。そのせいで、涙まで浮かんでくる…。
あたしは、早速、短剣を抜くと、皮で作られた鞘を逆さまにした。チャラチャラと音を立て、赤い球が転がり出てくる。あたしは、その球だけを持ち上げたが、鎖の一部に別のものが引っ掛かり、それは、途中で外れ床に落ちてしまった。
慌てて拾うと、〝お願いします〟 とばかりに、赤守球のほうをリヴィアに差し出した。しかし、彼女はそれを受け取ったものの、どちらかと言うと、あたしが落とした物のほうに、視線を移していた。
「それは…?」
「あ…これは…あたしの村で見つけたんです。木に引っ掛かってるのを…。留め金部分がないんですけどね──」
そこまで言って、ある事も思い出した。
「あ、あの…ですね…。赤守球の鎖も…ちょっと色々あって…その…切れちゃったんですけど…」
さすがに、自分が切ったとは言えなくて、〝色々と…〟 という言葉を使わせてもらった。
「それくらいは…全然、問題ありませんわ。気にしないでくださいな。それより、そちらの方を、少し見せていただいても構いません?」
「え…ええ、どうぞ」
〝気にしなくてもいい〟 と言ってもらえてホッとしたあたしは、もうひとつのほうも彼女に手渡した。
リヴィアは、雨の雫に似た透明な部分を、天窓から差す太陽の光にかざして、しばらくの間 ジッと見ていた。右に傾けたり左に傾けたり…光の屈折を確かめるような仕草だったが、すぐに何か思い付いたみたいで、あたしの方に向き直った。
「ルフェラさん?」
「は…い…?」
「これ、少し貸していただけませんか?」
「え…?」
「ひょっとしたら、ミュエリさんを助け出すのに、役に立つかもしれません」
「ほ、ほんとに? こんなもので…ですか?」
「ええ。おそらく、カードゲームに例えれば、これは、ジョーカーと同じかもしれませんよ」
「ジョーカー……」
森で見つけたものが、ミュエリの救出に役に立つなんて、そんな都合のいい事ってあるだろうか?
大体、どう、役に立つのか想像もつかない。そのうえ、カードゲームのジョーカーに例えるなんて……。
あたしには、てんで、理解に苦しむところだった。──ともあれ、本人がそう言うのなら、任せるしかないだろう。あたしにはどうすることもできないんだから。
あたし達にしてみれば、ミュエリが戻ってくるなら、それでいいのだ。
「役に立つなら、どうぞ…」
「ありがとう。必ず、成功させますわ」
そう言って、リヴィアの紅い唇が微かにカーブを描いた時だった。
そのあと、あたしは信じられない言葉を聞くことになる──