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女神伝説  作者: Sugary
第三章
34/127

10 赤守球を奪え!! ※

 …う…ん…痛っ……!!

 意識が戻り始めた途端、最初に感じたのは痛みだった。──いや、痛みのせいで意識が戻ったというほうが正しいかもしれない。

 ズキンズキンと脈打つたびに響くその痛みは、頭の真ん中から発せられていた。まるで、頭の中で金属どうしを叩いてる感じだ…。

 な、によ…この痛みは……割れそうだわ…!!

 思わず両手で頭を抱え込もうとしたが、同時に体の異変にも気付いた。

 う…ごかない…!?

 そう思うや否や、反射的に目を開ける。

 薄ぼんやりとした明るさの中で、視界に映ったのは黒く平たいものだった。その平たいものが自分の頬に張り付いている。何がなんだかよく分からず、痛い頭を無理やり動かして、下の方を見てみた。黒っぽい荷物に棒のようなものが出ていたが、すぐに、それが自分の体と足だということが分かり、慌てて足に力を入れてみた。すると、鈍い感覚のまま少しだが動かすことができた。

 それにしても、なんて重く…感覚が鈍いの……?

 あまりの感覚の鈍さに、自分の体とは思えず、やっぱり、何か別の荷物を見ている気になってしまう。

 その間にも、頭痛は容赦なく襲ってきた。一旦、目を閉じて深呼吸をすると、再び頭を動かし、今度は上を見てみた。少し離れた所では、一本のロウソクが灯されていた。真横になっているにもかかわらず、炎は上にいかない。ロウソクの芯と同じく横になったまま燃えているのだ。しかも、そのロウソクは浮いている。

 〝浮いてる? まさか…!?〟

 目にした現実を、頭の中で言葉にして、その ありえない光景に驚いた。普通なら、ここで目をこすろうとするのだが、なぜか動かない為、あたしはギュッと目を閉じ、そしてもう一度 開いてみた。

 よく目を凝らしてみると、ロウソクの下には一本の細い棒が出ていた。その棒をロウソクと反対の方向に目で追っていくと、自分と同じ頬に張り付いている平たいものと、くっついているのが見える。

 あ…ぁ、そういう事か…。

 この時になってようやく、あたしは自分が板の上で横たわっているのだという事が分かった。

 しかし、起き上がろうにも、体の感覚はひどく鈍く、割れそうなほど響く頭痛のせいで、寝返りさえうてない状態だった…。

 いったい、どうしちゃったのよ…?

 このまま体が動かなかったら…という不安と、今の状況がまったく分からない不安、そして、あまりの頭痛の激しさから、涙が出そうになった。

 けれど、泣いたって仕方がない。あたしは、涙をこらえる為にも、こうなる前のことを必死になって思い出そうとした。



 確か、あれは昼過ぎだったわよね…。

 その日、初めて交わしたルーフィンの口調は、どこかイラついていた。一瞬、どうしたのかと不思議に思ったが、理由は二言目ですぐに分かった。

『ルフェラ、そろそろ教えてくれませんか?』

「え…何を?」

『もちろん、あなたが、危険を冒してまで確かめようとしていることですよ』

 〝他に何がありますか!?〟

 そんな言葉さえ聞こえてきそうだった。

 あたしから話し出すのを、朝からずっと待っていたのだが、昼になっても、一向に話し出す気配がないため、痺れを切らしたのだ。

「あ、ああ…その事ね…」

 〝危険を冒してまで…〟 っていうほど、危険だとは思わないんだけど…と思いながら、あたしは、周りの景色をグルッと見渡した。

『もしかして、私にも教えられない事とか…?』

「あ…ううん。そんなことないわよ」

『本当に…?』

「うん、もちろん。それどころか、ルーフィンにしか話せないことだもの」

『──というと?』

「う…ん、実はさ、妖精と話がしたかったのよ…ね」

『妖精…とですか?』

「うん」

 自分にしか話せないことだと聞いて、心なしかホッとしたのも束の間、今度は、〝危険を冒してまで確かめようとしている〟 ことが、〝妖精と話がしたかった〟 だけというのを聞いて、ルーフィンは呆気に取られた様子だった。

「昨日は、ずっと視線を感じてたんだけど、姿が見えなかったのよ。〝会いたい〟って、強く思えば見えたんだろうけどさ、実際、見えた所で、話せないじゃない? ネオスがいるから。だから、今日は二人で出かけて──」

『それ、本当ですか?』

「え…?」

 最後まで言い終わらないうちに口を挟んだルーフィンは、〝何が〟 本当なのかを付け加え、改めて質問した。

『視線を感じたというのは、本当なのですか?』

「う…ん」

『今は…?』

「今…? 今は…ううん、全然…」

『そう…ですか…』

 ルーフィンはそう言うと、何かを考えるように黙ってしまった。

「どう…したの、ルーフィン?」

『…………』

「ルーフィン?」

『…………』

「ねぇ、ルーフィンってば!」

 うんともすんとも言わないルーフィンに、今度はあたしのほうがイラついてきた。

『──ルフェラ』

「な、なに?」

 やっと、喋りだして、思わず座り込む。

『…戻りましょう』

「え…?」

『イオータたちの所に戻りましょう』

「どう…したのよ、急に…?」

『理由は、歩きながら話します。とにかく、今すぐ戻りましょう』

 そう言うや否や、ルーフィンは体を翻した。一秒でも早くこの森から出たいという態度を見せられ、あたしは、慌てて首に抱きつき、その動きを止める。

「ちょ、ちょっと待ってよ。せっかく、ラディも納得したのに──」

『それは、条件が付いていたからです。その条件に該当したら、戻る約束だったでしょう?』

「そうだけど…」

 と、言って、すぐに、その言葉の意味に気が付いた。

「ね…ぇ、それって…ひょっとして、今がその危ない時だってこと?」

『その可能性があるのです』

「まさか…。だって、ただの妖精じゃない…?」

『ルフェラ──』

「と、とにかく、説明して、ルーフィン。──じゃなきゃ、ここから一歩も動かないわよ」

 せっかく、あのラディを説得させたのに、妖精の話でこんな簡単に戻らなきゃならないなんて、あんまりだ。

 せめて、納得のいく理由を聞くまでは動かないから…。

 子供じみているとは思ったが、あたしはそう言って、地面に座り込んだ。

『ルフェラ…』

「ダメよ、ちゃんと説明して。どうしてもって言うんなら、あたしを置いていけばいいわ」

『そんな事、できるわけないでしょう!?』

「…………」

『ルフェラ…!』

「…………」

 再度、あたしの無言のストライキが始まり、ルーフィンは、これ以上の時間のロスを避けたいと思ったのか、諦めたように溜め息をついた。

『いいですか、ルフェラ。よく聞いてください』

「…………」

『…この森に、妖精はいません』

 え…?

 まったく考えもしない言葉が出てきて、あたしは一瞬、自分の耳を疑った。

「今…なんて…?」

『妖精はいないと言ったのです。少なくとも、この森に来てから一度も、私は妖精とは会っていません。昨日だって同じです。視線さえ感じなかったのですから』

「そ…れ、ほんと…?」

『はい』

「じゃぁ…あれは、あたしの気のせい、なの?」

『…いえ、最近のルフェラの情況から言えば、おそらく、気のせいではないでしょう』

「じゃぁ、いったい誰が…?」

『さぁ。ただ、普通の視線なら、私も気が付きますから…。妖精や、普通の視線じゃないことだけは確かです』

「も、もしかして…黒風を操ってる人とか…?」

『それはなんとも言えませんが…。得体の知れないものという点では、やはり、一度 戻ったほうがいいと思います』

「…………」

 ルーフィンの理由は、戻るのに十分な内容だった。

 それにしても、あの視線が、妖精のものじゃなかったなんて…。

『ルフェラ…?』

「あ…うん。そうね…」

 視線が妖精のものじゃないと分かった以上、ルーフィンの言うとおり、二人だけで探し続けるのは危険だ。

 あたしは、イオータたちのところに戻るべく、立ち上がった。──と、同時に、ルーフィンが再び話しかけてきた。

『それと、もうひとついいですか、ルフェラ?』

「うん、なに?」

『私が、妖精と話ができること、忘れないでください』

 その口調は、お願いというより、忠告のように聞こえた。

 言いたいことも、十分に分かった。

 声を出さずともルーフィンは妖精と話ができる。あたしも、ルーフィンとなら、心の中で話をすることができる。ゆえに、ネオスたちがいたとしても、ルーフィンを通せば、あたしも妖精と話をすることができる、そう言いたかったのだ。しかも、こんな危険を冒さなくても──

「ご、ごめん…」

『分かってもらえれば、それでいいです。──とにかく戻りましょう、ルフェラ』

「うん…」

 そう言うと、ルーフィンは駆け出し、あたしも彼のあとを追った。

 ところが──

 走り出してすぐ、妙な感覚が襲ってきた。

 目の前の景色が、いきなり、グニャ…と歪んだのだ。思わず、走っていた足も止まる。

 な、なに…今の…?

 目をこすって、改めて目の前を見てみた。しかし、歪みは消えなかった。自分の目がおかしいのか、それとも、景色がおかしいのか分からず、立ち止まったまま右、左、後ろを見渡してみた。歪みは、どこも同じだった。自分の周りが全て歪んでいるのだ。しかも時間が経つごとに、その歪みが増していく。

 やだ…気持ち悪い…。

 足は地面についているのに、平衡感覚が保てず、気持ち悪さも重なって、座り込んでしまった。

「ルーフィン…?」

 歪んだ景色に目を凝らすが、ルーフィンの姿は見当たらない。その上、気持ち悪さも増す一方だった。

 よく分からないけど、這ってでもこの場所から出なきゃ…。

 そう思い、四つん這いのまま、何とか手と足を動かし前に進み始める。しかし、それもすぐに出来なくなってしまった。体が重くなり、手の先から徐々に痺れ始めたのだ。崩れるように地面に倒れ込むと、そのまま意識を失った…。



 そして、次に目を覚ました時には、この割れるような頭痛と体の感覚の鈍さがあったのだ。

 ここが何処かなんて分からない。森じゃない事だけは確かだが、得体の知れない者に連れてこられたのか、あるいは、運良く、誰かに助けられたのか…それは、まったく分からなかった。

 だからと言って、それ以上のことを考える事もできなかった。

 普通なら、あの時、理由も聞かずにルーフィンの言う事を聞いてたら、こんなことにならなかったのかも…とか、今は何時ごろなのか…とか、あたしが帰ってこないから、きっと心配してるわね…等々…考えることは山ほどあると思うのだが、正直、こんなひどい頭痛では、意識がなくなるまでのことを思い出すだけで精一杯だったのだ。

 一向に治まる様子もない頭痛と感覚の鈍さに、どうすることも出来ず、ただただ目を閉じて耐えるしかなかった。

 そんな時、木が擦れ合う音がした。最初は、頭の中で響く金属音が邪魔をして、その音が近くでしたのか、遠くでしたのか分からなかった。ひょっとしたら、気のせいだったのか…とも思ってしまう。しかし、すぐに何かの気配を感じ、うっすらと目を開けると、頭から布を被った人らしき姿が見えた。

 どうやら、さっきの音は引き戸を開ける音だったようだ。

 だ…れ…?

 声にもならない声が、頭の中で問いかける。

 その姿の主は、ほんの数秒あたしのほうを見ていたが、意識が戻っているのを悟ると、静かな足取りで、目の前にやってきた。

 ゆっくりと座り込んだものの、ロウソク一本の明かりでは、布の色どころか、顔さえハッキリと見えない。黒っぽいシルエットが目の前に迫っているだけだ。

「だ…れ…?」

 あたしは、もう一度、お腹に力を入れて、その言葉を繰り返した。今度は何とか空気が喉を通過したようだ。

「…お前こそ、何者だ?」

 感情のない冷たい口調は、言葉遣いこそ男性を思わせるが、間違いなく女性の声だった。

 感覚の鈍い体にも、一瞬、背筋がゾッとなる。咄嗟に、助けられたのではなく、連れてこられたのだと認識させられた。

 すぐに返事ができないでいると、その女は更に続けた。

「何を探している?」

「……!!」

 あたし達が 〝何かを探してる〟 事を知ってる!?

 ──という事は、この人は…。

 あって欲しくないことが、頭をよぎった。だけど、今、気付かれちゃいけない…。

「た…だの…旅人よ」

 あたしは、そう、声を絞り出した。

「ほぅ…。何をするわけでもなく、この村を歩き回ってか?」

 ただの旅人がそんなことをするか…と、バカにした口調だった。いや、どちらかと言えば、〝そんなウソが通用するか〟 の方が、正しいかもしれない。

「…………」

 返す言葉もなく黙っていると、女は冷たく笑った。

「ふん。まぁいい。お前がただの旅人だと言い張るのなら、今すぐにでもここから逃げて、二度とこの村には近づかないことだ。もっとも、今の状態では、ムリだろうがな。あの(ジュツ)の副作用で、ひどい頭痛と体の痺れに襲われているのだろう?」

 (ジュツ)…!?

 そう、頭の中で繰り返すと、女は、また ゆっくり立ち上がり、部屋を出て行こうとした。

「だ…れなのよ…あんた…?」

 もう、これ以上何も考えられず、話もしたくなかったが、気付くとそう、呟いていた。

 女の足が止まる。

「 〝誰?〟 か…」

 一瞬、感情が宿ったように聞こえたが、すぐに、フッと笑った。

 そして、再びゆっくりとこちらを向くと、さっきと同じようにしゃがみこんだ。

「名前など どうでもよい。私の顔だけ、しっかりと頭に焼き付けておけ。二度とここに来ようとは思わないだろう」

 そういうや否や、女は頭に被っていた布を外し、あたしに見えるように、顔を近づけた。

挿絵(By みてみん)

「────!!」

 あたしは、あまりの恐ろしさに息を呑んだ。

 こんな暗さでは顔なんか、ハッキリと見えない。だけど、ロウソクの灯が当たる、女の左半分は、明らかに普通の皮膚じゃなかった。火傷跡と同じ、ケロイド状にただれていたのだ。

 驚きで、一瞬、目が大きく見開いたのが自分でも分かった。思わず、目を逸らそうとしたが、次の瞬間、またもや、ハッとした。

 この暗さの中、胸元に光るものを見つけたのだ。

 あれは…もしかして…!?

 そう思うや否や、あたしの反応に、女は何か気付いたようだった。

「ほ…ぉ。これに興味があるようだな」

 え…?

「これが欲しいなら、奪いに来い。いつでも相手になってやるぞ」

「────!!」

 冷たく口の端が笑ったかと思うと、女はスックと立って、今度こそ、部屋を出て行ってしまった。

 あ…れは…色こそ、暗くて分からないけど…間違いなく…赤守球…!?

 ──という事は、あの女が黒風を…ミュエリをさらった張本人!!

 今すぐにでも追いかけて奪いたかったが、副作用とやらは、そう簡単に消えてくれない。思うように動かない自分の体に、悔しさを覚えながら、あたしはまた、意識が遠くなっていった…。



 それからどれくらい経っただろうか…。

 頭痛も消え、体の感覚も戻ってきた頃、あたしは再び目を覚ました。

 真横になって燃えているロウソクは、あの時よりだいぶ小さくなっている。

 最初に目覚めた頃は、自分の体のことで精一杯で、周りなんて見ている余裕もなかった。

しかし、今は違う。薄ぼんやりとした部屋の中でも、意識が違うと、結構、見えてくるものだ。荷物らしい荷物はなく、ロウソクの向こう側には、格子の付いた小さな窓がひとつだけある。その窓からは、木の先端の形だけが夜空をバックに見えていた。

 部屋の中に視線を移すと、足元の方に四角い木の縁取りが見えた。おそらく、あれは引き戸だろう…。そんなことを思いながら、徐々に意識がクリアになっていくと、赤守球のことを思い出し、ハッとした。瞬時に、起き上がろうとする。しかし、床に手を着こうとして、また、驚いた。

 手が…動かない…!?

 感覚は、ほとんど戻ってきてるのに…? と、もそもそ動いていると、不意に、足首が縄で縛られているのが目に入った。

 〝もしかして…〟

 そう思うが早いか、今度は手首に痛みを感じた。まだ、微妙に痺れが残っていたらしく、やっと、両手も後ろで縛られていることを知った。

 目をこすりたくても手が動かなかったのは、体が痺れていたからだけじゃなかったのだ。

 当たり前だが、短剣も取り上げられて、ここにはない。

 〝赤守球を奪いに来い〟 って言ったくせに、卑怯じゃないのよ。手首なんて縛られてたら、奪おうにも奪えないでしょ…!?

 そんなイライラを感じつつも、とにかく、手の縄を外そうとした。足の縄ぐらい、手さえ自由になればどうってことないのだ。

 あたしは、どうにか ほどけないものかと思い、手首を引っ張ったり、捻ったりしてみた。けれど、縄は緩むどころか、ヘタをすると締まっていく感じさえする。縛られた手首の痛みと、動くたびに擦れる痛みとが重なって、どうにもならなくなってきた…。

 せっかく、頭痛も体の感覚も戻ってきたっていうのに、これじゃあ、赤守球を奪いに行くどころか、この部屋から出ることさえできないわ…。

 あたしは、だんだんと焦ってきた。

 ついさっき、荷物という荷物がないと確認したばかりだが、それでも、何かないものかと、改めて部屋の中を見渡してみる。

 何でもいい。先が尖ったものであれば、何とかなるだろう。

 目を皿のようにするとは、こういう事かも…などと、こんな時にふと考えながら、あたしは、部屋の隅から隅まで見渡し、できうる限りの情報を得ようとした。しかし、見える範囲など、ロウソク一本の明かりでは限られている。もしかしたら、釘の一本でも落ちているかもしれないが、あたしの視界には映らないのだ。

 真っ暗な所で一人いるよりは、例えこんな小さな炎でも、あるとありがたい。だけど、探し物をするには、暗すぎる。今この状況では、あまり役に立たない炎を見つめながら、あたしは深い溜め息をついた。

 あんなロウソク一本じゃ、暗すぎる…。いったい、どうすればいいのよ…?

 いい案が浮かばないまま、恨めしそうにジッと炎だけを見続ける時間だけが過ぎていった。

 ──と、そんな時、不意に閃いた。

 これだ…!!

 そうよ。一本のロウソクしかないんじゃない。ここに、ロウソクがあるのだ!!

 〝明かり〟 として見ていた小さなロウソクの炎が、この時ばかりは、刃と同じぐらい、ありがたいものに感じた。

 先が見えると、力も湧くもので、何とかその場で上体を起こすと、下半身を芋虫のように動かして、ロウソクの下まで移動した。そして、両足を曲げたまま横に倒すと、勢いよく前にかがみながら体制を整え、立ち上がった。

 すると、ろうそくの炎は、ちょうど手首の高さにきていた。もし、最初に目覚めた時、体も動いて、この事に気付いていたとしても、ロウソクのところまで手を持ち上げるのはムリだろう。時間が経ち、ロウソクが短くなったから、できることなのだ。

 ただし、気を付けなければ、この炎も消えかねない。

 あたしはロウソクを背にしながらも、慎重に自分の手首を炎の上にかざした。

「あつっっ…!」

 思わず手を引き、一瞬、体勢を崩しそうになる。しかし、なんとかバランスをとると、更に注意をしながら、再び手首の縄に炎を当てた。

 チリチリという、微かな音が聞こえては、縄の焼ける匂いが漂ってきた。

 熱さで顔は歪み、汗まで出てくる。

 時々、皮膚まで焼けるような匂いがした。いや、実際、そんな匂いがしたら、ちょっとやそっとの火傷では済まない。だから、縄が焼ける匂いしかしていないはずなのだが、あまりの熱さに、そんな気がしたのだ。

 そして、何度目かの熱さを感じた瞬間、フッと手元が緩んだ。

 やった…。

 縄が切れたのだ。

 自由になった手で、早速、足の縄をほどくと、まずは、小さな窓にそっと近づいた。

 小窓の端の方から、外の様子を伺ってみる。

 先ほど、床の高さから見たときは、木の先端しか見えなかったが、実際、窓際から覗いてみると、外はかなり明るかった。木が立ち並んでいるのは数メートル先からで、十分に月の光が差し込んでいたのだ。しかし、数メートル分の平地と、木々があるというだけで、それ以外のものは見えなかった。窓が小さすぎて、広範囲に渡って確認することが出来ないのだ。

 ただ、自分がいるこの部屋が、家の中の一室なのかそうでないのかは、だいたい想像がついた。荷物という荷物がないから、物置小屋だとは言い切れないが、生活を匂わす物がないのも、また事実だった。

 それに、さっきから静かだし、あたしがゴソゴソと動いていたにもかかわらず、例の女が現れる様子もないのだ。──という事は、おそらく、家の中の一室ではないと思われる。引き戸以外に扉はないし、あの向こうが外なら、一軒の小屋ということになる。

 ──となると、必然的に、あの女が住んでいる家が別にあるはずなのだ。

 あたしは、そこまで考えると、今度は女が出て行った引き戸に近寄り、壁際に身を寄せた。

 一瞬、鍵かカン抜きがしてあるかも…と思ったが、あの女が出て行ったあと、それらしい音がしなかっことも思い出した。それに、縛られていては、逃げれないと思うのも当然だろう。

 その場で深呼吸を一回すると、まずは、小指が入る程度の隙間を開けて、覗いてみた。

 案の定、目の前は外だった。

 小窓から覗いた時に見えた平地より、三倍の広さはあるだろうか。しかし、この隙間からは、それだけしか見えない。

 もう少し…。

 ──と、引き戸を開ける。開けながら、右の方を伺う。けれど、そこも平地だけで何もなかった。右がなければ今度は左…。当たり前のように頭をずらし、左の方を伺ってみた。

 ─やっぱり!!

 すぐ隣には、小屋に対して九十度の向きで一軒の家が建っていたのだ。

 きっと、あそこに赤守球が…。

 できるだけ音を立てないよう、ゆっくりと引き戸を開けると、忍び足でその家に近づいていった。

 玄関脇の壁に背中を付けて、中の様子を伺う。音や声など、何かしら人のいる気配がするかと耳を澄ましてみたが…何も聞こえてこなかった。

 明かりは付いてるのに…?

 そんな疑問が頭をよぎったが、同時に、今更ながら大変なことも思い出した。

 あたし…あの女から赤守球を奪う方法、考えてなかった…。

 渡して欲しいって言って、渡してくれるものじゃないわよね、もちろん…。短剣さえないし…あったとしても、黒風を呼び起こされちゃ、太刀打ちできないわ…。

 ここは一度、みんなの所に戻ったほうがいいのかしら…。ああ、でも、ここがどこなのかも分からなければ、帰り道さえ分からないのよね。

 あー、もう…どうしよう…。

 気持ちだけが焦ってきた、ちょうどその時──

「やっと、動けるようになったようだな?」

 さっきまで、何の音もしなかった家の中から、あの女の声が聞こえてきた。冷たく感情のない声…。背筋がゾッとなると同時に、ロウソクの炎に照らされた顔が脳裏に蘇ってきて、更に、凍りつく気がした。

 女の質問は、間違いなく、外にいるあたしに向けられていた。

 ど…うしよう…。このまま黙って逃げる? 気付かれるような音は立ててなかったはずだから、静かに逃げれば気のせいって思うかも…。

 などと、バカなことを考えながら、足を動かそうとした、が──

 ヤダ…動かない…!?

 咄嗟に、また、変な術を使われたのかと思い、辺りを見回したが、景色は歪んでいなかった。それに、何より、足が震えている感覚まで、ちゃんとあるのだ。

 そう。つまり、怖くて体が動かないだけだったのだ。

 ど、どうしよう……どうしよう…どうしよう…どうしよう…!?

 もう、その言葉だけしか、頭に浮かばなかった…。何十回と繰り返すだけで、方法を考える余裕なんてあるわけがない…。

 ──と、その時、ミシリ…という音が聞こえた。板を歩く音だ。

 焦りと恐怖で心臓はドキドキとうるさい。──にもかかわらず、そんな小さな音がハッキリと聞こえてきたのだ。うるさい心臓が、ひと際 大きくドキリと鳴って、リズムを狂わした。手の平にも汗が滲んでくる。

 ミシ…ミシリ…。

 あー、神様ぁ~!!

 そんな叫びが届いたかどうかは分からないが、ふと見下ろすと、一本の木が落ちているのが目に入った。木刀よりは少し細いが、ないよりはマシだ。

 震える手でそれを拾い上げると、とにかく両手でギュッと握った。

 その瞬間──

 〝ザーッ〟

 隣の引き戸が開いた。

 逃げようと思っても動かなかった体が、反射的に、引き戸から現れた女に向けて、構えの姿勢をとっていた。いや…でも、それは多分、音に驚いただけの気もするが…。

「そんなもので、どうしようというのだ?」

 女は、あたしの体勢を目の当たりにしても、驚くどころか、表情ひとつ変えなかった。

「ど、どうしようって…その…」

 何とか言葉を返そうと言いかけたが、そのあとが続かない。

 どうしようというより、こうするしかなかっただけだもの…。

 それ以上、何も言えないでいると、更に、女が続けた。

「お前はなぜ、これを探していたのだ?」

 指先で首筋にかかる鎖をすくい、胸元の丸い球を小さく揺らした。

 月の光だけでは黒い球にしか見えないのだが、揺らすたびに、女の背後から漏れるロウソクの炎に照らされて、それが、間違いなく赤い色だと認識させた。

 ──やっぱり、赤守球だわ。

「聞いているのか?」

 赤守球に目を奪われて、何の反応もないあたしに、更に冷たい口調が放たれた。

「あ…き、聞いてるわよ。あたしが、それを探してる理由なんて…どうでもいいでしょ。それより、ミュエリはどこなのよ!?」

「ミュエリ…?」

 村人ならいざ知らず、あたし達はただの旅人。ゆえに、連れ去ったとはいえ、名前など知るはずがない。

 案の定、女は初めて聞いたであろう名前を、オウム返しのように繰り返した。もちろん、語尾を少しだけ上げて…。

「あたしの仲間よ。どこに連れて行ったの!?」

 赤守球を取り戻すこともそうだが、一番の目的は、ミュエリを助け出すことだ。赤守球を取り戻しても、今まで連れ去られた人がどこにいるか…それが肝心な事だった。

 黒風には赤守球が関係するかも…と聞かされたが、時間が経つにつれて、赤守球=黒風だという思いが大半を占めていった。いや、そうであって欲しいと思ったのだ。ミュエリを助ける、唯一の手掛かりだから。

 もしかしたら、全然関係ないかもしれない…そんな、可能性さえ、頭の隅に追いやり、考えないようにしていた。だけど、敢えて考えないようにしていた可能性は、女を目の当たりにして、一気に消え去ってしまった。美人ばかり狙う その理由が、分かったからだ。

 自分の顔にコンプレックスを持った女が、美人に嫉妬した…よくあることだろう。

 〝女〟 は、美に対してのコンプレックスが特に強い生き物なのだ。

 ややあって、女は口を開いた。

「──知らぬな」

「と、とぼけないでよ。その赤守球で黒風を呼び起こして、毎月 一人づつ連れ去ってることぐらい知ってんだから。数日前は、あたしの目の前でミュエリをさらったでしょ! ちゃんと、この目で見たのよ」

「ほぉ…。そういうことか…」

「そういう事…って…人事みたいに…」

「それで、赤守球を探していたというわけだな?」

「そ、そうよ」

「ならば、どうしようというのだ?」

「え…?」

「赤守球を持っている私をどうしようというのだ?」

「だ、だから…それは…ミュエリの居場所を聞いてから…その赤守球も奪って──」

「嫌だと言ったら?」

 あたしの言葉を最後まで聞かないうちに、女はまた、質問した。

「い…嫌って言われても…こっちだって 〝はい、そうですか〟 って帰るわけにはいかないわよ…」

 あ、ああ…あたし、なに言ってんだろ…。

 足は震えてるし、手だって力が入って、思うように動かないのよ…? それに、こんな棒一本じゃ、何の役にも立たない事ぐらい、よく分かってるじゃない…。

「──という事は、力ずくでも奪おうというのだな?」

「そうよ」

 だから、違うって…。力で敵うわけないんだから…。どうして、気持ちとは正反対なこと言っちゃうのよ?

 だいたい、最初に術を使われたら終わりでしょ? あたしが動けなくなってる間に、黒風を呼び起こして、リヴィアの村を襲い始めるに決まってる。それを避けるために、彼女は、恥とも言えるような事を話してくれたんだから。

 もし、そんなことになったら、今まで気付かれないように探してきたのだって、水の泡だわ。

 それに…正直、あの変な術の副作用は、二度とごめんだもの…。

「それが本気なら、見せてもらおう。素人のお前がどれほどの力を持っているのかを、な」

 そう言うと、玄関わきから何かを掴んで、あたしの方に放ってよこした。

 もちろん、普通の状態じゃないから、イオータが木刀を放った時みたいに、空中で受け取ることは出来ない。目だけがその物体を追うと、それは、あたしの足元に落ちた。

 見慣れた皮ベルト一式…。

「あ…たしの…短剣…?」

「力ずくという事は、命を賭ける覚悟があるということ。私は、そんな棒で、お遊びをするつもりはないからな」

「い…のちを…?」

 女が発した言葉を繰り返して、あたしの体が更に凍りつく。

 今更だが、とんでもないことになっていると、ようやく気付いた…。

 まさか、こんな展開になるなんて…。

「どうした? 早く拾わないと、こちらの刃がお前の体を貫くぞ?」

 女は、いつの間にか自分の剣を抜いていた。

「あ…」

 恐怖で固まった体が、こういう事は避けたいという気持ちとは裏腹に、〝拾え〟 という言葉に素直に反応する。

 棒でケリがつくなら、それが一番だ。だけど、命がかかるこの状況では、この棒など、何の役にも立たない。

 あたしは、短剣を拾うと、しばらくの間、持っていた棒と見比べていたが、すぐに、雑草の上に放り投げた。

 軽い音が土の中に吸い込まれる。

 ベルトを腰に巻きつけ、定位置に固定すると、剣を抜いた。

 普段は全然気にしなかったことだが、月の光に照らされた刃は、この世の全てが切れそうなほど、不気味に光り輝いて、思わず身震いしてしまった。

 その反応に、女がフッと笑い、次いで明らかにバカにした口調が放たれる。

「怖いのか?」

「まさか…」

 もし、〝怖くないのか?〟 と聞かれれば、きっと、〝怖いわよ〟 と素直に言うだろう。だけど、嘲笑の笑みで 〝怖いのか?〟 なんて聞かれたら、意地でも 〝怖い〟 とは言えなくなる。

 その 〝意地〟 は、一種の防衛機能からくるものなのだろうか?

 〝怖い〟 と口に出してしまえば、その先、本当に何もできなくなってしまう。〝怖くない〟 と言葉にし、それを自分の耳で聞くことによって、自身に言い聞かせようとしているのかもしれない。

 あたしは、ほんの一瞬、強気で返した言葉に驚きながらも、そんなことを考えてしまった。

「…では、早くかかって来い」

「え…? あ…ぁ…」

 か、かかって来いって言われたって…木刀じゃないのよ、これは…。そう簡単に、刃物を振り回すなんて…。

「何をためらう? 私はもう、これ以上待つのはごめんだ。お前が動かぬのなら、私からいくぞ」

「え…ちょ、ちょっ──」

 あたしが制しようとする言葉など、聞く耳持たぬとばかりに、女は右手で持っていた短剣を振り上げた。動かなかった足が、短剣をよける上半身につられ、遅れながらも後ろに下がる。体勢を崩しそうになった瞬間、またもや、女の刃物が振られた。

「ひぇ…」

 自分の探検で防ぐことなど すっかり忘れ、体だけでよける自分の足がもつれそうになる。

 何度も何度も振り回される刃物は、ヒュッ、ヒュッと音を立てて空を切る。木刀ではこんな音は出なかった。刃物の鋭さか、それとも振り回す早さか…。どちらにせよ、女の動きはまるで無駄がなく、剣裁きはイオータに負けず劣らずといったところだった。

「逃げてばかりでは、この私は倒せぬぞ? それとも、それがお前の力か?」

 最初と、なんら変わらぬ口調。冷たく、そしてバカにした微かな笑みは、間違いなく手を抜いていると分からせる。イオータと同じぐらいの剣裁きをしていながら、ギリギリではあるものの、あたしがよけ切れているなんて、手を抜いているとしか考えられないのだ。

 も…う……どうしたらいいのよ…!?

 よけることで精一杯だったあたしの頭には、そんな言葉しか浮かんでこなかった。


 《なんで、防げねーか分かるか?》


 え…?

 不意に聞き覚えのある声が聞こえて、思わず女から視線を外した。

 その時だ──

「──ツッ!!」

 左腕に鋭い痛みが走り、握っていた短剣は地面に落ちてしまった。

 咄嗟に、右手で腕を押さえる。

 ヌルッとした感触と共に、生温かいものが、手の平に広がった。

「それで、終わりか?」

 腕から流れる黒い液体を見ても、女は顔色一つ変えず、更に冷たい笑みを浮かべた。しかしすぐに、感情のない顔に戻る。

「拾え」

「……!?」

「言っただろう? 私は お遊びをするつもりなどない。命を懸ける覚悟なら、こんなもので終わりはしないだろう?」

 それはつまり…死ぬまで戦えという事だった。

 もう…やだ……なんでこうなっちゃったのよ…?

 勝てるわけないじゃない……。

 腕の痛みと、おそらく、自分が殺される…という恐怖とが重なって、喉の奥から込み上げてくるものがあった。もしここで、一声でも出せば、あたしはきっと、泣き崩れてしまうだろう。だから、抑えるしかなかった。ただ、どれだけ抑えても、体は正直なものだ。肩は震え、目には涙が溢れてくる。それを悟られなくて俯いていたが、女はすぐに見抜いた。

「どうした。力づくでも奪うと言ったのは、お前の方だぞ。まさか、そのお前が、死ぬのを怖がっているのではなかろうな?」

「……………」

 〝命を懸けて…〟

 その言葉の意味が、どちらか一方が死ぬまで…というなら、なぜ今、自分を殺さないのか…。どうしてそんな言葉を掛けてくるのか…。

 そんな疑問さえ、この時のあたしの頭の中には浮かばなかった。

「拾え!」

 怒りにも似た強い口調が再び聞こえ、あたしの体が小さくビクついた。

 どうすれば……!?


 《防御できねー理由が、その 〝目〟 だっつー事によ?》


 イ…オータ…?

 どうすればいいか分からず、全身に力が入っていたあたしは、またもや聞こえてきた言葉に、強く閉じていた目を開けた。さっきみたいに、声の主を探したかったが、また、短剣が一振りされるかと思うと、どうしてもできなかった。だけど、同時に、イオータがここにいるはずがないというのも理解できた。

 あの言葉は…二日前の出来事…。

 そ…うか…。あの声は、あたしの頭の中に浮かんだんだ…。

 思い出すというより、フッと浮かぶ…。そういう時の言葉は、まるですぐ近くで言われているような錯覚を受けるのだ。

 〝目〟 か…。そうだったわね…。目を見れば、どこを狙っているのかが分かる。二日前に教えてもらったことなのに、忘れてた…。

 ほんの一瞬、情けない感情に襲われたものの、不思議と、さっきまで感じていた腕の痛みや死への恐怖は、海の波が引くようにスーッと消えていった。

「拾わぬのなら、仕方が──」

「拾うわよ」

 なかなか動かなかったあたしに、〝仕方がない〟 と言い、最後の短剣を振り下ろそうとしたらしいが、あたしは、女が言い終わらないうちに言葉を返すと、落とした自分の短剣を拾った。

「ほぉ…。どうした、急に? 死ぬ覚悟が、ようやくできたのか?」

「そうかもね…」

 変わらず冷ややかに喋る女の目を──そして、さっきまで、怖くて見ることができなかったその目を──あたしは、じっと見つめて答えた。

 女の目の色が、わずかに変わったのを見てとれた。

 それは、初めて女の顔が変わった瞬間でもあった。

「もう一度、かかってきなさいよ。今度は逃げやしないから」

 驚くほど、強い口調が自分の口から出る。

「──ふん。いいだろう」

 女はそう言うと、先ほどのように軽やかな動きで短剣を一振りした。

 ジャッキッッッ──!!

 刃物同士がかち合い擦れあう音が、夜の闇に冷たく響いた。木刀では、決して聞くことのない鋭い音。金属同士の音が、これほどまで耳に不快だとは…。

 しかし、防御のタイミングも一歩間違えれば、音が出ない代わりに刃が体へと突き刺さる。

 〝死〟 がすぐ隣にあるのだと思い知らされて、あたしの体は恐怖よりも緊張感で満たされていった。

「私の刃を受けるとはな。偶然か、それとも狙ったものか? ──いや、そんな事はどうでもよいな。今に分かることだ。いくぞ──」

「────!!」


 右下…。

 キンッ──!!

 左…。

 ジャッシュッッッ──!!

 右上…。

 キンッ──!!

 左上…。

 ジャキッッッ──!!

 胸…。

 カッッ──!!


 繰り出される攻撃を、あたしは何とか弾き返した。

 それまで余裕の笑みさえ浮かべていた女の顔が、攻撃をかわされるたび、少しづつだが変わり始めた。少なくとも、今まで見せていた冷たい笑みは消えていたのだ。呼吸も乱れ始めている。

 もちろん、それはあたしも同じだ。

 防御ができたからって、余裕などまったくない。一瞬でも気を抜いたら、瞬く間に、女の刃があたしの体を切り裂く。

 数日前に教わった戦術で、まさかここまでやりあえるなんて、自分でも信じられなかった。しかし、数日前という事が、体力や持久力の問題を現実のものにした。

 女の呼吸の乱れより、あたしのほうが遥かに乱れているのだ。しかも、状況は次第に悪くなってくる。

 そして、自分自身がある事に気付いた時、女の表情にも微かな笑みが戻った…。

「防ぐだけか?」

「くっ──!!」

 そう…なのだ。

 防御は何とかできるようになったが、肝心要の攻撃を教えてもらっていなかったのだ。

 相手の目を見て攻撃をかわす…それだけで精一杯だった。隙を見て、たった一振りでもできればいいのだが、思うようにタイミングが見つけられない。

 こんなのってないわよ……これじゃぁ、何の意味もないじゃない……!?

 このまま、どちらかの体力がなくなるまで、同じことの繰り返しだわ。──ううん、持久力からいったら、あたしのほうが断然、不利なのよ。

 手の平も、腕もすでに痺れ重くなりつつある。このままじゃ、間違いなくあたしが──

 考えがそこまでたどり着いた時だった。

「あっ……たたっ──!!」

 限界が近づいていたのは、手だけじゃないことを知らされた。

 足にきたのだ──

 攻撃の強さを上半身では受け止められなくなり、体が後ろに反ったと思いきや、足も体を支える為の動きが追いつかず、そのまま後ろに倒れてしまったのだ。

 〝しまった──!!〟

 そう思うが早いか、女はあたしの腹部に馬乗りになり、鋭く光る刃の矛先を首筋に突きつけていた。

 満月に近い月が、女の頭で半分ほど隠れている。太陽ほどではないものの、逆光は、やはり見にくい。女の姿かたちだけが分かるだけで、陰に隠された表情までは、まるで見えなかった。

 だけど──

「少しはできると思ったが、やはり、素人だな」

 そう言った女の言葉からは、今この瞬間にも、あの冷たい笑みが漏れているのだと分かった。

 途端に 〝死〟 を感じて、消えていた恐怖が蘇ってきた。背中からまとわりつくように悪寒が走り、体中から嫌な汗が滲み出す。

 左腕の傷口が疼き始めると、更に、〝死〟 をもたらすであろう、これからの傷に、恐怖が重なった。

 手の平にべったりと滲む汗のせいでもあるだろうが、掴んでいた短剣が落ちそうになり、思わず握る手に力を込める。いくら 〝これで終わりかも…〟 と思ったとしても、これだけは最後まで放すわけにはいかなかったのだ。放してしまえば、本当に終わってしまうからだ。

 乱れていた呼吸が、正直な体の震えを表し、口の中は、冷や汗で濡れる体とは相反して、カラカラになっていった。

「お前が、何も知らなければ命もあっただろうがな。赤守球を狙っているとすればそうもいかぬ。悪いが、死んでもらうぞ」

 女はそう言って、力が入るように短剣を逆に握り、頭上高く振り上げた。

 もう、なす術もないと分かったからか、あたしは、〝悪いが…〟 と言いながらも、決してそうは思ってないような口ぶりに、一瞬 力のない笑みを漏らした。──いや、実際は、女に言われるまで、気付かなかったのだが…。

「何がおかしい?」

 振り落とされれば一巻の終わりだと思っていた女の短剣は、無意識のうちに漏らしたあたしの笑みで、その動きが止まっていた。

 あたしは、頭の中で 〝え…?〟 と呟いたものの、次の瞬間には、〝あ…!〟 と小さな声を出していた。

 女の後ろの方で小さな光がゆっくりと落ちてきていたのだ。その光は女の真横も通り過ぎ、地面に落ちていく。いくつも、いくつも、いくつも……。

 そのたびに、まったく見えなかった女の表情が、ロウソクの炎に照らされたときのように、ゆっくり浮かび上がった。光が顔の辺りを通過する時だけ浮かんでは、また消えていく。

 訝しげにあたしの顔を見下ろす女の顔…。

 見えて…ない…?

 これは妖精のものなのかと、落ちてくる一つ一つの光を凝視してみるが、それらしき形はなかった。

 じゃぁ…いったいこれは……?

 そんな疑問を抱きつつ、追いかけた光のひとつが、あるところに落ちた時、あたしはやっと分かった気がした。その答えが正しいのかどうかを確かめる為、今度は女の後ろで輝く月に視線を移してみる。

 やっぱり……!!

 光は、間違いなく月から降り注いでいたのだ。

 先ほどの光は、右手に持っていたあたしの短剣に落ち、その部分で弾けるように割れた。そして、そこだけほのかに光っていたのだ、銀色に。

 そう、黒風を追い払う為、イオータが短剣に息を吹きかけた時のように…そして、戦術の時、月の光を借りたと言った時のように、銀色の光が短剣を覆い始めていたのだった。


 〝自分の力と、この光が何かしら関係してるってーのに気付くかもしんねーぜ?〟


 あの時のイオータの言葉が、また頭をかすめた。

 もしかして……。

 あたしは、その可能性を察知するや否や、左手を真上に上げた。手の平が半分だけ見えている月に隠れるように力一杯伸ばす。

 ゆっくりと降り注ぐ月の光が左手の手の上で積もり溢れ出してきた。

 銀色に包まれたその手のすぐ隣では、女の顔が 〝いったい、何をしているのだ…?〟 とでも言うように訝しげな表情を浮かばせる。

 あたしは、そんな女の気持ちなど無視して、左手に積もった光を包むようにゆっくりと握った。そして、その手と右手の短剣を胸の近くに持ってくると、イオータがしたように左手の光を短剣に向かって吹きかけてみた。すると、途端に短剣はあの時のように銀色の光に包まれていったのだ。

 いつの間にか、震えさえくる恐怖は消え、冷や汗も出ていないことに気付く。あんなに乱れていた呼吸さえも、今や普通の状態。それだけでも十分 不思議なことだったが、もっと、不思議だったのは──いや、驚いたと言うべきだろうか、それは──湧き上がってくる自信だった。決して負けないという、確信にも似た自信。

「分かりきった結末なんて、ちっとも面白くないわ」

「なに…!?」

 女の顔が険しくなった瞬間、あたしは短剣を横に振った。

 人を素人呼ばわりするだけあって、隙をついたあたしの攻撃も、ギリギリかわした。しかし、体勢はわずかに崩れる。その一瞬を狙って、立ち上がったあたしは女の腹部に蹴りをお見舞いしし、女が倒れこむと同時に、その腹部に馬乗りになった。そして、同じように刃の矛先を女の喉もとに突きつけた。

「形勢逆転、ね」

「くっっっ…!! まさか…」

 攻撃をかわすので精一杯だった目の前の女が──恐怖で泣いていた女が──こんなにもすばやい動きで、自分の喉もとを捉えるとは想像もしていなかったのだろう。女の顔が驚きを交え、悔しさと苦痛に歪んでいた。

 しかし、驚いているのは、自分も同じだ。怖いくらい自信に満ちた自分の裏で、なぜ、こんなにもすばやい動きができたのか、客観的に驚いている自分もいたのだ。

「そ…れが、お前の力か…?」

「さぁ、どうかしら?」

 まるで自分じゃない自分がもう一人いて、喋っているようだった。

 余裕からくる笑みだろうか…。女から消えた笑みが、今まさに、自分の顔に出ているのだと分かる。

「本当の力は、まだこれから…という事か…」

「…だとしても、それを確かめる術は、あんたにはないわ」

 独り言のように呟いた女の言葉に、〝あたし〟 だと実感できないあたしが、吐き捨てるように返した。

「さぁ、言いなさい。連れ去った人を元に戻す方法を」

 突きつけていた短剣に力を込めると、わずかに矛先が女の首筋に沈む。

「……簡単なことだ。赤守球を元に戻せばいい。あとは、赤守球を持つべきものがその方法を知っている」

 死を受け入れたのか、女は抵抗するわけでもなく素直に答えた。

 ウソをついているのかも…と思うのは当然だが、なぜか疑わなかった。女の目がそう言っているのか、それとも、自分の自信からか…それは分からない。だけど、女がウソをついていないことが、分かったのだ。

「素直に答えてくれて、ありがと。本来なら、赤守球を奪って終わりなんだけど、命を懸けたんだから、やっぱり、負けたほうは死ぬのよね?」

 ちょっと…あたしなに言ってんの?

 このまま、赤守球を奪って逃げればいいじゃない…。なにも殺さなくたって…。

「好きにしろ。死ぬことなんて、私は恐れてなどいない」

 その言葉に、フッと笑う自分がいた。

「いい覚悟だわ」

 〝あたし〟 じゃないあたしが、あの時の女と同じように握り方を変える。

 ダメよ…ダメだってば、ルフェラ!

「じゃぁ、あとでね」

 ダメぇー!!

 客観的に自分を止める声も虚しく、振り上げられた短剣は力いっぱい振り落とされた。


 ガツンッッッ──!!


 え……?

 金属音がしてふと我に返る。

 短剣は、赤守球の鎖を切り、半分ほど地面に埋まっていた。

「あ…ぁ……」

 そこにはもう、〝あたし〟 じゃないあたしはいなかった。

「お…まえ…?」

「あ………」

 自分でも何がなんだか分からず、それ以上の言葉どころか、声さえも出なかった。

 とりあえず、赤守球だけは奪わないと…。

 ただその事だけが頭の中をめぐり、気付けば左手で赤守球を、右手で短剣を抜き取り、駆け出していた。

 無意識のうちに振り返った時には、首もとを押さえ、フラつきながらも起き上がろうとする 女の姿が目に入ったところだった。そして、女の頭上には怪しく動く黒い物体があった。

 黒…風……!?

 一瞬、頭によぎった言葉だったが、即座に前を向くと、あたしはその言葉を振り払うようにスピードを上げた。

 そんなはずない…そんなはずないわ。黒風を呼び起こす赤守球は、あたしの手の中にあるんだもの──!!

 あたしは、自分に言い聞かせるように何度も何度も心の中で繰り返した。それ以外のことを考えないように、とにかく繰り返す。そして、体力が続く限り走り続けた。

 帰りたい場所はひとつなのに、その道は分からない。だけど、止まれなかった。足の赴くまま走り、時間の経過と共に、スピードも次第に落ちてきた時だ。早歩きから、歩きに変わると、途端に体中の疲れがどっと押し寄せてきた。

 そうなるともう、立っていられなくなる。

 あたしは、その場で座り込んでしまった。

 荒く乱れた呼吸に、体中の汗と重い手足…。

 座り込んだまま、何も考えられず、しばらくの間、ボーッとしてしまった。そして、この時 既に、女の頭上で怪しく動いていた黒い物体のことなどは、すっかり頭から消え去っていたのだ。

 夜の森をなぜ走れたのか…。

 そんな疑問など、まったく浮かばなかった。だけど、日が昇り始めており、森の中も明るくなりかけていたことを知ったのは、もう少しあとになってからだった。

 しばらくして、自分の心に落ち着きが戻ってくると、先ほどの出来事が蘇ってきて、途端に体が震え始めた。

 初めて体験した恐怖ゆえに、生きていることさえ不思議で、もしかしたら、今までのことは全部夢だったんじゃないかと、錯覚させる。だけど、手首の火傷や左腕の傷の痛みが、これは現実だと感覚で教えてくる。

 両手に持っていた赤守球と短剣はいつの間にかあたしの手から離れていた。そして、震える体を自分で包み込むように、ギュッと両腕を掴んだ。そのまま前かがみに倒れこむと、恐怖に震えながらも、徐々にあたしの意識は遠く薄れていったのだった──

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